日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

【短編ルポ集】貧困なるザ「我が国?」精神/Такахиро Оцуки大月隆寛/Shinichiro Kurimoto栗本慎一郎/警察(国税局?)広報担当(御用(官製)映画監督?)俗称「社会派」故伊丹十三Jûzô Itami氏『ミンボーの女Minbō no Onna』+NHK『Oku Royaume interdit de l'Himalaya, Mustan』《やらせ(改竄/捏造)》CANADA/2017

                おしゃべり人間の“犯罪”        本多勝一
          -人生の貴重な時間を盗む鈍感民族への「傾向と対策」ー  
今週号から本誌(『サンデー毎日』)で「貧困なる精神」と題して随筆・評論・紀行の類を連載させていただくことになりました。多くは悪口雑言(あっこうぞうごん)・罵詈讒謗(ばりざんぼう)になるかと存じますものの、事実関係については厳密たるべく最善をつくし、間違いがあれば(当然ながら)いつでも訂正してゆきます。反論や疑義についても、事実にもとづくものであれば大いに歓迎し、その後の執筆などで反映させるげく心がけます。まず身近な問題からとりあげることにし、つい数日前にまたしても被害を受けた「おしゃべり人間」に対する糾弾(きゅうだん)から始めます。ある家庭の夕食に招かれた。複数の客と、その倍ほどのホスト側一家で合計約10人。だが、客のなかの一人A氏が「おしゃべり人間」であることを、席につくとすぐ気付かされた。この種の人物は自分がとめどなく話すばかりか、最も問題なのは、他人の発言中に話を強引かつ無礼に奪いとって中断させる点にある。単に「おしゃべり」であること自体は、もしそれが名人芸なみにおもしろくて同席のすべてが聴くことを喜ぶのであれば、まだがまんもできよう。これはしかし「がまんできる」だけであって、決して「よいこと」ではない。団欒や会食・パーティーなどは、だれか一人のための独演会ではなく、さまざまな出席者たちの交流の場なのだから。で、おしゃべり人間である上に声も大きいA氏は、食卓をかこむ一同の「声」も心情も圧殺し、とめどなく話しつづける。招待側の最年長者は、最近亡くなったある科学者B氏の夫人だ。この夫人には生前のB氏のことなどお聞きしたいことが多かったのだが、夫人に問いかける機会をつかむことさえ困難である。まして他の遺族たちの話などほとんど聞くことができなかった。客の一人C氏は、B氏と親交が深かったやはり科学者である。C氏の話し方は、その意味ではごく「普通」だが、内容はまことに興味ぶかい。A氏のおしゃべりの隙間をぬって語りだすと、私は思わず耳を傾ける。ところが、話している最中に、何かのきっかけさえあれば、A氏がその話題を奪いとって中断させる。C氏は明らかに内心おだやかならぬものの、教養ある紳士だからそれを露骨に顔にあらわしたりはせず、A氏のおしゃべりの隙間をねらって中断された部分をつなぐべく待っている。私もイラつきながら、C氏の話のつづきを聞きたくて待っている。そんな心理を読みとる能力もない鈍感なA氏は、奪った話題について連想ゲーム的なひとくさりを語り終わる。待っていたC氏は、またA氏が次の話題に移らぬうちに、中断された話のつづきを急いで始める。そんなことが何回くりかえされただろうか。C氏の興味深い話題に関連して、その話が終わったとたん、私も(たまには話しますからね)口をはさんだ。ところがほんの少し話しだしたところで、またしても強引にA氏が割りこんで中断させた。私はC氏ほど教養ある紳士ではないので、たまりかねて「すみません。発言中です」と言った。(この「発言中」という方法は、ある在日韓国人小説家と議論していて教えられた)これでまたA氏に嫌われたに違いない。高年だか熟年だかになるほど、人生の時間の在庫の少なさが身にしみるようになる。時間はすべての人々にとって物理的に公平・平等だ。おしゃべり人間は、そこに同席する人に公平に与えられた時間を盗むに等しい。一人だけ大きなパイの分け前にあずかろうというのだから、これは“犯罪”ではないのか。私もすでに還暦、残り少ない人生に、どうしてこういう泥棒の相手をしていられよう。今後かかる人物と同席するようなことがあったら、「急用」を“捏造”して帰ってしまうことにしたい。
「おしゃべり人間」と言っても、話し方が速いとか、たてつづけに話すことが悪いのではない。問題は話す相手とのバランスにある。いったい相手が自分の話に耳を傾けているのか、もうやめてほしいと思っているか、それに無関心に一方的に話すことが悪いのだ。そんなことにも気付かぬ奴が「おしゃべり人間」であり、鈍感・エゴ・無神経・無教養なのである。極端な例をあげよう。ある「前衛芸術家」から電話がかかってきたことがある。自分の作品展の広報をしてほしいようだ。それはいい。だが、なにしろ一方的にしゃべりまくる。こちらが相槌(あいづち)をうつ隙間さえもない。その鈍感で無礼なおしゃべり人間ぶりに腹が立って、受話器を机上に放りだし、隣の部屋に何かをとりに行き、帰ってきて受話器をとりあげてみると、相手はまだしゃべりつづけている。こっちがいてもいなくても関係ないのだ。こんなときは「受話器を放りだす」といった手段で時間泥棒の被害を最小限にすることもできようが、一定時間はどうしても被害から逃れられぬこともある。たとえば満員電車の中。乗りこんで戸がしまる。発車するかしないかに「しまった」と気付く。すぐそばに3人なり4人なりのグループがいて、その中の一人がおしゃべり人間なのだ。しかも「大声」おしゃべり人間ときている。耳もとで、聞きたくもないことを、得意げに、周辺の無関係な乗客にも聞かせたい心理さえ手伝ってしゃべりまくる。逃亡したくても満員電車だ。一人で空想・瞑想あるいは思案にふけろうとしていた時間が、これでメチャクチャになる。鈍行電車なら次の駅で別口に乗りかえるのだが、急行や快速だと当分「おしゃべり雑音」をきかされることになる。私は拡声器公害対策に耳栓を用意しているものの、こういう「意味のある雑音」は、機械の音のような「無意味な雑音」とちがって、耳栓で音量が減少できても心が乱される。耳栓を使っている人はご存じであろうが、あれは完全に音を遮断することはできない。かくて次の駅までの、急行なら15分とか20分とかが、考えごとも瞑想もできぬまま、むしろストレス蓄積に空費されるのである。「大声」で、かつ「周囲にも聞かせたい心理」といえば、職場での電話おしゃべりにもそんな例がときどきある。短く話せばすむ内容を、不必要に長く、受話器の口元から離してまでして大声で、いかにも「熱心に仕事をしているフリ」を周辺に示しつつ、それに背を向けている同僚たちがしかめつらをしているのも知ってか知らずか、延々と話しつづける。中には仕事を中断し、席を立って出ていく同僚さえいるのに、気づかないか、気づかぬフリをしている。彼または彼女が「熱心に仕事をしているフリ」の証拠に、個人的なことや仕事に関係ないときは声が小さくなる。しかも、部屋に人がいない時は大声でないことさえ知られている。地声が大きいわけでもない。無駄だと思うよ。そんなフリをした結果として月給が上がるわけでもあるまいに。「声」とか「肌」とか「体臭」とか、カラダに関係することには他人は口を出さぬものだから、忠告なり注意なりする人もいない。電話おしゃべりへの防御対策には、耳栓がだめなら「音楽防壁」をおすすめする。あの「ウォークマン」方式で、仕事の邪魔にならぬ音楽をテープに録音しておいて、電話おしゃべりが始まったらイヤホンを両耳にあてる。しかしウォークマン式の小さなイヤホンは、これがまた周囲に騒音公害をもたらす恐れがあるので、防音機能のすぐれた立派な大型イヤホンでなければなるまい。
おしゃべり人間どもよ。諸君の“犯罪”のおかげで苦労している人々がいることを、少しは考えてほしいものである。少なくとも、自分がしゃべっているときは周囲の反応に注意することだ。そんなことを、いくらここで書いたところで通じない鈍感人間のためには・・・。そう。このページをコピーしてその人物の机上に置いてやりなさい。
(『サンデー毎日』1992年6月7日号)本多勝一『貧困なる精神Z集』(朝日新聞社1993年・頁5~10)


