日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Pueblos latinos라틴 민족Latin peoples☆Azteca Warriors☆권투El boxeo(拳鬪) Civilización mexica Viva México! 【Из Канада с любовьюカナダより愛をこめて‎】La Internacional (Español)Chao Mis Amigos!2021/10/20


*멕시코인(스페인어: Mexicanos (개인), Pueblo mexicano (집단), 영어: Mexican people)은 멕시코 국적을 취득한 중앙아메리카인이다.

アステカ(Azteca、古典ナワトル語(英語版): Aztēcah)は、1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。メシカ(古典ナワトル語: mēxihcah メーシッカッ)、アコルワ、テパネカの3集団の同盟によって支配され、時とともにメシカがその中心となった。言語は古典ナワトル語(ナワトル語)。
*라틴 민족(영어: Latin peoples) 또는 로망스족(영어: Romance peoples)은 고대 라틴어 유래한 로망스어군 언어를 사용한 인종 집단의 총칭이다. 주로 남유럽에 분포하고 있다. 또한 라틴 아메리카에서 스페인어, 포르투갈어를 모국어로 하는 사람들도 포함하는 개념이다.


(1)1990年6月2日 WBC世界フェザー級王座決定戦 1位ポール・ホドキンソン(イギリス・17勝(17KO)無敗1分⇒22勝(21KO)3敗1分)VS2位マルコス・ビジャサナ(メキシコ・49勝(43KO)7敗3分⇒55勝(47KO)8敗3分)イギリス・マンチェスター
ー’人間風車’の異名を持つ実力者。古豪ビジャサナ(グアテマラ出身)が敵地にて、無敗の連続KO勝ち中だったホープ。豪打のホドキンソンを8回にKO。新王者に就く。激しい打撃戦、一進一退の攻防が忘れられない。ビジャサナはこれまで合計4度世界に挑戦(① アズマー・ネルソンAzumah Nelson(ガーナ)のWBCタイトルに2度=双方判定負け②アントニオ・エスパラゴサAntonio Esparragoza(ベネズエラ+来日し、杉谷満Mitsuru Sugiya(北海道出身)に10回KO勝ち)のWBAタイトル=12回引き分け③ジェフ・フェネックJeff Fenech(豪州)のWBCタイトル=判定負け )していた。加えてノンタイトル戦において元WBCスーパーバンタム級王者、ロードバック中の戦慄スラッガーハイメ・ガルサJaime Garza(アメリカ)を5回にノックアウト。ようやく宿願のタイトルを獲得した。
(2)1991年11月13日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者マルコス・ビジャサナ(54勝(46KO)7敗3分)VS挑戦者ポール・ホドキンソン(18勝(18KO)1敗1分)イギリス・メイフィールド
ー再び挑戦者の地元における一戦。今度はホドキンソンが終始王者をロープに詰め、連打を浴びせ雪辱。大差の判定勝ち。新王者となる。ビジャサナは4度目の防衛に失敗した。

*Deutschドイツ語⇒Paul Hodkinson (* 14. September 1965 in Liverpool, England) ist ein ehemaliger englischer Profiboxer und WBC-Weltmeister im Federgewicht.
*Françaisフランス語→Marcos Villasana est un boxeur mexicain né le 11 juin 1960 à San José, Guatemala.


(3)1993年4月28日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ポール・ホドキンソン(22勝(21KO)1敗1分)VS挑戦者グレゴリオ・’ゴーヨ’・バルガス(メキシコ・27勝(18KO)3敗1分⇒45勝(31KO)9敗1分)アイルランド・ダブリン
ー新鋭バルガス(まだ世界的には無名)が敵地において、7回に王者ホドキンソンから2度のダウンを奪いストップ勝ち。タイトルを強奪した。弱冠21歳とは思えぬ英才バルガスの完成ぶり。攻防兼備のボクシングは見事だった。バルガスのトレーナーは日本にも馴染みが深い「ロープ際の魔術師」「無冠の帝王」と呼ばれた故ジョー・メデルJose Medel(日本は「第二の故郷」だった⇒ラストファイトも東京水道橋の「後楽園ホール」にて、デビュー以来無敗の9連勝(8KO)中だった期待のホープ
(後のWBCJ・フェザー級王者)故ロイヤル・小林Royal Kobayashi (熊本県出身・ミュンヘン五輪代表)に6回TKO負け)。
*Françaisフランス語→Gregorio Vargas est un boxeur mexicain né le 27 octobre 1970 à Santa Maria Nativitas.
*ジョー・メデル(ホセ・メデル、Jose Medel、男性、1938年3月19日 - 2001年1月31日)は、メキシコの元プロボクサー。メキシコシティ出身。最高位は世界バンタム級1位。
(2)1993年12月4日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者グレゴリオ・バルガス(29勝(20KO)3敗1分)VS挑戦者ケビン・ケリー(アメリカ・アマニューヨーク州ゴールデングローブ制覇(70勝5敗)36連勝(26KO)無敗⇒60勝(39KO)10敗2分)ネバダ州リノ
ー大接戦だったが(僅差=バルガスの勝ちでもおかしくなかった)、無敗のサウスポーケリーが9回にダウンを奪われながらもスピードでバルガスを圧倒。12回判定勝ちで王座獲得。アメリカ初登場(HBO放送なので解説はジョージ・フォアマンGeorge Foreman)のバルガスは初防衛に失敗。入場時、ケリーは厳しい表情に鋭い眼光。覇気がみなぎっていた。一方、バルガスは黒のガウンに黒のカーボーイハットをかぶり余裕しゃくしゃく(自信満々の笑みを浮かべ、悠然と構えていた=↑には含まれていないのが残念)。高度な技術に彩られた緊迫した内容とはいえ、ケリーはバルガスが最も苦手とするタイプだったといえるかもしれない。ケリーは素早く出入り、速くて切れのあるパンチを連続してまとめる。バルガスはその都度打ち返すが、すでにケリーは射程外に去っている(’半テンポ’遅れ、動きについていけない感じ)。バルガスは中盤からようやくケリーをとらえ、ロープに詰めて連打を叩き込むも挑戦者は有効なカウンターで応戦。全般的には、空回りさせられた展開。最終回、両選手とも雌雄を決する勝負に出た。白熱した打ち合いとなるも、バルガスの右目はほぼ塞がり、アザも痛々しかった。大ファンのバルガスを応援していたので、いまだに悔しい(笑)。次の試合で一階級上のIBFスーパーフェザー級王者「前回のケリーよりは力を出せる相手だと思いますよ(浜田氏)」ジョン・ジョン・モリナJohn John Molina(プエルトリコ「パンチ出しまくる突貫ファイター(小泉氏)」)に挑戦するが、文句なしの判定負けを喫してしまう「う~んバルガス~、本当にこのままに終らせたくない選手ではあるんですけどね。こういった流れのボクシングだけしてると終ってしまいますからね(浜田氏)」それから11勝( 8KO(元WBC王者トレーシー・ハリス・パターソンTracy Harris Patterson(アメリカ(バルガスは力を存分に出せ、真骨頂が発揮できた試合)+故フロイド・パターソンの養子)に6回TKO勝ち=マイナーながらIBAフェザー級タイトル獲得も含む)1敗(後のIBFフェザー級王者カルロス・エルナンデスCarlos Hernandez(アメリカ+↓で紹介するエリック・モラレスErik Morales(メキシコ)に判定負けで転落)に判定負け)の好成績を残し、フロイド・メイウェザー・ジュニアFloyd Mayweather Jrが持つWBCスーパーフェザー級王座に挑戦するがダウンを奪われ、大差の判定負け(これまた相手が悪過ぎた(+さらにケリー同様、バルガスとは相性が悪い超特急のスピードスター)といえる)。もっともっと活躍して欲しかった選手です。
*Русскийロシア語⇒Кевин Келли (англ. Kevin Kelley; 29 июня 1967, Бруклин, Нью-Йорк, США) — американский боксёр-профессионал, выступавший в полулёгкой и 2-й полулёгкой весовых категориях. Чемпион мира в полулёгкой (версия WBC, 1993—1995) весовой категории.



