日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Alerts for: City of Toronto - Heavy snowfall has arrived 大雪の朝/ La ville des centenaires : Les trésors d'Okinawa/Karate Okinawa documentaire/中國、琉球與日本這五百年的愛恨情仇

3:52 AM EST Monday 22 February 2021
2021年2月22日(Lundi-Monday=月曜日)大雪注意報のリッチモンド・ヒルから
みなさん、おはようございます☆すでに、かなり積もってまだ降ってます。静寂そのものながら、さっきは一瞬、停電になりました。でも午後から「雨」に変わる予報。先週もよく雪がつもり、雪かきは結構なもんでした。本日はジム開店の初日(なんか緊張しています)。「福島地震」や「我が国」はどうでしょうか?相変わらず「天と地と」「地球の裏側」のできごと。まったく想像できません。ともあれっ、また1週間のはじまり。がんばって出勤してきます。また後ほど 再見 謝謝 一路平安 サミー



















2016/06/19 18:59 
島袋忠司(アマ9勝(3KO・RSC)1敗(日韓親善試合)高校選手権(インターハイ)九州大会制覇(興南高)沖縄県那覇市出身)+16勝(12KO)2敗1分)
懐かしい名前です。上原兄弟の甥、アマ時代から’サラブレット’と注目されていた。
筆者もその頃から期待の新人。何せカッコよく、いい男。そして天才肌のスマートなボクサーパンチャースタイル。
今里光男(トーアファイティング・元世界ランカー磯上修一(辰東)に4回KO勝ちでタイトル奪取「ボンボン、手が出ちゃって」。再戦でも9回TKO勝ち(磯上のラストファイト)。西村貴晴(金子)に5回KO負けで失ったタイトルを杉本光一(グリーンツダ・西村に判定勝ち=西村のラストファイト)に判定勝ちで奪回)に初挑戦でKO負けしたときの悔しさは今なお新しい。ロープに詰められいつものような’攻防分離’傾向に陥るかな、と思った矢先に放たれた右ストレートのカウンター。続いて左フックもカウンターになり、強気の打ち合いへ。俄然、前にでて「おお!よしっ!」と気合が入った瞬間短い左で顎をかすめられダウン。
しりもちを突いて立ち上がれない。唖然とした表情。利いていた。カウントアウト。2回KO負け。今だに残念。「8回戦の選手」(今里言+岸本加世子女史(香坂みゆき女史との「ビンタ」の張り合い→「いたあ~いい(笑)」)とのドキュメンタリー番組(「20歳」の特集)懐かしいです(厨房で鍋をふりながら)「食べたくない。飲みたい」)とこきおろされていたので、余計に悔しかった(苦笑)。
敵地だろうが世界王者だろうが勇敢に打って出た叔父2人。甥の方は、もう一つボクサーになりきれなかった。ハンサムな顔立ちのとおり神経が過敏。プレッシャーに弱い。それがもろさにつながる。
A級ボクサー賞金トーナメント決勝で高橋直人(アベ・全日本新人王(最優秀選手)今里に5回KO勝ちでタイトル奪取。再戦も3回KO勝ち「完全に相手を読んでいた。前の試合よりも素晴しい出来」(解説の浜田言)。故小林智明(角海老宝石)に判定負けで転落)に負けたときも悔しかった(優勝者高橋はMVP獲得)。3回ロープに詰めて左右を命中させ、連打に持ち込んだときはチャンスだったけど。最終6回、高橋得意の右カウンターを浴び、ダウンしたのが決定的。
再戦はこっちも気合入った。もちろんみたのはずっと後だったが、「島袋、6回KO勝ちで雪辱」の朗報(アメリカにいました)。大喜びだった。4回が象徴的で、鋭い連打を繰り出しながら肉迫する高橋にロープに詰められながらも怖じずに打ち返し。欠点とされていた’攻防分離’にならなかった。石川会長と抱き合って涙を流している向こうで高橋(減量苦からバンタム級では限界だった「自分のベストウェートで戦いたかった・・・ライト級にあげてもいいと思った。体力には自信があったから」)は長々と伸びている(「島袋君の実力は一枚上だったということです。今後は本人次第でしょう」故阿部幸四郎会長言)。最後の連打はすばらしかった。右ストレートが顎を突き上げ、フィニッシュパンチ、鞭のような右フックは絶賛。