大月 隆寛( 1959年 3月5 日 )是日本 民间文学艺术学者 。 札幌国际大学人文系当代文化系教授 。 有人称其为“大月隆根”。 自称“暴力胖芋头”。 双鱼座 A型 。 出生于东京 武藏野市 ,在兵库县长大。由于对小林善範的同情,他加入了新历史教科书协会,并于1998年2月成为第二代秘书长,但次年被其董事长西尾幹二解雇。 因神经官能症休息后休养后立即退出(撤除建议)。 据“我的民主”组织说,大月感到关切的是,Tsukuri-kai的活动将完全是惯用右手的。 “看来,与协会的意识形态背道而驰的持续活动的问题,例如“将麻薯播种为事件”,被视为一个问题。 大月由于上述疾病,退缩和离婚而不幸,并被当时正在进行一系列对话的合伙人南希·塞基 ( Nancy Seki )任命为“要求炫目不幸的人”。在“赤裸自卫队!”中,習志野 第一空降兵团和一名前法国外国单位 逃兵 (毛利元貞 )参加了雇佣军训练,当时由金银岛 编辑 町山智宏出售。 。
Françaisフランス語→Takahiro Otsuki ( 5 mars 1959-) est un spécialiste du folklore japonais . Professeur à Sapporo International University Faculty of Humanities, Department of Contemporary Culture. Certains l'appellent "Otsuki Ryukan". Auto-proclamé "Taro gras violent". Poissons Un type . Né à Musashino City , Tokyo, élevé dans la préfecture de Hyogo .Il a rejoint l'Association pour la création d'un nouveau manuel d'histoire au moment de sa fondation en raison de sa sympathie pour Yoshinori Kobayashi. En février 1998, il est devenu secrétaire général de deuxième génération, mais a été retiré l' année suivante de son président, Kanji Nishio . Retrait (recommandation de retrait) immédiatement après la récupération après une pause due à une névrose. Selon My Democracy, Otsuki craint que les activités des Tsukuri-kai soient complètement à droite. «Il semble que le problème des activités continues qui s'écartaient de l'idéologie de l'association, comme le« semis de mochi-maki comme événement », a été considéré comme un problème. Otsuki à cette époque était malheureux en raison de la maladie susmentionnée, du retrait et même du divorce, et a été nommé "l'homme qui appelle à un malheur éblouissant" par Nancy Seki qui menait une série de discussions à l'époque. Dans Naked Self-Defense Forces!, Narashino Daiichi Airborne Corps et un ancien déserteur d' unité étrangère française ( Mori Motosada ) ont participé à une formation de mercenaire à vendre avec Tomohiro Machiyama , un éditeur de Treasure Island à l'époque. .
                                        あわれな「季節はずれのハエ」ども      本多勝一
佐高信氏の表現を借りれば「季節はずれのハエ」とか「小汚い青蝿」といった連中が、このところしきりに私に「まとわりついて」きているようです。本誌の読者からの私信とか、投書係からの知らせによると、たとえば大月隆寛という人が執念深く「まとわりついて」いるそうです。こうしたハエどもの特徴は、事実にもとずく正確な記述や言説で表現する能力がないので「批判」になりえず、ただの「青蝿」のウップンばらし、負け犬の遠吠えにすぎなくなっていることでしょう。だからデマとか捏造・改竄などによるトリッキーな卑しい手段で攻撃することしかできないのです。しかしながら、「ハエ」「青蝿」の身になってみますと、これはえらく迷惑なタトエかもしれません。野グソをしたことのある人なら知っているでしょう。青蝿が飛んできて、ごちそうの山たる新鮮なクソに必死で卵(いや、すでに可愛い蛆になっている小虫)を産むけなげな姿。かれらは断じてトリッキーでもなければ卑しくもありません。ウップンばらしや遠吠えでもない。地球の環境の摂理に従った生態系のもとでの真剣ないとなみであり、それは無公害の清掃作業でもあるのですから、地球はじまって以来最も凶悪な環境破壊生物たる「人類」が模範とすべき昆虫たちであります。
となりますと、ハエの側からこそ「季節はずれの人類」「小汚い哺乳類」などとさげすまされるべき連中が、大月などの「まとわりついて」くる生物どもなのでしょう。こんな「季節はずれ人類」のレベルに自らをおとしめて、まともに相手をする気は全くなかったのですが、放置しておくと、この種の生物の放言が正しいのかもしれないと思わせられる読者もいるらしいので、いずれ月刊誌『噂の真相』などでかれらの生態や行動学について「真相」を書く予定です。『噂の真相』といえば、こんど出た岡留安則氏の「噂の真相編集長日記・3」の、岡留氏と佐高信氏の対談に次のような言葉があります。
「彼ら(大月その他)がやるのは一次批判じゃなくて二次批判でしょ。私を批判するのはいいけれど、じゃあ、あなたは私が批判するものに対してどういう態度をとるのかと。そこがないんです。本多勝一なり私なりを除いたら、その人の批判は成り立たないわけですよ。アンチのアンチということですよね」(佐高)
「要するに何かからみつきたい・・・(中略)彼らが共通して言っているのは、55年体制は終わった。だから当然、文化状況も含めて変わらなきゃいけないと言うんですね。ただ漠然としているわけですよ。どうしたらいいんだという話はほとんど出てこない。(中略)『毎日新聞』の大月隆寛の連載を読んでもわかるけど、鋭い批判なんてほとんどない。栗本慎一郎ともなれ合っちゃって、いいオッサンだったとあとがきで書く。本多勝一に対しては、執念を持って、敵という感じでね」(岡留)
大月という人について私は全く知らなかったのですが、右の『毎日新聞』の連載で初めて対談し、そのあとの彼の卑しい哺乳類ぶりにア然とさせられました。これほど破廉恥な男は、私の30数年のジャーナリスト生活の中でもかなり珍しい部類に属するでしょう。みたところ、この卑しい哺乳類は私たちの世代よりも「生物学的」には若い世代に属するようです(精神的にはともかく)。まだ変り得る年齢なのでしょうから。一言だけ忠告しておきましょう。「肩書きは“民俗学者”だそうですが、それならくだらぬマスコミ(ジャーナリズムではない)に使われて若き日々を浪費するひまがあったら、何かひとつ後世に残るようなまともな仕事で勝負しなさい」
(『週刊金曜日』1994年5月13日号・本多勝一『貧困なる精神Y集』(朝日新聞社・1994年・頁115-118)


