日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Gim Ilseong김일성金日成・Kim Jong-il김정일 金正日『김일성 후 한반도/마에다 야스히로 (저)』/【Korean Peninsula after Kim Il Sung /Yasuhiro Maeda (Author)】/<金日成後の朝鮮半島 / 前田 康博(著)>④


【第三次七ヵ年計画(87-93)の未達成、調整期間設定へ】
北朝鮮が87年から取り組んできた「第三次五ヵ年計画」が最終年度の93年を待たず、正式に「未達成だった」と発表された。94年から2年を緩衝期、すなわち調整期間としてその後に改めて大きな痛手となった。とくに経済建設部門の拡大発展をてことして推進し始めていた改革路線は一時的にせよペースダウンを余儀なくされた。
北朝鮮はこれまで六ヵ年計画(71-76年)を75年9月に繰り上げ達成したと発表した後、77年を調整期間とした。また第二次七ヵ年計画の間に85年と86年の2年間の空白期間が置かれたことがある。いずれも計画自体は「完遂された」と発表されており、「計画未達成」は異例のことである。『労働新聞』(93年12月9日付)が伝えた「第三次七ヵ年計画の遂行状況に関する朝鮮労働党中央委員会の報道」によると、計画「未到達」の理由として、

(1)90年代に入って相次いで起こった重大な国際的出来事と複雑な事態はわが革命と建設に大きな影響を及ぼし、わが国の社会主義経済の建設に大きな障害と難関を作り出した。多くの社会主義国と世界社会主義の崩壊で、これらの国と結んでいた長期・短期貿易協定が混乱し、その履行がほとんど中断するに至り、わが国とそれらの国の間で伝統的に行われてきた経済協力と貿易取引が不振となった。
(2)同計画期間中に、敵の激化する侵略策動と悪らつな攻勢により朝鮮半島情勢はさらに尖鋭化した。新たな戦争の危機が増大する下で、防衛力を強化するため経済的に多くのものを国防に振り向けざるを得なかった
ーを挙げている。
「90年代に入って相次いで起こった重大な国際的出来事と複雑な事態」とは、ソ連・東欧圏激変およびソ連邦の解体を説明している。とくに社会主義圏の崩壊で、北朝鮮の「伝統的な経済協力と貿易取引」が壊滅的な打撃をこうむったと指摘している。(2)は米韓合同軍事演習(チーム・スピリット93)の強行再開に触れ、「全人民、全軍に準戦時状態を宣布し、自衛措置を取らざるを得なかった」ため、軍事費負担増が経済計画を根底から破綻させたことを詳述させている。その結果、
(3)同計画で見越していた工業生産の総規模と電力、鋼鉄、化学繊維など一部重要指標は未達成だった。
(4)経済成長を調節し、経済規模を縮小し、いかなる条件でも自力で生きることができるよう、変化した構造に合致するように対外経済関係において方向転換を行なう革命的な方針を示した。
(5)わが党は、変化した環境とわが国の社会主義建設の現実的な要求を深く分析し、今後2~3年間で緩衝期とし、この期間に農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義へと進む戦略的な方針を提示したー。
(4)では成長速度の調節、経済規模の縮小をうたい、さらに国際環境の変化を十分に見すえて、対外経済関係の方向転換が必要なことを訴えている。

【観光資源開発にも意欲みせる】
北朝鮮の党・政府指導部はこの計画の総括を通じて、「朝鮮革命に対する内外情勢はいぜん厳しく複雑である」という認識を示し、「闘争は困難であっても展望は明るく、楽観的であり、われわれの力は無尽蔵である」と結んでいる。
北朝鮮の経済面における「対外開放」路線は92年から後退を余儀なくされた。それは外的要因ー米国の主張する北の核疑惑問題にー至るところが大きい。
また北朝鮮の対外開放路線を停滞させたもう一つの要素は、南北朝鮮間の和解と対話促進が予定通り進まず、金丁激化に備えるという従来の路線を大胆に変更できなかった点にある。91年末には盧泰愚政権との間で、「南北和解と不可侵、交渉協力との合意書」および「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」が採択され、北朝鮮が国家としての「一大変容」に踏み切る要因として内外から注目された。ところが金泳三大統領が就任まもなく、核疑惑解明最優先を打ち出し、米国依存を深めたため南北対話は途絶した。さらには日本政府が、日韓国交正常化交渉(北京)の場で「核問題」を持ち出したため、92年11月に第8回交渉で再開も決めず決裂状態に陥った。
北朝鮮はこの間、最高人民会議(92年4月9日)で憲法を修正し、合弁・合作奨励の第3章第37条を新設した。同年10月、政務院(内閣)は「合弁法施行細則」を改正している。93年に入っても、最高人民会議(1月31日)が「外国投資企業及び外国人税金法」、「外貨管理法」、「自由経済貿易地帯法」を採択、さらに「土地賃貸法」(10月27日)、「外交投資法」(11月24日)など、豆満江開発への準備を精力的に整備している。92年11月、京都で開かれた「豆満江自由経済貿易地域の展望と日韓経済交流について」シンポジウムに北朝鮮から参加した林太徳・対外経済協力推進委員会書記長は「羅津・先鋒自由経済貿易地帯の創設について」と題して報告した。その内容は、①「これまで各国で開かれた15回を越える東北アジア地域経済協力に関する国際会議で豆満江地域、とくに羅津・先鋒地域開発がもつ意義と重要性が一致して強調された、②羅津・先鋒地域の魅力ある観光資源と、同地帯に近い白頭山、七宝山などの名勝にも観光サービス施設を作り、総合的な観光基地を作る計画を立てている、③以上の経済貿易活動を保障するために、自由経済貿易地帯への銀行、ホテル、商業などの金融・サービス部門貸も積極的に受け入れ、便宜を図る、④「羅津・先鋒自由経済貿易地帯の創設は、こんにち国際的な関心が高まっている豆満江地域ならびに東北アジア地域の開発と切り離しては考えられない、⑤自由貿易経済貿易地帯の創設の特性・意義からみて、この事業を国際開発計画(UNDP)との緊密な協力のもとに、隣接国の計画を調整し、東北アジア地域各国、世界各国との協力を推進している、などである。
特に注目を集めたのはUNDPとの緊密な協力と東北アジア地域、世界各国との協力が強調された点であり、北朝鮮が閉鎖的、孤立的というイメージはまったく根拠がなく、韓国、日本はもとより米国、国際的諸機関との良好な関係維持を最優先させていることである。
故金日成主席は94年の「新年辞」で「今年はわが国の社会主義建設が新たな発展段階に入る革命的転換の年であり、全党、全国、全人民が総動員され、すべての戦線で革命的大高揚を起こす闘争の年である」と述べた。社会主義諸国と団結し、非同盟諸国団結のため積極的に努力し、自主権を尊重する資本主義諸国とも善隣・友好関係を発展させてゆくこれまでの政策の確認を行なったわけである。
94年にはいっても「核問題」をめぐって米国が国連で「対北制裁案」を提案するという緊迫したなかで自由貿易地帯への合弁・合弁企業の進出を促す諸法規をつぎつぎ発表していることも注目されてよいだろう。米国が朝米交渉が決裂した場合、持ち出すとみられた制裁案なるものは、①武器の全面禁輸、②核開発に関する技術、科学支援の完全停止、③国連及び関連機関の経済支援中止、④国連及び2国外交活動縮小、③文化、科学、教育交流縮小ーを骨小としていた。③は豆満江開発の中心となるUNDPの経済支援中止を意味する。これが実施された場合、「豆満江開発」だけでなく北朝鮮の対外開放政策は致命的な打撃を受ける。
8月、マレーシアで開催された「第1回東アジア次世代政治家会議」に出席した北朝鮮の代表は金剛山一帯を査証なしで観光訪問できる「観光特別区」に指定することを検討中だと明らかにした。


