日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

★永遠の鎮魂歌★「南京大暴虐」犠牲者たちへの想い・マギー牧師の証言から(あわれな「否定派」たちへ贈る「東京裁判」議事録)

終始変わらぬ想い:
ー私が程度のちがいこそあれ、いつも考えていること。これらはおそらく一生かわることはありますまい。イチ学徒としてまた元日本「国民」としてのどうにもならない宿命。「精神病」そして「依存症」などと大差なく。
ー2~3日前にひらいたYahoo Japanではいつもとおり産経新聞、読売新聞などが飽きもせず「慰安婦」(性奴隷)「南京事件」とやっていた。
ーともあれ生きている限り消えない「十字架」に過ぎない。場面かえ環境がかわる、常に浮き沈みしている「体の一部」といわざる負えないであろう。2016/09
http://www.geocities.jp/yu77799/magee.html
マギーが証言したこと
マギーの証言は、ウィルソン証言、ベイツ証言などと並び、極東軍事裁判の「南京事件」審議における、ひとつのハイライトとなりました。「極東軍事裁判」の被告側弁護士であった瀧川政次郎氏(
*サム・法制史学者・事件当時北京在住・翌年南京訪問ですら、「私はこれらの証人が語った残虐行為をここに載録するに堪えない。・・・しかし、彼らの言に多少の誇張があるにしても、南京占領後における日本軍の南京市民に加えた暴行が相当ひどいものであったことは、蔽い難き事実である」書き残しているところを見ると、これらの証言が当時の法廷に与えた衝撃の大きさが伺えます。これに対して弁護側は、「マギーが実際に目撃したことはほとんどない」ことを強調する「法廷戦術」を使用しました。しかし実際に証言内容を見ると、マギーは、「情報」を得た状況、「情報」の具体的内容について、かなり詳細な証言を行っており、その内容にも特段の無理は見当たりません。マギー証言の信頼性は高いものであると言えるでしょう
(*サム・なお瀧川氏の原文はこう続く「当時私は北京に住んでいたが、南京虐殺の噂があまりに高いので、昭和十三年の夏、津浦線を通つて南京に旅行した。南京市街の民家が概ね焼けているので、私は日本軍の爆撃によつて焼かれたものと考へ、空爆の威力に驚いていたが、よく訊いてみると、それらの民家は、いづれも南京陥落後、日本兵の放火によつて焼かれたものであつた。南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においても尚冷めやらず、南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫が私に語つたところによると、現在南京市内にいる姑娘(若い娘)で日本兵の暴行を受けなかつたものはひとりもいないといふ」)
ーここでは、「極東軍事裁判」におけるマギー証言の内容をいくつか取り上げてみました。
*「極東軍事裁判」の記録は、同時通訳の速記録です。そのため、日本語としてこなれておらず、大変読みにくいものになっています。従って部分的におかしなところがあるとしても、それは「翻訳ミス」に起因する可能性もあります。以下をご覧になる方は、この点にご注意ください。
**「極東軍事裁判」では、同時通訳者の他に「モニター」がつき、随時誤訳を修正しています。「速記録」では、通訳のあとに、「○○モニター 訂正します。(以下本文)」という形になっていますが、 そのまま掲載すると読みにくいので、以下では、一部本文をそのまま「訂正」後のものに直し て掲載しました。厳密な議論を行いたい方は、必ず原典に当たっていただくようお願いします。まず最初にマギーは、「敗残兵狩り」の光景を証言しています。マギーが雇っていた「十五歳」の料理人が、それに巻き込まれましたが、どうにか逃げてこられたようです。 マギーはこの話を、自分が雇っていた「料理人」から直接に聴取しています。
○マギー証人
十二月十四日のことでありますが、
私の雇つて居ります料理人、それは十五歳の子供でありますが、其の子供が約百名の中国人と共に、南京の街の城壁の外部に、約五十名づつ二団になつて連れて行かれたのであります。其の際彼等は手を括られていたのであります。前で括られ、前の方から日本兵がそれを殺し始めたのであります。 其の際此の料理人は、丁度鉄道の外の穴の中に逃げ隠れた為に助かつたのであります。其の際にどうして逃げたかと申しますと、手を縛られて居つた縄を或る苦心した結果、漸く解いた為めであります。彼は丁度拉致されてから、約三十八時間後に逃げて帰つて来たのであります。それに依つて初めて、是等連れて行かれた中国人がどう云ふ運命に遭遇して居るかと云ふことの最初の証拠を得たような訳であります。