오츠 탸카 히로 (오츠 타카히로, 1959 년 3 월 5 일 -)는 일본 의 민속 학자 . 札幌国際大学 인문 학부 현대 문화학과 교수 . "오오 독감 '이라고 부르는 사람도있다. 자칭 "폭력 뚱보 타로" 물고기 자리 의 A 형 . 도쿄도 무사시노시 출신, 효고현 자랐다. Русскийロシア語→Такахиро Оцуки ( 5 марта 1959 года) - японский фольклорист . Профессор Саппоро, Международный университет, гуманитарный факультет, кафедра современной культуры. Некоторые называют это "Otsuki Ryukan". Самопровозглашенное "насильственное толстое Таро". Рыбы А тип .
①「新しい歴史教科書をつくる会」には創会時に小林よしのりへの共感から入会し、1998年2月には2代目の事務局長になったが、その翌年、会長の西尾幹二から解任される。神経症が原因での活動休止を経て療養した直後の脱退(除名勧告)であった。『あたしの民主主義』によれば、大月は「つくる会」の活動が完全な右寄りになることを問題視しており、「つくる会」のシンポジウムにおいて「と学会からトンデモ史研究者を呼ぶ」「イベントとして餅まきを行う」など、会側のイデオロギーからずれた活動を続けたことが問題視されたようである。この頃の大月は、前述の病気や脱会、さらには離婚など不運続きであり、当時対談の連載を行なっていた相手のナンシー関から「めくるめく不幸を呼び寄せる男」と命名されている。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団と元フランス外人部隊脱走兵(毛利元貞)が指導することが売りの傭兵訓練に、当時宝島の編集者であった町山智浩と共に参加している②URLでリンクhttps://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7228515-00 タイトル 小林よしのり--"反米一直線"のゴーマニズムに一筆啓上いたします 著者 大月 隆寛 シリーズ名 特集 言論界の"善男善女"--新聞、テレビでお馴染みのオピニオン・リーダーたちのご立派な言論を徹底批判する③よしりん企画社長について - Skinerrian's blogskinerrian.hatenablog.com › entry › 2015/08/14 Aug 14, 2015 - ブレーンには呉智英や浅羽通明、大月隆寛がいた。 初期の小林よしのりが言ってることは、クソフェミ頭おかしいとか、言葉狩りやめようとか、今右翼じゃなく ...④大月隆寛の無茶修行〈上巻〉 - アマゾンwww.amazon.co.jp › (日本語) 単行本 – 1996/2 ... 人物に猪突猛進。「いまどきの世の中」を語る大月流民俗学の本領。登場するのは栗本慎一郎、小林よしのり等⑤ 大月隆寛[編] / 田口ランディ その「盗作=万引き」の研究前代未聞、抱腹絶倒、笑止千万、怒り心頭!「インターネットの女王」は「盗作=万引き」の常習犯だった - ヤフオク!page.auctions.yahoo.co.jp › auction 商品説明- ...⑥本記事では漫画家の小林よしのりが、特に『ゴーマニズム宣言』以降において多く知られるようになった、他の人物との交友関係について解説する。 ... 大月隆寛(民俗学者、評論家、元新しい歴史教科書をつくる会事務局長): 『ゴー宣』初期からの対談相手であり、つくる会に共に加入したが、その後大月が個人 ... その後、大月は小林の主張に対しても批判的な態度に出るが、小林は「(大月を)本気で叩く気になれない」と受け流している。しかし小林の元盟友であったことを強調していることについては(これは事実ではあるが)、後にSAPIOに掲載された『ゴー宣』の欄外にて、アシスタントの時浦と思われる筆跡で批判し、自分の名前を出すことについては牽制していた(ただし単行本収録の際には、その文は削除されている)。本日の雑談3では、「大月は2chが出てきたからゴー宣は終わりだ、とか言っているが、そういう媚びたことを書いた結果、当の2chからは「媚びるな!」とボロクソ書かれている」と語った。


時浦兼とは、小林よしのりのアシスタントである。北海道出身。「よしりん企画」所属。自称 「日本の戦争冤罪研究センター所長」。『おぼっちゃまくん』連載中の昭和63年にスタッフとなり、以後ずっとアシスタントを自称している。1987年「かがやけ!太陽のマユ」で第13回藤子不二雄賞を受賞。中央大学文学部国文学科卒。かつては漫画オタク青年であり、手塚治虫に傾倒していた。また、ウルトラマンシリーズオタクでもある。コロコロコミック増刊号にSF作品「かがやけ!太陽のマユ」(第13回藤子不二雄賞佳作)掲載。『新・ゴーマニズム宣言』従軍慰安婦の章より、史料研究を一手に引き受ける。社長曰く「反左翼の鬼」。日本の戦争冤罪研究センター所長(「日本の戦争責任研究センター」のパロディ・機関としては存在しない)。これからわかる通り、よしりん企画一の博識である。よしりん企画のメシスタント(料理番)でもあり、小林よしのりは「トッキーより料理が上手い女が(よしりん企画に)来たことが無い」と語るが、スタッフには「先生(社長?)は未だに(素人の)男の料理は食べない」とも。

Shinichiro Kurimoto (栗本 慎一郎, Kurimoto Shin'ichirō, born 1941 in Tokyo) and is a Japanese author and a politician. He is also an economic anthropologist and a philosopher who introduced the ideas of Karl Polanyi and his younger brother Michael Polanyi to Japan. He was a professor at universities such as Meiji University and Northwestern University.[1] During the 1980s his works were categorized in Japan as "new academism", which included works by Akira Asada, Kojin Karatani and Shigehiko Hasumi.[2] Françaisフランス語→Shinichiro Kurimoto (栗本慎一郎, Kurimoto Shinichiro?), né à Tokyo le 23 novembre 1941, est un écrivain et politicien japonais. Il est également anthropologue économique et le philosophe qui a introduit au Japon les idées de Karl Polanyi et de son jeune frère Michael Polanyi. Il a été professeur à l'Université Meiji et à la Northwestern University1. Durant les années 1980, son travail est catalogué « nouvel académisme » au Japon, catégorie qui comprend les travaux d'Akira Asada, Kōjin Karatani et Shigehiko Hasumi2. 
タレント政治家(たそがれ?=(嘲笑))⇒2000年6月の総選挙では、通信傍受法成立時の郵政大臣だった八代英太と同じ選挙区(東京12区)から自由連合公認・突破党推薦で重複立候補するが有効投票総数の1割未満で供託金没収、最下位落選し、政界からも去った。近年は大学の教壇に立つかたわらで、自身が経験した脳梗塞に関する仕事も精力的に行っている。著書『かくして日は昇る』では北海道の自治についても大きな関心を示した。引退後週刊現代でかつての盟友・小泉に対し「頭も悪いが性格も悪い。」等と痛烈な人格批判を行い物議を醸したが、小泉サイドからの抗議などはなかった。
北海道知事出馬への意向=舛添要一の道知事出馬の可能性が話題になっていた1990年末から1991年初めころ、栗本も道知事への出馬を考えていた。1990年末、日本テレビ系の『EXテレビ』にゲスト出演した栗本が、レギュラーの舛添と今年の10大ニュースを互いに挙げていくという企画があり、栗本は上位(舛添の愛称が“ヨウちゃん”だから、駄洒落で4位)に舛添の道知事出馬騒動を挙げていた。舛添の「(当時存在しなかった)北海道本拠地のプロ野球チームを作るべき」というアイディアに賛意を表していた[20]。一方、舛添は当時太陽黒点と社会変化の関係を力説していた栗本に対し「太陽黒点移動が、“北海道の時代”の到来と関係あるのではないか?」などと問い詰めていたが、これには何も返答しなかった。その直後、上記にもあるとおり地方自治を論じた『かくして日は昇る』という本を緊急出版した[21]。今まで地方自治について積極的に語らなかった栗本(当時の『朝まで生テレビ!』などでも東京一極集中を頑なに全面肯定していた)が、突如として北海道自治に関心を示し「もし私が道知事であったなら」などという仮定で政策提言している。その後、西部邁(北海道出身)との共著(対論)「立ち腐れる日本」でも都知事と道知事へのオファーがあったことを語り、西部から「貴方なら僕も応援するけどな」との賛意を得た[。




