日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

『資本主義ロシアー模索と混乱』中澤孝之/Capitalist russia-Groping and confusion Takayuki Nakazawa/Капиталистическая Россия Нащупывание и путаница Такаюки Наказава②


成り金たちの動向
ビジネスマンとか新興成り金は経済的なアナーキーをもたらしてくれたエリツィン政権が倒れないように、これを支援しており、選挙ではエリツィン派に投票する有力支持層である。もっとも、ロシア貿易アカデミーの調査によると、ビジネスマンは落ち着いてビジネスができる環境さえ作れるのであれば、あらゆる権力がひっくりかえるか分からないという自己防衛から、経済混乱のうちに稼げるだけ稼いでおこうという考えも強いようだ。そして、安全のために国内投資よりも外国に金を避難させる。ショーヒン副首相は「200億ドルもの外貨が国内の民間企業・個人にあるといわれ、これを投資に向かわせたい」と述べている(9月15日イタル・タス通信による)。この額はInternational Monetary Fund国際通貨基金(IMF)Международный валютный фонд, (МВФ)World Bank世界銀行Всемирный банкなど国際金融機関からロシア政府が借り受けようとしている金額とほぼ同じである。


*アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ショーヒン(ロシア語:Алекса́ндр Никола́евич Шо́хин, ラテン文字転写:Aleksandr Nikolayevich Shokhin、1951年12月25日 - )は、ロシアの政治家、経済学者、実業家。経済学博士。ボリス・エリツィン政権では、穏健改革派に属し、ロシア副首相、経済相、連邦議会下院国家会議副議長を歴任した。 与党統一ロシア党最高会議ビューロー員。
94年8月25日付けの米国紙『クリスチャン・サイエンス・モニターChristian Science Monitor』によれば、「新ロシア人」の多くは、税金や不動産に関する法律が絶えず変わるのに嫌気がさし、全財産の規模がばれるのを恐れて、その金を国内に投資しようとしない。彼らの多くは外国のガソリンスタンド、ナイトクラブ、レストランを購入し、それらをロシアから運営して財産を増やしているという。外国の土地、一戸建住宅、アパートなど不動産への投資は経済的に理にかなっているからだ。こうした需要にこたえるために、モスクワには外国不動産旋の不動産会社が出現している。また『国外の不動産』という新聞まで発行された。部数は10万部。紙面の半分はカラー広告で埋められている。数千万ドルで売りに出された南カリフォルニアの土地の広告には「お隣はMichael Jacksonマイケル・ジャクソンМайкл Дже́ксонの土地」との宣伝文句が添えられていた。しかし、ロシアのにわか成り金が好むのは米国ではなく英国の不動産で、とくにロンドンのHampsteadハムステッドХампстед・ハイゲートといった格式ある地区の不動産に人気がある。彼らが払う平均価格は40万ドル、しかも現金で支払うという。同紙は、ロシアのにわか成り金は外国銀行に個人の銀行口座を開設し、月に10億ドルも国外に送金していると伝えた。

3 貧富の格差の増大
経済的アナーキー 
資本主義は、言ってみれば、弱肉強食の世界である。とりわけ90年代初めのロシアのような原始資本主義(資本主義の野蛮な形成期)の段階ではそうだ。社会主義は「全員平等」を建前とした。それを国民に「貧困の平等」を押し付けた。一方では、党官僚を中心とするノメンクラトゥーラが何不自由なくヒエラルキーのトップに居座り、がっちりと体制を固めていた。
*資本の本源的蓄積(しほんのほんげんてきちくせき、英 primitive accumulation of capital,ursprüngliche Akkumulation des Kapitals)とは、封建社会が解体し、資本制社会が成立する過程における生産様式の変化のことを指す。資本の原始的蓄積Первоначальное накопление капиталаなどとも言う。
社会主義はそれなりに整っていたが、大方の庶民は、あくせく働いても変らない「悪平等」に慣れ、あきらめの境地に陥り、無気力になり、怠惰になった。資本主義の段階に突入しつつある今のロシアでもこの惰性に生きている人たちが少なくない。しかし、社会の現実は厳しいため、何とかうまい金儲けの口はないものかと考えている。
ルールなき拝金主義と腐敗が横行する。金のためなら何をやってもかまわないという倫理感覚のマヒ、腐敗の構造化が進む。まじめに長い間働いてきても、自分の棺代すら払えないような哀れな老人が多い。航空機や汽車の運賃の暴騰で、遠く離れた親兄弟や親戚の葬式にもおいそれとは駆けつけられない現状。街のあちこちでホームレスや乞食をよく見かける。ソ連時代にはほとんどなかった光景だ。これもロシア資本主義を象徴している。

*ホームレスObdachlosigkeit(英: homelessnessLes personnes sans-abri, sans domicile fixe (SDF)は、狭義には様々な理由により定まった住居を持たず、公園・路上を生活の場とする人々(路上生活者)노숙인(露宿人) 、公共施設・河原・橋の下などを起居の場所とし日常生活を営んでいる野宿者や車上生活者のことБездо́мні, або безприту́льні (розм. безха́тьки, безха́тченки) 。広義には、一時施設居住や家賃滞納、再開発による立ち退き、ドメスティックバイオレンスのため自宅を離れなければならない人など住宅を失った人のこと。
あるロシア人は、現在のロシアの世相を「マス・ノイローゼ」と称している。「わが国民は今マス・ノイローゼの状態にある。法律や倫理など知ったことか。手早く金儲けをする者が勝ちだ、という強迫観念に取りつかれている」と嘆くのである。これが政治不信、無関心につながるのは必然であろう。
「新ロシア人」に対して「旧ロシア人」という言葉も使われる。ソ連社会でつつましく生き、その生き方を大きく変えようとしない国民の大部分である。「あれを見ろ。新ロシア人だ」と指す彼らの表情は、軽蔑と憎悪、それに羨望も入り交じって複雑である。早急な資本主義化を目指す急進改革は国民の三分の一にあたる5000万人を貧困ライン以下に陥れた。エリツィンの資本主義化政策に異を唱えるルツコイ元副大統領は「ロシア社会は新ロシア人と貧困化した一般国民層に分裂した」と述べ、新ロシア人追放を宣言している。もっとも、「新ロシア人」のなかにも、睡眠時間を削って人一倍まじめに働き、ビジネスチャンスを逃さず、アイデアで勝負し、新しい商売を成功させた人たちがいることを指摘しておかなければならない。どこの世界にも目先のきく商才にたけた人はいるのである。

