日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

" שוקון! "《 Shokun! 》『諸君!』是 Bungeishunju(株式会社文藝春秋) 每月出版的民意雜誌=Jesaja Bendasan(いざや、便出さん?)自称「ユダヤ人」対Кацуичи Хонда(本多勝一)②+Lobsang Rampa(ロブサン・ランパ)

" שוקון! " 『諸君!』הוא מגזין חוות דעת חודשי בהוצאת Bungeishunju(株式会社文藝春秋) . פורסם ב -1 בכל חודש (25/26 בסוף השנה, בעבר 2.3 / חודש). בזמן השקתו היה זה "קימי-קון", אך הוא הפך ל"קיו-קון ! "מגליון ינואר 1970. [1] מערכת העריכה הייתה קטנה, עם 5-7 חברים בלבד. הגיליון האחרון של גיליון יוני 2009 מושעה. עורכת הגיליון האחרון היא הירוטו אוצ'ידה.

山本七平 (Yamamoto Shichihei, 1921年 ( Taisho 10),1991 年12月18 日至( Heisei 19 ), 12月10日 )是日本 评论家 。 山本书店店主。 作为评论家,他主要在太平洋战争之后在保守的 大众媒体工作。关于最初被称为日本人和犹太人的作者,山本指出“我没有版权,因此, 根据版权法,我不是作者的概念”。我从未否认自己是日文和犹太人的编辑或某种意义上的作曲家 。” 后来,由PHP Institute于1987年赞助的一个研究小组解释说:
当我开办山本书店时,我经常在帝国饭店的大厅里进行手稿校对 ,在成为弗兰克·劳埃德·赖特(
Frank Lloyd Wright)的发烧友之后,我遇到了约翰·约瑟夫·劳拉(John Joseph Laura)和他的朋友Minsha Hollensky。我走近了 在三人带上各种材料并进行交谈的同时,为什么基督教没有传播到日本,这是由“日本人和犹太人”撰写的一本综合著作 。 至于以“卖主太阳”(Vendor Sun)的名义创作的作品,霍伦斯基和山本(Yamamoto)是压路机离开日本后的联合制作。 劳拉(Laura)是美国马里兰大学的教授,曾来日本为海外美军学习,并代表本达山(Bendasan)参加了1972年大矢社一小说奖颁奖典礼。 Hollensky是维也纳出生的犹太人,拥有专利工作,他的妻子是日本人。身份=目前,可以肯定的是本田山的身份是山本七平(Shichihei Yamamoto) , 山本書店的所有者,“日本人和猶太人”的出版商,並且被以本田山的名義稱為該作品的日語翻譯。你呢 在對山本和他的密友渡邊昇一的雜誌採訪中,山本本人回答了渡邊的問題並予以承認。 有一個很強的猜測,筆名的起源是“ いざや、便出さん” ,但在實踐中尚不清楚。