Deutschドイツ語→Juzo Itami (jap. 伊丹十三, Itami Jūzō; eigentlich Yoshihiro Ikeuchi; * 15. Mai 1933 in Kyoto; † 20. Dezember 1997 in Tokio) war ein japanischer Schauspieler und Filmregisseur.이타미 주조 (일본어: 伊丹 十三, 1933년 5월 15일 ~ 1997년 12월 20일)은 일본의 영화 감독이자 배우, 수필가, 그래픽 디자이너, 삽화가이다.Italianoイタリア語→Jûzô Itami (伊丹 十三 (Itami Jūzō?); Kyoto, 15 maggio 1933 – Tokyo, 20 dicembre 1997) nato Yoshihiro Ikeuchi (池内 義弘 Ikeuchi Yoshihiro?), è stato un attore, regista e produttore cinematografico giapponese.
            『ミンボーの女』の伊丹監督襲撃事件に想う     本多勝一
8年前に伊丹十三監督の作品『お葬式』を見たとき、たしかに一定レベル以上おもしろいし監督の人柄にも好感がもてるものの、必要性のない性交描写にはヘキエキしたほか、あの年(1994年)の映画批評家たちの決めた日本映画ベスト10の第1位となったのに驚き、「あれが1位になるほど日本映画はダメになったのか」と嘆いたことがある<注>。するとある読者が「『風の谷のナウシカ』こそあの年の1位だ」と主張するお便りをくれた。そこで宮崎駿氏によるこのアニメを見たところ、なるほどこれは大した作品であった。その深い感動は『お葬式』などの比ではない。これをとりあげなかった映画批評家たちは、アニメを差別しているのだろうか。以後、多忙な仕事の隙間をぬって見たいと思うほどの欲求が伊丹作品に対して起きないまま、これも評判だった『マルサの女』は見ずじまいだった。こんどの『ミンボーの女』も特に見るつもりはなかったところへ、周知のような事件が起きた。『ミンボーの女』に怒った暴力団(らしい)が、伊丹氏の自宅駐車場で待ち伏せして伊丹氏を襲い、重傷を負わせたのである。
そんなにも暴力団を怒らせた作品となれば、これはやはり見ざるべからず、伊丹氏へのお見舞いも兼ねるつもりで映画館に入った。・・・うんなるほど、なかなかおもしろい。こまかなことをいえば見えすいた手口もあったが、美人弁護士役・宮本信子の演技もヤクザ役たちの迫力もすばらしかった。だが・・・と、やはり書かざるをえない。伊丹氏が襲われた事件のとき伊丹氏を「社会派」の監督と表現した新聞があったが、『ミンボーの女』は社会派といえるのだろうか。これに限らず、伊丹氏の作品に社会派といえる例があるのだろうか。ここに描かれているヤクザやそのやりくちよりも、正義の側たる警察の描きかたに問題があると思う。これは単なる娯楽作品だからそんなに目くじらたてて論じられては困るというならばともかく、そのプログラムによれば伊丹氏自身が「平凡な一市民でも、正しい戦い方を知っていればヤクザと戦って勝つ方法があるのだということを伝えたくてこの脚本を書きました」と語っているのだから、額面どおりにうけとって論ずるべきであろう。
警察は、あのように私たちの味方として頼りになってくれていただろうか。それにマスメディアとしても、あのような場合にあれほど協力的に取材し、それが紙面に出るだろうか。要するにあれは警察の広報映画にすぎず、実態とはかけはなれ、したがって社会の深層をえぐるには程遠く、「社会派」などとは無縁のキレイゴトではないのか。それはたとえば登校拒否児を登校させるのに成功させる話のようなものであって、それでは現行の文部省教育・学校教育の根本的矛盾を隠蔽し、免罪するのに役立つだけで、登校拒否児の人権はもちろん、その背景にある日本型権力構造を掘りさげることには全然ならない。ヤクザに言わせれば、ホテルからたかるのと、大蔵省が証券会社と癒着しているのとどちらが巨悪か、ということになるだろう。あるいは土建業界と癒着する建設省が、税金を大量に使って日本中の自然を破壊し、自分も天下りその他でオイシイ生活をするのとどちらが巨悪か。鉄道資本や観光資本が国立公園内に堂々とゴルフ場やスキー場を「開発」してゆく構造を映画にしたらどうか、長野オリンピック「招致」に成功させるまでの開発業者や政治家や長野市・長野県当局等の汚い内幕を描いたらどうか。それでこそ「社会派」の名に値するのだ。
『ミンボーの女』に描かれたヤクザは、こうした「合法的巨悪」にくらべたら「小悪」でさえあるだろう。もちろんこんな小悪も許すべきではないし、伊丹氏の意図そのものも評価すべきである。だがあそこでコケにされたヤクザには、こうした巨悪を放っておいて何だ、という怒りもあるだろう。リクルート疑惑に連座した政治家どもにしたって今つぎつぎと“復権”しつつあるじゃないか。そんな怒りもあって襲ったのかもしれませんよ、伊丹さん。(ただし、この犯人が暴力団でない可能性も残されていることも留保しておく。)「暴力団新法」にはいろいろ問題があるようだが、おかしいと思うのは、それまでの現行法でも可能なことを警察がやらなかったことだ。あの映画にも「街宣車」による巨大音量でいやがらせをする場面があるが、たとえば私の体験でも、ある商社の社員の自宅に騒音右翼の街宣車が押しかけた光景を見たことがある。ソ連との交易に関係して抗議しに来たのだが、その超巨大音量は住宅街にとどろき、近くでは話もできない。警察は来ているのだが、なんにもしないで見ているだけ。いったいだれの味方なのだ。私は警官の耳元に大声で「なぜ放置しておくのですか」と聞いたが、いくら耳に口を寄せて叫んでも、巨大拡声器の暴力のおかげで通じない。騒音右翼はやりたい放題やって引きあげた。
これでは市民は自衛するしかないじゃないか。たとえば街宣車に来られそうな家は、彼らよりもっと超々巨大拡声器を用意しておいて徹底的に音の爆弾で応戦する。周辺住民は痛感するだろう、警察などというものがどんなに頼りにならぬかを。欧米や中国や韓国などと違って、市民革命の実績がない大後進国・日本には、市民の側に立つ警察など当初から存在しないのだ。これも一種の自業自得であろう。そして、伊丹氏が今回襲われたことそのものが、まことに痛烈な皮肉ではなかったか。警察を頼りにできる映画をつくった当人を、警察が守らなかったのだ。ああいう映画をつくればヤクザやチンピラが怒るであろうことは十分に予測できたはずである。上演がはじまってまもない危険期間であるにもかかわらず、何の予防措置もしていなかったとは驚きだが、伊丹氏の現状認識も甘かったといえよう。「現状認識」といえば、警察から有能な刑事が出張してきて、弁護士とともにホテルマンを実演で教育してくれるところが映画にあるが、あんなことを私たちに警察はいつもやってくれていただろうか。また、裁判所の仮処分が出たあと、執行官と弁護士が警官と一緒にヤクザの巣にのりこむ場面がある。だが私の友人の弁護士によると、あの段階で警官が同行する例はほとんどなく、執行官と弁護士だけで命を張ってやらざるをえないので、執行官もビビることが多いそうだ。現に暴力団のからむ明け渡し事件で、浜松では弁護士が刺されて重傷を負ったではないか(浜松一力家訴訟)。ともかく実際に事件にかかわったことのある被害者たちに、伊丹氏よ、聞いてみられよ。警察もマスコミも、どんなに頼りにならぬものか理解できるだろう。
そして、被害者にとって「法治国家」における最後のとりで、おぼれる者のワラは、裁判のはずである。だが今の日本の裁判官の「主流」がどんなことになっているか。これも被害者たちは身にしみているはずだ。たとえば、いま東京高裁に私が訴えている株式会社文藝春秋の改竄(かいざん)事件しても、私の原文にひどい改竄を加え、他人の言葉を私の言葉とした上で私を非難中傷し、かつ訂正も反論もすべて拒否したにもかかわらず、東京地裁はこれを「合法」としたのだ。スターリン体制下のソ連の裁判を思わせるこの判決に対し、『東京新聞』以外は私の談話を掲載せず、権力側の改竄容認判決を報じただけである。しかもこんな明白かつ単純な違法行為でさえ、裁判になるととてつもない時間が浪費されることを知った。これでは裁判など何の力にもならぬはずだ。
かくてわが祖国は、ヤクザも汚職政治家も天下り官僚も御用マスコミもやりたい勝手放題の無法地帯と化している。そしてそんな堕落利権資本の本質を、「社会派」と俗称される映画監督はもちろん、いわゆる「文化人」たちも全く掘りさげない。
<注>拙著『貧困なる精神・第17集』(すずさわ書店)収録の「『カサブランカ』と『お葬式』のあいだ」。
(『サンデー毎日』1992年7月19日号・ 本多勝一『貧困なる精神Z集』(朝日新聞社1993年・頁17~22)