(1)1994年4月6日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ケビン・ケリー(37連勝(26KO)無敗)VS挑戦者ジェシー・べナビデス(アメリカ・アマ全米ゴールデングローブ制覇・ワールドカップ(83年ローマ大会)代表・ロス五輪代表選考国内予選出場(320勝20敗)37勝(25KO)3敗1分⇒40勝(25KO)5敗1分)ニュージャージー州アトランティックシティ
ーケリーが無難な12回判定勝ちで初防衛に成功した(KOこそできなかったが圧勝)。元エリート中のエリート、トップアマだったサウスポーのべナビデスは3度目(①デューク・マッケンジー Duke McKenzie(イギリス・黒人)のWBOスーパーバンタム級タイトルに挑戦し判定負け②トレーシー・ハリス・パターソンのWBCスーパーバンタム級王座に挑んだが判定負け)となった世界王座挑戦も実らず(すでに全盛期は過ぎていた)。この後、↓で紹介するバレラMarco Antonio BarreraのWBOタイトルにも挑戦するが3回KO負け(ラストファイト)。鳴り物入りでプロ入りしたべナビデスはデビュー以来22連勝(16KO)。アメリカにいた88年7月、ホープ対決で後の世界王者ペドロ・デシマPedro Decima(アルゼンチン)にワンサイドの3回TKO負け(3度ダウンを奪われた)。惨敗した試合は鮮明に覚えている(デシマ(同じく元アマエリートだったロバート・シャノンRobert Shannon(モスクワ・ロス五輪米代表・サウスポー)にも4回TKO勝ち=この試合もアメリカで見ました) は91年に来日。挑戦者の地元名古屋で畑中清詞Kiyoshi Hatanaka(愛知県出身)に8回KO負けし、王座転落)。
*Jesse Benavides (born November 8, 1963 in Corpus Christi, Texas) is an American former professional boxer. His professional boxing record was 40–5–1.
(2)1995年1月7日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者ケビン・ケリー(41連勝(29KO)無敗)VS挑戦者アレハンドロ・ゴンザレス(メキシコ・34勝(22KO)2敗⇒49勝(33KO)5敗1分)テキサス州サンアントニオ
ー強打の童顔ゴンザレス(’La Cobrinaコブリータ(小さなコブラ)’のニックネーム)が、無敗の王者に10回終了TKO勝ち。颯爽と戴冠した。ケリーの初黒星、連勝ストップ。ケリーは3度目の防衛戦だった(2度目は強打のホセ・ヴィダ・ラモスJose Vida Ramos(ドミニカ)に2回TKO勝ち。さらにノンタイトルながらカムバック中の強敵。元上位ランカーだった変幻自在、’ゴーゴーGo‐Go’ジョージ・ナバロGeorgie Navarro(アメリカ+ジェフ・フェネックに挑戦し5回TKO負け)に6回TKO勝ちも含む)ゴンザレスはケリーのスピードに突進と手数で対抗。お構えなしに常に前へ出て、破壊力満点の攻撃で肉迫。ケリーも絶好調だったので歴史に残る名勝負となった。ゴンザレスは6回終了間際に痛烈なダウンを奪う(ダメージは深かった)。しかしケリーは8回にダウンを奪い返す。ながらも10回終了寸前に再びゴンザレスはロープに詰め、猛烈な連打で滅多打ちにする。ケリーの両目は腫れが悪化、ほとんど塞がっていた。インターバル中にセコンドが「You can't see?見えないのか?The fight is over終わりだThere is always a tomorrowいつでも明日がある」と棄権を申し出る。とにかくゴンザレスのパワーはすさまじかった。ただひとつの欠点は別のページで語ったよう、「天才」が故の自信過剰と練習嫌い。ムラッ気につきると思う。2度目の防衛戦において同国人の伏兵マニュエル・メディナManuel Medinaに判定負け。呆気なく王座を手放した。そして周知のとおり、日本でそのメディナからタイトルを奪った一度KO勝ちしている新王者ルイシト(小泉)エスピノサLuisito Espinos(フィリピン)に地元で4回ノックアウト負けの完敗(リングサイドでは前王者バルガスが観戦。同胞ゴンザレスに声援を送っていた)。王座復帰はならなかった。晩年、こちらもとっくに全盛期は過ぎていた元WBCライト級王者スティーブ・ジョンストンStevie Johnston(アメリカ(サウスポー)黒人+来日し坂本博之Hiroyuki Sakamoto(福岡県出身)の挑戦を判定で退けた)と戦い、往年の面影なく12回判定負けを喫している。またケリーもこの敗北以降、峠を越えてしまった様子である。
*Deutschドイツ語⇒Alejandro González (* 11. August 1973 in Guadalajara, Jalisco, Mexiko) ist ein ehemaliger mexikanischer Boxer im Federgewicht. Er wurde von Pedor Pietro gemanagt und von Javier Capetillo trainiert.


