日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

全体主義の時代経験・Expérience des temps totalitaires・Sperto pri totalismaj tempoj・전체주의의 시대 경험⇒ 这是极权主义的“安慰”方法/藤田省三・Shozo Fujita・후지타 쇼조③


*エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895年3月29日 - 1998年2月17日)は、ドイツの思想家、小説家、文学者、自然科学者、軍人である。第一次世界大戦及び第二次世界大戦に従軍。戦闘にかかわる体験記や日記の他、戦争を主題とする随筆や論考を残した。Idoイド語→Ernst Jünger (n. ye la 29ma di marto 1895 til la 17ma di februaro 1998) esis Germana skriptisto.
*Češtinaチェコ語→Hans Kohnハンス・コーン, někdy též Hanuš Kohn (15. září 1891, Praha[1], Rakousko-Uhersko – 16. března 1971, Filadelfie, USA) byl americký historik, filosof, teoretik nacionalismu, vysokoškolský pedagog a sionista, který pocházel z pražské německo-židovské rodiny. PS: 他も同じく、ところどころ「空白」な箇所は力+勉強不足で読めない漢字です。不細工、申し訳ありません。サミー

ちなみに、「全体主義」という用語を初めて用いたのは、おそらくエルンスト・ユンガーあたりであって、その場合は「国家」について「全体主義」を宣伝文句として使ったのであった。その宣伝文句を批判的分析の用語すなわち学問的概念に置き換えたのは1939年のアメリカ哲学会でのことであった。そこで初めてハンス・コーンその他の優れた亡命学者が招かれて「全体(主義)国家」についての立ち入った分析を行なったのであった。そしてその伝統の上に、カール・フリードリッヒを班長として、H・アレント等を加えてヨリ広い意味での「全体主義」一般の諸側面を批判的に検討し、定義したのが戦後間もない50年代の初めのことであった。その歴史の上に立っていながら、此処日本では、その批判的な「全体主義論」をすら、ふたたび宣伝文句に置き換えて単なる「反共攻撃」用にだけ用いようとする傾向が強い。学問用語さえ似非イデオロギー化しようとするのは、何に追随しよとしてなのであろうか。そのような連中に、例えば、アレントの画期的な著作を独占させてはならない。
(註)当時のアメリカ哲学全体は挙げて
「行動主義」花盛りであったから、毎年の学会総会の統一主題も「魚」の「行動様式」等々となるのが常であった。その習慣の中で、突然、39年にだけ「全体主義国家」の立ち入った解明が学会の統一主題となり、そこに、主として亡命学者たちが主役として招かれたのである。「行動主義者」としてほとんど実質的自然科学となっていた人々までが持っていた政治社会への関心は際立っている。当時の日本とは、ほぼ正反対であった。これが過去形のままで終わらないことを祈りたい。ナルシシズムからの脱却ー物に行く道(1983年)

生活の中の「公的」部分としての社会的行動の大方が、予め外側から与えられた決まりや掟に従って止むを得ず行なわれる「公式の務め」とく性格を帯びて来ると、人々の自然や関心は現に在る社会関係とは別の処に向き始める。その際の「別の処」に向かう関心は、昔なら神様や彼岸などに帰依する方向を探るのが一般的であった。そうしてそういう、此の世の社会関係からの宗教的超越が多くの人々に普及すると、結果として、帰依者の間に、別の社会(もう一つの此の世)が産み出されるのであった。

しかし今日の場合には、そうした超越の方向は一般的ではなくて、むしろ逆に「自我」の方へ自発的関心収 と言っても今日のそれは、自我を問題として思考の前に据え、疑いの対象として取り扱おうとするものではない。そういうデカルト的な知的懐疑でもなければ、芸術的想像の領域でデカルト的懐疑に等価であった「リア王」の問いでもない。「私が何者であるか誰か教えてくれ」というリア王の問いは、それに答えた「リアの影さ」という道化の返事によって、その問いが持つ自己否定性を明らかにする。存在する何者かではなくて藻抜けの殻に過ぎないのではないか、という痛烈な疑いが自分に対して向けられている。今日の社会に一般的な自我への関心の集中は、そうした現存の自己に対する否定性を持たないのが普通である。デカルトや「リア王」と異なるだけでなく、戦前の日本の「私小説」でも「私」は問題の塊として扱われたし、その文章の無駄を取り去った簡潔さは、「私」に対処する態度の厳格さを表してもいた。
そうして現存する自我を疑問の対象とするということは、「方法叙説」がいち早く言っているように、「学校」や支配的社会から「私が受け入れた」ことによって己れの裡に入り込んで来ている一切の虚偽や偏見を疑いと思考とによって「抜き取ろう」とする営みを意味していた。その結果、いやむしろその営みそのものにおいて既に、その自我は一つ一つの物事をそれとして即物的に識別するものとなっている。こうして自我を疑いの俎上に置いて止まない自我は、精神のドラマの核心であって、そこから発生する「物に即した」識別行為は、虚偽をたっぷりと含んだ現存世界から虚偽を一つ一つ抜き取り、物事を自然の異なる姿を一つ一つ描き出して、やがて「自然学」と「新しい世界」を発見していくことになる。その、世界像の劇的転換は紛れもなく「もう一つの此の世」の創作であった。同時にそれは「もう一つの超越」でさえあった。その過程は一歩一歩確かめながらゆっくりと進むものであったけれども、進みにおいて緩やかであるだけに、一挙暴発的な遮断とは違って、一そう根本的な世界像の転換をもたらすのであった。
今日の「文明社会」に一般的な自我への収 は、そのような、世界の再構築へと向かう精神のドラマを内蔵しているものではない。此処に在るのは、疑いの対象としての自我ではなくて、それ自体が目的とされている自我なのであり、「虚偽を含んだ自我を否定していく自我」ではなくて、現に在る自我を大事にそのまま肯定し、出来る事なら何処までもそれを延長していこうとする自我なのである。虚偽に満ちた自我をゼロにするまで還元することによって、「自然理性」の自我を確立していく対照的自我ではなくて、ひたすら既存の自我を真偽ごたまぜの塊のまま丸ごと大切に保存し出来ればそのままの形でいくらか拡張しようと願っている自我なのである。すなわち、所与の欲求の充足を事とする心理学自我であり、そこに働いている「理性」はと言えば、主として、充足における損得を勘定する計算なのである。バランス・シートが今日の「理性」なのであろうか。     


