「恐怖の学校」8月31日記念≪Le scandale de l’école de voile de Totsuka/Master Hiroshi Totsuka≫埋もれて欲しくない殺人者集団「戸塚ヨットスクール」関連再編集(各国語紹介) How can corporal punishment be justified?「報いRetaliation 」について自己経験【Autoproclamé "Yankee-sensei"自称「ヤンキー先生」)?(CANADA)2016
衝撃・厳存する「戸塚ヨットスクール」(1970s-2016)
Totsuka school's education methods La Cour d'appel de Nagoya condamne les châtiments corporels à l'école
概要:戸塚宏・「戸塚ヨットスクール事件」
戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本の教育家で、フリースクール「戸塚ヨットスクール」の校長(法人登記上は代表取締役)である。生徒への体罰によって死者を出した戸塚ヨットスクール事件を引き起こした。1975年に世界記録を出したヨットマンであり、右派政治団体「維新政党・新風」講師でもある[1]。
訓練中に発生した死亡・行方不明事件[編集]
1、1979年 少年(当時13歳)が死亡 戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張。病死として不起訴扱いにされた。
2、1980年 入校4日目に暴行により青年(当時21歳)が死亡 コーチによって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死で起訴
3、1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明 体罰から逃れるために飛び込んだとして監禁致死で起訴
4、1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏とコーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。 傷害致死で起訴された。
5、当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念されるThere was no burning of incense or an apology after his release. fear of recidivism」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないかI still don't know if my son really jumped from the boat into the sea. Was he really knocked down?」とコメントしている。
一連の事件は、日本において体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されている。
出所後も死者を出す[編集]
1、2006年4月29日 - 静岡刑務所を満期出所。出所後、戸塚は静岡市内で報道陣から「お帰りなさい、スクールはまだ続けますかWelcome home, do you still want to continue school?」との問いかけに対し「まだまだ続けていくI still keep going」と回答した。
2、2006年10月9日 - 戸塚ヨットスクールからいなくなった訓練生の25歳男性が、知多湾で水死体となって発見される。
3、2009年10月19日 - 戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の女性が寮の3階より飛び降りて死亡した。
4、2011年12月10日 - 戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて重傷を負った。
5、2012年1月9日 - 戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて死亡した。
ー他でも以前出したのを本日、私の永遠の「私的暴力制裁」再開記念日「9月1日」なぞと考えているとここにぶつかりました。暗然たる気持ちとしかいいようがない。こういうのが何ら「社会的制裁」もたいした「批判」すら受けず「教育者」としてデカイ顔をしている・・・やはり「日本」「祖国」は遠い・・・何もいうことはない。また「富士山麓」「青木ヶ原樹海」を見てから寝ることにします。
ー特に私は「ゴロツキ」であった由縁で、間接的に戸塚の被害にあった数人を知っているし。送られそうになって危うく逃れたやつから話も聞いた本人だ。
ー不思議に思う。この男は殴られたり、蹴られたり、刺されたり、真冬のドブ川を傷と痣だらけの体で泳がされたりしたことがあるのだろうか?おそらくあると察するが、私はもう二度と人を殴ったり(最後は16歳のときでした)蹴ったり侮辱したり罵詈雑言を浴びせ不当に誹謗中傷したりするぐらいなら自分が殺された方がまだマシだという心になってるけど。人はそれぞれなんだな、と考えるしかなかろう。
ー「世界ヨット一周」の’偉業’?というのを成し遂げた人物とはこういう人間なのか?「朝まで生テレビ」で記憶していているところを参考までに。こんなこともいっていました。
大島渚氏:あんたちょっと生意気なんじゃないのか?他がわからなくて自分一人わかるというのは一体なんだ!
戸塚:・・・自分だけわかるといってない・・・でも自分だけわかると思っている・・・。
保坂展人氏:・・・
大島氏:さっきとおんなじことをいっている。
戸塚:・・・おんなじことはいっていない・・・。
スペクター氏:戸塚さんは人を殴るのが趣味だからしょうがないんだよ。
戸塚:おいっ、なんでそんなことがわかるんだ。
スペクター氏:世界の先進国でなんで体罰が禁止されていると思う?
戸塚:・・・あなたはすぐアメリカはこうだからというけれど・・・。
スペクター氏:いってない。先進国、世界でアメリカだけじゃないもん。
鳥越氏:なにいってるか全然わかんないよ(失笑)
戸塚:・・・ああ、あとは本読んでください・・・。
保坂氏:本読んでくださいはないでしょう!議論しているのに。
(ここが私は本当に涙がでたのでもう一度連動で)
戸塚:・・・だったらねえ。もう一度いわせてもらいますよ。今度出した本。あれを読んでもらえればねえ、すべてわかりますよ。
保坂氏:こんなテレビの前で大人たちが集まって「子どもを殴っていいか」「悪いか」なんておしゃべりしてる。怖いとおもうけどなあ。これみて「ああやっぱり明日から学校行くのもうやめた」って考える子どもたちが必ずいると思うんですよ・・・。
(ほかの人は自分がおしゃべりするのに熱中して、ろくに聞いてもいなかった)
ー「8月31日」から「9月1日」の日本式「教育」と「子どもの人権」についてこれほど適例はないのではないか。
ーさらにもう一度「樹海の光景」や「暗い学童保育(児童館)の道」(ここ(中野区)で「痴漢Педофилия소아 성 도착증小兒性愛症pedophilia」(2回(小学校1年)=同じ場所)にあった(血涙)=まだ顔(背広姿(帰宅途中のサラリーマン風)、中年のハゲオヤジСексуальное насилие над детьми아동 성학대兒童性虐待child sexual abuse, child molestation)覚えてる(悪夢に出て来る(これ本人もさることながら(Насилие над детьми아동 학대兒童虐待child abuse, child maltreatmentばあさんCaregiversも含め)、そういう環境におとしめる毒親Toxic Parents(訴えてもシカト(’老毒婆’の冷淡な「後姿」が忘れられない)洗い物をしていてまともに取り合わず、振り向きさえしなかった)の方が憎かった=号泣)’老毒爺’はいれば怒鳴りちらし(この時代も荒れていた)罵詈讒謗三昧。やつ当たり(「ご長男」サマにはしない=’できない’)殴る)「夕暮れとき、寒かったオンボロビルの屋上」なんかが浮かんできたのは。
ー日本式「有識者」(「日本会議」に連座する)たちがこの戸塚後援の先鋒となりただならぬ支持者勢力を率いていることだ。まったく絶望的になるしかない。私の「祖国」「ふるさと」とはこんな状況なのか。上に照会した被害者の両親たちの気持ちが痛いほど肌で「肉と骨」で感じられるし、再びあからさまな暴力によって殺されたり、自殺に追い込まれた子どもたちの恐怖と痛さ、悔しさや無念も分かりすぎるほどよくわかる。
ーちょうど「八甲田山」の遭難者たちの状況が、どういう気持ちで暗夜の暴風雪の中で彷徨していたか。アメリカ北部とカナダで30年近く暮らし、極寒零下-10℃からー30℃の中で雪かき。耳や足指に凍傷を受けたりした経験があるから実体験としてわかるのに似ている。闇におおわれた猛吹雪のなかで、なかなか家にたどり着けずに苦労したことも何度もあるので。
ー最後に経験として、「殴られたり」「蹴られたり」「投げ飛ばされたり」「刺されたり」して、「しょうがない」と覚悟して神妙に反省したことはある。それは「警察官」(悪いことして捕まったんだから当然だと)「復讐リンチ」(おなじく)「教師」(実際に殴られてもしょうがないことをしたとき(小中学時代)親(これも同じく。悪いことして捕まったり怒鳴り込まれたりのとき)「因縁つけて」(逆にやられたとき)以外はいわれもなく、何の咎もなく、また理不尽に「力の差を背景に」(小学校時代・明らかに2対8で不当)「殴られたり」「侮辱され人格を傷つけられたり」して「改心」しよう。なんて思ったことは一度たりともない。最後にひとつ前にだした最適例を再び参考に列挙しますので。今回の「暴力主義」「殴る蹴るも教育」「殺してもいい」どうこうに関連つけて少し考えていただけたら光栄であります。
人物像=儒学等を思想的根拠として所謂「嫌韓」を主張・・・だそうな。
ー「儒学」?一応「中国現代史」「東アジア研究」(古代史・孔子・老子・孟子などもむろん学んだ)専攻の木端学徒として・・・「寂寥沈黙」、矜持は何処、と「自問自答」するほかありません。
