日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

☆권투(拳鬪) ☆★70-80年代軽量級特集★Pugilatio est ars martialis qua pugiles caestibus colaphisque/Boksen, of pugilistiek, is een tactische vechtsport(CANADA)2019/02/23



(1)、1980年5月4日 WBA世界J・フェザー(スーパーバンタム)級タイトルマッチ 王者リカルド・カルドナ(コロンビア+21勝(10KO)4敗1分=26勝(13KO)10敗1分)VS挑戦者レオ・ランドルフ(モントリオール五輪米代表優勝金メダル(160勝7敗)+16勝(8KO)1敗)ワシントン州シアトル
ーランドルフが最終15回にカルドナ(来日し、瀬川幸雄(青森県出身・帝拳ジム・サウスポー・モントリオール五輪代表)の挑戦を受け、初回にダウンを奪われるも15回判定勝ちで防衛成功)をストップ。新王者に就いた。タイトル奪回を目指したカルドナは、↓のパルマに挑戦するが12回TKO負け。王座復帰ならず。
(2)、1980年8月9日 WBA世界J・フェザー級タイトルマッチ 王者レオ・ランドルフ(17勝(9KO)1敗)VS挑戦者セルヒオ・パルマ(アルゼンチン+37勝(12KO)3敗4分け=52勝(20KO)5敗5分)ワシントン州スポケーン
ーパルマが5回、ランドルフをノックアウト。タイトルを強奪した。ランドルフのラストファイト(ボクシングにそれほど執着していなかった様子)。


(1)、1980年11月17日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者フリアン・ソリス(プエルトリコ+21連勝(11KO)無敗=41勝(22KO)13敗1分)VS挑戦者ジェフ・チャンドラー(23連勝(11KO)無敗1分=33勝(18KO)2敗2分) フロリダ州マイアミ
ー日本にも馴染みが深い(東洋王者(12度防衛)村田英次郎(滋賀県出身・金子ジム・24勝(15KO)2敗3分)が3度挑戦(2敗(2KO)1分)した)’フィラデルフィアの揺さぶり屋’の異名を持つチャンドラーが14回TKO勝ちでタイトル奪取。ソリスは初防衛に失敗した(連勝ストップ)。
(2)、1981年7月25日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者ジェフ・チャンドラー(25勝(12KO)無敗1分)VS挑戦者前王者フリアン・ソリス(22勝(12KO)1敗) ニュージャージー州アトランティックシティ
ーチャンドラーが7回、右一発でソリスをノックアウト。ソリスは雪辱ならず。チャンドラーは3度目の防衛に成功した。
2019年2月23日(土曜日=安息日=Samdi・Saturday)
強風警報南オンタリオ地方 5 時間前 – Environment Canada
Very strong wind gusts near 100 kilometres per hour ...Richmond Hill, ON Weather  Sat Feb 23 0°C FEELS LIKE -5 Mostly Cloudy
みなさん、こんばんは★ 休みはいつもの如く、瞬く間に終わりました(苦笑)。そろそろ就寝時間。今週は暖かかったながら今夜は風が強い。なんかふと涙ぐみ、泣き模様のここ2~3日でした。ともあれ、おやすみなさい☆ みなさんもご自愛ください☆ 謝謝★再見★一路平安 サミー カナダ


(1)1980年2月17日 WBA世界フライ級タイトルマッチ 王者ルイス・イバラ(パナマ+19勝(6KO)1敗=26勝(9KO)5敗)VS挑戦者金泰式(12勝(9KO)1敗=17勝(13KO)3敗)韓国ソウル
ー金が初回から猛攻(終了ゴング後も打ちまくる)。2回、サウスポーのイバラから2度ダウンを奪い豪快にノックアウト。タイトルをもぎとった。イバラは後に、王者ラシアル(マセブラ(南ア・黒人=金に15回判定勝ち)を7回にノックアウト+来日し、日本王者故穂積秀一(群馬県出身★追悼★2017年に死去=享年57歳(浜田剛史(沖縄県出身)、尾崎富士雄(青森県出身)の同僚そして↑瀬川の後輩)帝拳ジム)の挑戦を2回KO勝ちで退けた=徳島県(中2)、テレビで見ました☆+穂積は後にサパタ(パナマ・サウスポー)に挑戦したが判定負け、王座獲得はならなかった。ラストファイトは韓国へ飛び、強打の孫五空に10回判定負け)に判定勝ち(初防衛戦でエレラ(メキシコ)に11回TKO負け=ラシアル(アルゼンチンの国民的英雄)はエレラを判定で破り、タイトル奪回))でタイトル奪回。
(2)1981年8月30日 WBC世界フライ級タイトルマッチ 王者アントニオ・アベラル(メキシコ+28勝(24KO)8敗1分=39勝(32KO)13敗1分)VS挑戦者前WBA王者金泰式(15勝(11KO)2敗)韓国ソウル

ーアベラルが2回、壮絶なKOで金を沈めた。金はパンチ力に自信を持ち。試合前から「打ち合いなら負けない」と自信満々だった。ながらアベラルの強打は一枚上だった様子。すさまじい打撃戦の末、アベラルの豪腕唸り、左右の連打を浴びた金は苦しげに横を向いてしまう。そこへとどめの左フックを炸裂させ、ノックアウトした。日本で大熊正二(福島県出身・新日本木村ジム)から奪った(7回KO勝ち)タイトルの初防衛に成功した。


