日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Gim Ilseong김일성金日成・Kim Jong-il김정일 金正日『김일성 후 한반도/마에다 야스히로 (저)』/【Korean Peninsula after Kim Il Sung /Yasuhiro Maeda (Author)】/<金日成後の朝鮮半島 / 前田 康博(著)>⑥


【国際舞台における日本】
細川首相が93年10月、国連総会で演説した。日本の首相としては6年前の中曽根首相についで二番目だが、英語で演説したのは初めてであり、各国代表やマスコミにも好感を持って受け止められたという。経済力はともかく、とかく「顔の見えない国」との評判があった日本としては、国際舞台で初めてその「素顔」を示すことができたのは国民として喜ばしいマスコミは例によってはやしたてた。問題は演説の内容である。

「日本の政治は、歴史のページに入ったのではなく、新しいチャプターに入った」と政治改革への意気込みを語っているが、安全保障理事会の改革問題について細川首相がどのように言及するかが注目された。
宮沢政権の外務省は積極的に常任理事国入りを画策し、7月、国連に「安保理において、なしうる限りの責任を果す用意がある」という意見書を出していた。これに対し細川首相は安保理改革だけでなく、個々のPKO活動に一定の時間的制限を設けたり、既存の活動の厳格な見直し、さらに国連行財政の立て直しに注文をつけ、「改革された国連において、なし得る限りの責任を果す用意がある」と述べた。このため日本各紙は、「安保理入りは抑制的な表現に止めた。歯切れの悪いものとなった」との解説をつけた。
*유엔 안전 보장 이사회(UN安全保障理事會, 영어: United Nations Security Council, UNSC 유나이티드 네이션스 시큐리티 카운실[*], 프랑스어: Conseil de sécurité des Nations unies 콩세이 드 세퀴리테 데 나시옹 쥐니[*], 러시아어: Совет Безопасности Организации Объединённых Наций 소베트 베조파스노스티 오르가니자치 오비예디뇬니흐 나치[*], 중국어: 联合国安全理事会, 병음: Liánhéguó Ānquán Lǐshìhuì 롄허궈 안취안 리스후이[*], 스페인어: Consejo de Seguridad de las Naciones Unidas 콘세호 데 세구리다드 데 라스 나시오네스 우니다스[*], 아랍어: مجلس أمن الأمم المتحدة 마즐리스 알아문 알우맘 알무타히다[*])는 회원국의 평화와 안보를 담당하는 유엔의 한 기관이다. 대한민국에서는 간략하게 안보리(安保理)로 줄여 말한다. 유엔의 다른 기관들이 회원국 정부에 대해 조언만을 할 수 있는 것과 대조적으로, 안전 보장 이사회의 결정은 유엔 헌장에 의거해 회원국들이 반드시 이행하게 되어 있다.
*유엔 안전 보장 이사회 상임이사국国際連合安全保障理事会常任理事国(permanent members of the United Nations Security Council, Permanent Five, Big Five, P5)은 1945년 유엔 헌장을 통해 유엔 안전 보장 이사회의 상임이사국 자격을 부여한 5개 국가이다: 중화인민공화국, 프랑스, 러시아, 영국, 미국.[1]


国連が米国の外交の道具と化し、本来の使命と理念がゆがめられていることは周知の事実である。また軍事的解決に終始してきた経緯がある。冷戦構造が崩壊し、国連の役割が大きな変化を迫られているにもかかわらず、「戦勝国体制」を捨て去っていないことも指摘され続けている。このまま日本が常任理事国になった場合、直ちに米国から軍事的な貢献を求められることは避けられない。
常任理事国入りの積極推進派は日本の自衛隊の海外派遣を成功させたのに続き、国際貢献を口実にさらに軍事大国への道を企図しているのはまちがいない。直前まで首相官邸と外務省が対立したといわれるが、外務官僚群が目論んでいたシナリオも推進派と大同小異のものだ。ただ「改革された国連で」という表現は他国任せの印象を与える。「では日本は国連でどのような役割を演じようとするのか」という国際世論の声には応えていないからである。
クリントン大統領は同じく初の国連演説を通じて人権、環境、反核、人口問題などを取り上げ、リベラル派のイメージを打ち出そうとした。米国の衰退を前提にしながらも、同大統領は核不拡散の新たな枠組み作りを提案するなどこれまで以上に国連を重視し、米国の存在感を示そうとした。
日本がいまでは国連分担金の13%を負担する第二位の拠出国であることを考え合わせると、米国主導の国連ではなく、日本が「国連の改革」を担う決意を示せば、アジアなど発展途上国諸国の賛同を得ただろう。
国連演説と同時に関心を集めたのが日米首脳会談だった。
会議の中で経済問題に隠されているが、「日米安保体制の堅持」が双方で確認された点も見逃すことはできない。日米両首脳が「変革」、「チェンジ」を強調するのであれば、なぜアジア・太平洋地域における冷戦の終結を確認し、新たな秩序構築を誓う場にしなかったのだろうか。日米安保条約とその体制が「敵」を想定した軍事的なものであり、いかなる新解釈を付け加えても、冷戦後のいわゆる「移行期」を主導するシステムであるはずがないからである。
日米安保体制を継承するのであれば、細川政権が「非自民」を標榜することはナンセンスであり、米国に対し、冷戦時代の遺産を整理する時が近付いていることを通告しておくだけの勇断がほしかった。米国が自動延長を企てている核拡散防止条約(NPT)についても、日本が核開発を絶対に行なわないとの意思表示は必要であるが、核保有国の核廃絶を要求することなく、NPTの延長に同調することは米国追随とみられてもしかたがない。核不拡散問題は既存核の全廃を前提としない限り、有効な対応策を見いだすことはできない。
細川首相の訪米と合わせて日米防衛首脳の協議が行なわれた。ここでも米国から「戦域ミサイル防衛」(TMD)の共同開発が持ち出され、日本側が合意するという重大な場面があった。これは日本が巨額な軍事費搬出を強いられ、さらに軍拡の泥沼に引きずり込まれることを意味している。なぜあえて冷戦後にいっそう不毛の軍備増強に走るのかをいぶがる国民も多いだろう。細川政権がしだいに「保守」の顔をあらわにしはじめていることに、国民は不安な目差しで見つめていた。

【制裁実施か対話解決か】
北朝鮮の核問題について、94年6月、米日韓三国が国連安保理を前に、制裁に向けた共同歩調を確認したことから秒読みの緊迫した事態となった。だが中国やロシアは平和的な話し合いと多国間協議での解決を求め、制裁措置に反対する動きを示した。「北の核」問題は93年2月以来、風雲急を告げる状態になったが、IAEAの「特別査察」要求に対し、北朝鮮側が軍事施設であるとして拒み、同年3月、NPTからの脱退を表明したからである。
その後、朝米間の交渉で解決すべきだという北朝鮮の呼び掛けで、同年6、7月、朝米会談が行なわれ、核の不使用、相互自主権の尊重、朝鮮の統一支持のほか、軽水炉導入提供など画期的な合意を見た。
94年5月から北朝鮮は安全の確保と経済利益の損失防止を理由に、寧辺にある5000キロワット実験原子炉の燃料棒の交換を自由に始めた。同年31日、国連安保理は核疑惑解明の機会が失われると非難して、交換作業の中止と査察協議の再開を求める声明を採択した。北朝鮮のキム・スマン国連大使は、IAEAとの再協議には応じたが、「米国とIAEAはわが国の窒息を企図しており、すべては朝米間で解決されるべきだ」と、安保理の介入を強く拒んだ。この原子はソ連の黒鉛減速炉をモデルに北朝鮮が開発したもので約8300本の核燃料棒が納められている。
6月2日、モスクワで韓ロ首脳会談が行なわれ、エリツィン大統領は南北双方および日米ロ中、国連、IAEAの八者会談開催を呼び掛け、制裁を主張する金泳三大統領と意見の食い違いを見せた。米国はあくまで中国に対して北朝鮮への強い説得を求めた。安保理で中国が拒否権を行使した場合、国連として対北制裁決議は不可能となるためである。