「脳幹論」を基礎にしたスパルタ教育が持論で、刑期を終え出所した後も基本的にその立場を変えていない。収監前の記者会見では「出所後は私立小学校を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。出所後、静岡刑務所内での処遇を著した自著の中で、「法の概念から外れたとんでもないことをやっている」「憲法に反する人権侵害」「刑務官によって自殺に追い込まれた受刑者がいる」などと述べている。 しかし、自身も戸塚ヨットスクールにて、生徒に対し度重なる暴力や、精神的プレッシャーを与えることで、自殺に追い込んだ事実もあり、自己矛盾に陥っているとも言える。反「戸塚ヨットスクール」キャンペーンの先頭に立った『サンデー毎日』(逮捕を報じた号では手錠をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)を発行する毎日新聞社の対応を良く思っておらず、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、毎日新聞は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「体罰は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。儒学等を思想的根拠として所謂「嫌韓」を主張し、在日韓国・朝鮮人の特別永住者に対する排外主義活動を行っており(ただし戸塚本人は朝鮮出身である=これはいったい何を意味するのか?「旧宗主国」の圧政者側に属する日本人だったということなのか?)、義家弘介と激しく対立する(またこいつか・・・おうっボンクラッ!このインチキ自称「ヤンキー先生」(元共産党員)はよおお~・・・おまえみてえなドチンピラの「高校デビュー」だったら(ろくでもない「過去」を「恥じる」どころか悪びれもせず。武勇伝式にご自慢ネタにしてる=最低)。何いおうがどっちもどっちだろう(「悔いたり」「反省」(塾講師教え子(中学生も含む)とドカスカ交際(「ドラマ」ではそんなんやっとらんかった(嘲笑)=「事実無根」と否定?(嘲笑))どころの話じゃない)。コラッおっさんっ!!てめえみてえなダセエのが「ヤンキー」(母校に帰る?(ドラマ版は「フィクション」として感動しました=この実在(モデル)原作の「義家」先生云々とは無関係に)=嘲笑)とかデケエつらこいて、いつまでもゴチャゴチャやってんじゃねえよっ!あんまホンマモンの「ゴロツキ」なめってっと早死にするぞボケっ!!)。2012年12月に発生した大阪市立桜宮高等学校のバスケットボール部主将が顧問から暴力を受けて自殺した事件に関して、2013年1月13日のテレビ朝日系列の番組「サンデースクランブル」に出演した際、「(自殺者が)あの子だけということは、あの子にも問題があったということ。本当に体罰で死んだかどうかもわからないですよね」などとし、自殺する側に問題があると述べている[2]。この主張通り、スクールにも体罰を教育上必要であると主張・容認する団体「体罰の会」支部を置き、顧問をつとめている
①フランス語→Hiroshi Totsuka戸塚宏 ( 6 septembre 1940- ) est un éducateur et écrivain japonais , et le directeur de l' école libre (actuellement un internat pour la formation à la planche à voile ) " Totsuka Yacht School ". ( Directeur représentant ②Oct 28, 2009 — Totsuka Yacht School, known for the death of four students in 1983, became notorious for its excessively strict education program and corporal ...
①フランス語→Hiroyuki Yoshiie義家弘介, né le 31 mars 1971(1971年3月31日生まれ、長野県出身) est un homme politique japonais du Parti libéral démocrate(自由民主党の男性政治家), membre de la Chambre des représentants(衆議員議員) à la Diète (国会législature nationale). professeur à l'Université de Shoin(松蔭大学教授), autoproclamé "Yankee-sensei"(自称「ヤンキー先生」)・・・ Il aurait été un ancien membre du Parti communiste japonais(元日本共産党員), et est apparu plusieurs fois sous le drapeau rouge(しんぶん「赤旗」(日本共産党機関紙)にも数度登場していた), mais (しかし)maintenant il montre une attitude anticommuniste et a une vision nationaliste de l'éducation.(現在は反共産主義的な態度(姿勢)及び国家主義的な教育観を示している)②義家弘介さんは塾の講師だったときに教え子と交際の噂が絶えなかったそうです。 本人は事実無根だと否定をしているようですが、昔から「火のないところに煙は立たない」といわれており、ある程度真実味があるのでは・・・Oct 10, 2015 - ヤンキー先生こと義家弘介のエピソード... 塾講師をしていた頃、教え子の中学生や卒業生と交際しているという話が絶えず、母校の北星余市高校 ... を連れ頻繁に訪れていたほか、一緒にドライブしているという目撃情報が塾に報告されるようになった。マスコミに出始めは、当時担任していた女生徒と交際し、妊娠、退学させたが、結婚したことで「責任を取った」「純愛だった」と主張→イングリッシュ=When Hiroyuki Yoshiie was an instructor at a cram school, there were constant rumors of dating with his students. He seems to deny that he is in fact unrooted, but it has long been said that "smoke does not rise where there is no fire", and it may be true to some extent ... Oct 10, 2015 --Yankee Sensei Hiroyuki Yoshiie's episode ... When he was a cram school teacher, he was constantly talking about dating junior high school students and graduates, and he often visited with his mother school, Hokusei Yoichi High School. Witness information that he is driving is now reported to the cram school. When he first appeared in the media, he was dating a girl student who was in charge at the time, became pregnant and dropped out, but claimed that he was "responsible" and "pure love" because he got married③かつていじめっ子に躾をするために、用具がボコボコになるまで4時間事実上の監禁を行ったと、雑誌上の対談で自慢げに語った=(ドイツ語)In einem Interview mit einer Zeitschrift erzählte er stolz, dass er vier Stunden lang inhaftiert war, bis die Ausrüstung hinterhältig wurde, um einen Mobber einmal zu disziplinieren. その他Andere=日本軍が慰安婦を強制連行したとする主張を否定している=Er bestritt die Vorwürfe, die japanische Armee habe Trostfrauen genommen. 性別を否定する主張や、選択的夫婦別姓制度の導入に反対している=Sie lehnen den Vorwurf der Verweigerung des Geschlechts und die Einführung eines selektiven Familiennamen- Systems ab.日本は第二次大戦において無条件降伏はしていないとしている=Japan sagt, es habe sich im Zweiten Weltkrieg nicht bedingungslos ergeben④Feb 28, 2020 — Et ce samedi, Le ministre adjoint de la Justice japonais Hiroyuki Yoshiie était annoncé en route pour le Liban « afin de plaider pour ...⑤Mar 3, 2020 — Hiroyuki Yoshiie, Japan's deputy justice minister, met Monday with Lebanese President Michel Aoun and the ministers of justice and foreign ...
