日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

★Agresmilito, konkermilito aŭ invada 侵略戦争★本多勝一的战争理论“侵略” /Katsuichi Honda's theory of war "Aggression" /本多勝一の戦争論「侵略」をとらえる目③

追記
なお、上の意見書を書いた後、松村被告の口頭弁論調書(2001年5月1日)を読みました。その中で松村被告が私のことに関連して、松村被告の手紙に対して私から「それ以降お返事がなかった」と発言しております。このことについて以下のように明記しておきたいと思います。
松村被告の著書を読んだ結果、上の意見書に書いたように、いたるところにひどい間違いや改竄が多すぎること、南京での虐殺を否定するための何の根拠もない憶測(願望と言ったほうがよいでしょう)を事実として書いていることなどがわかりました。そこで、私としては松村被告の態度について次のように結論づけたわけです。
(1)松村被告が最初から南京大虐殺を全面否定する目的をもってこの問題に取り組んだことは明らかである。この点については原告代理人が指摘するとおり。
(2)しかしながら、その論証の方法があまりにデタラメであるために、その目的を達することは全くできなかった。そこで、上の(2)について説明し、私が返事をしなかった理由を明示したいと思います。
私はこれまでにさまざまなルポルタージュを発表してきましたが、これらの私のルポに対して全てが称賛する読者ばかりではなく、ごく一部に論難してくる読者もありました。この論難してくる読者には次の三つのタイプがあります。
(A)批判として傾聴すべき正当なもの。(B)自己顕示または悪意を動機として、単に「論難のための論難」をするタイプ。(C)論難はしたいけど知的レベルが相応しない。あるいは大脳皮質の発達が遅れているために、それだけの論理的思考能力がないタイプ。

以上の三つのうち、松村被告については(B)と(C)の双方が適合するのではないかと、私は最終的に考えるに至りました。その理由は上の意見書の中でふれたとおりです。これほどにも根本的な間違いや矛盾を平気で活字にする人物は、もはやまともに相手にする対象ではないと考えた次第です。こういう人々を相手にするのは、過去の経験からしても、ただただ時間とエネルギーの損失であり、多忙な身にとってはひたすらマイナスになるだけのことです。従って、この種のタイプを相手にすることを私は避けております。かかずらう程度に比例して被害が大きくなるからです。
そのような理由で、私はもはや松村被告を相手にすることをやめて返事をしませんでした。それにしても日本「南京」学会とはこの程度の人物が「理事」をつとめる「研究」組織であることがわかったことは、この訴訟のもう一つの側面だと思います。簡単ながら、以上を追記いたします。
2001年9月17日       本多勝一(印)
(星徹・渡辺春巳・本多勝一『南京大虐殺歴史改竄派の敗北』教育史料出版会・2003年)

*日本「南京」学会(にほんなんきんがっかい)は、南京事件を研究する目的で設立された研究団体。すでに活動していた「南京事件研究会」を母体に2000年(平成12年)10月28日に発足。会長は否定派の東中野修道[1]。The Japan "Nanjing" Society (Nihon Nankin Gakkai) is a research organization established for the purpose of studying the Nanjing Massacre .Established on October 28, 2000, based on the already active "Nanjing Massacre Study Group" . The chairman is Shudo Higashinakano, a denial group [1] .

南京大虐殺「百人斬り」裁判の背景   -俵義文氏に聞く 

*俵 義文(たわら よしふみ、1941年1月23日[1] - )は、日本の評論家、社会運動家。福岡県生まれ。福岡県立鞍手高等学校(定時制)卒業。1964年中央大学法学部法律学科卒業、新興出版社啓林館に入社。1965年家永三郎教科書裁判の支援会員になる。労働組合の幹部を務める。1998年子どもと教科書全国ネット21の結成に参加。事務局長に就任。2000年新興出版社啓林館を定年前に退社、活動に専念する[2]。Yoshifumi Tawara (Tawara Yoshifumi , January 23, 1941 [1] -) is a Japanese critic and social activist.

2003年の4月、南京大虐殺に関連して私は提訴されました。これについては『週刊金曜日』(2003年7月18日)で「南京大虐殺を全否定したい偽右翼集団の総攻撃を受けて」として書いたとおりです(本書65ページ)。

東京地裁でのこの裁判は、来月18日に結審を迎えます。南京大虐殺の”序曲”ともいえる「百人斬り競争」について、68年も前のこの事件がなぜ訴訟なのか。教科書問題などを通じてこうした情況にくわしい俵義文氏(子どもと教科書全国ネット21事務局長)に聞きました。-

本多 この提訴は内容的にかなり無理があるのに、あえて彼らがやったことの背景をどう思われますか。

俵 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)による1996年からの第三次教科書攻撃運動によって、中学教科書の記述から日本の加害問題がどんどん減っていったんです。日本軍「慰安婦」は先週号(『週刊金曜日』2005年4月22日)の石井建夫氏の記事のとおり、「三光作戦」や「731部隊」も消えました。そんな中で唯一残っているのは「南京虐殺」だけなんですね。「つくる会」は、「南京虐殺」・日本軍「慰安婦」・沖縄戦「集団自決」の軍強制説が自虐史観の三点セットだといっています。