(1)1996年2月3日 WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチ 王者マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ・アマ104勝4敗(デビュー以来56連勝の記録保持)39連勝(27KO)無敗⇒67勝(44KO)7敗1NC)VS挑戦者前IBF王者ケネディー・マッキニー(アメリカ・ソウル五輪優勝金メダル(214勝13敗)28勝(13KO)1敗1分⇒36勝(19KO)6敗1分)カリフォルニア州イングルウッド
ー若武者バレラ(ニックネームは"Baby Face Assassin童顔の暗殺者")が最終12回に難敵マッキニーをストップ。5度目(4KO)の防衛に成功した。チャンピオンバレラはそれまでに合計5度のダウンを奪いつつも、実力者マッキニーの技巧に大苦戦(展開と結末は異なるが王者故エドウィン・ロサリオEdwin "Chapo" Rosario(プエルトリコ・天才パンチャー)VS挑戦者ハワード・デービス・ジュニアHoward Davis Jr.(アメリカ・ロス五輪金)のライト級世界戦がダブった=ロサリオの判定勝ち)。解説はマッキニーの五輪代表チームメートだったロイ・ジョーンズ・ジュニアRoy Jones Jr.(4階級制覇・銀メダル)。マッキニーはウェルカム・ニシタWelcome Ncita(南ア)に11回逆転KO勝ちで奪ったIBF王座を、ブヤニ・ブングVuyani Bungu(南ア)に判定負けして陥落するまで5度防衛。試合前の記者会見時、マッキニーは興奮しており冗舌。罵声を浴びせながら盛んに王者を挑発。バレラはむろん英語が分からないとはいえ、とうとう堪忍袋の尾が切れた様子。一撃、右フックをお見舞いする。試合終了後、握手を求め笑顔で近寄ってきたマッキニーをバレラは無視(インタビューでこれについて聞かれ「彼は(公の席にて)メシキコ人ファンの前で私を侮辱したから、感情を害された」と答えていた)。だが、結局は挑戦者と握手し抱擁(スポーツマンらしいすがすがしさ)。敗れたマッキニーの手を挙げ健闘を称え合い。2人並んで、肩を組んだまま一緒にインタビューを受けた。
*Polskiポーランド語⇒Marco Antonio Barrera Tapia (urodzony 17 czerwca 1974 w Meksyku) – meksykański bokser. Jest siedmiokrotnym mistrzem świata w trzech kategoriach wagowych, pokonał 19 zawodników o tytuł.
*Italianoイタリア語⇒Kennedy McKinney (Hernando, 10 gennaio 1966) è un ex pugile statunitense.

(2)1997年9月6日 WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ 王者ダニエル・サラゴザ(メキシコ(弁護士志望の学生だった)モスクワ五輪代表(55勝4敗)55勝(28KO)8敗3分)VS挑戦者エリック・モラレス(メキシコ・アマ108勝6敗+26連勝(20KO)無敗⇒52勝(36KO)9敗)テキサス州エルパソ
ー新旧交代劇、豪打のホープ若きモラレスが最終回に2階級を制覇した歴戦のサウスポー。名王者サラゴザをノックアウト。新王者に就いた(サラゴザ(4度防衛中)のラストファイト)。モラレスの時代が幕開け。解説は同じくHBOアフターダークAFTER DARK(解説陣はみんな’カジュアルCasualな服装で登場する)放送の担当ロイ・ジョーンズ。サラゴザは周知のとおり、4度来日(①WBC王者畑中清詞に判定勝ち(タイトル奪回+畑中のラストファイト)②元WBCバンタム級王者辰吉丈一郎Joichiro Tatsuyoshi(岡山県出身)の挑戦を2度退けた(11回TKO勝ち・判定勝ち)③原田剛志Tsuyoshi Harada(大阪府出身+元東洋王者吹打龍Ryu Fukitaの甥)に7回TKO勝ちで防衛に成功)。サラゴザのトレーナーは世界有数の「名伯楽」と名高いイグナシオ・ナチョ・ベリスタインIgnacio "Nacho" Beristainだった。 空位のWBCバンタム級王座をフレディ・ジャクソンFreddie Jackson(アメリカ・黒人)に7回失格勝ちで奪取(初防衛戦においてミゲル・ロラ Miguel Lora.(コロンビア)に判定負けし転落)。そして空位のWBCタイトルを老いたりとはいえ元WBCバンタム級王者だった名選手カルロス・サラテCarlos Zárateと争い、10回TKO勝ち(サラテのラストファイト)。5度の防衛を果している(合計3度戴冠=通産11度防衛)。
*Españolスペイン語⇒Daniel Zaragoza (México, D. F., 11 de diciembre de 1957) es un exboxeador mexicano, campeón mundial de boxeo en las divisiones de Peso gallo y Peso supergallo en las décadas de 1980 y 1990. Es conocido como el "Zurdo de Tacubaya".
*Deutschドイツ語⇒Ignacio Beristain (* 31. Juli 1939 in Actopan, Veracruz, Mexiko) ist ein ehemaliger mexikanischer Boxer und aktueller Boxtrainer.
*エリック・モラレス(Erik Morales、1976年9月1日 - )は、メキシコのプロボクサー。ティフアナ出身。ニックネームはエル テリブレEl Terrible(恐怖の男"The Terrible")。


(1) 1996年11月22日 WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチ 王者マルコ・アントニオ・バレラ(43勝(31KO)無敗)VS挑戦者前WBAバンタム級王者ジュニア・ジョーンズ(アメリカ・アマ ニューヨーク州ゴールデングローブ2連覇(150勝9敗)42勝(26KO)2敗⇒50勝(28KO)6敗)フロリダ州タンパ
― バレラがまさかの初黒星。5回失格負けの大番狂わせで王座転落。’Poisonポイズン’(毒)の異名を持つ「軽量級のハーンズ」と呼ばれていたジョーンズが見事、2階級制覇を達成した。試合開始からジョーンズは果敢なストレート攻撃で王者をたじろがせる(バレラは反撃するが、距離が合っていなかった)。迎えた5回、ジョーンズは長くて鋭い右ストレートを炸裂させ、2度のダウンを奪う。そこでバレラのセコンドがリングに乱入したため失格となる(実質的にはノックアウト勝ち)。完敗だった。ジョーンズは無敗対決において王者ホルヘ・エリセール・フリオJorge Eliecer Julio(コロンビア・ソウル五輪銅「タツヨシは強いらしいね」)とダウン応酬の末、判定勝ちでバンタム級タイトルを獲得。初防衛戦はエルビス・アルバレスElvis Alvarez(コロンビア+日本でWBAフライ級王者レパード・玉熊Leopard Tamakuma(青森県出身)を判定で破り(サウスポー対決)タイトル奪回。玉熊のラストファイト)に大差の判定勝ち。しかし4回戦時代に判定勝ちしている伏兵ジョン・マイケル・ジョンソンJohn Michael Johnson(アメリカ)によもやの11回ストップ負け(すでに合計3度のダウンを奪われ、敗色濃厚だった)。痛恨の初黒星とともにタイトルを喪失した⇒「なんか前回のアルバレス戦辺りからこのおかしな’ダッキング’(かがみ込む形で頭を垂直に沈める)をするようになったんですよね(小泉氏)」(無防備な姿勢となり、そこを狙い打たれていた)「ジュニア・ジョーンズとすればもう、イチからやり直しですよね。これだけガード悪いんじゃ・・・だから、一番の欠点をつかれましたよね。接近されるとモロいという・・・イチからやり直しですね(浜田氏)」。再起戦でも無名の選手に3回KO負け。もうダメかと思ったながらその後、復調。元IBFバンタム級王者のオーランド・カニザレスOrlando Canizalesに12回判定勝ち(安定したボクシングを披露)。このタイトル戦に駒を進めた。
*Françaisフランス語→Junior Jones est un boxeur américain né le 19 décembre 1970 à Brooklyn, New York.
(2)1997年4月18日 再戦 ネバダ州ラスベガス
-僅差ながらジョーンズが3-0の判定勝ちで前王者を返り打ち(下馬評はバレラ有利だった)。雪辱ならなかったバレラ。試合後、判定に納得せず憤然としたまま、リングから降りなかった。この2人についても「相性」が大きく左右したように考えられる(今回も「距離」の違い及び「スピード」の差が重きをなした)。ジョーンズは一時のスランプ、低迷ぶりが嘘のような精悍さと円熟味を発揮(苦い挫折を糧にして成長した感がある)。スター街道まっしぐら、躍進中だった強い王者バレラにニタテを食らわし。案外このまま突っ走るかな、と期待していたのだが。ジョーンズのトレーナーは数々の著名選手を育てたトミー・ブルックスTommy Brooks、そして補助トレーナーは故ルゥ・デュバLou Duvaであった。