祖国は遠い・古きよき「心のふるさと」:
ーこれ以上、あえていうこともないでしょう。デマカセ中年ヤンキーきどりの「政治家」や殺人「教育者」がなんの抵抗もなく、ぬくぬくと幅を利かせてる社会と本国。「基本的人権」や「人命の尊重」そして何よりも「弱いもの」「老人や婦女子」たちのことなど「はやく死ね」「ぶん殴って何が悪い」などと平然とぬかしている犯罪者(現行犯)を有力者石原慎太郎氏や加瀬英明氏などが肩を組み組み二人三脚で支援。やりたい放題の現状・・・
ー殴り殺そうが、暴力監禁しようが、海に突き落として置き去りにしようが、おしるし程度の「有罪」、服役であっさりでてきてまたおっぱじめる(’著作’なども次々刊行)。「なでしこ」「チャンネル桜」までがむすびついている。
ー同じ穴のムジナたち。あわれなのはそんなのの犠牲になって死んだり侮辱されなきゃいけない「二重」被害者の人たち。性奴隷や南京の幸存者などを「にせもの」「諜報員スパイ」とまで罵り、悪口雑言の限りをつくしても問題にならない。
ーまた「樹海」「富士山麓」のあと、おきまりの「ベイツ教授」「ラーべ」やマギー、フィッチ牧師、マッカラム氏たち「中国人」だ「日本人」だではなく「人間」であるとりわけ無力な「婦女子」たちを日本将兵の残虐行為と暴行から守るために必死に南京市内中を奔走していた姿・・・俺はまたしても悪質な「ナンデモ屋」代表たちと逃れられない宿命。おなじ「日本人の血」。
ー戦死した祖父や親族たちはこんなやつらをのさばらせるために「皇国の人柱」だ「殉じた」「散華」などで犬死させられたのか。まったく悲しいやらさびしいやら。くわえて「戦死」だ「餓死」だってした人数より戦後、「中国」からのうのうと生きて帰還し、何食わぬ顔でずっと80年~90年代まで生きのびていた大叔父だのそんなようなのが多い事実ももうひとつ、より複雑な葛藤なんです。カナダ人日系一世なのにもう勘弁してくれよ。だけどこればかりは「夢」や「金縛り」が己の力量じゃどうもならんのといっしょ。
ー聞いた話や「チャンコロ」なんていってたじじいもいた、何をやってきたかは大体想像がつく。また疲労困憊、焦燥隠せずになってきたのでこの辺で。やっぱり「祖国」は恋しいし懐かしい。板ばさみの気持ちも、辛いですね。
おやすみなさい さようなら Sammy from Canada
『勧世良言』「原道救世歌」「原道醒世訓」
戸塚ヨットスクール☆校長勉強会
精神について学ぶ勉強会、平成27年度募集のご案内です。平成21年より始めました「正しい精神を学び身につけよう」と開校した「精神について」の勉強会も6年目を向かえます。平成27年1月より1年間、12回講座を下記の日程で開講する事になりました。現在、我々が使っている精神論は残念ながら欧米流の精神n論で日本独自の精神論「大和魂」ではありません。これは戦後アメリカによって彼らの都合の良い精神論を押し付けられてしまったからに他なりません。世界最高の精神論「武士道」はこの「大和魂」を「道」にまで到達させたものです。
この機会に儒教、仏教をもとに作られた日本の精神論「大和魂」を皆様と一緒に学びましょう!
Another question mark over →Kuchikomi Oct. 28, 2009 - 08:21AM JST ( 11 )Totsuka school's education methods
According to a local resident, it was 9 o’clock in the morning when Totsuka Yacht School students were looking out the window at the girl who lay dead on the pavement in a pool of blood. During the evening of the wake held for the 18-year-old who had committed suicide, sad ocarina tunes were heard from the dormitory as though to mourn the loss of her life. Police investigators explain that the young woman from Yokohama had just been admitted to the school located in Aichi Prefecture. Repeated self-injury such as wrist cutting, domestic violence and acute social withdrawal made her parents desperate for help and enrolled her in the school. It was only three days later, on the morning of Oct 19, that the girl, while hanging washed laundry with a school superviser, leapt from the rooftop of the building. The attending supervisor had let her out of sight briefly to straighten one of the bed sheets when the incident occurred. The school stated that there were no signs of suicidal tendencies, and the student had jumped before the superviser could take any action. Totsuka Yacht School, known for the death of four students in 1983, became notorious for its excessively strict education program and corporal punishment. The 1983 case resulted in the 6-year sentencing of school representative Hiroshi Totsuka, now 69, for illegal confinement and injury resulting in death. Aichi police initially looked into the school’s “educational policies” as a possible cause of the latest death, but seem to have concluded that the incident was a suicide in view of the fact that the deceased, who was taking mood stabilizers, had said to her roommate that she wanted to die. The school was founded in 1976 to teach yachting, but became a boot camp for problematic children at a time when school violence was rampant. School founder Totsuka’s educational philosophy was to teach such youngsters the concept of shame and modify their behavior in a disciplined environment where students were required to live in a dormitory and train in the skills of yachting.
Trends had changed by the time Totsuka completed his prison sentence in 2006. Accordingly, the school began taking in students with problems such as social withdrawal and refusal to attend school. What remains questionable is whether Totsuka’s disciplinary approach meets the current needs. Shukan Post asked to interview Totsuka at the dormitory on how he felt about his student’s suicide. From a window on the third floor, the headmaster only shouted, “What do you know about education? Can you define it? Can you? Go away!” Journalist Ken Ko, who had reviewed and reported extensively on the school, comments that many parents are incapable of reprimanding their children. Raised without any notion on the difference between right and wrong, these children have no understanding of what is considered shameful. In that sense, Totsuka’s philosophy may be effective to some extent. He adds, however, “In the case of children with issues like self-injury and withdrawal, who have never been subjected to being shamed in public, an adverse reaction can be expected.” While parents continue to consult this school about their problematic children, the death of the 18-year-old only 3 days after her enrollment seems too tragic. Damage control: Japanese Olympic Committee Chairman Tsunekazu Takeda speaks to reporters after meeting Thursday with education minister Hakubun Shimomura in Tokyo.
