日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Sumo Scandal=「綱に訊け?」(ビッグコミック・スピリッツ)=相撲界「八百長」問題について

はじめに:
私は幼少時より「相撲」の大ファンであり、日本時代の少ない「楽しみ」のひとつでありました。小学校に入る前ころ、一度だけ旧蔵前国技館に見に行ったことがある。後ろの方の席だったけど。「化粧まわし」もきれいでやはり興奮してみたものでした。「廃業」してプロレスラーになってしまった輪島関が大贔屓。
―しかしアメリカに来た頃、偶然仕事場においてあった「週刊現代」で八百長関連のすっぱ抜き記事を読んで以来。すっかり疑惑と不信の目で眺めるようになってしまった。
―「概要」は下にゆずるとして覚えているのは当時廃業した元横綱「双羽黒」(北尾光司=「スポーツ冒険家」「綱に訊け」(ビッグコミック・スピリッツ=読んでました(笑)「プロレスラー」「空拳道空手」から「リングス」「K1?」)の元付け人。上山という三段目力士の証言を匿名の現役幕内力士が是非を問う。そんな形式の記事で衝撃は大きかった。
まず当時の理事故双子山親方(先々代若乃花)は「八百長などあるわけがない」と一蹴。そこから展開されていった。
1、 千秋楽で7勝7敗の力士が勝つのは「同情」なのか?
「そんな同情で負けてくれるような甘い世界じゃありませんよ。すべてカネです」
2、 支度部屋のトイレで付け人が交渉する?
「これも上山のいうとおりでしょう。支度部屋のトイレでやることが多いんです」。
そんなこんなで近年は「賭博」もまじりもはや「国技」などとよべるしろものじゃなくなってる感がつよい。欧米でもファンは少なくないので結構特集されていた。
虐待と暴行殺人:
それよりあまりに痛ましく廃刊になった月刊日系紙にも投稿したのは「17歳の少年虐殺事件」に関して。被告故山本順一(元小結双津竜・巨体で「象さん」という愛称。好みの力士でした)はじめ「おえらいさん」(故北の海もふくめ)たちがことごとく「うそ」を平然とついていたこと・・・。まるで「戸塚ヨットスクール」だな。真相を知ってそれらを「密室」「無法地帯」での「人権侵害」「暴行・虐待」として記事にしました(むろん所持していませんし、おそらく発見できないのは他といっしょ(苦笑)。
「かわいがり」でもなんでもない単なる「拷問」「リンチ」に過ぎない。加えて元横綱千代の富士(九重親方=平年寄りに格下げ)の部屋でも「空気銃」いじめがあったなどなど・・・。
まあ、これについてはどうにもならんのでしょう。もともと「一般庶民」がそうは簡単に入れないようなものを「国技」とは呼べないと思う(「升席」だとかの‘値段’たるや・・・くわえて‘コネ’でもない限りまず「ムリ」)。要するに「旧皇軍」「自衛隊」「相撲界」「戸塚ヨットスクール」すべて同列の「無法地帯」としかいいようがない(あくまで独論・毒舌に過ぎず)。
―ひとつ関連で「ルポ」を。日本で「英語教師」をしていたアメリカにしろカナダにしろ「白人」教師たちは「升席」に‘ご招待’されて満喫した方も少なからず(直接談話を聞いた)。
これも「日本的現象」のひとつなんでしょう。





概要[編集]
大相撲の八百長とは、主に本場所での取組で力士同士が白星を金で売買する故意の敗退行為である。携帯電話のメールでやり取りしていたとされ、勝ち負けのほかに取組での具体的な戦い方の内容についてもやり取りしていたとされるもので、数十万円の金銭がやり取りされたと報道されている。実際の取組ではメールのやり取り通りの内容になったことが明らかになっている。前年2010年に起きた大相撲野球賭博問題の捜査において、賭博に関与した力士から証拠として押収した携帯電話のメールを調べていて、発覚した問題である。大相撲の八百長に関する疑惑は、週刊ポスト(小学館)が「角界浄化キャンペーン」と称して元力士の告発などの形態で1980年代から30年にわたって報じており、週刊現代(講談社)も後の2008年になってこれを取り上げるなどしてきたが、相撲協会は一貫して八百長があることに関しては否定し、週刊現代に対しては複数の協会員が訴訟を起こし、勝訴した(2011年以前の八百長疑惑問題については八百長#大相撲も参照)。発覚当日の理事長による会見でも「過去には八百長は一切なく、新たに出た問題」と発言している。前年に発覚した野球賭博などの賭博罪と違い、大相撲の取組で力士が八百長行為を行うことは直接には法律に違反しない[注 2]。八百長が疑われた取組で賭博が行われば賭博容疑で捜査となるが、この日明らかになった取組では賭博行為は見当たらなかったとされている[1]。しかし2月3日に枝野幸男内閣官房長官は記者会見で、この問題が起きたことで日本相撲協会の公益法人化[注 3]に難色を示す発言をしており、公益認定等委員会を所管する蓮舫・行政刷新会議担当相も「公平なルールで競技が行われないのでは、公益法人認定の要件を満たしているとは言えず、現段階で(公益法人認定は)厳しい」旨の発言をしている[2]。この問題を受けて、相撲協会は発覚した翌月に行われる春場所(大阪場所)中止を決定した[3]。