*보리스 니콜라예비치 옐친(러시아어: Борис Николаевич Ельцин, 이 소리의 정보듣기 (도움말·정보), 문화어: 보리스 니꼴라예비치 옐찐, 1931년 2월 1일 ~ 2007년 4월 23일)은 새 러시아 연방의 초대 대통령 (1991 ~ 1999)이었다.
同日、IAEAのブリクス事務局長が燃料棒の選別は不可能となったという報告書を国連に提出した。日米韓三国は制裁不可避として、4日には米国務省で実行可能な制裁内容について話し合い、「北朝鮮の行動は朝鮮半島に深刻な状況を作りだし、北東アジア地域および国際社会の核拡散防止努力への脅威を生み出している」という新聞発表を行なった。
*Svenskaスウェーデン語→Hans Martin Blix, född 28 juni 1928 i Uppsala församling i Uppsala län,[1] är en svensk jurist, politiker (Liberalerna ) och ämbetsman. Han är mest känd som generaldirektör för Internationella atomenergiorganet (IAEA) 1981–1997 samt för sin verksamhet inom FN. Han var utrikesminister (fp) 1978–1979 i Ola Ullstens regering.
日本政府は「非軍事的な強制措置」として、在日朝鮮人の本国への送金や日朝貿易の代金返済などの送金業務を停止、輸出入の停止・文化・スポーツ、科学技術交流の制限、航空機乗り入れの拒否など10項目の措置を米韓に説明した。このような動きに対し、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」(6月5日付)は「米が朝米会談の土台が破壊されたとみなした場合、わが国がNPTからの脱退を保留している基礎も崩れる」と、NPT脱退を警告した。
*재일조선인(在日朝鮮人, 일본어: 在日朝鮮人 자이니치 조센진[*]) 또는 줄여서 재일(일본어: 在日 자이니치[*])은 일본에 거주하는 조선인[1]다. 민단에서는 재일 한국인(在日韓國人, 일본어: 在日韓国人 자이니치 칸코쿠진[*])으로 부르고 대한민국과 조선민주주의인민공화국에서는 재일동포라고 부른다.
6月6日から国連安保理で北の核問題は大詰めの協議が始まり、また同時にIAEAの定期理事会もスタートした。だが1968年の米情報収集艦プエブロ号だ捕事件のように、これまで朝米間では一触即発の危機的状況は再三あったが、いずれもぎりぎりの土壇場で北朝鮮の柔軟な外交姿勢によって全面衝突は回避されてきた。経済制裁が決定されたとしても制裁自体の効果は不透明であり、逆に独自制裁に踏み切った米日韓が困難な立場に立たされることになった。
*푸에블로함 피랍 사건(Pueblo Incident)プエブロ号事件(プエブロごうじけん)は、1968年1月にアメリカ海軍の情報収集艦プエブロが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拿捕された事件。

【注目される村山政権の対朝鮮政策】
金主席死去のあとも日韓関係の前進が見られず、日本首脳の対北朝鮮バッシングが続いているのは94年7月に誕生したばかりの村山政権が、まだ本格的な対朝鮮外交を始動させていないためである。自衛隊合意、日米安保容認、日の丸・君が代容認など目まぐるしく変化する同政権の政策にまだ整合性がないことが国民を戸惑わせている。歴代自民党政権および非自民をうたった細川・羽田政権と寸分違わぬ性格に陥るのかどうかがわからない。
しかし社会党が首相を出した政権が外交的成果を残すとすれば、「日朝関係」の劇的な転換しかない。それも米韓両国の妨害、けん制を排して日本独自の政策として、早急に交渉再開への糸口を見付け出すことである。相互不信という不毛の結果しか残さない「鉄拳外交」への追随が、日米協調外交ではない。平和憲法の理念に基づいて平和な話し合い外交を推進し、米国にも北朝鮮にも堂々と日本の国益を主張して、共生繁栄の道を探るほかない。
村山首相は7月23日から訪韓し、金泳三大統領と「日韓連携対処」を話し合ったが、日本国民がいま村山政権に求めているのは、いまさら「日韓連携強化」ではなく、日朝和解と南北対話を支援するという一歩踏み出した朝鮮外交である。韓国の優柔不断な南北対話足踏み政策に安易に同調するのではなく、北朝鮮への接触拡大を図る方法をとることである。
日本外務省は8月下旬から、中断したままの日朝国交正常化政策の再開へ向け、外務省の担当者を北京に派遣し、北朝鮮側と予備的な接触を行なっていたことを明らかにした。同省は会談内容を明らかにせず、「いちいちコメントできない」としているが、北朝鮮の柔軟な呼び掛けに92年11月の中断以来初めて日本側が接触に応じたものである。
ただ寺田外務大臣は9月2日の記者会見で、「北朝鮮は再開に関心を示していないというのが事実だ。核開発問題は米朝間の問題であって、日朝交渉が取り上げることに反発している。現段階では交渉再開に見通しが立っていない」と明らかにした。これは日本側が依然として核問題を持ち出す可能性を示唆したものであり、北朝鮮の反発は避けられない。結局は日本外務当局に日朝国交正常化について話し合う意思があるかどうかが焦点となるだろう。
このような外務省の消極的な姿勢の中、社会党の深田肇参院議員(党組織局長)が9月5日から10日まで、平壌入りし、日朝交渉再開に向けて北朝鮮要人と話し合った。北朝鮮側も長年友好関係にある社会党が与党として政権を担当している事実を踏まえ対応しようとしているが、問題は日本外務省当局の「厚い壁」が立ちはだかっていることだ。
*후카다 하지메 深田肇(岡山県出身1932 년 3 월 7 일 - 2012 년 4 월 13 일 )는 일본 의 정치인이다. 참의원 의원 (1 기). 중의원 의원 (1 기). 원래 스기 나미 구 의회 의원 (1 기).
朝米交渉が外交代表部設置および核問題の解決を見たころからの日朝改善をめぐる与党、特に社会党と外務官僚のあつれきは顕在化する恐れがある。

【河野外相が国連で常任安保理事国入りを演説】
日本の国連常任安保理事国入りを促す”大合唱”が続いている。慎重な姿勢をとる村山首相に対し、与党の自民・社会・さきがけの連立与党三党の外務調整会議(座長・清水澄子社党議員)が94年9月初め、「憲法の理念に基づき、武力行使を目的とする軍事行動には参加できない」などの条件を付けたうえで、常任理事国への立候補を表明することで合意した。これを受けて河野外相が同月27日の国連総会で正式にその意思を表明した。