本多 侵略現場の凄絶な内容からすれば、「三光」は計画的作戦としての老若男女皆殺しが目的だから一番ひどいが、「南京」は皆殺しが目的でなくても首都で人口が多いし、とりわけ捕虜の集団虐殺がひどかった。

俵 その「南京」を教科書から消せば、日本の加害記述は中学教科書からほとんどなくなることになる。こういう意図があるんですね。

本多 かれらにしてみれば、たとえ敗訴になっても右翼メディアにとりあげられて大宣伝になる・・・。

俵 そう、たとえば前にわれわれの側が勝訴した李秀英の名誉毀損裁判(本書44ページ)と違って、これは「死者の名誉」を争うことでいわば同情をかいやすいので、事実を知らない人たちに宣伝して恰もかれらの主張が正しいかのように思わせることもできます。だから支援組織まで作って全国展開している。こうして裁判をやることによって、南京虐殺そのものを無かったように宣伝できるわけですね。

本多 今の憲法改悪の動きなどの関連もあるでしょう。

俵 もちろんです。たとえば自民党の安倍晋三・中川昭一両代議士とか下村博文文科政務官、中川成彬ら文科相、前の河村建夫文科相、こういった連中は教育基本法改悪のモデルとしてイギリスをとりあげているんですね。サッチャーが教育法を変えたから、イギリスによる侵略の近現代史を反映する教科書から自虐的なところを削って、”栄光史”の教科書に変わったのだと。だから日本も教育基本法を変えて愛国心や伝統文化を盛りこめば栄光史観の教科書になる。つまりは他の教科書がみんな「つくる会」の教科書のようになる・・・。教育基本法改悪と憲法改悪は一体のものとかれらは考えていますからね。

本多 そんな中で「南京虐殺」だの「百人斬り競争」だのは困るわけですな。 

俵 憲法を改悪して「戦争できる国」に変えるのに一番かんじんなことは、戦争する国に積極的に応じて戦争へ行く人間、「お国のために死んでもいい」人間を育てることですからね。法律を変えるだけでは「心」は変わらない。そこに教育問題が大きくかかわるわけです。それには二つあって、歴史認識を変えることと”愛国心”を植えつけること・・・。

本多 その場合の”愛国心”は真の「愛国心」じゃなくて、むしろ亡国への道につながる方だけど。

俵 その”愛国心”と歴史認識は別々ではなくてセットで子どもに植えこむわけですから、日本の戦争は正しかったことにしないと矛盾に陥る。南京虐殺などアジア諸国での侵略によるひどい被害を教えていたら”愛国心”は育ちません。戦争をやる気にもならない。だからこそ”正しい戦争”を描きだす必要がある。「つくる会」はそれを最先端で担っている自負があるんでしょうね。

本多 ・・・という次第で「百人斬り」裁判にも右翼勢力(私は「偽右翼」と表現)は傍聴を動員して法廷に圧力をかけていますね。結審になる次回(5月18日)は、この裁判で私たちが勝つためにも、「つくる会」の好戦勢力や改悪勢力に対抗すべく、反戦勢力や護憲勢力の皆さんが多数傍聴されることを期待いたします。

(『週刊金曜日』2005年4月29日)

↑敗戦後、巣鴨拘置所から中国へ移送され南京に到着After the war, they were transferred from Sugamo Prison to China and arrived in Nanjing.下船してタバコをふかすdisembark and smoke(左Left)「300人斬りKilled 300 people」田中軍吉Gunkichi Tanaka中佐lieutenant colonel(大尉captain)、(右Right)「100人斬りKilled 100 people」向井敏明Toshiaki Mukai少佐major(少尉second lieutenant)