*Alexander Vladimirovich Rutskoyアレクサンドル・ウラージミロヴィッチ・ルツコイ (Russian: Александр Владимирович Руцкой; born 16 September 1947) is a Russian politician and a former Soviet military officer, Major General of Aviation (1991). He served as the only Vice President of Russia from 10 July 1991 to 4 October 1993 and as the Governor of Kursk Oblast from 1996 to 2000. In September 1993, Rutskoy was proclaimed the Acting President of Russia following Boris Yeltsin's impeachment which led to the Russian constitutional crisis of 1993 where he played one of the key roles.
ロシア人の所得の実態
新旧ロシア人の所得格差は広がる一方だ。9月末の統計国家委員会の資料によると、最富裕層と最貧困層との所得水準の格差は91年が約4・5倍、92年に8倍、93年11倍、94年1~8月で11・3倍だという。もっとも、ある新聞は、新興成り金を頂点とする高額所得者層は全人口の3%にすぎず、一般庶民との所得格差は、経済改革が始まった三年前の一対四から、8月現在、一対三〇にまで広がったと報じていた。企業内でも賃金格差の拡大が問題となっている。メリキヤン労相は2月12日インタファックス通信とのインタビューで、「現在ほど企業指導者と一般労働者の間の賃金格差が大きかったことは未だかつてロシアではなかった」と語り、「労働者は、高額収入がある人びとの所得を抑制する提案を策定している。この措置は、まず第一に国営企業や国有比率の高い株式会社の幹部に適用される」と付け加えた。
インフレの進行に伴い、賃金や年金も少しずつ引き上げられてはいる。94年2月24日付けの『ノーバヤ・ガゼータ』紙は、経済の国家統計委員会のデータを引用して、1月の平均賃金は14万5000ルーブル(前年12月の3%増)と伝えた。ちなみに、1985年のロシアの平均月収は200ルーブル(平均年金月額77ルーブル)。93年のそれは2万3000ルーブル(平均年金月額1万2600ルーブル)だった。
*『ノーヴァヤ・ガゼータ』(ロシア語: Новая газета、ラテン文字転写: Novaya gazeta、英語で「New Gazette」、日本語で「新しい 新聞」の意)は、ロシアのタブロイド新聞。1993年創刊。発行部数は約50万部。旧ソビエト最後の最高指導者であるミハイル・ゴルバチョフМихаи́л Горбачёвが株主を務めている。
別の資料を見ると、94年上半期のロシアの平均賃金は16万6000ルーブル(約8000円)で、これは1993年の上半期の5・7倍。この平均賃金は最低賃金の1100%である。保健、教育、文化労働者の平均給料は、工業部門のそれより140~170%低い。また、6月の平均賃金は約20万ルーブル(約1万円、前年6月は4万7200ルーブル)。最低生活費以下の低所得者層は2100万人で全人口の14%、前年6月に比べて46%減少したとの資料もある。なお、94年10月13日にロシア国家統計委員会が発表したところによると、9月の平均賃金は25万5000ルーブル(約85000円)だという。
また、ロシア労働省の統計によると、94年秋現在、平均賃金以下の所得の層は全人口の73%にあたる約1億7000万人で、そのうち2600万人(人口の18%)は平均賃金の四分の一に満たない収入の極貧層に属する。極貧層は、経済改革開始の92年当時は、全人口の5%にすぎなかった(11月1日インタファックス通信)。
一方、年金の低さが問題になっているが、大統領令(8月17日付け)によって年金は9月から30%引き上げられる平均月額2万4700ルーブル(約1170円)となり、10月から2万8700ルーブルにまで引き上げられた。また、ロシア政府によって準備された95年度連邦予算では95年年金は80%引き上げられ、96年初めの年金平均額は18万4000ルーブルになる見込みだという。月間インフレ率を3%以内に押さえ込む計画(9月9日、政府付属社会部門発展評議会の会議の席上、リュブリン年金基金議長の発言)だというが、年金生活者の苦しさは変わらない。
モスクワの場合、94年夏現在、現実には月に最低30万ルーブルは必要だという(後述の「ブラック・チューズデー」後は、食パンが倍に値上がりするなど、最低生活費は急騰した)。食事は切り詰めれば何とかなるし、都会生活者も夏の間の家庭菜園でジャガイモ、ニンジン、キャベツやトマトを栽培する。一方、94年1~8月間のインフレ率は落ちてはいるものの、諸物価、公共料金がじわじわと上がっている。例えば、モスクワ市内の交通機関(地下鉄、路面電車、バス、トロリーバス)の料金が9月1日から一律一回あたり250万ルーブルに値上げされた。地下鉄は夏には100ルーブルだったから、一挙に二倍半に跳ね上がったことになる。ほんの3年前の91年秋ごろにはわずか五コペイカкопейкаだった。とにかく庶民にとって、交通機関の料金の大幅な値上げは痛い。
コペイカと言えば、もはやコペイカではキオスクКиоскでマッチ箱すら買えない。8月末の外電によれば、ロマノフ王朝Романовыのピョートル大帝Пётр I Алексе́евич治下の1704年に導入されたコペイカ貨幣(ルーブルの100分の1)が、サンクトペテルブルクでは、インフレが原因で290年ぶりに姿を消した。おそらくモスクワなどロシアのほかの地域でも同様である。今世紀初めには、一コペイカあれば一日暮らすのに十分だったといえる。ソ連解体後、ルーブルの価値は急落し、一コペイカは一米ドルの21万6000分の一だ。コペイカは貨幣収集家にだけ価値をもつようになった。
市民たちの収入源
ちなみに、ルーブルの下落は94年になっても続いた。1月6日のルーブルの対ドル相場は1259ルーブルだった。翌2月10日には、1568ルーブル。その後一貫して下げ続け、7月6日には、ついには2000ルーブルの大台を突破し、2008ルーブルをつけた。9月22日には前日比125ルーブルも大きく下げて、2460ルーブルと一日で一気に五%もの急落。さらに、10月11日には前日比845ルーブル安、27・4%という過去最大の下げ幅を記録する大暴落で、3926ルーブルにまで落ち込んだ。中央銀行の大規模介入で13日には2994ルーブルにまで戻したが、このルーブル買い支えのために、8月1日の時点で49億ドルあった外貨準備高は18億ドルにまで急減した。この「ブラック・チューズデー」騒ぎで、食料品を中心に消費財価格は軒並み急減、一般庶民の台所を直撃した。エリツィンは「政治的な陰謀」であり、「経済的クーデターの試み」だとして、原因究明委員会を設置して調査させたが、「生産低下やインフレ懸念など客観的な経済情勢によるもの」というのが同委員会の結論であった。「ルーブルの番人」ゲラシンチェンコ中央銀行総裁とドゥピニン蔵相代行、クルニ通貨・輸出管理庁長官が大統領によって解任された。バンスロフ新蔵相(前大統領府財政・予算次長)に反発して11月4日辞任したショーヒン副首相兼経済相も名指しでルーブル暴落の責任を追及された。また、パラモノワ副総裁が中銀総裁代行に任命されたが、暫定的な人事と見られている。ルーブル相場はその後も下り続けており、94年末には、4000ルーブルにまで落ちこむのではないかと予測されている。
固定収入が物価高をカバーできないために庶民は副業、つまりアルバイト(ロシア語では「左の手」という)に精を出すことになる。『モスクワ・ニュース』紙94年第15号によると、ロシアでは多くの人びとにとってアルバイトは必要不可欠となっている。同紙が全ロシア世論調査研究所の調査として紹介した資料によれば、年金生活者と学生を除く成人人口の10~12%が何らかのアルバイトをしており、その労働時間は平均週16~23時間に上る。さらに成人人口の20~22%がアルバイトを希望しているという。
*アルバイト아르바이트(「労働」「仕事」を意味するドイツ語: Arbeit に由来する外来語)は、期間の定めのある労働契約(有期労働契約)に基づき、企業・公的機関などにより雇用される従業員または労働者を指す、日本や韓国における俗称であるpart-time job-side job
また別の94年1月の調査によれば、労働人口の28%がアルバイトをしており、それ以外の34%もアルバイトを希望しているという。アルバイトを必要としないのは16%、残りの多くは余力がないと答えた。アルバイト先としては23%が同じ職場、20%が他の職場、アルバイトをする理由は、大多数が収入不足となっている。収入面でアルバイトが本業を上回っている者が19%、38%が同額と回答した。アルバイトをしているのは公的機関の職員より民間企業職員が多く、それも管理部門幹部が多い。経営者のアルバイト比率は被雇用者の1・3倍。彼らは自分の企業を副業、アルバイト先を本業と考えているようだ。私企業を創設した経営者が不安定な国情の中での元の仕事、特に公的機関の職を捨てようとしないからだという。経営者の三分の一が、同時に別の場所で被雇用者として働いている。そして、ロシア情勢が正常でない証拠に、マフィアРусская Мафияと戦う民警(警察官Police officer)が外貨Валютный рынокショップ警備のアルバイトをしている。信じられない話だが、パトカーの警官が乗客を乗せて白タクIllegal taxi operationのアルバイトをするケースもしばしばある。運賃を踏み倒された揚げ句に、乗せた男に射殺されるという物騒な警官殺人事件がモスクワで起きた。本業と副業を区別する資料は唯一、労働手帳であるが、今やそれらも市場で自由に売買されている。本業が夜間勤務で、昼間はアルバイトという例も少なくない。
①The foreign exchange market外国為替市場 (Forex, FX, or currency market) is a global decentralized or over-the-counter (OTC) market for the trading of currencies②Illegal taxicabs白タク, sometimes known as pirate taxis, gypsy cabs, or jitney cabs, are taxicabs and other for-hire vehicles that are not duly licensed or permitted by the jurisdiction in which they operate
とにかく、実質賃金はインフレで大きく目減りするので、もっぱら副業で稼ぐというパターンが定着しているのである。したがって、実質所得はむしろ増加する。アルバイトは個人レベルだけではなく、組織単位でおおっぴらに行なわれている。

