日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Gim Ilseong김일성金日成・Kim Jong-il김정일 金正日『김일성 후 한반도/마에다 야스히로 (저)』/【Korean Peninsula after Kim Il Sung /Yasuhiro Maeda (Author)】/<金日成後の朝鮮半島 / 前田 康博(著)>①

日本のマスコミに洪水のように流布する悪意に満ちた情報と解説を両断し、北朝鮮の疑問に明解に答える待望の書。元毎日新聞ソウル支局長で、朝鮮問題分析に定評のある著者による緊急報...
내용 설명
김일성 후 한반도는 어떻게 될까. 지금 북한의 동향 이야말로 동아시아와 일본 강진의 열쇠를 쥐고있다. 김정일 후계 체제가 확립 할 것인가. 핵 사찰 문제는 어떻게 진전 될 것인가. 북미 국교 정상화가 이루어진 것인가. 북일 교섭의 행방은 .... 이 책은 일본 언론에 홍수처럼 유포하는 악의에 찬 정보와 해설을 양단하고 이러한 질문에 명쾌하게 대답 대망의 책.

instructions
What will happen to the Korean Peninsula after Kim Il Sung? North Korea's trends are now the key to the tremors in East Asia and Japan. Will the successor system to Kim Jong Il be established? How will the nuclear inspection issue progress? Will the US-North Korea diplomatic relations be restored? Whereabouts of Japan-North Korea negotiations ... This book is a long-awaited book that answers these questions clearly by cutting off the malicious information and commentary that is disseminated to the Japanese media like a flood.

前田康博(まえだ・やすひろ)北九州大学外国語学部教授(国際関係学科で国際関係史、朝鮮・韓国の政治外交などを担当)。大阪生まれ。同志社大学経済学部卒、毎日新聞東京本社編集局外信部記者(アジア・朝鮮問題担当)、ソウル支局長(常駐特派員)、編集委員を経て退社。この間、中京女子大学客員教授、中央大学、大正大学、駿河台大学、共立女子短大などの兼任講師を務める。
朝鮮半島、中国を含むアジア・欧米各国を取材・訪問。これまでに8度の訪朝を行ない、金日成主席との単独会見。

김일성(金日成, 1912년 4월 15일 ~ 1994년 7월 8일)은 조선민주주의인민공화국의 초대 최고지도자였다. 1948년 9월 9일부터 1972년 12월까지 조선민주주의인민공화국의 내각 수상을 지냈고 1972년 12월 28일부터 1994년 7월 8일 사망전까지 조선민주주의인민공화국의 최고지도자를 지냈다.

Latinaラテン語→Gim Ilseong, litteris Coreanis 김일성, Latinis saepius Kim Il-Sung (natus Pyeongyang in urbe die 15 Aprilis 1912, nomine nativo Kim Sŏng-ju; in pago Hyangsan mortuus die 8 Iulii 1994) fuit princeps Coreae Septentrionalis ab anno 1948 usque ad mortem, successore filio Gim Jeong-il, cui succedit filius Gim Jeong-eun.

김정일[1](金正日, 1941년 2월 16일 ~ 2011년 12월 17일)은 조선민주주의인민공화국의 최고지도자였다. 또한 김정일은 조선민주주의인민공화국 국방위원회의 위원장이였으며, 아버지 김일성, 어머니 김정숙 사이에서 태어난 첫째 아들이다.

Françaisフランス語→Kim Jong-il (en chosŏn'gŭl : 김정일 et en hanja : 金正日, prononcé : /kim.dzɔŋ.il/), né le 16 février 1941 ou 19422,1 et mort le 17 décembre 20113, est un homme d'État nord-coréen, dirigeant de la Corée du Nord de 1994 à sa mort en 2011.

プロローグ
南北の和解と対話を妨げているのは何か
【金日成主席の死因は心臓病】
94年7月9日正午の平壌放送は、金主席の死亡原因に関する医学的結論書を次のように発表した。
「敬愛する領袖、金日成同志は、心臓の血管の動脈硬化症により、治療を受けた。度重なる精神的な過労により、7月7日、甚だしい心筋こうそくが発生し、心臓ショックを併発した。即時あらゆる治療を行なったにもかかわらず、心臓ショックが重なり、8日午前2時に逝去した。9日の検査で疾病の診断が完全に確定された」
かなり迅速に医学的結論を発表したのは、「死因」をめぐって韓国や米日などで謀略情報が生まれるのを避けるためだったとみられる。事実、明快や結論で死因について疑いをさしはさむ余地はなかったが、ワシントン7月8日発共同電は「米情報筋は金日成主席が死去したとの報道について、米朝高官協議の開催など「不思議に時期が一致しすぎている。自然死とは考えにくい」と述べ、何らかの内部抗争による死亡の可能性がある。との見方を明らかにした」という奇妙な情報を流した。