其の晩でありましたか、其の翌日の晩でありましたか、私は能く記憶して居りませぬが、私の見ました所に依りますと、中国人の二列縦隊が連れて行かれるのを見たのであります。其の数は千若くは二千に上つたであらうと思ひます。さうして手は総て縛られて居つたのであります。私は其の団体の中に、中国の兵隊が居るのを一人も見かけなかつたのでありまして、全部便衣を着て居つたのであります。其の中の負傷した者が逃げて帰つて来たのでありますが、それは全部私の監督しておりまする教会の病院に入れられたのであります。どう云ふ風にして帰つて来たかと云ふと、全部銃剣で突かれたのでありますけれども、死んだやうな真似をして居た為に、逃げて来たと云ふことであります。斯う云ふ事実に依りまして、其の日にどう云ふ事柄が行はれて居つたかと云ふところの確たる証拠が挙つたと私は思つたのであります。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P88)
 こちらも、「敗残兵狩りへの民間人巻き込まれ」の証言です。
○マギー証人 
十二月の十六日のことでありますが、私は避難民収容所の方へ行きましたが、其処に・・・〔英語速記者朗読〕
是等日本軍は避難民収容所に来たのであります。其の避難民収容所の中には、私の能く知つておりまする教区があつたのでありますが
、其の教区から信者を約十四名拉致したのであります。其の十四名の中には、十五歳の中国の少年が居りましたが、其の少年は、私の能く知つて居る中国人宣教師の子息であります。四日の後に一人の苦力が逃れて来て、斯う云ふ事実を私達に告げたのであります。其の十四名は千名の中国人と一緒に一団とされ、揚子江の沿岸で機関銃の十字火を浴びて殺されたのであります。この少年はどう云ふ訳で帰つて来たかと申しますると、多数の中国人が機関銃に依つて殺された時に、自分の周りに人間の身体がバタバタと倒れて来る際に、其の中に隠れて居つて暗くなるに伴ひまして、見付からないやうに逃げて帰つたのであります。此の十四人の中国人が拉致された同じ日でありまするが、私の運転手の兄弟の二人が拉致されたのでありますが、それは何処へ連れて行かれたかと申しますると、他の多数の中国人と共に、少し離れた所の市内の広場に連れて行かれたのであります。さうして其の広場に於ては、多数の中国人が其処に集められて居つたのであります。約五百の中国人が集まつて居つたのを見たのであります。〔宮本モニター 一寸訂正致します。本人の運転手は私と同行しようとしないで、彼の妻が私と同行したのであります〕私は其の五百人の団体の端に立つて居つて、見て居つたのでありますが、其の中に私の今申しました婦人の兄弟が居るのを見付けたのであります。それで私は其の近くに居りました日本軍の軍曹の所に其の婦人と一緒に行つて話し掛けました所が、軍曹は非常に激怒致しましたので、是は到底話した所で駄目だと思つて引き退つたのであります。 (『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P88~P89)
次が、有名な、「マギーの殺人目撃証言」です。
○マギー証人
其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、
実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。それは中国人が私の家の前を歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。さうしますると此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして殺したのであります。 〔宮本モニター 一寸訂正します。「一人の支那人が私の家の前を歩いて」と訳しましたが、「一人の支那人が通りを歩いて居る」と云ふやうに訳します。あとの方で、日本人の兵隊が此の支那人の顔に向けて発砲して殺したのであります〕
まるで彼等は何事も起こらなかつたやうに、さり気なく煙草を吹かしながら歩き続けて行つてしまひました。恰もそれは野鴨狩りでもして居つたやうな平気な態度でありました。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P89)
 次の事例も、「殺人」です。マギーは被害者の妻から話を聞き、その死体も目撃しています。
○マギー証人 
或る日のことでありまするが、私は四時三十分頃に或る中国人の家に呼ばれて行つたのであります。それは其の家で一人の日本兵が、其処の中国人の妻を強姦せんとして居ると云ふ情報があると云ふことの為に、私は其処に呼ばれて行つたのでありますが、其の際、其の女の主人は、自分の妻が何処かに逃がさうと思つて大いに努力したのであります。そして其の家の後尾にあつた日本兵が、知らなかつた戸口から逃がさうとしたのであります。