(1)、1982年3月20日 WBC世界フライ級タイトルマッチ 王者アントニオ・アベラル(29勝(25KO)8敗1分)VS挑戦者プルデンシオ・カルドナ(コロンビア+30勝(19KO)6敗=40勝(27KO)23敗1分)メキシコ
ーカルドナが戦慄の初回KO勝ちでアベラルを沈め、新王者に就いた。カルドナはバネが利いた鞭のようなパンチを上下に打ち分け、最後は左フックをアベラルの顎に叩き込み沈めた。アベラルは前のめりに倒れ、白眼をむいたまま立ち上がれず。
(2)、1986年5月30日 バンタム級ノンタイトル10回戦 アントニオ・アベラル(38勝(31KO)12敗1分)VS後の3階級王者ウイルフレド・バスケス(プエルトリコ+22勝(17KO)2敗=56勝(41KO)9敗2分け)フロリダ州マイアミ
ー初回から凄まじい打撃戦。ながらアベラルは8回に若きバスケスをKOした。


(1)、1987年7月25日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者ミゲル・ハッピー・ロラ(コロンビア+27連勝(13KO)無敗=37勝(17KO)3敗)VS挑戦者アントニオ・アベラル(39勝(32KO)12敗1分)フロリダ州マイアミ
ーロラ(サラゴサ(メキシコ・ジャクソン(米・黒人)との決定戦で6回負傷判定勝ち)から3度のダウンを奪い、大差の判定勝ちでタイトル奪取)が4回にアベラルをノックアウト。防衛に成功。アベラルは初回、左フックからチャンスをつかみ。連打を叩き込んで、ロラをたじろがせたのが唯一の見せ場。ロラの全盛期だった。アベラルのラストファイト。
(2)、1991年3月12日 WBO世界バンタム級王者決定戦 前WBC王者ミゲル・ロラ(33勝(16KO)1敗)VS前WBA王者ギャビー・カニザレス(米(メキシコ系)+47勝(35KO)7敗1分=48勝(36KO)8敗1分)ミシガン州オーバーンヒルズ
ーダウン応酬の末、カニザレスが2回逆転KO勝ち。得意の左フックを炸裂させ、先制のダウンを奪ったのはロラだった。立ち上がったカニザレスをロープに詰め、連打を浴びせる。とどめを刺そうと打ち気にはやりすぎたところ、カニザレスの左フックがカウンターで命中。ロラは仰向けに倒れた。グロッキーのロラは、なんとか立ち上がったながらカニザレスは猛攻。もう1度ダウンを奪われそのまま10カウントを聞いた。カニザレスはスチワード傘下のクロンクジムに移籍。第1戦をノックアウトで飾る。



(1)、1983年3月13日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者ジェフ・チャンドラー(29連勝(17KO)無敗2分)VS挑戦者ギャビー・カニザレス (24勝(18KO)1敗)ニュージャージー州アトランティックシティ
ーチャンドラーが強打のカニザレスを完封。15回判定勝ち。7度目の防衛に成功した。
(2)、1984年4月7日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者ジェフ・チャンドラー(33勝(18KO)1敗2分)VS挑戦者リチャード・サンドバル(米(メキシコ系)+22連勝(15KO)無敗)アトランティックシティ
ー新旧交代劇。若き新鋭サンドバルが最終15回にチャンドラーをストップ。チャンドラーはノンタイトル戦でムニス(米)によもやの10回判定負けで初黒星を喫した(世界戦での再戦は7回TKO勝ちで雪辱)。試合展開は、初回からワンサイド。サンドバルの果敢な攻勢に、チャンドラーは終始圧倒されっぱなし。10度目(9度(7KO))の防衛に失敗。チャンドラーのラストファイト。


(1)、1986年3月10日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者リチャード・サンドバル(29連勝(17KO)無敗)VS挑戦者ギャビー・カニザレス(32勝(25KO)2敗)ネバダ州ラスベガス
ーカニザレスが7回に3度倒しサンドバルをノックアウト。見事なKOで新王者に就いた。カニザレスは初回に早々と先制のダウンを奪う(ダメージは深かった)。ずっとカニザレスペースだったとはいえ。その後、無敗のサンドバルはよく盛り返し、特に5回終了間際。ロープに詰められながらも左右フックから左アッパーを命中させカニザレスの出鼻を挫いた。しかし最後(もうフラフラだった)、サンドバルは仰向けに倒され、後頭部をキャンバスに強打(レフェリーのカルロス・パディーリャ(フィリピンの元俳優)はリチャード・スチールと正反対=元来、ストップが遅い審判)。意識不明となり、担架で退場(病院で意識が戻った。ながらこの試合を最後に引退した)。ハグラーVSムガビ、ハーンズVS故シュラーの前座だった一戦。ちなみにハグラー(20億円以上)ハーンズ(数億円)のファイトマネーに比べ、サンドバルは「565万円」だったそう。軽量級と重量級の差異(ひとつの目安になるでしょう)。
(2)、1986年6月4日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者ギャビー・カニザレス(33勝(26KO)2敗)VS挑戦者ベルナルド・ピニャンゴ(ベネズエラ+17勝(12KO)2敗2分=23勝(15KO)5敗3分)ニュージャージー州イーストラザフォード
ーピニャンゴが12回判定勝ちで新王者に就く。カニザレスは精彩がなく、ピニャンゴのワンサイド。淡々と負けてしまった。


