日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

2019☆추수감사절☆(秋收感謝節・感恩节Thanksgiving Day)★El boxeo★Edwin "El Chapo" Rosario Rivera(Toa Baja, 15 de marzo de 1963 - íd. 1 de diciembre de 1997)/Héctor Luis "Macho" Camacho Matías(Bayamón, 24 de mayo de 1962 - San Juan, 24 de noviembre de 2012)

Thanksgiving in 2019 is Monday, October 14.  Thanksgiving in Canada is celebrated on the second Monday of October each year and it's an official statutory holiday - except in PEI, Newfoundland, New Brunswick and Nova Scotia - however federally regulated institutions do observe Thanksgiving in those provinces too. In the US thanksgiving is the fourth Thursday in November.
추수감사절(秋收感謝節, Thanksgiving Day, 땡스기빙데이)은 전통적인 북아메리카의 휴일로 미국의 경우 11월 넷째 목요일에, 캐나다에서는 10월 둘째 월요일에 기념한다. 대한민국에서는 11월 셋째 일요일에 기념한다. 추수감사절에 미국인들은 한국의 추석과 같이 가족들끼리 모여 파티를 열어 칠면조를 비롯한 여러 음식을 만들어 먹고 이야기를 나누곤 한다.
エドウィン・ロサリオ(Edwin Rosario、男性、1963年3月15日 - 1997年12月1日)は、プエルトリコのプロボクサー。元世界2階級王者(ライト級、ジュニアウェルター級)・・・1993年1月30日、フランキー・ランドールと7年7か月ぶりに再戦し、7回TKO負け。この試合を最後にブランクを作った。1997年5月22日に4年4か月ぶりの復帰戦を行い、復帰戦を含め5か月連続で試合を行う(6連続KO勝ち、「デラホーヤとやりたい」といっていた)。
死亡:1997年12月1日、別れた妻と子供の住む家を訪れるが、気分が悪いとして1時間ほどで滞在を切り上げ、両親と暮らす自宅に帰宅する。翌日父親がベッドの上で死んでいるロサリオを見つける。検死の結果、死因は動脈瘤であり麻薬とアルコール中毒が原因とされた。34歳没。


(1)、1982年5月30日 世界ライト級ノンタイトル10回戦 故エドウィン・ロサリオ(プエルトリコ+20連勝(19KO)無敗=47勝(41KO)6敗)VSエドウィン・ビルエト(アメリカ+32勝(14KO)4敗2分=32勝(14KO)6敗2分)ネバダ州ラスベガス
ー童顔の弱冠19歳、若きロサリオが3回にタフなビルエト(デュランの連続KO防衛を「10」でストップした=判定負け)を沈めた。ロサリオは2回に右のクロスカウンターを炸裂させ、ダウンを奪う。’チャポ’(玉突き屋)の異名そのものである、鋭い左ジャブを突きながら猛攻。3回のフィニッシュはロープ際に詰められながらも、右フックのカウンター一発でしとめた。
(2)、1983年5月1日 WBC世界ライト級王者決定戦 1位エドウィン・ロサリオ(21連勝(20KO)無敗)VS2位ホセ・ルイス・ラミレス(メキシコ+82勝(71KO)4敗=102勝(82KO)9敗) プエルトリコ・サンファン
ーロサリオが2-0の判定で辛勝。新王者に就く。前半はロサリオが優勢、中盤からサウスポーのラミレスという展開。ロサリオの防御勘とカウンターは見事だったが、強打のラミレスは常に前へ出て手数で対抗。意外にスピードと切れがあり、石のように重そうなパンチで連打を放つ。とにかく頑丈さは圧巻(ロサリオのベストパンチを浴びても、ビクともしなかった)。しかし判定は、大いに論議を呼んだ。胴上げされる瞼がふさがったロサリオを横目に、ラミレスは憤然。不満を隠さなかった。
(3)、1984年3月7日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(22連勝(20KO)無敗)VS挑戦者ロベルト・エリゾンド(アメリカ+28勝(21KO)3敗=32勝(23KO)6敗)プエルトリコ・サンファン
ーロサリオは絶好調。初回に2度ダウンを奪い、エリゾンドをノックアウト。初防衛に成功した。

Françaisフランス語→Edwin Rosario est un boxeur portoricain né le 15 mars 1963 Toa Baja (Porto Rico) et mort le 1er décembre 1997 dans la même ville.