生産者としての側面(すなわち物事の自然と直接向かい合う側面)を厖大な機構的体系の中に吸収されて了って、その体系の中で微塵と砕けて雲散霧消し終わった存在が、残された消費の側面だけで自己の働きを安全に発揮しようとする時、そこに発生する自我志向は、今述べたような、欲求の満足を目指す自己内運動とならざるをえないであろう。そうなる社会的根拠は十分に存在している。そして何人と雖もその根拠から完全に自由ではありえない。しかし、根拠のあることだからといって、その自我志向が構造的性質としてナルシズムの病気を抱えているものであることは見失ってはならないであろう。
自我の満足だけをひたすら追求する態度を、或る種の精神医学はナルシズムの故事とは別に、一般化して「ナルシズム」と呼んでいるようだが、しかしその故事とその態度の間には矢張り構造的類似があるに違いない。池の面に映る自分の映像に恋慕して止まない姿の底には、事の性質上いつまで経ってもその映像を腕に抱くことが出来ないところから来る、欲求不満と不安の潜在的昂進がひそんでいる。丁度そのように、現に或るままの「自我」を丸ごと肯定して、それの欲求の満足をひたすら追求するところには、自足よりも不満と不安が絶えずつきまとう。                                                                       

具体的な物と対面する関係の中で生きている自我は、物それ自体の限界を己れの欲求の限界として自我に自得する。全ての知覚形式を通して総合的に物の限界を自ら知るのだから、その自制は、道学的命令による外からの制限などとは違って、極めて自然な内側からの自足となる。しかし、大量生産と大量流通と大量消費の機構の中に沈没して、物との関係を失った製品咀 器としての自我が発する欲求は、糸の切れた凧のように無限定なものとなっている。それは、物の限度を自らの全知覚を通して内側から納得していく自然の制動機を内蔵していない。消費の自我に加えられる制限は、物との相互関係ではなくて金銭という名を持つ「印刷された紙切れ」の保有量の限界だけである。その「記号」の命令だけが欲求に禁止を指令する。道学的禁令に代って、流通碍なる紙切れの記号が、同じく外側から禁止命令を加えるのである。かくて、欲求不満は極めて当然に起こって来る。
そして、不安定な性質を宿命的に持っているから、それだけに却て用心深く自我防衛の機制を作り出そうとする。自分に対して余計な脅威や驚きを与える可能性を持っているもの、すなわち「他者」は、それが人であれ物であれ、いきなり自分に遭遇するこの出来ないように遠ざけられる。自分をカプセルに容れるのである。 のような「家庭」が此所に作られ、違和感を除去した「新しい友達」が周囲に取りよろう。「他者」との対面的な相互交渉である経験がこうして周到に排除される。
しかし、無菌状態の温室から、世界の事物を手前勝手に選別して、自分にピッタリ来るものだけを採用する態度が行き過ぎている処では、世界はどうしても変形を蒙らないわけにはいかない。世界はそれ自体として存在する物ではなくて、消費されるためにだけ、そしてそれまでの間一時的に存在している仮の物に過ぎなくなる。リア王の道化のように「世界の影さ」というだけでは済まされない。物件目録にまで貶しめられた世界がそこに横たわっている。私たちを組み込んでいる現代的なナルシズムは、このような世界像を裡に秘めている。


*ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。Interlinguaインターリングア語⇒René Descartes (1596-03-31 ~ 1650-02-11), sovente latinisate in Renatus Cartesius, esseva un philosopho, mathematico e scientista francese.

*『リア王』(リアおう、King Lear)は、シェイクスピア作の悲劇。5幕で、1604年から1606年頃の作。四大悲劇の一つ。長女と次女に国を譲ったのち2人に事実上追い出されたリア王が、末娘の力を借りて2人と戦うも敗れる。王に従う道化に悲哀を背負わせ、四大悲劇中最も壮大な構成の作品との評もある。Latinaラテン語→King Lear ('Rex Lear') est tragoedia a Gulielmo Shakesperio docta. Descensum per gradus in furorem Lear senis pingit postquam regnum, blandimentis corruptus, in partes binis e suis filiis tribus tribuit, qua pro causa omnes damno miserabiliter afficiuntur. Ludus, e fabula traditionali ortus de quodam Leir Britannico, mythologico rege Celtico, qui priusquam Romani advenerunt regnabat, latissime ad scaenam pelliculasque accommodatus est, primis partibus a pluribus e perpolitis orbis terrarum histrionibus cupide appetitis.