①政治的、経済的地位にふさわしい国際貢献を主体的に進める。②憲法が禁ずる武力の行使はしないーを骨子として「平和国家に徹する」と明言したことは、初めてであり評価できる。
だがそれでも日本が常任理事国になることの意味を国民がどれほど正確に把握しているか、その是非が国会の場で十分に論議されたかとなると大きな疑問が残る。なによりも外務省が異様なほど、この問題に積極的に動き、従来から防衛力増強を求める保守派議員の多くが賛成しているところに「きな臭さ」と「うさん臭さ」を感じ取っている人々は多いのではないだろうか。
日本では戦後一貫して「国連」そのものが実体以上に美化されてきた。日本の歴代保守政権が日米安保体制堅持と国連中心主義を外交の柱としてきたためだが、国連の果した役割がどれほどのものであったかを一番よく知っている当の外務当局者たちなら恥ずかしくて「国連を通じた国際貢献」など口にできないものである。
二つの大戦の悲惨な経験から生まれた国連は戦勝51カ国でスタートした。現在加盟国は184カ国と三倍以上に拡大し、95年に50周年を迎える。この間、国連は日本人が考えるほど有効に機能する国際機関であったことはない。米国を中心とする英、仏、中の五大国の角逐の場でしかなく、「世界の平和維持」という美辞とは逆に大国、特に米国の道具と化してきた。
廃墟の中から立ち上がった日本およびドイツの常任理事国入りが取り上げられようになった背景にはそれなりにいくつかの理由がある。なかでもその巨大な経済力が大きな要因であり、年間100億ドルを超える世界一の援助国という地位を無視できなくなったからだろう。
二つの経済大国が国連において正当な指導力を発揮していないため、常任理事国に加わり、その地位に相応しい「国際貢献」を成すべきだという、もっともらしい言葉がマスコミで踊っている。この論理もことさらに国連を美化しており、常任理事国とは大国の占める座であるという前提で語られている。そうであれば、過去49年間、米ソなど五大国が常任理事国として戦争の脅威や紛争原因の除去など世界平和の維持に務めたという具体的な実績があるのかと問い質す必要がある。すなわち五常任理事国が「国際貢献」をしたことがあるのか、ということである。
事実は完全にその逆である。人間がもっとも苦悩し、その根本的解決を1日も忘れたことのない「核廃絶」の悲願に対して、この核保有五カ国はどのように対処してきたか?
核実験を続け、死の灰を世界中にまき散らし、核兵器を海外基地に配備し、危険な核拡散の種を生産し続けた五常任理事国こそが世界の抱える諸問題の元凶であったのではないか?また冷戦後の世界が抱える各種の紛争が深刻化している理由は、米国など五常任理事国の武器売却が原因ではないのか?
自由の「死の商人たち」が武器を売り続ける一方で、これら五常任理事国の外交官たちが紛争解決への人的、経済的貢献を日本など他の国々へ強要したのが先年の湾岸戦争だったことは記憶に新しい。いまも米英仏三国は中東地域への武器販売を独占しているが、この現実は国連に依拠して真の平和を実現したいと希求する国々をあまりにも愚弄している。
常任理事国問題は「国連改革」の一環として浮上してきた。国連改革は二つの側面を持っている。まず加盟国の増加数からも明らかなように、創設から50年を経て国連の果すべき役割が大きく変化したことが挙げられる。ついで米ソ冷戦の終焉を受けて国連の機構を抜本的に見直し、新情勢に対応できる体制を作るべきだという側面である。当然、財政的、人的な充実が要求されるが、そこから経済力のある日独などの参加を求めるという空気が生まれたことも否定できない。

【真の国際貢献とは】
国連は加盟各国の国益がぶつかり合う場でもあるが、米国は国連という組織と機能を自己の国益のためにフルに活用した。国連がなければ戦後、米国がここまで生き残ることができたかどうかも疑わしい。その意味で国連の最大の受益者は米国であり、日本外務省当局のいう「国際貢献」とは「米国への貢献」の代名詞である。
1972年9月の国連総会で当時のロジャース米国務長官が「国連安保理がその影響力と権威を維持するためには、常任理事国以外の諸国の代表が確保されるための方策が見い出されなければならず、例えば日本が欠けている」と初めて日本の常任理事国入りに言及した。当時、中国が台湾に代わり国連代表権を得たばかりであり、米中、日中国交が始まる直前だった。アジア、アフリカなど社会主義圏、第三世界諸国の多くが加盟することによって、相対的に影響力を低下させてきた米国が西側陣営を強化する必要に迫られ、日本を国連で”活用”するアイデアを公然化したものである。
*威廉·皮尔斯·罗杰斯(William P. Rogers,1913年6月23日纽约州诺福克 - 2001年1月2日马里兰州贝塞斯达),美国政治家,曾任第55任美国国务卿和美国司法部长。
米国の国連私物化は1950年6月の朝鮮戦争に始まる。朝鮮民主主義人民共和国の「侵略」と決めつけ、朝鮮半島の内戦を一気に国際戦争化したのをはじめ、ベトナム、湾岸戦争と米国が常任理事国の地位を利用して、国連決議を乱発し、加盟各国を縛ってきた。その国連がしだいに思い通りにならなくなるにつれ、分担金の滞納など米国の国連離れは年々顕著になっている。クリントン大統領がソマリアからの米軍撤退を決めたのも米国の国益に結びつかないという理由であり、米国は国際貢献といった空虚な美辞麗句に縛られていないことが分かる。
「朝日新聞」のアンケート調査(94年9月6日)によると、衆参両院761人のうち453人の有効回答のうち、常任理事国入りは7割近くを占めたが、「憲法の制約を超えた軍事的貢献はしない」などを前提とする「条件付き賛成」だったという。また「国民的議論が深まっているとは思えない」が7割以上、「軍事的貢献を求められるようになると思う」と懸念する意見は4割近くを占めている。
その前日の5日、外務省の斉藤邦彦事務次官は「軍事的貢献は時にプラスになる」とし、日本が軍事的貢献を対外的に明言することに反対の意向を示した。また小和田国連大使は「慎重な姿勢は国益を損なう」と村山政権の消極的な対応を正面から批判し、河野外相の演説へ向け圧力を強めた。
*Kunihiko Saitō (Japanese: 斎藤 邦彦) is a Japanese politician who served as ambassador to the United States.[1]