【さかんな中朝国境交易】
金正日書記を軸とする新指導部は、解放と分断以来半世紀にあたる95年を「民族統一を実現する年」として、政治経済全般にわたる転換期としてきた方針を忠実に継承すると思われる。
平壌での要人の説明を統合すると、日韓で報道されるような極端な食糧不足の現象はない模様である。たしかに平壌市中の住宅街のげたばきアパートの商店でも西側諸国のように輸入食料が豊富という光景とは無縁の品ぞろえであるが、日常の食事に必要な水準の生鮮野菜は並んでいる。また各戸でキムチを漬けることが少なくなっているため、各種のキムチを瓶詰にして小売りしている。鮮魚類も何種類も入荷して、その中から選べるというほど豊富な店はなく、生産現地から計画的に配分された入荷のため、スケソウダラやサンマといった限られた食糧が並べられると、各家庭はほとんど一緒の夕食となる。売れ残ったり、値段に高低がない代わりに、あまり選択の余地はない。
主食は配給制で、金主席が言及したように、現役の労働者と退職した高齢者など配給の比率は異なるが、コメ、麦、トウモロコシ、各種の穀物粉が全人民にまんべんなく配られ、地方ごとに鮮魚、肉などもかなり制限的にせよ配給されるシステムが続いている。このほか外貨商店では海外から入手したドルやマルク、日本円などハードカレンシーが持った市民が輸入商品を購入している。辺ぴな国境地帯から山岳、険しい兵陵地帯まで開拓、開墾され、北京から航空機で列車で北朝鮮領内に入った旅行者はその農村風景が一変することに気付く。
西側各国で北朝鮮の食糧事情について、干ばつや洪水など天候不振とする不作を取り上げている。

米国の『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』誌(94年9月5日号)は、英国のロイズ保険組合が北朝鮮の洪水や干ばつによるコメやトウモロコシの収穫被害を認定し、北朝鮮に数億ドルの保険金を支払うことになる見通しだと報じた。同誌によると、北朝鮮は8月に被害を受けたとしており、北朝鮮に派遣されている2人のロイズ調査員が帰国次第被害を認定することになったという。この報道が事実とすれば、気象異常で収穫被害を受けた模様である。またまた北朝鮮は可能な限り食糧の自給自足体制を進めているが、これまでタイなどからも毎年、一定量のコメを輸入していることは確認されている。特に最近は日本がコメ不足に陥り、タイ米の大量輸入に踏み切ったため価格が高騰、発展途上諸国もとばっちりを受けた。北朝鮮もその影響を受け輸入量を減らさざるを得なくなったというニュースもある。ただ2200万人という比較的小人口のためもあり、長大な中朝国境を利用した辺境貿易によって、農産物、水産物、木材、鉱産物などの交易量は年々増大しており、なかでも延辺朝鮮族自治州を仲介とする交易ネットワークは中朝双方にとって大きい存在といわれる。また7月の金主席死去の後、軍事用に備蓄していた主要穀物を臨時に放出し、食生活はかなり改善されたという報道もある。
北朝鮮の食糧事情を考える場合、北韓38度線以北は以前から米作地帯でないため、麦、トウモロコシが中心だったが、天候による豊凶よりも常時、戦争のための備蓄に振り向けることが食糧需給に影響を与えてきたとみられる。朝米関係の前進、ひいては軍事的緊張緩和が進行すれば、非常時備蓄の負担から解放され、北朝鮮の「食」事情はぐっと改善されるだろう。
平壌近郊の協同農場では従来の米作中心から野菜・果実の供給地に転換している。著者が89年秋に参観した平壌市中の七谷共同農場では、故金主席の現地指導により、豊富な野菜を作るよう「教示」を受け、それ以来、農場の消費する米作以外はキャベツ、白菜、キュウリ、茄子、トマトなど都市家庭向けの畑作物に転換し、農場収入も飛躍的に増大したという説明を受けた。また地方の農場では各農家が庭先や限られた土地だが、自留地として自家消費用の野菜を栽培している。また定期的に小規模な農民市場を開き、周辺部の住民との間で、野菜や衣類、日用品、小間物などを持ち寄り、物々交換の形態で日常物資を賄っているという。まだ貨幣を媒介とした広域流通にはほど遠いものだが、必需品の大半は農場に設けてある売店で購入することができる。
米韓との緊張緩和が進み、具体的に兵力削減に結びつけば、青年兵士の大量除隊が農業人口の拡大という好条件に結びつくことが予想される。言い換えれば、北朝鮮が喉から手が出るほど欲しいのは、対外開放による外からの技術・資本の導入や経済支援ではなく、過重な軍事力維持からの軽減である。朝米交渉の結果、民主重視の経済政策が実施できるようになれば、北朝鮮経済のぜい弱部分は一気に克服できるだろう。



第II部 「核」問題はどこに落ち着くか
第5章 朝米第3ラウンドの意味
【非核カードの勝利】
金主席は抗日武装闘争と対米戦争に人生の大半を費やし、北朝鮮を創建し、朝鮮革命の完成を急いだ。その存在は朝鮮半島に限定されることなく、米ソ両超大国を頂点とする東西陣営の激しい対立の中で、非同盟第三世界のリーダーとして指導力を発揮したことは、冷戦体制が崩れたいま、いっそう大きな意味を持ってくる。

東アジアの一角だけに限定してこの半世紀の各国の詳細を分析すると、米国の核独占体制が年ごとに強化され、その「核の傘」の提供を受けつつ、世界の核廃絶とアジアの非核化に背を向けてきた「反共の砦」国家、日韓両国の姿が浮かび上ってくる。
金主席が率いた北朝鮮がこの間、東西いずれの陣営にも属さず、第三世界の道を選び続けたことは、単に「小国の知恵」が生み出した外交戦術ではなく、恒久の平和と安全を求めたからに他ならない。
図らずも米国の仕掛けた「北の核疑惑」は、当初のもくろみが大きく崩れ、「核大国の核独占」への批判と、「核なき世界の安全保障」という冷戦後の世界新秩序に大きな一石を投じることになった。核超大国、米国の「核カード」が、非核小国、北朝鮮の「非核カード」の前に敗北する瞬間が迫っている。
それは「核の傘」に依存し、追随してきた日韓の国家としての存亡に関わる問題に直結している。「核抜きの世界」の実現にいっさい努力を払わなかった日韓両国がこれから「持ち込み核」の除去という難問に直面することになるだろう。
粘り強く進められてきた朝米交渉はついに国交樹立への突破口を切り開いた。
米国は北朝鮮に「核の威嚇を行なわない」と誓約し、「相互自主権の尊重」からスタートしようとしている。非自立国家、日韓両国が自主的な朝米関係に大きく遅れていることはだれの目にも明らかである。それは「米日韓三国軍事同盟体制」という冷戦時代の亡霊につきまとわれている国家群の姿でもある。
思想や信念を持って国家や民族を率いることがどれほど至難の技であるか、またそれが実現された国家がいかに力強い存在かを金主席は世界に示して去った。
米日韓など朝鮮半島の関連諸国は北朝鮮の後継体制の安定度や政策の行方に関心を寄せる必要はない。金日成主席死後の北朝鮮に対し、従来の対立と憎悪を書き立てる対応姿勢を捨て、真剣に接触することにこそ全力を挙げるべきだろう。
アジアですでに無用の長物となった米国の軍事プレゼンスを取り除き、自立した南北朝鮮と日本が共生と繁栄の道を探る時が迫っている。朝米会談第3ラウンドの合意は日本の敗戦、朝鮮戦争の休戦協定と並ぶ、東アジアの転換期を象徴するものとなるだろう。
朝米会談によってすでに金正日書記を中心とする北朝鮮の新指導部の外交方針は、はっきりと内外に示された。日韓両国はもとより中国やロシア、さらには米国自体の変化がこれに伴って初めて金日成主席の描いた「核なき朝鮮半島の統一」は実現する。