                雑音でいじめられる側の眼②           本多勝一
I 知識の番人にだまされるな
ー以下は、ベンダサン氏へのお答えというよりも、むしろ読者に宛てたものと考えて下さい。自称ユダヤ人としてのベンダサン氏の”論理”の進めかたが、いかに非論理的でいいかげんなものであるかは、よく理解されたと思います。どういうわけか世間では「博学」で「知識人」で「よく勉強している」といわれている人のようですが、正体はだいたいこの程度の人のようです。論破するのに特別な「知識」もいらなかったと思います。お気づきの読者もあると存じますが、前章まで、私はわざと漢字を少なくし、なるべく日常使われている言葉ばかり使い、いわゆる「権威」からの引用などもなるべく避け、たとえば小学校を出ただけだった私の両親でもよく理解できるような文章でベンダサン氏を論駁しました。こうした方法は、基本的には、いわゆる知識人から学んだのではありません。D章でふれたような、いなかの隣近所の、普通の人々や、小学校や中学の同級生や、事件記者(サツまわり)時代に接した「報道される側」の人々や、ベトナム人や黒人やアメリカ先住民のような、殺される側としての歴史の長かった人々からもっとも多く学んだように思われます。そしてユダヤ人というのは、殺される側としての歴史がとくに長かった民族の一つであることは、よく知られた事実です。アメリカ合州国にいるユダヤ人は、他のいろいろな非黒人の民族の中で、黒人運動に対して最も積極的に参加し、最も強く連帯している人々であることも、こうした歴史と無関係ではありますまい。
ーそのようなユダヤ人の側からこのベンダサン氏をみると、どんなふうに見えるでしょうか。北沢方邦氏(音楽社会学)は、去年(1971)アメリカ合州国へ行って多くのユダヤ人たちと接してきていますが、前回のベンダサン氏の「返書」を一読して、こんなことをいました。-「この情緒的な文章の書き方は、明らかに日本人のメンタリティーだなあ。むしろ典型だよ。僕の知っているユダヤ人たちは、みんなもっと論理的だし、もっとラディカルだし、反動的なユダヤ人にしても、こういう弱い論理の反動じゃないもんね。もしこれが本当にユダヤ人だとしたら、かくも見事にユダヤ人の主体性を失って日本人に同化した事実に驚くほかないなあ。ユダヤ人のツラよごしだ」
ーそう、こんな人がユダヤ人だと思われたら、正にユダヤ人のツラよごしです。もっと立派なユダヤ人がたくさんいることを、日本人としての私も、ユダヤ人の名誉のために証言しておきます。しかし、です。万一、もしベンダサン氏が、ユダヤ人を偽称している日本人だとしたら、どうでしょうか。まさかそんなことはないと信じますが、仮にそうだとすると、これほどユダヤ人を侮辱した行為も珍しいことになります。もちろん、外国人の名を偽称して、日本人についての文明批評や時評をする手法は、別に珍しいことではなく、他にいくらでもあります(例:
ヤン・デンマン斉藤十一自称「オランダ人」)ポール・ボネ藤島泰輔自称「フランス人」)③朴泰赫加瀬英明自称「醜い韓国人」+助川明(自称「ラビ・マービン・トケイヤー」)ユダヤ専門家?)。しかしユダヤ人だとはっきりいった上で、しかも実にいいかげんな”論理”を展開しているのでは、ユダヤ人の恥さらしを日本人がやっていることになるからです。
ーでは、A章でのベンダサン氏を選んだ理由のうち、書かなかった第二の理由を、ここで申し上げます。それは、すでにベンダサン氏がみずから明らかにしてくれた通り、天皇制を擁護し、侵略軍の論理を擁護する反動だから、お相手いたしました。もちろんベンダサン氏は、直接的表現によってそう告白してなんぞいません。佐藤栄作氏だってニクソン氏だって、そんな、直接的表現で告白しないのと同じことです。もし直接的に公言しているのであれば、だれにもはっきりわかりますから、お相手する必要はなくなります。巧妙に正体をかくして、かなりのインテリまでだます方法でカムフラージュしているからこそ、その正体を読者の前にさらけだすのが目的で、お相手申しあげたのです。2月号で私がベンダサン氏と「基本的に同じ」ではないと言ったのも、このことを意味します。
ー冒頭に引用したマルコムXの言葉を思い出して下さい。「私の敵の敵対者は、私にとって友人である」。ベンダサン氏は、ライオンの敵なのか、ライオンに追われている人間の敵なのか。ベンダサン氏のやっていることは、ライオンに追われて逃げている人間を、ナワでひっかけて倒そうとしている行為であることが、こうしてはっきりしてきました。マルコムXの紹介したこの古いアフリカのことわざをもじると、こうなります。-「私の敵の友人は、私にとって敵対者である」では、そのような「敵対者」の書いたいいかげんな”論理”に、どうして、一応インテリと呼ばれているような人でも、ひっかかる例が多いのでしょうか。そのほとんど唯一の原因は、彼のいわゆる「博学」「知識」(注16)によるおどしとみてよいと思います。いったい「知識」とは何でしょうか。読書による知識だけないことは、すでにD章でふれました。しかし読書による知識の類でも、知識のひとつであることは違いありません。問題を非常に単純化した例で説明します。
ー武士という職業は、殿様に雇用された用心棒であることは、どなたでも理解できると存じます。この用心棒は、殿様によって帯刀を許された武刀の専門家です。人殺しの技術を常にみがいている。「町人」や「百姓」は、はじめから帯刀を許されていないのですから、武士と正面からはりあっても勝てるはずはない。しかし、武士という用心棒が殿様を守るための武器そのもの、すなわち刀そのものは、なにも殿様を守るためにのみ作られたのではありません。これはそのまま、殿様自身を殺すためにも役立つからです。しかし、数の上では、刀を殿様やその家来に向けて使った武士はたいへん少なく、「町人」や「百姓」に向けて使った武士の方が、不幸にして圧倒的に多数でした。ごくまれに前者のような武士が現われますが、こういう武士こそ庶民の間に人気があったし、今でも映画などで人気のあるタイプ(たとえば黒澤明の『七人の侍』)は、そのような武士であります。
ーところで、右の文章の中の「武士」を「学者」や「評論家」や「ジャーナリスト」に、そして「刀」を「知識」にそっくり置きかえてみて下さい。私のいおうとしたことは、もう理解して下さったと存じます。
ー知識は、刀と全く同様、それ自体に罪はなく、それ自体はどちらにでも役立つ武器であります。問題は、その使い手にある。使い手がどちらの側に立つかによって、知識もそれぞれの側の武器になる。不幸にも、知識を専門に身につけるような人々は、もともと支配者の側から多く出てきたし、庶民の中から「立身出世」したタイプの知識人の場合は、自然と支配者へ組み込まれてゆく機構が、これまでの世界ではととのっていました。今の日本もそうです。もちろん武士の場合と同様に例外はあったし、現在もあります。そういう例外的な知識人こそ、本当に私の尊敬するインテリだといえましょう。ベンダサン氏は、そのような例外ではありませんでした。
ーベンダサン氏その他がやっているような、日本人の体質についての調査・研究の類そのものは、私は結構だと思うし、むしろ大切なことだと考えます。私は毛沢東のいわゆる「盲従分子」では全くないけれど、学生時代から彼の著作を読んだり行動を伝聞して感心するのは、あのイデオロギーとしてのマルクス・レーニンを、完全に「中国の論理」の中へ組みこんで生かしている点です。彼の真の強さは、ここにあると思っています。日本で自民党がどいうして強いかというと、もちろん財閥のうしろだてや選挙区制など多くの原因がありますが、その中の重要なもののひとつは、「日本の論理」を、たいていは無意識的にですが、選挙戦の中でよく生かしているからなのです。逆に革新政党が弱いことの原因のひとつは、日本人の心の底にあるどろどろとした「日本の論理」が、まだよくつかめていないところにもあると思います。
ーいま、日本人論ブームなのだそうです。評判によると、これはベンダサン氏の「日本人とユダヤ人」もきっかけのひとつになっているとのことであります。私たち自身の奥底を研究することは、このような意味でも大いに結構だと思いますが、その成果を、ベンダサン氏のようなライオンの側のために「知識」(それもベンダサン氏式のいいかげんな”知識”)を使うような応用のしかたで使わないようにしたいものです。また1新聞記者にすぎない私としても、「お勉強発表会」ごっごをしながら雑音を立ててくる「知識の用心棒」どものお相手は、ベンダサン氏を含めて今後もうごめんこうむり、本来のもっと重要だと思われる仕事に生涯の限られる時間を使ってゆきたいと存じます。
イザヤ・ベンダサンさん、そして『諸君!』の読者諸君、それでは、さようなら。(『諸君!』1972年4月号)
(注1)168ページ 『朝日新聞』1968年12月23日(火曜版特集)の「ソンミ事件に潜むもの」という論説記事、これはその後、拙著「殺される側の論理」(朝日文庫)に収録されている。
(注2)168ページ 『月刊ペン』1970年5・6・8月号に連載。これもその後、前記『殺される側の論理』に収録。
(注3)173ページ 『思想の科学』1970年6月号の拙文「調査される側の眼」(これも『殺される側の論理』に収録)参照。
(注4)173ページ 「合衆国」と書かず「合州国」とする理由については、鶴見俊輔『北米体験再考』(岩波新書)、加藤秀俊『アメリカの思想』(日本放送出版協会)、本多勝一『アメリカ合州国』(朝日文庫)などを参照。
(注5)173ページ ほんらいのアメリカ人であったアメリカ先住民は、不当にも「アメリカ=インディアン」(あるいは「アメリィンディアン」と呼ばれている。
(注6)このむなしい作業ぶりについては、月刊誌『展望』1970年10月号の山口昌男「調査する側の眼」という論文参照。(本書の単行本原本『殺す側の論理』=すずさわ書店=に収録)
(注7)174ページ 本多勝一『極限の民族』(朝日新聞社)412ページ下段参照。
(注8)181ページ ビクター・レコード『戦場の村』(宇野重吉・朗読)SJET-8095M参照。
(注9)181ページ 本多勝一『戦場の村』(朝日文庫)313ページ
(注10)182ページ 月刊誌『流動』1971年6月号の本多勝一『殺す側の論理』で、これらの事件とソンミ事件を対比して論じた。(本書に収録)  
(注11)186ページ ただし、ある一ヶ所についての氏名がわかっていても「氏」だけにしたところがあるが、これは全く別の理由によるものであってこの問題とは関係がない。
(注12)189ページ 第一報は野田、ここでは野田厳となっているが、本籍の戸籍係によると、「毅」が正しい。
(注13)195ページ 大森実『天安門炎上す』(潮出版社)186ページ参照。
(注14)199ページ たとえば拙著『事実とは何か』(旧版=未来社)165ページ 同『極限の民族』(朝日新聞社)278ページ上段など。
(注15)202ページ たとえば前記『事実とは何か』(旧版=未来社)302ページ、拙著『殺される側の論理』62ページ、同98ページ。
(注16)(文庫での追記)のちに浅見定雄氏(旧約学)によって、ベンダサン(山本七平)氏の「知識」そのものが実は片端から間違いであることが実証された。巻末の「文庫あとがき」参照。
                                  本多勝一様への追伸        イザヤ・ベンダサン
先便差し上げました後、しばらく考えたのですが、やはり
もう一通「公開書簡」を差上げるべきだ感じました。本多様の考え方は、結局、日本の伝統的な考え方から必ず派生してくる数種の類型的な考え方の一つであり、過去において、表現は違っても、同じ類型に属する考え方が常にあったのでー「まてよ、おかしいぞ、こういう考え方・言い方は、「天声人語」が「神風賦」(戦争中)といわれたころにも確かに読んだぞ」といった感想を抱きつつ、私あての「公開状」を拝読する結果となりましたわけです。従ってある一つの問題を捕えて、そこに表われた本多様の考え方と日本の伝統的な考え方との関連を追及するよりも、むしろ「公開状」全般に表われた種々の問題点を、いわば浅く広く、全般的に扱うという結果になりましたわけです・・・伝統的思考を説明することは非常に困難であります。あるユダヤ人は「מרטין בוברマルチン・ブーバーMartin Buberの言っているようなことは、ユダヤ人なら十歳の子供でも知っている」と申しました。この言葉は事実ですが、この「十歳の子供でも知っていること」すなわち、「自明のこと」を正確にキリスト教徒に伝えることは、やはりブーバーのような偉大な思想家のみに出来ることであって、十歳の子供はおろか大人にも到底できない、ということもまた事実であります・・・従って、この立場に立つ多くの無名の日本人は、おそらく、本多様には何の反論もできないでしょう、かつて軍部に対した時と同じように。従って、正義と不義が争うという考え方に基づき、自分は正義の側に立つと主張する人は、イザヤの言葉を忘れてはならないと存じます。従って最後にもう1度申上げますー本多様も私も含めて、「われらの正義は、(みな)瀆れた布切れに等し」。(『諸君!』1972年4月号)
          