其の日本兵は其処に入つて来た時には、武器を持つて居らなかつたのでありますが、一応立去つて今後帰つて来た時には武器を持つて居りました。
さうして其の婦人の夫を殺したのでありました。其の婦人は私を其の家の裏庭に連れて行つて其の夫の死骸を見せたのであります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P91~P92)
*「ゆう」注 これは、「日本軍の暴行記録」第176件の事件と見られます。
 次からは、「強姦」の事例が続きます。いずれも、被害者からの「直接聴取」です。
○マギー証人 
私が最初の事件として遭遇致しました強姦事件のことを申しますと、或る日のことでありましたが、私が私の同僚の「フォスター」氏と同行して町を歩いて居りまする時に、一人の婦人が駆付けてどうか助けて呉れと云つて懇願したのであります。それは暗い夜の中でありました。其の婦人の話に依りますると、夕方の六時頃に其の婦人は拉致されて、
自動車に乗せられて三哩若しくは四哩の郊外に連れて行かれ、其処で三名の日本兵に強姦されたと云ふことでありました。彼女は強姦された後、自分の家に送り返されたのでありますが、其の際自分の家から約一哩位来た所で又、日本の兵隊に依つて声を掛けられたので、驚いて私共に助けて呉れと云ふことを言つたので、私共は助けたのであります。丁度其処は私が行かうとして居る場所であつたのであります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P92)
 ○マギー証人  
十二月十八日に私は私共の委員会の委員の一人であつた「スパーリング」氏と一緒に其の南京の住宅街の方に行かうとしたのであります。其の周囲に於きましては、総ての家に日本の兵隊が闖入して居る形勢でありました。
私共が丁度入りました家に於きましては一人の婦人が泣いて居りましたが、彼女は強姦されたのであります。 此の婦人の話に依りますと、其の家の三階にまだ日本兵が居ると云ふことでありましたから、私共は上つて三階まで行つて見たのでありますが、其の時に其の「ドア」の中から閉ぢられて居りました。私共は其の「ドア」を叩き、又、大きな声で呶鳴り付けました。さうして私と同行して居りました「スパーリング」氏も私と一緒に上つて来て加勢をしたのであります。間もなく中から日本の兵隊が出て来ましたが、其の中には中国の女が二人居りました。〔宮本モニター 一寸訂正します。其の女を部屋に残して日本兵が外に出て来たのであります〕
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P92)
 
○マギー証人 
私は十二月二十日に或る一軒の家に呼ばれて行つたのでありますが、
其処では約十歳から十一歳位の中国の少女が強姦されたのであります。それで私は其の少女を病院に連れて行きました。さうして私が其処に行つたが為に、中へ三名の日本兵が侵入しようとするのを止めることが出来たのであります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P92)
 ○マギー証人  
其の病院から私が帰つて参りまして、更に他の一軒の家に呼ばれたのでありますが、其処に於きましては、三人の日本の兵隊が二階に侵入しようとして居るのを其処で私が追出したのであります。其処に居りまする中国人が私共に或る一つの部屋を指示致しまして、其処へ行つて見ろと云ふことでありましたから、私共入つて見ました所が、
其処では現に一人の日本兵が強姦をやつて居る現場であつたのであります。私は彼を其の家から引摺り出し、其の廻りの小さな道に追出したのであります。〔宮本モニター 其の女は其の部屋から出てきて・・・〕 さう云ふ事件は多数に上つたのであります。私共外国人と致しまして最も困難な問題は、男子を連れて行くことは阻止することは出来ませぬでしたが、婦人を強姦することは到る処で止めることが出来ました。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P93)
 ○マギー証人  
一月一日に「アメリカ」人が一名やつて参りまして、我々を招待致しました。さうして私が言ひました。それは家を明けたくないと言いました所が、彼はたつた一時間ばかりのことであるから何にも起る筈はないと言ひました。其の場所は丁度若い少女を沢山預かつて居る所でありましたが、私共が食事を致して居ります時に、二人の中国人が走つて来まして、日本の兵隊が女の子を探しに来て居ると云ふことを告げたのであります。私共は全力を尽くしたのでありますが、結局二人の中国人が其の被害者となつたのであります。其の一人は約三十歳位の婦人、もう一人は若い少女でありましたが、