例えば、サルキソフOganesovitch Sarkisov Konstantin博士ら日本専門家を擁する東洋学研究所Институт востоковедения РАН。研究所の二階を改造して、日本企業との合弁による「тоса-хан土佐藩Tosa-han」という日本レストランNippon Restaurantを開業している。カラオケКараокеバーbarも併設しているので結構繁盛しているという。また、軍隊も商魂たくましい。モスクワ市内の軍人用スポーツセンター内にある射撃練習場が92年秋から一般に公開され、スポーツ射撃クラブが開設された。ロシア人だけでなく、外国人も入会できる。会費はドル払いで、100ドル。外国人を狙ったゴルフ場に比べれば割安である。入会後の費用は弾の使用料だけ。現役将校が銃器の取扱から射撃技術まで個人指導する仕組みとなっている。銃器はТокаревトカレフTokarevПистолет МакароваマカロフPistolet Makarovaなどロシア製ピストルはもちろん、ドイツ製、コルト4545 Coltなど米国製ピストル、さらにライフルまでそろっている。軍人は原則としてアルバイトが禁止されているが、給料だけではやっていけず、アルバイト探しに余念がない。個人的に大学で軍事技術を教えたり、将校仲間で左官グループを作って週末に教会の改築工事を請け負ったりして稼ぐ例を、ある新聞が報じていた。
①ロシア科学アカデミー東洋学研究所Institute of Oriental Studies of the Russian Academy of Sciencesは、世界を代表する東洋学研究機関のひとつ。ロシア帝国科学アカデミーの一部門であるアジア博物館(1818年創設)を前身として、ロシア革命後の1930年にソ連科学アカデミー東洋学研究所としてサンクトペテルブルクに設立された。65言語に渡って約8万5千点の文献を所蔵する。2008年現在、500名以上の研究者が働いている。
「インフレ抑制策の結果、賃金遅配が増え、公式統計によると、実質賃金と通貨供給量はともに減少している」と『モスクワ・ニュースМосковские новости』紙94年第22号は解説している。ところが同じ統計によると、94年1~4月間の住民所得は逆に12%増えている。また、法人の銀行預金は増加し、外貨交換所の人の列は長い。人びとは通常平均月収に相当するルーブルをドルに換えていく。食料品価格は、住民の実質所得に対して、一般に広く考えられているのと違い、平均13~5%下落している。したがって、食料品販売量は着実に増えているのだ。といって消費者がチーズやソーセージのような高価な商品からマカロニやパンのような安価な食品に切り替えたわけではない。
*The Moscow News, which began publication in 1930, was Russia's oldest English-language newspaper. Many of its feature articles used to be translated from the Russian language Moskovskiye Novosti.
それでは、賃金遅配が三ヶ月から六ヶ月というのが当たり前のなかで、人々はどこから金をもってくるのであろうか。人々の隠れた所得の源泉は、おそらく修理、建築、コンサルタント、講演などのいわゆるサービス部門だと見られている。公式統計のGDP(国内総生産)数値の低下が実情を反映しているかどうか疑う声は政府部内にも少なくない。なぜならGDPに占める工業生産の比率は小さくなっており、サービス部門が全体に占める比率の高まりは、政府が把握している以上に急速だと考えられているからだ。
同紙はまた、次のように指摘する。課税対象となっていない経済活動の原資はおそらく、貿易から生れてきている。非効率な国内生産のもとで貿易が活発なのは、
①国内で加工されていた原料が余ってきた②意欲があり、熟練度の高い要員が大量に貿易に移ってきた③ロシアの統計に表れない「近い外国」(CIS諸国)経由の安い商品が市場に出てきた。
などが原因である。そして、非合法的な貿易の関係者の所得増は上質かつ高価なサービス需要を喚起する。利潤の非合法的な性格そのものが、ロシア社会の階層分化の原因の一つとなっているようだ。
さらに、スーパーリッチなわずかな数の「新ロシア人」に、消費の度合いでは落ちるが数では多い「中産階級」がサービスを提供しているのである。そして、その消費がさらに低所得者層の需要を喚起しているという具合だ。この循環のなかで、多くの市民が少しずつ余裕のある生活を送っている、との見方もある。
また、「潜在的な破産」状態にある企業の従業員の多くは給与を超えた非合法所得を得ており、とくにその若年従業員は、所得の余分のルーブルを米ドルに換えてしまう。膨大なドル建て流通市場(モスクワだけで60億ドル)は、今のところ外見的にはルーブル圏の金融情勢安定化に役立っているー同紙はこう結論づけている。