また9月初めには外務省が常任理事国入りと憲法の関係について「憲法9条に抵触しない」との見解を盛り込んだ内部文書を作成していることが明らかとなった。これに対し、内閣法制局は「常任理事国入りすれば国連軍を設置する場合、軍事参謀委員会参加問題が生じるが、憲法に抵触するかどうかは現状では判断は難しい」と、外務省とは異なる見解を発表した。このように同じ政府部内でも憲法の制約についても意見が分かれたままであるにもかかわらず、軍事的貢献は当然だとして対処している外務官僚の突出ぶりが目立つ。
前術の与党の外務調整会議でも外務省側は「日本は過去14年間も非常任理事国を務めるなど国連活動でさまざまな実績を挙げている」と説明した。しかし日本は実施どころか、対米追随姿勢から抜け出せず、多くの国が賛成する核兵器禁氏決議に反対・棄権を繰り返してきただけである。軍縮特別総会の開かれた82年から91年までの10年間、核軍拡の歯止めとしてメキシコなどが提案、採択されてきた「核軍備の凍結」決議に日本の国連代表はすべて反対し続けた。また82年からインドが提出した「核兵器使用禁止条約」決議にもすべて棄権している。米国の核の傘に入っているため米国の意向には逆らえないとして、米国追随の姿勢で一貫してきた。被爆国としての立場から国連の場で核保有国に対し「実績を挙げた「など胸を張っていえるのだろうか。北朝鮮の核疑惑問題でも日本外務省が非核国の立場から核拡散防止を願って行動したのではない。「米国の核を持ち込ませている国」としての立場から米国の主張にただひたすら随うという独立国家とは思えない外交姿勢に終始してきた。
*유엔군 또는 국제연합군은 다음의 의미를 나타낸다. 유엔사령부(United Nations Command) : 1950년에 설립되어 한국 전쟁 당시 참전국들의 병력을 통솔하고, 한국 전쟁 이후 한반도에 주둔하고 있는 전투사령부. 유엔 평화유지군(United Nations peacekeeping) : 1948년에 설립되어 세계의 분쟁 지역에 파견되는 유엔의 평화유지활동.
河野外相は非核国、武力行使国の代表として日本が常任理事国入りする意義を強調するが、外務省は過去、核軍備に関してもこれだけ反対と棄権を繰り返してきた明白な事実があるのだ。日本の常任理事国入りは、「軍事的貢献」への道を開くことはもとより、より米国の忠実なメッセンジャー、あるいは都合のいいボーティング・マシーン(集票機械)になる恐れは十分にある。

第IV章 米日韓同盟体制強化の狙いは
第10章 急変した米ロ中・南北関係
【アジア・太平洋地域の激変促すか】
朝鮮半島をめぐる諸情勢が最近大きく変化した。それは第二次世界大戦後、最大の変化といえるものであり、東西冷戦体制の崩壊が’ついに朝鮮半島にも及んだためという受けとめ方も成り立つ。一触即発の「火薬庫」と呼ばれ続けてきた朝鮮半島の、軍事政治上の深刻な対立は、アジア・太平洋全般の情勢をも暗いものにしてきた。すなわち朝鮮半島問題は広くアジア・太平洋情勢を占うキーワードであり、朝鮮半島の変化はそのままアジア・太平洋地域に波及し、激変を促す大きな要素といえる。
まず「朝鮮半島」は二つの要素からなっている。一つは朝鮮半島における戦争再発の危険性に関するものであり、もう一つは朝鮮民族の「統一」に関する問題である。二つともに南北分断がもたらしたものであり、根源は同じである。「戦争再発の防止」と「朝鮮の統一」は密接に関連した問題だが、朝鮮半島の平和と安定だけでは朝鮮統一の、十分にして絶対的な条件とはならない。分断状態を固定したままで平和と安定状態を生みだそうという考えがあるからである。朝鮮の統一には平和と安定的な状況が必要だが、そのままでは「統一」を生み出さない。むしろ分断を克服するところから真の平和と安定、そして統一が実現する。
朝鮮半島情勢がいま大きな転換期を迎えているというのは、「朝鮮は一つ」という見地に立ってあくまでも「統一」を望むものと、分断の現状をやむをえない事態と受け止め、「二つの朝鮮」のままで生きて行こうという考えに大きく二極分化しはじめているためである。
朝鮮は一つか二つかーをめぐる対立は、韓国、北朝鮮という南北両政権間だけでなく、韓国内でも政府と在野勢力の間でも越えられないミゾとして存在している。また4万の在韓米軍と核兵器を保持している米国、日韓条約で韓国と強力な紐帯関係を持つ日本、従来、社会主義体制と友好協力を軸に北朝鮮と同盟国の関係を維持してきた中国とソ連。この周辺の関係四国の動きが、上記の朝鮮半島問題をより複雑にしている。


【六者関係の変化をもたらす】
南北当事者と四国をあわせて六者の関係が90年5月以降大きく変動した。
まず盧泰愚の訪日(5月24日)にはじまるサンフランシスコでの盧泰愚・ゴルバチョフ会談(6月5日)第1回南北首脳会談(9月5日、ソウル)、金丸訪朝による日朝国交正常化交渉の合意(9月27日)韓ソ国交樹立(9月30日)、第2回南北首脳会談(10月17日)、そして日朝関係正常化のための初の政府予備会談(11月3日・北京)、第15回日韓定期閣僚会議ソウル開催(11月26日)、中韓の相互貿易事務所設置と続く一連のあわただしい現象である。南北首相会議では盧大統領と北朝鮮の延亨黙首相が、金日成主席と韓国の姜英勲首相がそれぞれ会談するなど、分断後初めての劇的な握手の光景が実現した。
*연형묵(延亨默, 1931년 11월 3일 ~ 2005년 10월 22일)은 조선민주주의인민공화국의 정치가이다. 내각 부총리, 조선로동당 정치국 후보위원 겸 국방위원회 부위원장을 역임하였다.
*강영훈(姜英勳, 1922년 5월 30일 ~ 2016년 5월 10일)은 대한민국의 군인이자 외교관 겸 정치가 및 전직 대학 교수이며 예비역 대한민국 육군 중장이다.[2] 대한민국 국군 창군 원로이기도 한데 그의 손윗처남 또한 대한민국 국군 창군 원로 및 예비역 대한민국 육군 소장 출신인 김웅수(金雄洙) 장군이다.

従来、北朝鮮と中ソ、韓国と米日という「北方三角圏」と「南方三角圏」が東西冷戦構造のアジア地域における下部構造として、対峙している図式で説明されてきた。社会主義圏と資本主義圏、西側世界と東側世界の超えられないイデオロギーの壁が存在した。ところが89年以来のソ連・東欧の激動が社会主義圏の一体制を崩壊させ、ひいては東側世界が消滅することになった。偏狭な「反共思想」を軸とする西側諸国の対東側戦略も当然、崩れ去る方向にある。だがアジア・太平洋地域、なかでも朝鮮半島において、ゴルバチョフソ連大統領のアジア政策がドラスティックに変化したことが指摘されている。9月末の韓ソ国交樹立は、それまでの「朝鮮は一つ」という北朝鮮支持の伝統的な政策を一気に放棄し、「朝鮮半島には二つの主権(ソブレンティ)が存在する」という180度の大転換だった。とくに韓国が数年来、展開してきたソ連・東欧・中国への接近政策である「北方外交」の帰結として「韓ソ国交」が実現したため、北朝鮮の受けた衝撃は大きかった。「朝鮮半島に置ける唯一の正統性(レジティマシー)を持つ国家」という基礎を同盟国であるソ連から否定されたためである。

一方、韓国との貿易・経済関係の拡大を図る中国は、台湾問題を抱え、「一国二制度」による統一問題を抱えている点で、北朝鮮と共通している。したがって中韓間に貿易事務所の設置で合意したが、国交樹立問題はかなり先に延ばしている。ソ連とは異なり、北朝鮮の正統性を支持している中国が、「朝鮮は一つ」の立場を変える兆候はまだ見られていない。