*평양직할시(平壤直轄市)는 조선민주주의인민공화국의 수도이자 최대 도시이다. 도시의 중심으로 대동강이 흐르며, 넓은 충적 평야가 발달하였다. 역사적으로 고조선의 왕검성, 고구려의 평양성이었고, 고려 때에는 서경이라고 불렸다. 조선민주주의인민공화국에서는 별칭으로 혁명의 수도라고 부르며, 옛 소련의 건물 양식과 유사한 건물들이 지어졌다. 한국 전쟁 때 유엔군이 잠시 점령한 적이 있다. 1967년부터는 인구 증가로 인해 신도시 건설을 추진하여, 다양한 건축물이 세워졌다.
*평양방송(平壤放送, 영문명: Pyongyang Broadcasting Station (PBS), Radio Pyongyang)은 조선민주주의인민공화국의 국영 라디오 방송사이다. 조선로동당 대남사업부에서 운영하는 라디오 방송으로, 북한의 대외, 대남 선전방송이다. 1972년 11월에 조선중앙 제2방송을 평양방송으로 개칭하였다. 공식적으로 언급된 주파수는 중파 3개, 단파 1채널, 초단파 2채널로 하루 도합 23시간 30분 방송하고 있으며 방송 내용의 40%가 대남 비방방송이다.
だが平壌放送が死去を発表した時間は米国では深夜であり、「米情報筋」が自然死を疑う根拠も示さず、内部抗争による死亡の可能性を強調したとは考えにくい。取材源を「情報筋」とする記事は記者の「創作」物である場合が多く、この記事もねつ造された架空のものである疑いが濃い。日本各紙も「自然死に疑義」(『朝日新聞』9日付夕刊)と大きく扱った。
平壌放送の伝える「心臓病による自然死」以外に情報がないことを奇貨として、流せたデマ情報の一つだが、日本では朝鮮専門家と自称する識者が紙上で「不審な死」を印象づけようとことさらこの情報を重視する場面が見られた。
【北異変説を流す情報当局】
韓国では官民とも金主席死去に大きなショックを受けたが、不審死を信じる人は少なく、当初から高齢と心臓病という発表を自然に受け入れたようだ。それは8年前、全斗煥政権が流した「金主席死亡説」によって振り回された苦い経験があるためだろう。
*전두환(全斗煥, 1931년 3월 6일 (음력 1월 18일)[2] ~ )이는 대한민국의 제 11·12대 대통령이다. 본관은 완산이다.
86年11月17日午前、韓国国防省が突如、「軍事境界線の対南宣伝拡声器放送が主席死亡を伝えた」と公式に発表した。同時に韓国の連合通信が在韓米軍(米第8軍)の「消息筋」を引用して、軍事境界線の北側で、「半旗が掲げられ、葬送曲が流れている」という情報を背信した。その直前の15日から東京を中心に「北異変」説が公安当局者や一部マスコミの間で流されていたが、このデマ情報の震源地はソウルだったことが後に明らかになった。
*연합뉴스(聯合뉴스, 영어: Yonhap News Agency)는 방송과 신문, 정부, 포털 사이트, 기타 예약 구독자에게 기사를 공급하는 국가기간 뉴스통신사다. 본사는 서울특별시 종로구 율곡로2길 25 (수송동)에 위치에 있다. 1980년 12월 19일, 신군부의 언론 통폐합 시기에 당시 양대 통신사였던 합동통신(合同通信)과 동양통신(東洋通信)이 통합하고 시사통신을 위시한 여타 군소 통신사를 흡수해 연합통신(聯合通信)으로 출범했다. 1998년 12월 19일 사명을 연합통신에서 연합뉴스로 변경했다.[1]

*주한 미군(駐韓美軍, 영어: United States Forces Korea, USFK)은 대한민국에 주둔하는 미국의 군대이다. 한미상호방위조약과 주한미군지위협정에 의해 대한민국 내에서 합법적 지위를 확보하고 있다. 주한미군을 통솔하는 조직은 한미연합사령부로, 사령관은 미군 대장이며, 부사령관은 대한민국 육군 대장이다.
韓国の公式発表で日本のマスコミが大騒ぎし始め、各新聞は全面見出しで死亡を報道し、「ありし日の金主席」というグラフ特集まで組む新聞もあり、この情報は日韓両国間であっという間に増幅された。翌18日、モンゴルのバトムンフ書記長を平壌空港に出迎える金日成主席の姿がテレビで放送され、結局、「世紀の茶番劇」は1日で幕が降りた。

*잠빙 바트뭉흐(몽골어: Жамбын Батмөнх, 1926년 3월 10일 ~ 1997년 4월 14일)는 몽골의 공산주의 정치 지도자로, 총리(1974년~1984년)와 몽골 인민혁명당 서기장(1984년~1990년)을 지냈다.