教育方針は校長の戸塚宏が提唱する「脳幹論」と称するものに基づいている。この「脳幹論」とは、「青少年の問題行動は、脳幹の機能低下により引き起こされる」という理論に基づき、「アトピーや喘息、出勤・登校拒否、引きこもり、癌なども、脳幹を鍛えることによって克服できる」と説くものである。しかし、それらの主張を裏付ける医学的根拠はなんら存在せず、また第三者による客観的・科学的な検証も不十分である。戸塚は、ヨットやウィンドサーフィンを通じて大自然の中で原始的な状況に直面せざるを得ない状況を作りだし、彼らに直面させることで脳幹に刺激を与え、戸塚が衰えたと考えるその機能を回復させるというもので、薬物やカウンセリング、周囲の思いやりというようなものだけでは治らない者もあり、教育荒廃は決して解決しないとの考えに基づく。戸塚の支援者である石原慎太郎は、この理論はオーストリアの動物行動学者であるコンラート・ローレンツが唱えたものであるとしている。「人間が与えられた『生きる力』を100%開花させることに全力を注ぐ」ことをうたい、「基礎精神力を養う」ことを目的に、現在はウィンドサーフィンを使ったトレーニングを行っている。校内には寮が併設されており、登校拒否、引きこもり、家庭内暴力、非行などの問題を抱えた生徒は合宿が原則となっている[5]。また、入校に際しての年齢制限はなく、4歳から80歳まで受け入れるとしている[5]。指導としての体罰は否定せず、「体罰を使えば期間を短縮できる」が、現状では「使いたいのですがなかなか使えない」としている[5]。合宿中は月曜の休み以外は毎日ウィンドサーフィンによる訓練が行われるが、嫌なことから逃避する癖の付いた大半の生徒は、様々な口実や時には巧みな嘘で逃げようとし、ほとんどの生徒が脱走を試みるという。この事実をあらかじめ想定し、対応しないと生徒の嘘に幻惑され帰宅を許してしまい失敗すると説く。このため、家族には戸塚を信頼し、必ず指示に従うよう求める
The December suicide of an Osaka high school basketball team captain who had been physically punished by his coach cast a harsh light on corporal punishment in Japan, and this week’s admission by the All Japan Judo Federation that Olympic female judoka had been physically abused and harassed by their head coach served to underscore just how widespread the practice is.Following are questions and answers regarding corporal punishment:Is it legal to dispense corporal punishment against students and minors?
Article 11 of the School Education Law, enacted in 1947, prohibits teachers from using corporal punishment. But there is no criminal penalty stipulated, unless the punishment results in death or severe injury, among other outcomes.The child abuse prevention law forbids abuse against adolescents but also does not set rules on corporal punishment. In disciplining a child, one must exercise appropriate and considerate parental rights, the law states.Other nations also ban the practice, but that doesn’t mean it has ceased.
Why does such punishment occur?
There can be a thin line between physically abusing students and pushing them to the limit for their own good, especially in sports.The basketball coach who beat the Osaka youth reportedly claimed there were students “who improved from” his strict discipline and said physical punishment “is needed to make them stronger.”Corporal punishment scandals are nothing new in Japan, nor are they limited to schools.In 2007, a 17-year-old sumo wrestler died during practice at the Tokitsukaze stable, only for it to be revealed later that he had been beaten with baseball bats and beer bottles and had been forced to undergo excessive “battering” during practice.His fellow grapplers meted out the violence, which was started by the victim’s stablemaster, Junichi Yamamoto, who before being ousted went by the name of his stable.
How can corporal punishment be justified?
Those who support the use of corporal punishment in education claim it is a necessary part of teaching.
One such advocate is Hiroshi Totsuka, who runs the Totsuka Yacht School in Aichi Prefecture. Totsuka’s school, a correctional center for children with behavioral problems, made headlines in the 1980s when several of its students died due to or following excessive punishment. Suicides at the school have also been reported.
Many suggest that pressuring and abusing a child or a student physically has no merit. One prominent vocal opponent is retired pro baseball pitcher Masumi Kuwata.The former Yomiuri Giants ace has made repeated appearances on television claiming corporal abuse “is unnecessary.” Kuwata, who also pitched for the Pittsburgh Pirates, has revealed that he was physically punished in high school. “Hitting a student doesn’t make anything better,” he said in a news conference Monday. Is the government trying to abolish corporal punishment in schools?
The ruling Liberal Democratic Party is drafting a law against bullying and is also reportedly mulling the inclusion of a draft provision that would require cases of corporal punishment to be reported by schools to local governments.
Asie du Nord-Est - Japon [ Bulletin EDA n° 240 ] 01/04/1997
"Châtiments et violences corporelles entraînant la mort d'enfants", c'est l'accusation à laquelle a dû répondre le directeur d'une école de voile, Hiroshi Totsuka, devant la Cour d'appel de Nagoya au début de ce mois de mars. Il s'agit de l'école de voile Totsuka dans le département de Aichi. Les moniteurs et le directeur de l'école sont accusés, en appel, de la mort de quatre jeunes stagiaires. Leurs crimes sont qualifiés par la Cour de "cruels et commis avec l'intention de nuireLe directeur est condamné à six ans de prison ferme et deux de ses moniteurs à des mises à l'épreuve.En 1992, le tribunal de Nagoya avait déjà condamné Hiroshi Totsuka à trois ans de prison, mais un juge, partisan des méthodes d'éducation dites "spartiates", avait réduit la peine. La Cour d'appel, au contraire, a clairement rejeté le châtiment corporel comme étant une méconnaissance des droits de l'homme dont les enfants doivent bénéficier au même titre que les adultes et comme une méconnaissance aussi de ce qu'est l'éducation et la formation des jeunes. De plus, la Cour précise que la formation donnée dans cette école l'était sans aucun objectif précis.Le journal Asahi, Dans cette même école de voile quatre décès de jeunes avaient été enregistrées entre 1980 et 1982. Ces tragédies montrent bien la légéreté de ceux qui prônent l'efficacité des châtiments corporels. Le tribunal légitime ainsi l'idée que tous les jeunes sont différents et que l'école qui use de la force pour les dominer sans égard pour leur personnalité ne fait que renier la base de toute éducation. Une jeune victime, un garçon de 13 ans, s'était inscrit à un camp d'entraînement de cette école en 1982 parce qu'il ne savait pas nager et qu'on s'était moqué de lui à l'école. Il voulait donc apprendre. Juste avant de partir, il avait dit à sa mère qu'il n'avait jamais été aussi heureux de sa vie. Deux semaines plus tard, il était mort. L'autopsie a révélé deux dents cassées, 115 blessure et ecchymoses, toutes, selon la Cour, occasionnées par des violences. Ce genre d'école n'existe que