(1)、1988年9月7日 IBF世界バンタム級タイトルマッチ 王者ケルビン・シーブルックス(26勝(22KO)13敗=28勝(23KO)22敗)VS挑戦者オーランド・カニザレス(19勝(17KO)1敗1分=50勝(37KO)5敗1分)アトランティックシティ
ーカニザレスが初回にダウンを奪い、最終15回さらに2度ダウンを追加し、シーブルックスをノックアウト。颯爽たる戴冠。オーランドはギャビーの弟であり、時期は異なるにせよ兄弟世界王者。シーブルックスは4度目の防衛ならず。
(2)、1989年6月24日 IBF世界バンタム級タイトルマッチ 王者オーランド・カニザレス(21勝(19K)1敗1分)VS挑戦者前王者ケルビン・シーブルックス(27勝(23KO)14敗)アトランティックシティ
ーカニザレスが11回TKOで前王者シーブルックスを返り討ち。2度目の防衛に成功した。オーランドはこのIBFタイトルを16度(9KO)防衛する。タイトル奪取の頃はまだ荒々しい面もあったカニザレスは、だんだん技巧派に転じたといえる。危なげはないながらその分、凄みは失せ、こじんまりまとまってしまった感あり。



(1)、1986年2月8日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者ミゲル・ロラ(24連勝(13KO)無敗)VS挑戦者ウイルフレド・バスケス(21勝(17KO)1敗1分)マイアミ
ーダウン応酬の末、ロラが若武者バスケスに判定勝ちで初防衛に成功。タイトル奪取のサラゴサ戦に続いてロラの紙一重でよける、防御勘は圧巻だった。バスケスはWBA王者韓国の朴讃栄(日本の六車卓也(大阪府出身・大阪帝拳+ピニャンゴが返上したタイトルをモラン(パナマ)と争い、5回TKO勝ちで獲得)に11回TKO勝ちで王座強奪)に敵地で10回KO勝ちし、タイトル奪取(初防衛戦は前王者六車と引き分け。次戦においてタイのカオコー(サウスポー・カオサイの双子兄)に判定負けし転落)。バスケスは3階級を制覇。周知のとおり、合計4度来日した(1、横田広明(千葉県出身・大川ジム・サウスポー)に判定勝ち2、葛西裕一(神奈川県出身・帝拳ジム)に初回KO勝ち3、渡辺雄二(東京都出身・斉田ジム)に5回KO勝ち)。J・フェザー級タイトルはWBA王者ペレス(メキシコ)を3回にノックアウト。フェザー級タイトルは日本にもなじみが深い強打のWBA王者ロハス(ベネズエラ・帝拳ジム・故浅川誠二(兵庫県出身・神戸拳闘会+2度世界挑戦(「アイドルボクサー」福田健吾(愛媛県出身・三迫ジム)に2連勝(2KO))王者の地元韓国で朴永均(エスパラゴサ(ベネズエラ)に判定勝ちで奪取(8度防衛)ロハスと1勝2敗)に挑戦したが(いろいろ手違いが起こってしまった不幸な試合=小泉氏の著書より)9回KO負け)に5回KO勝ち(浅川のラストファイト)+故平仲信敏(沖縄県出身(元世界王者明信の弟)・沖縄ジムから筑豊ジム+2度世界挑戦(エスピノサ(比)に7回TKO負け)にダウンを奪われるも、12回判定勝ち)に11回KO勝ちで獲得。
(2)、1986年8月23日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者ミゲル・ロラ(25連勝(13KO)無敗)VS挑戦者エンリケ・サンチェス(ドミニカ+47勝(35KO)4敗1分=56勝(40KO)19敗1分)マイアミ
ーロラが強敵サンチェスを6回にストップ。マッカラムVSジャクソン(マッカラムの2回TKO勝ち)とダブルメインだった試合。2度目の世界挑戦(ダビラ(米+ロラ、ピントールに挑戦=双方、判定負け)に11回KO負け)となった実力者サンチェスは、ゴングと同時にプレッシャーをかけ肉迫。しかしロラは終了間際、ロープ際で左フックのカウンターを浴びせダウンを奪う。4回、再びロラの左フックが炸裂し、サンチェスはダウン。6回、またロラの左フックが当り、力が抜けたようによろめいたサンチェスがロープに座り込んだところでTKOが宣告された(サンチェスは猛然と抗議していたが、妥当だった)。ロラのベストファイト。この一戦以降、サンチェスは凋落し負けが込んでしまう。
(3)、1995年1月7日 WBA世界J・フェザー級タイトルマッチ 王者ウイルフレド・バスケス(41勝(34KO)6敗2分)VS挑戦者IBFバンタム級王者オーランド・カニザレス(38勝(30KO)1敗1分)テキサス州サン・アントニオ
ーバスケスが判定でカニザレスを下す。バスケスの強打がカニザレスの技巧を上回った試合展開。バスケスは前半、右のクロスカウンターを何発もクリーンヒットさせペース支配。カニザレスもよく反撃したが及ばず。2階級制覇はならなかった。