徴税の困難
ところで、洋の東西を問わず、納税は庶民の、また企業の頭の痛いところである。ロシアの場合、資本主義化の途上で税制もまだしっかり確立されていないし、その仕組みは複雑である。94年9月16日にイタル・タス通信は、8月に実施された世論調査によると、ロシア国民の半数が、ロシアの税制は不公平であると考えていると報じた。所得税など税金をきちんと払っているのは回答者のわずか28%で、7%は一切税金を払っていないと答えた。いわゆる「新ロシア人」の29%は、納税は自分たちにとって義務ではないと考えている。納税は国民の義務といった常識は、まだこの国では通用しないようだ。脱税に絡んだ「陰の経済」は経済全体の18~20%を占める(イタリアの場合、13%)といわれる(10月12日付けの『トルードTrud』紙のインタビューでユルコフ国家統計委委員長の発言)。
ロシアでは94年現在、44種目の税が徴収されている。連邦税が16、共和国、地方、州の税金が五つ。地元税が23ある。税率も低くないので、企業経営者はなんとかして税をごまかそうとする。94年8月18日遊説先のリペツク州Ли́пецкая о́бластьで、チェルノムイルジン首相は「税金の徴収はより文明的な形式にならなければならない。現在の課税制度は十分に機能しておらず、このため年間、税財源の平均25%の徴収不足が生じている」と、現行の課税制度の不備を認めるとともに、「このような状況は、政府の経済計画全体を破壊する恐れがある」と警告した。
税務警察という独自の強制捜査権をもつ機関が93年7月ロシアに設けられて、脱税を監視し、徴税を強化している。それほど脱税のケースが多いということである。税務警察は1万1000人の捜査員を擁するという。94年2月17日に開かれた同警察幹部会は、93年度の活動を総括した。これによると、税務警察は93年、3万2000件以上の税法違反を摘発し、税務警察の資料に基づいて600件以上の刑事事件が提起された。また、およそ6000億ルーブルおよび1億2000万ドルの税金が国家予算に還元された。税務警察大学の創設も検討されたと伝えられる。