parce que les parents rencontrent de sérieux problèmes dans l'éducation de leurs enfants. Il est facile d'imaginer les parents désespérés qui n'ont plus d'autre possibilité que d'envoyer leurs enfants à l'école de voile. Il est vrai aussi que la société moderne manque de moyens pour aider parents et enfants à résoudre leurs problèmes. Mais tout ne fera qu'empirer si le recours au châtiment corporel est pris comme le moyen le plus expéditif pour les résoudre. La Cour a donné également un sérieux avertissement contre l'emploi de la violence quel que soit l'entraînement dont il s'agit".Il existe maintenant dans les quartiers de plus en plus de services capables d'aider les parents et les jeunes en difficulté. Le ministre de l'Education nationale a créé des postes de conseiller d'éducation dans les écoles, même s'ils restent trop peu nombreux. Il existe aussi des services privés qui aident parents et enfants à parler ensemble de leurs difficultés. Il y a bientôt trois ans que le Japon a signé la Convention des droits des enfants. Son application exige de constants efforts pour promouvoir le bien et l'intérêt des enfants. Les adultes se doivent de ratifier ce principe. Le garçon de 13 ans, avant de partir pour son stage de voile, avait laissé sur sa table, à côté d'une fleur en pot, un billet écrit de sa main: "Ne tuez pas la fleur
■発起人・理事一覧
会長:石原慎太郎(東京都知事)
伊東四朗(俳優)、伊藤玲子(鎌倉市議会議員)、植芝守央(合気道道主)、
鍵谷武雄、加瀬英明(外交評論家)、上之郷利昭(ジャーナリスト)、
河西善三郎、木下吉信(大阪市議会議員)、国重光煕・晶(㈱トリム)、
栗原俊記、古賀俊昭(東京都議会議員)、小嶋一碩(千草ホテル)、
小林則子、小室直樹(作家)、近藤建(㈱ピコイ)、
榊原康三(西尾市議会議員)、澤龍(サワズ㈱)、信楽充男(㈱雍州路)、
篠宮良幸、嶋崎和明(嶋崎犬猫病院)、白岩正通(白岩工業)、
鈴木和孝(鈴木コーヒー)、鈴木絢詞、高池勝彦(弁護士)、
高花豊(テイケイ㈱)、田代ひろし(東京都議会議員)、立川談志(落語家)、
田中健介(㈱ケン・コーポレーション)、田中博政(共栄コンクリート㈱)、
柘植久慶(作家)、津田佐兵衛(㈱井筒八ツ橋本舗)、土屋たかゆき (東京都議会議員)、
寺岡直彦(㈱てら岡)、戸塚マツ、殿岡昭郎、中澤茂和(月曜評論社)、
中村ロク郎(有倫間学園)、中村実(船橋市議会議員)、西村眞悟(衆議院議員)、
日野晃(武道家)、福原寿万子(福原病院)、富士信夫、堀本和博(㈱世界日報社)、
眞鍋晃篤(自民党)、水島毅、南丘喜八郎(㈱K&Kプレス)、
南出喜久治(弁護士)、三宅博(八尾市議会議員)、三輪和雄(日本世論の会)、
茂木弘道(㈱世界出版)、森下敬一(自然医学会)、山本善心、横田建文、
戸塚ヨットスクール事件(とつかヨットスクールじけん)は、1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。戸塚宏による戸塚ヨットスクールは、当初航海技術を教える学校だった。その後情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミでブームがおこり、戸塚も指導をヨットから生活指導等へきりかえ、親元からスクールに預けられる生徒が増加した。教育界のカリスマとしてマスコミは好意的にとりあげていたが、後に事件が発覚した。戸塚ヨットスクール(とつかヨットスクール)は、日本のヨットスクールである。愛知県知多郡美浜町に所在する。校名は創始者であり校長の戸塚宏の名字に由来するもので、地名(横浜市戸塚区、戸塚宿)との関連性はない。戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本の教育者で、愛知県知多郡美浜町に所在するフリースクール「戸塚ヨットスクール」の校長である。生徒への体罰によって死者を出した戸塚ヨットスクール事件を引き起こした。1975年に世界記録を出したヨットマンであり、右派政治団体「維新政党・新風」講師でもある「スパルタ教育こそが真の教育である」戸塚 宏 氏 年表
1976年:戸塚宏によって開設。
1980~82年:訓練中に訓練生2人が死亡、2人が行方不明。その後、この事件について戸塚は傷害致死罪で懲役6年の実刑判決を受けた。
2006年:戸塚が刑期を終え出所(4月)。その約半年後、訓練生が死亡(自殺の可能性あり)
2007年:戸塚によると、「訓練生が屋上から飛び降りた」とのこと。その生死は不明。
2009年10月:3日前に入所したばかりの訓練生が屋上から飛び降り自殺。
2011年12月:訓練生が屋上から飛び降りて重傷を負った。
2012年1月:訓練生が屋上から飛び降り自殺。
Le scandale de l’école de voile de Totsuka, Totsuka yotto sukûru jiken 戸塚ヨットスクール事件
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Totsuya Hiroshi filmé lors d’un documentaire sur son école © Asahi Shinbun 朝日新聞 Le 13 juin 1983, le directeur de l'école de voile de Totsuka, Totsuka yotto sukûru 戸塚ヨットスクール, Totsuka Hiroshi 戸塚宏 (1940- ) est arrêté pour avoir infligé des punitions à ses élèves entraînant leur mort.L'école a ouvert ses portes en 1976 dans la ville de Mihama 美浜町 dans la préfecture d'Aichi 愛知県 dans l'optique de gagner des médailles pour les prochains Jeux olympiques.L'année suivante, en raison du manque d'élèves, l'école fut ouverte aux enfants souffrant de troubles du comportement. L'enseignement donné devait leur permettre de retrouver une vie normale sans avoir recours à des médicaments. Cette initiative rencontre un large succès dans les médias.De 1979 à 1982, 4 élèves décèdent ou sont portés disparus en mer.En 1982, la police considère à nouveau la mort d'un jeune élève comme la résultante d'un accident sauf qu'il lui manque des dents et qu'il porte la trace de nombreux hématomes. L'autopsie révèle des hémorragies internes.Un nouveau décés en 1983 suscite de forts soupçons de maltraitance : des élèves auraient été frappés à coup de barre de gouvernail. Le directeur de l'école et ses moniteurs sont finalement arrêtés.Totsuya Hiroshi est condamné le 7 juillet 1992 à 3 ans de travaux forcés, chôeki 懲役. Il fait appel et sa sentence est doublée en 1992 à 6 ans d'emprisonnement. En 2002, son appel est rejeté.
Il a été libéré en 2006.Les évènements ont été relatés par un journaliste et écrivain, Kaminogô Toshiaki 上之郷利昭 (1936-2006) qui a écrit un livre décrivant sur son expérience dans cette école, La Mer de Sparte, suparuta no umi 『スパルタの海』, qui sera adapté au cinéma en 2005
否定派と肯定派の声
ネットワークコミュニティにおいても
「ニートがあふれる昨今、戸塚のような鉄拳制裁が必要だ」「いかなる理由があっても暴力はいけない」
「体罰と体罰による痛ましい事故は状況によりよりけりだが、許せるし、必要だと思うが戸塚ヨットスクールの場合は体罰ということばを免罪符にしたサディズムなので、名物のヤンキー先生や熱血教師と同列に語るのは彼らに失礼だ」「夜回り先生のやり方では生ぬるい、ドキュン(不良少年)は徹底的に痛めつけても構わないし、殺しても誰も困らない。戸塚ヨットスクールは必要悪」「趣旨には賛同できるがPTSDや外傷治療の専門家を置かずして鉄拳制裁をビジネスにするとは言語道断」「殺してしまっても構わない。親も世の中も迷惑するだけだ。そんな子供なら生死のかかったギャンブルに賭けたって良いはずだ。更生したら儲けもの」
といった声が数多く見受けられる。
NAGOYA – A 21-year-old man jumped to his death Monday in an apparent suicide at a sailing school in Mihama, Aichi Prefecture, that is known for its strict education program for troubled young people, police said.The man jumped from the roof of a three-story dormitory at Totsuka Yacht School around 7:30 a.m., leaving a note on the roof terrace that read: “It’s painful for me to live. I want to die,” police said.The Hiroshima Prefecture native, who joined the school in December 2010, climbed onto the roof while taking out garbage with another student, the police said.At the school, which opened in 1976, a man in his 30s sustained serious injuries after jumping from the dormitory last month, while an 18-year-old girl jumped to her death in October 2009 after telling people around her that she wanted to die.Before these incidents, the principal, Hiroshi Totsuka, was sentenced to six years in prison for physical abuse that led to the deaths of two of his charges and left two others missing in the early 1980s. He returned to the school following his release from prison in April 2006.