          『諸君!』の読者”諸君”への追伸(文春編集部は掲載せず、ボツにした)本多勝一
「何かをかぶって正体を隠し」ている自称「ユダヤ人」としてのイザヤ・ベンダサン氏から、ごらんのような追伸をいただいた。この、追伸を彼がおおいそぎで書いたということ、これ自体が、ベンダサン氏のあわてふためきざまとその非論理性とを、誰にでもわかりやすいかたちで示している。従ってその内容が前回以上に支離メツレツの矛盾だらけなのも当然であろう。

ーさきの気負いたった「本多勝一様への返書」の最後で、勝ち誇った(と思い込んだ)ベンダサン氏は不覚にも書いたー「私としましては、御返事がいただけても、いただけなくても、それから十年後にもう一度「公開書簡」を差し上げたいと存じます」と。けれどもベンダサン氏は「十年後」どころか、わずか1ヶ月後の同じ雑誌『諸君!』でかかる追伸を書くハメに陥った。こういうときは、みずから宣言したとおり10年後まで黙っていればよかったのだ。いかに口惜くともベンダサン氏はそうすべきであった。しかし1ヶ月後であろうが10年後であろうが、私のほうは彼のお相手をして答えるつもりはまったくない。 先に書いたよう「「お勉強発表会」ごっこをしながら雑音をたててくる「知識の用心棒」どものお相手は、ベンダサン氏をふくめて今後もうごめんこうむり、もっと重要だと考えられる仕事に生涯の限られた時間を使ってゆきたい」と思うからである。
A カットされた文章の復活
ベンダサン氏にお相手する必要はないけれども、読者にとってはたいへん参考になるに違いない事実があるので、ここで紹介すると同時に、つづく章で解説を加えておきたい。さきの回答文「雑音でいじめられる側の眼」は、実は私の書いた全文章が発表されたものではない。『諸君!』の編集部によって一部がカットされている。そのカットされた部分を、以下に復活させよう。「雑音でいじめられる側の眼」のB章の最後に、次のような文章(400字の原稿用紙で約4枚分)があった。
ーそれから、本誌『諸君!』の編集者とも約束したことを、ここで明らかにしておきます。それは、私の文章もベンダサンの文章も、かならず、平等に、公平なあつかいをするという条件です。ベンダサンは二断組みでおおきく、私のほうは2月号のように三段組みで小さく、といった「差別」をしないこと。私の要求は、本文のあつかいや見出しだけでなく、目次のあつかいや、表紙から広告にまでおよびましたが、そこまでは「約束」ではなくて「うけたまわって」くださるにとどまりました。たとえばつぎの号の表紙に、ベンダサンの場合とまったく同じように、タスキをかけて「雑音でいじめられる側の眼」というタイトルが出るかどうか。まあこういったことを、どこまで実行してくださるか、興味ぶかく見まもることにしましょう。
ーどうしてまた、ふつうはやらないような、こんなささいなことまで私が約束をもとめたかと申しますと、本誌の性格にすこし心配したからであります。たとえば前号の編集後記をみてください。「2月号で本多勝一氏が、戦争中の日本人の残虐行為についての責任問題でイザヤ・ベンダサン氏に噛みついたら、今月号ではベンダサン氏が噛みつき返してきた」と書いています。私の記事をさきに問題にして攻撃してきたのは、だれがみてもベンダサンでした。ところがこの文章では、私がさきに「噛みついた」ことにされてしまうのです。たとえばまた、新聞にせよ雑誌にせよ、その性格は投書欄がよくあらわすものであります。前号の投書欄をごらんください。自称「評論家」だというひとが、私のことを「かつて本多勝一の『極限の民族』を読んで、彼をすぐれたルポライターだと思っていた。すくなくともあの方向に進めば、本多氏はもうすこしましな人間でありえたであろう。『アメリカ合州国』あたりから悪ノリしはじめ、『殺される側の論理』にいたっては、しょせん、一介のモノカキにすぎないと思うようになった」と書いておられます。こういうひとがいること自体は、まったく事実であります。しかし正反対に、『殺される側の論理』にこそそれまでの本以上に感動をうけたという人々がいることも、まったく事実なのです。この相反する二つの事実のうち、本誌では前者しか出てこない理由は、つぎのふたつのどちらかであるか、または両方だと考えてよいでしょう。
① たくさんよさられる投書のなかに、事実として後者のようなひとはなく、本多勝一がキライなひとばかり投書するため、反対意見をのせようにも、のせようがない。
② かりに反対の投書の例があっても、編集方針に反するので、みんなボツにしてしまう結果、ひとつもでない。
ー本誌の筆者たちを拝見しますと、たしかにたとえば藤島泰輔というような方が連載し、ハラキリ小説家についての長い連載もつづくというようなところに、ひとつの傾向を読みとることができますから、「本多勝一がダイッキライ」という投書ばかり山をなすことも、おおいに考えられます。私は、すべてのマスコミ・ミニコミはなんらかの意味である層をそれぞれ代表する機関誌だとみていますから、本誌をはじめそれぞれが独自の編集方針をもっていることはまことに当然であり、それ自体は問題とするにあたりません。ただ、右のような例によって示されている傾向の雑誌のなかで私が書くということは、すでにのべたような防 措置をあらかじめとらざるえないという私の心配も、聡明博識なベンダサンなら理解していただけるとおもいます。
B 編集者の苦闘の成果
ー右の部分をカットするに際して、編集部の担当記者は、もちろん私に了解を求めてきている。私としては、この部分が発表されることはプラスだと考えていたが、それにこだわってケンカ腰になるほど、この場合は本質的問題でもなかったため、これは編集部の「編集権」による削除であることを「明言」した上で了承した。だから決してカット自体は問題としないし、編集権というものについてもさきのF章で説明した通りである。
ーでは、なぜ、ここであえてこの部分を復活させたか。それは、この部分で私が危惧したことが、まさにその通りの姿を現したからである。まさかここまで破廉恥に編集部がやってくれるとは、同じジャーナリズムのなかにいる私自身さえ予想しなかった。感心している。この神経がなければ、ああいうゴロツキ雑誌は作れない。その手口を解説しよう。
ー原稿というものは、発表以前に編集部の人間以外の第三者にはみせないことがちゃんとしたジャーナリズムの世界では原則とされている。ところが、私の「雑音でいじめられる側の眼」という原稿を読んだ編集部は、ベンダサン氏が完璧にたたきのめされたことを知って、あわてた。なぜあわてたかというと、ベンダサン氏と私の論争においてこの雑誌は「中立」ではなく、完全にベンダサン側を応援しているからである。なんとか本多勝一をつぶしてやろうとベンダサン氏をけしかけた、ところが反対にやられてしまった。大変だ、どうしようか。そこで編集部は、原稿を「第三者」に見せて相談した。その第三者は、たぶん複数であって、もちろんベンダサン氏も含まれていると私は推察しているが、見たという証言を得ているのは現在のところひとりである。