南京大虐殺を全否定したい偽右翼集団の総攻撃を受けて
2003年7月7日、私は次のような裁判の被告として東京地方裁判所で第一回の法廷につきあわされました。もっとも実際に法廷に出たのは代理人弁護士の先生ですが、訴状を要約紹介するかわりに、『毎日新聞』の報道(4月28日夕刊)から引用しましょう。
1937年の「南京虐殺」に関与したとして戦後に処刑された旧日本軍将校2人の遺族が28日、「(将校2人が)殺害者数を競う「百人斬り競争」をした、との報道で名誉を傷付けられた」などとして、毎日新聞社、朝日新聞社、柏書房、ジャーナリストの本多勝一氏に合計1200万円の損害賠償と本の出版停止、謝罪広告の掲載などを求めて、東京地裁に提訴した。
訴状によると、東京日日新聞社(現毎日新聞社)は37年11月~12月、「百人斬り競争」をしたなどと報じた。また、本多氏が執筆した朝日新聞社が発行した書籍『中国の旅』『南京への道』で『百人斬り』があったとの内容を載せ、同氏らが執筆し、柏書房が発行した『南京大虐殺否定論13のウソ』も同様の内容を記載した。
原告側は「遺書などから百人斬りの事実がなかったのは明らかで、名誉を棄損している」と主張している。
『毎日』も『朝日』も小さい一段見出しのベタ記事ですが、『産経新聞』は翌29日の朝刊で四段抜きです。ここですでに『産経』の姿勢が現われていますが、派手なだけではなく、記事自体が原告側を100%応援する一方的内容になっています。しかも事実に反する虚偽をもとにしている。もともとマトモに相手にすること自体が疑問とする見方もありますが、ことは訴訟にかかわるものですから、放置するのも問題でしょう。原告側の言い分だけを一方的に掲載したあと、さらに自説を次のように加えているのですから。
「百人斬り」はノンフィクション作家・鈴木明氏の大宅賞受賞作『「南京大虐殺」のまぼろし』(昭和48年、文藝春秋)などで虚構性が明らかになり、記事自体が戦意高揚目的だったこともわかっている(*1)。
「戦意高揚」は戦争中のほとんどの記事が当然のことですが、「虚構性」は「明らか」になってはいません。単に方法としては日本刀の白兵戦みたいなことは無理だと、これは私自身も主張していること、問題は捕虜さえ斬っていないのかです。こんなことは当人たち自身も認めており、ここで論ずる必要もない話ですが(*2)、この訴訟は要するに、”偽右翼”の諸氏が、裁判の勝訴なんかよりもキャンペーン自体を目的にしているということです。
ひとつヒントを申し上げます。これを提訴した側の17人もの「大弁護団」の中で、中核的役割を担っているとみられる弁護士たちは、今春4月の東京高裁における南京大虐殺関連の判決で完敗した側の弁護士たちと同じ顔ぶれです。この裁判は、南京大虐殺のとき奇跡的に生き延びた李秀英さん(*3)を、なんとニセ被害者だとする本を書いた著者と出版社に対する名誉毀損問題です(本書42頁①参照)。その敗訴につづいての、今回の私たちへの提訴でした。
はじめ私は、この馬鹿馬鹿しい訴訟にまともに対処するつもりはなかったのですが、背景を調べた法律家たちの話を聞くにつけ、これは放置すべきではないことを悟りました。この件を突破口にして、日本の反動化への大きな流れをつくろうとしている。7日の法廷でも、かれらの動員勢力が傍聴席数の倍も現れたので抽選になりました。
66年も前のことをムシ返すこうした勢力に対して、私は偽右翼と呼んでいます。なぜ「偽」をつけるか。右翼の定義は時代や情況によって異なるとはいえ、少なくとも真摯な右翼であれば、その基本に「愛国」あるいは「愛民族」的心情の存在が必須でしょう。そうであれば、こんなことをして周辺のアジア諸国から警戒され、反発され、憎まれることによって、将来の日本がまたしても「8月15日」に到る道を歩むことになり、それはもはや1945年当時よりもはるかに深刻な、民族の危機を招くことになりかねず、「愛国」とは正反対の「亡国」をもたらすのである。
*1 このあと「本多氏はコメント要請に対し回答がない」としているが、この記事が出るまでにその要請は受けていない。
*2 この件を含め南京大虐殺の実態を知らない読者のためにいくつかの文献を挙げておく。-笠原十九司『南京難民区の百日』(岩波書店)・洞富雄『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社)・同『南京大虐殺ー「まぼろし」化工作批判』(現代史出版会)・藤原彰『南京の日本軍』(大月書店)・吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店)・姫田光義ほか訳『証言・南京大虐殺』(同)・本多勝一『南京大虐殺』(朝日新聞社)・同編『ペンの陰謀』(潮出版社)等々。
*3 李秀英名誉毀損裁判については渡辺春巳・星徹・本多勝一『南京大虐殺歴史改竄派の敗北』(教育史料出版会)参照。(『週刊金曜日』2003年7月18日)。

Road to Nanjing Written by Katsuichi Honda December 9, 1989  Vojo al Nankino Verkita de Katsuichi Honda  9 decembro 1989
A record of the actions of the Japanese army during the 15-year war following "Travel in China". What did the Japanese troops rush to the capital, Nanjing?  Rekordo pri la agoj de la japana armeo dum la 15-jara milito post "Vojaĝo en Ĉinio". Kion rapidis la japanaj trupoj al la ĉefurbo Nankino?
「百人斬り」訴訟の勝訴  -「ジャーナリズムは劣化している」
「百人斬り」訴訟は、2006年12月12日最高裁の判決によって、私たちの勝訴が確定した。当然の判決だが、この判決により、歴史の歪曲を許さない運動がより大きく強固なものになったことは間違いない。しかし一方で、歴史の事実を歪めようとする動きは止まることがないだろう。今後も、そういった動きひとつひとつに声を上げていくつもりだ。以下は、勝訴にあたって「史実を守る会通信」の編集部から受けたインタビューである。同時に掲載された笠原十九司都留文科大学教授による解説も、笠原さんの了解の上で収録させていただいた。
ーまず最高裁での勝利確定、おめでとうございます。
本多 地裁や高裁と、判決が出るたびに何度も同じことを繰り返すことになってしまいますが、今回の最高裁の決定も、まったく当然の判断と言うしかありませんね。そもそもこうした裁判が起こされること自体じつにバカバカしいことです。
ひとつだけ意味があったとすれば、この勝利を通じて多くの新しい史料が発掘され、「百人斬り」競争という歴史的事実がますます明確になったことでしょう。この点では、むしろ相手側に感謝したい気持ちですね(笑)。
ー本多さんへの右翼の攻撃は、特に日中戦争に関するルポを出された頃から今に至るまでずっと続いているかと思いますが、裁判という形で行なわれたのは初めてではありませんか。
本多 そう言われればそうかもしれんね。文春相手の裁判などはこちらからやってきましたし、裁判という形以外の嫌がらせは今でも多くありますが、最近も無言電話がかかってきています。しかし、提訴された当初から、それで戸惑うとか対応に悩むということは全然なく、ただひたすらバカバカしい、それだけでしたね(笑)。
裁判の全体を通じて、あらためて日本のジャーナリズムの劣化ぶりが目立ちました。『朝日新聞』も、自分たちが訴えられ、記者を動員して新たな資料を発掘しているにもかかわらず、それを紙面でまったく報道しようとしない。勝訴判決が出たことだけは小さく報道しても、南京事件そのものの報道は、もうほとんどできない状況です。いったい、記者たち自身がこれでいいと思っているのか、記者たちを取材してルポでも書こうかと思うくらいですよ。
ージャーナリズムは脳死状態でしたが、多くの市民が本多さんの応援のために駆けつけましたね。