【第3ラウンド第セッションの合意内容】
核問題の解決と朝米会談関係正常化をめざす朝米会談第3ラウンドが94年8月5日から12日までジュネーブで再開された。金主席の死去で7月8日に中断されて以来、約1ヶ月ぶりに北朝鮮首席代表、姜錫柱外務次官と米国側首席代表のガルーチ国務次官補が再会した。朝米の国連代表部で交互に交渉を重ね、同13日、核問題の解決への枠組みとなる四項目の合意声明を発表して第1セッションを終了、9月23日から第2セッションをジュネーブで続開することを約束した。
第1セッションの合意は、朝米会談関係正常化へ向けて相互に外交代表部を設置することと、米国が北朝鮮に軽水炉供与の用意があることを盛り込むなど予想以上に、劇的な進展を見せた内容となっている。
合意内容は今後の朝米会談交渉の枠組みを決めたものであり、核問題をめぐって生じた制裁措置など人為的に醸成された危機的状況は回避される方向に向かうことが確実となった。これは金主席死去のあと金正日書記を中心にした新指導部の初の外交的成果ともいえるものであり、北朝鮮が予想されたとおり、話し合いによる解決という柔軟な対話路線を継承していることが内外にはっきりと示された。
これは同時にクリントン大統領が政権内部の強硬路線の抑え込みに成功し、穏健な手法による問題解決へ向けて自信を強めるきっかけとなる重大な外交として評価できるだろう。
この四項目生声明を詳細に分析すると、朝米双方が包括解決へ向けて大きく前進したことが分かる。同時によりいっそう緊密な協議を必要とするため「まだ解決すべき重要な問題が残されている」(合意声明)部分も多いことも事実である。
またジュネーブからの通信、報道を統合して「朝米合意声明」の内容(要旨)を見てみよう。
朝米会談は、93年6月11日に両国が発表した共同声明の原則を再確認し、以下の事項が核問題の終極的な解決の一環になることで合意に達した。
1、北朝鮮は黒鉛減速炉とその関連施設を軽水炉が発電所に替える用意を表明し、米国は可能な限り早い時期に200万キロワット発電能力の軽水炉が発電所を北朝鮮に提供し、その間、北朝鮮に黒鉛減速炉に代わる代替エネルギーを提供する措置を講ずることにした。
北朝鮮は軽水炉と代替エネルギー提供に対する米国の保証を受け次第、5万キロワット、20万キロワット発電能力の黒鉛減速炉の建設を凍結し、再処理せず、放射化学研究所を封印し、国際原子力機関(IAEA)の監視下に置くことにした。
2、朝米は、政治・経済関係の完全な正常化のため措置として、それぞれ相手方の首都に外交代表部を設置し、貿易および投資障壁を緩和することにした。
3、朝鮮半島の非核化と平和および安全に向け、米国は北朝鮮に核兵器を使用したり、核兵器で威嚇しないとの保証を提供する用意を表明し、北朝鮮は朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言を履行する一貫した用意を表明した。
4、北朝鮮は、核拡散防止条約(NPT)加盟国としてとどまり、条約に基づく核保障措置協定の履行を許容する用意を表明した。
今回の会談過程で提起された問題の中にはまだ解決すべき重要な問題が残されている。双方は北朝鮮の黒鉛減速炉計画を軽水炉技術に替える活動と、使用済み核燃料の安全な保管と処分、代替エネルギーの保証、連絡事務所開設を推進する専門家レベルの協議が必要である点で合意した。これに伴い、専門家レベルの協議が朝米、または合意される他の場所で行なわれる。
双方は会談を休会し、9月23日からジュネーブで再開することで合意した。
その時まで米国は、核問題の終極的解決の一環として北朝鮮に軽水炉提供保証を与える措置を推進し、北朝鮮は姜錫柱次官とガルーチ次官補が6月20日ー22日に交歓したメッセージを通じて合意された原子力活動の凍結と(NPTに基づく)保障措置の継続性を維持することになる。