ーこうして鳩首会談の結果とられた措置が、サンドイッチ方式であった。第1図を見ていただきたい。これはそのときの目次である。三つの論文をかこみ、中央に私、左右からそれを攻撃する文章を特集している。掲載もこの順序になっていて、つづけて読んでいけば私の論文の効果が(編集部の意図によれば)薄まるハズになっている。「見事」だと思う。この雑誌を出している会社の経営者がもし反動体制側であるなら、この編集者はきっとバッテキされ、「出世」するに違いない。そのサンドイッチの右側で書いているのが、10年後に公開書簡を書くハズだったベンダサン氏である。しかも、この討論は一号一篇、つまりキャッチボール方式で、1月号がベンダサン氏、2月号で私、3月ベンダサン、4月号私・・・という順序のはずだった。ところがこの場合、あんまりあわてたので、この原則を破ってまで、急遽同じ4月号に、ベンダサン氏の「追伸」を出している。
ーでは、前章の復活部分で私が編集者に求めた「公平な扱い」が、こうした背景でどこまで果たされているかを検討してみよう。まず本文の組み方、これはたしかに、それまでの不公平な差別あつかい(ベンダサン氏は派手な二段組み、私はそれよりポイントの小さい活字による三段組み)をやめて、私の文章も同じポイントによる二段組みになった。しかし、それ以外の点はどうか。表紙から見てみよう。3月号ではベンダサン氏の文章のタイトルが、単独のタスキがけで「本多勝一様への返書」と花々しく登場する。ところが4月号の私の場合だと、タスキがけとは程遠い扱いで、しかもベンダサン氏のタイトルと並べて、しかも彼に次ぐ2番目に、しかも他の無関係な3番目のタイトルとともに並べられているだけ。しかもこの差別は、新聞広告にまでそっくり適用された。
ー目次についてはさきにふれたとおり。掲載の位置も、3月号(ベンダサン)は2番目、4月号(私)は半分より後。さらに、本文の冒頭部分をここに示した第2図、第3図を見ていただきたい。右が3月号(ベンダサン)、左が4月号(私)である。タイトルの活字からして、ベンダサン氏の方が大きいだけでなく、なんともまあ、この目玉の違い。大先生の方は、いかにもオッカナイ目をギョロリとさせて貫禄十分だが、私の方は、小さくて、貧相な、しかもメガネときている。『諸君!』の読者諸君!もう、これ以上いうことはないであろう。このゴロツキ雑誌の編集の見事さにたくさん拍手を送って、今後とも激励してやってほしい。
C 編集される側の論理=編集者と接する法
ー編集権とはどんなものか。以上の実例によって、具体的に、露骨に、御理解いただけると思う。前にも書いたように、これは全く当たりまえのことであって、どのようなマスコミにもミニコミにも、いわゆる不偏不当とか、客観的報道とか、均衡のとれた記事とか、そういった「公平なジャーナリズム」などは、かつて一度たりとも、世界のどんな国にも、あったためしがない。(このあたりの議論については、拙著「職業としてのジャーナリスト」<朝日文庫>を参照。)どんな雑誌も新聞もテレビも、その経営者に属する編集権によって支配されているのだから、それぞれに「偏向」している。表面上それが露骨に出るか出ないかの差があるだけだ。この『諸君!』などは極端に露骨に出ている方だから、こうした実例として挙げているのに適している。
ーすべてのジャーナリズムがこのようなものであることを知った上は、それと接するときの心がまえも、おのずと理解できるであろう。たとえば天皇制復活を擁護するベンダサン氏などと公開討論をする場合、それに反対する論者は、できれば『諸君!』のような土俵にはのらない方がよろしい。反対者を擁護してくれるような編集者のいる他の雑誌で書いたほうがよいだろう。あっちはあっちの土俵で、こっちはこっちの土俵でやる。これが「公平な」討論というものである。そんなことはよくわかっているのに、なぜ私が「あっちの土俵」でベンダサン氏のお相手をしたのか。それは、それでも十分に勝てるという見通しと自信があったからである。一般的には、これはやらないほうがよい。
ーこんどのような場合は、形としてはあくまで筆者の主張がそのまま出ているが、これがテレビや新聞や週刊誌となると、編集権はさらに猛烈なことになってくる。なぜかというと、その取材の段階からして、すでに記者による編集権が行使されるのだから。戦争中、中国の山東省に派遣されていた旧日本軍第59師団の藤田茂師団長(中将)は、去年NHKのインタビューを受けた。七・七事変(盧溝橋事件)の記念番組だった。藤田氏は中国の人民解放軍の強さについての実態について、2時間半ほど語った。ところが、放送されたのはそのうち3分間ほどで、しかも藤田氏の強調したかったところは全部カットされていたという。
ー佐藤栄作氏は、しがみついていた政権の座からおりざるをえなくなったとき、新聞に悪態をついた上で「テレビは事実を報道するから」と、NHKをほめたたえた。正にその通り、テレビは事実をありのままに写す。右の例でも、藤田氏の録音された声は、どこをカットしようと、たしかに事実であろう。けれどもその事実は、編集の方法によっては正反対にすることもできる。佐藤栄作氏がどんな密約をしてきたかという事実は、テレビはちっとも報道してこなかった。佐藤栄作氏にとっては、むしろNHKがこの意味で「事実を報道しないから」こそほめたたえたのだ。
ー私が3年ほど前にアメリカ合州国のニューメキシコ州を訪ねたとき、タオスの町で地元新聞の記者からインタビューを受けたことがある。ここにはタオス=プロブロとよばれるアメリカ先住民(いわゆるインディアン)が多く、白人たちによって奪われた聖地をとり返す運動をすすめていた。インタビューに際して、私は先住民の主張は全く当然であることを強調したが、出た記事をみると、私が強調したこの件以外のことばかりくわしく出していたものだ。それではこのように編集される側、報道される側としては、編集者や記者にどう対処すべきかについて、参考までに私見を出しておく。
① まずそのテレビなり雑誌なり新聞なりが、どういう立場なのかを調べる。たとえば『諸君!』であれば、だいたい右翼論理誌であることなど常識だ。これが誕生したときのいきさつなど、編集者仲間ではよく知られている。同じ右翼論壇誌でも、「自由」より少し程度の低い層を代表しているらしい。
② 調べた結果、その雑誌や新聞が全く「敵の土俵」であることがわかったら、無難な方法としては、一切無視して相手にしないことだ。ノーコメント。取材拒否、面会拒否、電話応答拒否。自宅まで来て去らなかったら住居侵入(刑法第130条)または軽犯罪法(第1条28項)で110番。
③ 大局的には「敵の土俵」であっても、表面的には「均衡のとれた」マスコミの記者個人の中には、明らかに良心派もいる。毎晩「君が代」を放送しているNHKでも、尊敬すべき個人がいることは私自身よく知っている。そうした個人を通じて、報道される側、編集される側の意図がかなり出せるのであれば、場合によっては協力し、利用すべきかもしれない。しかし決してだまされ、利用されてはいけない。そのためには・・・
④ できればその記者個人の、過去の仕事を調べる。
⑤ それが困難で、かつ「良心派」ではあるらしいと認められる場合は、次の条件で取材に応じる。