本多 裁判をリードしてきてくれた弁護団の方々や支援者の方々には、心よりお礼申し上げます。ますますおかしい方向へ向かっている祖国・日本ですが、こうした人たちが多く存在することに希望を感じます。
(『史実を守る会通信』2007年2月4日号)

百人斬り裁判は、本多勝一さん他被告側の全面勝利の最高裁判決が確定しました。史実を守る会は、引き続き、夏淑琴さんの裁判支援に取り組んでいます。In the 100-person slashing trial, the Supreme Court decision of Katsuichi Honda and other defendants' total victory has been finalized. The Society for the Preservation of Historical Facts continues to support Ms. Xia Shuqin's trial.
否定派の”総力戦”を粉砕「百人斬り」訴訟勝訴の歴史的意義    [解説]笠原十九司
1970年代に開始された日本におけるいわゆる「南京大虐殺論争」は、本多勝一さんが『中国の旅』の中で「百人斬り」競争について紹介したことに対して、山本七平(イザヤ・ベンダサン)が「百人斬りは虚構」と否定説を流布、鈴木明がこれに加わって『「南京大虐殺」のまぼろし』を書き、東京日日新聞の報道が向井・野田両少尉を南京軍事裁判での死刑に追いやったと批判、南京事件も「まぼろし」であるという否定説を展開した。これに本多勝一さんや洞富雄先生らが反論、「百人斬り」の実態は捕虜・敗残兵の据え物斬りであったことを証明して否定派を敗北に追いやり、ひとまず論争の決着はついていた。
否定派が挑んだ「敗者復活戦」
ところが、1997年以降、自民党政府と「新しい歴史教科書をつくる会」などの民間の右翼・保守勢力が、日本の中学校歴史教科書の日本の戦争加害の記述で唯一残った南京事件を「抹消」させるべく、右翼・保守メディアを総動員して、「南京大虐殺否定説」の撒き散らしを行なった。そうした情勢の中で、学問的にはすでに敗北した南京大虐殺否定派が「敗者復活」を夢みて挑戦したのが「百人斬り」訴訟であった。
「百人斬り」訴訟に南京大虐殺否定派はもてる力を動員して”総力戦”を展開した。それは原告側が東京地方裁判所に提出した証拠文書が「甲第125号証」に達し、書類の山を築いたことに示される。これに対して勝訴した被告側が提出した証拠文書は「了第25号証」と原告側の5分の1であった。それで原告側証拠を粉砕したのであるから、まさに少数精鋭主義の典型である。原告側は関係部隊の旧軍人を探し当て否定のための「陳述書」を書かせ、南京大虐殺否定派の一連の研究者が「陳述書」を提出、遺族が入手した向井・野田両少尉の答弁書・申弁書・遺書などの南京軍事裁判に関する文書を提出するなどして、可能な限りの証人を動員し、文献・記録類を掻き集め、物量で圧倒しようと、”総力戦”態勢で挑んだ。
原告側が頻繁に提出した準備書面からは、否定派が「勝利できる」と思いこみ、意気込んでいた様子がうかがえる。北村稔立命館大学教授が原告側すなわち否定派の立場から「陳述書」(甲第90号証2004年8月5日付)を提出したことは、『「南京事件」の探究』(文藝新書)を出版したり、『諸君!』に否定説を掲載するなどして、「文春ライター」の1人として取り込まれた研究者のなれの果てという感がある。