【追加資料】「日本は比較的まだ安全な国、と思われている。ところが、子どもが少年たちに監禁された親が、懸命に警察に訴えたにもかかわらず、無視され、ついに殺されてしまった栃木県の事件The Tochigi Lynch Murder Caseやおなじような「The Okegawa Stalker Murder Case桶川ストーカー事件Affaire Shiori Ino」さらには名古屋の少年たちNagoya junior high school studentの「五千万円恐喝事件50 million yen The blackmail case」など、警察なんてなんの頼りにならない、と思わせる事件が続発している。さらに神奈川県警や京都府警などでの警察官の「覚せい剤汚染」をはじめとする不祥事つづきで、まさに『警察はなぜ堕落したか』(黒木昭雄、草思社)とだれしも思う」(鎌田慧『時代を刻む精神』2003年・七つ森書館(103頁)「官僚体制の崩壊」より)。

The Funeral (お葬式, Osōshiki) is a 1984 Japanese comedy film by director Juzo Itami. The film shows the preparations for a traditional Japanese funeral. It mixes grief at the loss of a husband and father with wry observations of the various characters as they interact during the three days of preparation.  The Funeral was the writing and directing debut of Itami Juzo, and was an enormous success in Japan. It won five Japanese Academy Awards in 1985, including Best Film, Best Director and Best Actor for Tsutomu Yamazaki.[1] It was nominated in a further five categories and also came first in the annual Kinema Junpo critics' poll.Bahasa Indonesiaインドネシア語→The Funeral (お葬式 Osōshiki) adalah sebuah film komedi Jepang 1984 karya sutradara Juzo Itami.《마루사의 여자》 (マルサの女 마루사노 온나[*])는 1987년에 개봉된 일본 영화이다. 감독과 각본은 이타미 주조가 맡았으며, 마루사(국세청 사찰부)에 근무하는 여성 사찰관과 탈세자의 싸움을 코믹하면서도 풍자적으로 그린 작품이다.Portuguêsポルトガル語→A Taxing Woman é um filme de comédia produzido no Japão e lançado em 1987.[1]Minbo (ミンボーの女, Minbō no Onna) is a 1992 Japanese film by filmmaker Juzo Itami. It is also known by the titles Minbo: the Gentle Art of Japanese Extortion, The Gangster's Moll and The Anti-Extortion Woman. The film was widely popular in Japan and a critical success internationally. It satirizes the yakuza, who retaliated for their portrayal in the film by assaulting the director.Españolスペイン語→Minbo (ミンボーの女 ''Minbō no Onna''?) es una película japonesa de 1992, dirigida por Juzo Itami, conocida internacionalmente bajo los títulos Minbo: the Gentle Art of Japanese Extortion, The Gangster's Moll y The Anti-Extortion Woman.
映画監督への転身
1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうける[13]。この作品で受賞した映画賞は、日本アカデミー賞、芸術選奨新人賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。なお、本作はその著作を読み漁り講演などには必ず駆けつけるほど傾倒していた蓮實重彦の「理論」を強烈に意識して制作されたものであり、事実、主に30年代 - 40年代に至るハリウッド映画のシーン、ショットの引用が多数ちりばめられている。しかし、試写会に訪れた蓮實に対し伊丹は歩み寄り声を掛けたが、蓮實は無下に「ダメです」と返答しただけだった。伊丹は蓮實からの予想外な酷評にひどく失望したと言われているが、その影響からか二作目以降は「引用の織物」による「芸術的」な側面は姿を消し、もっぱらエンターテインメントに徹した作風となっている。また、この作品で伊丹はその前歴の俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーター・商業デザイナーとしての全ての経験が活かせる事を発見し、その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ』や国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』、ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など、日本の社会に対する強い問題意識をもちながら、かつエンターテインメント性に富み、映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り、一躍当時の日本を代表する映画監督となり、「伊丹映画」というブランドを築くことに成功する。1992年、特に『ミンボーの女』では、ゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き、観客は大喜びした。これまで日本では、映画でヤクザ(暴力団員)をヒーローとして扱い礼賛していた(「ヤクザ映画」という一ジャンルが存在する)。公開1週間後の5月22日夜に、自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した(病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられて、声こそ出なかったもののピースサインで応えた)。警察は現場の車より山口組(稲川組)系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。1993年5月には自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、襲撃事件により身辺警護を受けた。1997年、身辺警護の経験は『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。演出面での特徴は、俳優に対して一言一句のアドリブも許さず、画面に映る全ての小道具に一切の妥協を許さないという厳格なものであった。しかし、俳優がNGを出しても決して怒鳴り散らしたりしなかったため、俳優にとっては非常にやり易かったという[14][要ページ番号]。また、『お葬式』以降、一貫して死にこだわり続け、端役が死ぬような場面でも、演出には熱がこもっていた。全体が食にまつわる気楽なコメディであり生命賛歌でもある(ラストは母乳を飲む赤ちゃんの映像である)『タンポポ』にも、死のイメージは挿入され、本筋と何の関係なく登場し続ける白服ヤクザは最後に銃弾を浴びて落命する。
突然の死
1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション下で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。

『峠の群像』(とうげのぐんぞう)は、1982年1月10日から12月19日に放送されたNHK大河ドラマ第20作。赤穂事件を題材とした作品。=에도 시대의 겐로쿠를 배경으로 방송시의 시대가 같은 시대의 방향이 변화하는 시기가 되는 「고비」의 시대라고 하는 원작자 · 사카이야 다이치의 관점을 중심으로 아코 사건을 현대적으로 그린 ​​드라마. 아코 번 단절을 현대의 기업 도산에 비유 구토의 영웅주의보다
PS:「北の国」はともあれ、「俳優」のときの方がよかった(これまたイチ視聴者の言葉)。上司伊丹氏(吉良上野介)への贈物。きれいないろとりどり。色彩も鮮やか、「和菓子」を進呈した若殿サマ。伊丹氏お気に入りのやっくん薬丸氏(伊達左京亮村豊)。一方、なにかと気が利かない剛直1本やりの隆氏(浅野内匠頭)は、「温泉饅頭(まんじゅう)?」みたいのがずらっと並んでるのを差し上げる。それをみた薬丸氏が、思わず笑いを堪えられずふきだしてしまった。伊丹氏は違いを比較しながら、嘲笑う。隆氏は激怒して薬丸氏に抗議。けど伊丹氏は「ダメ押し」のごとく、ネチネチと小バカにするところ。とくに印象的で覚えています(笑)。

《바람계곡의 나우시카》(일본어: 風の谷のナウシカ 가제노타니노나우시카[*])는 미야자키 하야오의 만화 작품으로, 일반적으로 나우시카라 부른다. 도쿠마 쇼텐의 애니메이션 잡지 〈아니메주〉에서 발표하였다. 1984년에는 미야자키 자신의 감독의 극장판 애니메이션 《바람계곡의 나우시카》가 공개되었다.Esperantoエスペラント語→Naŭsika el la Venta Valo (japane: 風の谷のナウシカ [kaze no tani no nauŝika]) estas mangao de Mijazaki Hajao, publikita ekde 1982 en la magazino Animage monthly en Japanio.