八百長問題に関する各界の反応[編集]
政界[編集]
本問題は国会などでも取り上げられ、前述の枝野、高木らの他閣僚、政府内からも厳しい声が相次ぐ。
菅直人内閣総理大臣は、2月3日の衆議院予算委員会において、自民党議員の斎藤健の質問に対し「八百長があるとしたら、重大な国民への背信行為だ」と述べた[41]。また3月の春場所での内閣総理大臣杯授与を見送ることも検討[42]していたが、春場所中止により自動的に見送りが決まった。
江田五月法務大臣は2月4日の記者会見で「大相撲とは興行でもショーでもなく、ガチンコ勝負をみんなが手に汗を握って見るもの。本当に見たくない景色を見ている感じだ」と批判した[43]。北沢俊美防衛大臣も「横綱ら上位は外国人力士で、下位の日本人力士が八百長をしていては笑い話にもならない。相撲協会挙げて徹底的に改革してほしい」と日本相撲協会に対し改革を求めた[44]。
石原慎太郎東京都知事は2月4日の定例会見で、八百長疑惑について「相撲はそういうもの。昔から当たり前のこととしてあった」と自らの持論を展開しており、相撲界の現状を「日本の文化、伝統を踏まえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」と批判した[45]。さらに、かつて就任を要請された横綱審議委員を固辞した経緯を話した[46]。
有識者[編集]
元NHKアナウンサーで、東京相撲記者クラブの会友である杉山邦博は「これまでの不祥事とは次元が違う。大相撲の存立に関わる問題だ」と、八百長問題を厳しく批判している[47]。日本相撲協会の元外部委員の漫画家のやくみつるは「放駒理事長は『過去に(八百長は)一切なかった』というが、その根拠はまったくない」と厳しく批判[48]。ちなみに、スティーヴン・レヴィットシカゴ大学教授が1989年から2000年までの取組結果を分析したところ、7勝の力士と8勝の力士が千秋楽で当たった場合、7勝の力士が勝つ率は80パーセント近くだが、千秋楽でない場合は50パーセント弱に落ち込むという[49]。ヘヴィメタルロック歌手のデーモン閣下は自らのブログにて、八百長メール問題が発覚した2011年2月2日を「日本相撲協会『最悪の日』であった」と断じ、更に大相撲関係者の中に『その最悪たる事態の意味が理解出来ていない者もおる』と指摘している[50]。アメリカ合衆国の旗米国ABCテレビプロデューサーのデーブ・スペクターは、2月3日付のサンケイスポーツにて「現代のテクノロジーにやられたといえる。メールならば消去するなど、証拠隠滅する方法はいくらでもあった」と指摘した[51]。ビデオジャーナリストの神保哲生は、前年の大相撲野球賭博問題に際し、裁判所の令状は賭博に関する証拠押収だけを認めているのであって、警視庁がそれ以外の情報を押収した携帯電話から抜き出すことは違法であることを指摘している。にもかかわらず、それが八百長というショッキングな内容を含んでいるが故に誰もそれを問題にしていないという点において、沖縄返還協定密約をリークしながらスキャンダルな女性関係に関心が移ってしまった西山事件を思い出したという[52]。社会学者の宮台真司は、(前述のような)違法な情報開示に関し、警視庁および国家公安委員会が「公益性の観点から問題ない」としたことについて、法律ごとに公益性とは何かを構成要件という形で規定するのであって、単に公益性なるものを法律と無関係に持ち出して議論すること自体が行政官僚制にはありえないものであり、同制度の劣化が著しいことを指摘している[53]。
日本国外[編集]
この問題は日本国内のみならず、日本国外でも大きく報道されている。
イギリスの旗 イギリスの大衆紙インディペンデント電子版が2月3日付で「明かされたスモウレスリングのダークサイド」の見出しで紹介、長文で報じた。またデイリー・テレグラフは「Sumo in Crisis」と表現している[54]。
アメリカ合衆国の旗米国のABCテレビは「賭博問題から1年もたたずに、新しい問題に直面した」と報道[54]。またウォール・ストリート・ジャーナル電子版は2月6日(現地時間)付で、春場所の中止決定を「史上最大の危機」との見出しで報じている[55]。出身力士の活躍などで相撲への関心が高まっていたロシアの旗 ロシアでも、春場所の中止について、コムソモリスカヤ・プラウダ電子版が2月6日付で「日本社会に衝撃を与えている」と伝え「相撲が単なるスポーツではなく、文化と伝統の名残と見なされている日本では、八百長スキャンダルは大きな反響を巻き起こしている」と解説。またタス通信も2月5日付で「日本社会の怒りを招いた」と報じた[56]。モンゴル国の旗国営モンゴル放送で解説者兼通訳者を務めたムンフバト・バルジルによると、朝青龍、白鵬、安馬(現日馬富士)が優勝を競った2008年ごろには夕方の中継時間帯に「地方政府庁舎から人影が消え、議員が離席するため国会審議も一時中断した」ほどの人気があった。しかし2014年7月時点では中継するテレビ局も当時の7社からウランバートル放送ただ1社に減ってしまった。元小結・旭鷲山は「八百長問題が最大の原因」と断ずる。モンゴル大相撲協会の会長も務める旭鷲山は「日本の相撲は正義の取組だと信じていた国民は本当にがっかりした。人気は50%以上急落した」と話す。[57]ほか、米国のニューヨーク・タイムズ、フランスの旗 フランスの新聞「ル・モンド」、韓国の旗 韓国のスポーツ新聞「韓国スポーツ」等が詳しく報じている。