Quest for the "Nanjing Massacre" Minoru Kitamura November 20, 2001 
Shedding light on history in the great controversy that shakes Japan-First, we will stop the "theological controversy" with conclusions and analyze and verify how the "recognition" that there was a genocide emerged by returning to the basics of history. 
*北村稔(1948年-)是一名日本歷史學家。立命館大学名譽教授、日本「南京」学会會員、國家基本問題研究所客員研究員。中国近現代史専攻。法学博士。京都府出身。京都大学文学部史学科(現代史専攻)畢業。京都大学大学院博士課程中途退学。曾任三重大学助教授、立命館大学文学部教授。
勝訴の歴史的意義
「百人斬り」訴訟は、2006年12月22日の最高裁の判決によって、本多勝一さんらの勝訴が確定した。その歴史的意義は、1970年代から続けられた「百人斬り」論争ならびに南京大虐殺論争に司法による決着がつけられたこと、そして「歴史事実に立つ者が必ず勝利する」という普遍的真理を証明したことである。さらには今回の訴訟に関連して被告側が発掘・収集した資料はもちろん、原告側が提出した資料も含めて、「百人斬り」の実態をほぼ解明できる資料が集まったことである。
”総力戦”で挑んで敗れた否定派が受けたショックがいかに大きかったかは、夏淑琴名誉毀損裁判に被告側弁護人は2人だけ、被告の東中野修道本人も法廷から逃げて出廷しないという否定派の及び腰からも知ることができよう。
(『史実を守る会通信』同号)。
夏淑琴(1929年5月5日-),南京人,南京大屠杀幸存者。
李秀英(1919年2月24日-2004年12月4日),山东郓城人,南京大屠杀幸存者。
Deutschドイツ語→Tokushi Kasahara 笠原十九司(Kasahara Tokushi(群馬県出身, 1944 -), das Japan der Historiker . Emeritierter Professor der Tsuru Universität . Spezialisiert auf moderne chinesische Geschichte.
決定版『「百人斬り競争」と南京事-笠原十九司教授の新著
このたび新著『「百人斬り競争」と南京事件』(大月書店)を刊行した都留文科大学の笠原十九司教授は、1944年すなわち日本敗戦の前年生まれだから、戦争中はもちろん戦後しばらくの日本の具体的風景を体験的に認識してはいないだろう。その笠原氏が中国の近現代史、ひいては南京事件に強い関心を抱いてその分野の専門家にすすんだ動機は、学生時代のベトナム反戦運動にあった。
ベトナム戦争は、アメリカ合州国という現代最大の帝国主義の侵略性を世界にようやく明確に認識させ、しかもそれを初めて敗北せしめた世界史上の大事件だが、これには当の合州国や米軍基地のある日本も含めて、世界的に広範な反戦運動がもりあがったことも大きな特徴だった。反戦運動はとりわけ学生の間で全国的な大波となり、この時期に生涯の方向を定めた例が実に多い。
笠原氏もその1人だった。ベトナムの米軍のやりくちを知って、それでは中国で日本軍は何をしていたのかに注目しはじめたという。その結果が、のちの笠原氏の著書でいえば南京大虐殺に関連する『アジアの中の日本軍』『南京事件と三光作戦』(いずれも大月書店)とか『南京事件』『南京難民区の百日』(いずれも岩波書店)、『南京事件論争史』(平凡社新書)、『南京事件と日本人』(柏書房)、『体験者27人が語る南京事件』(高文研)となったのである。

"Hundred people slashing competition" and Nanjing massacre-from elucidation of historical facts to historical dialogue Tokushi Kasahara [Author] "Cent homoj batantaj konkurencon" kaj Nankina buĉado - de klarigo de historiaj faktoj ĝis historia dialogo Tokushi Kasahara [Aŭtoro]