【韓ソ国交樹立とその影響】
90年9月2日、訪日の途上、北朝鮮の平壌に立ち寄ったシェワルナゼ外相は、北朝鮮に対し、韓ソ国交樹立の方針を通告したが、金永南外相はこれまでの同盟関係にあるソ連の背信を強く非難し、あいさつも交わさずにソ連外相一行は東京に向かうなど朝ソ関係は一気に冷却化した。シェワルナゼ外相は、日本で日朝関係改善を強く求めたが、北朝鮮との仲介という形は取ろうとはしなかった。日本がソ連と同じく「二つの朝鮮」を認める立場から、北朝鮮との関係改善、国交樹立をするだろうとの観測に立って、韓ソとバランスが取れると読んだものとみられる。だからそれからわずか3週間後に日本は「朝鮮は一つ」を前提に、北朝鮮と国交正常化交渉を開始することで合意した。これは多くの国を驚かすものとなった。北朝鮮自身はもとより、さらにソ連、中国も意表を衝かれたほど衝撃的なものだった。


*에두아르드 암브로시스 제 셰바르드나제(조지아어: ედუარდ ამბროსის ძე შევარდნაძე [ɛduard ʃɛvardnad͡zɛ], 러시아어: Эдуа́рд Амвро́сиевич Шевардна́дзе 예두아르트 암브로시예비치 셰바르드나제[*], 문화어: 에두아르드 암브로씨예비치 쉐바르드나제, 1928년 1월 25일 ~ 2014년 7월 7일[1])는 조지아의 정치인이다. 1985년부터 1990년까지 구 소비에트 연방에서 외무장관직을 수행하고 후에 독립국가연합(CIS)의 일원인 조지아 공화국에서 1995년부터 2003년 장미혁명으로 물러날 때까지 대통령을 역임하였다.
もっともショックを受けたのは、歴代保守政権のもとで、「二つの朝鮮」政策を取り続けてきた日本外務省当局だった。90年9月25日からの金丸、田辺両氏が率いる自社訪朝団が朝鮮労働党との三党共同宣言で「一つの朝鮮」を明記したからである。
この時点で韓ソ国交樹立の衝撃度は、日朝の予期せぬ関係改善のテンポと三党共同宣言の内容の重要性の前にかすんでしまった観がある。韓国の北方外交が当面ソ連との国交で完成するとすれば、北朝鮮の「南方外交」とでもいえる対日米外交のうちもっとも手強い交渉相手と目されていた日本との外交関係が北朝鮮からみて、一番好ましい条件で実現することになったからである。
金丸訪朝自体が北朝鮮にとって、「ひょうたんから駒」の出来事だったと思われる。この訪朝団は当初から外交の常識を破る形で展開したが、日韓、日中関係改善の時と同じくアジア外交は時として個人の力が外務官僚の総合的な外交能力を超えたものになる前例は多い。
第一の衝撃は、北朝鮮側から「国交樹立を早急に行なおう」と提案してきたことだ。これまで北朝鮮は日本との国交正常化には南北朝鮮の分断固定化につながるとして否定的であり、日本外務当局が、日韓とならんで日朝と正常化することで、「二つの朝鮮」の状態を認めさせるのを狙っているといわれてきた。
この提案のあった時点では日本の新聞は、北朝鮮が国交正常化交渉を提案したことは、南北クロス承認につながるだけに、「北朝鮮が外交方針を大転換させた」と解説したが、実際は、そうではなかった。金丸・田辺訪朝団は「一つの朝鮮」を前提に国交樹立を受け入れる共同宣言作りで合意していたのである。「二つの朝鮮」を前提としたクロス承認でない日朝交渉を予想した人は少なかった。なによりも日本外務当局がそのような国交樹立に賛成するはずがないというのが大方の観測だったはずである。海部政府はあわてて米韓両国に通報し、事後了解を求めることになったほどである。ブッシュ政権も盧泰愚政権もただちに深い懸念を表明し、急テンポで進む日朝改善をけん制する挙に出た。
朝鮮労働党の団長として自社代表団との交渉を行なった金容淳初期(国務担当)は、国交交渉の開始提案をした理由について、①国際情勢の急激な変化、②日本政府の一部にある、国交関係樹立の前に「償い」を実行することはできないという意見を考慮したーを挙げ、決断したことを明らかにした。

【実現へ向かう南北朝鮮の首脳会談】
90年10月17日から2日間、北朝鮮の平壌で開かれた第2回「南北首相会談」は共同文書の作成で合意に達しないまま、第3回会談を12月11日から4日間、ソウルで開催することを決めて閉会した。朝鮮半島に本格的な緊張緩和が到来するかどうかを占う重要な首相同士の対話が、今回は予想以上に北側が柔軟な姿勢を見せ、他方、南側が強い姿勢で臨んでいたのが印象的だった。韓国の朴東源スポークスマンは「内容面で多くの接近があり、大いに進展した」と異例の楽観的な評価を行なったほどだ。
第1回のソウル会談(9月5,6日)は、分断以来、45年で初めて首相間接触とあって、双方に一種の熱気がみられたが、今回は板門店から平壌入りする韓国側代表にたいする鳴り物入りの歓迎風景もなく、双方ともに表面ではクールさが目立った。だがに南北ともにやっと再開にこぎつけたこの対話のパイプを切る気配はなく、ソウル、平壌で交互に継続していくという暗黙の一致があった。
それは、民衆の強い統一への願望に、南北政権が不信感を取り除き、統一への見通しを少しでも明るくする必要に迫られていることを物語っている。
90年9月の会談では北側は①国連へは単一議席で加盟、②米韓軍事演習の中止、③林秀卿さんら訪朝した人々の釈放ーの緊急三課題を出し、一方、南側は「南北関係改善のための基本合意」として南北交流に重点を置いた八項目提案を行なった。平壌会談で、北朝鮮側は相互不信の根を絶つためには、政治・軍事的対立状態を解消することが先決だと「南北不可侵宣言」を採択しようと提案、兵力の段階的縮小、軍当局者間のホットライン設置を求めた。
平壌会談で、北朝鮮側は相互不信の根を絶つためには、政治・軍事的対立状態を解消することが先決だとして「南北不可侵宣言」を採択しようと提案、兵力の段階的縮小、軍当局者間のホットライン設置を求めた。南側は離散家族の故郷訪問など人道的問題の先行を主張、先の八項目に加え、通行、通信、経済交流のための分野別の協議会を作って討議を進めようと呼び掛けた。
2日目の実質討議で双方の案を取り混ぜた包括的な共同宣言作りまで歩み寄ったものの、北側は不可侵宣言を題目としてうたうことを求め、南側は、同代表団には権限がなく、韓国内部の手続き問題を理由にこれを拒み、結局、合意文書を作ることができなかった。ソウルでは北朝鮮の延亨默首相ら代表団が盧泰愚大統領との首脳会談も順調に行く」とはっきり南北の頂上会談を望んでいることを表明した。金主席は(統一して一つの民族一つの国家になるべきだ」と語った。
南北のスポークスマンはともに、次回ソウル会談で不可侵宣言まで盛り込んだ合意が成立するという期待と感触を漏らしており、首脳会談開催を具体的に議論する空気が出てきた。だが南北双方の主張にはまだ本質的な相違点が多く残されていた。とくに南側が現在、朝鮮半島には分断された二つの国家があるという認識に立ち、北側に「体制認定」を強く迫っている点である。
北朝鮮は「南北に異なる権力があり、二つの体制が存在することは否認しない」と述べながらも、あくまでも「一つの朝鮮」という基本認識に立ち、「一つの民族、一つの国家、二つの政府、二つの体制」を前提に、連邦制による統一を求めている。このような相違点をどのようにして締めてゆくかは双方のバランスのとれた「妥協」と、対話を決裂させないという「忍耐」にかかっている。

