日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Black Angels Subs español (helloprojectheaven Fansub)⇒ひさしぶりの「金縛り」・・・樹氷、凍雲、「絶対零度?」= Great Togo & Nightmare of the Elm Street

2016年12月 おはようございます。


題名通り、ひさしぶりの「金縛り」・・・。大声でさけび、ようやく動けて目が覚めた。今回は「壁」の反対側(7月は蹴りをいれて大穴を空けてしまった(>__<;向いてたので。よかったです。さる、幼少時より因縁ただならずの人物・・・。長らく「コンプレックス」と複雑な「由来」がある方とおおもめの夢。「このやろう~!!」って絶叫して蹴りを放ったところ呪縛から解き放たれた。時計をみるとまだ午前「2時」過ぎ。それからは全然ちがうものだらけ(苦笑)。Elm=わたしの道はFernleigh Circle Southが正式名。雪に閉じこめられててよけいにおかしいみたい(^__^; こういうのは「17階」に住んでいたころはなかった。「地下壕」みたいなありさま・・・(苦笑)。ともあれ


「マンガ男」(片寄った好みながら)だったので=夢にもひんぱんにあらわれる(苦笑)。むかし全巻持っていた平松氏の「ブラック・エンジェルス」(週刊「ジャンプ」・映画化されましたね☆手裏剣・クナイの美人暗殺者’麗羅’(☆矢島舞美ちゃん☆)のとこだけみた)・・・少年超能力者「勇気」氏・・・元全能・神がかり的だったおじいさん「老師」(「霊士、おのれは~」(~__~;双子兄弟の兄=孫に虐殺されてしまう=懸命に反撃を試みても「ダメだ(無駄だ)そんな干からびた力じゃ俺を傷つけることはできん」と冷笑する勇気氏)のイチ番弟子(「いえ、老師がご存知でなければいいのです」(-_- クールでニヒルなイケメン霊士氏との教会内での対決(みんな衣装は白衣の「神父さま・ブラザース?」。


勇気氏=「絶対零度!!」
霊士氏=「極限炎度!!」


たちまち
半分が「氷結」におおわれ、もう一方は「炎熱」で燃えあがる。ちょっと「絶対零度」に近い’外’にでてタバコすってきます(^__^; また続けますね☆


帰ってきました(笑)。↑のはなしそのもの・・・土曜日の早朝、また雪が激しくふっていて。凍雲月を覆い隠した暗闇。-28℃=今日の雪かきは「絶対防寒」が必要な様子(^___^; 3年前はうっかり耳に凍傷を受けてしまった教訓。自信満々、薄ら笑いをうかべる「勇気」氏(祖叔父(=まだ全てを出し切ってしまった兄よりは、超能力が残ってた?)は生首が飛んでしまう凄惨な最後=遺言「勇気を頼む」)の頬にひとすじの’汗’
(*__*;・・・「なにい~??」「おっ、おれが負ける」たちまち4対6、2対8に「極限炎度」が火を吹いた。幼い魔王候補(混血(ハーフ)ジュディー女史(父はアメリカ白人傭兵(竜牙会の親分?による長期拉致(軟(監)禁?(奴隷)状態+強制夜伽寝?=「けだもの~」(;__;(~__-;から脱出)=戦死)もさじを投げる=元は善玉かわいい坊やだった少年「勇気ちゃん、あなたを救う(助ける?)ことはもう出来ないのね」)はショックで気を失って倒れる。霊士氏は「ふう~」とこちらも汗をかきかきヒト息。


麗士氏の談話によればまだ成長段階の勇気氏の「未完成」なところをうまく突いて。ようやく勝ったに過ぎないそう。しかし「あっ!そっ、その顔は!!」(*O*;「俺の顔がどうかしたか~」と凶悪な表情に豹変(実は「勝利における敗北?」心身ともに宇宙小覇王・勇気氏に支配されていた)。


なんて朝っぱらから「ヲタ」全開、失礼しました(-__-;


~♪今日も暮れゆく異国の丘で~遠く祖国を離れきて~♪=しみじみ知った祖国愛?=思い出し夢にみる「日本関連」はむかしのことばかり(苦笑)。しかも「いい夢」はほとんどない(=素行の悪さ&自業自得・70%?)。出てくる日本、東京はせいぜい90年代まで。なんとなく、さびしい朝でした(だからまたヤケクソ的に’こわれ’ているのかもしれません)。