*Ingushetiaイングーシ (/ɪŋɡʊˈʃɛtiə/; Russian: Ингуше́тия), officially the Republic of Ingushetiaイングーシ共和国 (Russian: Респу́блика Ингуше́тия; Ingush: Гӏалгӏай Мохк), is a republic of Russia located in the North Caucasus of Eastern Europe. The republic is part of the North Caucasian Federal District, and shares land borders with the country of Georgia to its south; and borders the Russian republics of North Ossetia–Alania and Chechnya to its east and west; while having a border with Stavropol Krai to its north.
租税回避地
税金といえば、ロシアにタックスヘイブン(オフショールナヤ・ゾーナ)、つまり租税回避地域が設けられているという興味あるニュースが英紙『フィナンシャル・タイムズFinancial Times』(8月24日付け)に載っていた。それも紛争地域ともいうべき北カフカスのイングーシ共和国が選ばれたというのである。同共和国は民族内の武力対立が続いているЧеченская Республикаチェチェン共和国Нохчийн Республикаの隣に位置し、91年11月まではチェチェン・イングーシ共和国を構成していた。
*タックス・ヘイヴン(英:tax havenОфшорная зонаとは、一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことであり、租税回避地(そぜいかいひち)とも低課税地域(ていかぜいちいき)とも呼ばれる。フランス語では「税の楽園」「税の天国」を意味するパラディ・フィスカル(仏:paradis fiscal)と言い、ドイツ語などでも同様の言い方をするSteueroase。英語のタックス・ヘイヴンのhavenの日本語での意味は避難所であって、楽園や天国を意味するheavenではないことに注意されたい。
このイングーシ共和国に大統領令によって、7月1日からその権利が与えられた。完全な民営会社であれば同地に登録でき、地方税などは免除され、連邦税の20%と通常の輸出入関税の半分を支払うだけでよい。テレビでも「あなたの会社の税制問題は解決されず、イングーシ共和国に登録すれば、諸税から解放されます」というコマーシャルが流れている。モスクワにはイングーシ共和国から全権を与えられた「ビン金融会社」の本社があって、企業はそこでタックスヘイブンへの登録をするだけでOKというわけだ。
「ビン金融会社」の社長は、イングーシ人で36歳のミハイル・グツェリエフ氏。彼は二年前にこの構想のヒントを得て、まずキプロスに在外投資会社を設立したという。その後、資金を外国に逃避させるのではなくて国内にとどめる方法として、イングーシにタックスヘイブンを置く計画を立てた。クレムリンにこの案を打診したところ、「エリツィンとチェルノムイルジンがこのタックスヘイブン構想はカフカスの安定に役立つと見た」(グツェリエフ社長)こともあって、実際は早かった。すでに1200社が登録したが、その半分はモスクワの会社だという。
社長は「今ロシア全土から、一日に500本から600本もの電話の問い合わせがある。会社は登録料4000ドルを支払わなければならない。共和国には一日約10万ドルの金が入ってくる」と鼻息が荒い。登録料はイングーシ共和国と「ビン金融会社」にとっては思わぬ儲け物で、連邦税と関税の一部も、モスクワに行かず、イングーシの財政を潤すという。登録会社はこの「ビン金融会社」を通じて資金運用することが義務づけられている。今後二年間で登録料や税金が少なくとも合計10億ドル入る見込みで、その一割は「ビン金融会社」の金庫に納まることになっている。早速マフィアが嗅ぎ付けて、接近しているとかで、社長も全部を話したがらないという。また、今後、イングーシに次いで他の地方行政体が同じようなタックスヘイブンの権限を求めてクレムリンに圧力をかけることが予想されている。

4 外国商品に席巻される市場
あふれる輸入品
モスクワを訪れてみると、ソ連時代の品不足は跡形もない。ざっと見渡す限り、商店には物があふれている。華やかな消費ブームの到来という印象だ。93年5月にモスクワを訪れたときがそうだった。金さえあれば今や、西側製品を含め何でも手に入る。自由市場では良質の肉や野菜、果物が買える。物不足時代は終わったと実感したくなる。これは中央統制システムが破壊されたお陰なのだろうか。
ところが、よく観察すると、物が豊富に出回っていると喜んでばかりはいられない実態が明らかになってくる。新しい経済システムの枠組みがまだ示されず、モスクワ消費ブームは闇市的なうさん臭さがぷんぷんとにおうのである。みせかけの物の豊かさ。アナーキーが生んだあだ花という見方も一部にある。とにかく経済改革の健全な成果とは言えないようだ。