【金主席の逆転外交と衝撃】
91年に入ってからの北朝鮮の対外政策の展開は目を見はらせるものがあった。日本では北朝鮮軽視、敵視の風潮が改善されず、同国への理解を深めようとする動きが鈍い。すでに冷戦体制が崩壊した現在、アジアの一員として均衡のとれた朝鮮半島認識の確立が日本に求められている。
社会主義体制を標榜する北朝鮮に対し、ソ連・東欧激変が大きな影響を与えたと見る向きは多いが、どのような影響を受けているのか、その実態を正確に分析する人は少ない。
北朝鮮からもたらされる情報量が少ないことをその理由に挙げる研究者も多いが、現実の日朝関係をみると、ここ1年間の日本人の訪朝者は2000人を超え、年ごとに倍増する傾向をみせており、大小300を越える種々の参戦団で平壌市中のホテルは満員状態が続いている。北朝鮮からもたらされる情報やニュースが少ないわけではない。
日朝間の人的、物的、そして経済的交流も無視できるほど小さくはなく、年々拡大の一途をたどっていることを見逃してはならないだろう。にもかかわらず、日朝関係の正常化が予想より進展していないのは、朝鮮半島に対して日本の政治・外交当局がその不均衡な姿勢をいまだに正していないからである。
この1年、北朝鮮が東西冷戦体制の崩壊、冷戦思考の破たんを前提として、朝鮮独自の「改革・開放」路線を取ってきたことを検証してみよう。
筆者は91年9,10月にかけて延べ4週間、平壌に滞在する機会があった。6度目の訪朝であり、毎年「定点観測」をすることで同国の発展ぶりや政策の展開状況を把握できた。91年を通じて北朝鮮が展開した最大の外交は「国連加盟の実現」だった。
9月18日、国連総会で南北朝鮮の加盟が満場一致で採択され、北は160番目、南は161番目の加盟国となった。この「南北同時加盟」は韓国が主張し、米日両国が支持したものとされ、そこから韓国の「北方外交」の勝利とみなし、逆に北朝鮮が国際的孤立を恐れ、やむなく応じたという議論が日本のマスコミでも目立った。
北朝鮮は長い間、「統一した後に単一国号のもとに加盟しよう」と主張。さらに「どうしても統一前に加盟するというなら単一議席」とし、同時加盟が「二つの朝鮮」の陰謀につながると警戒心を解かなかった。西側各国では、北朝鮮が加盟を認めたのは、「朝鮮は一つ」の政策を捨て、外交的に180度の転換を行なったと分析されている。たしかに北朝鮮外交は「南朝鮮(韓国)の単独加盟を阻止するためにやむを得ずにとった措置」だと苦渋に満ちた決断であることを表明した。
だが加盟実現後、ソウルではむしろ無力感が漂っているのに反して、平壌の空気はきわめて明るい。国連をはじめ、国際舞台での北朝鮮の活動は活発かしている。むしろ単独加盟を阻止されたことは韓国の外交的失敗であり、北朝鮮の加盟実現は「渡りに舟」の外交的勝利といえる。日本の外務当局も北朝鮮の国連加盟が現実になったとき、どう判断してよいかわからずあわてふためくという混乱状態に陥った。坂本官房長官(当時)は「北朝鮮の加盟は歓迎するが、ただちに国家関係の樹立を意味しない」と訳のわからない見解を記者団に表明した。

【苦渋の選択から積極的外交へ】
日米両国が北朝鮮の加盟を強く勧告したのなら、より積極的にこれを受け止めて歓迎と関係改善につなぐ意思の表明があって当然だったが、本音は韓国単独加盟に失敗したことによる日本政府の「敗北声明」となった。ちなみに日本は北朝鮮を除く、国連加盟の170余カ国すべてと国交を結んでいる。
平和愛好国家として国連入りした北朝鮮と外交関係を樹立しないとあえて言及する日本当局の目的は何だろうか。韓国を窮地に置きたくないという「思いやり」であり、米国のアジア戦略ー韓国を反共の砦とし、北朝鮮を国際的に孤立化させるーに追随するものだったからである。北朝鮮が最終的に国連加盟を決断したのは、朝鮮半島が分断状態にあることを世界に「認定」させることにあり、分断固定化を「肯定」するものではなかった。
金日成主席はその後も再三、「一つの民族、一つの国家、二つの政府、二つの体制」を主張し、今回の国連加盟によって北朝鮮がこの原則を転換したものでないことを示している。北朝鮮の国連加盟は、米国、韓国にも大きな困惑の種をもたらした。国連と北朝鮮は1950年の朝鮮戦争以来、交戦関係にあり、在韓国連軍司令部解体および朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に代える問題に火をつけたからである。国連軍司令部解体決議案はすでに16年前に国連総会で採択されているが、米国が国連憲章を無視して解決に応じず、在韓米軍をそのまま居すわらせて今日に至っている。
国連構成国と敵対する国連軍が存在することが不正常であり、いまや米韓ともに国連軍を駐屯させるいかなる根拠も見つけることはできなくなった。北朝鮮の延亨默首相は国連で初の演説を行ない、同司令部の解体と平和協定締結を改めて米韓両国に求めた。
また祖国平和統一委員会の全今哲副委員長は、「禍を転じて福となすことわざどおり、国連加盟はわが国のイメージアップとなり、また「北の脅威」などの宣伝が生まれる余地がなくなった」と外交活動における利点を強調した。事実、国連への往復の途中、延首相と金永南外相が成田空港に立ち寄り、日本記者と会見するなど、日朝関係にも新たな局面が開けた。また国連の場で米朝双方の外交官が接触する機会も増えた。従来は北京で大使館参事官レベルの接触だけという細いパイプが一本だけだったが、双方向の情報の流れ、人的交流の拡大は予想を超えた成果を生み出すものとみられている。当然、北朝鮮を「謎の国」、「情報鎖国」とみる先入観も急速に消えるという大きなメリットも生まれ始めている。