【信頼関係編成の結果】
この①軽水炉提供、②両首都に外交代表部の設置、③米国の核使用・威嚇の禁止、④北朝鮮の原発建設の凍結およびNPTへの残留と保障協定銀行ーご要約されるこの合意は93年6,7月の第1、第2ラウンドの成果を正確に下敷きにしている。朝米両国がこの間、信頼関係の持続に誠意を尽くしたことを意味するものであろう。
当初は93年9月19日に第3ラウンドが開かれ、「全般的関係改善」を話し合うことになっていたが、ちょうど1年遅れの合意となった。この間の国連常任理事会やIAEA当局・理事会の対応がいかに不当なものであったかを物語っている。いったん朝米双方が「一括妥協」方式で合意しながら、米国内部の強硬派の巻き返し、金泳三政権の妨害と歴代日本政府の制裁荷担政策が遅延要因となったためである。武力・経済制裁案の浮上、パトリオットミサイルの韓国配備・韓国軍の急ピッチな増強、チーム・スピリットの再開、有事を想定した諸法規制定の動きーなどはいずれも朝鮮半島における核問題の本質を覆い隠し、米日韓軍事同盟体制強化という冷戦時代そのままの険悪な状況を生み出した。朝米交渉を挫折させようという米日韓の保守勢力の狙いは、アジア全域の平和と非核化への動きを阻害することにある。
しかしクリントン大統領は朝米間で早急に合意に達したいという意思を表明した。ナポリ・サミット出席中の同大統領は7月9日、金主席の死去の報を聞いて3時間後、丁重な弔意の表明に踏み切った。それは金主席の業績に高い評価を与え、北朝鮮人民に哀悼の意を伝えたことにある。この迅速な反応は金正日後継指導部にとって朝米交渉の継続と問題の早期打開への米国の意欲を示すシグナルと映った。
米国の対北朝鮮強硬政策を主張する議員や朝鮮戦争で死傷した在郷軍人グループからクリントン大統領を非難する声が挙がった。だが結果は交渉継続派の主張が取り上げられたわけである。
一方、北朝鮮側も主席死去直後から対米姿勢に変更がないことを強く打ち出し、第3ラウンド再開をはやばやと取り決めた。寧辺に滞在中のIAEA査察官は主席の葬儀期間中を除いて、ただちに査察活動を再開しており、これも朝米交渉への外部からの牽制と妨害の介入を防ぐことができた。いずれも金書記とその指導部の外交能力がきわめて高く、柔軟性に富むものであることを証明することになっている。
「黒鉛減速炉を軽水炉が転換する」問題では、会談途中の8日、姜次官は「われわれの核活動に対する疑惑は自力開発した黒鉛型原子炉に集中しており、こうした疑惑を一掃するため、われわれの黒鉛炉システムを凍結を意図している」と言明し、その条件として「①軽水炉発電システム」式の供与、②建設中の黒鉛炉凍結に対する適切な補償が妥当かつ正当な要求である」と強調したといわれる(『毎日新聞』8月9日夕刊)。
軽水炉転換で朝米が合意したが、その建設には8年ないし10年は掛かる。転換期間中に、他の代替エネルギーを得るための補償が当然必要となる。合意内容には盛り込まれなかったが、導入される軽水炉について、米国が韓国型の導入を持ち出したのに対して、北朝鮮側は技術的にも習熟しやすいという理由でロシア型の導入を主張したとみられる。
米国側はロシアが軽水炉を建造することが可能だとしてもその費用を負担することが困難であると説明し、ロシア型採用の場合、日韓両国にその建造費の負担を求めることになり、両国を説得することはむずかしいというのが主張の主旨だったといわれる。訪朝後、7月上旬、来日したカーター米元大統領は東京の米大使館で記者会見した際、金主席が軽水炉転換への具体的な分析を進めているとの説明を受けたことを明らかにした。
金主席は、軽水炉支援について、旧ソ連がチェルネンコ書記長時代に支援を約束したが、ゴルバチョフ書記長の時にほごにされた。40万キロワットの原発を四基建設する場合、ロシアから原子炉を購入すると10億ドル、スイスからでは30億ドルかかるなど、すでに北朝鮮が転換費用の積算を行なっていると明らかにした上で、カーター氏に国際的な支援を要請したという。
*콘스탄틴 우스티노비치 체르넨코(러시아어: Константи́н Усти́нович Черне́нко, 1911년 9월 24일 ~ 1985년 3월 10일)는 소비에트 연방의 정치인이다.
カーター氏は、金主席に対し、米国は制約から世界銀行など国際機関を通じての援助しかできないことを説明した上で、「賃金や技術は日本、韓国、欧州などから調達することになり、米国は影響力を行使する」と約束した。

【軽水炉はロシア型か韓国型か】
韓国マスコミもしきりに、「米国は財政支援を考慮すれば韓国型の導入になると主張し、朝米双方が了解した模様だ」と報じた。韓国型は米国の改良型の一種である。8月15日、金泳三大統領は軽水炉転換で韓国の資本、技術を提供する考えを表明、「南北共同の初事業になるだろう」と述べた。だが、どのような軽水炉を導入するかはまったく未知数の懸案として残されており、9月の第2セッションで詰められるかとみている。
主席死去に際し、哀悼を表明せず、民間の弔問団派遣の動きを国家保安法を発動して徹底的に弾圧しただけに、金泳三政権が南北対話の再開や首脳会談開催を本心で希望しているとは考えにくい。同日、韓昇洲外相は外遊中のノルウェーで記者会見し、「軽水炉が支援問題を協議するために南北対話が不可避となった」と述べた。また『東亜日報』(16日付)は「韓国政府は非核化共同宣言に基づいて設けられた南北核管理共同委員会を9月初旬にも再開しようと提案するだろう」と報じたが、北朝鮮は一貫して「核問題の解決は朝米間で行なう」としており、いまのところ南北間で軽水炉問題を話し合うことは考えられない情勢だ。
*한승주(한국 한자: 韓昇洲, 1940년 9월 13일 ~ )는 대한민국의 교육인, 외교학자, 외교관, 정치인이다. 외무부 장관, 주미 대사를 지낸 대한민국의 외교관이자 고려대학교 정치외교학과에서 1978년부터 교수로 재직한 외교학자이다.
実際、金泳三政権は、本来、南北間で自主的に話し合って進行させておかねばならない民族内部の諸問題ー首脳会談や南北相互軍縮問題ーなどを、核問題が解決するまで応じないと、米国にいっさいを委ねる方針を打ち出していた。したがって朝米会談第3ラウンドの予想外の急進展に動転し、あわてて「軽水炉支援」を口実に南北対話再開を思い出したものとみられる。
だが弔問学生の大量拘束など韓国内の人権問題をめぐって北朝鮮の非難も激化しており、軽水炉を課題とする南北間交渉は実現する可能性は少ない。
金泳三政権は南北、海外同胞三省による第5回民族大会のソウル開催を「北が主導する不法案会」だとして弾圧しており、融和的な兆候はまったくみせていない。このような「新公安政局」が進む韓国情勢は朝米交渉進展に逆行するものであり、南北首脳会談などの再開問題もかなり先送りになると予想される。
北朝鮮外務省スポークスマンは8月20日、「日韓は特別査察を軽水炉導入の前提条件にしている」と非難し、特別査察の受け入れを改めて拒否した。これに対し、韓国政府は「特別査察が支援の条件である方針には変わりがない」と「過去の核開発の究明が行なわれてなければならない」点を主張し、平行線をたどっている。
米国も朝米交渉の前進には歓迎を示しているが、国内法で「敵性国家交易法」および悪名高い「対共産圏輸出調整委員会」(ココム)の規制を有し、軽水炉が転換に伴う資金を北朝鮮に提供できないとしている。土壇場にきて各国の思惑が複雑にからみ、軽水炉導入問題はまだまだ紆余曲折が予想される。