今日、日本国中に行き渡って来ている「技術大国」の自惚れや、南北諸地域の山を買い叩きながら「日本には総面積の6割を超える森林がある」と言って誇る態度や、海から草原から濫獲して来た品々の山を身近に持っていることを私たちの「豊かさ」として満足している様子などは、尽く、製品の発生過程が、物の内部にだけ存在する「隠された次元」となって、直接に知覚できないところから来ている。その限りで、それらの現象は、「生産の社会関係」が隠蔽されて、製品それ自体が独り歩きしながら、それの持つ消費上の美質が魔的魅力を恣にしている「製品の物神崇拝」を促進する精神的要因ではあっても、それに制動を加えるものとはならない。自我のナルシズムは、こうして、集団的ナルシズムの基礎となる。自分が不安定であるだけに一層集団的自惚れに融け込もうとする。
私たち自身を、暮らしの仕組みそのものにおいて捲き込んでいる此の状況を、もし望ましくないと思うなら、どうすればよいのか。「省エネルギー」的自制や身の廻りの「自然」を回復することも必要なことではあろうが、根本的には自我の組み替えがなければなるまい。ナルシズムの自我に替えて「他者」について考える自我が蘇らなければならない。古びた文句をもじって言うなら、「私は他者について考える。故に私は存在する」となることが必要不可欠である。むろん「他者」とは、自分の外に或る物であり事であり人であり動植物であり・・・それら一つ一つのものの総称に他ならないのではあるが、同時のその言葉は「見知らぬ者」としてそれら全ての物に接することーそういう方法的態度―をも含んでいる。

全てに対して「見知らぬ間柄」に立つ者は「初めて見る者」の不思議そうな眼をもってまるで「奇異なもの」を見るように物に見入る。夢中に見入るその注視は、ポカンとした「放心」と「自失」を含んでいるし、同時に見入っている物に対しては「極度の覚醒」を持つことになる。その時に、物を手段として扱っている時には決して見えて来なかった「物の隠された次元」へと眼が届くのであり、物の自然そのものに即して発見するのである。だから「物について考える」とは、他でもなく、その物に対して「親密である者から見知らぬ者へと立ち戻ること」なのである。飼い馴らして自分の消費手段にしようとすのではなくて、初めての存在に接する事が含む「奇妙な不審」を我ものとすることなのである。そのゼロの意識状態、此の世の境に立ち戻った状況が「他者のそれに即して考える」ことに他ならない。
その状況においては、自分の抱く期待や不安や恐れや喜びなどの感情もまた、「見知らぬ者」の初めて見る怪訝さをもって見入られるのであって、そこにこそ、自分の内側を無心に解折する自我が発生する。そしてこの自我が持つ白痴的な「放心」と「自失」、「見知らぬ者」の好奇心がもたらす「極度の覚醒」の下では、ナルシズムは起こる余地がない。                                                                         
しかし、そういう自我を生み出す者は、かつてのデカルトのような完璧な確かさを以て歩むことの出来るものではない。すべての者が「鯨の腹中に」呑み込まれて生きている今日においては、「見知らぬ者」の眼付きについて深い洞察を行なった当の思想家本人が既に今世紀前半に危機のユーモアを込めてもじっているように、「私は時々考える。故に私は時々存在する」しかないのである。(P・ヴァレリー)しかし、デカルト的確実性と恒常性を失って時々立ち戻っては息を吹き返す間歇的存在となった「私」ではあるけれども、その些かコミカルな間歇的存在がもたらす制動と抑制の響きは、決して無視できるほど小さなものではない。それある限り少なくともナルシズムに加速はかからないのである。物について考える間歇的存在に出喰わす度にナルシズムは中断され、スタートのやり直しを余儀なくされる。
そしてもし、その間歇的存在の分布する数が増え、その間歇的の発生頻度が多くなった場合には、それらの相互的な集合の結集、「他者」の存在を確認し、我々の外に立っている物の自然な世界を蘇らせ、したがってそれに向かって虚心に対面する「我々」となるかも知れないのである。その時の「我々」こそは恨み深い私たちの社会となる。その時には、「雪がコンコン降る。/人間は /その下で暮らしているのです。」と言って嘗て私たちに敬虔さの何たるかを教えてくれた山村の一少年の感受性は、私たちの社会の共通項となって生き返ることになろう。そしてその社会は「鯨の腹中」の異物となっていくらかの可能性を担うことになる。


*アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー(仏: Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランスの詩人、小説家、評論家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry (French: [pɔl valeʁi]; 30 October 1871 – 20 July 1945) was a French poet, essayist, and philosopher. In addition to his poetry and fiction (drama and dialogues), his interests included aphorisms on art, history, letters, music, and current events. Valéry was nominated for the Nobel Prize in Literature in 12 different years.[1]
今日の経験―阻む力の中にあって(1982年)
精神的成熟が難しい社会状況となっている。すっぽりと全身的に所属する保育機関が階段状に積み上げられたような形の社会機構が出来上がっていて、成熟の母胎である自由な経験が行なわれにくくなっているからである。1つの保育器から別の保育器に移行する時には激し過ぎる競争試験が課されているのだけれども、その「試験」は、官僚機構の特徴としての文書主義の原理に則って、予め書式の決まった紙切れテストに成っているため、特定の或る一面についての能力だけが試されるものとなっている。「就職」後の上昇テストにしても特定の一面的な仕事の力や「社内」という特定の場での行動様式が検査されるに過ぎない。定年退職後の保育器選択に至っては「紙幣」という紙切れの一定の提出量だけが「通過儀礼」の試験となっている。又、それらの保育器の中では、1人1人が皆んな働き過ぎる程働き、運動し過ぎる程運動しているのではあるけれども、そのカプセルに入っていることによってだけ小さな安定と小さな豊かさが保証されるようになっているために、勤労や苦労の有無にかかわらず精神の世界では社会機関の殆どが別の表現なのである。1度そこに入れば放り出されることは先ずないから、平均的保証の内にあると考えられるであろし、そしてその代り、保育器自体が危くなった時には、猛烈な保育器への「忠誠」と「献身的応援」が始まるであろう。保育器の成り行きが1人1人の存在をすべて決定すると考えられるからである。
こういう風になった社会では、1人1人が試されることと言えば、その決められた一定の鋳型を満たす能力の有無だけであるから、物事との自由な出遭いに始まって物や事態と相互的に交渉する「経験」の発生する機会が大きく閉ざされている。書式の決まった紙上テストに典型的に表れていることだが、一般的に今日のテストでは、予想を超えた事態というものは原理的には現れない。理論上は満点を取る事が可能なのがこの種の試験の特質であり、そこで可能目標である完全答案を目指して接近競争が行なわれることになる。予想外れはこちら側の表現に過ぎず、試験本来の属性として生じる物ではない。
経験が課する試験との決定的な違いがここにある(経験は予め決まっていないからこそ経験となるのであり、「神の摂理」や「天命」として彼岸の主によってだけ予め必然化されていて、人間の世界では「自由」に起こる他ないものなのである)。そうして、書式も決まり完全解答も決まり原理上の予測不可能性が排除されている試験が人生の経過を蔽っているところに、現代社会固有の「先験主義」の温床がある。その「先験主義」とは、自分が試す問題の性質が、それと出会うより前に予め完全に分かっているべきだ(或いは分っていて不思議ではない)という精神態度である。これでは「問題」というのは名ばかりで少しも問題的性格を持っていないものとなる。ちょうど「試験」という言葉が全人間的試験の性質を持たなくなっていることと対応している。   
物事は、元来それが人間の側の手前勝手な目論見を超えた独立の他者であるからこそ物とか事とかと呼ばれ、それとの普通の交渉を通して私たちは経験を生きることになるのだけれども、現代の「先験主義」は物事のそうした他者性をそもそも認めないで、自分に対して現れる問題は、すべて予め完全に統制できる筈だと考えるもの(物や事に対する恐るべき全体主義!)であるから、その意識の枠内では、物事との間の驚きに満ちた又苦痛を伴う相互的交渉が起こる余地がない。その余地がないだけでなく、未知で統御不能な物と遭遇すること自体が予測能力の不足を示す恥ずべき事態だと考えられる。「万能計画器」を心指す態度からは、こうして、経験の機会それ自体を自ら進んで拒否し、経験を生きることを積極的に回避し、その代わりに、経験より秀れたものと考えられる完全合理的な「想定」や「プロジェクト」の製作にだけ向かって行く傾向が発生する。設計された「経験の代用品」の方が経験それ自体よりも値打ちが高いとする異常でで不遜な価値観が此処には在る。          しかし先験的な「設計図」の完璧な合理的体系性を誇ろうとすればする程、その「設計図」が物との接触によって、打ち砕かれることへの怖れと不安が働くことになる。此処から再び経験回避への動力を獲得する。その能動的回避の帰結は所属機関の保育器化をいよいよ「主体的」に促進するであろう。しかし、物事に脅かされることなしに「計測能力」の高さを誇り続け、そのことによって虚偽の自己確認を保持し、それによって安定と小さな豊かさを保っているのであれば、その状態は或る社会学者の言うところの「安楽への自発的隷属」に他ならない。(R・セネット)人類の経て来た色々な種類の隷属精神の歴史の中で、奴隷主やその他の人間的対立者との関係なしに、経験を回避するために自分の現在の安楽状況に対して自発的に選択した隷属を行なうことは、前古未曾有の新しい形の隷従である。その状態は社会的には血色よく死んでいる状態と言ってよいであろう。運動もよくするし苦労して頭も使うしよく働きもするのだけれども、対立的他者―競争者は同じ目標に向かって競り合う者であって社会構造上の対立者ではない。それは「内ゲバ」に過ぎないーこの相互関係を生きていない限り、社会形成の面から見れば死に体である。そしてこの逆説的な、豊頬を堪えた死体こそが現代型健康の支配的形態なのではないか。
けれども、いうまでもなく其処には、自由な経験だけがもたらす「成年」への飛躍は起こらない。経験の中では、物事との遭遇・衝突・葛藤によって恣意の世界は震撼させられ、其処に地震が起こり、希望的観測は混乱させられ、欲求は混沌の中へ投げ込まれ、その混沌のもたらす苦しい試練を経て、欲求や希望の再形成が行なわれる。精神の「成年式」は、そのようにして、個別的経験の中でその都度その都度繰り返し行なわれ、その再生の繰り返しを経てこそ、 造された精神的価値と思想的目標が確固として根づくことになる。
単に希望的観測が打ち砕かれるということだけならば紙上試験の結果の発表に際しても体験できる(そしてそれだけのことでも無いよりは有る方がましであるが)。しかし其処には物事の性質や規模や形や様相やらの新たな介入がないから、欲求の世界の混沌は生じない。混沌への恐怖だけが以前のまま残っている。そこから先に見た防衛的回避の動きが起こるのである。しかし精神の「成年式」は、混沌の苦痛(苦難)の最中で物事の諸特徴を見詰め、それを身に附け、手籠には出来ない独立の他者である物事から伝わって来るものを、自分の意図の世界に繰り入れ、こちら側と物事の世界との相互制約を経て、両者の統合を内部に達成することである。そうしてその統合が行なわれ「或いは心指され」ているところには、根本的価値の放棄や権力への内面の屈服や表面的状況への便乗は起こらない。じかに物事との間に葛藤を常々持っていて、それを通して価値の再生が繰り返し行なわれているからである。                                                                                                                         