8月に夏休みで一時帰国していた大学の同僚のロシア人G先生夫妻が「モスクワに物はあるにはあるのだが、国産品はひとつもない」と嘆いた。「ウオツカさえ外国品なんですよ」と夫人。外貨ショップを除いて、かつてはウオツカもチョコレートも国産品だけだった。それがほとんど全部輸入品によって駆逐されてしまったのである。ロシア人の外国品嗜好はソ連時代から顕著だったが、いったい国産品はどこへ行ってしまったのであろうか。
92年からの経済改革で、貿易の自由化も進んだ。輸入食料品はほとんど関税をかけなかった。市場の品不足を解消するためのエリツィン政権の苦肉の策である。ゴルバチョフ時代との違いを見せつけるためにも、とにかく、店には品物が並ばなければならない。「物がない」というロシアの汚名をすすぐには輸入品を買い入れるのが手っ取り早かった。食品工場の生産は落ち込む一方で、国内流通も混乱している。たまたま慢性的な過剰に悩まされていた西側各国が、食料品のロシア市場向け販売を本格的に展開し始めた。品質がよく、見た目にもきれいな輸入商品。少しぐらい高くてもロシア人は喜んで飛びついた。
ソ連時代には貴重品だったバナナ。めったにお目にかかれなかった果物だった。今はもう、手軽に買える。フィンランドを経由してロシアに入ってきている。フィンランドの会社が青いままのバナナをパナマ、エクアドル、コスタリカなどの諸国から輸入し、加工処理して熟させ、他の柑橘類など果物の対露売り上げ平均10倍にも増大したという。対露総輸出の27%が果物類。このほか牛乳やサワークリームなどをしゃれた容器に詰めたフィンランド製品が、見た目にもさえない国産品にとって代わった。
3月10日付けの『イズベスチヤ』紙は、モスクワの食料品のうち約60%は輸入によって賄われていると書いているが、実際にはもっと多いはずだというのがG夫人の感想だ。だが、『モスクワ・ニュース』紙94年第12号によると、モスクワの場合、輸入品依存度は52%とやや低い。主力は乳製品の工業用粉乳。製薬工業用の精糖などだという。ロシア全体で輸入軽工業依存度は30%以上、機械類14%だと同紙は伝えた。
コルホーズколхоз農民が自留地で栽培した野菜や果物を売っていたルイノックРынок(市場)ですら、国産品はどこかに追いやられてしまった。トマト、キュウリ、はてはジャガイモまで、西ヨーロッパからの輸入品できれいに箱詰めされたまま店頭に並べられている。ロシアでのドルДоллар崇拝の現象を「ドーラルザーツィア」(ドル化)という言葉で言い表わすことがあるが、ロシアの消費物資市場は外国の植民地化されつつあると言っても過言ではない。舶来品嗜好もここまでくると異常だといえないだろうか。

93年にモスクワに行ったとき、街のあちらこちらに、「資本主義のシンボル」といわれた小さなボックスの売店が並んでいた。「キオスク」と呼ばれるこの店をのぞいてみると、日用品からタバコ、ジュース、飲料水、アルコール飲料にいたるまで輸入品が占めていたのを思い出す。現地の人から、キオスクでは口に入れる物は買わない方がいいですよと忠告を受けた。ニセモノが出回っており、衛生上問題があるとのことだった。その点での取り締まりはほとんどなされていない様子であった。
輸入品は総じて価格が高く、庶民たちはただ眺めるだけという時期もあった。ひところは、同じものであれば、品質や体裁が悪くとも国産品の方が安かった。ところが、次第に輸入品の値段が安くなってきた。そのカラクリをある専門家はこう説明した。ルーブルの対ドル交換レートが実勢よりはるかに低めに抑えられる一方、インフレで物価が上がっているからだと、ロシア政府は西側から供与されるルーブル安定化基金(92年1月の東京サミットで決まった)を使ってドル安を維持しているため、輸入品は品質面はもちろん、価格面でも国産品に勝るのである。*関税Таможенные пошлиныZoll (Abgabe)かんぜいDroit de douaneTariff관세(關稅)とは、広義には国境または国内の特定の地域を通過する物品に対して課される税。狭義には国境関税(外部関税)のみを指す。国内関税がほとんどの国で廃止されている現代社会では、国内産業の保護を目的として又は財政上の理由から輸入貨物に対して課される国境関税をいうことが多く、間接消費税に分類される。
関税をめぐる攻防
「ロシア国民の賃金は実質平均16%も減ったのに、消費支出は10%も増えている。ただ、食料品や生活必需品への消費支出が増えて、耐久消費財は減っている。つまり、消費支出は輸入商品に回って、ロシアの製品には回らず、国内の物的生産を圧迫している。かつて輸入品は全商品の約20%だったが、今や50%を占めている」-94年の夏に来日したロシア下院経済政策委員会議長のセルゲイ・グラジエフ氏(ロシア民主党所属、33歳の若手経済専門家でもある)が、このように説明していた。
ソ連時代もそうだったが、ロシアの消費財製品は国際競争力に欠ける。電化製品、衣料品や靴などの輸入品への需要はロシアでは極めて根強い。日本の電化製品や車も人気があるが、米国製品には信仰のようなものすら感じられる。経済が自由化されれば、需要のあるところに商品が流れるのは自然のことであろう。では、輸入する金はどこから出ているのか。石油や天然ガスなど一次産品を輸出した代金で輸入する場合がある。資源の切り売りで外貨を手に入れるのだ。また、個人の不動産の売買によって外貨を得ることもあろう。そして、援助資金が輸入品に化けたり、西側から援助物資が街頭に流れたりするケースも指摘されている。