あとここ2~3日、ちらほらしとるのはマンガ「いとしのエリー」(’映画’=国生さゆり女史(全然原作の「串田先生」に似ていない(苦笑)&前田耕陽氏(はともあれ)⇒みてません)・・・(~__~;


正直、ああいう世界があるとは想像つかんかった(苦笑)。学校の「先生と生徒」がうんぬん(しかも女教師先生の方からカマをかけた?)ってのは(-__-;あの「コインランドリー内」のニャンニャン(情事)?とかエロい場面(他にももりたくさんやった=どこでも襲い掛かる油断ならぬ男(~__-;=「箱ごと持ってくるな!ウンなもん!」(ベンチでまたおっぱじまった(いまよみがえった)1、夜の砂浜初体験(その後「別荘」で延長戦?+思い出「写真撮影」強行「わたしは逃げる」(後に先生にとっても貴重な「記念品」化?=汚れてしまった「この写真、もうダメかな?」この姿をこっそりみた主人公氏は安心+歓喜?⇒けれど、おっさんくさいパンツいっちょうの後姿が友人たちに「主人公氏なのではないか?」とかんぐられる有様)2、温泉旅館での朝食前、若さみなぎる元気溌剌?(それが故(「電話」がうっかりつながっていたのを知らず、いちゃいちゃ活動&問答が全て宿側おばさんたちに筒抜け状態)遅くなって怒られた)3、先生宅アパートでの秘め事?)はやばかった(苦笑)でもおもしろかったです(ハハハ)。その頃「YOUNG JUMP」はこれを読むため買っていたようなもの(展開もジャンジャン深刻になってくる終盤(滅多に怒らないお父さんにすら呶鳴られた(主人公氏のお母さんも先生宅への電話で「猫の鳴き声」が聞こえ、バレる寸前=串田先生はその都度失神寸前?呆然とする)⇒けど「がんばります」(愛しのエリー(絵理子)さんのために「確かに目つきが変ってきた」(と校長にも評価される)+最後、不意の事故(「上野くん!!」と追っかけての横断歩道。車にはねられた)による「記憶喪失」(中に写真をみて知ったお母さん(=「あの子ったら・・・」と愕然(プレーボーイのハンサムなマナコ先輩(「あちーなあちーな!空からウン〇がふってきたぜ!」(主人公氏に背後からカレーライスを頭にぶっかけられた)を応援)が必死で妨害(笑)から立ち直り目出度く「ご結婚」⇒「あなたのしらない世界」。「高校」(わずか3ヶ月+しかも工業=男子校同然)ってのを知らないに等しい人間としては、難解ながらいい「勉強」になりました。現在はそれほどめずらしくないのかな?まったくわからず。


これの現代ドラマ版が「着信アリ?」(この場合は「男性教師」と「女生徒」+(苦笑)。実例=自称「ヤンキー先生」。’霊魂’(お化け?)までからんだ連続殺人を基幹とした大騒動。「スポーツど根性物語」版が「はじめの退歩」ってとこかな?「ボクシング」は二の次。「友情約束」「恋愛エロ根性」の競り合い?が核心(苦笑)。たんなる独語です。


2012年のことも夢にあらわれた。成田エクスプレス(はじめてのった)PS:思い出したのはうっかり切符を失くしてしまった(後で出てきた)。新宿の改札口で駅員に伝えたら笑って「いいですよ。幾ら払いました?」「2900円くらい」「どうぞ」と通してくれました(嬉しかった☆=)。千葉県からだんだん都心に近づく。佐倉(堀田上野介正信・11万石、4代将軍家綱治世・筆頭老中酒井忠清にやぶれ失脚・籠城して幕府軍と一戦も辞さずの構え・結局降服し改易)こんなことを少年時代の風景にむすびつけて。