*Tommy Brooks (born June 6, 1954 in Knoxville, Tennessee) is a boxing trainer and a former boxer. He is best known as the trainer of Evander Holyfield.
*Polskiポーランド語⇒Lou Duva, właśc. Louis Duva (ur. 28 maja 1922 w Nowym Jorku, zm. 8 marca 2017 w Paterson) – amerykański trener boksu i menedżer pochodzenia włoskiego.


(1)1997年12月19日 WBO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 王者ジュニア・ジョーンズ(44勝(27KO)2敗)VS挑戦者ケネディ・マッキニー(32勝(19KO)3敗1分)ニューヨークMSG
ーアマ時代はライバルだった2人。プロでの対決はマッキニーが4回逆転TKO勝ち。予想は圧倒的にジョーンズ有利だった(再び番狂わせ)。ジョーンズは3回、先制のダウンを奪い。ダメージ深いマッキニーをロープに詰め、つるべ打ちにする(しかしどうも振りが大きく(試合全般を通じて)雑だったように感じた)。ノックアウト寸前に追い込みながらもしとめきれず、打ち疲れがみえた(マッキニーは巧みに衝撃を最小限に食い止め、回復を待つ)。そしてガス欠気味のジョーンズは、次の回に倒されてしまった(再び王座転落)。マッキニーはバレラに敗れた後、ブヤニ・ブングとの再戦で判定負け(タイトル奪回ならず)。すでに全盛期は過ぎており、「過去の選手」とみられていた。とはいえまだまだ強い底力を見せたといえる。このタイトルは防衛しないまま返上。そして一階級上げ、WBCフェザー級王者ルイシト・エスピノサに挑戦するが、2回KO負けの完敗。
(2)1998年9月12日 WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 王者エリック・モラレス(30連勝(24KO)無敗)VS挑戦者ジュニア・ジョーンズ(44勝(27KO)3敗)メキシコ・ティファナ
ーモラレスが4回TKO勝ち。ジョーンズの3度目の王座戴冠の野望を砕き、4連続KO防衛に成功した。ジョーンズは好調なすべり出しを見せ、右ストレートも相変わらず速くて威力があった。ながらカウンターを食ってしまう。両者の勢いの差が出たかもしれない(さらにジョーンズはすでに峠は越えていた)。 モラレスの評価がぐんと上がり、出世試合となる。この敗北によりジョーンズも、「過去の選手」となった帰来はあったにせよ、キャリアは続く。元IBFフェザー級王者だったトム・ジョンソンTom Johnson(アメリカ)に判定勝ち(マイナーなIBAタイトル獲得)。 次戦においてリチャード・エバットRichard Evatt(イギリス)とのマイナーなIBOタイトル決定戦に11回TKO勝ち。ノンタイトル戦でトレーシー・ハリス・パターソンにも10回判定勝ち。最後の晴れ舞台となったIBF王者ポール・イングルPaul Ingle(イギリス)との統一戦で、11回TKO負け。ラストファイトは2年後、中堅のイバン・アルバレスIvan Alvarez(コロンビア)に10回判定負けした試合となる。




