日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

☆Valentine's Day 2020⇒拳擊(英語:boxing;日语:拳闘、ボクシング)別名西洋拳☆Friday, February 14☆★追悼★故ロジャー・メイウェザー(享年58歳)Roger Mayweather died on March 17, 2020



(1)、2000年6月17日 WBC・IBF世界ウェルター級タイトルマッチ 王者オスカー・デラホーヤ(バルセロナ五輪優勝金メダル・世界選手権(91年シドニー大会)銀メダル(234勝6敗)+32勝(26KO)1敗=39勝(30KO)6敗)VS挑戦者IBF世界ライト級王者シェーン・モズリー(アマ250勝16敗+34連勝(32KO)無敗=49勝(41KO)10敗1NC)カリフォルニア州・ロスアンゼルス
ー注目のスーパーファイト・世紀の一戦。’シュガー’(華麗な)の異名(デラホーヤは’ゴールデン・ボーイ’)を持つモズリーが3-0の12回判定勝ちで新王者に就いた。モズリーはIBFライト級タイトルを8連続KO防衛中。J・ウェルター(スーパーライト)級を飛び越しての、2階級制覇達成。デラホーヤはモズリーのスピードについていけなかった。
(2)、2003年9月13日 WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者オスカー・デラホーヤ(36勝(29KO)2敗)VS挑戦者シェーン・モズリー(38勝(35KO)2敗1NC)ネバダ州ラスベガス MGMグランド
ー再びモズリーがデラホーヤを判定で破り、3階級制覇に成功した。この両選手の場合も、相性が大きく作用したかもしれない。モズリーはフォレストに2連敗。元IBF王者ラウル・マルケス(サウスポー)との再起戦も3回ノーコンテストに終わるhttps://www.youtube.com/watch?v=2CBBNMnD0GI(勢いは停滞中)。一方、デラホーヤはモズリーに負けて以来、フロイド・メイウェザー・シニア(息子ジュニアに解雇された父)をトレーナーに迎えた。ちなみにHBO放送では、デラホーヤが優勢のように解説していた。今回、デラホーヤは速いジャブを突きストレートを主体のまとめ打ちを実施。常に先手を取っており、初戦のようにスピード負けはしていなかった(方や、モズリーは単発の強打を1,2発と返す)。フォアマン(いつもデラホーヤ贔屓)も判定が下るいやな「ひどい判定だ」と語り、HBO採点では117-114でデラホーヤの勝ちとなっていた。でもここがおもしろいところ。後にWOWOWの放送(小泉・浜田+ゲスト香川照之)を見たら、まったく逆。解説(+採点(モズリーの勝ち))を聞きながらもう1回、じっくり観賞したら、モズリーの勝ちは確かに妥当に思えたものだ(的中率と有効打では上回っていた)。モズリーは見事、この階級に体を仕上げた(パワーも増した。その分、ライト級時代のような連打が出なくなったかも)。ともあれアメリカ放送では、モズリーの単発(を否定的に強調していた)にはあまりコメントせず、積極的に手を出していたデラホーヤの連打(こっちを褒めまくってた)に反応していた。


(1)、2001年7月28日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ 王者故アンドリュー・ルイス(バルセロナ五輪ガイアナ代表(47勝3敗)+21連勝(19KO)無敗1分=23勝(20KO)4敗2分)VS挑戦者リカルド・マヨルガ(ニカラグア(コスタリカでデビュー)+22勝(20KO)3敗1分=32勝(26KO)12敗1分)ロスアンゼルス
ー結果は2回に偶然のバッティングでルイスが負傷(出血がひどかった)。ノーコンテストとなる。ルイス2度目の防衛戦(初防衛戦は、判定勝ち)。
(2)、2002年3月20日 再戦 ペンシルベニア州レディング https://www.youtube.com/watch?v=ZvVJqJzRHFI
ーマヨルガが3回に、2度ダウンを奪い。スイッチヒッターのルイスを豪快にノックアウト。颯爽新王者に輝く。そしてこの両選手も相性が作用したと思う。マヨルガのスピードとパワーあふれる突貫戦法に、ルイスはうまく対処できなかった(もっとも苦手とするタイプかもしれない)。距離も違い、もう一つ噛み合っていなかった。ペイジを圧倒し、見事なKOで破ったルイスを見たとき、もっと活躍する素質を備えたいい選手と期待していたが(モズリーとのスピード対決もみてみたかった)あまり伸びないまま終わってしまった。マルガリート(パッキャオに挑戦=判定負け)に3回でストップされた試合がトップとしての最後となる。マヨルガはすっかりお馴染みとなったけど試合後、カメラの前でプカプカたばこをふかすことで知られる。