精神の確立がこのようにして出来上がるものだとすれば、その生成過程を保証する条件は、先ず何よりも、自分を震撼する物事に対して自らを開いて置くことであろう。言い換えれば物事によって揺り動かされることを歓迎する用意が必須なのである。物或いは事態へのこの開放的態度こそが自由な経験の基本条件であり、それは同時に自分の動揺への開放的態度でもあるところに経験への姿勢を持つ意志的性質が物語られている。そうして現代の「中流意識」が自己の深部に持っている「安楽への自発的隷属」の姿勢を、不安と恐怖を以て拒否するものこそ、こうした、物事への精神の開放であり、揺すぶられることを歓迎する態度なのである。その拒否が経験への回避工作を生み、その回避工作が極めて合理的な体系的妄想と虚偽意識を製作し、それが自惚れに満ちた嘘の自己確認をもたらすことは既に述べた。しかし一連の精神傾向こそが事物の世界に対する現代の侵略性を作り出しているのである。
それに反して、自分を超えた絶対的他者としての物事に対面して、苦痛を伴うそれとの交渉を戦わない精神は、支配性や領略感や侵略性とは逆の「自由」をしっかりと基礎づける。自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するところにあろうが、自らを原初的混沌に投げ返す絶対的他者とさえも相互的に交渉しようとする態度からは、そうした相互的他者に対する自由は極めて自然に帰結する。そればかりか、そうした自由が揺るがざるをえない条件が訪れた時―譲るべからず根本的価値の対立状況においてはそういう条件は、部分的にではあれ、必ず出現するのだがーその時自由の精神が其処で自らを確保し再生産をする基地は、絶対的他者たる物事との相互的交流の場所なのである。言い換えれば、一歩も譲らない対抗の状況に身を投じている場合にも、その状況自体を経験すべき1つの事態と見做す眼を持ち続けているならば、全面対立を経過することがもたらし易い硬直の後遺症は起こらない。                   

こうして経験の重視と自由の精神とは分ち難い一組みの精神現象なのであった。しかし、経験を生きることから生れるものは自由の精神ばかりではない。人間の存在の基本的特質である歴史性の認知もまた其処から生まれる。抽象的な恣意が物事との遭遇と交流を通して目論見通りに罷り通れなくなるとき、その意図と結果の喰い違いにおいてこそ「歴史の狡智」が具体性をもって発見される。そうして、万事が予測通り運ぶのが正常であってそうでない場合は故障であると見做される機械の世界と、人間の行為の世界との質の違いが此処に始めて十分に意識される。器械や機構と化した世界には自働的回転があるだけで歴史はない。そこには古びることはあっても(つまり非能率化はあっても)、意図と結果の食い違いという史観を通して、絶えず始めに帰り、そうすることによって自らの内から価値を再生させるという更新の経験はありえない。経験がその主要契機の1つとしている混沌の経過とは、別の面から見れば、この「喰い違い」という歴史性の異なった表現に他ならなかった。そうして、精神の「成年式」における仕上げの要素としての統合はー物事から伝えられるものと自らの意図との相互制約を経た場合はーこの歴史(喰い違いのドラマ)を消化するところにだけ生まれるものであった。こうして、人間の特質としての歴史性を我身に起こる具体的出来事において認知することと経験を生きることとは、これまた一組みの精神現象なのであった。                       
かくて、繰り返すが、恣意にとっての邪魔物を喜んで歓迎し、それと葛藤を含んだ交渉を行なう開かれた態度と、苦痛を伴う「喰い違い」の史劇を消化して根本的価値の統合的再生を不断に行なうのが、繰り返されるべき精神の「成年式」なのである。だとすると、今日、私たち自身を捲き込んで一般化して来ている「安楽への自発的隷属」がーそれとして意識しにくい享受的姿勢を探って現れているその卑屈の最新形態がー経験を拒むことによって精神的「成年式」に対する大きな障壁となっていることはもはや明らかであろう。現代固有の保守性や反動性の社会的・精神的基礎は其処にある。其処には独立不羈の自由な野党精神は育ち難いからである。ついでに言えば、今日の政治的野党が必ずしも野党精神の容器ではなくなっていることも其のことと深い幸運関係にあるであろう。
では一体私たちはどうすれば良いのか。先ず、この経験の拒否と排除と回避とが全体的な社会機制として生じているという、これ又前古未曾有の事態が、他ならぬ私たち自身の生活環境として、簡単には取り除けない形で盤踞して来ていることの苦痛を回避することなく感じ取るべきであろう。私たちは経験の消滅という「最後の経験」を生きつつあるのだから。「最後の経験」などという物騒な言葉を使ったからといって、それは人類史がこれで経験を最終的に失って了ってもう2度と取り返せないのだという意味では必ずしもない。それとは別に、近似的な「経験の消滅」すなわち比喩的なそれの死は、象徴的な意味で「末期」の、すなわち「最後の」経験であるに違いないのではないか。そうして、大よそ、様々な全ての経験の中で最も鮮烈で典型的な毛県はーすなわち「経験の中の経験」はー最初の経験と最後の経験と再生の経験なのである。誕生と死と復活は三大経験であると同時に凡ゆる経験の三大核なのであって、全ての経験がその三つの経験の枝を比喩的な模型の形で含んでいる。むしろそれらを含むことによって全ての経験はたりえているのである。だから私たちは、今、三大経験のうちの大きな1つを、未曾有の規模でー個人的規模においてではなく全社会的規模でー経験しつつあるということになる。個人的規模でないだけに、自分の経験として自覚もしにくく自分で左右することも出来にくいから、いきおい運命としての性格が強いものではあるけれども、しかし運命との及び難い葛藤こそは精神的格闘の典型的なものである筈である。私たちは図らずとも今日その機会に恵まれるに至ったのである。      