*ジャムビィン・バトムンフ(ジャムビン・バトムンフ、モンゴル語: Жамбын Батмөнх、ラテン文字転写の例:Jambyn Batmönkh、1926年3月10日 - 1997年4月14日)は、モンゴル人民共和国の政治家、経済学者。モンゴル人民革命党元書記長。1990年のモンゴル民主化運動での役割から、「モンゴルのゴルバチョフ」と呼ばれる。
奇妙なことに当時、在韓米軍はソウル駐在の内外情報陣を板門店の軍事境界線まで案内し、「半旗も葬送曲」もない平静な北朝鮮側の状況を見聞させた。すなわち米国は全斗煥政府の「北の異変」騒ぎを真っ向から否定する態度を示したわけである。
*판문점(板門店)은 한국 전쟁의 정전 협상이 진행된 곳으로, 대한민국의 행정 구역상으로는 경기도 파주시 진서면 어룡리, 조선민주주의인민공화국의 행정 구역상 개성특별시 판문구역 판문점리에 위치하고 있으며, 원래의 행정구역은 경기도 장단군 진서면 선적리였다. 현재의 판문점은 정전협정 이후 한국전쟁 포로 교환업무를 맡게된 중립국 인도군의 막사와 포로교환장소로 사용되었던 건물로써 , 정전협상이 이뤄진 실제 정전협정 조인장소는 현재의 판문점보다 북쪽으로 1.5km 정도 떨어진 장소에 위치해 있다.
全政権は半旗の存在を示す写真も、葬送曲の証拠となる録音テープもないと主張し、「南を混乱させるために北が仕組んだ謀略」だと説明した。
モンゴル書記長の訪朝は確実な日程であり、わずか24時間後には真偽が判明するのになぜ全斗煥大統領と陸士同期性の李基百国防相がこのような金主席死亡説を公式に流布したのか。真相はまだ謎に包まれているが、当時の韓国政情は戒厳令が敷かれてもおかしくないほど混乱していた。全政権が韓国軍内部の不穏な動きークーデターーを抑え込む緊急事態に追い込まれ、全軍を前線に張りつけておくため、苦しまぎれに「北異変」説をでっちあげたものとみられる。在韓米軍はこれに荷担せず、韓国軍上層部の動きを徹底的に監視する態勢を敷いたが、これは韓国内に深刻な「異変」が生じていたことを裏付けるものとなっている。過去にこのような謀略情報が飛び交ったことを知っているため、北朝鮮側は今回の金主席死去にあたって、謀略が飛び交う前に、迅速、かつ正確に報道した。
*이기백(李基百, 1931년 10월 20일[1] ~ 2019년 12월 16일)은 대한민국의 군인을 지낸 정치가이다.

【妙香山に託した南北首脳会談の夢】
政府機関誌『民主朝鮮』(94年8月13日付)は、金日成主席が死去の2日前の7月6日、大安重機械連合企業所のチョン・へグク技師長に最新の発電設備を生産する課題を与えたと伝え、主席が重機、セメント、電力、化学工業など経済各部門の責任者と会い、生産高揚の課題を示す指導を行なっていたことを伝えた。
*묘향산(妙香山)은 조선민주주의인민공화국의 평안북도 향산군과 구장군, 평안남도 녕원군, 자강도 희천시에 걸쳐 있는 산이다.
*《민주조선》(民主朝鮮)은 조선민주주의인민공화국의 신문이다. 조선민주주의인민공화국의 입법부인 최고인민회의 상임위원회, 행정적 집행 기관인 내각의 기관지이다.
金主席の死去については、韓国の連合通信(8月9日付)が「北京の西側情報筋の話」として、「実際に死去したのは公式発表より2日前の6日だった」と北側の公式発表を疑わせる情報を流した。
『民主朝鮮』紙によって連合通信の流した死亡日をめぐる疑惑は否定され、金主席は翌7日に妙香山へ出掛けるまで生産現場の責任者と会うなど、執務を行なっていたことがはっきりした。同時に韓国マスコミの流す「北京情報筋」を源とする情報が根拠のないものであることを示している。
金主席は平壌北方100キロの名勝地、妙香山で死去したことがしだいに明らかになってきた。
葬儀に出席した在米韓国人ジャーナリスト、文明子氏が明らかにしたもので、金主席は死去前日の7日、特別招待所のある妙香山の農家を視察した後、同夜、心臓発作を起こしたという(『朝日新聞』8月16日付)。

*문명자文明子(미국명 줄리 문, Julie Moon, 1930년 ~ 2008년 7월 21일)는 재미 교포 언론인이다. 조선일보, 동아일보, 경향신문, MBC TV 주미 특파원으로 근무했고 미국여기자협회 부회장, 미국기자협회 이사를 역임했다. ‘줄리 문’이라는 미국 이름은 소설 《대지》로 노벨문학상을 받은 펄 벅이 지어준 것이다.[1]
平壌から医師たちが駆けつけ応急手当てをしたが及ばず、翌日未明に死去したと北朝鮮側要人たちが説明したことが明らかになった。文氏によると、金主席は同月25日に南北首脳会談のため訪朝する韓国の金泳三大統領を迎える準備を指揮した。南北会談では妙香山での日程は特に組まれていなかったが、「金大統領に休んでもらおう」と計画したという。
*김영삼(한국 한자: 金泳三[4], 1927년 12월 20일 ~ 2015년 11월 22일)은 대한민국의 제14대 대통령이다. 본관은 김녕(金寧)이며[5], 호는 거산(巨山)이다.
金主席は「南北分断後初の歴史的な首脳会談だ」と興奮した表情で、閣僚数人を伴って招待所の寝室や浴室を点検し、冷蔵庫に北朝鮮名産のミネラルウォーターを備えるように指示した。その日の午後は、37、8度を越す酷暑の中、近郊の農場を現地視察し、妙香山に帰った。同日夜、突然心臓発作を起こした時は側近らに「大丈夫だ」といいながら、ばたりと倒れたという。平壌にいた金正日書記が急いで医師団をヘリコプターで送った。医師らは胸部を切開して緊急手術を試みたが、間に合わなかったという。
後述するが、8月末、フィンランドで記者会見した金正日書記の異母弟、金平日フィンランド大使は主席の臨終をみとったと証言している。金正日書記は当時、平壌にいたといわれている。金平日氏が閣僚数人と一緒に主席に同行していたかどうかは不明だが、6月にフィンランドから一時帰国していた同氏が金正日書記の指示で主席の側にいた可能性は大きい。