(1)、2000年1月22日 北米ウエルター級タイトルマッチ12回戦 王者故バーノン・フォレスト(バルセロナ五輪代表・世界選手権(91年シドニー大会)銀メダル(225勝16敗)30連勝(25KO)無敗=41勝(29KO)3敗1分)VS挑戦者元IBFスーパーライト級王者ビンス・フィリップス(アマ90勝10敗+40勝(29KO)4敗=48勝(34KO)12敗1分)ラスベガス
ーフォレストが大差の判定勝ち。フィリップス(すでに全盛期は過ぎていた)はやはりウエルター級だと体が小さい(元はライト級の選手)。フォレスト(は長身で体が大きい=後にスーパーウェルター級に上げた)の長い間合いには、フィリップスの勇敢な踏み込み+伸びのあるパンチをもってしても届かなかった。
(2)、2002年1月26日 WBC世界ウエルター級タイトルマッチ 王者シェーン・モズリー(38連勝(35KO)無敗)VS挑戦者IBF王者バーノン・フォレスト(33連勝(26KO)無敗1NC=フランクとの決定戦、再戦は判定勝ちで王座奪取)ニューヨーク
ーフォレストが2度ダウンを奪い、圧勝。この当時、全階級最強(パウンド・フォー・パウンド)といわれていたモズリー(下馬評もモズリー有利だった)。しかし、アマ時代負けているフォレストに雪辱ならなかった。連勝ストップ、痛恨の初黒星。初回は相変わらずスピードがあり鋭いパンチを打ちこんでいたモズリー。2回に瞼を切り出血。その後に強烈なダウンを奪われ、滅多打ちにされる。それからは、ほぼワンサイドの展開だった。フィリップスと同じく、モズリーはフォレストの長いリーチ、そして遠い距離からの強打を見切れず。また間合いに入れなかった。
(3)、2002年7月20日 再戦 インディアナ州インディアナポリス
ー初戦よりは接近した内容だったにせよ。フォレストの完勝だったといえる。初回ゴングと同時にモズリーは突進。右ストレートを命中させるが、その後は1戦目とほぼ類似。フォレストが打ち気にはやりながらも、余りパンチは出ないモズリーを圧倒した。この試合においても、モズリーはフォレストの長い距離を克服できなかった。そしてこの2人の場合も「相性」(ボクシングでは本当に大きい)がものをいったかもしれない。


(1)、2003年1月25日 統一世界ウェルター級タイトルマッチ WBA王者リカルド・マヨルガ(23勝(21KO)3敗1分)VSWBC王者バーノン・フォレスト(35連勝(26KO)無敗1NC)カリフォルニア州テメキュラ
ーマヨルガが3回にフォレストをノックアウト。意外に呆気なく崩れ落ちたフォレストは初黒星(連勝ストップ)。マヨルガの強打と突進力が、やや地味ながらきれいなフォレストのスタイルと長い距離を打ち破った展開。
(2)、2003年7月12日 再戦 ラスベガス
ーマヨルガが再び判定でフォレストを退けた。初戦よりは接近した内容だった。ながら再びマヨルガの前へ出る圧力がフォレストの巧さを制したといえる。途中、マヨルガは顔を突き出してわざとフォレストに打たせた(これも「喫煙」同様、すっかりお馴染みとなる=タフネスと頑丈さを誇示)。さらにこの両選手についても例の「相性」は無視できないと思う。