相撲協会以外の対応[編集]
八百長問題を受け、日本相撲協会以外でも対応に追われている。相撲協会は2011年2月8日、全ての力士、親方らのテレビ出演やイベント活動などを当面自粛することを決定している。すでに収録済みのテレビ番組についても出演場面を可能な限りカットしてもらうという異例の対応となる[58]。
メディアの対応[編集]
NHK[編集]
NHKは、松本正之会長が2011年2月3日の定例会見で、2月11日に両国国技館にて開催を予定していた『第44回NHK福祉大相撲』興行の開催中止を発表した[59]。春場所の中継についても、松本会長が「極めて重大な問題」として、中止の可能性もありうることを示唆していた[60][61]が、2月6日の日本相撲協会の臨時理事会で開催中止が正式決定されたことを受け、中継自体も自然消滅した。八百長問題発覚の2月2日から2月3日までに、NHK視聴者コールセンターに430件もの厳しい声が寄せられた。このうち半数は「許せない」「場所の開催をやめるべき」などで、残り半数は「中継すべきでない」というものだったという[62]。なお、NHKでは2011年度に衛星放送が3波から2波[注 19]への再編により、BS2の大相撲中継を2010年度で終了することから、春場所が予定通り開催で中継があればBS2で最後の中継になるはずだった。しかし春場所中止が決まり、2011年1月の初場所がBS2での最後の中継となった[注 20][注 21][注 22]。春場所中止決定翌日の2月7日には、NHKサービスセンターから発行されている雑誌「大相撲中継」「春場所展望号」の発売が中止となった。同雑誌の刊行中止は1975年の創刊以来2度目で、前年の野球賭博問題を受けて名古屋場所展望号が中止となって以来となる[63]。2月9日には、NHKスペシャルで『八百長はなぜ起きたのか 〜揺れる“国技”大相撲〜』(総合テレビ、22:00-22:50)と題した番組を放送し、この問題を取り上げた[64][注 23]。2月14日には、NHK厚生文化事業団が当初の予定通り、福祉車両5台を老人ホームなどに寄贈することを発表。今回の場合は前述の福祉大相撲の収益はなく、同事業団の創立50周年事業として900万円を自己負担で賄った。ただし「福祉相撲」の文字を入れずに贈呈されることになった[65][66]。また、松本会長は4月7日の定例会見において、夏場所の中止により新たに開催されることになった技量審査場所を中継するかについて「日本相撲協会の話を聞いて最終的に判断したい」としつつも「本場所ではなく技量審査の場なので、中継するのはなかなか難しいと考えている」と、中継について難色を示した。また前年の名古屋場所と同様にダイジェスト版での放送についても明言を避けていた[注 24][67]。NHKは4月20日、技量審査場所の中継は行わない旨を正式に発表し、ダイジェスト版の放送も行わないことも明らかにした[68][注 25]。
民放・新聞・出版・その他メディア[編集]
フジテレビは、同局主催で2011年2月6日に開催予定していた『日本大相撲トーナメント第三十五回大会』の中止を決定した[69]。大会の模様は同局系列とラジオの文化放送で中継される予定だった[注 26]。文化放送では代替番組として『しろバラスペシャル 大相撲たっぷり語ります』を放送した[注 27]。毎年8月に東北・新潟地方で開催される夏巡業のうち、2011年8月8日に秋田県秋田市で予定していた秋田巡業の中止を勧進元の秋田魁新報社が発表した[70]のはじめ、2011年中の全国での巡業が中止ということになった。
ベースボール・マガジン社から発売される日本相撲協会機関誌『相撲』については通常通り発売したものの「春場所展望号」の名称を外し「3月号」として発売された[63]。講談社の『週刊現代』は“偽証で本誌から賠償金を詐取した詐欺罪で相撲協会理事長と当該力士を告訴する”と誌面で声明(2月26日号)[71]。4月19日、北の湖元理事長・竹縄親方・豊桜・安壮富士・十文字の5人を詐欺罪で警視庁に告訴した[72]。しかしこの件に関して告訴状が受理されたとの報道はなく、当の週刊現代にも続報は掲載されていない。
企業各社の対応[編集]
懸賞金[編集]
今般の八百長問題発覚を受け、大相撲の取組に懸賞金を提供している企業(スポンサー)側の対応も揺れた[73]。以下は各企業側の対応。
永谷園 - 「事態の推移を見守りたい」としているも、開催中止により、大相撲春場所への懸賞金提供を中止。
ニュース証券 - 「稽古に励む力士のためにも応援する姿勢は変わらない」として、春場所開催の場合でも懸賞金提供を行うとしていたが、春場所の中止に伴い行わなかった。