*김평일(한국 한자: 金平日(아명(兒名)은 金平一), 1954년 8월 10일 ~ )은 조선민주주의인민공화국의 외교관이다.
金主席が金泳三大統領を接待するために妙香山の宿所に行き、そこで死去したことは、南北の和解と対立のたどってきた曲折の歴史を考える上で象徴的な出来事といえるが、韓国にとっても痛恨事となるだろう。
金主席は6月のカーター訪朝で決定した金泳三大統領との会見を心から望み、賓客を歓待するためにさっそく猛暑を押して奔走していたわけであり、その後、南北首脳会談が宙に浮いてしまったことを重ね合わせると、金主席の無念さが伝わってくるようである。

*제임스 얼 카터 주니어(영어: James Earl Carter, Jr., 1924년 10월 1일 ~ )는 민주당 출신 미국 39대 대통령 (1977년 ~ 1981년)이다. 
筆者は文明子氏とともに平壌で開かれた南北首脳会談などを取材したことがある。著名な国際ジャーナリストとしての文氏は朝鮮問題が重大な局面を迎えるたびに訪朝し、精力的に要人と会見して重要な情報を入手している。上記の主席死去の模様はもっとも真実に近いと思われる。
筆者も91年9月、金主席との単独会見の直前、妙香山一帯の行楽に出掛けた。紅葉の時期には早かったが、東海岸の金剛山、北方の白頭山と並ぶ絶景の地である。その前年の90年秋、歴史的な日朝三党共同宣言をまとめた金丸信、田辺誠氏らもここで金主席と歓談し、日朝国交正常化を急ごうと誓った。

*가네마루 신(金丸信(山梨県出身, 1914년 9월 17일 ~ 1996년 3월 28일)은 일본의 정치인이다.
*田邊誠(日语:田邊誠/たなべ まこと Tanabe Makoto ?,1922年2月25日-2015年7月2日),生於日本群馬縣前橋市,日本社會黨籍政治家,曾擔任日本社會黨委員長(黨首)。
文氏は4月21日、金主席と会見しているが、その際、「韓国に30年ぶりに文民政府が生れたが、どう評価しているか」と質問した。金主席は「昨年(93年)2月、金泳三大統領の就任演説には非常に感銘を受けた。(金大統領は)「いかなる同胞も民族に勝るものはない」と述べたが、それは私の持論だ。私はあれほど感動的な就任演説をした彼が1年も経たない間に分断された民族の現実をより分裂の方向にもっていっていることを不思議に思っている」と答えたという(『コリアレポート』94年6月上号)。
この後、前述のカーター氏の訪朝があり、南北首脳会談の提案と受諾という劇的な新局面が生じたのであり、「同盟より民族が勝る」という言葉に統一の原点を求めようとしていた金主席の意思がこの発言にも投影されている。

【100日間の喪が伝統的習慣】
金正日書記がすでに国家指導者の地位を完全に掌握していることは確かであり、国家主席、党総書記のポストに就くのは形式の問題に過ぎないが、日韓両国では主席死去からわずか2週間後の告別式や追悼大会で金正日書記が発言しなかったことを重大な謎のように取り上げ、内部異変説の根拠にした。
そして7月27日の朝鮮戦争戦勝記念日、8月15日の解放記念日、9月9日の朝鮮民主主義人民共和国創建46周年記念日などに要職就任が発表されると予測し、いずれも外れると、今度は金書記の重病説を流し始めた。
この建国記念日にしても過去、金主席が生存中も出席したのは88年で、それ以後はない。金書記が国家元首であっても今年出席しなかったことが「異常」とか「異例」とはいえない。
ロシアのインタファックス通信(8月25日付)はロシア自由民主党のジリノフスキー党首が訪朝して金正日書記と会談したいと申し入れたところ、金書記から「100日間」に服していることを理由に、会えないとの手紙を受けとったと報じた。

*인테르팍스(러시아어: Интерфакс, 영어: Interfax, 문화어: 인떼르확스)는 러시아의 비정부 언론으로 모스크바에 본사를 두고 있다. 1989년에 출범되었다. 현재 인테프팍스는 유럽과 아시아에 회사를 두고 있다.
*러시아 자유민주당(自由民主黨, 러시아어: Либерально-Демократическая Партия России 리비랄너 지마크라찌체스카야 빠르찌야 라씨이[*]) 또는 단순히 러시아 자민당(러시아어: ЛДПР 엘데뻬에르[*])은 러시아의 극우 정당이다. 1989년 12월 13일, 블라디미르 지리놉스키에 의해 "소비에트 연방 자유 민주당"으로 설립되었다.
*블라디미르 볼포비치 지리놉스키(러시아어: Влади́мир Во́льфович Жирино́вский, 문화어: 울라지미르 쥐리놉스끼, 1946년 4월 25일 ~ )는 러시아의 정치인이다. 출생 당시의 성씨는 에이델슈테인(Эйдельште́йн)이었다. 