Українськаウクライナ語→Studio Ghibli (яп. 株式会社スタジオジブリ, Kabushiki-gaisha Sutajio Jiburi, укр. «Акціонерне товариство „Студія Джіблі“»; англ. Studio Ghibli) — японська анімаційна студія. Її анімаційні фільми широко відомі в усьому світі.Latinaラテン語⇒Miyazaki Hayao aut litteris Iaponicis 宮崎 駿, die 5 Ianuarii 1941 Tokii natus, alumnus Universitatis Gakushūin, est moderator cinematographicus, animator, auctor et pictor librorum manga, et scriptor scaenicus.


「それではここでっ、問題がああ~りいまあ~すっ!」だっけ?「悪賢く利口ぶるな」思いっきり苦手なじいさんやった(イチ視聴者の感想)Kenji Suzuki (鈴木 健二, Suzuki Kenji, born January 23, 1929) is a former television announcer for the NHK in Japan.[1] He retired in 1988. He is the younger brother of film director Seijun Suzuki.[2][3]敬語に強くなる本: 豊かな日本語への招待 (1978)気くばりのすすめ (1982=超大ベストセラー?(嘲笑+嘆息))女らしさ物語 (1982)ビッグマン愚行錄 (1982)続気くばりのすすめ (1983)役に立つ日本史物語 (1988)夫婦が読む本 (1991)
            講演を依頼する人々が講師に伝えるべきこと    本多勝一
これまで私は、ほとんど例外なく講演をおことわりしてきました。ご依頼に対してはおことわりの理由を印刷して(といっても複写機による)返信としていました。それは以下のような文面です。
拝復。このたび講演の御依頼をお受けしましたが、誠に残念ながら次のような理由で例外なくおことわりしております故、どうぞ御容赦ください。
① 多数の聴衆を前にして一方的に演説するというようなことは、その能力に全く欠如しているため、刑罰の執行台に立つかのような苦痛を覚える。
② 突然の仕事ができて旅立つことが多いため、お約束を取消さねばならぬことがよくあり、かえってご迷惑をかける。
③ ごく一部の狂信的な自称右翼が脅迫してきているため、万一の場合を考慮して公開の場には出ないことにしている。
④ 時間に拘束されるため記者活動が不自由になり、予定を立てにくくなる。
⑤ 一度書いたことは重ねて話さない主義なので、講演を依頼されたとき直ちに新しいテーマで語ることが困難。
⑥ 非常に多忙なため、準備ができない。
まことに恐れ入りますが、以上の事情をおくみとりの上、断念して下さいますようお願いします。皆さまの御期待に深く感謝するとともに、今後もペンによってそれにおこたえしてゆくつもりです。

定年にともなう退職によって、こんどは「定年になったから講演も可能では?」というご依頼がくるようになりました。たしかにサラリーマン記者がうける拘束からは自由になって、自由のすばらしさを満喫していますものの、右にあげた六つの理由は全く変わらないため、やはり残念ながら多くはおことわりしています。しかしたとえばアイヌ民族の国会代表権を得るべく、かねてから取材でおせわになってきた菅野茂氏が立候補する、といった場合は、恩返しも含めて支援委員会に加わり、講演や討論会にも何回か顔を出しました。また私自身のためにも勉強になる討論会や対話(たとえば日本マスコミ学会や新聞労連など)にも、それこそ「非才をかえりみず」無理をしてお受けしたこともあります。多くはおことわりしていますものの、こうした講演の類のご依頼をしてくる担当者のお手紙を見ているうちに、おそらく八割近い人々に共通の問題に気づきました。それは講演料について何もふれていないことです。(引きうけてからあとで言うのでは意味ありません。)大至急つけ加えますが、私は「高額にせよ」というのでは全然ありません。場合によってはカンパとしてお返しすることもあります。高い安いではなく、タダであれ何百万(?)であれ、そのことを最初に条件のひとつとして明示するのが礼節であり、ルールであり、常識ではないかと思うのであります。
かつて原稿料について一文を書いたことがあり、出版社が原稿を依頼するとき原稿料を明示しない例が多いことを問題にしました<注>。たとえば靴を買うとき、客が一方的に値段をきめて、店の言い分など一切黙殺したまま「ハイ、これは100円で買ってあげる」とか「これは10万円出してあげよう」「いま金がないからタダ」といった買い方が可能でしょうか。そんな馬鹿げたことは、昔の封建領主か専制君主くらいしかできますまい。ところが原稿料ではこのような例が珍しくないことを、心理的・文化的背景を含めて 上にのせたのです。
同じことが講演料でも言えるようですね。このごろ読書が面倒な人やタレントへの好奇心旺盛な人がふえたのか、やたらと講演がはやっていると聞きます。何の内容もない、ほとんどデタラメに近いおしゃべりをして、なんと一回で100万円もとる元NHKアナウンサーや曲学阿世の「学者」もいます。こともあろうに私の郷里の雑誌『はこべ』(月刊)が、そんな元NHKアナウンサー・鈴木健二氏のおしゃべりのテープをおこして掲載したのをみて、そのいいかげんな出まかせぶりに呆然自失するほど驚いたことがありました。このまま放置したのではわが“愛郷心”にかかわるので、そのひどい間違いやでたらめを片端から指摘して同じ雑誌に発表するつもりだったのに、多忙なままはたせないでいます。こんな人物はどこの国のどの時代にもいるのでしょうから、それを100万円も出して呼ぶ方の民度が問題なのでしょう。学者としての事実認識能力も良心もない渡部昇一「教授」など当人よりも、それを使う側たるマスメディアが問題なのと同じです。
「武士は食わぬど」的日本型カルチャーにあっては、講演料を明示させることはハシタナイとみる人々が多いようですが、そのくせ講師の側も内心では案外気にしているのですね。ともあれ、これは講師に対して実に失礼かつルール違反の行為ですから、依頼する担当者はくれぐれも御注意下さい。くりかえしますが、あくまで金額の問題ではなく、黙っている心根が卑しいのです。こんな憎まれ口を陰でぶつくさ言っている人がいるので、憎まれ役たる私が代弁いたしました。
<注>拙著『貧困なる精神・第6集』(すずさわ書店1977年)収録の「出版社と原稿料と著者の関係」
(『話の特集』1992年12月号・本多勝一『貧困なる精神Y集』(朝日新聞社・1994年・頁11~15)