むろん運命との格闘においては、相手が相手だけに、敗北や失敗が必然的に訪れる。だから今日における経験と主要形態は没落であり倒産であり敗北であり失敗である。成功や成り上がりや保育機構内での上昇や便乗や・・・などの中には経験は殆ど訪れない。既に見たようにそれが機構化され切った社会の特徴である。そうであるからこそ、私たちは、現代の危機が与えてくれた「最後の経験」を十分に経験するためには、その大経験の原子として、小さな「失敗」や「計算違い」を機構の鋳型からの「はみ出し」などを、不愉快だからといって忘却の彼方へ押しやらないで大切に保管し、それが物語って来るところのものを十分に咀嚼しなければならないであろう。いつの時代でも失敗は大事な経験であるけれども、今日ほど「敗北」や「失敗」の重視が重要になったことは過去の如何なる時代にもなかった。今日では経験の存否がそれに賭かっているからである。
「最後の経験」を重く見て生きる時、人類史の見え方や世界への応答の仕方の中に成る確かな方向が現れて来るであろう。すなわち、新石器時代の食料生産革命以来の文化的大変動の結果「人間の前史の終わり」が訪れるかも知れないような根本的危機の最中にあって、「経験の消滅」を経験する者から見れば、一つ一つの物や生活様式や様々の基本的人間経験は、文明史の始まりの所から今日(終わりのところ)に至るまでの一括りの文明地代を通して、その間にどのような歴史を歩んで来たか、という角度から省察されなければならないであろう。現代の「ミネルバのふくろう」はそのように飛び始める。そしてそのように省察される時、歴史は通り過ぎた過去の段階としてではなく、また単なる追体験の対象としてでもなく、今あらためて経験すべき物事に満ちた場となるであろう。一つ一つの物の太古の祖型やそれの歴史的変奏曲はまだまだ決して私たちの精神の中に消化されてはいないのである。そして今こそそれは私たちによって咀嚼されなければならない。そうなれば、却って人間社会は本当に終わりを迎えなければならないであろう。かくて、物との交流は、その大きな領域をー文明史の開始以来を一括りの時代と見るなら、いよいよ大きくなって行く領域をー私たちに今更めて指示しつつあると言うべきである。今日的成功とそれがもたらす自惚れをお断りして、消滅・失敗の系列に属する「最後の経験」を苦痛をもって経験しようとする者の前には、意外にも大きな順序を持った新たな経験の領域が広がっているのであった。
しかしこの道は現代の多数派から見るとき確かに島滸の道としか写らないであろう。だがそれが人間経験の再生を担った人類史的応答の仕方である限り、その道を歩む道からは、動かし難い社会的存在としての精神の野党が生まれるに違いない。そうして動かしえない小さな存在は、それが外側から動かしえないものである以上、却て多数派を動かす要因となりうるのである。

*リチャード・セネット(Richard Sennett、1943年1月1日 - )は、アメリカ合衆国の社会学者。専門は、都市社会学。Richard Sennett OBE FBA FRSL (born 1 January 1943) is the Centennial Professor of Sociology at the London School of Economics and former University Professor of the Humanities at New York University. He is currently a Senior Fellow of the Center on Capitalism and Society at Columbia University.[1] Sennett has studied social ties in cities, and the effects of urban living on individuals in the modern world.

*ミネルヴァのフクロウは、ローマ神話の女神ミネルウァ(ミネルヴァ、ミネルバ)が従えているフクロウであり、知恵の象徴とされる[1]。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』(1821年)の序文で「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」(ドイツ語: die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug)と述べたことはよく知られている[1][2]。Deutschドイツ語→Die Eule der Minerva oder auch Eule der Athene ist ein Symbol von Klugheit und Weisheit.

*コンラート・ツァハリアス・ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz, 1903年11月7日 - 1989年2月27日)は、オーストリアの動物行動学者。英語風にコンラッド・ローレンツとも表記される。刷り込みの研究者で、近代動物行動学を確立した人物のひとりとして知られる。息子は物理学者のトーマス・ローレンツ。Idoイド語→Konrad Zacharias Lorenz (1903 til 1989) esis Austriana ciencisto qua recevis la Nobel-premio pri Fiziologio o Medicino en 1973.