朝鮮では父母などの死去に当たり、1年間あるいは100日間を服喪期間とし、結婚などの慶祝行事を控える伝統的習慣がある。したがって喪が明ける10月16日まで就任の祝賀行事などが行なわれる可能性は当初からなかった。日韓のマスコミは金書記の健康悪化説、反対勢力の存在、はては経済困難なども挙げて、「後継体制の遅れ」を強調する報道を行なっている。

【反北朝鮮宣伝攻勢続く】
100日間の服喪期間中、北朝鮮と新指導部を中傷非難する謀略報道が蔓延したことは、今後、朝鮮半島情勢を分析する上で見逃せない要素である。
94年8月下旬、「平壌で金正日打倒のビラまかれた」という報道が流れた。これにも日本のマスコミが深く関与している。『朝日新聞』(8月24日付)は「ソウルの信頼できる消息筋が23日、明らかにしたところによると、平壌市内の外交公館が密集している外交団地内で、19日から20日にかけて、「金正日打倒」、「社会主義国家で世襲制はあり得ない」などと書かれたビラが大量にまかれた」という内容である。各紙もほぼ同様の記事を載せた。同紙は「ビラの詳しい内容は不明だが、同筋は「外交団地は、特殊な資格を持った人物以外は立ち入れない統制区域だ。ビラを持ち込み、ばらまいた人物は特殊階層に属する可能性が強い」との見方を語った」と報じた。ソウルの時事通信はこれを「韓国政府当局者の話として」伝えている。
ビラがまかれたことはドイツ外務省や日本政府も確認したため、日韓の報道は北朝鮮内部の不穏分子が活動している証拠だとして大々的に取り上げた。翌日、金泳三大統領までが与党議員との夕食会で「(これが事実とすれば)計画的な行動で、北朝鮮内の相当な階層の人物の行為と判断される」と述べ、ますます「北の混乱」説が盛り上がった。
平壌放送(同日26日)はこの報道について、「ビラは韓国安全企画部が作成し、空中からまいたものであり、韓国の反共自作謀略劇だ」と否定する論評を放送した。朝鮮中央放送が21日に放送した論評の中で「後継者問題を正しく解決することができなければ、野心家、陰謀家たちの背信行為により、党と革命が台なしになることは歴史的に経験済みのことだ」と報じていることから、日韓のマスコミはこれと結び合わせ、「金正日書記を危ぶむ見方も」(『産経新聞』8月25日付)と北指導部の内部が動揺しているという憶測を書き立てた。
*국가정보원(國家情報院, 영어: National Intelligence Service, 약칭:국정원, NIS[6])은 국외 정보 및 국내 보안정보[7]의 수집·작성 및 배포, 국가 기밀에 속하는 문서·자재·시설 및 지역에 대한 보안 업무,[8] 「형법」 중 내란의 죄, 외환의 죄, 「군형법」 중 반란의 죄, 암호 부정사용의 죄, 「군사기밀 보호법(군사기밀)」에 규정된 죄, 「국가보안법」에 규정된 죄에 대한 수사, 국정원 직원의 직무와 관련된 범죄에 대한 수사, 정보 및 보안 업무의 기획·조정의 직무를 수행하는 대한민국의 중앙행정기관이다.[9] 1999년 1월 21일 국가안전기획부를 개편하여 발족하였으며, 서울특별시 서초구 내곡동에 위치하고 있다. 원장은 장관급 정무직 공무원으로, 차장은 차관급 정무직 공무원으로 보한다.
朝鮮中央放送の内容は後継指導部体制の安定が必要であることを強調するための一種の修辞的表現であり、従来からも同様の表現は使われている。むしろ主席死去の衝撃から新体制への移行期に人民の気持ちを引き締めるためのものとみるのが自然だろう。
だがこのビラ騒動はさらにおかしな展開を見せた。
北京発共同通信電(9月4日)が「北京の東欧筋が4日、明らかにしたところによると、金正日打倒を呼び掛けるビラと、韓国に亡命したとされる北首相の写真入りビラの二週類が気球からまかれたのを、東欧の外交筋が目撃していたことが分かった」と報じた。「東欧筋は、気球からまかれたことや印刷されている写真などからみて、ビラは北朝鮮国内で作られたものではないとみている。ビラは青とピンクの上質の紙で、大使館の庭やプールに落ちた」。
これら一連の記事の元となった情報の出所が北京の消息筋、あるいはソウルの政府筋となっている。気球からばらまかれたという共同電は「北朝鮮国内で作られたものではない」と指摘しているが、前述の平壌放送の「韓国安全企画部が作成して空中からまいた」という主張と合致している。
この情報もまだ確認する術はないが、「国外からの気球」だとすれば、北内部の犯行説は一転して南の謀略説になる。ビラの「社会主義国家に世襲はあり得ない」という文言も北朝鮮で使う表現ではなく、南の情報当局のからんだ北朝鮮社会をかく乱する謀略劇だとすれば、金泳三大統領の言明も「マッチポンプ」に終わるだろう。