(1)、1999年9月18日 世界ウエルター級王座統一戦 WBC王者オスカー・デラホーヤ(31連勝(25KO)無敗)VSIBF王者フェリックス・トリニダード(35連勝(30KO)無敗=42勝(35KO)3敗)ラスベガス
ー往年のレナードVSハーンズ(両者とも20億円以上のファイトマネー)に匹敵するスーパーファイト。待ちこがれた世紀の一戦(これが実現するのがアメリカです=むろんファイトマネー2人とも「10億円?」(忘れた)単位)。トリニダードはIBFタイトルを13度防衛(11KO)。前WBC王者の故ウィテカーから2度ダウンを奪い、倒せなかったけど大差の判定勝ちhttps://www.youtube.com/watch?v=ltkrk4DiyDw。一方、デラホーヤは事実上の統一戦だった前WBA王者クォーティーとの無敗対決を激戦の末、判定で制した(次戦で強敵オバ・カー(トリニダードに挑戦し、8回KO負けhttps://www.youtube.com/watch?v=pf6ncmdUFnw)に苦戦しながらも、11回に左フック一発でノックアウトhttps://www.youtube.com/watch?v=3MGanox-mBg+ウィテカーから判定で奪ったタイトルhttps://www.youtube.com/watch?v=Kw75jtfpPLIを、合計7度(5KO)防衛した)。しかし内容は残念ながら、一般的にいわれる「凡戦」だったといえる。個人的にはデラホーヤが勝っていたように思えた(特に中盤まで速い連打をまとめて叩き込み、トリニダードはまったく手が出ない)。左目下も腫れていた。デラホーヤは打ち合いを避け、勝ちに徹したといえる。トリニダードは大試合の緊張からか、おかしな「タメ」みたいのがあってパンチが円滑に繰り出せない。さらにこの試合でトリニダードは弱点を露呈したと考える(後にホプキンスとライトに負けたのも似たような展開だった)。一定の距離をとられ、深追いしない。スピードを重視したストレート攻撃をされると、攻めあぐねて立ち往生してしまう。けど、トリニダードは常に前へ出ていた(ときどき、「有効打」とはいえないにせよ、とにかく打っていたのは確か)。最後の3回、デラホーヤは「勝ってると思ったんでしょう。逃げ切りに~入ったのが」(浜田氏=総集編)大きかった(ジャッジが3人とも10-9でトリニダード+これを指示したアドバイザーのギル・クランシー(元世界王者エミール・グリフィスのトレーナー)は試合後、解雇される)。インタビューでトリニダードは再戦について「まず少し休みたい。その上で話しあいが必要だ」といっていた。デラホーヤは「私が勝ったのはよく知っている」と感想。(ファンが喜ぶために)「十分なことはやったと思った」と続く。デラホーヤ(メキシコ系2世)は最後、「メキシコ人のファンへ」とスペイン語で謝礼と挨拶+そして笑顔で健闘を讃えながら、トリニダード(プエルトリコ=むろん英語はできない)とスペイン語で会話していたのが嬉しかったです(前にも、デラホーヤは、チャベス(デラホーヤに2連敗)のインタビューを同時通訳でやっていた)☆
(2)、2004年10月2日 北米スーパーウェルター級王座決定戦 前3階級王者フェリックス・トリニダード(41勝(33KO)1敗)VS前WBA・WBCウエルター王者リカルド・マヨルガ(26勝(22KO)4敗1分)ニューヨークMSG
ー壮絶な倒し合いの末、トリニダードが8回に3度ダウンを奪いマヨルガをノックアウト。トリニダードは痛恨の初黒星(ホプキンスに12回KO負け)からの再起2戦目(とはいえ約2年のブランク明け=1戦目は世界ランカーアッシン・シェリフィ(仏)に3回KO勝ち)。一方、マヨルガはコリー・スピンクス(サウスポー+レオンの息子)によもやの判定負けでタイトル喪失。トリニダードとマヨルガは相性がよく、噛みあった稀にみる好ファイトとなった(大激戦)。初回、トリニダードはぎくしゃくとした動きであまりパンチが出ない。マヨルガは絶好調(いつもどおり速くて、強いパンチを容赦なく放っていた)。でも中ごろ、トリニダードの左フックが当たる。強気のマヨルガは例の「わざと打たせる」式にノーガード。トリニダードはそこへ左フックの連発を命中させ、調子をつかんだ様子(終了間際、豪打が炸裂。ダウン寸前に追い込む)。それにしてもマヨルガの頑丈さにはあらためて頭が下がる。「(トリニダードは)階級をあげてよかったんじゃないでしょうかね・・・ドスンパンチじゃなくて」(浜田氏)


(1)、2001年9月29日 WBC世界ミドル級+WBA/IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ 王者バーナード・ホプキンス(39勝(30KO)2敗1分=55勝(32KO)8敗2分)VS挑戦者WBAミドル級王者(3階級制覇)フェリックス・トリニダード(40連勝(33KO)無敗)ニューヨークMSG
ー「The Executioner(エキスキューショナー=死刑執行人)」の異名(後に「The Alien(エイリアン=宇宙人)」)となる)を持つホプキンスが、最終12回にダウンを奪い、トリニダードをストップした。強打のホプキンス(元囚人)はやや地味ながら、ミドル級タイトルを統一した実力者(WBC王者ホームズに判定勝ち)。試合はほぼワンサイドだった。トリニダードは距離をとられ、追う形になると戸惑い、ほとんどパンチを出せなくなる傾向。ホプキンスは適度に足を使い、旋回しながらジャブを突く。続いて真直ぐの強打でトリニダードの出鼻を挫いた。あまり体格差は感じなかったけど。やはり後にL・ヘビー級に転向したホプキンス相手だと、なかったとはいえないはず。
(2)、2004年9月18日 WBC/IBF/WBO世界ミドル級タイトル統一戦 王者バーナード・ホプキンス(45勝(31KO)2敗1分)VS挑戦者WBO王者オスカー・デラホーヤ(37勝(29KO)3敗)ラスベガス
ーホプキンスがデラホーヤを9回にノックアウト。強烈なボディーブローを食ったデラホーヤは前かがみに倒れ、そのまま立ち上がれなかった。デラホーヤ(シュトルム(ドイツ(欧州選手権金メダル=113勝9敗)旧ユーゴスラビア・ボスニア系2世)に判定勝ちでWBO王座奪取)は肉体改造に励み、見事ミドル級の体を鍛え上げて出てきた。しかしホプキンスに対すると、パワーの差は歴然。試合後デラホーヤは「私は誰もなしえないこと(6階級制覇)を成しとげ、挑戦した」と語り、意外にサバサバしていた。この後、一気にウエルター級まで落としてメイウェザー、パッキャオと戦うことになる。