其の三十歳位の婦人の話に依りますと、其の三十歳の中国の婦人は少女に手を掛けないやうに嘆願した所、此の日本兵は銃剣の平たい方で彼女の頭を殴りつけて置いて、女を強姦したのであります。其の婦人は私は三十年(ママ)以上も知つて居る友達であります。 (『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P93)
 ○マギー証人 
私は南市にあります或る一軒の家へ行つたのでありますが、
其の家の前で一人の婦人が泣いて居りました。それは彼女の夫が日本兵に依つて殺されたからでありますと云ふことを私は彼女から聞きました。私は其の家の裏庭の方に廻って見ました。其処には其の家の所有主である一人の年取つた寡婦が十二歳の娘と七十七歳になるお母さんと一緒に住んで居つたのであります。彼女等の私共に話します所に依りますると、其の寡婦は日本兵に依つて連続強姦されたのであります。其の強姦された後、其の家から数回に亙つて安全地帯に逃げ出さうと試みたと云ふことであります。其の安全地帯に行く途中に、其の寡婦と娘とは其の年を取つたお母さんと離れ離れになつてしまつたのであります。さうして後程になつて、お母さんが帰つて来ての話に依りますと、其のお母さんは或る家へ連れて行かれて強姦されたと云ふことであります。其のお母さんは先程申したやうに七十七歳の老母であります。其の寡婦が金陵大学(金陵女子文理大学)に帰つて来てからの話に依りますると少なくとも十七回から十八回に亙つて強姦されたと申して居りました。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P94~P95)*「ゆう」注 「南市」というのは、「南京市の南部」の意味であると思われます。
 ○マギー証人  
聖書会に属する婦人即ち私共の教会に属して居る「エヴァンジェリスト」の牧師さんであつたのでありますが、此の方が約八十歳以上の年取った老母と一緒に住んで居られたのでありますが、其の家へ或る日に、日本の兵隊がやつて来て、外へ出ろと云ふ話で、外へ出ますと、其の着物をまくり上げろと云ふ命令を出したのであります。其の老母は自分はもう非常に婆さんだからと言いました所が、
兵隊は直ぐに老母を射殺したのであります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P95)
 続いて、有名な「夏淑琴さん事件」の証言が見られます。
○マギー証人  一月の終り頃になりまして、私は南市の方へ参りまして沢山の街で色色な事件が起こつたのを承知したのでありますが、其の中で特に私の申上げようと思ひますのは、新開路六番<地>の家で起つた事件であります。
○サトン検察官 それは何年のことですか。
○マギー証人 一九三八年のことであります。私が参りました道は南門の丁度内側にあつたのでありますが、そこで中国人の話します所に依りますと、其の辺りで約五百人の中国人が殺されたと云ふ話でありました。私は新開路の六番地の家へ連れて行かれて見せられたのでありますが、それは案内したのは非常に年を取つた母方の祖母さんでありましたが、そこでは多数の中国人の子供が死んだと云ふ話でありました。其の家に十三人の人が住んで居つたのでありますが、唯二人の子供だけが逃げたのであります。其の中に一人の少女、其の年は約八歳から九歳位の一人の少女でありましたが、其の少女の話に依りますと、日本兵が入つて来た時に背中を二度ばかり刺された、さうして其の時にはもう傷は大体治つて居りましたが、其の刺された傷を私は現に見たのであります。写真を撮つて参りました。約三十名の日本兵がやつて来まして入口の所で大きな声で怒鳴つたのであります。回教徒の人が戸を開けました所が、即座に日本兵はそれを殺したのであります。さうして
其の後ろに跪づいて居る男を殺し、又其の妻を殺したのであります。それから此の兵隊は、私が先程申しました一寸広場の横の所へ是等の人を連れて行きまして、さうして十四歳から十六歳位の女の子を裸にしようとしたのであります。先程申しました非常に父方の祖母が其の女の子を保護しようと致しました所が直ぐに殺されたのであります。其の人は七十九歳でありました。其の主人は七十六歳でありましたが、腕を妻の方に差延べようとした所を殺されました。それから是等の日本兵は此の少女達を強姦したのであります。先程申しました案内役に立つた其の祖母は、此の部屋に行つて、竹の棒を女の膣から引摺り出して持つて来たのであります。是等の女は強姦され且つ殺されたのであります。(モニターによる 追加後の文)其の時には其の小さな娘と、それから彼女自身とが居たのでありますが、それ以外に其の娘の子の弟になります四歳になる男の子が居たのでありますが、其の男の子は女の子の着物を着て居つた為に、其の竹で突き刺されたと云ふことであります。