【相次ぐ”亡命者”の発言】
金主席の追悼大会(7月20日)直後から韓国政府は「北からの亡命者」と称する人たちをマスコミの前に出して、北朝鮮のイメージダウンを図った。ちょうど韓米会談第三ラウンドが、8月5日から始まる直前であり、核問題が解決へ向かうのを妨害するのを目的としたものとみられている。
なかでも韓国安全企画部が7月27日の記者会見に連れ出した亡命者は、北朝鮮の姜成山首相の前娘婿を自称する康明道(35歳)で、北朝鮮がすでに5個前後の核爆弾を完成させており、計10個が完成した時点で核兵器保有を宣言する方針だと語った。例によって日本のマスコミはこの会見に飛び付き、『毎日新聞』は一面をつぶすなど異様な熱心さで詳細に報じた。同紙は、「韓国政府が康氏らの会見をこの時期にセットした理由として、①8月から再開される米朝会談をにらみ、北朝鮮の核開発が黙認され、米朝関係改善などが先走りするのをけん制するため、②南北首脳会談が当分、実現が難しくなったと判断したため、同27日が北朝鮮の(朝鮮戦争)戦勝記念日にあたり、金正日書記の党総書記就任の発表など政治宣伝があるとみて、相殺効果を狙ったーの要因が指摘される」と解説したが、いずれも北の混乱を意図したものであり、南北和解と対話再開を求める姿勢からはほど遠いことが分かる。


*강성산(姜成山,[1] 1926년 3월 3일 ~ 2007년 3월 1일)은 조선민주주의인민공화국의 정치가이자 기업인, 경제학자이며, 조선로동당 최고위원이었다.
*강명도(康明道, 1958년 12월 4일 ~[1])는 대한민국의 대학 교수로 지난날 조선민주주의인민공화국 인민무력부 보위대학 보위전문 연구실장과 합영회사 부사장을 지냈으며, 1994년 대한민국으로 탈북하였다. 강돈욱의 6촌형제인 강선욱의 손자이며, 강량욱 조카손자, 김일성의 외가 쪽 10촌 동생이다. 본관은 신천.
주식회사 분게이슌주(일본어: 株式会社文藝春秋)는 일본의 출판사이다. 아쿠타가와 류노스케상, 나오키 산주고상 등을 비롯한 많은 문예상을 수여하고 있다.
だが貿易会社の責任者だった康明道は93年末に、商用で中朝国境を越え、中国吉林省の延近朝鮮族自治州に出たあとそのまま逃亡し、94年5月に韓国安全企画部の手でソウルに入った。発表まで2ヶ月をかけて、亡命者として記者会見するため徹底的に北朝鮮非難の訓練が施されたわけである。
*옌볜 조선족 자치주(중국어 간체자: 延边朝鲜族自治州, 정체자: 延邊朝鮮族自治州, 병음: Yánbiān Cháoxiǎnzú Zìzhìzhōu), 또는 연변 조선족 자치주는 중화인민공화국 동북 지역 지린성(吉林省)의 자치주이다. 중심지는 옌지시(延吉市)이다. 자치주의 면적은 43,474 km2, 2009년 인구는 217만 9천명이다.
これまでも朝米関係が好転したり、南北対話が進行する重要な場面になると、ソウル駐在の内外記者団を集め、北朝鮮を批判するこれら「亡命者」のインタビューを行なうのは韓国情報当局の常套手段になっている。このやり方は朴正煕の、全斗煥、盧泰愚の三代軍事政権以来、金泳三政権になっても変わらず、韓国中央情報局(KCIA)が国家安全企画部(KNSP)と名前が変更されてもそのまま残されている。康明道のでき過ぎた「核保有発言」は米国議会や政府部内の強硬派を勢いづかせる効果を上げた。だが政府要人でもない一亡命者の発言を疑問視する声も強く、米国政府もこの発言に距離を置く慎重な対応をみせた。
*노태우(盧泰愚, 1932년 12월 4일[1] ~)는 대한민국의 제13대 대통령이다. 본관은 교하이다.