(1)、1975年3月14日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者洪秀煥(28勝(7KO)2敗2分=41勝(14KO)5敗4分)VS挑戦者アルフォンソ・サモラ(ミュンヘン五輪メキシコ代表銀メダル(104勝4敗)+20連勝(20KO)無敗=33勝(32KO)5敗)カリフォルニア州イングルウッド
ーサモラが洪に4回KO勝ちでタイトル奪取。この当時の洪(故テーラー(南ア・白人)に15回判定勝ちで奪取)はボクサースタイルだった。サモラも慎重に戦い、静かな展開が続く。4回、サモラの豪打爆発。一気にノックアウトでけりをつける。再戦(サモラ5度目の防衛戦)においても、洪は12回TKO負け。しかし韓国版「サラテVSサモラ」と呼ばれた元WBCJ・フェザー級王者廉東均(ロイヤル小林(熊本県出身(本名小林和男)国際ジム・ミュンヘン五輪代表)に15回判定勝ちで王座奪取+敵地でゴメスから初回ダウンを奪いながらも、12回KO負けで転落)との決戦を12回判定勝ちで制した(ゴメスは二度目の防衛戦で来日、福岡(北九州市)にて前王者小林を3回にノックアウトしている)。
(2)、1977年11月26日 WBA世界J・フェザー級王者決定戦 洪秀煥(39勝(13KO)4敗3分)VSエクトル・カラスキリャ(パナマ+11連勝(11KO)無敗=18勝(16KO)5敗) パナマシティー
ー洪が奇蹟の逆転ノックアウト勝ちで2階級制覇。都合4度のダウンを跳ね返し、3回に無敗のカラスキリャをKOした。歴史に残る一戦。次戦で来日し、日本王者笠原優(神奈川県出身・SB川口からSB日東ジム・元アマ全日本王者+↓で紹介するワルインゲ・中山(大阪の神林ジム)に2連勝(2KO)及び瀬川幸雄に(4回にダウンを奪われるも)判定勝ち(瀬川のラストファイト))から5度のダウンを奪い、15回判定勝ちで防衛に成功した。2度目の防衛戦において↑のカルドナに12回KO負けし、王座転落。↑の廉東均との再戦で10回引き分け(両者ともにラストファイトとなった)。



(1)、1977年4月23日 世界バンタム級王者決戦=ノンタイトル10回戦 WBA王者アルフォンソ・サモラ(29連勝(29KO)無敗=5連続KO防衛中)VSWBC王者カルロス・サラテ(アマ33勝(30KO)3敗+47連勝(45KO)無敗=3連続KO防衛中=66勝(63KO)4敗)ロサンゼルス・フォーラム
ーサラテの4回KO勝ち。サモラの連勝ストップ。’Zボーイズ’として一世を風靡した元同門の2人(「名伯楽?」故クーヨ・エルナンデス門下=サモラが先に離れた)。しかし人気はKO率100%のスラッガー、童顔でハンサムなサモラの方が高かった。当初から注目は五輪のメダリストであるサモラに集まり(戴冠も早かった)、実力者ながらサラテはいわば日陰的な選手だった(しかしサモラはサラテを恐れていた(兼ねてから「同門に強い選手がいる」と語っていたそう)=スパーリングをすると「全然当てさせてくれない」)。今さらながら初回、リングに乱入したランニングシャツ&短パン男の罪は大きい(苦笑+たちまち警官隊に引きずりおろされたけど)。けれども再開後、サモラの強打がたびたび炸裂し、サラテをふらつかせた。展開は一進一退の打撃戦となるも、徐々にサラテが優勢となる(特にボディーブローが有効だった)。サモラの顔は無残に腫れあがり、完敗だった。試合終了後、リング上に躍り上がったサモラのオヤジ(マネージャー)が激昂。元師匠であるエルナンデスに殴りかかる(やつ当たり?)場面もあった。ただこの世紀の一戦にはイチファン式文句がある=トランクス(赤)が同じ色(サラテは白の線が入っていたとはいえ、本来は対照色が義務づけられているはず)なのがたまに傷(見づらい(苦笑)=例1、レナードVSハーンズ(1)=2人とも白(レナードは赤の線)だった)2、アリ(白に黒の線)VSフレージャー(2)、ホームズ3、松本好二(神奈川県出身・ヨネクラジム)VS故平仲信敏=2人ともサウスポーで白)。両者とも試合前の記者会見において、己の勝利を報じる「翌日の新聞」(KO勝ち)を抱き自信満々の表情を見せていたのも懐かしい(むろん「ライブ」では見ていません)。
(2)、1978年10月28日 WBC世界J・フェザー級タイトルマッチ 王者ウイルフレド・ゴメス(ミュンヘン五輪代表・世界選手権(74年ハバナ大会)優勝金メダル(96勝3敗)+21連勝(21KO)無敗1分(デビュー戦)=44勝(42KO)3敗1分)VS挑戦者WBC世界バンタム級王者カルロス・サラテ(54連勝(52KO)無敗+8連続KO防衛中) プエルトリコ・サンファン
ーゴメスが5回KO勝ちでサラテの野望を砕いた。2階級制覇ならず。ゴメスは地元ファンの前で余裕しゃくしゃく。かたやサラテはスーパーファイト大試合の前、緊張していた(減量に失敗したのが大きい)。めずらしく初回から果敢に前へ出て、弱点とされるゴメスの顎を狙った(間髪いれずにボディーブローが続く)。けどゴメスは冷静。じらし、かわしながら随所にカウンターをヒットさせ応戦。サラテには焦燥感がみえた。そこで迎えた4回、勢い盛んに攻撃するサラテの顎にゴメスの左ストレートがカウンターで命中。サラテはダウン(これで試合は決まったようなもの)。ゴメスは俄然猛ラッシュをかけ、さらに1度ダウンを追加、ゴングに救われながらもサラテのダメージは深く。5回早々につかまり最後は横を向いてしまい、ゴメスの連打を浴びまたダウン。サラテのコーナーからタオルが投入されストップ。ゴメスの快勝、サラテは痛恨の初黒星。そしてゴング後及びダウンした相手に対する、ゴメスの加撃は問題あると思う。
(3)、1981年8月21日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者故サルバドール・サンチェス(メキシコ+40勝(30KO)1敗1分=42勝(32KO)1敗1分)VS挑戦者ウイルフレド・ゴメス(32連勝(32KO)無敗1分)ネバダ州ラスベガス・シーザーズパレス
ーサンチェスが8回KO勝ち。ゴメスの初黒星(試合前の賭け率は6-5でゴメス有利(J・フェザー級タイトルを13連続KO防衛中)。大方の予想もゴメスの勝ちだった)。初回開始からしばらくして、自信満々のゴメスが打ち気にはやりロープに詰めたとき、サンチェスの右ストレートから左フックが顎に炸裂しゴメスはダウン(呆然としていた)。なんとか立ち上がったあとも滅多打ち(かなりダメージは深かった)→解説陣は「ゴメスはクリンチの仕方を知らない」と繰り返す(よく倒れず、持ちこたえた)。2回から展開はサンチェスが優勢ながら、ゴメスもよく盛り返した。7回には右ストレートが命中。さらに左フックを当て、サンチェスを窮地に追い込む(ながらもゴメスの顔は無惨に腫れあがっていた)。そして迎えた8回、ロープに詰めたサンチェスは再び右ストレート(ゴメスも必死に打ち返し応戦)からチャンスをつかみ、連打でゴメスをしとめた。