*カール・レーヴィット(Karl Löwith、1897年1月9日 - 1973年5月26日)は、ドイツの哲学者。ユダヤ人。日本で教鞭をとったこともある20世紀を代表する哲学史家である。Deutschドイツ語→Karl Löwith (* 9. Januar 1897 in München; † 26. Mai 1973 in Heidelberg, Pseudonym: Hugo Fiala) war ein deutscher Philosoph. Obwohl protestantisch getauft, wurde er von den Nationalsozialisten als Jude verfolgt und musste 1934 aus Deutschland emigrieren. Löwiths Forschungsschwerpunkte waren der Bereich der Geschichtsphilosophie und die Denkansätze Georg Wilhelm Friedrich Hegels, Friedrich Nietzsches und Martin Heideggers. Seine Werke Von Hegel zu Nietzsche und Weltgeschichte und Heilsgeschehen gelten als Klassiker der philosophischen Literatur der Gegenwart.[1]
現代日本の精神(1990年)        [聞き手「世界」編集部・岡本厚]
「セールスマンの死」よ来れ
―藤田さんは、かつて日本全体が「安楽への全体主義」になり、それがいまや蔓延してシステム化してしまった、とおっしゃっています。この日本の「安楽への全体主義」が高度成長期に育てられたものとするならば、80年代半ば以後、日本経済が相対的に巨大化し、「全満」とまでいわれるようになった現在には、そうした時代の精神は、どのように働いているんでしょうか。
藤田 不快を感じさせる全ての物事の元を根こそぎ何が何でも一掃しようという動機が日本社会全体を貫いていて、それが日本社会の抑制のない、むちゃくちゃな高度経済成長―私は経済はそういうものではないと思いますけどーといわゆる「技術の先進化」を生んでいる。不快を避けようというのは誰にとっても自然ですが、それは不快と直面したときにはじめて避ける努力と工夫が行なわれる場合のことです。不快の源泉を「一掃」しようというのは全体主義的な思考で、絶滅思想、ホロコーストに通ずる姿勢がうかがえる。そこにもとにあるのだから、そこから考え直さなければいけない、と私は言ってきたのです。
いま日本ではみんなの関心がいわゆる「経済問題」実はカネ儲けにだけ集中している。カネといっても今のカネは、動物学者コンラート・ローレンツの言う「記号の記号」にすぎない。もともとは物と物を交換する時の手段であったものが、いまではそれ自身が売買の目的になり、またそのことに日本中が熱中しているというわけです。「記号の記号」という表面的な物の獲得競争への熱中、そこで制覇することへの欲求が支配的になっている。人間の行為には精神的動機のない行為というものはほとんどない。動物は、遺伝的にプログラムされていますから、してはならないことはしないんです。人間は放って置くと、してはならないこともする。だからこそ逆に人間には倫理が必要とされているんですが、表面的な物への熱中はその倫理を投げ捨てさせます。倫理というのは内側からのブレイキなんだから。
では、倫理的なブレイキとは何か。その基礎は反省能力、自己批判能力です。そしてこの自己批判能力をいちばん欠いている国民は誰かというと、僕の知っている限りでは、日本国民をおいてはいない。先年亡くなった西ドイツのカール・レービットは戦争中日本にいて軟禁状態におかれていた。彼は戦後間もなくこう書いています。日本人の精神的特徴は自己批判を知らないということである。あるのは自己愛、つまりナルシシズムだけである、と。その指摘はいよいよ表面化されてきたと思います。
その点をさらに突込んでいうと、個人としての自己愛であればエゴイスムになり、したがって自覚がありますが、日本社会の特徴は、自分の自己愛を自分が所属する集団への献身という形で表す。だから本人の自覚されたレベルでは、自分は自己犠牲をはらって献身していると思っている。その献身の対象が国家であれば国家主義が生まれ、会社であれば会社人間が生まれて、それがものすごいエネルギーを発揮する。しかしこれはほんとうはナルシシズムであって、自己批判の正反対のものなのです。錯覚された自己愛、ナルシシズムの集団的変形態であって、所属集団なしに自己愛を人の前に出すほどの倫理的度胸はない。ほんとうに奇妙な状態です。
よく外国の批評家が、日本人は集団主義だというけれども、それは一応はあたっている。ただし、日本人の集団主義は、相互関係体としての集団、つまり社会を愛するというのではなくて、自分が所属している集団を極度に愛し、過剰に愛することによって自己愛を満足させているのですから、そこに根本的な自己欺瞞がある。
自分では自己犠牲をはらっている。自分は献身的であると思っていて、人にもそういって自分を正当化しながら、実は国家主義であり、会社主義なのです。三菱主義であり、伊藤忠主義であり、丸紅主義であって、それが猛烈な集団の膨張力をもっていて、企業進出のエネルギーとなっている。これがいまの日本の経済帝国主義の精神的な姿だと思います。自覚、自己批判がないわけですから、これを崩すのは容易なことではない。