日本マクドナルド - 「日本の国技であるから、引き続き応援してゆきたい」とコメント。春場所は開催中止のため懸賞金提供を行わず。富士ゼロックス - 「相撲協会側の対応(調査委員会の調査結果など)を見てから判断したい」とコメント。春場所は開催中止のため懸賞金提供を行わず。
テレビCMなど[編集]
八百長問題を受け、力士が出演するテレビCMの放映を自粛する企業も出ている。
住友林業が、2011年2月5日から放映を予定していた白鵬翔が出演したCMの放映を当面休止することを決定[74]。富士ゼロックスも、1月22日から放映していた白鵬出演のオフィス用コピー機CMの放映を当面中止する旨を明らかにしている[75]。なお、白鵬が出演しているサッポロビールのCMに関して、放送中止の予定は今のところ無し。また、魁皇博之が2011年1月から出演している健康食品通信販売業、エバーライフの「皇潤」のCMについても、問題を受け放映を見合わせている[76]。
自治体の対応[編集]
八百長問題によって巡業が中止になったことを受け、巡業開催予定だった自治体では困惑、怒りの声が上がっている。自治体によっては、相撲協会に損失負担を求める声もあがっている[76]。
神奈川県藤沢市では2011年4月9日に巡業開催を予定していたが、日本相撲協会からの年内巡業中止決定を受け、勧進元の建設会社社長は「怒りでいっぱいだ。どう表現していいか分からないほどの悔しさがある」と怒りを露にしていた。藤沢巡業は2011年で20回記念となることから、準備も例年以上に早く進めていたという。損害額は1500~2000万円になるのではないかという[77]。
東京都青梅市で2月20日に開催予定の『第45回記念青梅マラソン』では、横綱・白鵬翔がスターターを務める予定だったが、白鵬側が今般の問題を受けてスターターを辞退した[58][78]。
無気力相撲[編集]
疑惑のあった取組について、日本相撲協会関係者は一貫して「故意の無気力相撲」と呼称しており「八百長」という語句は一切使用したことはない。日本相撲協会は公式見解として八百長相撲という表現は発していない[注 28]。しかし一方で無気力相撲に対する罰則規定を設け、その問題は否定せず、過去には無気力相撲を行った力士に対する注意などをしていた。その後、2011年2月3日に放駒理事長が会見で記者に無気力相撲と八百長は同じものなのかを問われ「無気力相撲=八百長とみなす」旨の見解を示した[79]。
八百長=「国技?」

相撲界では日常茶飯事のように、毎場所半分以上の取組が八百長で土俵を賑わせている。 それを放送しているHNKのスタッフは、当然相撲界の『八百長』の実態を知っているはずだ。相撲の担当記者たちもしかりだ。協会側になんらかの形で脅しをかけられているのか、相撲界で起こっている真実を書こうとしない。これが今の日本のマスコミといわれている集団の実態に思えてならない。国技とまでいわれている相撲界にはびこる八百長相撲。「果たしてこんなことがあっていいのか」という怒りから、微力ながら日本相撲協会内部にはびこるひどい実態を、相撲ファンに知ってほしいと思った。そんな目的で本書を上梓する気になった。 << 元大鳴戸親方著 八百長(相撲協会一刀両断)まえがき | TOP | 八百長 一刀両断 第一章 八百長密議 >>
2011年02月11日
第七章 国民栄誉賞横綱も八百長まみれ
元大鳴戸親方著 八百長 相撲協会一刀両断 第七章 国民栄誉賞横綱も八百長まみれ「親の背中を見て子は育つ」とはよくいったもの。私の部屋の弟子だった板井が八百長の中盆をしていたのも、師匠の私が北の富士の優勝や横綱昇進に絡んで、八百長の中盆の一人だったことを知っていたところから始まったようなものと思っている。八百長で作り上げられた北の富士の弟子である国民栄誉賞横綱・千代の富士(九重親方)。彼もまた、同じように八百長の常連だったのだから困った世界だ。千代の富士は国民栄誉賞まで貰っているが、その虚像の国民栄誉賞を作り上げてきたのは、私の弟子の板井だった。千代の富士と言えば、前人未踏の通産1045勝を達成したのをはじめ、優勝回数は31回と大横綱・大鵬の32回に次ぐ史上第2位、連勝記録も双葉山の69連勝に次ぐ53連勝を記録するなど、数々の記録を塗り替えてきた大横綱である。特にここ一番の優勝決定戦には強く、6回とも制している。しかし、この横綱 の大記録の陰には、板井と逆鉾という2人の中盆が暗躍していたことをここで 断言し、暴露する。 板井が理事会の承認が得られず年寄春日山を襲名できなかったのは、このことが関係していた。 横綱千代の富士が国民栄誉賞を受けた時、当時の親方連中の反応は実に複雑なものだった。中には、「『あいつは注射で塗り固められた横綱だ』と言って、海部さん(当時の首相)に投書してやりたいよ」と本気で怒っていた親方もたくさんいた。自身のもつ32回の優勝記録にあと1回と迫られた大鵬などは、千代の富士が八百長で優勝回数を増やし続けると「いい加減にしろ」と、弟子の巨砲に怒っていたそうだ。 