(イ) テレビやラジオであれば、編集されたものを放送前に見させる。(きかせる)
(ロ) 新聞や雑誌であれば、ゲラ刷りの段階で検閲する。(電話で読ませてもいい)。この場合、当人の語った言葉そのものは正確であっても、他の記事との組み合わせによっていくらでも悪意ある編集ができる点に注意すること。
(ハ) しかし、とくに日刊紙のような場合は、実際問題として検閲はむずかしい。その場合、取材した記者に、発言の主旨が曲げられないような誓約書を書いてもらう。できれば信頼できる第三者に立ち会ってもらい、発言を録音しておく。
以上のような措置は、ともかくその担当記者が誠意ある、かつこちら側に立って取材してくれていることが認められる場合での話であって、そうでなければ一切を拒否するのが無難であろう。
ーけれども、マスコミの裏面に一般の人々がくわしいはずはないために、悪辣な編集者や記者の手にかかれば、シロウトなどはごく簡単にだますことができる。したがって、わずかなりとも疑わしい点がありうる相手との対応は、すべてテープレコーダーと共にするにかぎる。(ハ)で「記者に誓約書を」と書いたが、編集責任者は「現場の記者や末端の編集者が書いた誓約書など、責任を持たない」などというのが定石であろう。
ーまず、事実に誤りがあるかどうかを検討する。誤りといっても大小さまざまだから、一番いい方法は、最高裁判所が『朝日新聞』に対してとった実例をまねることであろう。即ち、「事実に誤りがあるから、取り消せ」と要求する。取り消し文または謝罪文は、もちろんこちらで作成し、相手が了解したら、その掲載位置と大きさもこちらで指定する、最高裁の方法の特徴は、「どこが誤っている」とこまかい指摘は一切しない点だ。とにかく誤っている。どこが誤っているかは、書いた側に責任があるのだから、勝手に調べよ、ということである。その結果、「朝日」が出した取り消し文は「最高裁に遺憾の意を表明」という見出しで、本文は次のようなものだった。
 最高裁判所事務総長から4月23日付週刊朝日の「最高裁裁判官会議の全容」および同13日付朝日新聞夕刊の「責任拒否の内容」の記事について、その内容が全く事実に反するとして取消しと陳謝を求めてきた。これに対し、朝日新聞社は、週刊朝日については、事実に相違し、表現上も穏当を欠くものがあり、また本紙夕刊については誤りがあるので、遺憾の意を表明した(1971年4月28日朝刊から)
ー最高裁のやり方が面白いのは、責任はコトを起こした側にある点を突いているところだろう。勝手に書いたのはそちらだ。従って誤りの部分をいちいち指示することによって、こちらが相手に協力することはない。しかし間違いは間違いだ。裁判で争うのなら争ってみよ、ということである。たしかに、もし書かれた側が誤りの部分をいちいち指摘しなければならないとしたら、デタラメの記事をまずぶち上げておいて、それを次々と訂正することにより、結局は書いた側が目的を達することもできるだから。それに、こまかな誤りをいしひちいじくりだすと、手続きとしてもわずらわしく、相手のペースに乗りやすい。ともかく事実誤認があったら、最高裁方式をまねて、朝日方式の謝罪文または取り消し文を出させるのが、最もかんたんで、かつ効果的といえよう。
ーそのとき、謝罪文または取り消し文の責任者として、普通は3人が考えられる。担当編集者(または記者)・編集長・会社の最高責任者、これらすべては、固有名詞を出さなければならない。卑劣な担当編集者の氏名も、もちろんである。
⑦ 右の場合、名誉毀損をともなっていることが多いものだが、事実の誤りが全くなくても、たとえばプライバシー問題にふれたりしてひどい名誉毀損を犯している例が、とくに週刊誌などによくある。この場合も、まず全面的な取り消しをこちらの指示する方法で行うよう、要求すべきであろう。⑥の場合にせよ、この場合にせよ、弁護士を通じてすすめることが大切だ。
ーただ、裁判というものに関係するとき、肝に銘じておかなければならぬ基本的な認識がある。それは、資本主義社会での法律がすべて独占資本側とその権力に有利にできているために、常に加害者に有利な構造となっているの点だ。近代以前であれば、いわゆる自力救済権の行使、つまりカタキウチや決闘によって被害者が気分をせいせいすることもできた。現在の資本主義社会では、たとえば名誉毀損にしても、書かれた側の気がすむほど十分な、完全な仇討ちはできない仕組みになっている。このことをよく認識した上で、相手にいかに大きな痛手を合法的に与えるかを(結局は金額の問題になることが多いが)よく調べるべきだろう。また、基本的にこうだからこそ、さきに述べたような、①から③までの注意深い予防措置が第一なのだ。こうすることによって、悪質な編集者や記者に、これ以上あなたにかかわることをあきらめさせる戦術なのである。
⑧ こうした方法で相手が屈服しないなら、いよいよ告訴(または提訴)にふみきる。録音してあれば、このときにたいへん役立つであろう。告訴(提訴)することに決めたら、よほどのことがないかぎり、示談になど応じてはいけない。断乎たる態度を貫いて勝訴する。敵は告訴ズレしている場合が多いから、いろんな人の参考意見をきき、良心的弁護士とよく相談しよう(注)。
ー以上は、まだ「告訴ズレ」していない私が、思うついたままに並べた結果である。いずれもっと取材して、この問題について独立した文章を出したいと思っている。あくどい反動編集者や反動記者に「編集される側」「報道される側」のために、ここで、とくに「編集される側」にあるライターたちは、たとえばルポ=ライターや小説家や詩人や評論家や学者のために、一言いっておきたい。それは「物書き、作家、文士、いうたかて、そんなもの、原稿売ってメシ食うとる。ということはすべて、お女郎・芸者が芸を売り身を売るのと同列」(田辺聖子『ああカモカのおっちゃん』(文藝春秋)より)ということだ。たとえば、1人の高名なる進歩的な小説家がいるとしよう。彼が現在にいたるまでには、ほとんどかならず、大出版社なり大企業なりの世話になっているだろう。もしその大出版社が、出版界でもとくに反動性の著しいことで定評がある場合でも、その進歩的小説家がかつて世話になった所であれば、自分のベストセラーを次々と反動出版社から出すことになる。現在の彼であれば、たとえ小さくても良心的な出版社からだすことができるにもかかわらず、いつまでも反動大出版社を助けつづける・・・。やがて使い古され、役立たなくなれば、「お女郎」と同様に捨てられる。
ーなぜこういうことになるのか。その最大の原因は、独占資本側が編集権を押えているからである。すなわち、反動体制側は、進歩的小説家や良心的ジャーナリスト個人を押えておく必要は全くない。経営権の一部としての編集権さえつかんでおけば、「お女郎」を扱うのと同様に、なんとでもなる。ライターたちは、ホサレルことがこわさに、編集者に直接おべっかを使い、あるいは「キライだ」と叫ぶ一方で色目を使い、要するに断固たる拒否の姿勢はとらず、のらりくらりして、結局はお座敷がかかるのを待っている。しかもなるべく大きな、なるべき「権威」ある出版社からのお座敷を喜ぶ。
ーこういう姿勢でいるのでは、編集者によって不当な取り扱いをうけ、作品が侮辱されても、正面きって闘うことなど、いつまでもできないのだ。「おれはこう言ったんだが、編集者が曲げたんで・・・」などと、陰で不平をならしているかなしき「お女郎」たち。アメリカ合州国ていどの、真にフリーといいうるライターが育つためには、やはりライターたちももう少し闘うべきだと思う。日本の出版やジャーナリズムの世界は、他の業界に比べても前近代的であることは定評がある。このままでは、ライターという「お女郎」たちは、いつまでも、好きなように、編集され放題であろう。
(注)245ページ 数ある弁護士の中には、勝っても負けても「かせぐ」ことに重点を置き、敵側とウラ取引きする例さえある。できれば契約の方法として「勝てばとった全額を報酬として支払うかわり、負ければ報酬ゼロ」とすれば、弁護士の真剣度も違ってくるであろう。
D『諸君!』の3人の読者から
ーさて、ここに『諸君!』の読者諸君より私あてに来た投書の中から3通を紹介したい。しかしこの3通の筆者は、この雑誌の定期購読者とは考えられず、ベンダサン氏と私との論争だけに興味をもって、それが出た号だけ買った可能性がある。この雑誌の投書欄には、A章で指摘したような背景によって、とうてい登場できないような内容だから、編集部が全力をしぼって応援しているベンダサン氏を小馬鹿にしている読者の投書が、どうして採用されようか。・・・(注)はじめの2人の方、ちょっと後回しにします(ご了承ください)サム
三つ目は、調布市の一寸木俊昭さんのお便りから、実は、私が「雑音でいじめられる側の眼」の中でふれた先輩ムスレムの「法政大学のある先生」(H章)とは、この一寸木さんのことである。ベンダサン氏の文章にイスラームにふれた部分があったため、一寸木さんはムスリムの先輩として、いわば援護射撃をしている。
                <一寸木俊昭氏の手紙から>
最近、ある事情で『諸君!』なる雑誌を手にしましたが、そこにベンダサンなる人物の「本多勝一様への返書」なる記事を読みました。私は、あまりこの種の雑誌になじんでおりませんので、ベンダサンなる人物と貴兄との「論争」の経緯や細かい論点はわかりません。しかしそのなかにイスラームに関する個所がありましたので、余計なことかもしれませんが、ムスリムなら次のように答えるであろうという、一つの「反論」を考えましたので書き記す次第です。
○ 割礼はムスリムがユダヤ教徒から影響を受けた風習で、そのことをユダヤ教徒たるベンダサンなる人物が知らないのはおかしい。またムスリムがすべて割礼をしているわけではない。
○「ラーイラーハイッラッラーフ ムハマダルラスールアラー」(アッラアの外に神なく、ムハマッドはアッラアの御使である)というカリマを唱え、それを信ずれば、その人はムスリムです。たとえ泥棒でもカリマを唱え信ずればムスリムなのです。ちなみに貴兄も御存じのようにイスラム圏にはコソ泥は沢山います。だけどかれらはムスリムです。
○ ムスリムの戒律を守っているかどうかをムスリム以外のものに聞かれる筋合はありません。よきムスリムかあしきムスリムかは、ムスリムのなかでムスリム同士が問題にすることです。いわんやユダヤ教徒がそんなことをムスリムに向っていうとは言語道断です。