Milito en Vietnam esis milito qua duris dum cirkume 35 yari sen ula rupto. Depos la duesma mondomilito ol influesis da la kolda milito, inter Usa e Sovietia. La vjetnama milito okazis inter 1964 kaj 1975 sur la teritorioj de Sud-Vjetnamio kaj ĉe la limregionoj de Kamboĝo kaj Laoso. En Nord-Vjetnamio okazis ĉefe aera bombardado.
「まぼろし」派は敗退
笠原氏よりひとまわり年長になる俺の場合も、ベトナム戦争が生涯の方向への曲がり角になった点は共通している。あの『極限の民族』(朝日新聞社)シリーズで『カナダ・エスキモー』と『ニューギニア高地人』を発表したあと、すでに”第三次世界大戦”とさえ言われはじめていたベトナム戦争への取材を編集局長(朝日新聞社)に申請したが、当時の局長から(もうひとつだけ)この民族シリーズをと命ぜられた結果が『アラビア遊牧民』(1965年)であった。
その翌年の暮れから1967年の10月にかけて取材したベトナム戦争での米軍最前線と解放戦線(ルポ『戦場の村』)。これが、かつての日本軍を取材する発想に結びついてゆく。その結果たる『中国の旅』や『南京大虐殺』は、ジャーナリストとしての後半生の主要な柱となった。
笠原氏の新著にちなんで連想するまえにペンをすすめたものの、この本自体についても無論ふれておかねばならない。その序論で述べられているように、いわゆる『南京大虐殺論争(南京事件論争)』は、拙著『中国の旅』で「百人斬り」競争にふれたことがきっかけとなってきる。南京大虐殺を「まぼろし」や「虚構」と主張する否定派は、これを史実と証明する圧倒的な資料集や歴史書が出たため90年代半ばまでに学問的に敗退していた。しかし「百人斬り」競争それ自体についての解明は十分ではなかったため、敗退した否定派は巻き返しをはかるべく、「百人斬り」競争を事実無根とする名誉毀損裁判を起こした(2003年4月)。
これで被告とされたのは俺のほか朝日新聞社・毎日新聞社・柏書房を含む四者、原告は「百人斬り」競争で死刑になった野田・向井2小尉の遺族である。しかし裁判は一昨年の最高裁判決で原告(遺族側)の敗訴が確定した。これらの経過については南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論 13のウソ』(柏書房・1999年)、渡辺春巳・星徹・本多勝一共著『南京大虐殺歴史改竄派の敗北』(教育史料出版会・2003年)、拙著『南京大虐殺と日本の現在』(金曜日・2007年)などを参照されたい。
それにしても、改めて嘆息せざるをえない。「百人斬り」競争は今から71年前の事件である。このような明白な事件をめぐっての「論争」など、同じ敗戦国ドイツではありえない。ところが最高裁で確定した後でも、マスメディアでは否定派の”作品”が大量に出まわって、日本の恥を世界にさらしている。笠原氏のこの著書は、歴史学の立場からこの馬鹿げた恥さらし論争に「ひとまず決着をつけることができたという思いでいる。」(「あとがき」から)。
おわりに、第一章の最後一文を引用しておきたい。-「日中15年戦争において、中国戦場に「何百・何千の野田・向井」がいて無数の「百人斬り」をおこない、膨大な中国の軍民に残酷な死をもたらしたということが、決して誇張ではないことが推察されよう。」(『週刊金曜日』2008年8月29日)
南京大虐殺の生き残り・夏淑琴さんの勝訴
2007年2月2日午前4時半、東京地裁である国際事件の判決がありました。詳細はこの問題をずっと追ってきた星徹氏によって報告されるはずですが、これには私もかかわってきたので、その勝利判決を祝して一応ふれておきたいと存じます。
『週刊金曜日』読者の中には、今から19年前に刊行された洞富雄・藤原彰・本多勝一編『南京大虐殺の現場へ』(1988年・朝日新聞社)を読まれた方もあるかと思いますが、あの中に「少女輪姦殺人事件」の体験者・夏淑琴さんからの私の聞き書きが収録されています。こんどの勝利判決とは、その夏淑琴さんを原告とする裁判での結果でした。
内容をごく簡略に短縮して述べますと、侵略日本軍が南京市内に突入して惨劇を展開した1937年12月13日、同居の一家9人のうち7人(祖父母・父母・姉2人・末妹)が殺され、8歳だった当人と上の妹(4歳)だけが助かりました。といっても当人は銃剣で3ヶ所刺されて気絶し、姉はフトンの下にいて気づかれなかった結果です。しかも母と姉2人は兵隊らによる輪姦殺人でした。
ところが9年前のこと、亜細亜大学の東中野修道教授が『「南京虐殺」の徹底検証』と題する本を刊行します(展転社・1998年)。この中で東中野教授は、捏造さえ含む実に粗雑かつ一方的な”分析”による推論によって、要するに夏淑琴さんは各資料に出てくる生き残り少女とは別人だとし、つまりはニセモノ扱いにして、ケタはずれのひどい名誉毀損を実行しました。さらにこの本は、2001年に台湾などでの繁字中国語版、2005年にはアングル語(英語)版も発行され、夏淑琴さんの被害は世界に広がってゆきます。

东中野修道(东中野修道Shūdō Higashinakano ,1947年10月19日- ),在日本的历史学家。名誉教授,系法系法,亚洲大学。学位文学博士(主题是“东德国家安全部的研究”立正大学,1995年)。生于鹿儿岛县。