ずっと窓から外を眺めていた。叔父夫妻と、仲が良かった従兄弟(むかしは船橋(最寄り駅私鉄線「馬込沢」(鎌ヶ谷ってのが隣=「ゲームセンター」も含めよく遊び行った)の公団住宅(ぼくが住んでた渋谷とおんなじ。おんぼろで「三畳間」二段ベッド(苦笑)にいた)が住んでいた四街道を過ぎて)少年時代「将棋道場」によく通った)、小岩(=(当時は国鉄)駅前広場にあったおもちゃ(玩具)屋「シマダ」(マンガ「のたり松太郎」(両国から小岩に移った=実際に駅からアパートまでに2軒くらい相撲部屋があった(70年~80年代初頭の東京、懐かしい限り)に出て来る(笑)のビル⇒やさしい叔父が「トランプ」や「将棋の駒」を買ってくれたのもよみがえった)叔父が住んでいた)、やっぱ「浦島太郎」(苦笑)ようやく新宿。人の多さ、あっけにとられた。考えてみると、叔母がいる松戸市常磐平(幼少時に数回)及び末弟の叔父は柏市(こっちは一回も行ったことない)。行き帰り総武線の電車からみる「荒川」(いっつも汚れたどぶ川は川幅が広く(朝(ぼらけ?)と夜(真っ暗)がおっかなかった)=隅田川(浅草、同時代に母方の叔母が住んでた)以上だった記憶)が、幼心に越えるときが怖かったのも光景とともに浮かびました(満員電車が溢れて「ドア」が30%ぐらい開いたままの日もありました(まさに「フラッシュバック」(Flash-back⇒過去の回想場面への瞬間的切り返し)日曜の夜もふけてきました(追加⇒2018/03/06 Dimanche(Sunday)。


まさに
~♪シャドー手探りのまま~愛はけして諦めないひとり傷ついても奇蹟を抱きしめて~追いかけるねあなたは誰~+夢はまだまぼろし(^__-☆


ありがとうございました。
サム


PS;現在、午前10時15分
雪かき終了。粉雪だと、なめていたら重かった(苦笑)。


作業中、そのあいだも「ブラック・エンジェルス」のことを考えていました(^__^;


はじめは「外道」「天誅」「地獄へ落ちろ」=「教会派?」キリスト教伝道師暗殺者集団・隊長鷹沢神父(必殺技=十字架ネックレス「汝に神の裁きを」と後ろから首をしめあげ(+真正面から攻撃のときもある⇒「久しぶりだな鷹沢」「大友!?」(*O*;竜牙会の元仲間(同僚)「くどいぞ大友」から十八番のネックレス猛攻により殺す)切り裂く(竜牙会との「聖戦?」で壮絶な最後、討ち死)・主人公「自分で裁く主義」を自負するヒットマン?雪藤青年(超能力者へ進化の魁?⇒「我心すでに空。空なるが故に無?」(無の境地)あのお姉さん(悪徳刑事(警部=後に汚職摘発により懲戒免職)に両親殺害の嫌疑(雪藤少年が秘密で、長年鍛えあげた「投げ五寸釘?」を用い復讐を試みるが失敗(真犯人=傷の男)=「あんなに練習したのに」(鷹沢神父とアリサ女史が調練場と軌跡(成果?)を額絵の裏に発見)をかけられ逮捕・収監・拘禁「神父さま、どうか洋ちゃんをよろしくお願いします」(涙=その日に独房で首吊り自殺)の話は悲しかった+のちに「超能力者」に進化?)・・・ドーベルマン(バビル2世のロデムを思い出した)も一員(のち、’霊魂’としても宿る)。美人学校教師尼さん修道僧「アリサ」名文句「罪深き悪魔の使徒よ・・・地獄の淵へ帰れ」(催眠術戦略)。「きけ~地獄の響きを~!!」と急所を握りつぶす恐怖のデブ男ハシム・・・。


これ中2の「追放」中、徳島の山奥で単行本借りて(PS:休み時間に読んでたところを教師にみつかって。没収(第5巻)+そのマンガで頭を豪快にぶったたかれた=本が曲がってしまったほど)たのしみに読んでた(笑)。