(1)、1999年12月4日 IBF世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者フェルナンド・バルガス(アトランタ五輪米代表(100勝5敗)+17連勝(17KO)無敗=26勝(22KO)5敗)VS挑戦者WBO王者ロナルド・ライト(39勝(24KO)2敗=51勝(25KO)5敗1分)オレゴン州リンカーン
ーバルガスが大苦戦ながら2-1の接戦を制した(2度目の防衛に成功)。ながらこの試合はライトが勝っていたように思う。’ウィンキー’の異名を持つサウスポーのライト(生まれたとき、ウインクしたことに由来)。判定に納得せず、おおむくれだった。バルガスはこの試合前、傷害事件を起こして逮捕(72時間の奉仕労働により収監はまぬがれた)。反省からか「坊主頭」で登場(「禊」?(苦笑))。バルガスはよく打ったけど、ほとんどライトの固いブロックに阻まれた。ライトは目立たないながら、着実に有効打を当てていたようにみえた。ともあれバルガスが勝った。観戦していた次の挑戦者、クォーティー(両者とも、数億円のファイトマネーが賭かる大試合)もほっとひと息。安心した表情を浮かべていたのも印象深い。
(2)、2004年3月13日 世界スーパーウェルター級王座統一戦 WBA/WBC王者シェーン・モズリー(39勝(35KO)2敗)VSWBO王者ロナルド・ライト(46勝(25KO)3敗)ラスベガス
ーライトが12回判定で圧勝。モズリーはまったくいいところなく、完敗だった。初回、モズリーはライトの固いガードの上にスピードと威力があるパンチを打ちこむ。このペースが続けば、勝てるかもしれない。と思いきや、以降いつの間にやらライトのペースに引っ張り込まれた(やりにくさが取り得のような選手)。ほとんど手が出ないまま、翻弄されたといえる。試合前から、こんな展開になりそうな嫌な予感がしていた(モズリー贔屓の私)。まさにそのままの内容にしてしまうのがライトといえるだろう。ライトは以前フランスのアカリエス傘下にあり、欧州受けするスタイルかもしれない(打ち合い、乱戦好みのアメリカではもうひとつ受けが悪い)。自身も「欧州のファンはブーイングなんかしないでみてくれる」と好んでいた。
(3)、2004年11月2日 再戦 ラスベガス
ーこれまた初戦よりは競った内容だったにせよ、再びライトが判定でモズリーを退けた。モズリーははじめて父とのコンビを解消し、ジョー・グーセンをトレーナーに迎えた。この試合はよく手を出したと思う。しかしもうひとつ手数及び有効打双方で及ばなかった(サラゴサ(サウスポー)VS辰吉の再戦がダブった気がした=辰吉はよく攻め、パンチを出したながら、サラゴサの技巧を打ち破れず)。
(4)、2005年5月14日 ノンタイトル12回戦 ロナルド・ライト(47勝(25KO)3敗)VSフェリックス・トリニダード(42勝(35KO)1敗)ラスベガスMGMグランド
ーライトが大差の判定勝ち。トリニダードはまったく手も足も出なかった。試合を通じて、トリニダードはライトの鋭い右ジャブに出鼻を挫かれ、また立ち往生。3ジャッジともほぼフルマークの採点。ライトの完勝。この一戦についても、モズリーといっしょ。トリニダードは相性が悪そうだな、と案じたとおりの結果になってしまう(それがライトの魅力というべきかもしれない)。



(1)、2006年5月6日 WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者オスカー・デラホーヤ(37勝(29KO)3敗)VS挑戦者リカルド・マヨルガ(27勝(24KO)5敗)ラスベガスMGMグランド
ーデラホーヤが初回にダウンを奪い、6回KO勝ち。3回、マヨルガは右アッパーを叩き込み、パンチをまとめ、デラホーヤをたじろがせた。ながらストップは強烈、デラホーヤの猛攻。マヨルガを左右の連打でつるべ打ちにした。
(2)、2001年6月23日 WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者ハビエル・カスティリェホ(スペイン+51勝(34KO)4敗=62勝(43KO)8敗1分)VS挑戦者オスカー・デラホーヤ(33勝(28KO)2敗)ラスベガスMGMグランド
ーデラホーヤは最終回にダウンを奪い、判定勝ちで5階級制覇を達成した。カスティリェホはムリングス(テリー・ノリスをノックアウトし王座強奪)から判定で奪ったタイトルの6度目(5度(4KO))の防衛に失敗。トレーナーは、同国人の元王者ホセ・デュラン(来日し、輪島功一に14回TKO勝ちでタイトル奪取)。
(3)、2001年9月22日 WBA世界スーパーウェルター級王座決定戦 1位(元IBF王者)フェルナンド・バルガス(21勝(19KO)1敗)VS2位ホセ・シバタ・フローレス(メキシコ+43勝(26KO)7敗=46勝(27KO)14敗)ラスベガス
ーバルガスが7回KO勝ちで新王者に就く。やはりバルガスは、サウスポーのフローレス相手だったとはいえ、以前のジャブ、ストレート主体。中間距離を保つアマ出身らしい、きれいなボクサーファイタースタイルから、突貫ラッシャーに転じたように思える(再起戦はリベラ(プエルトリコ・ウィテカーに2度挑戦)に2回、先制のダウンを奪われながら(明らかに、トリニダード戦(12回KO負け)のダメージが残っていた)も6回逆転TKO勝ち)。しかし試合自体はほぼ一方的だった。バルガスの完勝。