痛烈な判決文
このとんでもない名誉毀損本が出た翌年、私たち南京事件調査研究会(*1)は、『南京大虐殺否定論13のウソ』と題する単行本を刊行します(柏書房・1999年)。この中で私が担当したのは日本軍将校による「百人斬り競争」についてですが、笠原十九司氏と小野賢二氏は東中野教授のこの著書の粗雑かつ一方的”分析”ぶりについて、それこそ「徹底検証」しました。要するに東中野教授の著書は「もはや学問とは無縁な『妄想の世界』」(笠原氏)にすぎぬことを明らかにしたのです。
実はこの本が出たとき、笠原氏の文章部分の余白(215頁)に私はこんなメモを記していますー「東中野に訂正・回収を求め、応じなければ中国と共同で裁判にしたらどうか。被告は小林よしのり・東中野・松村俊夫(*2)など」(1999年)
その翌年2000年・夏淑琴さんがまさに裁判を、まず中国で提訴したのでした。前述のような被害拡大に耐えかねてのことです。しかし被告・東中野教授は出頭しないまま、去年(2006年)夏さん勝訴判決が出されています。そしてこんどの日本語版です。判決文(*3)の中から興味深い一点を紹介しましょう。東中野教授に関して次のような文言が述べられていますー
「通常の研究者であれば「突き殺した」と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し、その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して、当然に「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が同一人である可能性に思い至るはずである。」「・・・被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言っても過言ではない。」
これは痛烈ですね。つまり東中野教授は「通常の研究者」ではなく「学問研究」でもないと断じているわけですから。大学教授は弁護士や医師のような公的資格試験があるわけではないので、だれでもなれます。ここで東中野にわざわざ教授と傍点をつけたのは、「こんな人物でも」を意味するためです。こんな人物に教えられる学生が気の毒ですね。(一部敬称略)
*1 南京事件調査研究会は1984年3月に洞富雄氏を代表として歴史学者を中心に弁護士やジャーナリストも加わって発足し、同年12月には南京へ第一次現地調査団(藤原彰団長)、1987年に第二次現地調査団(同)を派遣した。
*2 松村俊夫のでたらめぶりは教育史料出版会『南京大虐殺歴史改竄派の敗北』(渡辺春巳・星徹・本多勝一共著、2003年)の中で、彼の著書に対して渡辺春巳弁護士が詳述。本書44ページ参照。
*3 判決は三代川三千代裁判長と藤本博史・兼田貴両裁判官、原告の夏淑琴側弁護団は渡辺春巳・山田勝彦・尾山宏・米倉勉・南典男・穂積剛・上野格・井堀哲・菅野園子・山森良一の各氏。
(『週刊金曜日』2007年11月9日)
秋元康Yasushi Akimoto=京都造形藝術大學副校長兼藝術學部教授 profesor japonés Es vicepresidente de la Kyoto University of Art and Design→①Jul 20, 2015 — Ясуси Акимото — это то, что 50 лет назад многие пожилые японцы назвали бы Зегеном, или торговцем, который имел дело исключительно с молодымиJul 24, 2011 —  AKB48 - Сексуальная эксплуатация девочек-подростков в японской поп-культуре ... Ясуси Акимото②Nov 1, 2016 — Japanische Band erregt Ärger mit Halloween im Nazi-Stil ... Keyakizaka46, ein Spin-off des überaus beliebten J-Pop-Stalls AKB48 von Yasushi Akimoto , trug schwarze Kostüme im Militärstil③Sep 16, 2018 —La agencia de BTS , Big Hit Entertainment, rompió el silencio el sábado sobre la controversia que rodea al productor japonés Yasushi Akimoto←『Let History Judge歴史の審判К суду истории(Devant le tribunal de l'histoire)』↑↓

Déclaration du nouveau gomanisme de Shogakukan Bunko <5>  Yoshinori Kobayashi [Auteur]
instructions: Suite au numéro du manuel et à celui des femmes de réconfort, la controverse sur le «massacre de Nanjing» a éclaté. Yoshirin ose aboyer alors que le discours des intellectuels s'égare et engloutit les gens dans un tourbillon de suspicion! En plus du reportage spécial "La vraie vérité de Nanjing" qui résume brièvement toutes les questions du "massacre de Nanjing", l'édition spéciale "The Stray of Speech on Sakakibara Boy A" qui résume l'affaire du meurtre d'enfants de Kobe, avec M. Masahiko Tsugawa Le volume 5 tant attendu de Gorman dans le monde de la parole de plus en plus rigide, comme le dialogue et les problèmes des enfants adultes. Comment voyez-vous la trajectoire d'un gomaniste qui continue de dire «le roi est nu» et reçoit un soutien enthousiaste du monde entier?

instructions: Following the issue of the manual and that of the comfort women, the "Nanjing Massacre" controversy erupted. Yoshirin dares to bark as the talk of intellectuals wanders off and engulfs people in a whirlwind of suspicion! In addition to the special report "The True Truth of Nanjing" which briefly summarizes all issues of the "Nanjing Massacre", the special "The Stray of Speech on Sakakibara Boy A" which summarizes the murder case of Children of Kobe, with Mr. Masahiko Tsugawa Gorman's long-awaited volume 5 in the world of increasingly rigid speech, like adult child dialogue and problems. How do you see the trajectory of a gomanist who continues to say “the king is naked” and receives enthusiastic support from all over the world?

Déclarationsur le néo-gomanisme Théorie spéciale de la guerre  Yoshinori Kobayashi [Auteur]
instructions: Une écriture de libération qui brise la chaîne de la malédiction invisible pendant plus de 60 ans après la guerre? Ou est-ce un livre interdit qui suscite les cauchemars de la guerre? Qu'est-ce qu'une guerre? Qu'est-ce qu'une nation? Et qu'est-ce que «individuel»? Un blockbuster chef-d'œuvre de 384 pages! Individus qui considèrent la paix comme un service / À grande échelle pour les jeunes Explication de la guerre au Japon / Individualisme des enfants soumis au lavage de cerveau lors du procès de Tokyo / Neige sur l'île du sud / Esprit d'attaque spécial / Les personnes qui ont quitté le public ne sont pas des personnes / Violence approuvée, non approuvée violence / Comparez la cruauté avec les forces armées d'autres pays / Voir à travers de fausses photos de paix anti-guerre / "Témoignage" / Grand-père abandonné / Expérience de guerre passionnante / Expérience de guerre auto-sacrifiante Et justice / histoire pour protéger Kuni / Avez-vous été dupé par les militaires? / Individuel et public etc.