(1)、1984年6月23日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(23連勝(21KO)無敗)VS挑戦者ハワード・デービス・ジュニア(アメリカ+世界選手権(74年ハバナ大会)優勝金メダル・モントリオール五輪優勝金メダル(125勝5敗)+26勝(11KO)1敗=36勝(14KO)6敗1分)プエルトリコ・サンファン
ーロサリオが苦戦しながらも、2回と最終12回にダウンを奪い(いずれも左フックのカウンター)、2-1の判定勝ち。2度目の防衛に成功(デービスは2度目の世界挑戦も実らず)。強敵相手の試合、デービスが優勢のように見えるながら(3回はコーナーに詰めて、右ストレートを命中させる)、この当時のロサリオはまず当てさせなかった。再び左目下の痣が痛々しかったけど、デービスの速くて鋭いパンチをスイスイかいくぐっては、カウンターを狙う(上体をまんべんなく動かし、ウイビングを駆使)。試合後、デービスは判定に納得せず、不快そうだった(しかし、判定が下った瞬間(2人目のジャッジが自分につけていたのに、びっくりしていた)、潔く諦めたような表情(スポーツマンらしい)で胴上げされるロサリオの勝利を祝い、握手を求めていたのがすがすがしかった)。
(2)、1984年11月3日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(24連勝(21KO)無敗)VS挑戦者ホセ・ルイス・ラミレス(87勝(75KO)5敗)プエルトリコ・サンファン
ーラミレスが4回に逆転TKO勝ちで、タイトルを強奪した。この試合のラミレスはスピードがなく、エンジンのかかりが遅かったようだ。ロサリオは初回と2回に先制のダウンを奪い、ワンサイドの展開(特に2回はKO寸前に追い込む)。楽勝ペースを引っくり返され、王座転落。コーナーに詰められ、滅多打ち。最後は後ろを向いてしまいストップされた。初黒星。『リング・ジャパン』のビデオを渋谷の「センタースポーツ」(迷路のようにわかりずらい=何度おもむいてもいっつも迷った)に買いに行きました(弱冠16歳)。他の(「クエバス特集」「ドナルド・カリー特集」)と一緒にまとめて。メチャクチャ柄の悪いおっさん(当時は全然めずらしくない=むろん(私も同じくだったながら)「パンチパーマ」)だった(苦笑)=「一覧」(リスト=「現物」が棚に並んでるわけではない)をみながら(あんまり「世界の試合」や「選手」に詳しくなくて(これもしょうがないこと)、てこずったのもよみがえる)、注文する(直接出向いての「問答」が、一番てっとり早かった=後に郵
)。「センタースポーツ」(何十年ぶりに写真をみたら、むかしとまったく同じ(建物)外観(感慨深かったです(笑))渋谷区渋谷2-20-11 小寺ビル3F. 電話 03-3400-3308. 電話 03-3400-5410. 営業時間/ 11:00~19:00 定休日/第3火曜日.http://www.center-sp.co.jp/


(1)、1985年6月16日 世界ライト級ランカー対決 元王者エドウィン・ロサリオ(21勝(18KO)1敗=キャリアはじめの何戦かは「公式戦」ではなかった(16歳でプロデビュー))VSフランキー・ランドール(アメリカ+23連勝(19KO)無敗=58勝(42KO)18敗1分)イギリス
ー実力者同士の1戦。ロサリオは再起戦を2-1の判定ながら勝利で飾る。「外科医」の異名を持つ、新鋭ランドールは初黒星。初回から、緊迫した展開。両者ともそうは簡単にクリーンヒットを許さず。切れ味鋭いスピードあふれる攻防。ロサリオは8回がKOチャンスだった。
(2)、1985年12月27日 世界ライト級ランカー対決 ノンタイトル10回戦 元王者エドウィン・ロサリオ(22勝(18KO)1敗)VSロケ・モントーヤ(メキシコ+15勝(10KO)7敗2分=23勝(13KO)13敗分) ニューヨーク
ーロサリオが圧倒的な強さを誇示。3回に1度倒し、7回にモントーヤを沈めた。この2試合も当時の「イースト・アンド・ウエスト」ビデオに注文。懐かしいです(苦笑)。
Italianoイタリア語→Edwin "El Chapo" Rosario (Toa Baja, 15 marzo 1963 – Toa Baja, 1º dicembre 1997) è stato un pugile portoricano. La International Boxing Hall of Fame lo ha riconosciuto fra i più grandi pugili di ogni tempo.



(1)、1986年6月13日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者故ヘクター・カマチョ(アメリカ(プエルトリコ)+29連勝(15KO)無敗=79勝(38KO)6敗3分)VS前王者エドウィン・ロサリオ(23勝(19KO)1敗)ニューヨークMSG
ープエルトリカンの英雄同士による対決(セミがチャべス(7回KO勝ちで防衛成功)+タイソン(初回KO勝ち)。カマチョが2-1の大接戦を判定勝ちで制した。試合前のにらみ合い(カマチョは強敵相手。緊張した表情で下を向いている。ロサリオは余裕しゃくしゃくの薄ら笑い)。カウンターパンチャーのロサリオ(自信満々だった)だが、この試合は挑戦者なので前へ出て圧力をかける。ジャブを突きながら足を使い、リングを旋回する別名「超特急」サウスポーのカマチョを四方八方に追いまくった。カマチョも決して調子は悪くなかったが、ロサリオが終始優勢。5回と11回に左フックを炸裂させ、猛烈な連打を叩き込む。カマチョはダウン寸前となりながらも、クリンチで逃れた。カマチョ24歳、ロサリオ23歳、両者ともに全盛期の一戦(スピードあふれる攻防が懐かしい)。カマチョの地元ニューヨーク(幼い頃、プエルトリコから移住)ながら判定が下るや、激しいブーイングに包まれた。ロサリオは試合後のインタビューで「どっちが勝ったかはファンがよく知っている」といい、フィニッシュできなかったのは癖になっていた「右拳を痛めたから」と語っていた。完全なHBO放送(両者の軌跡や試合前の調整などが含まれた。今となっては非常に貴重な映像)。ブランブル戦前のインタビューでロサリオは「ラミレスと戦ったときはマネージメントにトラブルがあり、惑わされた」と語り、カマチョ戦時は「心身ともにキャリア中で最高のコンディションだった」「人はなぜカマチョを仕留められなかったかと聞く。でも彼は意地悪く汚い選手だ。接近して肘打ちなどを受けて、負傷するのが心配だった」と話していた。弱冠17歳、(すでに結果は知っていたながら)テレビ東京放送を待ちこがれて見たのを覚えている。
スペイン語⇒Héctor Luis Camacho Matías (Bayamón, 24 de mayo de 1962 - San Juan, 24 de noviembre de 2012), popularmente conocido como "Macho Camacho", fue un boxeador
puertorriqueñ
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(2)、1986年9月26日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者リビングストン・ブランブル(アメリカ領バージン諸島+24勝(15KO)1敗1分=40勝(25KO)26敗3分)VS挑戦者前WBC王者エドウィン・ロサリオ(23勝(19KO)2敗)フロリダ州マイアミ
ーロサリオがブランブル(ガードが固く、難攻不落。強い王者といわれていた(マンシーニ(アメリカ)からタイトルを奪い(14回TKO勝ち)、再戦でも撃退(判定勝ち=2連勝))を相手にせず2回、豪快にノックアウト。前戦で故カマチョを窮地に追い込みながらも、しとめ損ね、僅差の判定負けを喫した鬱憤を晴らすかのような見事な勝利。再び戴冠した。ブランブル(2度目も’アゲハ蝶’の異名を持つ難敵クローリー(アメリカ)’やりにくさ’が取柄のような選手)を、13回にノックアウト)は3度目の防衛に失敗(「右目をサミングされた」としきりに訴えていた=確かにロサリオが左アッパーを突き上げたとき、(むろん「故意」ではないにせよ)親指がかすったように見えた)。そして同じく↑のビデオを注文し、所持してました(到着を待ちこがれた)。翌日朝、駅の売店に『デイリー・スポーツ』を自転車に乗って買いに行った。「速報」で、「ロサリオの快勝」は本当に嬉しかったです。ちなみに『ボクシング・マガジン』の予想においては「ロサリオやや有利か?」とあり。『ワールド・ボクシング』では逆⇒「ブランブル有利」だった。
(3)、1987年8月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(24勝(20KO)2敗)VS挑戦者ファン・ナサリオ(プエルトリコ+18勝(13KO)1敗=25勝(17KO)4敗)イリノイ州シカゴ
ーロサリオの全盛期だった。同国人サウスポーの強打者ナサリオに8回KO勝ち。