(1) 2000年2月19日WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ 王者エリック・モラレス(35連勝(28KO)無敗)VS挑戦者WBO世界スーパーバンタム級王者マルコ・アントニオ・バレラ(49勝(36KO)2敗1NC)ネバダ州ラスベガス
ー12回を通して壮絶な打撃戦となったがモラレスが3-0の判定勝ち。同年度のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤー(年間最高試合賞)に選出される熱戦となり。歴史的な名勝負として今も語りつがれている。とはいいながら判定は大いに議論を呼び、勝利を確信していたバレラは呆然自失(ヒットさせた有効打では明らかに上回っていた)。私もバレラが勝ったと思いましたが、入場シーンはよく見返すお気に入りです。バレラはマッキニーが返上した空位のWBOタイトルをリッチー・ウェントンRichie Wenton(イギリス)と争い、相手にせず3回TKO勝ちで奪回した試合も含め。1NC(無効試合)を挟み6連勝(5KO)中。かたや、モラレスはエスピノサに挑戦し善戦したファン・カルロス・ラミレスJuan Carlos Ramirez(メキシコ)に一方的な9回TKO勝ち。加えて前WBCバンタム級王者だったウェイン・マッカラーWayne McCullough(イギリス(北アイルランド)・バルセロナ五輪銀(サラゴザに挑戦し、判定負け=初黒星)来日し、名古屋にて薬師寺保栄Yasuei Yakushiji(愛知県出身)からタイトル奪取「(薬師寺は)Very Strongすごく強かった」薬師寺のラストファイト)を判定で退けた試合も入れ8度(7KO)の防衛に成功していた。モラレスはこのクラスでは減量苦により限界で、どのみち階級をあげる予定でいた。試合後のインタビューでは「僅差だったが勝ったと思った」「彼は勇敢だった。本当によく戦った。実際、何度も効いて倒れそうになった」「この階級ではこれが最後の試合だ」再戦について聞かれ「もちろん受けてたつ。彼は偉大な選手だ」。一方、バレラは落胆を隠せず「ラスベガスで勝つためには一体、何をしなければならないのか全く分からない」「これで二度目(ジョーンズとの再戦)だ」「どちらが勝ったかは(会場の)ファンがよく知っている」と不満をぶちまけていた。ちなみに王者モラレスは日本製のウイニングWinning(ナックルパートが厚く拳を傷めにくい)のグローブを希望。バレラはメキシコ製のレイエスReyesを希望。コインを投げてバレラに軍配があがり、8オンスのレイエス(パンチャーのグローブ)が使用された。バレラには日本人の田中繊大Sendai Tanakaトレーナー(宮城県出身)がついていた。
*Sendai Tanaka (田中 繊大, Tanaka Sendai, born March 26, 1972) is a Japanese boxing trainer. He is one of the few outstanding trainers from Asia,and has a reputation especially for his focus mitts training.
(2) 2002年6月22日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者エリック・モラレス(41連勝(31KO)無敗)VS挑戦者マルコ・アントニオ・バレラ(54勝(37KO)3敗1NC)ネバダ州ラスベガス
ーバレラが雪辱。判定勝ちで2階級制覇に成功。モラレスの初黒星(連勝ストップ)。初戦とは逆に、今回はモラレスが優勢だった。距離を保ちながらストレート攻撃を中心に、積極的に前進(後手に回らず、先手を取った)。バレラは有効打を当てられる射程内に入れず、パンチ自体もあまり出せなかった。無論モラレスは判定に納得せず、さっさとリングを降りて控え室へ引き上げてしまう(その後、戻ってきてインタビューに応じた)。バレラは初顔合わせで屈辱を味わった後、↓で紹介するスターであった無敗のナジーム・ハメドNaseem Hamed(イギリス)に初黒星をなすりつけ(12回判定勝ち)連勝をストップした金星を入れて5連勝(3KO)中(意気あがっていた)。モラレスはWBCフェザー級暫定王座決定戦でケビン・ケリーKevin Kelleyに7回TKO勝ち。続いてWBCフェザー級正規王者のグティ・エスパダス・ジュニアGuty Espadas Jr(メキシコ+エスピノサとの決定戦に判定勝ちで奪取)との統一戦に判定勝ち。そして東洋バンタム級王者だった韓国の池仁珍In Jin Chi(後のWBCフェザー級王者+来日し、サウスポーの東洋フェザー級王者越本隆志Takashi Koshimoto(福岡県出身)に判定負けで転落)の健闘に大苦戦しながらも判定勝ち(初防衛)。両者のライバル関係は熾烈であり、試合前の記者会見でも(バレラがはじめに右ストレートを打ち込み。すかさずモラレスも左から右と打ち返し)殴り合いとなった(対照的な両者=バレラがCiudad de Méxicoメキシコ市Mexico Cityの裕福な中上流階級出身。大学で法学を専攻するインテリであったのに対し、モラレスはアメリカとの国境に位置するTijuanaティフアナ市City of Tijuana(麻薬密輸の拠点としても有名で(警察の腐敗も目立ち、汚職も多発)治安が悪く(アメリカ人の「ゴミ捨て場」的に)荒廃している)のいわゆる「ゲットーGhetto」出身の野生児)。試合に関しては、個人的にはモラレスが勝っていたように思えた。バレラはハメドを破った慎重な戦法(深追いはしない(後半勝負)やや安全運転的なスタイル)が以降、そのまま固定していたかもしれない(往年の’凄み’が幾分失せていた)。この試合もレイエス・グローブ。
(3) 2004年11月27日 WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 王者エリック・モラレス(47勝(34KO)1敗)VS挑戦者マルコ・アントニオ・バレラ(58勝(38KO)4敗1NC)ネバダ州ラスベガス
ーラバーマッチはバレラが判定勝ち。因縁のライバルとの対決にけりをつけた(同時に3階級制覇)。この試合はモラレスが好む10オンスの(黄色)ウイニング・グローブである。「1戦目、2戦目と違うのはですね・・・(この階級では)バレラのパンチがあまり効かないですね(浜田氏)」。モラレスの方が、体は大きい(バレラにこのクラスは体格からいって、ちょっときつかったかも)。「両者とも若干の陰りが見えてきたかと言われる中で、すさまじい打撃と技術の応酬戦となる・・・この試合は2004年度のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された(2度目)」(Wikiウィキ)初戦を彷彿させる強打戦だった。バレラは元2階級王者のジョニー・タピアJohnny Tapia(アメリカ+渡米中、同じジムで練習した辰吉について「彼はすべてにおいて素晴しい、最高の選手」(微笑ましい2人の記念写真が忘れられない涙))に判定勝ち。つづいてケビン・ケリーに4回TKO勝ちしながらも、周知のように、マニー・パッキャオManny Pacquiao(フィリピン)に11回TKO負け。ながらも再起戦では元WBAバンタム級王者のポーリ・アヤラPaulie Ayala(アメリカ(サウスポー)来日し、辰吉に挑戦したが6回終了負傷判定負け)を圧倒(10回TKO勝ち)。モラレスはポーリ・アヤラとの王座決定戦に判定勝ち(WBCフェザー級タイトル奪回)。このタイトルはへスス・チャべスJesús Chávezから奪い、3階級制覇を果たしていた。バレラはこの試合、以前の「ラッシャー」スタイルで臨み、真っ向から打ち合っていた。モラレスも正面で迎え撃ち、熱戦となった。だが根本的な’パワー’の面ではモラレスが上回っており、どちらに転んでもおかしくない際どい判定となる(私はわずかながら、モラレスに分があったように思えたが)。判定が下されるや、バレラは嘲笑するような表情でモラレスに(不満げだった)、「これで2回勝ったぞ!」と指で示しながら誇らしげにアピールしていた。バレラのプロモーターであるオスカー・デ・ラ・ホーヤOscar De La Hoya(アメリカ・6階級制覇・バルセロナ五輪金)も勝者を抱きしめ大喜び。嬉しそうだった。


(1)2000年9月2日 WBC世界フェザー級暫定王座決定戦 エリック・モラレス(37連勝(29KO)無敗)VSケビン・ケリー(51勝(34KO)4敗2分)テキサス州エルパソ
ーモラレスが7回TKO勝ちで、暫定王座ながら2階級制覇を達成した。 ケリーはゴンザレスに初黒星を喫した後、マイナー団体とはいえWBUタイトルの決定戦を元WBAスーパーバンタム級王者だった強敵ルーイ・エスピノサLouie Espinoza(アメリカ+ゴンザレスに挑戦=判定負け))と行い、判定勝ちで奪取。↓に出ている後のWBA王者デリック・ゲイナーDerrick Gainer(サウスポー・アメリカ)との2連戦(1勝(8回逆転KO勝ち)1敗(10回判定負け)) さらに歴戦の強豪へスス・サルードJesus Salud(アメリカ(ハワイ)フィリピン系+(次の試合で)バレラにも挑戦するが6回TKO負け)も判定で破った。しかし↓で紹介するハメドに4回KO負け。前述したよう、スターとしての風格が一戦ごとに増していたモラレスに対し、ケリーは晩年。全盛期はとっくに去っていた。
(2)2003年12月4日 WBC世界フェザー級タイトルマッチ 王者マルコ・アントニオ・バレラ(56勝(38KO)3敗)VS挑戦者ケビン・ケリー(54勝(36KO)5敗2分)ネバダ州ラスベガス
ーバレラが初回に先制のダウンを奪い、元王者ケリーにワンサイドの4回TKO勝ち。モラレスから奪ったタイトルの2度目(初防衛戦はタピアに判定勝ち)の防衛に成功した。