↑参考までに=「蜂谷真由美」こと김현희(金賢姬 Kim Hyun-Hee, 1961년 음력 3월 11일 ~ )는 대한항공 858편 폭파 사건, 1987년 11월 29일 일명 'KAL기 폭파 사건'의 범인이다. 범행 후 사형 판결을 받았지만, 사면되었다. 본관은 경주 김씨이다+→(1)『いま、女として- 金賢姫全告白』池田菊敏訳 분게이슌주文藝春秋 1991年10月(2)『愛を感じるとき』池田菊敏訳 분게이슌주文藝春秋 1992年12月(3)金賢姫・著 池田菊敏・訳 『忘れられない女 - 李恩恵先生との二十ヵ月』(わすれられないひと - ) 분게이슌주文藝春秋 1995年6月
*Kikutoshi Ikeda池田菊敏이케다 키쿠토시 (1932 – 17. April 2000) war ein japanischer Aktivist in Nordkorea-Fragen.Nachdem er als Präsident eines Verlags tätig war, veröffentlichte er einen monatlichen Newsletter, in dem er antike Literatur auf Altkoreanisch las. Übersetzte die Schriften von Kim Hyun Hui ins Japanische.
*리은혜(李恩惠, 1955년 8월 10일 ~ )[1]는 조선민주주의인민공화국 사람으로, 대한항공 858편 폭파 사건을 일으킨 김현희와 관련되었다고 여겨지는 인물이다. 일본에서는 리은혜의 정체를 일본인 납치사건에 연루되었으며, 1978년에 실종되었다가, 최종적으로 납북된 사실이 확인된 다구치 야에코(일본어: 田口 八重子)로 추정하고 있다. 리은혜라는 이름은 "김일성의 은혜를 받은 사람"이라는 뜻에서 유래된 이름이다.
*Deutschドイツ語→Der National Intelligence Service韓国中央情報局 (Koreanisch: 대한민국 국가정보원, abgekürzt: 국정원, NIS[1]) ist der südkoreanische Nachrichtendienst. Der amtierende Direktor ist Park Jie-won.[2]
南北対話は韓国情報当局の思惑通りいっそう遠のいた。だが韓国政府にとっては、朝米交渉の重要性がさらに増すという皮肉な結果となり、韓国だけが「かやの外」におかれているという焦燥感を募らせるものとなっている。
このため韓国内では大統領官邸(青瓦台)が国家安全企画部の報告を受けながら、発言のもたらす影響の大きさを把握できず、南北対話再開か否かという重要な時期に混乱を抱いてしまったという声が高まった。野党は「政府は情報管理ができず、世界の笑い者になった」と金悳安全企画部部長を無視して北非難の独断専行を行なったのか、青瓦台も同意した謀略劇だったのか、まだ不明な点が残されている。
*青瓦台(청와대チョンワデ)は、韓国のソウル特別市鍾路区の北岳山の麓に所在する大統領官邸である。メディアでは、漢字で略して「青」と呼ばれることが多くある。
*김덕(金悳, 1935년 5월 25일 ~ )은 경상북도 구미에서 태어난 대한민국 제21대 통일부총리이다.
*국가정보원장(國家情報院長)은 국가정보원을 대표하는 직위로, 장관급 정무직공무원으로 보한다.
安企部は、康明道が「首相の娘婿」だけでなく、故金主席の母方と康明道の父方が遠縁であることを強調した。これに対し、朝鮮中央通信(7月30日付)は「南朝鮮(韓国)と同様にわが国でも同姓同本質同士が結婚しないのは昔も今も同じであり、核爆弾説と同じく、首相の娘婿というのも全くの虚偽である」と反論し、「康明道が莫大な国家公金を横領し、不正着服した犯罪者であり、これを洗脳して利用したもの」と全面否定した。
*조선중앙통신사(朝鮮中央通信社, 영어: Korean Central News Agency, KCNA)는 조선민주주의인민공화국의 국영 통신사로 최대의 보도 기관이다. 『조선중앙방송』이나『로동신문』등의 언론기관에 정보를 전달하는 동시, 세계 각지의 보도 기관에 북한에 대한 기사들을 전달하고 있다. 조선민주주의인민공화국에서는 조선중앙통신 기자의 질문에 각 부문 대변인이 대답하는 형태로 주장을 나타내고 있다.
貿易事業に失敗して帰国できなくなったというのであれば、政治亡命という理由は薄い。また本当に首相の娘婿で、主席の親戚という有力幹部の子弟だったとすれば、国外脱出するまでもなく不問にされるだろう。残した肉親や親戚がいないからこそ「国を売る」発言が容易だったのではないかという疑問が残る。
7月29日、姜秀源副首相の死去に伴う党訃報告で、姜成山首相が葬儀委員会を設置すると発表され、同首相が政治的にも健在であることが分かった。しかし韓国の『週刊朝鮮』誌(8月24日)は、この事件に関連して、「姜成山首相が8月中旬に解任され、取り調べを受けている」と報じた。この記事も「韓国の関係当局が中国消息筋から入手した情報を元にした」としている。だがこれも4日後の27日、平壌で開かれた金正日書記の「歴史的な74年8月2日の労作」発表20周年記念中央報告会に姜成山首相が出席し、韓国の報道がまったくの事実無根であることがはっきりした。
韓国マスコミが「北権力継承に異常の兆し」(『韓国日報』8月23日付)など憶測と根拠のない風説に基づいて書き立てるため、あわてた大統領官邸は「むしろ金日書記を正式に推察する雰囲気を本格的に作ろうとしている」と北異変説の否定にまわったが、権力闘争説が再燃し、手がつけられなくなったものといえる。
*《조선일보》(朝鮮日報)는 대한민국의 대표적인 언론사인 조선미디어그룹의 조선일보사가 발행하는 조간일간지이다. 1920년 3월 5일에 창간되었으며, 현재까지 존재하는 한국어 신문들 중 가장 역사가 깊은 신문이다. 2020년 기준, 국내에서 유료 부수 100만부가 넘는 유일한 신문이자,[2] 대한민국에서 영향력 있는 미디어로 손꼽힌다.


【亡命説騒ぎの中、金正日氏会見】
服喪の間、金正日書記が公式の場に姿を見せないことに異常な関心を寄せる日韓のマスコミは同書記と異母弟、金平日フィンランド大使の不仲、あつれき説を大々的に取り上げた。ついに8月下旬には金平日大使がオーストラリアに亡命したというデマがまことしやかに流され、米日韓政府も巻き込んで大騒ぎとなった。だが同大使の会見が行なわれ、この空騒ぎも1日も待たずに幕となった。
ソウルの『京郷新聞』が8月25日、「北京の消息筋」の証言を引用して、「金平日大使は主席の葬儀後、7月末、平壌からヘルシンキに帰任したが、その直後、オーストラリアに亡命した。これを証言した消息筋は、北朝鮮の高位者の側近から伝え聞いた、と語ったという」と報じた。日本では新聞から週刊誌、テレビ各局は例のごとく、この報道に飛びつき、大きく報道した。
*《경향신문》(京鄕新聞)은 대한민국에서 발매하는 일간 조간 신문이다.[1] '경향'이라는 말은 우르비 에트 오르비(Urbi et Orbi), 즉 "도시(교황청)와 전 세계에게"라는 로마 가톨릭교회의 표어에서 비롯되었다.