(1)、2006年2月25日 ノンタイトル12回戦 元3階級王者シェーン・モズリー(41勝(36KO)4敗1NC)VS元WBA/IBFスーパーウェルター級王者フェルナンド・バルガス(26勝(22KO)2敗)ラスベガス
ーモズリーが10回TKO勝ちでバルガスを退けた。バルガスは左目から額、頭部にかけて特大瘤以上ほど腫れてしまい(まれにみるほどひどかった)、レフリーストップ(猛然と抗議していたが、妥当だったと思う(独論))。前半から腫れが目立ちはじめ、モズリーはそこに右を狙い打ちで叩き込む。バルガスもよく前に出て、結構パンチも当っていた。モズリーはライトに連敗した後、2連勝(無敗のホセ・ルイス・クルス(33連勝(28KO)無敗2分)に判定勝ちも含む)。しかし繰り返しながら、バルガスは体の力で押し込むような突貫戦法。トリニダード戦以降、すっかりファイタースタイルに変貌したといえる(ベストファイトだったクォーティー戦の頃が懐かしかった)。やはり有効打においては、モズリーが上回っていた。ひょっとすると、バルガス(早熟の天才)はすでに全盛期は過ぎていたかもしれない(加えて個人事業が成功し拡大。すっかり青年実業家となっていた)。一方、モズリーはライト級時代あるいはデラホーヤからウェルター級タイトルを奪取。フォレストに連敗するまでの勢いはなかったにせよ、円熟味。事実まだまだキャリアを続行し、メイウェザーやパッキャオとの大試合を迎えることになる。
(2)、2006年7月15日 再戦 ラスベガス
ー前戦が微妙な終わり方だったため、再戦がもたれた。モズリーがワンサイドの6回KO勝ち。初回から、バルガスはもうひとつ元気がなかった(あるいはもう意欲を失っていたのかも+すでにたっぷりとおカネも稼いだ)。最後はモズリーの強烈な左フックが炸裂し、バルガスはダウン(ダメージは深く、フラフラ)。なんとか立ちあがったながら、連打にさらされそのままストップとなる。モズリー贔屓の私だったながら、往年の若さと野性味あふれるバルガスを思いだして無性にさびしかったです。次のマヨルガ戦(12回判定負け)がラストファイトとなる。


(1)、2010年5月1日 ノンタイトル12回戦 WBC世界ウェルター級王者(3階級制覇)フロイド・メイウェザー・ジュニア(アトランタ五輪米代表銅メダル(84勝6敗)+40連勝(25KO)無敗=50連勝(27KO)無敗)VSシェーン・モズリー(46勝(39KO)5敗)1NCラスベガス
ースピード対決となったが、メイウェザー(異名は往年の童顔’Pretty Boy’(プリティー・ボーイ)から、嫌味もこめた’ The Money’(ザ・マネー=まさに「億万長者」よろしく、やたらと’札束’を見せびらかしたりの奇行が故)になった)が12回判定勝ちでモズリーを破った。モズリーはミドル級近くまで上げた体を、一気に2階級落としての決戦、大試合。レナード(対ノリス戦=判定負け)やデラホーヤ(対パッキャオ戦=TKO負け)あるいはロイ・ジョーンズ(ターバーとの2連戦(1勝1敗))などに見られた傾向=つまりあまりに急激に減量し体を絞ったため、ひからびてしまい、スピードもパワーもなくなり、動けずパンチもあまり出ない(そして体型自体も、いびつになる)。こうした悪影響はそれほど見られなかったと思う(初回からスピードがあり、パンチも威力があった)。しかしメイウェザーはやはり偉大。前代未聞の天才としかいいようがない。本当に手強い選手(絶対負けないボクシングをする)。終わってみればメイウェザーの完勝。モズリーは2回、右ストレートを命中させメイウェザーをぐらつかせたのが唯一の見せ場となった。周知のとおり、メイウェザーはボクシング一家の出身。父のフロイド・シニア(後にデラホーヤのトレーナー)は息子のデビュー時は、む所暮らし中(刑務所にいた)。ジュニアにいわせれば、一家で’もっとも勝れたボクサー’だったらしい。全盛期の目立った試合はレナードに10回TKO負け+スターリングに2連敗(判定負け)(それほどの強打者ではなく、フットワークを使うボクサースタイル)。上の叔父ロジャー(はすでに紹介したとおり、強打者。デビュー時から甥のトレーナー(兄とはあんまり仲が良くないみたい)。釈放された兄が息子にトレーナーを解雇されて以来、再び戻った)は元2階級王者。下の叔父ジェフ(甥のセコンドのひとり、いつも兄二人の補佐役)は中堅選手だった(来日、坂本博之に10回判定負け)。父を解雇した理由についてジュニアは「ロジャーの方がトレーニングに自主性を重んじてくれます。父がトレーナーのとき、ぼくはいつもオーバーワーク気味でした」ということ。フロイド・シニアは「父親は俺じゃないかといったんだ。でも彼はロジャーのところへ行ってしまった」と不満そうだった。
(2)、2007年11月23日 ノンタイトル12回戦 リカルド・マヨルガ(27勝(23KO)6敗1分)VSフェルナンド・バルガス(26勝(22KO)4敗)カリフォルニア州ロサンゼルス
ーマヨルガが12回判定勝ち。バルガスのラストファイト。