(1)1997年12月19日 WBO世界フェザー級タイトルマッチ 王者ナジーム・ハメド(イギリス・アマ62勝5敗+28連勝(26KO)無敗⇒36勝(31KO)1敗)VS挑戦者ケビン・ケリー(47勝(31KO)1敗2分)ニューヨークMSG
ーハメド(イエメン系2世)については、ボクシング・ファンだけでなく(「専門関係」いわば「同人誌・チャンネル」以外での登場が多かった)その前代未聞、奇抜なスタイル(サウスポーながらスイッチヒッター)とカリスマから「一般」の人たちの知名度が高いと思う。私自身、カナダ人の友人(ボクシングファンではない)たちから、彼についてよく聞かれたのを覚えている。試合結果は、アメリカ初上陸だったハメドが4回にケリーをストップ。内容としてはスリル満点ながら(純粋に「ボクシング」の見地からいえば危なかった)ノックアウト負け一歩手前の接戦。2回に両者2度づつダウンを奪い合う応酬があった。一進一退ながら、両者の勢いの差が現われた展開は初黒星を喫したゴンザレス戦以降、2分を挟んで6連勝していたとはいえ。往時、連勝街道驀進中だったころのオーラは失せていた)。徐々にペースを支配していたハメドは4回に2度のダウンを追加し(ケリーは打ち気にはやり(ハメドの’変則’につられ)ワイルドになりすぎた面があった)、KO勝ちした。ハメドはスティーブ・ロビンソンSteve Robinson(イギリス・黒人)に8回TKO勝ちしてこのタイトルに戴冠(15度防衛した)。次に統一戦でIBF王者トム・ジョンソンにも8回TKO勝ち。「実際にい~日本でもですねえ~駆け出しの選手たちがあ~マネえしてるんですねえ」「ああ、そうですか(高柳氏)」「マネえしてるんですけど、みんなあ~ノックアウト負けしてますよっ笑(浜田氏)」「ああ、そうですか笑(高柳氏)」「まあ、先日、さる日本のチャンピオン(元WBAフライ級王者山口圭司Keiji Yamaguchi (北海道出身(トランクスまで「PRINCE(有斗魂)」と綴った’豹柄一枚’を着用)タイのピチット・チョーシリワットPichit Chor Siriwat(サウスポー対決)に2回、右フック一発でノックアウト負け)があれ真似て、KOされて批判されましたよね笑(小泉氏)」「マネすると、ヘルマン((大関)トーレスGermán Torres(メキシコ(トレーナー)元WBCフライ級王者)にやめろっていわれるんですよ笑(山口氏)」「ただですねえ、ハメドのモノマネでしかないんですよねえ。ハメドだからできるということを考えなければいけないんですねえ(浜田氏)」。トレーナー兼マネージャーは↓に紹介したひときわ異彩を放つ、独創性に長けた故ブレンダン・イングルBrendan Ingle氏(アイルランド系)。なんでも小柄な少年ハメドが複数相手に「路上喧嘩」をしている現場をバスから目撃。相手を「空転」させてはパンチを命中させる鋭い反射神経と「当てるうまさ」にしびれ、(そのまま引き返して)スカウトしたと伝えられる。同門の先駆者としては、元世界ミドル級1位(デビュー以来38連勝(22KO)+2度世界に挑戦)英連邦王者だったへロール・グラハムHerol Graham(イギリス(サウスポー)黒人)がいる(ただしアマジュニア世界選手権の覇者であり(決勝でジョン・ムガビJohn Mugabi(ウガンダ・モスクワ五輪銀)を破った)ハメドほど八方破れではなかった)。
*ナジーム・ハメド(Naseem Hamed、アラビア語: نسيم حميد‎、ラテン文字転記: Nasīm Ḥamīd、男性、1974年2月12日 - )は、イギリスのプロボクサー。シェフィールド出身。元IBF・WBO・WBC世界フェザー級王者。「プリンス」(日本では「悪魔王子」)、「Naz(ナズ)」の愛称で親しまれた。
*Gaeilgeアイルランド語⇒Traenálaí dornálaithe agus fear cúinne Éireannach ab ea Brendan Ingle (19 Meitheamh 1940 – 25 Bealtaine 2018). I mBaile Átha Cliath a rugadh é.
(2)1998年4月18日 WBO世界フェザー級タイトルマッチ 王者ナジーム・ハメド(29連勝(27KO)無敗)VS挑戦者元3階級王者ウイルフレド・バスケス(プエルトリコ・アマ17勝3敗+50勝(36KO)7敗2分⇒56勝(41KO)9敗2分)イギリス・マンチェスター
-前WBA王者だったバスケス(ハメドと戦うためタイトルを返上)との事実上、統一戦だった。晩年のバスケス最後の世界戦。ハメドの’ノーガード’で飛び上がり、がら空きの’顎’に(ケリーもここにカウンターを打ち込み、仰向けに倒した)、バスケス(4度来日)の豪打炸裂を期待していたのだが(バスケスファン笑)ハメドならではの特有ボクシング(「基本のないボクシング(浜田氏)」)に翻弄され、手も足もでなかった。ハメドは3,6回(ロープが弛んでしまうハプニングがあり、約30分間の試合中断)にダウンを奪い、7回にバスケスをストップ。この当時のハメドは攻略される危険は常にあるスタイルだったにせよ。世界のトップたちを連破した「実績」が伴い、さまざまな面において一世を風靡。なにせアラブ系という稀な希少価値が手伝い、スター性も申し分なく。「パンチ」は強く破壊力があり、まごうことのない「天才」だったことは間違いない。「無敵」の感が強かった。番外として日本で葛西裕一Yūichi Kasai(神奈川県出身)に初回KO勝ちしたバスケスの試合後インタビュー「本日の試合は100点満点で、何点の出来でしたか?」と聞くアナウンサーの質問が理解できず「どういうことだ?」ようやく「勝ったんだから’120点’だよ」と不思議そうな表情をしていたのが忘れられない(「日本的」’発想’?笑)。
*Españolスペイン語⇒Wilfredo Vázquez (n. 2 de agosto de 1960) es un boxeador profesional retirado de Puerto Rico. Fue campeón mundial en tres categorías diferentes, Peso gallo, Peso supergallo y Peso pluma.