(1)、1987年11月21日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(25勝(21KO)2敗)VSWBC世界J・ライト級王者フリオ・セサール・チャべス(メキシコ+56連勝(43KO)無敗=87連勝(74KO)+89勝(74KO)1敗1分(3階級制覇)=107勝(85KO)6敗2分) ラスベガス・ヒルトンホテル
ー王者同士のスーパーファイトはチャべスが11回TKO勝ち(ロサリオの顔は無残に腫れあがり、ストップされた)。二階級制覇に成功(試合前の賭け率は5-4でチャべスやや有利)。ロサリオは不満げ「プライドを傷つけられた。一体俺のどこが彼に劣っているんだ?」(記者会見ではドン・キングを間に挟み、派手にやりあっていた)。チャべスは「メキシコ人とプエルトリコ人の違いは、プエルトリコの選手は大口を叩きすぎる。『ぶっ倒してやる』『ぶっ壊してやる』そして大抵いったことを実行できない」とぼやいていた(その通りの結果となる)。ロサリオは手も足も出ないまま劣勢となり、完敗(初回からコーナーとロープに詰められっぱなし(3倍の手数)=得意のカウンターが当ってもチャべスはびくともしなかった)。今から考えると、これがロサリオの全盛期最後の試合だったかもしれない(一方、チャべスはまだまだ昇り調子の新鋭だった)。減量に失敗したロサリオはもうひとつ切れもスピードもなかった(それ以上にチャべスが強過ぎた)。同僚タイソンがロサリオの取り巻き(解説陣が「リングでの笑顔をはじめてみた」と話していた)こちらもHBO放送の完全版。全体が再現されていて興味深い内容。アメリカについて約半年後ぐらい。お客さんだった台湾人おばさんの地下部屋に住んでいた(「予約録画」仕事が手につかなかった。ずっと楽しみにしていた待望の一戦)。大贔屓のロサリオがまったく歯が立たなかったのに驚愕(同時にチャべスの強さに脱帽(J・ライト時代の防衛戦(9度防衛)は判定勝ちも多かった=見直した)。あるいは、私見ながらロサリオは天才にありがちの自信過剰。ちょっとチャべスをなめていたかもしれない。
ポルトガル語→Julio César Chávez (Ciudad Obregón, Sonora, 12 de julho de 1962) é um ex-boxeador mexicano.
(2)、1989年7月9日 WBA世界ライト級王者決定戦 1位エドウィン・ロサリオ(37勝(32KO)3敗)VS2位アンソニー・ベイビー・ジョーンズ(アメリカ+20勝(10KO)1敗1分=44勝(31KO)11敗2分)ニュージャージー州アトランティックシティー
ーロサリオが6回逆転TKO勝ち。大苦戦だった。スイッチヒッターのジョーンズはデトロイト、クロンクジム出身。ロサリオはチャべスに負けて王座転落以来、12連勝(11KO)中。ながらすでに衰え顕著(26歳にして)、全盛期は過ぎていた。しかし6回、起死回生の右クロスカウンターを顎に炸裂させる。ジョーンズは前のめりに倒れた。なんとか立ち上がったながらフラフラ。ロサリオは大きな右のスイングをかすらせ、「チャポ」左ジャブ2連発を突き刺す。ここでストップ(ジョーンズは再び崩れ落ちた)。
2019年10月14日(暗い月曜日)
みなさん、こんばんは☆ ちょっと気分転換に、↑久しぶりにはじめてみました(少し元気が出た☆=拳闘我命)。古き良き時代。ともあれすっかり秋風に紅葉舞う?リッチモンド・ヒルから。秋雨の季節も到来。これから長い冬がはじまります。明日からまたがんばります(とりいそぎ) サミー