【新段階に入った朝米関係】
朝鮮戦争では多数の米兵が北朝鮮領内で死亡し、米国にとってこの生死確認と遺骨返還問題は対北朝鮮外交の大きな柱だった。90年5月に北側はそれまでに見つかった遺体を板門店で返還したが、91年5月に板門店を訪問したR・スミス共和党議員に、遺体五体を、さらに6月にも六体を引き渡した。これは朝米関係改善のために良好なシグナルと受け止められ、緊張緩和を実現するための朝米交渉の前触れとなった。このほか米在郷軍人団体の訪朝や、元在韓米軍司令官らの平壌訪問が続いている。
しかし米国はまだ新思考に基づく対北朝鮮政策を樹立するまでには至っておらず、朝鮮半島の軍事的緊張緩和に積極的な姿勢を示せないまま、アジア・太平洋の新時代へ対応しなければならないという矛盾した状態にある。ブッシュ米政権は財政赤字の増大から海外兵力と基地の撤収を進めながらも、在韓米軍の縮小、核兵器の撤収への決断をつけかねている。
米韓日三国の軍部がこぞって在韓米軍撤退に反対していることを新しいアジア戦略を打ち出せない大きな理由になっている。北朝鮮の国連加盟は「北の脅威」という従来の口実を失う羽目になったが、同時に米韓日三国政府と軍部は、「北が核を開発している」という新たな理由を作り出して結束し、朝鮮半島の軍事的対立の解消に抵抗している。
91年11月下旬にソウルで開かれた米韓定期安保協議会に出席したチュイニー米国防長官は、北朝鮮への核査察を強要するために、いったん打ち出した在韓米軍の段階的撤収計画を延期すると発表した。そして日本政府にも日朝国交安全正常化交渉の場でこの問題を持ち出し、北朝鮮に圧力をかけるよう改めて要求してきた。
他方、北朝鮮は7月末、朝鮮半島の非核化構想を打ち出し、さらに10月の南北首相会談でより内容を具体化した「半島の非核化地帯宣言」を提案した。このあと盧泰愚大統領が11月になって、同様の名前の非核化構想を提案したが、南北の提案は核兵器の開発、保有、使用などを禁止する点では共通しているが、北朝鮮は「他国からの核兵器の搬入、核積載の航空機・艦船の寄港、通過など一切、他国の「核の傘」の下に入らないこと」をうたっている。
在韓米軍の核兵器の撤収こそが朝鮮半島の非核化と平和の大前提とする北朝鮮に対し、韓国はなお米国の「核の傘」を必要とすることを解明した。このことは半島の非武装化ではなく、軍事対立状態の継続を狙ったものといえる。実際、91年度の韓国の国防予算は一般予算の伸びに比べ突出しており、依然として軍備拡張政策が進められていることを示した。これは日本の防衛予算の拡大と歩調を合わせるものであり、アジアでソ連の脅威は大幅に減少している一方で、日韓両国の軍事大国化が進行していることを世界に示すものとなっている。
このような米日韓三国の緊張激化政策が北東アジア・太平洋の平和に大きな暗雲をもたらしていることは明らかである。フィリピン、韓国、日本と連関する米国の軍事的プレゼンスは現実的には風前の灯となっており、早晩、かき消されるのは間違いない。
経済力で優位に立つ日韓が「極東の平和」へのイニシアティブをとれず、対米追随に終始している姿が目立っている。

【核査察問題と非核化構想】
90年春から、米国を中心に北朝鮮の核開発の可能性をめぐる論議が持ち出され、北朝鮮にIAEAの核査察を受け入れるよう迫る世論が作り出された。
なかでも首都、平壌北方の寧辺地区に核処理施設が建設されているという情報をもとに北朝鮮が核開発を行なったか、計画中だとする報道が米国側からしばしば流された。北朝鮮は小規模な原子力発電設備の存在を明らかにしているが、金主席をはじめ党・政府要人は「我々には核を開発する能力も、意思もない」と表明し、「核査察問題はIAEAおよび米国と我々の間で解決すべき事項であり、南朝鮮の米軍の核撤去および南北同時査察を要求する」と応じ、米国との直接協議を求めて両者の言い分は平行線をたどった。とくに「米国の核」からの脅威にさらされているため、米国が核不使用宣言を行なうよう求めた。
米国が韓国に核兵器を配備しているかどうかを明らかにしない態度はアンフェアだという国際的な批判の声も出始めている。9月末、ブッシュ大統領は「戦術核の全廃」をソ連に提案したが、韓国、日本配備の核兵器をも対象とするものであり、非核国(北朝鮮)の抵抗が核保有大国の核政策の変更につながったという評価も生まれている。
朝鮮半島の核問題の本質は、北の核開発の可能性ではなく、在韓米軍の核兵器の存在そのものであることがしだいにはっきりしてきた。「ワシントン・ポスト」、「ニューヨーク・タイムズ」など米紙は、韓国に多数の核兵器が存在することを示す報道を行ない、米議会の中でも韓国への核配備はもはや必要がないという声が強まった。米国の核兵器配備が続けば、本当に北朝鮮の核開発を誘発する恐れがあり、ひいては韓国の核開発および韓国軍による「核ハイジャック」の危険性が増すーという予測である。いずれにしても北朝鮮領土内に中ソなど他国の核兵器が配備されていないのに対し、「在韓米軍の核」は緊張緩和を阻害する唯一の元凶となっている。米国の核を含む朝鮮半島の非核化構想が真剣に、米、南北の三者間で話し合われる必要がある。

第11章 日本にとってどこの核が真の脅威なのか
【日朝交渉の遅れ】
91年1月から北京で始まった日朝国交正常化のための政府間交渉を受けて、北朝鮮は日朝国交実現を念頭に入れて、環日本海(北東アジア)経済圏・豆満江流域開発を本格的に始動させた。周辺諸国との経済・貿易交流を拡大するなど種々の「対外開放」政策を実施に移そうとしている。著者は同年9月、平壌で第4回日朝交渉を終えて北京から帰ったばかりの北側団長、田仁徹外務次官と会うことができた。田団長は「日本側は会談の前途に困難をもたらした。だが交渉を重ねること自体が成果といえる」と語っていた。金主席も著者の質問に対して「日本はいまや最大の経済大国になったのにいつまで米国に従うのでしょうか。独自の判断で行動してほしい」と日朝交渉を促進させようという強い希望を表明した。日本側が「三党共同宣言に拘束されない」(中平立団長=当時=の発言)という態度を取り、過去の植民地支配への謝罪と償いという原点をぼかしたまま関係のない議題を次々出してくることに対して、北朝鮮側は強い不満を表明していた。

著者が接触した北朝鮮要人は「ワシントンとソウルに相談しなければ一歩も動けない日本」にいらだちを隠さず、「結局は朝米関係の進展にかかっている」と結論づけていたのが印象的だった。ある党幹部は「すでにワシントンーピョンヤン間を重要な使命を帯びた密使が往来している」と打ち明け、「朝米関係を優先させようという政策転換も十分あり得る」と示唆した。
91年春以来、北朝鮮からの朝鮮戦争当時の米兵遺骨の返還、米政府関係者や米議員の訪朝など朝米関係が人的交流の面で進んでおり、党要人も一般市民も意外なほど反米感情を表に出さなくなっていた。同時に北朝鮮の要人たちは国連加盟と日朝国交を北朝鮮外交の「両論」であると説明し、これを機会に東アジア地域での積極的な経済外交を進める意思を明らかにした。
平壌では「冷戦終了後のアジアの新秩序を形成するうえで、日本は大きな役割を担っているはず」という認識が強い。それには日本側が「過去の清算」を行なうことが不可欠だとみなしている。
「アジアの平和と繁栄はアジア人が主人公でなければならない」(金容淳書記の発言)と、日朝関係改善がなによりも日本の大きな利益になるという点を強調していた。
金主席も91年8月の海部首相のモンゴル訪問に言及した際、「ソ連から離脱した内陸国、モンゴルの経済再建を支援したい。わが国の東海岸の羅津、清津などの港湾を使えば日本など諸外国と貿易ができる」とモンゴルと日本の仲介を買って出る発言も行なった。
金容淳書記も「朝中ソ三国国境の豆満江下流・河口の開発構想が周辺諸国の関心を集めているが、開発区域、法整備が確定しだい近く関係国と協議に入る」と北朝鮮要人として初めて同構想に対し具体的な見解を示した。
これは91年8月末、中国吉林省の長春で、「北東アジア経済技術発展国際セミナー」が開かれ、豆満江開発が取り上げられたことを念頭に置いたもので、日中ソ、朝鮮半島、モンゴルなど多国間の経済開発プランへの積極的な参加の意思表明である。国連加盟、日朝交渉の進展という東アジア情勢の変化をとらえ、北朝鮮が経済・貿易面で一気に開放政策に転じる兆しの一つといえるだろう。