(1)2000年8月19日 WBO世界フェザー級タイトルマッチ 王者ナジーム・ハメド(34連勝(30KO)無敗)VS挑戦者オギー・サンチェス(アメリカ・アマ全米選手権制覇(175勝11敗)26勝(23KO)1敗→28勝(25KO)3敗)コネチカット州フォックスウッズ・リゾート・カジノ
ーハメドは2度のダウンを奪われる大苦戦となったが4回に倒し返し、もう一度ダウンを追加して善戦のサンチェスをノックアウト(15度目の防衛に成功した)。サンチェス(ダメージは深く、担架で退場した)の強打をかなり浴びたハメドは、両目下にアザができていた。生粋のラスベガス育ち "Kid Vegas"で知られるハンサムな貴公子サンチェスは、アマ時代フロイド・メイウェザー・ジュニア(アトランタ五輪銅)に勝ったことがある(3度対戦(1勝2敗)メイウェザー(プロでも全勝、負けなし)を破った最後の選手として有名)。敗れたとはいえ、この試合で評価が一気に高騰する。一方、ハメドはトップ選手たちをことごとく連破中。元WBCバンタム級王者のウェイン・マッカラーに判定勝ち(もめていたイングルマネージャーとのコンビ最後の試合となる)。後のIBF王者、同国人のポール・イングルに手こずりながらも、11回TKO勝ち(イングルと離れた第一戦目、スタイルの「正(常)統化」が進んでいた「逆によくないですね(浜田氏)」)。続いてWBC王者のセサール・ソトCesar Soto(メキシコ+ルイシト・エスピノサとの再戦(初戦は判定負け)に判定勝ちで獲得)との統一戦に判定勝ち。さらにIBFスーパーバンタム級王者ブヤニ・ブング(13度防衛)の挑戦も4回KO勝ちで退けていた。そして俄然注目が集まったサンチェスは元王者ルイシト・エスピノサと再起戦を行い、4回にストップ。完勝だった。とはいいつつも、ボクシングの世界というのは本当に厳しい。ジュニア・ジョーンズにKO勝ちしてタイトルを奪った元WBAバンタム級王者のジョン・マイケル・ジョンソン(敵地タイでの初防衛戦において、ダオルン・チョーシリワットDaorung Chor Siriwat(サウスポー)に(ジョンソンにとって不幸な、奇怪極まりない幕切れだったにせよ)初回終了TKO負けで転落)に、まさかの初回KO負け(右のクロスカウンター一発で沈められた=これがラストファイトとなってしまう)。実況中継番組も試合前にサンチェスの入念な特集が組まれ、かかる期待は大きかっただけに。快勝にいき上がるジョンソンの横で、再びしばらく起き上がれないほどのダメージだったサンチェスの惨敗は悲しかった。ハメドは冷汗まじり、薄氷を踏む激闘だったながら「勝てば官軍」。強敵を倒したことにより、そのただならぬパワーが再び実証されたといえる。
*Deutschドイツ語→Augustine „Augie“ Anthony Sanchez (* 17. November 1977 in Las Vegas) ist ein US-amerikanischer Boxtrainer und ehemaliger Boxer. 
(2)2001年4月7日 WBO世界フェザー級タイトルマッチ 王者ナジーム・ハメド(35連勝(31KO)無敗)VS挑戦者マルコ・アントニオ・バレラ(52勝(38KO)3敗)ネバダ州ラスベガスMGMグランド
ーバレラが3-0の判定でハメドを破る快挙(下馬評はハメド有利だった)。バレラはモラレスに惜敗して以来3連勝(2KO)中。ハメドはこの試合で弱点を露呈してしまった。バレラは中間距離を守り、決してバランスを崩さず。ハメドの出鼻に、的確なパンチを何発か打ち込む(大振りはしない)。そのパターンを繰返し(ハメドに打ち込む隙を与えず、それ以上は出て行かない)無理にノックアウトを狙わず勝ちに徹した。ハメドは「ファイター」ではなく(相手の攻撃を利用しながら対応し、チャンスをつかむスタイル)、こうした待機戦法をとられると反撃の糸口がつかめない(さらに例のスタイル「正常化」も悪い方に作用した感じ)。最終ゴングが鳴ったとき、ハメドは「負けたよ」というような雰囲気を漂わせていた。判定が下され(それまでは、不安げだった)バレラは一転、歓喜の笑顔を浮かべる。ハメドは諦めたような面持ちで勝者を祝福。バレラは、この試合辺りから盛んに勉強中の「英語」を使うようになっていた笑(まだたどたどしかったとはいえ「インテリ」らしく、「文法的」にもしっかりとしたものだった)。完敗のハメドは試合前、リング入りにおいても(いつものリズムが狂う)不吉な前兆がかもされていた。相変わらずド「派手」に(「リフト(ゴンドラ)」に乗り)登場したが(アンチも多いので(「ビール」を投げつけられ(驚いたような表情を浮かべ)それで濡れてしまったせいか?)お馴染みのロープをつかんで「大車輪」一回転ができず。ハメドはこの後、再起戦(12回判定勝ち=ながらファンの不興を買い、ブーイングが巻き起こる凡戦)を行なったのがラストファイトとなる。ひとつ加えれば一時期トレーナーについていた故エマニエル・スチワードEmanuel Stewardは、ハメドの増長ぶりとわがままさ、練習嫌いを嘆き「二度とコンビを組むような選手ではないということです」と語っていた。現在から考えれば(「テロ事件」により、世界的にアラブ系への反感が急速に高揚)すでに「おカネ」もたっぷり稼いでいたし(「攻略法」も編み出され(バレラと再戦してもおそらく勝てなかったと個人的には思う)実践されてしまった)いい引き際だったのかもしれない。
*ハメドの引退後:2005年5月、英中部シェフィールド市内を速度約144km/hで運転し対向車と衝突、対向車の運転手に重傷を負わせた事件で2006年5月12日、英シェフィールド刑事法院から禁固1年3か月の実刑判決を言い渡された[3]。刑期満了で出所した後インタビューに応じる。服役中まったく練習しなかったせいか、かなり太っていた[4]。2014年12月、国際ボクシング名誉の殿堂博物館により殿堂に選出された。

*イエメン共和国(イエメンきょうわこく、アラビア語: الجمهورية اليمنية‎)、通称イエメンは、中東の共和制国家である。アラビア半島南端部に位置し、インド洋上の島々の一部も領有している。首都はサナア。
*イエメン・アラブ共和国(イエメン・アラブきょうわこく、アラビア語: الجمهوريّة العربية اليمنية‎, ラテン文字転写:al-Jumhūrīyah al-`Arabīyah al-Yamanīyah)、通称北イエメン(きたイエメン)は、1962年から1990年までの間現在のイエメン西部に存在した国家。首都はサナア。
*イエメン人民民主共和国(イエメンじんみんみんしゅきょうわこく、アラビア語: جمهورية اليمن الديمقراطية الشعبية‎, ラテン文字転写:Jumhūrīyyat al-Yaman ad-Dīmuqrāţīyyah ash-Sha'bīyyah)、通称南イエメン(みなみイエメン)は、1967年にイギリスから独立した国[1]。独立当初の国名は南イエメン人民共和国(みなみイエメンじんみんきょうわこく、アラビア語: جمهورية اليمن الجنوبية الشعبية‎, ラテン文字転写:Jumhuriyat al-Yaman al-Janubiya al-Sha`biya)。首都はアデン。イエメン全土のうちソコトラ島を含む南東部を領有していた。