【日本はG7の協議支援求める】
ガルーチ米国務次官は7月下旬、日韓中ロを回り、資金支援について具体的な要請を行なった。9月の第2セッションまでに米国が日韓に資金・技術提供について具体的な要求をしてくることが予想されている。一説には40億ドルから50億ドルの費用が必要だといわれるが、北朝鮮にとっては核の平和利用によるエネルギー確保という目的達成のためにも軽水炉転換に要する補償なしには何事も応じられない。韓国政府は8月17日、「日本は世界平和と地域発展に貢献するという次元での役割を果すことが必要だ」と財政的支援を求めている。だがこれも米韓両国が日本に要請するという筋合いのものではない。「核疑惑」を言い募ってきた米国が第一に拠出すべきものである。
日本政府は同17日、先進7カ国(G7)による協調支援を提案する方針を固めたといわれている。7月のナポリ・サミットではチェルノブイリ原発閉鎖と新規原発建設に対し、協調支援することで合意しているため、国際協調体制がもっとも合理的といわれている。米韓と協調した日本の財政的支援は「独自制裁」という「衣の下の銀」が常に見え隠れしているため、北朝鮮が受け入れるはずはない。
第3ラウンドの開始にあたり、『労働新聞』(8月2日付)は論評を掲げ、「もともと軽水炉導入は核問題を解決しようとの善意から出たものであり、北朝鮮はそれほど必要としているわけではない」と述べ、「軽水炉導入が「前提条件」という奇弁が広まっているが、それは第3ラウンド会談の進展を阻み、核問題の解決を妨害しようとすることを目的としたものだ。核問題の解決に真に関心を持つなら、われわれn軽水炉導入提案に賛成すべきだ」と主張した。このことからも北朝鮮は軽水炉導入交渉が米国の責任であるという姿勢を貫くものとみられる。
8月9日のタス通信によると、ロシア原子力省は同省の専門家たちが北朝鮮の軽水炉転換が可能かどうかについて検討していることを明らかにしている。また17日、ロシアのパノフ外務次官がインタファックス通信に対し、北朝鮮の使用済み核燃料棒の再処理について、「ロシア企業での再処理を検討する用意がある」と協力に前向きの姿勢を見せた。少なくとも米韓がロシアを排除する理由はないわけであり、核問題の国際的解決という点からはロシアの協力が求められる機会が残されている。
*러시아 통신사 타스(러시아어: Информационное агентство России "ТАСС" 인포르마치온노예 아겐츠트보 로시 "타스"[*], 문화어: 따쓰)는 러시아의 국영 통신사이다. 전신은 소련의 국영 통신사인 타스(러시아어: Телеграфное Агентство Советского Союза)이다. 본사는 모스크바에 있다.
*アレクサンドル・ニコラエヴィチ・パノフ(ロシア語: Александр Николаевич Панов、ラテン文字転写の例:Alexander Nikolayevich Panov、1944年7月6日 - )は、ソビエト連邦時代から生え抜きのロシアの外交官、モスクワ国際関係大学教授、同大学外交官学科長。歴史学および政治学博士。1996年から2003年まで在日本ロシア連邦大使を務めた。
主席死去後の7月末から米CNNテレビが一般の西側報道機関として初めて取材のため平壌入りし、金正日書記の動向や新指導部の方針を報道したことも朝米間の不信感除去に役立ったと思われる。6月のカーター訪朝の際も同行したCNNテレビが逐一、リアルタイムでワシントンに北朝鮮の動静を伝えたことがその後の劇的な展開につながったことは記憶に新しい。
8月1日の同テレビは北朝鮮高官との会見などから、金正日書記が内政、外交両面で権限を掌握していると報じ、同じく高官から「後継就任の遅れは服喪が理由だ」との説明を受けたことを明らかにした。CNN放送は第3ラウンドの始まった5日に平壌の外交筋の話として、この会談が核問題打開の機会になることを望んでいると伝えた。また北朝鮮の経済関係者が「崩壊寸前にある」という西側報道に反論し、金正日書記が外国からの投資や観光開発、インフラ整備など諸経済施策を指揮しているとの見方を紹介している。
後継政権作りは着々と進められている。一国の外交内政に1日の休みも許されるはずもなく、北朝鮮の指導部はフル稼働している。形式的な手続きはいつでも整えられる状況にある。9月に続開される第3ラウンド第2セッションは核燃料棒の処理など、より重要な課題を克服しなければならない。それまでの1ヶ月間、交渉を最終的に成功させるかどうかの「ボール」は米国の手中にある。すでに資金・技術支援を巡って各国、特に日韓両国の北敵視政策が障害となる様相を濃くしている。カーター氏が金主席に約束したように実際の支援国決定へ向け、はたして米国がその影響力を行使できるかどうかが注目されている。

第6章 核拡散防止条約と北朝鮮
【米国の狙いは北朝鮮の抹殺?】
朝鮮半島情勢は93年幕開けから急変した。すでに92年の秋口から国際原子力機関(IAEA)は北朝鮮の核関連施設を6回も査察したにもかかわらず、さらに特別査察が必要であり、とくに新たに二つの施設を査察する必要があると主張しはじめたからである。北朝鮮側はこれら二施設は軍事施設であり、見せる必要はないと拒んだ。
IAEAがこの問題の処理を国連安保理に委ねたことから国際的な関心事に拡大した。北朝鮮は93年3月12日、「国家の最高利益が損なわれる」として核拡散防止条約(NPT)に加盟している意味はなくなったと脱退を表明した。

日本のマスコミの多くは、北朝鮮が査察の目をのがれ、自由に核兵器の開発に走るつもりだと、「北の核」の危険性を煽りたてた。一連の「核開発」自体が、米国や日本、韓国で伝えられているような性格のものであるかどうかはきわめて疑わしい。つまり朝鮮半島の「核」問題の本質がすり替えられている点こそが国連の場で論じられるべきではないのか、ということである。
「朝鮮半島の核問題」とは、在韓米軍が配備している1000発余の各種核兵器の存在をはっきりさせ、国際機関の監視の下に撤収させることである。核開発については、南北朝鮮はすでに91年12月、「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に調印し、作らず、持たず、実験せず、持ち込ませずを誓い合っており、双方が十分な監視機構を設けて実行するばかりになっている。
91年秋、ブッシュ米大統領(当時)は戦術核兵器の縮減を表明し、同じ時期に盧泰愚大統領も、「もはや南領土内には核兵器はない」と核不在宣言を行ない注目された。
*조지 허버트 워커 부시(영어: George Herbert Walker Bush, 문화어: 죠지 허버트 워커 부쉬, 1924년 6월 12일 ~ 2018년 11월 30일[1][2])는 미국의 41대 대통령 (1989 ~ 1993)이었다. 대통령으로 지내는 데 대비하여 부시는 텍사스주의 의원 (1967 ~ 1971), 유엔 주재 미국 대사 (1971 ~ 1973), 공화당 전국위원회 의장 (1973 ~ 1974), 미국 국무부 베이징 연락 사무소 소장 (1974 ~ 1976), 미국 중앙 정보국 국장 (1976 ~ 1977), 휴스턴에서 퍼스트 인터내셔널 은행 의장 (1977 ~ 1980)과 로널드 레이건 대통령 아래 43대 부통령 (1981 ~ 1989)을 지냈다. 훈장을 받은 해군 비행가였던 부시는 대통령을 지내는 데 마지막 제2차 세계 대전 베테랑이다. 부시는 국내와 국외 정책 둘다에서 자신의 정당한 정책들의 수행과 자신의 외교에 정통한 것으로 알려졌다.
金日成主席も再三、「わが国は核兵器を持つ意思も、能力もない」と言明しており、そのいずれも信じたいものである。一方の言い分を信じ、他方を疑うというのであれば、この問題は解決しない。「信頼の醸成」が朝鮮半島の核問題を論じる場合の基礎であることが分かる。相互に不信感を解消しつつ、中立的、客観的な国際機関を新設して誠実に双方の関連施設を平等に検証することで解決しなければならない。当然このなかには米軍の基地と核兵器施設への査察も含まれる。しかし米韓ともにこれに応じようとはしない。
またIAEAという組織が中立でなく、ある国の主張に偏った姿勢を取っているとすれば、国際的な査察機関にはなり得ない。IAEAの北朝鮮にたいする「特別査察」要求が米国内の強硬派の強い圧力を受けたりするのである疑いが濃厚なのである。北朝鮮はこの執ような核査察要求が、「米国が究極的に社会主義システムの抹殺を企てている」(朝鮮労働党国務部長、崔泰福書記の言明など)からだと分析している。
このような朝鮮半島の核問題を考える場合、1953年7月の朝鮮戦争の停戦以来、40年間、北朝鮮と米国が交戦関係にあることを正確に認識する必要がある。この間、米国が「核保有国は非核国に対し核で威嚇してはならない」というNPTの規定に違反してきたことは明白である。この事実に目をつぶった「北の核疑惑」は説得力を欠いている。五大核保有国の核廃絶問題に無力なNPTとIAEA体制は世界の差別待遇を助長するだけではないかという不満と反発を呼び起こしている。被爆国、日本は非核国に対して「核開発」の懸念を言い募る前に、日本自ら「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核化宣言を行ない、米国の「核の傘」の下から離脱して、大々的な核廃絶運動を起こすことが先決だろう。
*이 문서는 핵무기 보유국의 목록이다. 핵 확산 금지 조약(NPT)에서 인정하는 핵무기 보유국은 미합중국, 영국, 러시아, 프랑스, 중화인민공화국 5개국이다. 그러나, 인도와 파키스탄은 1974년과 1998년 각각 핵실험까지 하였고, 이스라엘은 비록 핵실험은 실시하지 않았으나, 핵무기 보유국으로서 사실상 인식되고 있다. 남아프리카 공화국[1]과 우크라이나, 카자흐스탄, 벨라루스는 한때 핵무기를 보유하고 있었지만 이후 폐기하였다. 2006년 4월 11일 이란이 자국을 핵 클럽 국가로 선언하였으며, 2006년 10월 9일 조선민주주의인민공화국은 첫 핵무기 실험을 성공적으로 수행했다고 발표하였고, 발표한 지 11년뒤인 2017년 9월 3일 조선민주주의인민공화국의 6차 핵실험으로 약 100KT의 핵실험을 자행했지만 국제 사회는 인정하지 않았다.