スクールのこれから・校長出所後
校長たちの受刑期間中も変わらぬ信念のもと、スクールは継続運営され校長は2006年4月29日に静岡刑務所を出所。出所後の記者会見では笑顔を見せ、被害者と遺族置いてきぼりの自己の教育論を展開した。「体罰は教育」という主張は変わっておらず、体罰に依存しない静岡刑務所の矯正プログラムが通用しなかったという皮肉な実態が露見された。殺害された訓練生に対する現在の心境を訊かれ、「悼む気持ちは散々言っている」と言い放つと同時に検察庁や裁判所・マスコミ批判を繰り返し、再審請求をも検討していると明言した。こうしたことから今後は「社会的使命を背負った慈愛の鬼」という路線で活動を再開すると見られ、逮捕前の所業の正当化を図るのではと一部では懸念されている。同スクールに対しては、石原慎太郎(東京都知事)らが熱烈な支援を行う「戸塚ヨットスクールを支援する会」がこれの維持を図り、今後ますますの発展が期待されつつ現在に至っている。こうした既卒者やその保護者を含む支援者の強力なコンセンサス故に、現役訓練生(および保護者)が教育方針や実務に対して苦言を呈することはタブー視される危険性があり、公正な第三者を置いていないことから再犯が懸念され、これからの戸塚ヨットスクールの課題と言える。
戸塚ヨットスクール事件
1970年代末から1980年代にかけて、スパルタ式と呼ばれる独自の指導により、不登校や引きこもりや家庭内暴力などの数多くの非行少年を矯正させたという触れ込みで、戸塚ヨットスクールはマスメディアに登場し話題となる。当時は校内暴力が社会問題化していたため、問題行動を繰り返す青少年の矯正を行えると自称した同スクールが注目されたものであった。しかし、訓練中に生徒が死亡したり行方不明になったりした、いわゆる「戸塚ヨットスクール事件」が明るみに出た結果、1983年に傷害致死の疑いで捜査が行われ、校長の戸塚以下関係者15名が逮捕、起訴された。長年に及ぶ裁判の末、戸塚およびコーチらは有罪判決を受けた。校長の戸塚は懲役6年の実刑で服役した後、2006年4月29日に出所し、スクールの現場に復帰した。
近年の事件
2006年10月9日、25歳の訓練生の男性がスクール近くの沖合で水死体となって発見される事件が起きた。この男性は同月6日に失踪し行方不明となっていた。遺体に外傷はなかったため、事故死か自殺とみられている。
2009年10月19日、戸塚ヨットスクールの寮の3階から18歳の訓練生の女性が飛び降りて死亡する事件が発生した。女性は3日前に入所したばかりで、他の寮生・コーチと共に布団干しの作業中に約1.5メートルのコンクリート製の屋上のへりを乗り越え、路上に転落した。愛知県警半田署は自殺とみて捜査している。事件後、戸塚校長は「突発的だった。管理態勢に問題はなかったが、所属した生徒が亡くなったことには責任がある」と話した。2010年12月20日、30代の訓練生の男性がスクール内の寮から転落し重傷を負う事件が発生[8]。愛知県警半田署は事故と自殺未遂で調べていると報じられた。012年1月9日、スクール内の寮の前で頭から血を流して倒れている21歳の訓練生の男性が発見され、病院搬送後に死亡。「ヨットスクールの生活がつらく、このまま生きていくのもつらい」と書かれたメモがあったことから、飛び降り自殺と考えられている。
支援する会
戸塚ヨットスクールの教育・更生方針に賛同する支持者は、厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、同スクールが様々な誤解と中傷に曝されてきたと主張。「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織し支援に当たっている。主要な支援者の中には石原慎太郎(会長)や伊東四朗などの著名人が含まれている。勾留・収監中も戸塚はマスメディアに依頼された原稿の執筆活動や弁論雑誌への投稿、同スクール支援者団体を通じてのインターネット上での意見表明・コラム掲載などを行っており、支援団体サイト『教育再生!』には支援者による資料が掲載されている。
社会的影響
同スクールの遭難・行方不明・傷害致死の事件が大々的に報じられた当時やそれ以降、同スクールは激しい非難に見舞われる一方で、「不謹慎ネタ」として扱われる傾向も見られた。俳優の山本太郎が、かつて箕面自由学園高等学校在学中に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出演した際、グループ名を「アジャ・コング&戸塚ヨットスクールズ」とした。戸塚が逮捕された1983年に開催された、日本テレビ系クイズ番組「第7回アメリカ横断ウルトラクイズ」の第8チェックポイント・レイクパウエルでは、「クイズヨットスクール」を実施している。また戸塚自身のキャラクター性も一種の話題性から報道番組ではなく『ムハハnoたかじん』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめバラエティ番組のような娯楽を主題とするテレビ番組にゲストとして招かれていた。
講演「私の脳幹論」
戸塚は、2014年11月28日・29日に開催された「第27回日本総合病院精神医学会総会」において、「私の脳幹論」と題する講演を行った。 この中で戸塚は、「脳幹論」と「本能論」について、「脳の構造が、脳幹部・辺縁系・新皮質と三段だから、やっぱり精神も3つに分かれますね」「脳幹部で処理された情報が辺縁系へ来て、そこでまた細かく処理される」ことが「本能」「本能論」とは「理性の目標を本能と一にする」ことであり、「本能と目的を違(たが)えてつくった理性は悪」と説明し、「恐怖の使い方が進歩するか落ちこぼれるかの境目」「恐怖を安定に持っていくトレーニングをする」ことで、子どもに「進歩の能力」が身につく「人にとって一番大きい恐怖というのは、生きるか死ぬかの時に発生する恐怖であるから、そのときに「生きよう」とする、そういう能力をつけてやればいい」などと述べ、体罰によって訓練生へ恐怖を植え付けることの正当性を主張した。 また、「幻覚がある場合、トレーニングをすれば統合失調症の場合は悪くなっていくから、それで判断でき、そのときに初めて、精神病として扱えばいい」と述べ、精神疾患の診断と治療よりも戸塚の提唱する「トレーニング」が優先し、それによって症状が悪くなってから医療を受ければいいという見解を示した。
これに対して、日本児童青年精神医学会の理事会は、
戸塚氏が、戸塚ヨットスクール事件に至る理論的背景であった「脳幹論」を当時と変わらずに主張し、それがいまだに死傷者を出現させているにもかかわらず、恐怖を与えることの正当性を主張していることを、精神医学に携わる者は無批判のままに放置しておくべきではない。「脳幹論」(「本能論」)自体が何ら医学的根拠を持つものではないにもかかわらず、医学雑誌である「精神医学」に無批判に「私の脳幹論」が掲載されたことは極めて問題戸塚氏は、医療を提供する立場ではないが、「脳幹論」(「本能論」)に示される戸塚氏の考え方が、朝田氏が期待するように「これからの皆様の臨床の中で活かされることがあれば」、それは私たち精神医学の臨床現場への重大な破壊行為
戸塚宏氏は、「脳幹論」を掲げ続け、以前の戸塚ヨットスクール事件と同様の「トレーニング」を繰り返し、死傷者を出現させている。戸塚氏の講演録を無批判のまま医学雑誌に掲載することは、子どもの最大の利益に反するものであり、精神医療に携わる者にとって許されるものではない。などとする声明を発表し、また、本講演の主催者である日本総合病院精神医学会の理事会も、本学会理事会は、戸塚氏が過去の暴力による体罰とその重大な結果について何ら反省を示していないこと、用いられている疾患概念等は精神医学の正しい理解に基づいたものではないこと、したがってその内容は本学会の見解とは全く相容れないことを全会一致で認定した。
このような講演が学会総会のみならず誌上で公にされ、結果として本学会が戸塚氏を支持しているかのような誤解を与えたことを遺憾とし、これまでおよび現在の戸塚氏の主張や立場を断じて容認しないことをあわせて表明するものである。本学会は、これまで通り「子どもたちに対するいかなる虐待も許さず、子どもの人権を守る」立場を堅持することを再確認し、総合病院における臨床実践を通して児童青年の精神健康の増進を図ることを宣言する。などとする声明を発表した。
Anger as brutal teacher is freedhttp://www.independent.co.uk/news/world/anger-as-brutal-teacher-is-freed-1536602.html