*そして「家庭内暴力」がひどい男としても有名(6ヶ月収監、ム所暮らしも経験)。殴られた元彼女(3人の子供たちの母親=2020年3月11日死亡(自殺とも麻薬の過剰摂取ともいわれている)享年40歳)や奥さんの写真を見たけど、無残に腫れあがった顔。むごたらしいものだった(悲しい)。息子たちにも平気で暴力をふるっていたが、今はどうなっているのか?(こちらも残念の一言)。さらにレナード(コカイン+アルコール依存)やデラホーヤ(アルコール+引退後、リハビリ施設入り)も「家庭内暴力」の内情は衝撃的。本当に悲しい(いずれ別個の記事にして、詳しく紹介します)。別の頁で触れたガンボア(キューバ・アテネ五輪優勝金メダル・世界選手権(2005年綿陽大会)銅メダル・ワールドカップ(2005年モスクワ大会)銀メダル(2006年バクー大会)優勝金メダル)、加えて奥さんを殺して自殺してしまった日本にもなじみが深い故バレロ(享年28歳・べネスエラ(インカ(El Inca=原住民(インディオ)の末裔)の異名+27連勝(27KO)無敗)。あとメイウェザーのライバルだった故コラレス(享年29歳・王座統一戦で対戦し、KO負け+薬物(コカイン)大量摂取オートバイ運転=事故死)も奥さんへの暴力で1年間服役(ブランクを作った)なども含めて、実に深刻な問題です。メイウェザーはちょっと前、偶然「日本人選手」とボタついた体で笑いながらやってるのをみたけど・・・(最近の事情はメイウェザーに限らず、まったく明るくないので)。

↑なんとキックボクサー相手の「異種格闘技戦」やったんですね(笑)。メイウェザーの勝ち。訂正=埼玉スーパーアリーナ。とうことは「我が国」内開催。メイウェザー、来日してたんですね(まったく無知だった)。失礼。
Tenshin Nasukawa (那須川 天心, Nasukawa Tenshin, born August 18, 1998) is a Japanese kickboxer and mixed martial artist, fighting out of Tokyo, Japan.

↑の「ケンカ王者?」相手のは、当時入院中だった2年半前、病院のニュースで見ました。
コナー・マクレガー(Conor McGregor、1988年7月14日 - )は、アイルランドの男性総合格闘家。ダブリン州ダブリン出身。SBGアイルランド所属。元UFC世界ライト級王者。元UFC世界フェザー級王者。
Asturianuアストリアス語→Roger Mayweather (24  d'abril de 1961, Grand Rapids Traducir) Ganó dos títulos mundiales en dos categoríes de pesu.
ロジャーの近況及び追加情報↓(ほとんど知らなかったので、ショックです)
引退後は、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長く務めていたが、2013年ごろからパンチドランカーを患い、昔の記憶の大部分を喪失し、メイウェザー・ジュニアの事を誰か認識できないほど症状が悪化している。
トレーナー時代
引退後は、甥であるフロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーとなった。フロイド・メイウェザー・シニアが刑務所から出所する1998年までトレーナーを務めていたが、出所してきたシニアとトレーナーを代わることになる。しかし、2000年3月18日のグレゴリオ・バルガス戦の後、メイウェザー・ジュニアはシニアを解雇。再びロジャー・メイウェザーがトレーナーとして復帰した。
2006年4月8日、メイウェザー・ジュニア vs. ザブ・ジュダーのIBF世界ウェルター級タイトルマッチで、10回にメイウェザー・ジュニアがジュダーのローブローとラビットパンチを受けて倒れると、ロジャーがリングに入り相手セコンドと乱闘になった。試合は一時中断された後に続行され、メイウェザー・ジュニアが判定勝ちを収めたが、試合の5日後に、ネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)は、試合の裁定は覆さなかったが、ロジャーに対し、20万ドルの罰金と1年間セコンド禁止のサスペンドを課した。
2006年、息子の母方の祖母に暴行を働いたとして刑務所に収監される。このため2006年11月のカルロス・バルドミール戦はメイウェザー・ジュニアに別のトレーナーが就いたが、試合前に刑務所の中からメイウェザー・ジュニアにアドバイスを伝える、ロジャー・メイウェザーの映像がテレビ中継で使われた。
2009年8月、元教え子の女子ボクサーに暴行を働き、刑務所に6ヶ月間収監される。
2013年9月、サウル・アルバレス戦ではロジャーに代わり、メイウェザー・シニアがジュニアのトレーナーに就いた。この頃から、パンチドランカーと糖尿病を患い、メイウェザー・ジュニアの幼少期やシニアの出所後2年間を除き、長い間メイウェザー・ジュニアのトレーナーに就いてきたが、健康状態が優れないことから、トレーナーを廃業した。その後も、徘徊から行方がわからなくなって、ジュニアが街中を探し回ることや、警察へ捜索を依頼することがあるなど症状は悪化している。パッキャオ戦の前日には、MGMグランドから自宅まで20マイル(約32キロメートル)もの道のりを1人で徒歩で帰宅している。マクレガー戦試合当日にも、徘徊から一時行方がわからなくなっている。