しかし、そういう大鵬も20回以降は注射で勝ちとった優勝。そのころの番付上位の関取や引退して親方になった者の大部分は注射力士だったため、八百長力士を否定することは自分たちのやってきたことを否定することであり、協会や自分の部屋への影響があるので口をつぐむしかない。 二代目若乃花、若嶋津(松ケ根親方)、旭富士(安治川親方)、隆の里(鳴門親方)、五代目朝潮(若松親方)、北天佑(二十山親方)、琴風(尾車親方)などみんな、注射にドップリと漬かっていた関取だ。注射力士で番付を構成していたことになる。注射というのは、建前上、どこの部屋でも親方には内緒ということになっている。私の弟子の板井にしても、いくら注射相撲が決まってもいても、「今日の一番は売ります」なんてことは言わないし、若衆が「走ってきます」などとはいわない。しかし、土俵を見ればおかしな一番というのはすぐにわかる。いってはこないが、聞けば教えてくれる弟子もいる。また橋本さんのようなタニマチには、板井や若い力士が、師匠の私には言えない本音を言ったりもする。その内容を橋本さんから私が聞くわけだから、板井たちのやっていることは大抵把握していた。いくつかの情報を貰ったことで、さらにナゾだった点もわかった。


■橋本成一郎氏の証言
「板井は『大横綱といわれている人間が一番注射が好きだから困ったもんだ。海部さんもよく調べてから贈ってもらいたいものだ・・・・・。政治家の人気取りの手段とはいえ、こういう立派なものは個人戦の種目に贈るのなら、八百長のないアマチュア世界の人にあげるもので、絶対にプロにあげるべきものじゃない。贈られる方が迷惑だ』と自分のことのように怒ってましたね」マスコミも含め、千代の富士が八百長で白星を重ねていたことは、みんなが知っていた。協会の中でも、「八百長で連勝記録を塗り替えるなんて、双葉山に対する冒涜だ」という声が上がっていた。私にもそういう気持ちがあった。千代の富士の53連勝中のことだ。NHKの相撲中継の解説者として番組内で私は、こんなセリフをいってしまった。アナウンサーが、「この連勝はいつまで続くんでしょうね」とつまらないことを聞くものだから、つい、「止めるといってもガチンコの大乃国(芝田山親方)しかいないんだかね・・・・・・・」と生放送にもかかわらず吐き捨てるように答えてしまった。千代の富士からの注射を断ることができるのは、ガチンコの大乃国ぐらいしか思い浮かばないということは、他の親方衆とも話していたので、ついこのようないい方になってしまったのだ。アナウンサーも私のいわんとすることがわかったようで、一瞬気まずい空気が流れた。もちろん一般ファンにはどういうことなのかわからない。おもしろいのはそれ以降、なぜかNHKから解説者としてのお呼びがかからなくなってしまったことだ。最近のオウムとTBSの関係ではないが、NHKと相撲協会の関係はおかしなものだ。このように、監視すべきマスコミまでが、臭いものにはフタをしろという姿勢では、八百長撲滅なんてまず不可能だ。私も、板井とは相撲の話はもちろん、日常会話もほとんどしなかった。というより、こちらからはあえてしなかったのだ。師匠として失格だといわれても仕方ないが、板井が私の現役中のことを知っていたことと、それ以上に板井を実業団からスカウトするときに、「関取になれるここ一番には、ワシが注射でバックアップしてやる」という口説き文句をいったという経緯が、後ろめたさとなって最後まで尾を引いていたからだ。しかし、こんなことは私が特別ではない。注射で地位を気づいてきた親方なら同じような口説き文句をいっている。そのため弟子がやっていることがわかっていても、ハッキリ注意ができないのが実情だ。私が親方として板井にしたアドバイスは「みっともないから、お尻の筋肉の張りだけは保っておいてくれよ」が精一杯だった。注射を覚えると稽古をしなくなる。結果として最初にお尻の筋肉が緩んでしまう。土俵上で塩を取りに行く姿がテレビで大写しになると、尻だけデレーッとしていまい、みっともない。そのためにそれだけは守ってほしいと思ったのだ。ある時期、私のところの板井や逆鉾が中心となり、若嶋津を横綱にしようという動きがあった。私は弟子や橋本さんからそのことは聞いて知っていた。私たちが北の富士を横綱にしようとしたように、自分たちの手で横綱を作ろうとしたのだ。なぜそんなことをするのか。それは、横綱になると大関時代より高い金で星を買い取ってくれる。なぜなら横綱は、負けが込むと引退するしかないからだ。それを防ぐために、無理をしても星を買うので、注射に走ることになる。私がタニマチのところに板井を連れて行こうとしても、板井はまず行こうとしない。これは十万円や20万円しか祝儀をくれないタニマチのお座敷に行って、頭なんか下げてられん・・・・・という意味合いを含んでいる。
■橋本成一郎氏の証言