(1)、1979年6月3日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者カルロス・サラテ(56勝(54KO)1敗)VS挑戦者ルペ・ピントール(38勝(32KO)4敗=56勝(42KO)14敗2分)ラスベガス
ー再び同門対決。サラテは再起後2連勝(2KO)中。ピントールが4回にダウンを奪われながらも、15回判定でサラテを破った。しかしこの試合はサラテの勝ちだったと思う(ペース支配、有効なクリーンヒットでは勝っていた+マニア間でも大勢は一致)。「KOできなかった時点でサラテの時代は終わっていたのかも」(試合終了後、勝利を確信して笑顔で手を挙げるサラテ+『世界名ボクサー100人』の言葉)。ピントールはこのタイトルを8度(5KO)防衛した。
(2)、1978年10月26日 世界バンタム級ランカー対決ノンタイトル10回戦 元WBA王者アルフォンソ・サモラ(30勝(30KO)2敗)VSアルバート・サンドバル(28勝(21KO)1敗=32勝(21KO)5敗)ロスアンゼルス・オリンピックオーデトリアム
ーサモラが苦戦しながらもサンドバルを8回、痛烈なノックアウトで沈めた。サモラはサラテとの対決に破れた次戦でホルへ・ルハン(パナマ)にワンサイドの10回KO負け=タイトル喪失。なおアルバートは↑のリチャードの兄である。