【日朝正常化交渉の不透明さ】
米国の持ち出した「核査察」問題が日朝国交正常化交渉の前途を暗いものにしている。
91年11月に五回目の日朝会談が北京で開催されたが、国交樹立を話し合う交渉にふさわしくない、いくつかの課題をめぐって双方の意見が対立し、停滞状態に陥ってしまった。双方は基本問題、国際問題、経済問題、その他の四点について話し合いを始めたが、日本の中平立団長は北朝鮮が核査察を受け入れることが交渉の前提条件であると迫る異常な発言を行なった。いうまでもなく米韓両国からの圧力によるものである。北朝鮮側は国交交渉になじまないと反論した。「日本は被爆国であり、隣国の核開発は脅威」と述べた。これに対し、田仁徹北朝鮮団長は「それなら在韓米軍の核は脅威ではないのか」と応酬、日本は「米国の核の存在は確認されていない」と逃げた。日本国民にとって韓国にある1000発余の核兵器こそ現実の脅威であり、このやりとりはだれの目にも日本外交の稚拙さを印象づけるものと映った。
日本は非核国でありながら、韓国と同様、長年「米国の核の傘の下」に安住し、「核持ち込み」を認めることによって自ら打ち出した「非核三原則」を踏みにじってきた。日本が被爆国を理由に他国の核開発をうんぬんする資格がないことは明白だ。ブッシュ大統領の戦略核全廃提案にも、受け身でしか対応しない日本の姿勢こそ問われるべきだといえよう。日朝は一切の前提条件なしに外交関係を樹立する必要がある。だが、日本側は「北の核疑惑」問題に次いで「リ・ウネ李恩惠리은혜」(田口八重子다구치 야에코Yaeko Taguchi)の身元確認という「障害物」を持ち出した。ソウルで正体不明の金賢姫という女性が語ったというこれも正体不明の日本人教育係のことである。

日本側で出入国の記録も提示できない人物を国交の議題に取り上げ、より重要なテーマである、「過去の植民地支配に対する公式的な謝罪と償い」という加害責任の清算を棚上げにしようと試みた。日朝関係の早期改善を阻む要因は多い。最大のものは前述のように、米国のアジア戦略がいまだに冷戦思考下にあるためであり、韓国が北朝鮮への不信感を解かず、日朝の和解と清算を阻むことにより半島における軍事的優位を確保する政策を変更しないためである。さらに重要な点は、日朝国交が実現すれば、朝鮮有事を想定し、北朝鮮を仮想敵としてきた日本の防衛力増強路線が根底から崩壊し、産軍複合体、保守政財界はその存在基盤を失うことになる。
日朝国交関係は、アジア・太平洋の非核化と恒久平和を求める民意の結集であり、同時に日本が対米追随の汚名を脱し、自主外交を実施できるかどうかの試金石となるだろう。

【過去の清算を先送りする姿勢】
91年の日本はアジア・太平洋はもとより朝鮮半島においても平和と安定に寄与する政策を打ち出すことなく過ごした。東西冷戦体制が世界的規模で崩れるなか、日本の軍事大国路線はやむことなく続けられ、国防予算は削減どころかより増大した。日本軍事力の海外進出は中東への掃海艇派遣で突破口を開き、アジア・太平洋諸国の懸念は現実のものとなった。南北朝鮮の歩み寄りが、日本のPKO議論と比例して進行したことはまちがいない。
朝鮮の長期分断状態は日本の一国肥大化を招き、米国のプレゼンスに代わって、日本の半島支配の悪夢を再現させることになった。
92年は南北朝鮮ともに内政の変化を必要とする年であり、南北を問わず、統一への基礎となる民主化、自由化、開放化の波にさらされる。南北どちらが先に軍事費削減という「平和の報酬」を享受するか、統一の早期実現の鍵は双方の手の中にある。
朝鮮統一への動きによっては、日本の「過去の清算」を積み残してゆく事態も想定される。軍縮や非核問題、さらに地球の環境保護にもなんらイニシアチブを取らず、「取り残されてゆく日本」の存在がこれからの世界にとって大きな難題となるだろう。
当然1910年から36年にわたる植民地統治の清算が済んでいない北朝鮮と日本の「日朝国交正常化」に世界の耳目が集まるのは当然のことだろう。自社両党・朝鮮労働党の「三党共同宣言」(8項目)は「朝鮮は一つであり、統一は民族の利益に合致する」、「日本は36年の植民地支配だけでなく、戦後45年間の朝鮮民族に与えた損害を公式的に謝罪し、償う」と明記した。この宣言に基づいて91年初めから政府間の正式交渉がスタートしたのだが、日本政府は丸一年間、交渉を前進させるどころか、停滞から交渉自体を暗礁に乗り上げさせることを狙った。
第6回会談(92年1月30日)は国交正常化のための「基本問題」をめぐる協議が行なわれた。1910年の日韓併合条約など過去の条約の有効性、日朝正常化と日韓関係の整合性、「支配権」などを議論した。だが北朝鮮が同条約が不法、無効であり、日本がこの点を認めないかぎり植民地支配の謝罪と清算はあり得ないと主張した。日本側はこの条約が締結された当時、国際社会が併合に異を唱えなかった。国際法学会でも認定されたと、同条約が有効だったという態度を変えなかった。
「日韓併合条約」が有効か無効かの論議は今から26年前の1965年に結ばれた「日韓基本条約」でも大きな問題となった。日本は朝鮮半島を条約に基づいて支配したのは、「合法的」とし、日朝間でも国交が結ばれた時点で「もはや無効」とする考えを崩していない。しかしこのような態度は、過去の過ちを公式的に謝罪し、償うという三党共同宣言の文言にもそぐわないものだ。
日本側のかたくなな姿勢は1年を経過しても変わっていないことを内外に示した。さらに問題だったのは、91年12月の南北合意書について、日本側は事実上、二つの国が存在する現実に近付いたものだ、との認識を示したことである。
北朝鮮側は「合意書では国と国の関係ではなく、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係と書かれている」と指摘し、日本側が「二つの国」を前提とする姿勢を取らないよう求めた。この議論でも日本が、朝鮮半島の分断状態を前提に交渉を勧める構えを見せ、北朝鮮が日朝交渉が植民地支配の清算にあるとし、日本が再び侵略しないことを明記する必要があると考えていることをはっきりさせた。


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