「竜牙会」大組織の忍者式暗殺者集団、みな幼少の頃からしごかれてる。「麗羅」女史(後に元恋人空手殺法の松田氏の「守護霊?」が宿る似たような元警察学校?同級生空手刑事(「そのくらいのことで俺と松田を引き離せると思ってるのかあ~」と飛び蹴りを試してもいつもの三分の一も威力がない)から松田氏を拉致=あの悪魔のような笑顔で尖った歯がジャカスカ並んでいたのが怖かった=「洋二」とかの甘い囁きにだまされ、松田氏は広大な宇宙のブラックホール(タルタロス?)へ引っ張り込まれてしまう)はじめ「酔鬼」(=酔拳)がおもしろかった(~♪酔うほどに~狂うほどに~♪ と飛び上がり空手殺法を披露)「水鵬」(マンホールからも出現する水術の使い手(+この人の’霊魂’は誰に宿ったかわすれた(苦笑)=「ヘビは海の底で息を絶ったわあ~」ときた)


・・・中だるみ・・・


けど「超能力」シリーズで俄然もりあがった(イチ番おもしろかったっス)。「はじめの退歩」や「お美食お献立」なんか問題にならない。ここまで「徹底的」なら「マンガ娯楽・趣味文化」の象徴。


グダグダと加えました(失礼)。「安息日」、雪の中。黒一色、ヒゲずくめのユダヤ系がおおい住宅街。シナゴグがなつかしい(土曜日、娘を補習校送迎でその地域をとおる)。サム ありがとうございました☆ 2016年、12月末 
PS:ちなみに警察大好き?氏の作品は週刊「ジャンプ」連載=1、「ドーベルマン刑事」(ブラックホーク銃をぶっ放す腕利き加納刑事(「ジャップはカネ儲けしか能がねえ」(と罵倒しつつ、こきおろしをやめないアメリカ軍憲兵?白人たち⇒考えてみればここも凶悪で巨体の暴行魔不良「黒人」数人が犯人(これも今さらながら問題ある内容だと思う)⇒ひとりは急所をおもむろに踏み潰される「2度と男にゃなれねえぜ」(親友交通機動隊白バイ刑事尾藤氏、奮闘を極め見事?な最後(「奈美?には指1本触れさせやしねえ~!!」(かつて元アウトロー暴走族出身であった後輩刑事の太刀氏を救うため、彼女を犠牲にしてしまう=「尾藤さん、なぜ?・・・」と息絶える)と高校生少女を担いだまま息絶えた)=同僚アウトロー宮入警部?(「警察が特定の組織に介入していいのかよ」「じゃっかましい~この腐れ外道があ~!」と痛烈に顎を蹴り上げた⇒権限+法律視野外?微妙な刑事)「ジャップはカネモチなんだよ」(加納氏)⇒PS:1994年頃帰ったとき、ラーメン屋にあったので読んだら結構「とんでもない」内容=孤立し社会から疎外された今でなら引きこもり虚弱「ヲタ」犯人に対して注目を浴び。友達を作りたいなら市中心部の路上で「素っ裸」(ストリーキング?)になる無茶な提案(強談?)をかましていた=破廉恥男としてたちまち’御用’になるだけでしょ(苦笑)2、「リッキー台風(タイフーン)」(力道山=「力王岩」氏(元相撲関脇)とした。元力士と恋に落ちたアメリカ白人お母さんとの間に生まれた長男である混血児の物語⇒「フニッ」が憎めないプロレスラー志望(高校に居座る武者鎧をまとい殿様兜を被った仮面?の「将軍」(⇒雨の中での決戦=高熱をもろともせず挑みながら。蹴り一発命中を食らい、敗れた+各関所(部署)担当のツワモノ(⇒車田正美「リングにかけろ」’影道五重塔’式?(「ふふふ、何年ぶりかな。この青龍の間に上がってきたのは」(丸太1本の下にはピラニアがひしめいている)=空手達人李氏を筆頭)たち同様、どうやって生活してるんやろ?)にはやられた(長期(潜伏?)滞在が故に禿頭(再戦で雪辱だっけ?)歯も欠けたヨボヨボのじいさん?)だっけ?(グレート東郷(日系2世アメリカ人の悪役)=グレート東条)他・・・バックドロップ⇒「ルー・テーズ」ジャーマンスープレックス⇒「カール・ゴッチ」・・・)3、読みきり版「題名」忘れた⇒ブラックエンジェルスへの過渡期?(自転車タイヤのスポークを武器に活動する暗殺者学生服青年=学校の悪徳教師花井先生(後に校長に昇進+実は高校番長(調子んのって手がつけられない花井をなんとかしてくれとせがむ下っ端に対して「ああ、そのうちにな」とお茶を濁すだけ)+暴走族ギャング団のボス?(も単車での逃亡中、道路にはられたピアノ線にかかり首を飛ばされてしまう)と裏で結託(共謀)していた)4、美人金髪アメリカ白人女性教師(別称(仇名)「プリン先生」)⇒ボクシング&’接吻’の贈物?で「校内暴力」吹き荒れる無法地帯の高校を「模範校」ばりに改善する殊勲(少年院を退院してきた番長すらノックアウトされ?屈服、降伏やむなし・・・)。