*セルゲイ・ユリエヴィチ・グラジエフ(ロシア語:Сергей Юрьевич Глазьевスィルギェーイ・ユーリイェヴィチュ・グラーズィイェフ;Sergei Yurievich Glazyev、1961年1月1日 - )は、ロシア連邦の政治家、経済学者。
とりわけ、輸入食料品によるロシア市場の席巻は、グラジエフ氏の言葉ではないが、国内生産者を窮地に陥れている。そこで94年初めに政府は、輸入食料品に対する補助金制度を完全に廃止した。さらに、ロシア対外経済関係省は2月22日の政府委員会会議で、外国商品の輸入税を従来の7・5%から15%に引き上げることを提案した。「商品不足が解消されたので、新しい経済組織に移行する」との理由だったが、もちろん、国内商品生産者を保護するためである。もっとも、関税制度の洗い直しは確かに必要であった。旧ソ連諸国間の国境はないも同然で、ロシアでは関税の国家収納システムも確立していない。ヤミ輸入業者はカルテルを結び、利益を彼らと税関当局で折半しているといわれる。国産車部品は、過去も現在も、ヤミ市場にしか存在しない。また、新関税導入には貿易収支改善の狙いもあった。新輸入税の税率は西側先進諸国のそれを3~5倍も上回るのである。
この一連の輸入品関税の引き下げ提案は、3月15日から実施されることにいったんは決まった。ところが、モスクワ、サンクトペテルブルクなど大都市でこの輸入関税引き上げに大反対の合唱が巻き起こった。食料品の価格高騰やさらなるインフレ高進への懸念が強まり、モスクワ、サンクトペテルブルク、エカテリンブルクの三市の市長がエリツィン大統領に共同書簡を送り、新税率の撤廃を申し入れる騒ぎとなった。政府は国内生産者、特に農業生産者の圧力に屈したとの批判も出た。結局、新関税導入は四ヶ月延期され、7月1日から実施されている。従来無税だった食肉、乳製品に15%の関税がかけられるほか、他の食料品、テレビや車などの関税が平均5%引き上げられた。無関税なのは、子供用食料品と医療品だけとなった。
9月8日のイタル・タス通信によると、対外経済関係省は、95年から10年計画で輸入関税率を段階的に引き下げていくという。同省は、10年あれば、ロシアの企業は設備の更新をほぼ完了し、新しい市場の条件のもとで自立できるだろうと見ているらしいが、国際的にはもちろん、国内市場でも競争力のある製品を作り出すのは、そう簡単ではないと思われる。「国産品は安いが、質が悪い」という根強いマインドを打ち破るのは並大抵のことではあるまい。
ロシア国家会議(下院)情報政策・通信委員会のポルトラーニン議長は94年6月11日付けの『ジェラボイ・ミール(実業界)』紙とのインタビューで、「ロシア社会には奥深い緊張が存在している。集会やデモは行なわれていないが、生産量は低下しており、物価はじりじりと上昇している。店頭からはロシアの製品や食料品が消え、今や輸入品によってロシアは養われている」と指摘した後で、「このような状況では激情が爆発する恐れがあるため、人びとの間の空気に敏感に気を配る必要がある」と警告した。かつて情報相を務めた人物だけに、ポルトラーニンのこの警告には説得力があった。

*ミハイル・ニキフォロヴィチ・ポルトラーニン(Михаил Никифорович Полторанин、Mikhail Nikiforovich Poltoranin、1939年11月22日 - )は、ソビエト連邦およびロシアの政治家、ジャーナリスト。ボリス・エリツィンの初期の側近のひとり。
5 民営化の実態
民営化小切手の配布
価格の自由化に次ぐエリツィン政権によるロシア資本主義政策の目玉は、国営企業の民営化(民有化ともいう)である。その第一段階は「小切手民営化」。国民が民営化小切手で民営化対象企業の株式を購入することによって民営化を促進するというものだ。このため92年10月から同年末にかけて、成人男女から子供に至るまで全国民(1億4700万人)に額面一万ルーブルの民営化小切手(バウチャー
Ваучер)が無償で配付された。この小切手でだれもが民営化された国有資産の所有者になれるというのが、うたい文句であった。
*バウチャーGutscheinvoucher바우처Bon d'échangeは、ある種の金銭的価値を持つ金券で、特定の目的または特定の商品にのみ使用できる。例としては、住宅、旅行、食事券などがある。
小切手の使用方法としては、株式会社の株の購入、「投資基金」への出資、現金化の三つがあった。一年間の有効期限は、93年10月騒乱後の10月6日付け大統領令によって、94年6月30日まで半年間延長された。チュバイス副首相が民営化担当で、国有資産管理国家委員会議長も兼任した。小切手の有効期限が切れたことで、94年6月末に民営化第一段階がほぼ終了。7月から第二段階の「現金による民営化」に突入した。「ほぼ終了」と言ったのは、6月30日までに未使用の小切手約400万枚は大統領令によって9月1日から同30日までの一ヶ月間有効とされたからである。
チュバイス副首相によると、6月末現在で、小切手1億4800万枚のうち98%の1億4400万枚が全国で回収された。民営化小切手という有価証券で株を買った株主は4000万人に上ったといわれる。チュバイスは「6月末までに鉱工業企業の70%が民営化小切手により非国営化される。この結果、幅広い所有者を生み出すことになろう」とその成果を自画自賛した。さらに同副首相は「94年末までに資金全体の70%前後が民営化されるはずで、そのときには、民間部門で働く勤労者は全体の70%、工業企業の株式所有者は4000万人、小規模企業の所有者は100万人に達する見込みだ」と述べた。

*アナトリー・ボリソヴィチ・チュバイス(ロシア語:Анато́лий Бори́сович Чуба́йс、ラテン文字転写の例:Anatoly Borisovich Chubais、1955年6月16日 - )Анатоль Барысавіч Чубайсは、ロシア連邦の政治家、企業家。元ロシアナノテクノロジー社(ロスナノテク)社長。ベラルーシ人。ボリス・エリツィン政権にて大統領府長官、第一副首相兼財務大臣を歴任した。
小切手の行方
しかし、小切手による民営化はいくつかの重大な問題を生んだ。まず第一に、小切手が無記名で転売できることを利用して、マフィアが不正資金を使って、現金化を急ぐ市民から小切手を安く買い上げ、それで国家資産を格安に買い占めた。また、利権の大きい優良企業の場合、マフィアのほかにも、その企業経営者、官僚、地元指導者や商業銀行など「ノメンクラトゥーラ」(特権階級)が、あらゆる手段を使って株式の独占を図り、市民は弾き飛ばされてしまったのである。
改革諸政党「ヤブリンスキー連合」を率いる若手経済学者のヤブリンスキー氏は、5月30日日本人記者のインタビューに答え、「国民が購入した株式のうち、40%は官僚に、20%は企業の経営者に譲渡されるいるのが実態だ」と説明して、民営化は企業経営者や官僚の経済独占に拍車をかけるだけであったと批判した。