【制裁を言い募る米国の独裁】
また核大国が核拡散防止のため非核国に「制裁」を加えるという乱暴な論理は、国際社会では通用しない。「制裁」とは、「罪を犯したものを裁き、懲罰を加えること」であり、米日韓三国がいかなる他国にたいしても、核問題に関して「制裁」を主張できる資格も権利もない。
日米経済協議に関して、対日制裁を主張する米国の姿勢について東大の大沼保昭教授は「米国の独善と日本の立場」(『毎日新聞』94年3月8日付夕刊)という寄稿文の中で「・・・制裁という本来上位者の下位者に対する言葉を二国関係に適用して怪しまないごう慢さ、世界中の制度を米国と同じにしてしまなわなければ気がすまない独善と、はたして無関係でないだろうか?そして、そうした米国の独善は、中国をはじめとする東・東南アジア諸国の力が相対的に増大する今後の国際秩序にとって、大きな障害にならないだろうか?」と述べているが、冷戦後、アジアで繰り広げられている米国の「独善」の一つが「北の核」問題であるとすれば、日本は米国の独善を助長したり、おもねる姿勢を取るべきではない。
米国の対北朝鮮政策は同時に対中国政策に深くリンケージしている。米国政府はしばしば中国に対し、北への「制裁」に同意するよう圧力を掛け、米中関係を進める上で一種の「踏み絵」としてきた。その狙いは中朝関係の切り離しであり、中朝両国を分断することで中国と北朝鮮をそれぞれ弱体化させ、「米国の思い通りのアジア政策を遂行する」という目的が秘められている。
94年6月10日、来日したターノフ米国務次官は福田博外務省審議官と会談したが、席上、同次官は北朝鮮に対する国連の経済制裁に否定的な考えを表明している中国に関して、先に米国が決定した対中最恵国待遇(MFN)更新をからめ、「米中関係を見極めるのは時期尚早である。米国政府としては、中国政府が米中だけでなく、グローバルに関与してもらうように言う立場で臨む」(『産経新聞』6月11日付)と語った。
*Deutschドイツ語→Peter Tarnoff (* 19. April 1937 in Brooklyn, New York City) ist ein ehemaliger US-amerikanischer Diplomat, der als United States Under Secretary of State für politische Angelegenheiten den dritthöchsten Posten im Außenministerium der Vereinigten Staaten bekleidete und auch langjähriger Präsident des Council on Foreign Relations war.
ターノフ次官(政治担当)はクリストファー長官に次ぐ国務省のナンバー2の高官だが、北京政府が対北制裁に同調しない場合、最恵国待遇を再検討するとまで極論しており、「米国の独善」はクリントン政権も例外でないことが分かる。米中関係において、最恵国待遇付与問題は、かつての強大な米国の支配した冷戦時代はいざ知らず、現在は対中最恵国待遇を拒否した場合、中国の受けるデメリットよりも、米国の受ける被害のほうが巨大なものとなることは多くの経済専門家が言及している。このような米国の時代錯誤のアジア政策のなかに「北の核」問題が位置していることを認識する必要がある。
*워런 마이너 크리스토퍼(Warren Minor Christopher, 1925년 10월 27일 ~ 2011년 3월 18일)는 미국의 민주당 정치인으로 63대 국무 장관(1993년 ~ 97년)이다. 그는 법무 차관(1967년 ~ 69년)과 국무 차관(1977년 ~ 81년)을 지내기도 하였다. 2000년 플로리다주에서 재계표 업저버로서 앨 고어의 대통령 선거 운동을 대표하였다.
ターノフ次官がことさら米中関係を持ち出したのは、最後の正念場で日本が対北制裁に及び腰になるのを警戒して、日本外務省にブラフ(脅し)をかけたものである。過去、同様の外交イッシューが浮上するたび、米国が見せた伝統的な日本外務省操縦法にすぎない。冷戦型の対米協調路線はすでに破綻しているはずだが、なおこのような旧態依然とした米日関係は続いている。


【核疑惑の二重基準】
日本を含む東アジア地域において、どこの国がいったい危険なのか。本当に北朝鮮は核兵器を開発したのか、開発中なのか。すでに一発以上の核爆弾を保有しているというのだろうか。しかしそれはすべて推測、単なる疑惑でしかない。
*Deutschドイツ語→Das nordkoreanische Kernwaffenprogramm wird von der Regierung Nordkoreas energisch vorangetrieben. Abdul Kadir Khan, der „Vater der Kernwaffe“ und Chefentwickler des pakistanischen Kernwaffenprogramms, hatte 2004 den Verkauf geheimer Kernwaffenpläne an Nordkorea eingestanden.[1] Nach eigenen Angaben erzeugte Nordkorea am 9. Oktober 2006 erstmals eine Kernwaffenexplosion, wofür es international von den meisten Staaten scharf kritisiert wurde.