(1)、1990年4月4日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(38勝(33KO)3敗)VS挑戦者ファン・ナサリオ(21勝(13KO)2敗) ニューヨーク
ーナサリオが8回TKO勝ちで新王者に就く。雪辱成った。激しい打ち合いだったとはいえ、ロサリオはもうひとつ精彩に欠け、覇気がなかった。最後は傷による出血のためストップ。
(2)、1991年6月14日 WBA世界J・ウェルター(スーパーライト)級タイトルマッチ 王者ロレト・ガルサ(アメリカ+28勝(23KO)1敗1分=31勝(26KO)2敗1分)VS挑戦者エドウィン・ロサリオ(40勝(35KO)4敗)カリフォルニア州サクラメント
ーロサリオが大方の予想を覆し、3回TKO勝ちで2階級制覇。下馬評は圧倒的にガルサ有利だった「これも番狂わせでしたね。誰がチャポ・ロサリオが勝つと予想していたでしょう(小泉氏)」。初回開始直後、右のクロスカウンターを炸裂させダウンを奪い(これで試合は決まったようなもの)、さらに2度倒す。ガルサはダメージから回復しないまま迎えた3回。再びロサリオの強烈な右がカウンターとなり、ガルサはダウン。さらに1度ダウンを追加。そこでレフリーがストップした。地元ファンを前に、勇姿を飾れなかったガルサは、コッジから奪ったタイトルの2度目の防衛に失敗「ロサリオはこの試合だけに限っていえば、全盛期と同じ動きができましたね(浜田氏)」。ロサリオは試合後のインタビュー(故ダン・グーセン氏)で、チャべス及びカマチョとの再戦を呼びかけていた。横にいたマネージャー故ビル・ケイトン氏(タイソンの元マネージャー)も嬉しそうな表情で「今回、彼は意欲(やる気)があった」と誇らしげであった。


(1)、1992年4月10日 WBA世界J・ウェルター級タイトルマッチ 王者エドウィン・ロサリオ(41勝(36KO)4敗)VS挑戦者平仲明信(ロス五輪代表(67勝(64RSC・KO)9敗)+19勝(17KO)1敗=20勝(18KO)2敗)メキシコシティー
ー平仲が初回TKOの快勝で戴冠。ゴングと同時に平仲は猛攻。ロサリオは右のカウンターを命中させるが、左フックを食らい大きく体が泳ぐ。その後は滅多打ちにされ、ストップ(ロサリオはじめ陣営は、あえて抗議しなかった)。リングサイドで観戦していたライバルのカマチョが拍手し、万歳していたのが忘れられない。試合後、メインで出るチャべス(同国人のアンヘル・ヘルナンデスに5回KO勝ち)との統一戦について聞かれ、平仲は「あの人は僕の師匠だから、神さまみたいな人だから、戦う気はない」に応じて。ドクター・パチェコは「これは初めてだ。敬服し過ぎるから戦いたくないって」(笑)「このワールドワン(世界人)の次はどうする?」微笑むドン・キングは「この男は本当に強い。カミカゼ戦士だ」と得意気だった。ただ平仲が「東京出身」(沖縄出身)と紹介され、テレビの掲示板でも「東京」となっていた(アメリカらしいいいかげんさ)。平仲(日大出身)は、沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。南部農林高校時代、高校選手権優勝(同じ大会で、新垣論(沖縄水産(糸満市出身)=浜田剛(史)(沖縄県中頭郡中城村出身=高校選手権王者)も同校出身)も優勝=決勝でサウスポー対決、玉熊幸人(青森商業=後の世界王者レパード・玉熊)を破った)。
(2)、1993年1月30日 J・ウェルター級ノンタイトル10回戦 エドウィン・ロサリオ(42勝(37KO)5敗)VSフランキー・ランドール(45勝(36KO)2敗1分)テネシー州メンフィス
ー約8年ぶりの再戦となったが、ランドールが7回TKO勝ち。ロサリオは、平仲に負けて王座転落後の再起戦はノックアウト勝ち。「年月はカリブの天才パンチャーに老いを、ランドールには円熟味を与えていた」(ボクシングマガジン)。ランドール(ロサリオに初黒星を喫して以来、1分けをはさみ、8連勝(7KO))はプリモ・ラモス(アメリカ)によもやの2回KO負け以降、地味な存在となってしまう(麻薬関連でム所暮らし=ブランクも作った)。ともあれロサリオの衰えが目立った。それでも2回にダウンの応酬があった。ランドール(ラモス戦後、14連勝(11KO)中)は右ストレートのカウンターを叩き込み、最初のダウンを奪う(ロサリオはすでに右目の下が腫れていた)。しかしラウンド終了間際、往年を彷彿させる豪快な右をカウンターで炸裂させ、痛烈なダウンを奪い返す。完全にグロッキーのランドールは、辛うじて立ち上りゴングに救われた。チャンスを逃したロサリオは、徐々に後手に回り。7回、連打を浴びストップされる(腫れあがった顔面が痛々しかった)。ランドール(ドン・キングと契約し、再び脚光を浴びた感じ)は、この後チャべスの連勝を「87」でストップ。ダウンを奪い、判定でタイトル奪取。初黒星を与える殊勲を記録する。再戦も優勢だったが、負傷判定負け。王座転落(ながらWBA王者コッジから4度のダウンを奪い、タイトルを強奪する)。