○ カリマを唱え信ずれば、いついかなるときでもムスリムです。
○ 貴兄が書いたという文章「以前アラビア遊牧民・・・有効な手段だったと思います」についていえば、そういうことは大いにありうることです。仏像を盗んで仏の道に入り、イエスを迫害した人物がイエスの教えに転向することもあるのですから、動機が純粋でなければよい信者にはなれない、また信者ですらないというのは、やや日本人的ケッペキ感にすぎます(この考え方のベンダサンは日本人くさい)。

○ カトリック教会で洗礼をうけ云々は向う側の問題設定ですから問題にする必要はない。またムスリムになった以上カトリックの洗礼をうけるはずがない。この道理をベンダサンが知らないというのもおかしい。架空に自分がつくった落し穴に架空に相手を落し入れて、それで相手をやっつけたと思うのは、きわめて幼稚な考えです。この点は貴兄とベドウィンの関係についての記述-「本多様のベドウィンの書き方からそう考えたにすぎませんが・・・おそらくあたっていると思います」-も同様です。
ー以上、イスラームに関するベンダサンなる人物の記述に対する1ムスリムの「反論」です。私が考えているとおりに貴兄も考えよとはいいません。あくまでも参考までのことです。日本のムスリムは非常に弱い。大いに声をはり上げて反論したい。しかしアッラアについて他教徒と意味もなく論争することはできるだけ避けて下さい。人間がいかにわめいてもアッラアの実在には何の影響もないのですから。(中略)
ー最後にもう一度記します。アッラアについて他教徒と意味もなく-つまり論争のための論争として-論争することはできるだけ避けて下さい。しかしミニマムな反論は必要だし、堂々とすべきです。私はよきムスリムとはいえないかもしれません。しかしムスリムです。アッサラームアレイクム ワ ラーマツ・ウーラー(汝のうえに平安あれ、またアッラアの御恵みあらんことを) 敬具
1972年2月20日 マンスール・本多へ          ターヘル・一寸木より

E 「すべての義は瀆れた布切れの如し」
―山本ベンダサンの無知とペテンの一例―
最後に紹介するのは、ベンダサン氏のようなニセ知識と違って、ホンモノの聖書学をやっている東北学院大学助教授・浅見定雄氏(旧約聖書学・古代イスラエル宗教史)の小論である。浅見氏は本書(すずさわ書店刊『殺す側の論理』)の第三版を読まれたあと、この小論を月刊誌『記録』(1981年3月号)に発表した。浅見氏の御了解を得て同誌から原本第四版以後に転載。

Sadao Asami浅見 定雄 (Asami Sadao, October 12, 1931山梨県出身) is a religious scholar of Japan and a doctor of theology ( Ph.D. ). Majored in Old Testament Studies and ancient Israeli religious history . "Fake Jews and Japanese" Asahi Shimbun , 1983 Asahi Bunko(『にせユダヤ人と日本人』朝日新聞(朝日文庫・1983年))
                 <浅見定雄氏の分析>
ーS兄。山本七平さんが今や各方面で大もてなのは結構(?)だが、あの人の日本人論や聖書・ユダヤ教の話に、いつも「左翼」や住民運動などへの敵意がちらついているのが気になるとの御感想-しかし一方で、こと聖書とかユダヤ教に関しては、あの人はやっぱり相当な権威者なのだろうかとの御感想、いずれもごもっともと思いました。「ユダヤ人」に弱い日本の読者が煙に巻かれる原因のひとつは、たしかにその辺にあるのですね。
ーしかし御安心下さい。山本七平なる人は、(何しろその方面の本屋さんですから)聖書やユダヤ教について本こそたくさん出しているものの、専門の研究などひとつもモノにしたことのない、ずぶのしろうとです。ですから聖書学やユダヤ教研究の分野では、あの人に調子を合わせて対談などしたり適当にお世辞を言ったりしている人はいても、彼の書くものを本気で学問的検討の対象にした人など、一人もいはしません。