Românăルーマニア語⇒Shoichi Watanabe ( 渡部昇一Shoichi Watanabe, 1930 < Showa 5> 15-2017 < 2017 > 17 aprilie [1] ) este un savant și critic japonez al Japoniei . Profesor emerit al Universității Sophia . Principalul meu este istoria gramaticii engleze . Este doctor în filozofie de la Universitatea din Münster ( Universitatea Westfalen-Wilhelm ). Doctor în filozofie de onoare la Universitatea din Münster.Latviešuラトビア語⇒Shoichi Watanabe (渡部昇一 Shoichi Watanabe, 1930. gads < Showa 5> 2017. gada 15. oktobris < 2017 > 17. aprīlis [1] ) ir japāņu zinātnieks un kritiķis . Sofijas universitātes emeritētais profesors . Mans galvenais ir angļu valodas gramatikas vēsture . Viņam ir doktora grāds filozofijā Minsteres universitātē ( Vestfālenes-Vilhelma universitāte ). Minsteres universitātes Goda filozofijas doktors.『知的生活の方法』講談社現代新書、1976年(これまた超大ベストセラー?国民人生教本・指南書(知識の宝庫))『日本の驕慢・韓国の傲慢 新日韓関係の方途』呉善花 徳間書店 1993年 のち文庫『誇りなくば国立たず 危機を克服するヒント』日下公人・竹村健一 太陽企画出版 1998年『愛国対論 「サヨク」に一撃、「ホシュ」に一閃』小林よしのり PHP研究所、2002年『日本を弑する人々 国を危うくする偽善者を名指しで糺す』稲田朋美・八木秀次 PHP研究所 2008年『日本は「侵略国家」ではない!』田母神俊雄 海竜社 2008年『対話 日本および日本人の課題』西尾幹二 ビジネス社 2018年


Deutschドイツ語→曾我 健Ken Soga (1935-) ist Ehrenberater des NHK Symphony Orchestra und Wirtschaftsprüfer von Hagoro Foods Co. , Ltd.1983 Lietuviųリトアニア語→曾我 健Kenas Soga (1935 m.) Yra NHK simfoninio orkestro garbės patarėjas ir „ Hagoro Foods Co. , Ltd.“ auditorius.曾我 健(そが けん、1935年 - )は、NHK交響楽団名誉顧問、はごろもフーズ株式会社監査役。(↑に出てる+この人(担当お偉いさん)・・・実は↓により、個人的に知ってる(向うは覚えてるわけないじゃろけんど+まだ、生きとったんやね)暴力校長(ビンタ30連発食らった(肌が弱いので、’おたふく’そのもの、真っ赤に腫れてしまい蕁麻疹がひどかった)この番組により、一躍「有名人」⇒後に教育長+市議会議員にご出世=まだ存命中なはず(「英語」(笑)教師=福岡県久留米市出身)の「自宅」でも会った(「謹慎=登校禁止」の代わりに(相棒(教護院送致)はさぼってばっか)、毎晩呼ばれて勉強させられとった(むかしは日教組(注)に入り込んだ御用「スパイ」(「スト破り組」隊長?)だったらしい(大分あとに、偶然さるところで聞いた話(某区(西部新宿線上=全然無関係)の元同僚教師)=「××の教育長はいま誰?」「××か!?あいつは悪い奴だ」そうです(笑))・・・まさか「カナダ」でこんな「顔」を拝むとは思わなかった(笑)+何十年ぶりに見た(21世紀、インターネット新時代の不思議(しかも「映像」「情報」発信はここ、リッチモンド・ヒルから)。当時、中学2年生(13歳)やった(しばらくして徳島県行き+参照写真出しときました(鎌倉遠足)=まさにこの頃の話。まったくもって)「やらせ」(私自身もやらされた=そのシーンは、カットされて「放送」されなかったけど)さんざんこの目で、みたよ(苦笑)さすがに「映像」はみつかりません(さる東京都の(京王線上)「中学校」にて)。(注)일본교직원조합(일본어: 日本教職員組合, にほんきょうしょくいんくみあい)
1983年テレビ大賞  優秀番組賞 NHK特集 日本の条件 教育 何が荒廃しているのか(3本シリーズ)1983 Television Awards Excellent Program Award NHK Special Feature Japan's Conditional Education What is Devastated (3 Series)
Esperantoエスペラント語→" Oku Himalaya Forbidden Kingdom, Mustan " estas du-serio dokumenta programo elsendita de Japan Broadcasting Corporation (NHK) en la Specialaĵo NHK aŭtune de 1992 .“ 奧庫喜馬拉雅故宮,野馬 ”是由日本廣播公司 (NHK)於1992年秋季在NHK特別節目上播出的兩系列紀錄片節目。  程序摘要=在尼泊爾王國政府的合作下,就關於剛剛取消對外國人的禁令的野馬王國進行了報告。進入第一幻影皇家城堡1992年9月30日19:00-20:45第二屆向極端世界祈禱1992年10月1日20:00-20:45《 朝日新聞》(Asahi Shimbun ) 於 1993 年2月3日出版,標題為“主要部件和虛假性”,標題是給居民錢以請雨 ,並迫使工作人員模仿高原反應。他挖出該程序的製作過程中有很多動作。2月5日晚, NHK道歉並根據《 廣播法》進行了兩分半鐘的廣播 ,並指出“內容中有一部分與事實不符或過於寬鬆”。 此外,還成立了“採訪蘇丹緊急情況調查委員會”,由廣播局局長Ken Soga主持,並於2月17日報告了調查結果。 調查委員會列出了與事實不同的三點和過分誇大的三點,儘管在如何畫出程序的基本主題方面沒有錯誤,但它生產過多,以至於使程序變得有趣。他說,誇張的語言未能證實事實是引起批評的原因。 與在新聞發布後立即在報紙報導中反復出現的“ Yarase”一詞相反,在NHK的長達20頁,約19,700個字符的報導中完全沒有“ Yarase”一詞[2]。1993年3月19日,NHK以郵電部長 的名義被嚴厲警告不要提供行政指導 [3]。1994年 10 月,當時陪同NHK新聞組的攝影記者 小松健一(Kenichi Komatsu)出版了《野馬的真相:來自Yarase的證詞》(Liberta Publishing),講述了Yarase採訪背後的故事。在第二屆東京體育電影獎上 ,該節目被授予錄製文化電影獎,而“表演高山病的員工”被授予最佳男配角獎。
             「やらせ」よりも「捏造」と言うべきだ      本多勝一
「NHKスペシャル」の記録映像「奥ヒマラヤ・禁断の王国・ムスタン」の主要部分に「やらせ」があったことが暴露され、『朝日新聞』の一面トップ(特ダネか)をはじめ、各紙で大きく報道された。こういうことがあると、まだ‘かけだし記者’に近いころのある小さな「心のひっかかり」を思い出す。あれは30年前(1963年)の1月22日午前9時36分のことだ。北アルプス薬師岳の「太郎小屋」に私たちはヘリコプターで着陸した。愛知大学山岳部13人の生死をにぎるカギは、この小屋の情況にあったからである。小屋には寝袋をはじめ、冬山での宿泊に必要な一式がすべてあり、人間だけがいなかった。1パーティーとしては日本登山史上最大の13人全員遭難死は、このとき確認された。同行カメラマンの写真が新聞に出た。小屋の中に散らばるリュックや食器などの写真もある。まもなく出たグラフ雑誌にその同じ写真があるのを見たとき、私は「心のひっかかり」を覚えた。食器などをのせた細長いテーブルが、元の位置から引きずられて移動しているのだ。小屋の中には窓から吹きこんだ雪が1センチたらず積もっているため、引きずられたテーブルの足でそれが“除雪”されて、移動の証拠を見事に示している。このカメラマンの気持ちはよくわかる。その背景にある別の食器や鍋などと一緒の写真を、一枚のフィルムに収めるべく移動させたのだろう。だが厳密にいえば、これは現場の正確な記録ではない。「手」を加えている。殺人現場だとしたら、現場保存の鉄則を破ったことになる。しかしこのていどのことは、実はかなり行なわれているのではなかろうか。小さな現場変更の例だが、やはりこういうことはやるべきではないだろう。
NHKのやったことが「やらせ」だとすれば、これも「やらせ」だ。「やらせ」って何のことだろうか。文字通りにみれば「やらせる」つまり演技させることだ。芝居は全部やらせである。劇映画もそうだ。創作活動もみんなやらせになりはしないか。そんなことを思っていたとき、TBSニュース=キャスターの筑紫哲也氏と電話で話す機会があって、彼も全く同じようなことを考えていたという。あれは「やらせ」じゃなくて「捏造」(ねつぞう・でっちあげ)とか「改竄」(かいざん)「歪曲」(わいきょく)ではないのか、と。「やらせ」などといえば、人間のやることの非常に広範囲な行動や心理にまで及んでしまって、どこが境界か区別もできない。とも彼は言う。
そうだ。これは捏造であり、改竄なのだ。NHKが認めたことは、例えば「行きすぎだった点」として▼流砂のシーンはスタッフが人為的に流砂現象を起こした▼落石のシーンも同様にした▼スタッフが高山病にかかったシーンでは、この時点では、同スタッフはすでに高山病から回復していた▼取材班が高地をムスタンに向かうシーンは、実はムスタンでの取材を終えての帰途に撮影したシーンだった▼近くに橋があるのに取材班がわざわざ川を渡るシーン▼王族の夕食会を通常とは別の時間帯に設営▼ヤギの解剖授業を、正規の授業時間以外に収録した-などがあげられている(『毎日新聞』2月3日夕刊・同4日朝刊から)。
これらは「行きすぎ」などという程度の問題ではありえない。完全に捏造であり、改竄である。このことは文筆の世界で考えるとわかりやすいだろう。流砂や落石がないのに、わざと自分で起こして「危うく命拾いした」などと書いた登山記があれば、これは「行きすぎ」どころではなく、捏造以外のなにものでもない。むろん「やらせ」などとは言わない。夕食会の時間を別の時間にしたり、行きのことを帰りにしたりして書いたら改竄または歪曲だろう。
ある登山家は、月のないはずの夜に月が出ている登山記を書いて「初登攀」の記録を疑われ、事実上「登山家」生命を絶たれた。似たような捏造で地下潜伏中の大モノとの会見記を書いて記者生命を絶たれた新聞記者もいる。文筆の世界でははっきりと「捏造」「改竄」と指摘される同じ現象が、なぜ映像では「やらせ」といったあいまいかつ甘い表現ですませているのか。いわんや「行きすぎ」など、強盗殺人を過失致死にするたぐいの詐術であろう。
そういえば、これまでの約20年間に自社の雑誌や単行本で7,80回も私を攻撃しつづけた株式会社文藝春秋は、その中でほとんど常習的に捏造や改竄をやっている。いま東京地裁で審理中の私が提訴した例もそのひとつである。こんなことを平気でやって訂正せず、大新聞が追及もしないこの国であれば、NHKの捏造・改竄など大したことでもあるまいに。
(『サンデー毎日』1993年2月28日号・本多勝一『貧困なる精神Y集』(朝日新聞社・1994年・頁38~41)