~♪でもねわたし子供じゃない!最近身長伸びたねかっこよくなったよ大人より率直に恋愛もあれば厄あり
懐かしい記憶との戦いの時間涙止まらぬ涙これですきっと強引過ぎる恋する少女には~夢をみたあなたの夢桜ちらり涙など似合わない~人はいつもさびしいなぜだろうたまにそう思う世界中を旅したいひとつひとつ消えてく雨の中みつめるたびに悲しくなる傘もささず(Ma cher☆舞美ちゃん☆のVersion大好き(照+涙)!!お元気ですか?☆健康祈願☆成功熱望☆)~♪I always love you precious Maimi chan Good-Luck(Bonne Chance!!サム カナダ 2018年3月6日)







追加資料:
(1)、グレート・東郷 Great Togoイタリア語→George Kazuo Okamura (岡村 一夫 Okamura Kazuo?; Hood River, 11 ottobre 1911 – Los Angeles, 17 dicembre 1973) è stato un wrestler statunitense. Si distinse particolarmente negli anni cinquanta per la gimmick di Great Togo, tra i più temuti heel giapponesi dell'epoca e solito spaventare i suoi avversari occidentali prima di ogni match.グレート東郷(Great Togo、本名:ジョージ・カズオ・オカムラ〈George Kazuo Okamura〉、日本名:岡村 一夫〈おかむら かずお〉、1911年10月11日 - 1973年12月17日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オレゴン州フートリバー出身の日系アメリカ人。 生年・出自については諸説あり、父は日本人、母は中国人のそれぞれアメリカ移民であったという説、両親とも日本人で熊本県あるいは沖縄県から移民したという説、朝鮮半島出身説[1]などが語られていて、真相は不明である(この経緯は下記関連書参照)。1973年12月17日、胃癌の手術の経過が思わしくなく、ロサンゼルスにて死去。62歳没。生涯⇒Biografia Nato nel 1911, sulle sue origini sono state formulate numerose ipotesi: secondo la maggior parte delle teorie sarebbe nato negli Stati Uniti da genitori giapponesi, mentre per altre avrebbe invece avuto origini coreane oppure cinesi.[1] Negli anni trenta studiò filosofia presso l'Università dell'Oregon, prima di iniziare a praticare il wrestling. Compì il proprio debutto nel 1949. Agli inizi di carriera era spesso accompagnato dalla valletta Hata, la quale era solita bruciare dell'incenso prima di ogni suo incontro. Come molti altri wrestler asiatici dell'epoca, adottò ben presto la gimmick dell'heel giapponese da battere ed utilizzò il ring name di "Great Togo". I suoi atteggiamenti provocatori e le frequenti scorrettezze lo resero un lottatore assai odiato dal pubblico statunitense, nonché un avversario temuto sul ring. Benché fosse un combattente di elevato tasso tecnico, tuttavia, i suoi incontri finivano spesso con la sua sconfitta per rendere over i suoi nemici occidentali. Nei primi anni cinquanta iniziò una faida di lunga data con Argentine Rocca.[2] Nel luglio 1954 conquistò i titoli di coppia canadesi assieme a Tosh Togo, suo fratello secondo la kayfabe: la gimmick della famiglia giapponese includeva anche il karateka Masutatsu Ōyama come "Mas Togo" ed il judoka Kōkichi Endō nei panni di "Ko Togo". I fratelli Togo detennero le cinture tag team sino ai primi anni sessanta.[3] Ad un certo punto della sua carriera Okamura combatté anche con il ring name di "Great Tōjō", probabilmente per fermentare ulteriormente l'odio del pubblico data l'assonanza con il cognome del militare e politico giapponese della seconda guerra mondiale. Tra gli anni cinquanta e sessanta svolse anche il ruolo di manager di Mitsuhiro Momota, meglio noto come Rikidōzan. Dopo il suo ritiro si rilocò con la moglie a Los Angeles, dove morì il 17 dicembre 1973 all'età di 62 anni per via di un carcinoma gastrico.