インタビューでもいつもとおり謙虚。礼儀正しく物静かで本当にまじめな好感が持てる選手だった。
「どうぞこのベルト、いつまでも防衛してくださいっ」(アナウンサー)「はいっ、どうもありがとうございましたっ!」会長のことばかり気にしていたのがやや不安(「(ロードワークをさぼって)自分なんか2回ぐらいひっぱたかれてます(笑)」「(時代の移り変わりにより)島袋ぐらいまでですよ」(石川会長言))。
「いうとおりやってくれました今日はっ!やればできるんですよっ・・・今後ともよろしくお願いしますっ!」(余談として、石川圭一会長(元全日本新人王・日本ライト級王者・東京都出身)は「負けたら坊主にする」といっていたが。「負ける気がしない」(島袋は雪辱に燃え、絶好調だった「KO以外考えられないですよ」)と試合数日前に五分刈りにしてしまったという)。
それからしばらくは「寵児」。年間最優秀選手にも選ばれ嬉しかった。次戦が行われない「ラスト・ファイト」となってしまうとは。
プロボクサーとしてあってはならない「ドタキャン」(しかも2回目。今度はタイトル初防衛戦の注目カード)。脱水症状を起こした(1回目といっしょ)。大口叩きのクラッシャー・三浦(本名三浦利美・国際・5連続KO勝ち中、「島袋をぶっ壊す」と宣言)を豪快に沈めるのを楽しみにしていたけど。
「これではファンに申し訳ない。あれはもう引退させます」。会長の言葉が、前回の殊勲と逆作用。悲しくさびしかったです。
大分後に、沖縄で開かれた興南・沖縄水産でならした名コーチの記念会に出席していた。太ってすっかりおっさんになっていたけど元気そうで何より。
元世界王者の平仲、浜田、具志堅、上原康恒と金城眞吉監督(★追悼★2017年11月16日、肺がんのため死去=享年73歳)が手を握り(いい写真だった)。玉城信一(帝拳(サウスポー)沖縄県那覇市出身・高校選手権(インターハイ)覇者(興南高)・全日本新人王(MVP獲得)・元日本ミニマム級王者(3度防衛)「特発性大腿骨頭壊死」という難病を患い(新垣論(奈良池田(サウスポー)沖縄県糸満市出身・高校選手権(インターハイ)制覇(沖縄水産)・元IBF世界バンタム級王者)も類似の難病を患った)、王座を返上して引退。那覇市内でクラブを経営しているそう)。そして車椅子が痛々しい名嘉間堅安氏(三迫・沖縄県国頭郡恩納村出身・興南高・兄堅徳(三迫・サウスポー)は元日本フライ級王者)も出席していた。決勝で後の世界王者(前年の覇者)大橋秀行(ヨネクラ(兄克行(河合)は元日本バンタム級1位)横浜高・ロス五輪代表選考を兼ねた全日本選手権(専修大)準決勝で黒岩守(全日本王者(日大・アシックス=合計5度制覇)ロス、ソウル五輪(双方準々決勝進出)代表・プロ入りはしなかった)に判定負け)を破り(アマ時代大橋に2勝1敗)高校選手権(インターハイ)制覇(プロ6勝(4KO)2敗(1、東日本新人王予選で後の世界ランカー渡真利誠司(キング・沖縄県沖縄市安慶田出身出身・コザ高(高校選手権3位)・輸入ボクサー伊達・ピント(メキシコ)を3回にノックアウト)に4回判定負け(渡真利は決勝で玉熊幸人(国際(サウスポー)高校選手権(インターハイ)準優勝(青森商業)決勝で新垣に敗れた)後の世界王者、レパード・玉熊)に6回判定負け)2、同じく後の世界ランカー小野健治(辰東・輸入ボクサー仙台・モンティル(メキシコ)からダウンを奪い、判定で破る金星)に9回TKO負け(くも膜下出血)意識不明となり。そのまま引退、最後の試合となった)その後も回復のリハビリに励んでいる姿はボクサーの宿命、でしょうね。それにしても島袋対クラッシャー・三浦、みてみたかった。 アヤラ
*金城 眞吉(きんじょう しんきち、1944年10月16日 - 2017年11月16日[1])は、日本のアマチュアボクシング指導者。沖縄県出身。那覇市立首里中学校、沖縄県立南部農林高等学校及び日本大学卒業。