(1)、1980年2月9日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者ルペ・ピントール(41勝(33KO)5敗)VS挑戦者アルバート・サンドバル(32勝(21KO)3敗)ロスアンゼルス オリンピックオーデトリアム
ーピントールが12回にサンドバルをノックアウト。初防衛に成功した。次戦が日本武道館で当時無敗の村田英次郎と15回引き分け。辛くも2度目の防衛。ちなみにピントールは大食い(↓タイでの体重オーバーも「ウェート調整に自信満々のピントールは、タイ料理をたらふく食べてしまった(ボクシングマガジン)」)大酒飲みで知られていた。
(2)、1982年12月3日 WBC世界J・フェザー級タイトルマッチ 王者ウイルフレド・ゴメス(40勝(40KO)1敗1分)VS挑戦者WBC世界バンタム級王者ルペ・ピントール(メキシコ+49勝(38KO)5敗1分=56勝(42KO)14敗2分)ルイジアナ州ニューオリンズ
ー注目の王者同士によるスーパーファイト(メインはベニテスVSハーンズ)。ゴメスが14回に2度ダウンを奪いピントールをノックアウト。連続KO防衛記録を「17」に伸ばす(史上最高)。序盤から激しい打ち合い。歴史に残る大激戦となった。ゴメスがロープに詰め連打を浴びせれば、ピントールも懸命に応戦(再びゴメスの顔面は両目がほとんど塞がり、腫れあがった)。とはいえ、今さらながらゴメスの反則には頭が下がる(肘打ち(5~6発の連打に一発混ぜる(「ローブロー」も同じく=このパターンを何通りも繰り返す)。それもわかりづらい形で当てる)=ピントールは猛然と抗議していた)。なお、ピントール(日本にも馴染みが深い=2度来日→①対村田英次郎戦②日本王者、ハリケーン・照(沖縄県那覇市出身(本名照喜名俊三)石川ジム)に15回KO勝ち)は後にメサ(メキシコ)から2度ダウンを奪い、判定勝ち。2階級制覇達成(タイのサーマート(サウスポー)に5回KO負けし転落(試合前、すでに体重オーバーでタイトルは剥奪)→サーマート(2度目の防衛戦で転落(兄コントラニー(二度世界挑戦①同国人カオサイに挑戦し、ダウンを奪うが判定負け(初黒星+おおむくれだった→)「挑戦者があんなに逃げてばかりいて、勝てるわけがない(故内田正一ジャッジ言★追悼★2012年に死去(東京都出身)享年73歳)」②故ローマン(メキシコ)に判定負け)と同じく元キック花形四冠王であった=93年に兄弟で来日(キック)、弟は新妻聡に判定勝ち)敵地で無敗対決。フェネック(豪+再起したサラテの挑戦を受け、4回TKO勝ち)に(2回先制のダウンを奪うが)4回KO負け)は初防衛戦で前王者メサ(ゴメスに挑戦し、6回TKO負け+豪打の無敗王者ガルサ(米)に初回逆転KO勝ちでタイトル奪取)に12回TKO勝ち(フェネックに敗れた再起戦はタイに遠征した砲丸野口(徳島県出身(本名野口泰雪)川田→山神ジム)を9回にストップしている「本当にタフな選手だった。あれでは倒せない(サーマート言)」)。


(1)、1973年6月23日 世界フェザー級ノンタイトル10回戦 元バンタム級王者ルーベン・オリバレス(71勝(64KO)3敗1分=89勝(79KO)13敗3分)VS故ボビー・チャコン(米+19連勝(17KO)無敗=59勝(47KO)7敗1分) ロスアンゼルス フォーラム
ーオリバレスがチャコンを9回にノックアウト。チャコン(2016年に死去★追悼★享年64歳)の初黒星。でもこの時点ですでにオリバレスは峠を越えていた(カスティーヨに負けて連勝をストップされ(59連勝(56KO)無敗1分)、バンタム級タイトルを喪失した試合が’ミスター・ノックアウト’「怪物としてのオリバレス」の最後といわれる)=「この頃はもう対戦相手を震え上がらせるような威圧感は失せていた」(世界名ボクサー100人より)。
(2)、1975年6月20日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ボビー・チャコン(26勝(24KO)1敗)VS挑戦者ルーベン・オリバレス(77勝(68KO)5敗1分)ロスアンゼルス フォーラム
ーオリバレスが2回KO勝ちで2階級制覇達成。この両選手の場合、相性が大きく作用したように思える。ラバーマッチ(第3戦)はチャコンが10回判定勝ち(しかしオリバレスはもう晩年で衰え顕著だった)。


(1)、1979年3月10日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ダニー・ロペス(39勝(36KO)3敗=42勝(39KO)6敗)VS挑戦者ロベルト・カスタノン(スペイン+30連勝(20KO)無敗=58勝(30KO)7敗1分)ユタ州ソルトレイクシティ
ーロペスが壮絶な2回KO勝ちで6度目の防衛に成功。カスタノンは初回から果敢に攻めたが(何発か有効打も命中させた)。ロペスは2回、2度痛烈なダウンを奪い、カスタノンは立ち上がれず。’リトル・レッド’の異名を持つロペス(米原住民の血を引く)のベストファイト。貧しい育ちで家族は離散(父親を15歳のとき失った+8人兄弟)。少年院出の元不良少年だった(人生哲学=「倒されたら倒し返す」(世界名ボクサー100人))。ダニーの兄は元ウエルター級の世界ランカー(ナポレスに2度挑戦した)アー二ー(”レッド”・ロペス)である(来日し、当時12連続KO勝ち中だった東洋王者でサウスポーのムサシ・中野(韓国ソウル生まれ・笹崎ジム)を3回にノックアウト)。
(2)、1979年6月17日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ダニー・ロペス(40勝(37KO)3敗)VS挑戦者マイク・アヤラ(21勝(11KO)1敗-45勝(23KO)6敗)テキサス州サン・アントニオ
ーロペスが最終15回にアヤラをノックアウト。7度目(6KO)の防衛に成功した。マイクは別の頁で紹介した故ト二ーの兄である。後にWBCJ・フェザー級王者のメサ(6回TKO負け)さらにWBA王者のルーイ・エスピノサ(米・9回KO負け)に挑むが、三度の世界挑戦が実らなかった。