『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタンOku Royaume interdit de l'Himalaya, Mustan』は、1992年秋に日本放送協会(NHK)が『NHKスペシャル』で放送した2回シリーズのドキュメンタリー番組である。
1993年2月3日付『朝日新聞』朝刊は、「主要部分 やらせ・虚偽」の見出しをつけ一面トップでL'édition du matin de l' Asahi Shimbun , datée du 3 février 1993, a pour titre "Major parts of mischief and falsehood" et est la première page、金銭を渡して住民に雨乞いをさせたり、取材スタッフに高山病のまねをさせるなど、番組制作にあたって数々のやらせ行為があったことをスクープしたrelevé qu'il y avait eu de nombreux actes de malice dans la production de l'émission, comme donner de l'argent aux habitants pour qu'ils aient la pluie et avoir l'interview le personnel imite la maladie alpine.
これに対してNHKは、2月5日夜「内容の一部に事実と異なる点やゆきすぎた表現があった」として放送法にもとづく訂正放送を2分30秒おこない謝罪した[1]。さらに、「ムスタン取材」緊急調査委員会(委員長は放送総局長の曾我健)を設置、2月17日調査の結果を報告した。調査委員会は、事実と異なる点3点や行き過ぎた表現3点などを挙げ、番組の基本テーマの描き方に誤りはなかったものの、番組を面白くしたいと思うあまり、過剰な演出をし、また事実確認を怠り誇張した表現をしたことが批判を招いた原因である、と分析した。スクープ直後の新聞各紙の報道で繰り返し「やらせ」の語が登場するのと対照的に、NHKの20ページ約19700字に及ぶ報告書に「やらせ」の文字は皆無であった[2]。
1993年3月19日、NHKに対し虚偽報道であるとして郵政大臣名で厳重注意の行政指導が為された[3]。
1994年10月、当時NHK取材班に同行していたフォトジャーナリスト小松健一は『ムスタンの真実―「やらせ」現場からの証言』(リベルタ出版)を刊行、「やらせ」取材の舞台裏を伝えた。第2回東京スポーツ映画大賞において、当番組に記録文化映画賞が、また「高山病を熱演したスタッフ」に対して助演男優賞が贈られている。
1993年2月3日 - 朝日新聞朝刊の一面トップ扱いでスクープ報道。「主要部分 やらせ・虚偽」の見出しのもと一連の不正報道を報じ始めた。過酷な自然を描くために、高山病の演技、流砂をつくる、降雨があったのに雨乞いし、別の馬を撮影し渇水で死んだとし、ヘリコプターで現地に入りながら徒歩で入ったように描いたことなど、約60ヶ所の虚偽シーンがあったことを同行カメラマンと現地ガイドの証言を主な取材源としながら指摘した。
同紙夕刊、番組に登場したオオカミの子供を持ち帰り、番組放送に合わせて動物園に寄贈していた事実と番組PRに利用してるならば希少動物保護のワシントン条約の精神に反すると問題を報じた(注)。
朝日の指摘を受けてNHKは緊急調査委員会を設け、6ヶ所の問題点を認め、NHK会長川口幹夫は「番組は事実を歪めた」と陳謝し、「訂正放送」を迫られた。
2月4日 - 朝日新聞、NHKの認めた6ヶ所をはるかに上回る19ヶ所の「ヤラセ」シーンを指摘。
2月5日 - 朝日新聞、番組ディレクターが視聴率増加のために放映に合わせて「良い番組なので子供に見せてほしい」という内容の大量の手紙を東京・神奈川の小中高校に送っていたと報じた。NHKにはこの3日間に2600件の抗議電話が殺到した。
2月6日 - 朝日新聞、NHK関連会社が日産自動車からPRビデオ制作などの名目で1000万円超の資金提供を受けていたことと、番組に登場する車両に日産製のものを使用し、「NISSAN」というステッカーを貼って撮影していたことを報じ、放送法の禁じるNHKの「広告の放送」にあたる可能性を指摘。増加した関連会社による外部資金調達と公共放送の電波の商業利用との疑惑を報じた。
2月17日 - NHKが処分を発表。川口NHK会長の減給6ヶ月。萩野靖乃NHKスペシャル番組部長の減給と解任。担当チーフディレクターの停職6ヶ月。メディアミックスとして放送素材の出版ソフト化で収益をはかる方針は「節度ある路線」に修正され、「放送現場の倫理に関する委員会」の設置によって「行き過ぎた演出」を制することとした。

(注)絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ぜつめつのおそれのあるやせいどうしょくぶつのしゅのこくさいとりひきにかんするじょうやく、英: Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)は、希少な野生動植物の国際的な取引を規制する条約であるFrançaisフランス語→La Convention sur le commerce international des espèces de faune et de flore sauvages menacées d'extinction (en anglais Convention on International Trade of Endangered Species, CITES), aussi appelé Convention de Washington, est un accord intergouvernemental signé le 3 mars 1973 à Washington.


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