Hurricane Teru★追悼★故ハリケーン・照さん (as hurricane, real name Shunzo Terukina照喜名 俊三, 1952 February 3 - 2014 January ), the Japan of the original professional boxer . Born in Naha City , Okinawa Prefecture . The 34th and 36th Japanese bantamweight champions. He belonged to Ishikawa Boxing Gym when he was a professional. Graduated from Okinawa Prefectural Okinawa Technical High School .


Hiranaka Nobutoshi★追悼★故平仲信敏さん (Hiranaka Nobutoshi, 1968 - 13 septembro - 2000, 24 marto ), Japanio de Prizefighter . Naskita en vilaĝo Gushichan, distrikto Shimajiri, gubernio Okinawa (nuntempe urbo Yaese ). Iama japana lanugpeza ĉampiono. Akinobu Hiranaka , la plej juna el kvin gefratoj kaj eksa ĉampiono pri monda malpeza WBA , estas lia frato.







오야마 마스타쓰(大山倍達) 혹은 최영의(崔永宜, 1923년 6월 4일 ~ 1994년 4월 26일)는 전라북도 김제 출신으로 일본에서 활동한 한국계 일본인 무술가로, 극진공수도의 창시자이다. 국제공수도연맹 총재와 극진회관의 관장을 지냈다. 한국에서는 최배달(崔倍達)이라는 별칭으로도 잘 알려져 있으며, 대한민국 영화 《바람의 파이터》의 실제 주인공이기도 하다. 영어권에는 Mas Oyama라는 이름으로 알려졌다.



노초웅(盧初雄, 1948년 3월31일 ~ )은 한국계 일본인 무술가이다. 일본 사이타마현에서 재일교포 2세로 태어났으며, 일본에 귀화한 후 로야마 하츠오(盧山初雄)라는 이름을 사용하고 있다. 국제공수도연맹 극진회관의 최고고문・수석사범을 역임했고 현재는 재단법인 극진장학회, 극진공수도연맹 극진관의 관장으로 활동하고 있다. 극진가라데 9단, 태기권 교사 7단.


★追悼Memorial★故Lateマーク(堀越)ブルックスさん(2014年4月に死去=享年52歳+「はじめの一歩」ジェイソン・尾妻のモデルMark Anthony Brooks 2014-04-02 / age 52 Mark Horikoshi died of illness in his home country, a great match with Naoto Takahashi BOXING NEWS Jun. 15, 2015 — 元日本J・フェザー級チャンピオンで、1989年に高橋ナオトとの壮絶ダウン応酬戦で知られるマーク堀越さん(本名マーク・ブルックス)が昨年4月、母国アメリカで亡くなっていたことがわかった。終身戦績20勝(14KO)7敗


Summary of scandals and incidents of Gokuraku Tombo and Keiichi Yamamoto! There is an image of the victim woman


2021/01/ Keiichi Yamamoto's "Mecha-Ike" return, Hitoshi Matsumoto & Koji Imada and others were moving


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