男の子が女の着物を着て居つた為に竹で突き刺された、と云ふことは、それが男であるか女であるかと云ふことの証明にはなりませぬが、兎に角其の子供が二回突かれたのであります。其の広場に面して居る他の家の出来事でありました。一人の母親が小さな一歳の子供と共に「ベッド」の下に隠れて居つたのであります。日本兵はその女を強姦し、さうして後に其の女も殺し、又赤ん坊も殺してしまつたのでありますが、後程行つて見ますと、其の殺された女の膣の中には瓶が入れてあつたのであります。或る女の子から、他の殺人に付て話を聞きましたが、其の子供の年は分かりませぬけれども、頭から日本刀で斬られたのであります。其の死体は家の中から外に引摺り出されたのでありますが、私が行つた時は丁度其の事件が起つてから約六週間のことでありましたが、到る処に血が散乱して居つたのであります。若し私が色を出す活動写真の映写機を持つて居たならば、其の時の血の色の工合をはつきりと写し取ることが出来ただらうと思ふのであります。即ち其の中の一人の少女が強姦された机の上、それから他の少女が殺された床の上には到る処に血が散乱して居つたのであります。其の老婆は私を更に其の広場の近くに連れて行つて案内したのでありますが、さうして其処で、竹の菰が其の死体の上に掛けてあるのを取除けて其の死体を私に見せたのであります。其の死体は一つは約十四歳の少女、もう一つは十六歳の少女、それからもう一つは其の老婆の娘である一歳の嬰児のお母さんと一緒に其処に死んで居りました。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P95~P96)
 さらに、マギーの証言は続きます。
○マギー証人
或る日、仏教の尼さんでありましたが、それが私共の教会の病院に連れて来られたのであります。其の尼さんは日本軍の弾に依つて傷を付けられて居つたのであります。其の尼を連れて来た中国人の洋服屋の話に依りますると、其の尼さんの家のあつたお寺の後で二十五人の中国人が殺害されたと云ふことを言つて居りました。其の時の話に依りますと、見習尼さんでありまする約十歳か十二歳の女の子が非常に怪我をして居つたのであります。それは銃剣に依つて傷を付けられて居つたのであります。さうして病院へ連れて参りまして、世話をした後、私は彼女を家へ連れて来たのであります。其の傷は非常に悪くなりつつあつたので、 私共は数回病院に連れて帰らなければならなかつたのであります。其の尼さんと私は数回に亙つて話を致しましたから、能く憶えて居りまするが、其の話に依りますと、一月の五日のことでありますが、
其の尼さんの一番上の尼さんであつた六十五歳の中国の婦人が日本兵に依つて殺され、又十歳の見習尼さんが又、日本兵の依つて殺されたのであります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P97)
 次は、「十五歳の少女」に対する強姦事例です。マギーは、事件の直後に現場に駆けつけ、少女を病院へ連れていき、そこでいろいろな話を聞いています。
○マギー証人 二月の一日に私は私の同僚の「フォスター」氏と昼食を共にして居りました。其の時に中国の一人の少年が飛込んで参りまして、日本の兵隊が女の子を探し廻つて居ると云ふ話でありました。
○サトン検察官 是は何年の二月一日ですか。
○マギー証人 一九三八年であります ― 私共は其の儘飛出しまして、約百「ヤード」程離れた所にある一軒の家に行つたのであります。所が其の入口の戸が閉められて居つたので、私共はそれに体を投付けて、其の「ドア」を破つたのであります。二
人の日本の兵隊が寝台の上で十五歳になる娘と一緒に居りました。私共は其の中に飛込みまして、大きな声で呶鳴り付けました。さうすると其の兵隊は非常に驚き、さうして一人の兵隊は「ピストル」と薬莢とを摑んで逃げて行つたのであります。もう一人の日本兵は非常に泥酔して居つたので、私共は其の日本兵を家の外に押出したのであります。私は其の泥酔した兵隊の後をついて行きました。さうすると其処に日本の歩哨が立つて居る所に参りましたから、私共はどう云ふことが起つたかと云ふことを漢字で書いて見せた。所が其の歩哨は唯笑ふだけでありました。其の娘の父の私に申します所に依りますと、其の娘は既に五回に亙つて強姦されて居りました。私共が行つた時にはもう既に遅かつたのであります。二月のことであります。それははつきりと日附けは憶えておりませぬが、約十五歳になる一人の少女を私は大学の病院に連れて行つたのであります。 (『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P97)
○サトン検察官 「マギー」証人、昨日閉会(廷)致します前に、あなたは南京に於きまして十五歳の少女を病院へ連れて行つたことに付て、御証言になつて居りましたが、引続きまして、日本軍が南京に於て執つた婦女子に対しての行動を述べて下さい。