(1)、1985年7月7日 WBC世界J・ライト(スーパーフェザー)級タイトルマッチ 王者フリオ・セサール・チャべス(44連勝(38KO)無敗)VS挑戦者ロジャー・メイウェザー(アメリカ+21勝(14KO)2敗=59勝(35KO)13敗)ラスベガス
ーチャべスが強さを発揮。難敵前王者メイウェザーに2回KO勝ちで、2度目の防衛に成功。初回、プレッシャーをかけるチャべスの出鼻に、メイウェザーは鋭いジャブを突き刺し。矢のようなワンツーを放つ。2回は再三得意の右ストレートを叩き込んだが若きチャべスは迫力満点。たちまち2度ダウンを奪い、グロッキーのメイウェザーをストップした。
(2)、1985年8月10日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者ホセ・ルイス・ラミレス(90勝(75KO)5敗)VS挑戦者前J・ライト級王者へクター・カマチョ(26連勝(15KO)無敗)ラスベガス
ーサウスポー対決は、カマチョが12回判定勝ちで新王者に就く。2階級制覇に成功。3回にダウンを奪われたラミレスは、カマチョのスピードに翻弄され空回り。ただこの1戦辺りから、カマチョの「安全運転」が目立ちはじめた。中盤から危険を避け、足を使って旋回。消極的に下がってばかり。


(1)、1986年9月26日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者へクター・カマチョ(29連勝(15KO)無敗)VS挑戦者前WBC世界J・ライト級王者コーネリアス・ボザ・エドワーズ(ウガンダ(モントリオール五輪代表)+44勝(33KO)5敗1分=45勝(34KO)7敗1分)マイアミ
ーロサリオVSブランブル戦の後、ダブルメインだった試合。サウスポー対決は、カマチョが初回にダウンを奪い。大差の判定勝ちでエドワーズを退けた。カマチョは開始早々、エドワーズをスピードで圧倒。たちまちダウンを奪う。ながらスロースターターのエドワーズは徐々に調子を上げ、逆にカマチョは打ち合いを避け、消極戦法(中盤からは、激しいブーイングが巻き起こっていた)。カマチョはこの当時3階級制覇を目指し、さかんに「浜田とやりたい」と言っていた。この試合後のインタビューでも「次は日本に行って、J・ウェルター級タイトルをとってくる」(ロサリオとの再戦について聞かれ)「今は、日本の男(浜田)が俺を待っている」といきまいていた。カマチョの試合をはじめてビデオ鑑賞したときの浜田の感想=「ふざけた奴ですね。クリンチしておいて、お客さんと話したり。あいつと戦ったらイライラしそう」。実際、浜田がアメリカでカマチョの挑戦を受けるところまで話は進んでいたらしい。けど実現しなかったのは残念です。
(2)、1987年5月2日 ノンタイトル10回戦 WBC世界ライト級王者へクター・カマチョ(30連勝(15KO)無敗)VSハワード・デービス・ジュニア(29勝(12KO)3敗1分)アトランティック・シティー
ーカマチョが10回判定勝ち。「逃げずに戦う」の公言どおり、再びスピードでデービスを圧倒したが、中盤からまた「安全運転」。ジャブを突いて旋回するばかり。デービス(すでに全盛期は過ぎていた)はすばしっこく、小回りで勝るカマチョをとらえられず。


(1)、1988年10月29日 世界ライト級王者統一戦 WBA王者フリオ・セサール・チャべス(61連勝(54KO)無敗)VSWBC王者ホセ・ルイス・ラミレス(101勝(82KO)6敗)ラスベガス
ーチャべスが11回負傷判定勝ち。王座統一成る。時々チャべスの強打が炸裂したが、ラミレスはタフ。チャべスも深追いせず。バッティングによるラミレスの額からの出血は激しく、試合はストップされた。解説は当時タイソンのトレーナーだったケビン・ルーニー(途中からタイソンも加わった)。「チャべスはラミレスに敬意を払いすぎてる」と何度も繰り返していた。
(2)、1989年5月13日 WBC世界J・ウェルター級タイトルマッチ 王者ロジャー・メイウェザー(34勝(20KO)5敗)VS挑戦者世界ライト級王者フリオ・セサール・チャべス(62連勝(54KO)無敗)ロスアンゼルス
ーチャべスが10回にメイウェザーをストップ。3階級制覇達成。展開はほぼ第1戦と同じ。メイウェザーがジャブからワンツーを放ち、チャべスはひたすらプレッシャーをかける。前半はメイウェザーの右ストレートがたびたび命中した。チャべスは執拗に追い続け、ようやく後半にとらえた。 


(1)、1987年10月10日 WBC世界ライト級タイトルマッチ 王者ホセ・ルイス・ラミレス(98勝(80KO)6敗)VS挑戦者コーネリアス・ボザ・エドワーズ(45勝(35KO)6敗1分)フランス・パリ
ーチャべスが返上して空位となった王座決定戦に勝ち。帰り咲いたラミレス。サウスポー対決は、ラミレスが5回にエドワーズをノックアウト。初回から激しいパンチの交換がみられた。しかしエドワーズのパンチはほとんど当らず、ラミレスの強打がたびたび命中。完敗だったエドワーズのラスト・ファイトとなる(引退後はトレーナーとなった)。
(2)、1990年3月24日 WBA世界J・ウェルター(スーパーライト)級タイトルマッチ 王者ファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン+43勝(27KO)2敗=75勝(44KO)5敗2分)VS挑戦者ホセ・ルイス・ラミレス(102勝(82KO)8敗)イタリア
ー再びサウスポー対決。コッジが12回判定勝ちで防衛に成功。もう最晩年だったラミレスのラストファイト。