「主席の葬儀委員会の名簿にも登載されず、かねて言われていた「冷遇」が立証された。ソウルの北朝鮮専門家の1人は「仮に亡命が事実であるとすれば、金書記の後継体制固めの過程で、これまで以上の冷遇や迫害が加えられることを恐れたものだろう」と分析している」(『毎日新聞』8月25日付)と、わざわざソウルの「北朝鮮専門家」に取材して尾ひれを付けて、デマを増幅させる役割を担っている。とくに「冷遇」という分析そのものが、北朝鮮の政治体制、朝鮮労働党指導体制の仕組みを理解していないための曲解になっている。近親者であっても党活動の実績のない人物は公式行事の報道序列に現れることはない。金大使が葬儀序列にないのも党活動歴がないためであり、孫成粥駐ロシア大使、朱昌俊駐中大使ら党中央委員、委員候補のような要職者を除くと、一般レベルの大使は序列に含まれていない。
*朝鲜劳动党(朝鲜语:조선로동당/朝鮮勞動黨 Chosŏn Rodongtang ?)[20][21]是朝鮮民主主義人民共和國唯一的执政党,在其國內常被簡稱為勞動黨或黨。现任最高领导人是任职朝鲜劳动党总书记的金正恩,金正恩、崔龙海、李炳哲、金德训、赵勇元五人组成中央政治局常委会。
兄弟の不和・葛藤説も根拠が示されたことはない。対立が本当であれば、国内の優位で活動を制限すれば可能であり、亡命の容易な外国駐在などにするはずもない。また7月上旬のヘルシンキへの帰任も、孫大使ら他の外交官の帰任と同じであり、元首の死去に際しても一国の外交が1日の空白も許されないことは常識というものだろう。むしろ北朝鮮の大使・公使は赴任先の政府当局者に金正日書記の後継体制が着実に進行しているという説明に奔走している。
日本のマスコミも大同小異だが、ソウルではほとんどの日刊紙、テレビ、通信社の報道は少なくとも北朝鮮に関する限り真実かという点で疑問符が付くケースが多い。情報機関の意図的なリーク、謀略情報に依存するものが多く、情報の「裏を取る」(確認する)ことなく、記事に仕立てあげる無責任報道がまかりとおっている。「京郷新聞」もメディアとしての信頼性は三流以下という評価があり、日本の新聞が取り上げること自体不可解といえる。
五十嵐官房長官は、金平日氏の亡命報道について「在外公館を通じて確認したが、誤報ではないか」とコメントした。だがここでも奇妙なのは「北京の消息筋」が利用されていることだ。韓国のマスコミが北京に特派員を駐在させるようになったのは中韓国交以後、3年も経っていない。他方、日本の通信、テレビ、新聞各社は20年以上も前から支局を置いている。なぜ日本のマスコミ各社は謀略の疑いが濃い韓国報道ではなく、独自取材でこのような情報を確認しないのだろうか。疑わしい情報とわかっていても、未国交の北朝鮮関連の情報は未確認のまま垂れ流しても責任を取る必要がないと考えているからだろう。韓国情報を受けた後、日本のテレビ局がヘルシンキで金大使が亡命したことを裏付けようと同国大使館員を追い回したことも、茶番ではすまされない低俗な報道姿勢といえる。
*이가라시 고조(일본어: 五十嵐 広三(北海道出身, いがらし こうぞう, 1926년 3월 15일 ~ 2013년 5월 7일)는 일본의 정치인이다. 그는 일본 사회당 소속 중의원 의원, 호소카와 내각의 건설대신, 무라야마 내각의 내각관방장관을 역임하였다.

【望まれるマスコミの公正報道】
亡命説の流された翌25日、金平日大使はヘルシンキでウクライナ大使館の独立記念日の宴会に出席した。韓国の金乃誠大使も金大使の姿を目撃している。
さらに31日には金平日大使はヘルシンキで韓国記者団の取材に応じ、「金正日書記の健康状態には問題はなく、故金主席の追悼期間が終われば、正式の手続きを踏んで国家主席のポストを継承するだろう。定められた(7月20日まで)哀悼期間は終わったが、人民がまだ哀悼期間と考えている」と述べた。スロバキア大使館のレセプションに夫人とともに出席した金平日大使は退出の際、待ち受けた韓国記者団と会場外で立ち話となり、二度にわたって数分間、取材に応じたという。

このほか金平日大使は前日の30日にもフィランド記者との単独会見に応じている(『朝鮮日報』9月6日付)。同大使が西側ジャーナリストとの正式会見をしたのは初めてであり、このなかで注目される点は、前術のように「金主席の臨終をみとった」と証言したほか、「金正日書記のしっかりした指導力が他から妨害されることなく発揮されれば、祖国の未来は明るい」と不仲説を打ち消す発言を繰り返した。同紙によると、同大使は「米国とは新しい時代を迎えるべく準備中で、日本とは一般市民の間で交流が進んでいる」と米日との関係が前進していることを評価した。このような「正常な」取材を通じて事実を一つ一つ確認してゆくのが報道の責務である。取材に応じた金平日大使や北朝鮮側の柔軟な姿勢も目立つが、微妙な朝鮮問題を扱う際、日韓言論界の公平な報道姿勢がなによりも大切であることを一連の騒ぎが教えている。

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