日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Sunji Sasamoto japán haditudósító magyar kitüntetése【Европа во время Второй мировой войны/Europe during World War II/Europa während des Zweiten Weltkriegs/第二次世界大戦下のヨーロッパ】Сюнджи Сасамото笹本 駿二Shunji Sasamoto(CANADA)2024/03/11⑦

 レープ元帥のひきいる北軍は、レニングラード包囲戦に没頭し、ボック元帥麾下の中央軍は、モスクワ進撃を途中で変更し、北部、南部に勢力を分散して中途半端な作戦を命じられた。ルントシュテット元帥の南軍は、ウクライナ工業地帯占領に向った。こうしてドイツ軍主力は三つの広大な地域に分散された。ドイツ軍首脳は、モスクワ正面に向って退却したソ連軍主力の殲滅こそ戦略目標である、と主張したがヒトラーに拒否されたので…

☆Троцкийלייב טראצקי☭武力なき予言者/THE PROPHET UNARMED トロツキーTROTSKY 1921-1929 アイザック・ドイッチャー/ISSAC DEUTSCHER第四章CHAPTER IV: 幕合An Interval⑧

 スターリンがレニングラードの連中を容易に急速に圧倒した事実は、第14回党大会の日々にトロツキーの描き出していた希望が、根拠のなかったことを示した。もはやそれ以上の編成替えの兆もなく、彼の期待したような共産主義者たる労働者の官僚に対する反撃の兆しもなかった。レニングラードの連中の闘争は、モスクワの労働階級の細胞のなかに、なんの同情の動きも、さざ波さえも起こさなかった。党の機関は、すさまじい威力を…

THIS I CANNOT FORGET/Anna Larina(translated from the Russian by Gary Kern)『夫ブハーリンの想い出(下)/アンナ・ラーリナ(和田あき子訳)』Незабываемое/А́нна Ла́рина - Товарищ«☭Большевистский переворот/Союз Советских Социалистических Республик☆»⑤

フルンゼの母や、妻にはスターリンに対するこのような告発をするどのような根拠があったのか私にはわからない。ピリニャークの小説が根拠であったということもあり得るし、反対に、彼ら自身が作家の情報源であった可能性もある。1938年には私はスターリンの残忍非道な行為には疑問は持っていなかったが、彼がフルンゼの死に関与していたということには疑問をもっていた。1925年にはスターリンはそれほど悪い企みは持って…

『My Showa history私の昭和史Mon historique Showa』Сюити Като加藤周一Shūichi Katō編edit(1988) 岩波新書Iwanami Shinsho【쇼와 시대昭和時代Сёва】(2024/03/31)CANADA🍁③

 踏みにじられた女たち  当時、私の大隊本部では大隊長の中沢少佐以外の将校は皆独身だった。指揮班長の木元大尉、大隊副官の横瀬中尉、軍医官の林大尉、それに私と、皆学徒兵出身の将校である。そして全員20歳代半ばで、女の取り扱いについては無知と同じだった。ただ、女に酒をすすめることだけが、私たちにできるすべてだった。  第11軍の殿部隊として敗戦まで中国軍と激闘し、それ以前は常に最前線にいた私たちが、…