(1)、1974年5月24日 世界フェザー級ランカー対決 ダ二ー・ロペス(アメリカ+23連勝(22KO)無敗=42勝(39KO)6敗)VS故ボビー・チャコン(アメリカ+23勝(21KO)1敗=59勝(47KO)7敗1分)ロスアンゼルス
ーチャコンが9回に無敗のロペスをKOでやぶり、初黒星をなすりつけた。チャコンはオリバレスに初黒星を喫して以来、4連続KO勝ち中。この敗北からロペスはスランプに入る(1、日本の豊島政直(6連続初回KO勝ちの記録保持)とダウン応酬の末、辛うじて3回に逆転KO勝ち2、おなじくシゲ・福山に9回KO負け3、オクタビオ・ゴメス(メキシコ+日本で薬師寺に挑戦し、判定負けしたクアテモクのおやじ)に判定負け)。チャコン(★追悼★2016年に死去=享年64歳)は元王者の故アルフレド・マルカノ(ベネズエラ)と空位のWBCタイトル決定戦で9回KO勝ち。再びオリバレス(メキシコ)に2回KO負けでタイトルを失うまで7連続KO勝ち。なおチャコンは福山にKO勝ちしている。加えてこのチャコン(現在はパンチドランカー)も、残念ながら「夫婦間(家庭内)暴力」がひどい男だった。前妻が自殺してしばらくして、再婚した新妻の女性を殴り逮捕されたこともある(写真をみたけど、むごたらしく腫れあがった顔。痛ましい限りだった)。
(2)、1974年9月19日 フェザー級ノンタイトル10回戦 ダニー・ロペス(24勝(23KO)1敗)VSシゲ・福山(23勝(13KO)10敗3分=27勝(20KO)17敗3分)ロスアンゼルス
ー福山が9回にロペスをKOする殊勲。一進一退の激戦、すさまじい打ち合いだった。
(3)、1975年12月4日 世界フェザー級ランカー対決 元2階級王者ルーベン・オリバレス(80勝(73KO)7敗1分=89勝(79KO)13敗3分)VSダ二ー・ロペス(27勝(26KO)3敗)ロスアンゼルス
ーロペスが7回にオリバレスをノックアウト。ロペスはゴメスに負けてから4連続KO勝ち。その4戦後にガーナのデビッド・コティに15回判定勝ち(再戦も(2度目の防衛戦)6回KO勝ちで返り討ち)で念願の王座に就く。



(1)、1976年11月6日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者デビッド・コティ(34勝(21KO)2敗2分=49勝(31KO)8敗3分)VS挑戦者ダ二ー・ロペス(31勝(29KO)3敗)ガーナ首都アクラ
ーロペスが15回判定勝ち。新王者に就いた。ロペスは3連敗を喫した後、強敵ばかり相手に7連続KO勝ち中(スランプを克服し、たくましくなった)。コティはオリバレスからタイトルを奪い(15回判定勝ち)、2度目の防衛戦では、同じく首都アクラにおいてフリッパー・上原(本名上原晴治・興南高+日大全日本選手権優勝(兄康恒(ライト・ウェルター級)も優勝=兄弟王冠+13勝(4KO)5敗1分)の挑戦を11回TKOで退け(上原(日本王者)は地元沖縄那覇で、WBA王者オルテガ(パナマ)に挑戦し15回判定負け=ラストファイト)、さらに次戦で来日。福山を3回にノックアウトし防衛に成功(福山は2回にダウンを奪われた際、足を骨折してしまう不幸なアクシデントに見舞われた)。
(2)、1978年2月15日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ダ二ー・ロペス(35勝(33KO)3敗)VS前王者デビッド・コティ(38勝(23KO)3敗2分)ラスベガス
ーロペスが6回TKO勝ちで2度目の防衛に成功。豪快なダウンを奪ったロペスは、なんとか立ちあがりながらもフラフラのコティを滅多打ちにしてストップした。快勝。全盛期のロペスは強かった。
(3)、1979年9月25日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ダ二ー・ロペス(41勝(38KO)3敗)VS挑戦者ホセ・カバ(ドミニカ+11勝(9KO)1敗=28勝(20KO)6敗1分)ロスアンゼルス
ーロペスがカバに3回KO勝ち。7度目の防衛に成功。ロペスのベストファイトのひとつ。なお、カバは後にWBA王者故ペドロサ(パナマ=19度防衛(ロイヤル・小林(13回TKO負け)+スパイダー・根本(判定負け))+2019年3月に死去(享年62歳))に挑戦したが、判定で敗れている。


(1)、1980年2月2日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ダ二ー・ロペス(42勝(39KO)3敗)VS挑戦者故サルバドル・サンチェス(メキシコ+33勝(27KO)1敗1分=44勝(32KO)1敗1分)アリゾナ州フェニックス
ー新旧交代。20歳の若武者サンチェスが13回TKO勝ちで新王者となる。以後、サンチェスは死去までこのタイトルを9度(4KO)防衛した。
(2)、1980年6月2日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者サルバドル・サンチェス(35勝(28KO)1敗1分)VS挑戦者前王者ダニー・ロペス(42勝(39KO)4敗)ラスベガス
ーサンチェスが14回TKO勝ち。ロペスはタイトル奪回と雪辱ならず。2人とも米大陸原住民の伝統的いでたちだったのが印象深かった。サンチェスはアステカ族の末裔(多くのメキシコ人)。方やロペス(メキシコ人とアイルランド人の血も流れる)はアメリカのユタ州インディアン居留地生まれ(原住民系であることに誇りを持っていた)。


(1)、1981年3月8日 WBC世界J・ライト級タイトルマッチ 王者ラファエル・リモン(メキシコ+47勝(35KO)10敗2分=53勝(38KO)23敗2分)VS挑戦者コーネリアス・ボザ・エドワーズ(29勝(24KO)2敗)カリフォルニア州ストックトン
ーエドワーズが5回にダウンを奪った末、15回判定で圧勝。戴冠した。リモンは初防衛に失敗。
(2)、1981年5月30日 WBC世界J・ライト級タイトルマッチ 王者コーネリアス・ボザ・エドワーズ(30勝(24KO)2敗)VS挑戦者ボビー・チャコン(45勝(39KO)5敗1分)ラスベガス
ーエドワーズがチャコンを圧倒。14回にストップし初防衛に成功した。この当時のエドワーズは強くて安定していた。