(1)、2008年9月27日 WBAインターコンチネンタルスーパーウェルター級王座決定戦 シェーン・モズリー(44勝(35KO)5敗1NC)VSリカルド・マヨルガ(28勝(23KO)6敗1分)カリフォルニア州カーソンチ
ーモズリーが最終回にマヨルガをノックアウト。好試合だったが12回、チャンスをつかんだモズリー。強烈なパンチを次々命中させダウンを奪う。ダメージ深いマヨルガ。立ちあがったところ、間髪いれずに左フックが炸裂。マヨルガは仰向けに倒れた。まれにみる凄まじいKOだった。モズリーは37歳、マヨルガは35歳になっていた。マヨルガは打たれ過ぎたのではないか?(しかも強豪たちとの連戦である)。
(2)、2015年8月29日 ノンタイトル12回戦 シェーン・モズリー(47勝(40KO)9敗1NC)VSリカルド・マヨルガ(31勝(25KO)8敗1分)カリフォルニア州イングルウッド
ーモズリーが6回KO勝ち。最後はボディーブローでマヨルガを沈めた。両者とも、全盛期はとっくに過ぎた晩年の試合。特にマヨルガの衰えは顕著だった(ちなみにマヨルガはまだ現役である)。



(1)、1978年9月9日 ウエルター級ノンタイトル10回戦 シュガー・レイ・レナード(モントリオール五輪優勝金メダル(165勝5敗)+13連勝(7KO)無敗=27連勝(18KO)無敗=36勝(25KO)3敗1分⇒5階級制覇)VSフロイド・メイウェザー・シニア(15勝(6KO)1敗=28勝(17KO)6敗1分)ロードアイランド州プロビデンス
ーレナードの10回TKO勝ち。最終回、若き新鋭レナードが連打を浴びせ、メイウェザーをストップした。鳴り物入りの元アマエリートだったレナード。スピードがあり強くて、速射砲のような連打。また当てるのがうまい。メイウェザーはよくがんばったが、相手が悪過ぎたといえる。
(2)、1983年1月19日 WBA世界J・ライト(スーパーフェザー)級タイトルマッチ15回戦 王者サミュエル・セラノ(プエルトリコ+47勝(16KO)5敗1分=50勝(17KO)6敗1分)VS挑戦者ロジャー・メイウェザー(アマ64勝4敗+14連勝(8KO)無敗=59勝(35KO)13敗)サンファン・プエルトリコ
ーメイウェザーが8回KOで颯爽新王者に輝く。新旧交代劇、圧勝だった。セラノ(ビラフロアからタイトル奪取=15回判定勝ち)は日本にも馴染みが深い(3度来日)。通算13度防衛した。①名古屋で(天熊)丸木孝雄に15回判定勝ち、防衛に成功②奈良でバトルホーク・風間(本名風間清(元日本王者・セルバンテスに6回KO負け(ベネズエラ首都カラカス)・大久保克弘(大学王者+世界選手権代表)に2連勝(判定+初回KO)・門田新一、ライオン・古山(双方元東洋王者)と10回引き分け)=アマ時代(高校・大学選手権(専修大)制覇)
上原康恒(高校・大学選手権制覇+世界王者アルレドンドに、ワンサイドの10回判定勝ち(ノンタイトル))と3勝2敗)に13回TKO勝ち(連続10度目の防衛戦)③和歌山で上原康恒(セラノをデトロイトで6回にノックアウト=タイトル奪取)に15回判定勝ちでタイトル奪回。地元プエルトリコにおいて、アポロ・嘉男(①故リカルド・アルレドンドに挑戦し、判定負け②ビラフロアに挑戦し、引き分け)=15回判定勝ち)及び友成光(12回TKO勝ち)の挑戦を退けた。期待していたメイウェザー快勝の朗報を、四国徳島県山奥町で知り、嬉しかったです☆
(3)、1993年3月13日 J・ライト級8回戦 オスカー・デラホーヤ(4連勝(4KO)無敗)VSジェフ・メイウェザー(23勝(7KO)2敗2分=32勝(10KO)10敗5分)ネバダ州ラスベガス
ー期待のホープ、デラホーヤが4回にメイウェザーをノックアウト。デビュー以来、無敗の5連続KO勝ち。最後は左アッパーでメイウェザーを仰向けにひっくり返した。完勝。

☆追悼☆故ロジャー・メイウェザー(享年58歳)先週(2020年3月17日)ラスベガスで死去)
Death Mayweather died on March 17, 2020 in Las Vegas, Nevada at age 58, after years of deteriorating health.
Françaisフランス語→Roger Mayweather est un boxeur américain reconverti comme entraîneur né le 24 avril 1961 à Grand Rapids, Michigan et mort le 17 mars 20201. 2020年3月23日(月)カナダ 