ーもっとも小生は、いわゆる「専門家」や自称「学者」の仕事が時にこれまたどんなにいいかげんなものかも多少知っており、反対に「しろうと」の人がどんなに立派な仕事をする場合が多いかも心得ているつもりです。(小生の趣味の分野で時々お世話になる牧野富太郎さんの植物学など、はじめは小学校しか出ていなかった人の仕事ではありませんか。)ですから「専門家」とか「しろうと」とかは本当はどちらでもよいこと、要はその人の仕事が本物かインチキか、ただそれだけの問題だと思います。
ーしかし、世間では往々にして(といっても「専門家」でない以上仕方のないことですが)、山本七平さんを他の点ではうすうす「おかしい」と気づいていても、事が聖書だのユダヤ教だのになると、彼はやっぱり本当のことを言っているのだろうと前提しているようです。たとえば今ここに本多勝一『殺す側の論理』(すずさわ書店)の第三版がありますが、その291ページ以下に紹介されている神戸市の谷口弘行氏の文章などもそうです。谷口氏の指摘するとおり、聖書の中にひとこと「正義とは瀆れた布」という言葉があるからといって、それで人間はだれも(仏教徒も無神論者も、また小生のように山本氏とは違った考えをするキリスト教徒も)、「正義」を口にすることが許されないー口にするともうその人は「瀆れた」ことになるなどというバカげた理屈は、山本氏一人の頭の中でしか成り立ちません。まして歴史の具体的事例について、ヒトラーも東条もアメリカも正義を口にしたではないか、だからあの場合ヒトラーがユダヤ人を虐殺したのか、ユダヤ人がヒトラーを苦しめたのか、日本が中国へ行って人殺しをやったのか、中国人が日本へ攻めて来たのか、あるいはアメリカ側がベトナムに介入してソンミ村事件を起こしたのか、ベトナム人がアメリカ合州国を侵略したのか、そのどちらかを見極めて一方に軍配をあげることはできないという珍妙な結論が導き出されるはずがない。どっちも自分が正義だと言っているからこそ(歴史においても)一般の裁判においても)事実調べが大切になるのです。そのこととイザヤなる預言者が「正義とは瀆れた布」と言ったか言わなかったかは、実は何の関係もありません。ですから谷口氏の指摘は、仮にイザヤが山本氏の訳し解釈するとおり語っていたとしても、たしかに正しいと言わざるを得ません。
ーところが-これでやっと大兄への御返事に入るのですが-「イザヤ・ベンダサン」こと山本七平氏は、このように一般読者に判定の仕様がない「専門」の方面でも、「ユダヤ人」としてのヘブル語はおろか「アメリカ人」としての英語さえろくにできない無知な「日本人」にすぎないことを、いたる所で暴露しているのです。神戸生まれのユダヤ系アメリカ人「イザヤ・ベンダサン」氏など実在しないと小生は断言します。しかし万一存在するとしたら、山本七平氏は出世作『日本人とユダヤ人』以来勝手にその人の名をかたって、英語もヘブル語もろくにわからないまま「翻訳」を書き散らし、本物の「イザヤ・ベンダサン氏」をいたく「瀆し」ているに違いありません。このことは『殺す側の論理』や同じく本多勝一氏の編になる『ペンの陰謀』(潮出版社)で十分証明されていると思うし、また小生がこれから書く一例-ほんとうに、何百でもあげられる例の中の一例です-からも御納得いただけることでしょう。
では以下のことを確証してみようと思います。
(イ) まず大兄も多少は使える(失礼!)英語の方から始めます。問題のイザヤなる預言者の言葉ですが、ベンダサン氏の「英文」原稿を山本氏が邦訳した「すべてわれらの義は瀆れた布切れの如し」という言葉は、聖書のイザヤ書という書物の64章6節(ヘブル語原典では5節)に出て来るものです。日本聖書協会の口語訳(一般に普及しているもの)では、そこの所が「われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである」となっていますが、この訳をイザヤ・ベンダサン氏は(山本氏の「通訳」が信用できればの話ですが)「非常に下手な訳で意味がよく通じません」と言っています(『殺す側の論理』前出三版257頁)

ーところが、この「非常に下手な」日本語訳に対する上手な(?)訳として引き合いに出されているのは、何と17世紀初頭の「欽定訳」と言われる英語聖書の(しかもこのあとに述べるとおりまちがった)写しです。20世紀の日本語と17世紀の英語を較べてどっちが上手か下手かと言われても、ちょっと返答のしようがありません。イザヤ・ベンダサンなる人物が本当に英語で草稿を書いているのなら、こういう文章自体がなりたたないなずではありませんか。
(ロ) そのせいかどうか、ベンダサン氏の引用するこの英文には「訳者」山本七平氏の「すべてわれらの義は瀆れた布切れの如し」という訳文が添えられている。しかしこの訳文が、先程の口語文に較べて、文語文を気取っているという点以外に果してどれだけ「上手」といえるシロモノか。文語文だったら「ケガレタ」ではだめです。「ケガレシ」とか「ケガレタル」とするものです。というわけで、もし上手下手というのなら、少なくとも山本氏の「文語」訳は、口語訳(それがたしかにお世辞にも名訳とは言えないことについては丸谷才一『日本語のために』(新潮社)など参照)に較べても、それに劣らず下手だというほかありません。そもそも欽定訳の英語に対する文語訳ならば、あの格調高い明治の訳があるではありませんか。あれは正に欽定訳からの邦訳なのです。いわく、「われらの義はことごとく汚れたる衣のごとし」。ちゃんと「ケガレタル」となっているでしょう。
ーそうすると山本ベンダサン氏が「下手」と言っている意味は文体のことではなく、誤訳かそれに近いということなのかもしれません。つづけて「意味がよく通じません」などとある点からもそう思われます。しかしそれなら、聖書協会口語訳と山本訳と、意味上どこがちがうでしょうか。「われわれ」と「われら」、「ことごとく」と、「すべて」、「汚れた」と「瀆れた」は似たようなものです。(ただし「瀆れた」についてはこのあと(チ)の所で考えます。)すると意味上多少ちがっているらしいのは「正しい行い」と「義」、そして「衣」と「布切れ」です。ところがいよいよここまで来ると、一方でベンダサン氏がひごろ英語やへブル語を使うガイジンでもユダヤ人でもなく、他方山本氏がおよそ英語のできない日本人だということが、すべて一挙に暴露されてしまうのです。
(ハ) まずベンダサン氏ですが、彼はよくわかりもしない(?)日本語に下手だとか上手だとか口出ししているくせ、肝心の英語の方が何ともお粗末です。氏によると、「下手な」口語訳に対する上手な英語とは All our righteousness are as filty rags となるのだそうですが、このうち filty は明らかに filthy の誤植だとしても、主語の righteousness が単数形なのはどうでしょうか。つづく be 動詞はちゃんと複数形になっています。ヘブル語原典の主語はもちろん複数だし、欽定訳もちゃんと righteousnesses としています。もしかするとこれは誤植かも知れません。しかし私は、山本ベンダサン氏の日頃の英語感覚からして、こちらはすでに原稿の段階で不注意にもこうなっていたのではないかと疑います。生まれつき英語を話している人間ならもちろん、小生のように途中からでも多少慣れている人間には、単数名詞のあとに動詞の複数形がきたりすると、ほとんど感覚的に不自然で、すぐひっかかるはずなのです。一方もし不注意以外の理由で「義」にあたる英語を単数に書いたのなら、それならこのあと(へ)をごらん下さい。
(ニ)決定的なのは「のごとし」にあたる as です。17世紀の英語ならいざしらず、20世紀の英語としてはこれはまちがいです。実在の「イザヤ・ベンダサン」氏なら、こんな「英訳」は決してしないでしょう。現代英語ではこういうとき、be や become の補語となる句の前に as を単独で使うなどということは決してしません。 ‘Like’ を使うのです。その証拠に、いま私の手許にあるおもな現代英訳聖書からこの箇所の訳文を書き出してみましょう。
①Revised Standard Version :  All our righteous deeds are like a polluted garment.
②New English Bible :  All our righteous deeds(became) like a filthy rag.
③New American Standard Bible :  All our righteous deeds are like a filthy garment.
④New International version :  All our righteous acts are like filthy rags.