(1)、1982年12月11日 WBC世界J・ウェルター級タイトルマッチ 王者ラファエル・リモン(50勝(37KO)11敗2分)VS挑戦者ボビー・チャコン(50勝(42KO)6敗1分)カリフォルニア州サクラメント
ーチャコンが2度ダウンを奪われながらも最終回に倒し返し、15回判定勝ちで新王者に就いた。リモンはナバレッテ(フィリピン)を12回KOで破り、奪回した王座の初防衛に失敗。以前、ノンタイトル戦で10回判定負けしたチャコンへの雪辱が果たせなかった。この両者の場合も相性が大きく作用したかもしれない。
(2)、1983年5月15日 ノンタイトル12回戦 WBC世界J・ウェルター級王者ボビー・チャコン(51勝(42KO)6敗1分)VS世界1位コーネリアス・ボザ・エドワーズ(38勝(31KO)3敗)ラスベガス
ーノンタイトルとはいえ、事実上の頂上決戦。チャコンが判定勝ちで雪辱。壮烈な乱打戦。最終回にダウンを奪ったチャコンは難敵を撃退。試合前の予想は圧倒的にエドワーズ有利だった。


(1)、1994年9月17日 IBF世界ウェルター級タイトルマッチ 王者フェリックス・トリニダード(プエルトリコ+23連勝(19KO)無敗=42勝(35KO)3敗)VS挑戦者ヨリボーイ・カンパス(メキシコ+56連勝(50KO)無敗=107勝(82KO)17敗3分)ラスベガス
ー無敗対決はトリニダードが4回に逆転TKO勝ち。’チャべス2世’の期待が高かったカンパス。2回に左フックを顎に叩き込み、先制のダウンを奪う。しかし徐々にトリニダードの豪打が炸裂しはじめ、爆発した。ストップは強烈。カンパスは初黒星。「ヨリボーイ」とは原住民語で「白い少年」という意味。本名はLuis Ramon Campas(ルイス・ラモン・カンパス)。インディアン(インディオ)居住区で育ったカンパス(むろん原住民の血を引く)は、周りの原住民たち(もっと肌の色が濃い)にそう呼ばれていた。
(2)、1996年10月6日 WBO世界ウェルター級タイトルマッチ 王者ホセ・ルイス・ロペス(メキシコ+37勝(28KO)3敗1分=51勝(39KO)5敗2分)VS挑戦者ヨリボーイ・カンパス(64勝(57KO)1敗)ロスアンゼルス
ーロペスが2回にダウンを奪った末に、6回終了TKOで圧勝。試合放棄したカンパスは、2度目の世界挑戦も実らなかった。試合前の予想は、カンパス有利(ロペスはそれほど知られていなかった)。↑のトリニダード戦に続き、カンパスは得意とするボディーブローをロペスに封じられた(ロペスの評価は一気に高揚。うなぎのぼりとなる)。ロペスをはじめてみたのは、確かこの1~2戦後。ノンタイトル戦、2回KO勝ちだったけど、ほれぼれするような見事なノックアウトに驚いてしまった(すごい選手がいたんだな)。バランス、打ち方もすばらしいし、当てるのがうまい(防御もしっかりしていて+パンチも強い)。


(1)、1997年10月17日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ 王者アイク・クォーティー(ソウル五輪ガーナ代表(50勝4敗)+34連勝(29KO)無敗=37勝(32KO)4敗1分)VS挑戦者前WBO王者(ドーピング検査でマリファナ検出=剥奪)ホセ・ルイス・ロペス(39勝(30KO)3敗1分)コネチカット州フォックス・リゾート
ークォーティーが2度のダウンを喫し、薄氷の引き分け防衛。大苦戦だった。ロペスは前評判にたがわぬ強さを披露(自信満々だった)。当初は2-0でクォーティーの勝ちと放送されたが、後に集計ミスが発覚(結果は1-0の引き分け)。クォーティーは試合を通じて、左ジャブ1本に徹した(試合前、風邪を引いて体調を崩していたそう)。ロペスは2回に右クロスカウンターを炸裂させ、ダウンを奪う。11回も同じパンチが命中し痛烈なダウンを追加(クォーティーはグロッキーだった)。2-0の判定が下るや、勝利を確信していたロペスは、呆然としていた。そしてWOWOW放送で小泉氏が指摘していたとおり、クォーティーはこの一戦で弱点を露呈した(あまりに強引過ぎる)。王者たちは防衛を重ねるうちに、だんだん研究されて行く。クォーティーの場合は、固いガードの上をどんどん打たれる。ブロックしているとはいえ、そうすると攻防分離になりあまり連打が出なくなる。バズーカ・ジャブだけで終わってしまう傾向(カー、バルガス戦も似たような展開だった)。
(2)、1998年12月5日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ 王者ジェームズ・ペイジ(アメリカ+22勝(19KO)3敗)VS挑戦者ホセ・ルイス・ロペス(42勝(33KO)3敗2分)アトランティック・シティー
ーペイジが判定勝ちで防衛に成功。ロペスは3回と9回(こちらはスリップ)にダウンを奪いながらも敗れた。強打荒れ狂う大激戦だった。試合前の予想はロペス有利。ペイジはウィテカーが返上し空位となった王座をペストラーエフ(バルセロナ五輪ロシア代表+ウィテカーに挑戦し、2-1の判定負けで惜敗)とフランス首都パリにて争い、戦慄の2回ノックアウト(右一発でしとめた)で沈めて戴冠したタイトルの初防衛に成功。ベストファイトのひとつ、難敵を退けた。4回終了間際再びロペスはダウン寸前に追い込む。けど5回からペイジは猛反攻(しかしロペスはペイジのベストパンチを食ってもびくともしなかった)。ペイジは「あんなに打ったのははじめて」とロペスのタフネスを賞讃し、ロペスも「調子はもうひとつだった。この試合はペイジの勝ちだ」と負けを認めた。