(1)、1980年12月13日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者故サルバドル・サンチェス(メキシコ+37勝(29KO)1敗1分=44勝(32KO)1敗1分)VS挑戦者ファン・ラポルテ(米(プエルトリコ人)+15勝(8KO)1敗=40勝(22KO)16敗1分)テキサス州エルパソ
ーサンチェスが15回判定勝ちで4度目の防衛に成功。サンチェスは↑のロペス(8度(7KO)防衛)に13回TKO勝ちでタイトル奪取(再戦においても14回TKO勝ちで返り討ち)。
(2)、1981年8月22日 北米フェザー級タイトルマッチ 王者故ロッキー・ロックリッジ(17連勝(13KO)無敗=20勝(17KO)1敗(WBA王者故ペドロサ(パナマ)に挑戦し判定負け(初黒星)。ラポルテ戦後、再挑戦(再び判定負け)=44勝(36KO)9敗)VS挑戦者ファン・ラポルテ(17勝(10KO)2敗)ラスベガス
ーラポルテが右一発でロックリッジをノックアウト。初回からロックリッジは元気溌剌、勢い盛んに前へ出て攻撃する。ラポルテも負けじと打ち返し打撃戦となった。ながら2回、ロープに詰められたラポルテが放った右フックがカウンターとなり、ロックリッジはダウン。ダメージは深く、そのまま10カウントを聞く。歴史に残るKO劇となった。ラポルテのベストファイト。


(1)、1982年9月15日 WBC世界フェザー級王者決定戦 1位マリオ・ミランダ(コロンビア+19連勝(14KO)無敗=41勝(24KO)3敗2分)VS2位ファン・ラポルテ(21勝(12KO)2敗)ニューヨークMSG
ーサンチェスが王者のまま交通事故死したため。空位となった王座の決定戦。ラポルテが’南米の怪物’ミランダに10回TKO勝ちで戴冠。まずミランダの足の長さにびっくりした。ながらラポルテは常に前進し、豪快な連打を放つ。特にアッパーが印象的だった(天空に突き抜けるようなパンチ)。ミランダは打ち返すが後手に回り、10回終了間際に痛烈なダウンを奪われ、11回のゴングに応じず試合放棄。ミランダはこの敗北後(元バンタム級王者のルハンにも判定負け)、ローカルの中堅程度の選手に落ちぶれ、再び世界タイトルに挑む機会には恵まれなかった。
(2)、1984年3月31日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ファン・ラポルテ(24勝(13KO)4敗)VS挑戦者前WBC世界・J・フェザー級王者ウィルフレド・ゴメス(40勝(40KO)1敗1分)プエルトリコ サンファン
ーゴメスが12回大差の判定勝ち。同胞ラポルテからタイトルを強奪した。念願の二階級制覇に成功。試合前、リング上には同国人スターたち、ベニテス、カジェハス、カマチョなどの姿が見えた。ゴメスはノックアウトこそ逃したけど、終始細かい連打をまとめワンサイドの試合展開。「一発パンチならラポルテの方があります。もう、『鉄腕アトム』ですよ(小泉氏)」前半はラポルテもよかった。初回開始早々、右ストレートを当て、ゴメスをたじろがせた。続く大きなフックの振り合いでも、再びラポルテの左フックがスウェーバックでのけぞるゴメスの顎に炸裂。3回がひとつの山場となる。後半、ゴメスをコーナーに詰めたラポルテの左フックがまた命中。ゴメスはかなり効いてフラフラだったが、後続打が足らず。だんだんゴメスのペースとなり、時折ラポルテが放つ強打に脅かされながらも圧勝だった。ラポルテの調子はもうひとつで、単発。手数が少なかった。ゴメスは勝ちに徹し(6回はチャンスだったが)無理してノックアウトは狙わなかったといえる「これだけ一方的な展開だったら、ゴメス倒して欲しかったですね(小泉氏)」。



(1)、1975年8月30日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者アルフォンソ・サモラ(22連勝(22KO)無敗)VS挑戦者タノムシット・スコタイ(24勝(17KO)1敗1分=31勝(24KO)11敗3分)カリフォルニア州アナハイム
ーサモラが4回KO勝ちで初防衛に成功した。初回からタノムシットは奇妙な構えから幻惑する。サモラは冷静に対応し、一気にしとめた。
(2)、1977年11月19日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者アルフォンソ・サモラ(29勝(29KO)1敗)VS挑戦者ホルへ・ルハン(16勝(9KO)2敗=27勝(16KO)9敗)ロスアンゼルス
ールハンが10回にサモラをノックアウト。新王者に輝く。サモラは精彩を欠き、覇気がなかった。10回コーナーに座り込み、首を左右に振る姿は悲しい限り。
(3)、1980年4月2日 WBA世界バンタム級タイトルマッチ 王者ホルへ・ルハン(21勝(12KO)2敗=30勝(20KO)6敗3分)VS挑戦者磯上秀一(20勝(14KO)1敗3分=30勝(20KO)6敗3分)東京・国技館
ールハンが圧倒的な強さを披露。磯上を相手にせず打ちまくり、9回にストップ。磯上(修一に改名・福島県出身・辰東ジム)の顔は腫れあがり、血まみれだった。ルハンは5度目の防衛に成功(この次戦で、↑のソリスに15回判定負け=タイトル喪失)。磯上(石垣仁(山形県出身・ヨネクラジム・モントリオール五輪代表・アマ時代村田に3連勝)に9回KO勝ち)EXライブで見ました(黄色のグローブが記憶に残ってる)=スパイダー根本(福島県出身・草加有沢ジム)、ガッツ石松(栃木県出身・ヨネクラジム)が続く)は最初に触れた村田との世界ランカー対決において、3回KO負け。故ハリケーン照(石垣と1勝(9回TKO勝ち)1敗(判定負け))には2勝(日本タイトルマッチ→10回判定=ただし照はピントールに負けた後)1敗(初回KO負け=磯上はルハン戦以降、打たれ脆くなった)で勝ち越している。