「板井が言っていたのは、横綱・大関に星をひとつ売れば50万円、60万円になるということ。だから飲み屋街を偉そうに連れ回すタニマチが一人増えるより、注射をする横綱・大関が一人増えてくれる方が嬉しいということでした。つまり、自分たちのタニマチは角界の中にいるんだ・・・・・という意味のことを言ってました。1場所で300万ぐらいになる話をしていましたね」板井たちは角界内のタニマチを増やそうとして、若嶋津に目を付けた。あの男は性格がいい。そこで自分たちのいいなりになってくれると考えたのも無理はない。当時板井は、角界の自分のタニマチ的存在であった旭富士と、ちょっとした行き違いから仲がこじれていたこともあり、若嶋津に目を付けたのだ。若嶋津は昭和59年の大阪と名古屋に2回の優勝をしているが、その頃に彼を横綱にしようという動きが始まった。そういう場合は板井に私が付けていた付け人が動く。そのため弟子の動きを見ればすぐにその意図がわかった。私自身も注射はさんざん経験してきているから、土俵での相撲を見てもすぐわかるのだ。しかし、若嶋津は板井が考えていたほど強くなかったため、結局は失敗に終わってしまった。
■橋本成一郎氏の証言
「逆鉾が若嶋津に負けることになっていた一番で、逆鉾を吊り上げたとき、逆鉾に軽く足をかけられたら、そのまま若嶋津が尻餅をついてしまったので注射崩れになったことがありました。これではダメだというので、若嶋津を横綱にするのを諦め、再び旭富士に乗り換えたという話を、板井から聞いたことがあります。」若嶋津が優勝した2場所は、いずれも千代の富士が休場している場所だ。彼は千代の富士にはまったく分が悪く、千代の富士がいる限り、若嶋津は横綱への道を絶たれたようなもの。その頃の幕内上位は注射力士といわれている力士ばかりだった。私たちの現役時代より、さらにガチンコ力士が少なくなっていた。北の湖は引退直前。千代の富士、隆の里が横綱で、大関が若嶋津、5代目朝潮、琴風、北天佑。その他の幕内上位には、保志(後北勝海=八角親方)や旭富士、巨砲といった顔ぶれ。ガチンコといわれていたのは、大乃国や大錦(山科親方)ぐらい。金さえあれば星はどうにでもなったのに、若嶋津が横綱を断念しなければならなかったのは、いかに千代の富士がわがままだったかということの証明でもある。私たちが現役だった頃は、ガチンコ力士でも、脅してここ一番には注射をうけさせることができた。八百長は野放しにされていたから、8勝や9勝しかあげられない北の富士のような本当は弱い力士でも横綱になれたし、10回優勝することも可能だった。ところが板井たちの時代には、中盆をやっている力士たちはガチンコを切り崩すほどのパワーを持つことができなくなっていた。そうなると、ガチンコでもある程度強くないといけない。千代の富士が優勝回数を重ねたというのは、「どうせ負けるならあの力士に売っておいた方が得」と思わせるような強さがあったからだ。板井にしても、本気でやれば千代の富士と互角で戦えるぐらい強かったはずだ。だからこそ、注射の中盆として千代の富士を牛耳ることができたのだと思う。舛田山が千代の富士の全休明けの昭和58年名古屋場所で、星を売りに行き、 「顔じゃない」と言われて蹴られたことがある。 舛田山は、休場明けには必ず星を買い漁り、復活優勝を飾る千代の富士の 習性に目を付け、相場が50~60万といわれていたのを倍近い90万円で自分から 売りに行ったのだ。千代の富士から話が来る前に、自分のところの若い者を 走らせて、買わないかと持ちかけたのである。 以前注射を断った寺尾を後ろ向きで土俵中央に叩きつけたのをはじめ、自分 に逆らった力士にはめっぽう強いのが千代の富士だ。 「俺に逆らったらどうなるかを見せてやる」 といわんばかりに、手荒い取り口で相手をねじ伏せる。 ところがその場所は、立会いの一瞬に舛田山の引き落としで負けてしまった。 結局、この場所は2敗となり、隆の里に優勝をさらわれることになってしまった。親方衆の間でも この話は有名で、ざまあみろという感じで広まっていた。 私が知る限りでは、千代の富士が買う星の価値は50~60万円が相場で、高くても80万円程度。板井の場合だけが安くて30万円だったと聞いている。これは千代の富士が幕内での星のやり取りを、板井が仕切っていたことへのお礼の意味があったようだ。この頃は、注射力士の方が圧倒的に力を持っていた。千代の富士が53連勝をした当時でも、注射をやらない力士を挙げた方が早いぐらい。安芸乃島、栃乃和歌、花乃潮、大乃国ぐらいのもの。板井が、ガチンコ相撲に固執し、いうことを聞かない大乃国を、包帯を巻いた張り手で何度もノックアウトした。それに関して当時審判部長をしていた九重(北の富士=陣幕親方)が理事長から調べてこいといわれたが、結局は本人には伝えなかった。板井が九重のところの横綱(千代の富士)の手先だったというのは、協会内でも有名な話だったため、私も板井には何も言わなかった。言ったところで聞く耳を持たないだろうし、反抗されるのが怖かったのだ。関取になれば親方はあまり細かいことはいわない。しかしこの場合は、やはり自分が現役時代に同じような立場で、北の富士の手先として働いていたことが私の心の中で大きく影響していたことは事実だ。
■橋本成一郎氏の証言