(1)、1997年12月6日 IBF世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者ラウル・マルケス(アメリカ+世界選手権(89年モスクワ大会)銅メダル+バルセロナ五輪代表+27連勝(21KO)無敗=41勝(29KO)4敗1分)VS挑戦者ヨリボーイ・カンパス(68勝(59KO)2敗)ニュージャージー州アトランティック・シティー
ーカンパスが8回TKO勝ちでタイトル獲得。念願の新王者に就いた。マルケスは初防衛ならず。瞼の腫れがひどく、両目ともほぼふさがってしまったマルケスはストップされてしまう。前半はサウスポーのマルケスが再三好打を命中させ、優勢だった(カンパスは防御がやや甘い。よくパンチを食う)。ながらもカンパスは徐々にプレッシャーを強め、得意のボディーブローから上へ返す。中盤からワンサイドの展開となった。
(2)、1998年12月12日 IBF世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者ヨリボーイ・カンパス(72勝(63KO)2敗)VS挑戦者フェルナンド・バルガス(アメリカ+アトランタ五輪代表(100勝5敗)+14連勝(14KO)無敗=26勝(22KO)5敗)ニュージャージー州アトランティック・シティー
ーバルガス(’アステカの戦士’の異名)が7回TKO勝ちでタイトル強奪(口からの出血が激しいカンパスは試合放棄)。カンパスは4度目の防衛に失敗。バルガスは鋭い左ジャブを突き、随所に強烈な連打を叩き込みカンパスを圧倒。中盤、カンパスはボディーブローを連発し攻勢に出たが、全般的にパンチはあまり当らなかった。若武者バルガスの見事な勝利。
(3)、2003年5月3日 WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 王者オスカー・デラホーヤ(アメリカ+世界選手権(91年シドニー大会)銀メダル・バルセロナ五輪優勝金メダル(234勝6敗)+35勝(28KO)2敗(1、トリニダードとの統一戦(無敗対決)で判定負け(初黒星)2、ライト級王者無敗のモズリー(34連勝(32KO)無敗)に判定負けで王座転落(再戦も判定負け)=39勝(30KO)6敗)VS挑戦者前IBF王者ヨリボーイ・カンパス(80勝(68KO)5敗)ネバタ州ラスベガス
ーデラホーヤが7回TKO勝ち(終了間際、カンパスのコーナーからタオルが投入された)。序盤戦はカンパスのパンチも結構あたっていた。とはいえ最後はワンサイド。デラホーヤは打ちまくった。


(1)、2000年12月2日 世界スーパーウェルター級王座統一戦 WBC王者フェリックス・トリニダード(37連勝(31KO)無敗)VSIBF王者フェルナンド・バルガス(20連勝(18KO)無敗)ネバダ州ラスベガス
ー世紀の一戦+白熱の好ファイト。↓の試合も含めて、むろんファイトマネーは両者とも、10億円単位。トリニダードが最終12回に3度ダウンを追加し、バルガスをノックアウト。見事、王座統一に成功した。初回開始直後、左フックからチャンスをつかんだトリニダードは猛攻。バルガスはダウン。立ちあがったところへまた左フックが命中し2度目のダウンを奪う。バルガスはよく持ちこたえた。4回はダウンを奪い返す。トリニダードがやや優勢のまま後半にもつれこむ。バルガスは痛恨の初黒星。
(2)、2002年9月14日 世界スーパーウェルター級王座統一戦 WBC王者オスカー・デラホーヤ(34勝(27KO)2敗)VS挑戦者WBA王者フェルナンド・バルガス(22勝(20KO)1敗)ネバダ州ラスベガス
ー再びスーパーファイト。デラホーヤが11回KO勝ちで統一を達成。デラホーヤはWBC王者スペインのハビエル・カスティリェホに判定勝ちで戴冠。一方バルガスは空位のWBAタイトルをサウスポーのホセ・’シバタ’・フローレス(カンパスと同じ地域出身の原住民系+英雄故サルディバルを破った柴田国明を尊敬し命名)と争い、7回TKO勝ち。この試合に臨みバルガスは肉体改造に励んだ。ひとまわり大きくなった体で現われたが、トリニダード戦までのストレート主体、きれいなスタイルから強引に前へ出るスタイルへ変換(過去2戦も同じく)。ジャブもあまり出なくなった。それでも中盤までは互角。バルガスはよく戦ったが、デラホーヤは臨機応変。完勝にあらためて感服、見直した。
https://boxrec.com/誤解を避けるため⇒ボクサーの戦績や年代、日時及び試合の開催場所などなど、むろん全てを「暗記」しているわけではありません(そんなご大層な「記憶力」は持ち合わせていないのが実態)。↑に頼ってます(できるだけ正確を期していますが、KO数など若干の隔たりがあるはず=ご了承を)+ アマ時代についてはWiki&選手の名前と以下でGoogleクリック=大抵でてきます⇒例:Oscar De La Hoya amateur record= 再び「21世紀」ネット時代に感謝☆ サミー

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