火のないところに煙は立たない、というが「煙が立っている」のを見た人がいるのか。「濡れぎぬ」を着せるだけならだれにでもできるが、無実だったらどうするのか。疑わしいのは叩いておくにかぎる、というのであればもう無法社会の論理である。
核潜在保有国のランクは経済力、国力、科学技術水準に比例する。元来、NPTも日本、ドイツなど先進工業国がもっとも核開発に近いとして設けられた経緯がある。国連加盟180余の国々のなかで、66年までに最初の核実験を行ない、核爆弾を所有しているのは米、旧ソ連、英、仏、中の5カ国だけであり、現在はソ連がロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフに分離したため核保有国は計8カ国に拡大した。
このほか核実験を行なったインドをはじめパキスタン、アルゼンチン、イスラエル・・・と核保有が確実視されている国々はいくらでもある。特にイスラエルが米英の科学者の帰国によって大量の核兵器を保有していることは、世界の軍事専門家がすべて知るところである。だがこれらの国々はNPTにも入っておらず、IAEAとの核保障協定も結ばず、これまでまったく野放し状態だが、米英仏などはこれらの国々に「核疑惑」をぶつけ、問題視したことはない。これらの国々からはしきりに「煙は立っている」が「証拠がない」とでもいうのだろうか。
「核を作る意思も能力もない」と金日成主席が再三、主張しても、「敵性国家」だから信用できないというのであれば、米英仏の主張は「友好国家」なら不問にするという不公正なものである。それでは核疑惑は国家レベルでの感情論に過ぎない。米国の核戦略が二重基準(ダブルスタンダード)といわれるゆえんである。
何よりも核の有無を検証する手段が米国の軍事偵察衛星のみに依存しているというのであれば、米国の敵視する国々が核疑惑をかけられることになる。いまは米国の従属国家である日本や韓国もいつ核疑惑の濡れぎぬをかけられないともかぎらない。いやすでに米議会や政府部内では日本の核開発の能力をめぐる議論が浮上している。
米国の日本の工業力が通常兵器生産にも踏み込まないように強くけん制してきた。そして中国の通常兵器の輸出にも神経を尖らせている。93年以来、米国は北朝鮮の中距離ミサイルの試射情報を日本に流し、日韓両国のマスメディアが騒ぎ立てたが、米国は北朝鮮がイランやイラクなど中東諸国へやがてミサイルを輸出するのではないかとヒステリックに叫んでいる。その米国は世界最大の武器輸出国である。

【死の商人としての米国】
米議会が調査局の93年7月20日、発表した報告書によると、92年の第三世界への通常兵器売却合意額は計239億ドルである。同調査局はこの調査を始めた84年以来、最低の数字だと強調しているが、この中で米国は136億ドルと、前年の49%から57%へとシェアを拡げ、世界最大の通常兵器の「売り手」となっている。米国が首位を占めるのは90年以来3年連続である。この3年間で、米国の売却額は全世界の総額の半分を占めた。報告書は、台湾(64億ドル)、サウジアラビア(42億ドル)、クウェート(11億ドル)の三国・地域からの新規兵器購入注文があったことが大きかったとしており、この三国・地域で米国売却分の86%を占めた(『朝日新聞』93年7月21日)。
89年まではソ連が首位だったが、その後、シェアを急速に落とした。92年の売却額の2位はフランス(38億ドル)、3位米国(24億ドル)、4位ソ連(13億ドル)である。米国こそが中東地域へ「紛争の種」を輸出しつづけているのであり、米英仏三国の合計額198億ドルは世界の82%強を占める。
さらに93年度の報告書(94年8月3日発表)では、米国の取引額は148億ドルと額では微増だが、4年連続のトップ。世界を取引に占める割合は72・6%へと急増した。やはり輸出先はクウェート、サウジアラビアが中心である。ロシアが18億ドルと伸び、英国を抜いて3位、中国は3億ドルを輸出している。
これらの数字を見ると、中東への武器輸出は北朝鮮が競合するどころか米英仏の独占市場であることがわかる。台湾への武器売却も、台湾海峡に常に紛糾の種を撒いておくという米国の伝統的な対中けん制戦略である。米国は注文さえあれば第三世界に武器を売り続ける危険な国であることを示している。先年の湾岸戦争の戦費は日本とドイツが支出し、その後、クウェート、サウジアラビアの新規武器購入は米英仏三国が独占するという巧妙な構図が浮かび上ってくる。
上記の数字は対象が第三世界のみである。極東における米国製武器の最大の「お得意」は日韓両国である。ノドン1号騒動のあと、大量のパトリオット・ミサイル、最新鋭攻撃ヘリ「アパッチ」が在韓、在日米軍に配備され、韓国の李炳台国防相が94年3月からの米韓合同軍事演習(チーム・スピリット)とパトリオット・ミサイル部隊を参加させたことを明らかにした。軍事緊張激化という茶番劇が終わったあと、これら米軍の持ち込んだ兵器類は日韓両国軍隊に「自動的」に購入されることになっている。すでに韓国議会では野党が「冷戦後に無用の軍備増強だ」と金泳三政権にかみついているが、対米貿易黒字解消を口実に、巨額な空中警戒官制機(AWACS)をはじめ、日韓にたいする米国の兵器購入要求は強まる一方だ。
*로동 1호(蘆洞 1號, 표준어: 노동 1호)는 조선민주주의인민공화국이 개발한 1단계 이동식 액체추진 중거리 탄도 미사일이다. 조선민주주의인민공화국에서는 화성 7호라고 부른다. 로동(蘆洞)은 함경남도 함주군 로동리에 있는 마을 이름으로, 미군의 정찰위성이 1990년 5월에 처음으로 이 미사일을 발견한 장소이다. 1993년에 조선민주주의인민공화국은, 비록 미사일은 동해바다에 아무 피해없어 떨어졌지만, 혼슈를 향해 미사일 시험발사를 해서 일본을 놀라게 하였다.
*早期警戒管制機(AWACS)보잉 E-767은 미국의 보잉사가 일본을 위해 제작한 조기경보기로 총 4대가 제작되어 1998년에 실전배치 되었다. 1977년, 미국 공군의 조기경보 E-3 센트리의 모체인 B-707의 생산이 중단되자 일본은 보잉의 새로운 여객기였던 B-767에 레이돔을 탑재해 조기경보기로 개발해 달라고 주문했다. 레이다는 미국이 사용하는 E-3 센트리와 같은 AN/APY-2레이다를 사용하며, 최대이륙중량 145톤인 E-3 센트리 보다 대형인 175톤으로 조기경보기로서는 세계 최대이다. 러시아와 중국도 일본에 대응해 170톤급 A-50 메인스테이와 KJ-2000을 배치했다.
*팀 스피릿(Team Spirit)는 1976년부터 1992년을 제외한 1993년까지 이뤄진 주한 미군과 대한민국 국군의 합동 군사훈련이다. 1994년부터 2007년까지 RSOI(Reception, Staging, Onward Movement and Integration of Forces)로 바뀌었다가, 2008년 3월부터는 컴퓨터 워 게임인 키 리졸브와 야외기동훈련인 독수리 연습으로 대체됐다. 북한은 한미 합동군사훈련을 '북침훈련'이라고 비난해왔다.