THE mother of a Japanese student who was killed by his teachers says she is shocked at the leniency of the judgment on the headmaster, who was given a suspended sentence after being convicted of manslaughter, and hopes the public prosecutor will appeal. Two students were beaten to death by teachers and two others drowned while trying to escape from Totsuka Yacht School. The prosecution had demanded a 10- year prison sentence for the headmaster for using 'excessive violence' at the school. 'I was shocked by the sentence,' said Sonoko Ogawa, the mother of Makoto, one of the boys whom the court found had died from beatings administered as punishment by teachers at the school in Aichi prefecture south of Tokyo. In a post-mortem, her 12-year-old son's body was found to have 144 external wounds, and his wire teeth brace had been smashed back into his throat. 'I had to walk out of the courtroom when I heard the sentence,' said Mrs Ogawa. The four students, aged between 12 and 21, died between 1979 and 1982 at the yacht school, which was set up to deal with emotionally disturbed pupils and routinely used corporal punishment as a corrective measure. The use of excessive violence in Japanese schools has been frequently criticised. Last year the headmaster of a school in Hiroshima prefecture in southern Japan was indicted for locking two students into a metal container in summer, where they both died of heat stroke. Even after he was found guilty on four counts of manslaughter on Monday, the headmaster, Hiroshi Totsuka, defended the violent regime in his school. 'Corporal punishment is part of education. I don't regret what we did,' he said.
'That teacher must have mental problems,' said Mrs Ogawa. 'He was smiling all the time - it is unbelievable.' She described how she went to the hospital, but was not allowed to see her son's body because the doctors said it was too mutilated. He had died only eight days after entering the school. Mrs Ogawa still feels bitter about Mr Totsuka, who has never apologised to her for her son's fate, and continues to run the yacht school. 'I can't believe the school is still operating,' she said, adding it was 'obvious' that the public prosecutor should appeal against the headmaster's lenient sentence. In explaining why he was giving Mr Totsuka a suspended sentence, Presiding Judge Hiroshi Kojima said the school had stopped using corporal punishment since the deaths of the four students, and therefore there was no risk of the same thing happening again. He said the punishments meted out were 'severe', but were 'largely legitimate' as 'treatment or reform of the trainees'. He also gave suspended sentences to nine other teachers at the school. The Japanese press strongly criticised the judgment, which the daily Mainichi Shimbun called 'ridiculous'. In an editorial, the Mainichi said 'we must not forgive any action which sentenced someone to death . . . Even if children have some problems inside their hearts, one must remember their dignities as human beings.' The daily Ashai Shimbun published a letter written by one of the students to his parents shortly before he jumped off a yacht at the school and was drowned. 'This is not a society of human beings,' he wrote. 'Every day I am beaten. I am treated worse than an animal. Father and mother, please take me home.'
以下、不当に「やったもの」は必ず倍以上になっていつか「返ってきます」。戸塚氏にしろ義家ヤンキー「大先生」大臣サマなどもいつしか、何らかの形で「天誅」は下されるのが。「ユニバース」の共通する普遍性だといえるでしょう。元日本「国民」の「ガイジン」だからこそいえるかもしれません。
歴訪2012年・忘れられない小学校卒業式(1979年)2016・7・3
ホンマ、もう忘れてしもうたようなん思いだしてばっか(四国のさる地方方言・中学2年から約半年)。
私はひどいガキだった。「悪童」なんてかわいげのあるものじゃなく、(残念ながら)ずるくて卑劣極まりない最低人格(この惨めな本質は(ひどいもんでした)海外に出た後も基本的には変わっていなかったと思います)。札つきの嫌われ者。地元で有名だった「障害者」の男性を、執拗にからかって殴られたこともある(「抗議の電話」もかかってきたほど=しかし、その後もまったく反省せずに繰り返した)。おおぼら、うそつき、陰険な弱いものいじめ及び立派な少年「ヤクザ」予備軍。