(1)、1985年5月12日 北米J・ライト級タイトルマッチ12回戦 王者ケ二ー・ベイスモア(20連勝(19KO)無敗=28勝(24KO)13敗2分)無敗)VS挑戦者元WBA世界J・ライト級王者故ロジャー・メイウェザー(20勝(14KO)2敗)テキサス州タイラー
ーメイウェザーが無敗のベイスモアを3回にノックアウト(2度ダウンを奪い、豪快にストップした)。北米タイトルを強奪。ベストファイトのひとつ。
(2)、1987年3月28日 世界ライト級ノンタイトル10回戦 故パーネル・ウィテカー(ロス五輪優勝金メダル・世界選手権(82年ミュンヘン大会)銀メダル(201勝13敗)+11連勝(6KO)無敗=40勝(17KO)4敗1分)VSロジャー・メイウェザー(26勝(15KO)4敗)ヴァージニア州ノーフォーク
ー期待のホープ・ウィテカーがダウンを奪われながらも、強敵メイウェザーに10回判定勝ち。メイウェザーの鋭く、スピード溢れる強打を、ウィテカーの技巧が制した展開(ほとんど空振りに終わらせ、またパンチを当てるタイミングも絶妙だった)。
(3)、1988年11月7日 WBC世界J・ウェルター(スーパーライト)級タイトルマッチ 王者ロジャー・メイウェザー(33勝(20KO)5敗)VS挑戦者元IBF世界ライト級王者ビニー・パチエンザ(25勝(22KO)2敗=50勝(30KO)10敗)ラスベガス
ーメイウェザーが9回にダウンを奪い、12回判定勝ち。結構パチエンザのパンチも当っていたながら、この当時がメイウェザーの全盛期だった。パチエンザは2階級制覇成らず(ライト級タイトルをホーゲン(ハーンズの同僚ポールに判定勝ち。タイトル奪取)から奪った(再戦で判定負け。雪辱された)ホーゲンはウィテカーに判定負けで、再び王座転落)。


Nederlandsオランダ語→Pernell Whitaker (Norfolk, 2 januari 1964 – Virginia Beach, 14 juli 2019) was een Amerikaanse bokser. Hij is wereldkampioen geweest in vier verschillende gewichtsklassen. https://www.youtube.com/watch?v=Etdoe_Dh3k0


Русскийロシア語→Ро́джер Ме́йвезер (англ. Roger Mayweather; 24 апреля 1961 года, Гранд-Рапидс, Мичиган, США — 17 марта 2020 года) — американский боксёр-профессионал, выступавший во 2-й полулёгкой, лёгкой, 1-й полусредней, средней и 1-й средней весовых категориях. 


(1)、2006年6月17日 WBC・WBO世界ミドル級タイトルマッチ 王者ジャーメイン・テイラー(シドニー五輪銅メダル+24連勝(17KO)無敗=34勝(20KO)4敗1分)VS元世界統一スーパーウェルター級王者ロナルド・ライト(50勝(25KO)3敗)テネシー州メンフィス
―「Bad Intentions邪悪な意思」のニックネームを持つテーラーが引き分けで辛くも防衛に成功。勝利を確信していたライトは判定が下るや、憤然としてリングを降り、さっさと控え室に引き揚げてしまった。テーラーは、故スチワード門下に入り、デトロイトの古巣クロンクジムでトレーニングに励んだ。練習を見守る、先輩ハーンズやマクローリー兄(久しぶりにみた)の姿もみえた。テーラーは体格で勝り、ライトのスタイルをよく研究した様子。固いガードの上を、あらゆるパンチを出して打ちまくった。ほとんどブロックされていたとはいえ、威力がある。ライトが随所に放ち、命中させる強打と相殺になった形かもしれない。ライトが若干優勢にもみえた最終回、逃げ切りに入ったライトを解説のレノックス・ルイスは批判していた(事実、このラウンド(3人とも10-9でテイラー)は判定にも影響した)。
(2)、2007年7月21日 世界ミドル級ノンタイトル12回戦 バーナード・ホプキンス(47勝(32KO)4敗1分)VSロナルド・ライト(51勝(25KO)3敗1分)ラスベガス
―42歳のホプキンスが判定勝ち。個人的には、ライトが勝っていたように見えた。ホプキンスのパンチは、あまり当ってはいなかったと思う。ホプキンスは↑のテーラーに判定負けで王座転落(再戦も判定負けし、雪辱ならなかった)。


★追悼★故エマニュエル・スチュワード(Emanuel Steward、1944年7月7日 - 2012年10月25日)は、アメリカ合衆国のボクシングトレーナー、テレビ解説者。ウェストバージニア州出身。ミシガン州デトロイトの「クロンク・ジム」(Kronk Gym) で多くの世界チャンピオンを育て上げた。
Españolスペイン語→Emanuel Steward (7 de julio de 1944 - 25 de octubre de 2012) fue un boxeador, profesor y comentarista de HBO Boxing estadounidense.

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