【朝米会談第一ラウンドの合意】
北朝鮮に対するIAEAと米国の「特別査察」要求は93年以降、さらにエスカレートした。北朝鮮のNPT脱退表明は世界に衝撃を与えたが、中でも米国のショックは大きかった。朝鮮半島における「核」問題とは、実体としては「在韓米軍の配備した核兵器の存在」以外にはない。理論的にはすべての非核国が核開発に向かう可能性がある。だが国力、経済力、技術力など開発への制約条件は多い。
一方、五大核保有国の核保有ははっきりした既成事実である。これら五大国の核独占を放任しているIAEAが、核保有国である米国の意向を受け、その軍事情報に依存して、「核開発施設の査察」と称して非核国のすみずみまで調べ上げるというのはどうみても道理に合わない。これは国際的にも常識的な見方である。ところが「ありもしない核」に対する査察を「錦の御旗」のごとく掲げ、揚げ句の果ては、経済制裁という非人道的な強硬手段に加え、湾岸戦争で多数の人々を殺りくした大規模な空爆を北朝鮮に対して行なえというに至っては、もはや狂っているとしかいえない大国のごう慢さである。
このような人為的に造作された「東アジアの危機的状況」を回避するためには、関係各国の地道な話し合いしか道はないことがだれの目にもはっきりしてくる。
「経済制裁に持ち込めば米国が孤立し、ボスニア問題での失敗の二の舞となる」(C・カーティス米コロンビア大教授)という声が米国内でも出てくるのは当然だろう。93年6月に入って米国がやっと北朝鮮との高官会談に応じた。その結果、同月11日についに問題解決に向け「政治的原則」で合意に達した。これは朝米両国関係にとって歴史的な出来事であり、北朝鮮は外交史上、画期的な成果を収めたといえる。
朝米の合意点は、①核を含む武力不使用の確認、②相互主権の尊重、内政不干渉の確認、③朝鮮半島の平和統一支持ーである。三項目ともに北朝鮮が長年、主張してきたものであり、北朝鮮の言い分がすべて盛り込まれている。これによって北朝鮮NPT脱退宣言は必要と認める限り中止されることになった。
また会談継続と次官級への格上げも決まり、紆余曲折が予想されるものの、「チーム・スピリット演習の永久中止」など前途に大きな光明点が見えてきたといえる。1990年春から米国が急に「北の核廃絶」問題を持ち出した真意が何かについてはまだ精密な分析が必要だが、米国の軍部勢力がソ連・東欧の崩壊後、したたかに生き残っている北朝鮮の強固な社会主義建設路線を弱体化させ、あわよくばその崩壊を狙ったものであることは確かだろう。

【北ミサイルで騒ぐ日本政府】
北朝鮮バッシングに走る米国の強硬派に対し、中国や発展途上諸国(非核国群)の多くが不快感を抱いたことから、アジア・太平洋地域に対する影響力の保全という米国の戦略が根底から揺らいでいる。NPTは発足当初から非核国への不平等性を有し、その差別性は95年4月の条約改定を待たず、世界の前にその矛盾をさらけ出してしまった。
また「北の核」問題に対する日本政府の不可解な対応ぶりが目立った。米韓両国よりも突出して北朝鮮非難を行ったからである。長年、在韓米軍の1000発もの核兵器配備には口をぬぐってきた日本が、なぜ「北の核疑惑」に神経をとがらせる挙に出たのか。日本はなぜ唯一の被爆国として非核国の先頭に立ち、アジア、太平洋地域の核廃絶を叫ばなかったのか。
それは韓国と同じく、多数の核積載艦艇・航空機が傍若無人に出入りするのを認めている「持ち込み核保有国」だからである。朝米会談第1ラウンドの原則合意と同じくして、日本政府(宮沢内閣)は93年6月11日、突然、北朝鮮が日本海で中距離ミサイルの実験を行なったと異例の発表をした。日本の新聞各紙、テレビ報道はその射程内に日本列島がすっぽり入るという地図を麗々しく載せ、今にも日本がミサイル攻撃にさらされるかのような危機感をあおる記事を大きく扱った。だがなぜ北朝鮮が日本を武力攻撃する必要があるのか、日本がミサイル攻撃されるどのような理由があるのかーについてはまったく言及がなかった。そして、日本周辺に展開する米巡洋艦、駆逐艦の積載しているトマホーク巡航ミサイルの存在にもまったく触れていない。また中国、ロシア、在韓米軍、在日米軍など強大な周辺各国の軍事力の実態を併記しない。このような報道の意図するものは何だったのか。
かつて「ソ連の脅威」、「中国の脅威」を言い募り、米日韓の軍備拡張に結びつけてきた勢力が、今度は口実に駒って「北の脅威」を持ち出していると気付いた人たちも多いことだろう。
軍事情報を装った謀略が報道、記事として氾濫する日本では、より正確な世界認識と歴史認識が必要となっている。日本は朝米第1ラウンドの「合意」に逆らうのではなく、また北朝鮮の「核カード」といった低次元のレベルでとらえるのではなく、どうすれば東アジアの非核化が実現できるかを真剣に検討する契機とすべきだろう。

【朝米第2ラウンドの内容と評価】
朝米会談第2ラウンドが93年7月19日にジュネーブで開かれ、第1ラウンド以上に大きな成果を挙げた。
ジュネーブ第2ラウンドは北朝鮮の核廃絶を取り除くことのみを目的としたものと一般的には受け止められているが、合意内容をみると、軍事(核)問題にとどまらず、政治・外交面での突っ込んだ交渉であったことが分かる。この40年間、米国は休戦委員会での会談および北京の参事官級接触以外に、一切北朝鮮との交渉のテーブルにつこうとしなかったからである。
これは米国の朝鮮政策に変化が生じたのではないかと思わせる根拠となっている。先の6月の第1ラウンドでは、①核を含む武力行使の禁止、②主権尊重と内政不干渉、③朝鮮の平和統一の支持ーを奪う合意文を発表した。米国の誓約は国交樹立か平和条約の前文かと錯覚させるものとなっている。
朝鮮半島に関する話し合いは80年代初めから朝米韓の「三者」で行なわれることが確認されているが、韓国を交えず朝米両国がサシでこのような重要な取り決めを行なったことも特徴的である。もちろん米国は再三、金泳三政権と緊密な事前協議を重ねており、南北関係にもよい影響を与えるとの観測が強まっている。
ジュネーブ第2ラウンドの合意内容も予想を超える文言となっている。
「米韓は核兵器を含む武力を行使せず、武力を持って威嚇もしないことを保証する原則について、自己の公約を再確認した」とうたわれている。米国はいかなる非核国に対しても、核の「ノー・ユース」(核不使用)、「ノー・ファースト・ユース」(核先制不使用)を公式に誓ったことがない。また北朝鮮がその不公平さを批判してきたIAEAについても米国は「同機関の保障を完全に、公正に適用することが国際的な核拡散防止体系を強化する上で必須である」とし、朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言(91年12月)の履行の重要性を再認識した点も見逃せないポイントである。
この合意文は米国側の大幅譲歩といわれるが、「北朝鮮を核拡散防止条約にとどめる」ことが最大の目的だったとすれば、予想外の譲歩ではない。だが日本のマスコミは「クリントン素人外交の失敗」だと米朝間の急接近に不快感を露わにした。これはそのまま日本政府や外務当局の受け止め方だろう。
第2ラウンドでは、北朝鮮の「軽水炉」の導入について、米国がその実現を支持すると表明した。これも北の「核」疑惑の実態が、核兵器の開発・保有とはほど遠い、原子力発電の初期レベルでのものであり、米国が核カードを使って「北の核」の実態を明確にしようとしたのに対し、北朝鮮側は「非核カード」で対応し、エネルギー不足解消のため悲観としていた最新の原発技術導入への道を開いたといえる。
そこで注目されるのが、日本政府の朝鮮政策の立ち遅れである。軍備拡張をさらに強調する「93年版防衛白書」や、北朝鮮への危機感を煽るノドン・ミサイル試射騒ぎなど敵対姿勢を捨てない日本政府当局のお粗末さは目を覆うばかりである。6,7月の米朝ラウンドにおける一連の合意は朝鮮半島の非核化、民族統一のみならず、やがて在韓米軍の撤退および米朝国交樹立にまで結びつくものである。同時に在日米軍・核兵器の撤収、日米安保体制の見直しという重大な情勢変化をもたらす要素をも含んでいる。

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