(1)1999年9月11日 WBA世界フェザー級タイトルマッチ 王者フレディ・ノーウッド(アメリカ・35連勝(21KO)無敗1分→43勝(23KO)4敗1分)VS挑戦者ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ・アマ82勝4敗+29勝(22KO)1敗→56勝(40KO)7敗1分)ネバダ州ラスベガス
ーノーウッドが辛うじて難敵マルケスに判定勝ちで防衛成功。タイプは異なるにせよ、天才同士による高度なテクニック合戦となり、僅差だった。後年、パッキャオとの連戦をはじめトップ強豪たちとの激闘が故。すっかり高名となるマルケスだがこの惜敗以降、しばらく回り道を強いられることになる。ノーウッドはWBAスーパーフェザー級王者だった故アントニオ・セルメニョAntonio Cermeno(ベネズエラ+周知のとおり、日本の葛西裕一と2度戦った①(アメリカ)判定勝ち②(日本)12回TKO勝ち)との決定戦に判定勝ち。タイトルを獲得して、来日。サウスポー対決、松本好二Koji Matsumoto(神奈川県出身)の挑戦を受けたが、試合前に体重オーバーのため王座喪失(決定戦(松本が勝てば新王者。ノーウッドは勝っても王者にはなれない=挑戦優先権)となった試合はワンサイドの10回TKO勝ち「松本は世界に挑戦するにふさわしい、いい選手だった」松本のラストファイト)。そして(同国人、サウスポーの強打者ヨベル・オルテガYober Ortega(①同国人(首都カラカスにて葛西に6回TKO勝ち)豪腕ラモン・グスマンRamon Guzmanを2回にストップ②来日、名古屋にて石井広三Kozo Ishii(三重県出身)に11回TKO勝ち)との決定戦に判定勝ち)王座を奪回していたセルメニョとの再戦に判定勝ちで返り咲いた)もう一度来日(福岡で越本隆志を寄せつけず(サウスポー対決)9回にノックアウト)する(「世界」と「東洋」のレベルの差を実感した二試合)が、↓のゲイナー戦でまた体重オーバー(試合前にタイトル剥奪)。再び’決定戦’設定となったタイトルマッチは史上に残る奇怪な結末となるが、2度のダウンを奪われた揚げ句に11回TKO負け。ノーウッドには一時期、元2階級王者のドナルド・カリーDonald Curry(アメリカ・モスクワ五輪代表)がマネージャー兼コーナーマンとしてついていた。2006年、6年ぶりに復帰し8戦を行なったが、5勝3敗とふるわなかった。
*フレディ・ノーウッド(Freddie Norwood、1970年2月14日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。ミズーリ州セントルイス出身。あだ名はリル・ハグラー(Lil Hagler)。元WBA世界フェザー級王者。
*후안 마누엘 마르케스 멘데스(Juan Manuel Márquez Mendez, 1973년 8월 23일 ~ )는 멕시코의 권투 선수이다. 2012년 12월 8일 현재 세계복싱기구(WBO) 슈퍼라이트급 챔피언. 통산 전적 62전 55승(40KO)6패 1무.
★追悼★アントニオ・セルメニョ(Antonio Cermeño、1969年3月6日 - 2014年2月25日)・・・2014年2月24日、ベネズエラで誘拐され後に遺体で発見された。享年44歳。
(2)2003年11月1日 WBA世界フェザー級タイトルマッチ 王者デリック・ゲイナー(アメリカ・39勝(24KO)5敗1分→43勝(25KO)7敗)VS挑戦者ファン・マヌエル・マルケス(41勝(33KO)2敗)ミシガン州グランドラピッズ
ーマルケスが精彩を欠くゲイナーを圧倒し、7回TKO勝ち。念願の王座に就く。ゲイナー(兄貴分であるロイ・ジョーンズと同郷=フロリダ州FloridaペンサコーラPensacola)は4度目の防衛に失敗。マルケスはノーウッドに敗れた後、12連勝(11KO)中。この一戦は両者の明暗を分けた。ゲイナーはスピードにおいては↑のケリーすら凌駕する速さを持っていたが、この試合は元気がなかった。
*Русскийロシア語⇒Деррик Гейнер (22 августа 1972) — американский боксёр-профессионал, выступающий в полулёгкой весовой категории.Экс-чемпион мира по версии WBA.
Richmond Hill, ON Weather Thu., Oct. 28, 5:55 p.m. 9°C FEELS LIKE 6 A few clouds
2021年10月28日(Jeudi/Thursday/)「秋から冬への道程」リッチモンド・ヒルより
こんにちは☆降ったり止んだりの秋雨模様が続いております。どんより曇った空、風が強かったり日中は結構「残暑」でムシムシもあり。これが過ぎ、来月「夏時間」が終る頃にはいきなり気温も急降下。長い「厳冬の季節」が始まる。すっかり’そればっか’で恐縮ながら、相変わらず、さまざまがっくりが続く毎日なので憂鬱一掃を目指し。久しぶりにはじめてみました。実は現在職場ジム、朝担当の受付はベネズエラVenezuela系の陽気な好青年でして(笑)。午前中は「ヘビメタ」+「スペイン語Español」音楽なんです。ジムのスペイン語を話すメンバーの方との会話を聞いていたら「ベネズエラ」出身といっておりました。数ヶ月前、Reopenしたとき、いきなり「I heard that you were Japanese」と話しかけられ、「トロント大学で日本語を勉強していました」「でも、あまり練習するときがないから忘れました」とやら(いきなりでびっくり+ほっこり☆)。すっかり気分だけはPueblos latinos?笑そんなこんなで明日行けば「週末NOT YET」がんばります。昨日は仕事終った後、はるばるCOVID-19 Vaccination 「Second dose」を受けてきました。手短ながら近況を☆Chao Mis Amigos! Nosotros somos Internacionales! Muchas gracias! Hasta luego!  Sammy from Canada

*ベネズエラ・ボリバル共和国[3](ベネズエラ・ボリバルきょうわこく、スペイン語: República Bolivariana de Venezuela)、通称ベネズエラは、南アメリカ大陸北部に位置する連邦共和制国家。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカスである。

*Latin American Canadians (French: Canadiens d'Amérique latine; Portuguese: Canadenses da América Latina; Spanish: Canadienses de América Latina) are Canadians who are descendants of people from countries of Latin America. The majority of Latin American Canadians are multilingual, primarily speaking Spanish, Portuguese and French. Most are fluent in one or both of Canada's two official languages, English and French. Spanish, Portuguese and French are Romance languages and share some similarities in morphology and syntax. Latin American Canadians have made distinguished contributions to Canada in all major fields, including politics, the military, music, philosophy, sports, business and economy, and science.

*メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、スペイン語: Estados Unidos Mexicanos)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。首都はメキシコシティ。総人口は約1億3,000万人(2016年時点)で、スペイン語圏においてはもっとも人口の多い国である。GDPは中南米2位[注釈 1]。

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