⑤Jerusalem Bible :  All that integrity of ours (is) like filthy clothing.
かつこの中の became, is は先行文から補ったものです。みんな ‘like’ となっているでしょう。
(ホ)  as のこんな死んだ用法に気づかずに欽定訳を(しかも単数複数まちがえて)引用しているベンダサン氏は、同時にこのことで、自分がユダヤ人でないこともほぼ確実に暴露しています。今日のユダヤ人は、もし必要なら自分たちの英訳聖書を持っています。その彼らがどうして、よりによってシェークスピア「ベニスの商人」時代の「キリスト教国」イギリスの欽定訳から引用するでしょうか。
(ヘ)  次は「訳者」山本七平氏です。山本氏の「義」という訳語はどうでしょうか。これでは抽象名詞で、へブル語原典の複数形のニュアンスが出ません(この欠点は明治の口語訳の「正しい行い」の方が原典の意味をよくとらえているのです。さきほどあげた現代英語訳の5例中4例までがみな ‘righteous deeds’ または ‘righteous acts’ となっているのに注意して下さい。残る「エルサレム・バイブル」の integrity of ours だって、残念ながらベンダサン氏や山本氏が我田引水したがっているような、「一般に人間の義(=正義)そのもの」などという意味にはなりません。するともうこれだけで、あのベンダサン氏の本多批判は全部崩壊したことになります。前提とした言葉が氏のいう意味を持っていないのですから。(ハ)で指摘したベンダサン氏の「英訳」righteousness(抽象名詞単数)が、もし誤植でも不注意でもないのならば、この点を意識しての意図的改竄だったのかも知れません。その結果中学文法さえ無視することになりましたが、とにかく預言者イザヤはここで、人間が自分の義(正義)だけを唯一絶対とすることなど、全然問題にしてはいないのです。
(ト)  ついでにこの「義」のことで「ユダヤ人」ベンダサン氏の仮面をはいでおきましょう。氏は「この義(tsedâqâh)とは tsâdaq から来た言葉で、がんらいの意味は(道徳的に)正しくないものを正す、また汚れたものを清める、という意味だから」などと言っていますが、この文章はほとんど一句一句、全部まちがいです。
第一にベンダサン氏は、専門の学者ではないらしいので仕方ないにしても(しかしそれなら、こんな知ったかぶりを書くべきではありません)、へブル語をローマ字に転写する時の国際的ルールさえ御存じない。こういう時の長母音(可変化の長母音)は、山形の記号ではなく、ただの棒線を頭に書いて現すのです。
第二に名詞 tsedāqāh は動詞 tsādaq から来た言葉でない。この語の場合、動詞が名詞 tsedeq から派生した可能性の方がはるかに大きいのです。へブル語と言えば何でも動詞から名詞が出て来たとどこかで聞き及んだ山本書店主七平さんの、これは話にもならないお粗末。
第三に、その動詞の形 tsādaq が全然まちがっている。この自動詞(!)の第2音節に a などという母音は来ない。ō か ē がくるだけです(初級文法も知らない証拠)。
Esperantoエスペラント語→rilatoj kun Jesaja Bendasan de Yamamoto=Pri tio, kio komence estas dirita kiel aŭtoro de "japanoj kaj judoj", Yamamoto deklaras, ke "mi ne havas kopirajton, do mi ne estas aŭtoro laŭ la koncepto de aŭtoro laŭ la Rajto pri Kopirajto ". "Mi neniam rifuzis esti redaktisto aŭ, laŭ iu signifo, komponisto , en japanoj kaj judoj." [3]由於第一版山本書店的《日本人和猶太人》沒有面部照片,因此確定了幾個人作為身份候選人,而出版該書的山本書店的所有者則稱其為“翻譯”。曾由山本七平(Shichihei Yamamoto),美國的約瑟夫·勞拉(Joseph Laura)和猶太人的米沙·霍倫斯基(Mischa Holensky)聯合品牌。但是,這本書的內容不太可能涉及任何猶太人或熟悉其文化的人[5] ,因此現在通常被認為實際上是山本的作品 。 2004年5 月出版的第21版角川一主題日本人和猶太人山本的唯一名字出版而評論清楚地指出以賽亞是山本的筆名 ”。

ロブサン・ランパ(Lobsang Rampa、1910年4月8日 – 1981年1月25日)は、偽書『第三の眼』(だいさんのめ、The Third Eye)の著者として知られる人物。本名はシリル・ヘンリー・ホスキン(Cyril Henry Hoskin)で、後述する様に生粋のイギリス人である。
略歴=『第三の眼』出版
1955年夏、ロブサン・ランパと名乗る剃髪姿の人物がロンドンのセッカー&ワーバーク社に姿を現し、自らの生い立ちを執筆したので出版させて欲しいと重慶大学の(英文で書かれた)紹介状を携えて話を持ちかけた。彼は、日本軍と中国共産党軍に迫害されて英国に脱出してきたチベットの高位ラマ僧との触れ込みで身の上を紹介し、以下の様な経歴を主張した。
1938年、中国空軍の軍医として日中戦争に従軍中、撃墜されて捕虜となるが脱走。
1944年、ビルマで日本軍の捕虜となり、広島の収容所で拷問を受けるが、原爆投下のどさくさにまぎれて脱走。
漁船を盗んで朝鮮半島に渡り、シベリア鉄道で大陸横断を企てるもモスクワでソ連兵に逮捕される。
監禁、投獄、国外追放された後、ポーランド、ドイツ、フランス、アメリカを放浪。
1951年にイギリスに亡命する。
ランパの持ち込んだ原稿には、当時秘密のベールに包まれていたチベットの異国的な様々な習俗が紹介されていた。例えば「大きな凧に乗って空を飛ぶ」、あるいは「額に開孔手術をうけ、銀色の木片を挿入された。それにより神秘的な第三の眼が開いた」などである。しかし原稿が英語(それも庶民が使う様なスラング交じりの英語)で書かれていた上に、編集者がチベット語について幾つか質問してもランパは全く答えられなかった[1]。だが『第三の眼』は、「チベットのラマ僧が生い立ちを語る」の副題をつけて、1956年にセッカー&ワーバーク社から出版され、世界中でベストセラーになった[2]。

判明した正体=しかし『第三の眼』の刊行直後から専門的なチベット研究家から記述内容に疑問が呈された上に彼の経歴についても疑いが生じ、私立探偵クリフォード・バージェスによってランパの来歴が調査された。その結果は、ランパ自身が語っていたのとは著しくかけ離れたものであった。ランパことホスキンは、プリマス近郊に水道工事業者の息子に生まれ家業を継いでいた心霊現象やオカルト特にチベットや中国の神秘思想に深い関心を抱いていたが、中国やチベットを訪問していないばかりかイギリスを出国したことすらなかった。だが、ホスキンはカール・クアン・スオ博士を自称して心霊現象の著作や小説を書き、彼方此方の出版社に売り込んでいた[3]。この事実が暴露されると、ランパ=ホスキンは「脳震盪を起こした際にラマ僧のロブサン・ランパが自分に乗り移って書いたものだ」と弁解、続編として『ラサの賢者』『ランパ物語』などを上梓するものの、あごひげを生やして剃髪したラマ僧姿の写真を公開したところ専門の研究者から「ラマ僧がひげを生やすことはありえない」などの厳しい指摘を受け、薮蛇となった。ただ、超心理学的現象のなかには、憑依現象がいくつも見うけられ、ロブサン・ランパにチベットの僧が乗り移ったのではないかという説もある。実際楽屋裏が公開されてからも支持はそれほど失ってはいない。その後アイルランドからカナダへ移住し(*__*;、1973年にカナダへ帰化(~__~;。同地で没した(^__^;。

Doctor T. Lobsang Rampa - Meditation (1969) - The Henderson Company
Lobsang Rampa is the pen name of an author who wrote books with paranormal and occult themes. His best known work is The Third Eye, published in Britain in 1956. Following the publication of the book, newspapers reported that Rampa was Cyril Henry Hoskin (8 April 1910 – 25 January 1981), a plumber from Plympton in Devon who claimed that his body hosted the spirit of a Tibetan lama going by the name of Tuesday Lobsang Rampa, who is purported to have authored the books. The name Tuesday relates to a claim in The Third Eye

Françaisフランス語→Lobsang Rampa (pseudonyme complet : Tuesday Lobsang Rampa) est un écrivain qui prétendait être né au Tibet et être devenu le lama médecin à la lamaserie de Chakpori avant de parcourir le monde, puis d'abandonner volontairement son corps de naissance et avoir recours au procédé de transmigration4 pour continuer sa vie dans celui d'un Anglais : Cyril Henry Hoskin, né le 8 avril 1910 à Plympton (Angleterre) et mort le 25 janvier 1981 à Calgary (Canada). 



                

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