「板井が大乃国に強烈な張り手をかましていたのは、千代の富士の指示だったようです。最初の1発はたまたまうまく決まって倒れてしまったようですが、そのあとからは千代の富士から張り手1発につき50万円の金を貰い、大乃国戦に勝てば祝儀も出たと板井が話してくれたことがあります。板井は千代の富士との対戦成績が0勝16敗で、完全に軍門に降っていましたが、大乃国とは8勝8敗で天敵ぶりが評価されていたようです。もちろん序ノ口から十両までを5場所で通過という最短記録保持者であるという実力に加え、花乃潮(8勝3敗)や大錦(7勝1敗)などのガチンコに強く、小錦、霧島などの大物食いが気に入られ、注射の中盆役にピッタリだと思われていたようです。最後は千代の富士とはうまくいかなくなってしまったようです。太刀持ちをしても金をくれないとか言って、その頃から大乃国を張らなくなりましたね。千代の富士はもともと嫌いな力士だと、板井の方では言っていましたからね」大乃国が千代の富士をはじめ、多くの力士からあまりにもイジメられていたのが気になり、 私は弟子の一人に聞いたことがある。その弟子が言うには 「大乃国は十両時代に注射をやっていたのに、入幕と同時にいい子になって しまったのが、注射力士たちには気に入らないんだ」ということだった。それで千代の富士が、「大乃国には挨拶するな」と号令を出したりして、支度部屋でもみんなに無視されるようになった。そのワガママ千代の富士の割りを一番くったのが、元横綱・双羽黒(北尾)だ。一度も優勝しないまま、不祥事で廃業してプロレスに転向していった不運な男である。しかし、この男の運命を変えたのも国民栄誉賞横綱・千代の富士だったはず。板井が動くということは、私たちの弟子が動くわけで、その動きというのはちょっと調べればすぐにわかった。当時はあえて聞かなかったが、後で弟子たちに聞くと驚くべきことばかりだった。双羽黒は、昭和59年に入幕してから昭和62年に廃業するまでの20場所で、何度かあった優勝のチャンスも、千代の富士の貪欲な優勝への執念によって阻止されてしまった。私の部屋の力士から聞いた話だが、当時北尾だった双羽黒は、三役に上がる頃は千代の富士に連勝するなど、五分に渡り合っていた。しかしそういう力を切り崩すのがうまいのが千代の富士だ。双羽黒は横綱昇進のかかった場所(昭和61年名古屋場所)で、千代の富士から、「横綱に昇進させてやるから優勝させてくれ」と持ちかけられた。双羽黒がこれを飲んで、成立した本割りでは双羽黒が千代の富士を破り、14勝1敗で決定戦に持ち込んだが、優勝は計算通り千代の富士ということになった。
■橋本成一郎氏の証言
「その前の場所(昭和61年夏場所)では千代の富士と2敗同士の相星で対戦しましたが、その場所では優勝を譲れといってきた千代の富士に対し、双羽黒が『俺にも優勝させてくれ・・』といって話がもつれ、ガチンコで対戦したら千代の富士に負けてしまったのです。だから次の場所は千代の富士のいいなりだったと、板井の付け人が言っていました」この場所の後、計画通り双羽黒は横綱に昇進している。その後も61年九州場所では2敗同士の相星決選で負け。62年初場所では千代の富士に勝って千秋楽で追いついたが、決定戦で負け。62年の九州場所でも1敗で全勝の千代の富士と対戦したが負けている。これらはすべて千代の富士サイドにうまくいい含められて、板井が動いた結果のこと。星買い取りの値段は1000万円だったと聞いている。千代の富士はとにかく優勝回数を重ねたかった。「20回優勝すればシコ名で一代年寄を襲名できるから」というのが本人の口癖で、「うちの横綱はあまり先がないんだから・・・・」という手も千代の富士サイドがよく使ったと若い者から聞いている。そういう話を聞くたびに、昔一緒に注射をした仲間だった親方たちと、「まるで大鵬みたいだな。そういうことをしていると引退してからソッポを向かれるよ」と話したのを覚えている。私たちが現役の頃は、とにかく大鵬が貪欲に優勝回数をかき集めていた。そのときに割りを食ったのは玉の海だった。当時はるかに力が上だった玉の海も、同門の先輩の顔ばかり立てているうちに横綱在位中に死亡してしまった。旭富士が2場所連続優勝をして横綱昇進を決めたとき(平成2年名古屋場所)、板井と逆鉾の指示でうちの若衆がかなり激しく動いた。両国、久島海、安芸乃島、栃乃和歌ぐらいがガチンコで、残りは全部注射に走ったという。1場所で1500万円は使っていたと、私のところの若衆が驚いていたこともあった。1番高かったのは千秋楽で、千代の富士に勝った1番で、2000万円だったと聞いている。優勝のかかった一番では、優勝は横綱より大関にとって値打ちがあるというのを千代の富士は知っていた。大関は優勝が横綱昇進に直結していくから、どうしても高く買いにくる。
■橋本成一郎氏の証言