①Grigory Alekseyevich Yavlinskyグリゴリー・アレクセーエヴィチ・ヤヴリンスキー (Russian:Григо́рий Алексе́евич Явли́нский; born 10 April 1952)Григо́рій Олексійович Явлінськийis a Russian economist and politician
②ロシア統一民主党「ヤブロコ」(ロシアとういつみんしゅとう ヤブロコThe Russian United Democratic Party Yabloko (RUDP Yabloko)、ロシア語:Росси́йская объединённая демократи́ческая па́ртия «Я́блоко»)は、ロシアの政党。
第二に、所有権を手に入れた経営者(ないしはそのグループ)のなかには勝手に収益の大きい業態へ変更するケースが少なくなかった。第三には、民営化された企業には意識改革をした有能な経営者が少ないことがある。第四は、民営化されたのは閉鎖するしかない赤字企業が多く、民営化する価値のある燃料・エネルギー産業コンプレックスや軍事企業コンプレックスには、一般市民は近づけないという実情だ。このほか参考になるのが、ツェリッシェフ日本経済研究センター客員研究員の論文である(94年5月28日付け『日本経済新聞』所蔵)。同研究員はとくに、民営化企業グループ(企業連合)による独占化の傾向と、従業員待ち株制の導入が民営化の過程のなかで目立つことを挙げて、ロシアの民営化は本当の意味の民営化ではないと断じている。
①株式Акция (финансы)(かぶしきAction (finance)Share (finance)とは、株式会社の構成員(社員=株主)としての地位(社員権)や権利のことである(通説)②株主Акционер(かぶぬしActionnaire、(英:shareholder、stockholderAktionärとは、株式会社の出資者。株主名簿に記名されている個人・法人のこと。持ち株数に応じた権利(株主権)を有するが、同時に有する株式の引き受け価額を限度とする有限責任を持つ。
「国民総株主化」を理想とした小切手民営化であったが、現実には小切手と引き換えに株式を取得したのは、国民の半分以下であったことが、民間調査機関で明らかにされている。5月末に行われた世論調査によれば、市民のうち小切手を個人で直接株式に交換したのはわずかに18%(うち10%が自分の働く企業の株を取得、無関係な企業の株を買ったのは8%)で、28%は「民営化基金」(投資基金あるいは投資信託)に預託したという。双方あわせても株主になったのは48%である。他人に売却し現金化したり、譲渡した割合が42%という。「かきあつめた小切手を使って投機筋が国有財産を安く買い叩き、その後高く売って儲けるという連中のお先棒をかついだ」(ルシコフ・モスクワ市長)という批判もうなずけるのである。

*ユーリ・ミハイロヴィチ・ルシコフ(ロシア語:Ю́рий Миха́йлович Лужко́в, ラテン文字転写:Yurii Mikhailovich Luzhkov, 1936年9月21日 - 2019年12月10日)Yury Mikhailovich Luzhkovは、ソビエト連邦及び、ロシアの政治家。モスクワ市長(第2代)。
民営化小切手をめぐる対立
民営化小切手をめぐって、ルシコフ市長とチュバイス副首相が同じ改革派でありながら真っ
向から対立したのも、広く関心を集めた。中央の民営化方式に不満なモスクワ市当局は先手を打って、市内の「土地の私有財産化」を禁止する意向を固め、市議会が94年5月25日に関連決定を原則承認した。モスクワ市土地委員会議長など関係者は、土地の入札制度などモスクワでの土地私有制度導入の準備ができておらず、最低42年間の準備期間が必要であるとの考えでまとまった。なお、土地、建物の私有化は民営化の第二段階終了以後に行われることになっている。
さらに、ルシコフ市長は5月31日、チュバイス副首相の民営化計画は国家の崩壊をもたらす可能性があると厳しく批判し、「チュバイス氏は、国家がこれまでこつこつと蓄えてきた財産を事実上二束三文で配分した、という既成事実を7月1日までに国家に突き付けようとしている」と断じた。同市長はさらに、民営化第一段階の結果は「破壊的」であるとして、小切手による民営化を無期限継続するよう提案した。同市長によれば、小切手の価格は少なくとも50万ルーブル以上になったという。結局、モスクワ市政府当局は6月28日、モスクワで交付された民営化小切手の有効期限を95年1月1日まで延長することを決めた。チュバイス副首相は、ルシコフ市長の側に立ったエリツィン大統領の強い要請により、首都の民営化問題には関与しない方針を取らざるをえなくなったのである。ルシコフに軍配が上がった。
また、20ヶ月におよび民営化段階で、政府は企業の効率化や生産向上につながることを期待したが、この点では成功しなかったというのが大方の見方だ。リフシツ大統領主席経済顧問(94年11月9日、大統領補佐官に就任)は「投資信託の制度ができたこと自体、市場経済への移行へ向けた大きな前進だった」と述べながらも、「工業生産の回復や投資促進の面で、民営化の貢献度は極めて小さい。民営化に際して、多くの国営企業が企業幹部と従業員で過半数の株式を支配する方法を選んだ。これは社会主義の理念を残した一種の”集団所有”で、非効率性を温存することになった」と率直に失敗を認めている。
なお、国有財産管理国家委員会小切手流通局のタンコワ局長は、5月末にインタビューで、小切手による民営化企業競売の集計の際に鍛え上げられた民営化小切手の総数が、実際に発行された小切手の数を二、三倍上回っている事実を指摘した。以前に競売で証券の購入に使用された民営化小切手が、再度市場に出回る事例が続発したことも明らかになっている。
さて、「現金民営化」という民営化第二段階計画案が7月4日、議会と大統領に提出された。しかし、下院は二回にわたってこれを否決した。極右の自民党はじめ議会で多数を占める共産党などが強く反対したのである。民営化を急ぐ大統領は、ついに7月22日に大統領令に署名し、民営化第二段階を推進する決断を下した。ロシア国家会議(下院)の財産・民営化・経済活動委員会のブルコフБурков議長は、法律に従えば、民営化の国家計画は連邦議会によって採択されかねないと言明していた。エリツィン大統領は議会無視の態度を貫いた形となった。

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