○マギー証人  私は此の少女を一九三八年の二月頃であつたと思ひますが、病院へ連れて行きまして、それから何度も話をし、さうして診察致しました。其の女の子は南京から約六十哩位の所にあります浦口の者でございました。そこへ日本の兵隊が参りました。彼の女の父は店舗を持つて居りましたが、彼の女の兄弟が兵隊であると日本の兵士が無理に申しました。さうして彼の女は、自分の兄弟は兵隊でないと云ふことを申しました。
所が其の兄弟の妻が暴行を拒んだので殺されました。又もう一人の姉が、やはり暴行を拒んだので殺されました。其の間、父と母は兵隊の前に跪いて哀願して居りましたが、何れも其の面前で殺されました。是等は皆銃剣に依つて殺されたのであります。 彼の女は気絶致しました。所が何処か分からない営舎に連れて行かれまして、二箇月間監禁されました。最初の月は毎日暴行を受けました。着物が剥がされて暴行を受けたのであります。其の後彼女は性病がひどくなりまして、兵隊はそれ以上暴行することを止めました。さうして或る日泣いて居りました所へ日本の一士官が参りまして、どうしたかと尋ねましたので、其の事情を話しましたら、同情しまして、約六十哩ある南京の金陵大学へ連れて行きました。
此の日本の士官は、我々が此の金陵大学へ中国の婦女子を匿つて居ると云ふことを知つて居つたのでありませう。そこで私は彼の女を見付けまして、教会の車で病院へ連れて行きました。 (『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P98)
 「略奪」についての証言もあります。
○サトン検察官 日本軍が南京を占領致しました以後に於きまして、日本軍が私有財産に対してどう云ふ態度を執つたかと云ふことに付て御話下さい。
○マギー証人 日本の兵隊は手当り次第、時計であらうと万年筆であらうと、お金であらうと、着物であらうと、食糧であらうと、何でも、人民から取上げました。
南京占領後、数日間経つた時、私は四十一歳になる婦人を病院へ連れて来ました。此の四十一歳の婦人は少し白痴でありまして、自分の寝具、寝所の蒲団か何かを日本の兵隊が取らうとしたので、それを拒んだ所が、頸を銃剣で刺されたと云ふのであります。此の女を私が治療しました。日本の兵隊は、日本総領事館の通告に何等考慮を払うことはありませぬでした。又、外人の財産に対する「アメリカ」の大使館の通告に対しても、何等考慮を払ふことはありませぬでした。時々私は日にちは覚えて居りませぬが、日本の兵隊が「トラック」で、中山陵方面を「トラック」一杯に冷蔵庫(アイスボックス)等を積んで行くのを見ました。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P99)
   参考までに、山崎豊子氏の小説『二つの祖国』には、マギーが証言するシーンが、8ページに渡って記述されています。山崎氏は、以上のマギー証言を忠実になぞりながら、迫真のシーンに仕立て上げています。もちろん山崎氏が実際に裁判の傍聴を行ったわけではありませんが、最後のコメント部分は、そのまま山崎氏の「感想」を語った部分であるとも読めますので、ここに紹介しておきましょう。
山崎豊子氏『二つの祖国』より
(「ゆう」注 夏淑琴さん事件の証言の記述に続けて) 息を呑むように静まり返っていた傍聴席では、そこまで来ると、身震いし、耳を塞ぐ者もいた。
この狂気は、何に根ざすものか。数日前の法廷で、南京安全地帯委員会の白人委員長の証言によると、日本兵の強姦現場を日本の将校に見せたところ、その将校は兵にびんた一つ与えただけであったと云った。軍律厳しいはずの日本軍で、将校さえ制御することのできなかったこの狂態 ― 、洋の東西を問わず、戦争は人間を狂人にするというが、このような暴虐、破廉恥、非道の極に群をなして堕ち込んで行くのは何によるものか ― 。昭和七年の上海事変以来、厳しい気候風土と食糧不足、波状的な侮日宣撫工作と執拗な便衣隊の襲撃に倦み疲れた日本兵が、やっと勝利を得た解放感からそのような行為に走ったのか。それとも同じ東洋人でありながら、中国人をチャンコロと蔑んだ日本人独特の人種的差別が根底にあるのか。日本軍のこの陰湿極まりない残虐行為は、”白髪三千丈”式の中国人の表現志向からすれば、多分に誇張された告発であり、マギー証言も直接体験より、中国人からの伝聞による証言が多い。
だが、それを割り引いてもなお且つ、日系二世である賢治が嘔吐しそうになるほどの証言を得たことは、検察側の尋問が成功したといえる。
(新潮文庫版 『二つの祖国(中)』 P437~P438)

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