(1)、1976年11月13日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者カルロス・サラテ(43連勝(41KO)無敗)VS挑戦者ワルインゲ中山(ケニア(メキシコ五輪銅+ミュンヘン五輪銀=アマ168勝20敗https://www.citizen.digital/sports/legendary-kenyan-boxer-waruinge-dies-at-77-n307768)+13勝(4KO)5敗1分=16勝(6KO)10敗1分) メキシコ
ーサラテが4回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。日本王者だったフィリップ・ワルインゲPhilip Waruingeはケニアからの輸入ボクサーhttps://www.youtube.com/watch?v=12GGyD5a0i0。日本でデビューした選手。リゴベルト・リアスコ(パナマ・廉東均に15回判定勝ち+ロイヤル小林が8回KO勝ちでタイトルを強奪した選手)とWBC世界J・フェザー級王者決定戦(8回TKO負け)に続く2度目の世界戦も実らず。とにかくサラテが放つ左アッパーでのレバーブロー(肝臓打ち)は強烈で正確無比だった。合計4度のダウンを奪う。
(2)、1977年10月29日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者カルロス・サラテ(46連勝(44KO)無敗)VS挑戦者ダニロ・バチスタ(ブラジル+26連勝(11KO)無敗=52勝(21KO)18敗)ロスアンゼルス
ーサラテがバチスタを3回にストップ。4連続KO防衛。なおバチスタは後に、日本のサウスポー上江州隆(沖縄県出身・角海老ジム・13勝(6KO)7敗(丘勇治(高田次郎(神奈川県出身・協栄河合ジム・2度世界挑戦)戦(4回TKO負け)、後楽園ホールライブ観戦(懐かしいです)+世界ランカー対決で↑の磯上に9回TKO負け)に2回KO負けした(後楽園ホール)。
(3)、1979年3月10日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者カルロス・サラテ(52勝(50KO)1敗)VS挑戦者ジョン・メンサ・クパロンゴ(トーゴ+1勝4敗(記録に残っている公式戦)3勝6敗)ロスアンゼルス
ーゴメスにKO負けしたサラテの再起戦。クパロンゴを猛烈なボディー攻撃で沈めた。3回KO勝ちで9連続KO防衛達成。


(1)、1985年5月19日 WBA世界J・ライト級タイトルマッチ 王者故ロッキー・ロックリッジ(36勝(31KO)3敗)VS挑戦者ウイルフレド・ゴメス(41勝(40KO)2敗1分)プエルトリコ サンファン
―接戦ながらゴメスが12回判定勝ちで3階級制覇達成。ながらこの試合はロックリッジの勝ちだと思う。倒せなかったけど、終始優勢だった。地元判定といって間違いない。さらにゴメスは全盛期を過ぎていた。
(2)、1986年5月24日 WBA世界J・ライト級タイトルマッチ 王者ウイルフレド・ゴメス(42勝(40KO)2敗1分)VS挑戦者アルフレド・ライネ(パナマ+13勝(11KO)5敗=15勝(12KO)15敗)プエルトリコ サンファン
―強打のライネが9回にゴメスをノックアウト。新王者に戴冠した。前半はゴメスが優位に試合を進める。しかしこの階級だとゴメスのパンチは、「バズーカ」というわけにはいかなったようだ。ゴメスはノックアウトを狙い、かなりクリーンヒットはあった(口から出血)。ながらも、ライネ(体がひとまわり大きい)は倒れなかった。

(1)、1988年10月29日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者ミゲル・ロラ(31連勝(15KO)無敗)VS挑戦者ラウル・ペレス(メキシコ+41勝(27KO)1敗1分=62勝(41KO)6敗3分)ネバダ州ラスベガス
ーペレスが判定勝ちで新王者に就く。ロラは8度目の防衛に失敗。連勝ストップ、初黒星。ペレスはこのタイトルを7度防衛した。次戦でリチャードソンに判定負けし、王座転落(このリチャードソンから10回TKO勝ちでタイトルを奪ったのが日本の辰吉丈一郎(岡山県出身・大阪帝拳ジム))。
(2)、1992年3月27日 WBA世界J・フェザー(スーパーバンタム)級タイトルマッチ 王者ラウル・ペレス(49勝(30KO)2敗2分)VS挑戦者ウイルフレド・バスケス(31勝(26KO)6敗2分)メキシコ・シティー
ーバスケスが3回にペレスをストップ。豪打爆発、3度のダウンを奪い滅多打ちで戴冠。2階級制覇達成。ペレスは何もできなかった。なおペレスは3年後に来日。後楽園ホールにおいて、ルイシト・(小泉)エスピノサに初回KO負けした。

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