大東亜戦争肯定論を展開し、世代を超えたベストセラーを記録。Développe la théorie d'affirmation de la guerre Daitoa et enregistre un best-seller qui transcende les générations.新・ゴーマニズム宣言8(小学館文庫)作/小林よしのりNouvelle déclaration de gomanisme 8 (Shogakukan Bunko)  Auteur Yoshinori Kobayashi (Auteur)
「南京大虐殺」の虚構に眼をつぶり、日本人を巨悪にしたてあげることで、ホロコースト問題に対する自らの罪悪感から逃れようとする反日ドイツ人記者。そして、世界中の反日感情に火をつけてまわるサヨク運動家たちと根強くはびこる自虐史観Un journaliste allemand anti-japonais qui tente d'échapper à sa propre culpabilité sur la question de l'Holocauste en fermant les yeux sur la fiction du "massacre de Nanjing" et en faisant du peuple japonais un monstre. Et la vision masochiste de l'histoire qui est profondément ancrée chez les militants Sayoku qui enflamment le sentiment anti-japonais dans le monde entier

こんな歪んだ「敵」に、よしりんが一喝!Yoshirin crie à un "ennemi" aussi déformé ! オウム擁護派も「少年H」も叩っ斬り、歴史教科書や情報公開問題にも鋭く迫るAttaquer les défenseurs d'Aum et de "Shonen H", approcher brusquement les manuels d'histoire et les problèmes de divulgation d'informations『SAPIO』連載作のほか、特別書き下ろし「欧州より国を想う」収録En plus de la sérialisation "SAPIO", spécialement écrit "Europe yori Kuni wo Omu = Penser au pays plutôt qu'à l'Europe" est inclus.

Shudo Higashinakano東中野修道「教授」→ 肯定的評価:漫画家小林よしのりからは「最新の研究として一番信用できる」と評されているÉvaluation positif:Il est décrit par le dessinateur Yoshinori Kobayashi 
comme " la dernière recherche la plus fiable"Positive evaluation:It is described by cartoonist Yoshinori Kobayashi 
as " the most reliable latest research." 
①Le "système irresponsable" n'est plus acceptableもはや「無責任体系」は許されません'Irresponsible system' is no longer acceptable②'Supérieur' ne fait que pousser la 'responsabilité globale' 'vers le bas' et ne prend aucune responsabilité’下’へ「全体責任」を押しつけるばっかりで、’上’はまったく責任をとらない'Upper' just pushes 'downward' 'overall responsibility' and does not take responsibility at all(Au final, cela reste flou, mais finit par "disparaître dans les nuages"結局はうやむやのまま、やがて「雲散霧消」するIn the end, it remains vague, but eventually "disappears into clouds")En d'autres termes, l'ancien "style d'école primaire" ne fonctionne pasすなわち、古来の「小学校式」は通じないIn other words, the ancient "elementary school style" does not work③De plus, je ne veux pas vous permettre de dire des choses comme "je ne m'accroche pas au passé" parce que "les rumeurs des gens sont de 75 jours" comme le type habituel ≪Dai Nippon-jin≫, et laissez la matière s'installerさらに、いつものザ『大日本人』型のように「人の噂も75日」だから「過去にこだわらない」などと一件落着させたくないですIn addition, I don't want to allow you guys to say things like "I don't get hung up on the past" because "people's rumors are 75 days" like the usual ≪Big Man Japan≫ type, and let the matter settle down④Pas de "Misogi", "Flush", "Expiration", "Oublier"「みそぎ」「水流し」「時効」「忘れなさい」一切お断りNo "Misogi", "Flush", "Statute of limitations", "Forget"「Je ne pardonne pas l'ignorance知らぬ存ぜぬは許しませんI do not forgive ignorance」⑤Shogakukan, Fusosha, président du "Yoshirin Kikaku" préféré ≪l'opportunisme≫ 小学館、扶桑社「よしりん企画」社長お得意≪ご都合主義≫Shogakukan, Fusosha "Yoshirin Kikaku" president's favorite ≪opportunism≫Alternativement, la méthode standard "Isaiah Ben-Dasan" de Bungeishunju Co., Ltd. "Dammari(Singes de la sagesse) tactic" est également inutileあるいは株式会社文藝春秋「いざや、便出さん」常套手段≪ダンマリ戦術≫もダメAlternatively, Bungeishunju Co., Ltd.'s "Isaiah Ben-Dasan" standard method "Dammari (Three wise monkeys) tactic'' is also useless⑥L'"ordonnateur" (incitateur) et l'"initiateur" devraient en être responsables, et l'"exécuteur" (complice) "sympathisant" devrait en être responsable「命令者」(煽動者)「仕掛人」にはその責任があり、「実行者」(加担者)「同調人」にはその責任があるはずThe "orderer" (inciter) and "initiator" should be responsible for it, and the "executor" (accomplice) "sympathizer" should be responsible for it→Au moins, je poursuivrai jusqu'au bout少なくとも、私は最後まで追及しますAt least, I will pursue to the end    Antid Oto(Canada)2023/06/30








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