年上もバカにしたり弱いのはぶっとばしたりもしてた。だから当然「仕返し」が来るのは当たり前の話。なんの文句も弁明もありません。
雨の午後・公園:
およそ40年・・・川崎とおんなじでまだ新鮮(でもふだんはまず思い出したことはなかった)。 「卒業式」の頃は、かなり落ち着いていた。ボクシングをはじめて勉強したりもときどき。もう疲れてました。かっぱらい、喫煙、路上駐車あらし(何度も捕まった)、ゲームセンターでのケンカなどなど。校長に親といっしょに、よびだされてばっかり。しかし「殴った側」が忘れても「殴られた側」はそう簡単にはいきません(どうでしょう)。とかく日本人の少なからず「踏みつぶした足の感触」より「踏まれた痛さ」に走る傾向。ともあれやっと苦痛の日々、小学校が終わってほっと一息。家に帰るとすぐ電話がもう一人のやつからかかってきた。
「やべえ、ピンチだよ・・・3時までに校門にこいって・・・」。
もう覚悟していたけど。合計4人、生意気が特にひどかったわれわれ。1人迎えにきた。行ってみると公園があふれんばかり。30人以上いたんじゃないか(回想・・・)。中学生たち。
まあ、ドロ雨にまみれて殴る、蹴る、リンチ。それからたまり場に連れて行かれて正座させられて。えんえんと説教と脅しでみっちりやられた。3~4時間後に家に帰らしてくれた。(私への仕返しはまた別ながら=もっとも憎まれていた=恥ずかしながら、当然です)下から下へ、その1学年うえたちはその上にやられたばかり(要するに「戦中」とほとんど変っていない構造)。
発覚と謝罪:
けれど一人のやつが親にばらした。1週間くらいたってから、中学の教師につれられて5~6人の目だったのが謝りにきた。
それからもまだまだいじめは(当然のツケ、やったものはいつか返ってくるもの。復讐だからしょうがありません)中学に入ってからも続いたけど。
現在から:
このまま「反省」して、良い人間にでもなっていればまだしも(現在からみて(腐りきった性根)、誰だろうと殴りたくなる気持ちがわかりすぎるほどの問題児(それも汚く、卑劣)でした)。苦しいながら、反対の結末。後悔先に立たず(音楽室の椅子に「1-5山田、死んでいい」+クラスの暖房に「山田死ね」と書かれたほど(ここまで憎まれるのも、よく理解できます)=以前より、一層ひねくれたわがまま「弱いものいじめ」ひどい人間になってしまいました(被害者の方々たち(「加害者」側の事情や弁明など無関係(真の「犠牲者」に対して自分も「犠牲者」というのは成り立たない)=なんのとがもない)には申し開きの言葉もありません(不良仲間からもあまりの「軽薄」さ(うそつき+陰口三昧)、だらしなさ(虚勢と大ボラ・無神経=悪口雑言+各種習い事などもなにひとつ長続きしなかった)、不誠実(無責任と裏切り+約束やぶり)で小心(臆病)な無頼漢ぶり(いいところなんか何一つない)に目をひそめられてた)。今もこうして、重く被さっている(取り返しがつかない)のはいわば「天誅」だと理解しています(本当に悪くひどい人間でした。再び「自らの行動=責任」「やったこと」のつけ=当然のこと)。正当化はいかなることを用いても、できません。「悔いる」「反省する」、そして「謝罪」したり「頭を下げる」なんてのは当然のことながら(できるならみなさんに詫び、補償したいです)その程度で済まされる次元ではないです。
総括として上級生たちを全然うらんでない(あの多摩川のも)。両親(心底憎悪(悪夢)軽蔑(共依存ナルシシスト(異常者)→毒親(老害+ご長男サマ(特にお前だ)つき(うそつき、いいかげん、過干渉、グチ&文句(近況、身の上よろず話)と自慢だけ、いじめ、無責任、不誠実+下だと思ってる人間、弱いものには(→傲慢なおしゃべり屋「会話泥棒+時間盗人」「送話器はあるが受話器がない」)冷酷で陰険な奴輩たち←「藁人形」(丑時参=血涙)俺はてめえらの「ペット」「所有物」「試作品」「操り人形」「隷属お荷物」「引き立て役」「憂さ晴らし要員」「便所」「排水口」「肥溜」「ゴミ箱」じゃねえんだこの野郎!!)機能不全家族の典型)自覚して反省するどころか(悪いとすら思っていない)、覚えてもいない(こういう類一番虫唾が走る“Old age should not be a reason not to judge”(高齢は裁かれない理由になるべきではない)「知らぬ存ぜぬは許しません」 "I do not forgive the unknown"(呪お決まり常套手段の(”下僕”相手に限られる)”居直り&逆ギレ”でもやってもらいたいもんだ怨)→地獄行き+あたしゃ「杜子春」にはなれん=「命を絶たれ」ようがなんだろうが、受けた「仕打ち」への’つけ’は必ず払ってもらう)や教師たちに殴られ、怒鳴られ、嘲笑われ、侮辱され、人間性をへしおられるような罵声をあびせられた。そっちの方が本当につらかった。「学校」(できれば行きたくなかった=しかし「義務教育」)「教師」と「家族」ほど嫌いなものはなかった。保守反動小学校(旧軍隊式⇒「行進」「整列」(「気をつけっ!」「前へ習えっ!」「誰だっ!フラフラしてんのはっ!」「回れ右っ!」(拡声器で)ののしり・怒声+懲罰付き)「鼓笛隊」(「錨を上げて」こればっか(悪夢))=「左っ!左っ!全体とまれっ!イチニッ!」(朝礼台に仁王立ちになって、マイクでわめきちらす)どうこう)=暴力方針(独裁校長)⇔「(小学校六年生→)男なら逃げないで、かかってこいよ(体育会系、屈強の男、担任教師)」ビンタ・ゲンコツ・ケツ叩き・まわし蹴り・投げ飛ばし・飛び蹴り(突然、後ろから背中に食らったこともある(小学校三年生、’運動会’の練習中)→「ふざけてるとケガするぞ」(銀縁メガネ・ジャージ姿の小柄な中年男性教師。おとなしそうな外見にそぐわぬ、無慈悲さで有名な「暴力教師」だった)=こういうのも「教育熱心がゆえに」?(嘲笑))など日常茶飯事(当時はどこでも「程度の差」だけで、特殊でもなんでもない)女子は渾身「腿っつら」ビンタ(体育着)=真冬の朝礼時)だった(中学も暴力教師(ヤンキーねえちゃんたちの「顔面」にもパンチ)は少なくなく=むろん、殴られたけど)。
Peace fellas!!平和・Against 暴力制裁!!(これまた’官製’用語「体罰」(なんら’体’で’罰せ’られるいわれはないはず)DV(なんて使うのはやめましょう。「家庭内(夫婦間)暴力」「虐待」とするべき)。
子どもたちや女性を殴ったりしないで☆平和祈願☆老人をカモにしないで☆敬老「我が国」(民族の)誇りだったはず☆インチキ「帝国主義」「命令者」打破(^_-☆
追記:こういうものは「当然」の報いとして「反省」の材料に使うのが最適だと考えます。
ー日本は今、「台風」の時期だと聞きました。私は「地震」とおなじく、もう実感としては忘れてしまいました。年々巨大化して手がつけられない自然災害のほとんどすべてが「人災」であります。
ーそして「原発事故」や「ウラン弾」も含め、一番の犠牲者になるのは常に「弱いもの」「下のもの」。おえらいさんたちは前面に置き去り「いけにえ」にしてさっさと逃げてしまうからです。「核シェルター」「海外逃亡」なんだって「おカネ」と「権力」があるやつらはそうは簡単に死にません。旧皇軍の礎「鴻毛よりも軽い」と厳命された「コッパ臣民・国民」の命はどう変わったのでしょう?
ー「70年前」が大好きな方々ですので、基本的には「兵器」や「軍事力」「技術」の進歩なり発展はあまり関係ない。「斬込み」「献身攻撃」「万歳突撃」「自爆特攻」・・・「ゼロ戦」だ「戦艦大和」だと大喜びして映画なんぞみている方々が真っ先に死ぬことになる。「作ってる人」「画策している人」「命令する人」誰が死にましたか?ヒロヒト、皇族、東条内閣の元閣僚たち(岸信介、賀屋興宣など)、辻政信、服部卓四郎、そしてそれらの末裔小泉サン、安倍サン、麻生ナチ殿下・・・こういう人たちは自分が死ぬなどとは思ってない代わりに、みなさんが死ぬことなど屁とも感じていません。
ーこういう方々と上の方でふんぞりかえってる「超格差社会」の仕切り屋たちは、一体何をみなさんに与えて下さいましたか?「貧しくなる自由」「役立たずは早く死ぬ権利」「24時間労働と過労自殺」そんなくらいでしょう。
まあ、こればかりはどうにもなりません。微力ながらこれからも「がんばれ日本!」「負けないで兄弟・同胞たち!」「世界人類皆平等!」「下意上達!」平和祈願☆有力出力☆『One Step Forward, Two Steps Back 一歩前進、二歩後退 Шаг вперёд, два шага назад』(LeninレーニンЛенин)⇔”二歩前進、一歩後退”☆一得一失☆ くじけないで下さいね!!Sammy from Canada with lots of love!!(^_-☆ Peace☆平和 2016年7月