「この一番は興味があったので、板井や若衆に細かく聞いて知っています。板井が、『千代の富士は商売がうまい』と言っていました。旭富士が連続優勝を飾ったことのきは、旭富士が絶対に買いに来るというのを見越して、千代の富士が1000万円で先に買いに行ったんです。旭富士は相手が1000万円でと言っているのに、自分が同じ額というわけにはいかない。それで多少の色をつけたところ、千代の富士が『倍なら転んでやる』というので、結局は2000万円で転んでもらったと聞いています。金額をいってきたものは値切って、それがダメなら断る。そして、実力でねじ伏せます。それが損だと思えば、値切りに応じなければなりません。板井が、『力と金のあるヤツには勝てない』とボヤいていたことがありました」千代の富士の下では付け人の峰の富士、西の富士、岩の富士というのが動いていたが、この弟子たちは口がうまかったといわれている。断られても、「そこをなんとかお願いします。今場所優勝させてくれたら来場所はそっちのもの・・」といっておき、来場所が来たらまた同じセリフをいったともいう。断ってガチンコで挑んで負けて、次から千代の富士のいいなりになるというケースもよく聞く。あるいは、同じ部屋の北勝海の星で場所内に星を返すということで、相手に納得してもらうということもしていたようだ。
■橋本成一郎氏の証言
「北勝海は注射が嫌いだったといいますが、千代の富士に利用され、地位が上がっていくに従って、その地位を維持するためには注射をするしかなくなってしまったという話を若衆から聞いたことがあります」彼らが私の部屋の若衆に話していたのは、千代の富士は関脇から大関に上がる時点で、当時出演したコマーシャルで儲けた金を貯め込んでいたという話だ。祝儀もタニマチから1場所に何百万円も集まるし、懸賞金も沢山あった。高砂一門はタニマチが派手で、優勝したときの祝儀が多く、優勝賞金も含めて最低5000万円にはなるといわれていた。千代の富士の時代になると、注射をするからといって素人に金を借りたりするようなことはしない。いくらなんでも、北の富士のように図々しいのは少ない。北の富士は橋本さんのようなタニマチがいて金を出してもらっていたし、その上注射相撲まで仕切って金を手に入れていたのだからとんでもないことだ。ただ、当時輪島のように、優勝するための資金を暴力団から借りるような強者がいたことも事実だ。昭和53年の名古屋場所。優勝するために資金が必要だということで、輪島は暴力団から金を借りた。ところがそれを遊興費に使ってしまって優勝できなかったという、相撲界では有名な事件がある。ガチンコでもなんとかなると思っていたわけだが、北の湖が全勝で突っ走ってしまったために、結局優勝できなかった。金を返せとまでは言われなかったが、暴力団からこっぴどくやられたという話は聞いている。そんな事件もあり、橋本さんのような外部のタニマチを巻き込むのは望ましくないということで、だんだん自分たちの若衆を走らせて、自分で金を準備するようになった。しかし、このような国民栄誉賞横綱である人物が、注射で現金を巻き上げていたというのは、まったく困ったことだ。板井が橋本さんに、「プロにこのような賞をあげてはいけない」といった気持ちが理解できるというもの。あれだけ優勝に対して貪欲な千代の富士が、大鵬の優勝回数32回にあと1回と迫りながら断念したのは、そういった協会内の空気を察知したからである。大鵬の20回以降の優勝が注射で積み重ねたものだとすれば、千代の富士の優勝は関脇での初優勝からすべて注射で作られたものだ。師匠の北の富士を彷彿させるような戦績である。親を見れば子がわかるというが、私が板井に何も言えなかったように、北の富士も千代の富士には何も言えなかったのだろう。しかし、その千代の富士と北の富士も最後は金のことで決裂した。私たちの前で、いつも北の富がボヤいていた。陣幕と九重との年寄名跡の交換で、北の富士は部屋ごと大きな金で買い取らせようとしたが、千代の富士から、「俺のお陰でここまで大きくなれたんだろう・・」というようなことまでいわれたといい、北の富士は怒っていた。一晩話し合って出た結果が5000万円だったそうだ。平成4年4月に交換した。北の富士としては横綱(北勝海)付きのつもりだったが、千代の富士の力のお陰で綱をはっていた北勝海は、後ろ盾を失ってしまい平成4年夏場所前に引退してしまった。陣幕に名義を書換え、九重の名義を高く売りたかった北の富士は、計算が狂ったことになるが、安く買い叩いた千代の富士としては計算通りだったのだ。北の富士は5000万円のうち3000万円を祝儀で叩き返してやったと言っていた。その後、陣幕は北勝海が平成5年9月に独立して興した八角部屋に、九重部屋付きの君ケ濱、谷川、錦戸ら他の親方連中とともに移籍した。長年付け人としてがんばってきた峰ノ富士も部屋を去り、結局は独りぼっちになってしまった国民栄誉賞横綱。現在の千代の富士は、大鵬があまりに欲張りすぎて親方連中の人気をなくして孤立していったのに似ている。同じ八百長をしていても、決定戦で3勝5敗(千代の富士は6勝0敗)の北の湖は人気があって、将来の理事長候補とまでいわれている。さらに、最強の外国人力士といわれていた小錦も、この千代の富士の注射地獄に潰されていった
力士の一人。協会の外国人力士排除の動きも手伝って、不運の大関・小錦は転落の道を歩んで行った。

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