(2)、ルー・テーズ(Lou Thesz、本名:Aloysius Martin Thesz、1916年4月24日 - 2002年4月28日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州バナット出身のハンガリー系アメリカ人。フランス語→ルー・テーズ=Aloysius Martin « Lou » Thesz (né le 24 avril 1916 à Banat (en) (Michigan) et mort le 28 avril 2002 à Orlando ( Floride)) est un catcheur (lutteur professionnel) américain.
(3)、カール・ゴッチ(Karl Gotch、本名:カール・イスターツ(Karl Istaz)、1924年8月3日 - 2007年7月28日)は、プロレスラーおよびプロレスのトレーナー。1961年までは、カール・クラウザー(Karl Krauser)のリングネームを名乗っていた。プロフィール上はドイツ・ハンブルク出身とされているが、実際はベルギー・アントワープ出身と言われている[1] オランダ語⇒カール・ゴッチ=Karl Istaz (Antwerpen, 3 augustus 1924 - Tampa, 28 juli 2007) was een Belgisch professioneel worstelaar. Hij was actief in het New Japan Pro Wrestling en World Wide Wrestling Federation (WWWF) als Karl Gotch.
4)、역도산(일본어: 力道山 리키도잔[*], 문화어: 력도산, 1924년 11월 14일 ~ 1963년 12월 15일)은 한국계 일본인 프로레슬러이다. 일본에서 프로레슬링의 기초를 닦은 인물로, ‘일본 프로레슬링의 아버지’라고 불리고 있다. 본명은 김신락(金信洛)으로, 귀화 후 이름은 모모타 미쓰히로(일본어: 百田光浩)이다.力道山(りきどうざん / Rikidōzan、朝鮮語:역도산(ヨットサン、Yeokdosan / Yŏktosan)、朝鮮文化語:력도산(リョットサン、Ryeokdosan / Ryŏktosan)、1924年11月14日 - 1963年12月15日)は、日本のプロレスラー。本名・戸籍名・日本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、旧名・出生名・朝鮮名:金 信洛(きん・しんらく、キム・シルラク、김신락(Gim Sinrak / Kim Sinrak))。大相撲の力士出身。身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg[1]。スペイン語⇒ 力道山Rikidōzan=Mitsuhiro Momota (百田 光浩 Momota Mitsuhiro?), más conocido por su seudónimo Rikidōzan (力道山?) (Hamgyŏng del Sur, Corea, 14 de noviembre de 1924-Tokio, Japón, 15 de diciembre de 1963), fue un luchador profesional japonés de origen coreano.ドイツ語→力道山襲撃(暗殺未遂)と死=TodRikidōzan starb am 15. Dezember 1963 in Tokyo. Eine Woche zuvor, am 8. Dezember, hatte ihn ein Yakuza namens Katsuji Murata in einem seiner Nachtclubs mit einem Messer verletzt, dessen Klinge mit Urin benetzt worden war. Die in ihrer Gefährlichkeit unterschätzte Verletzung führte zu einer Bauchfellentzündung, an der Rikidōzan starb.Für das japanische Wrestling hatte der Tod Rikidōzans beinahe vernichtende Folgen. Die japanischen Fans waren davon ausgegangen, dass Wrestling „real“ wäre. Durch die Enthüllung von Rikidōzans Geschäften mit der Yakuza wurde bekannt, dass Wrestling nur gestellt ist, woraufhin viele Fans sich davon abwandten. Erst seine Schüler Antonio Inoki und Giant Baba konnten das japanische Wrestling wieder retten.









×

非ログインユーザーとして返信する