このエネルギーによって、日本は経済、とくに金融経済では世界を制覇してしまった。このあいだは銀行合併なんていう話がありましたが、アメリカは戦後の世界帝国として中近東・アジア・中南米などでたしかに許しがたい悪いことをしているけれど、ごく一部の社会現象の中に、日本よりはずっと健全なところがある。アメリカの銀行だったら、独立自活の精神があるから、自分の銀行の特徴を生かすためには、むやみやたらにシェアを拡げようとはしない。日本の場合は、太陽神戸と三井といったとてつもなく大きい銀行が2つ合併して、規模だけ大きくして差し当たりはシェアだけ獲得しようとする。経済学上、「シェア」などという洒落た片仮名を使っているから経済現象だと思ったら大間違いで、そこにある考え方は、経済の姿を借りた「領地の膨張主義」です。
もうひとつ、これは田中直毅氏がお書きになっていることですが、たとえばアメリカ人は戦後何十年の間に東京の一等地を買い占めたりしていません。いわんや、アメリカの金持ちが東京で土地ころがしをやって儲けたという話は聞かない。ドル高時代のほうが圧倒的に長くて、円高になったのはこの数年なのに、その数年のあいだにニューヨークでもオーストラリアでもハワイでもヨーロッパでも、日本人は円高を利用して土地投機をやっている。企業家たるものは自分がコストを払い、努力をし、労働をして、堂々と利益をあげるならば、むしろ褒められるというのがアメリカ資本主義の昔からのマナーです。したがって、土地投機によって儲けるなどということは禁止されてきた。商行為の倫理として、信義誠実の原則に反するじゃないですか。

この2つの例、1つは、いたずらにテリトリーを広げようという、まぎれもない帝国主義的発想、もう1つは、円高や土地投機などによって儲けようとする、つまりコストを払わないで儲けようという投機の発想が、日本資本主義をつくりあげてきた精神だといっていいと思う。そもそも第一次世界大戦のときから日本は、‘漁夫の利’と世界中からいわれ、戦後の高度成長の出発点も朝鮮特需の特需景気でした。よそさまの不幸をタネにしてそれで儲けようという精神は、ずっと変わっていないのです。
人の独立を尊重する、というのが本来の独立精神なのに、日清、日露という戦争で初めて日本の独立が確立したといわれることは、隣人朝鮮の独立を蹂躙することによって自分の国の対西欧面だけの独立を確保したということで、それは精神的には独立ではない。独立精神の持ち主なら当然他人の独立も、他社会の独立も尊重するはずですから。
だから、たとえば食料品についても安ければ買う、コストをなるべく払うまいとする。そこにはカリフォルニア米の輸入問題の本質がある。食べる以上は食べることについてのコストを払うべきです。そのコストは、精神的コストも含みます。たとえばこの食べ物はどこからどうしてきたんだろう、台湾の養殖ウナギだとわかったら、台湾の養殖ウナギはどのようにして始まったかとか、人生を注意深く反省的に生きる人間なら、いまはもう生活の全局面を個別的に考え調べなければならないことぐらいのところまで日本はきている。
いくら困っても売ってはならないものがあるように、商品にしていいものと、商品にしては悪いものがある。日本は何でもかんでも商品にしてしまうんです。商品にしてはならないという感覚がない。つまり経済倫理がないのです。それにエコノミック・アニマルなどという上等な名前をつけてもらっては困るので、アニマルは必ず、してはならないことはしないようになっている。人間の自由を最も悪用しているのが現在の日本社会で、全ゆる物を世界中から犠牲(コスト)を払わないで買い叩き、ちょっと手を加えた物を世界中に売り捌いている。「技術大国」とかだそうですが、日本が一番得意としている技術は、物を商品にする技術、商品として販売する技術でしょう。何でもかんでも商品にしてしまう。自分まで商品にしている。そこまできているかと思うと暗澹たる気持ちです。それが「安楽への全体主義」という病気が進行した結果生まれた「商品への能動的全体主義」の目下の姿でしょう。「セールスマンの死」よ来れ、という思いです。

反省なき膨張主義の系譜
―何かをやるときに内部でチェックがきかない、膨張する、つまり、反省ができないというのは、日本社会のもともとの性質なんですか。それとも近代以来培ってきた性質なのでしょうか?
藤田 両方あると思う。でももとからといっても、もちろん縄文時代までは安楽への全体主義も膨張主義もさかのぼることはできないでしょう。しかしそれ以後、律令国家の時にはあります。石母田先生が指摘したように、日本の律令国家には、中華帝国にはなれないけれども中華帝国を真似しよう、小帝国主義になろう、という衝動があった。その律令国家が崩壊して、日本史家がいっている中世という時代―日本史家の分類について僕は賛成しませんがー、10世紀、平安時代末期になると、日本は社会の或る部分が原始状態に戻って、より健全な社会になりますから、その期間には膨張衝動は比較的少ない。江戸時代も鎖国政策のお蔭で比較的ありません。明治以後はどうかというと、ふたたび当時の大英帝国を模倣し、成り上るドイツ帝国を模倣した。小帝国主義になろうとする衝動があらわれてくる。
日本の特徴はこの模倣です。天皇というのも、かつては中国の皇帝を模倣し、明治にはヨーロッパの絶対君主を模倣したものだ。しかし、反省なき膨張主義は明治の前半には比較的小さい。なぜなら、そのころは士族反乱であれ自由民権運動であれ、あるいはその中で生まれた民間からの憲法案であれ、国家に対する批判精神が存在していた。また実際、明治国家がそれにとって変わられる可能性もあったわけです。変わりうるという可能性こそが健全な精神を生み出します。
このごろよく誤解されているのですが、福沢諭吉の脱亜論について、彼は日本がアジアの一員から抜け出して西洋圏の一員になろうと説いたということになっています。それはあたってなくはないんですが、その場合、福沢の動機の中には、日本がアジアの一員という自覚があって、マルクスなどが「アジア的生活様式」というそのアジア性を克服しなければ、実はアジアは一つでないという事実、その現状を知っていた。つまり目標は宣言として「一つなり」といった。それと似通った精神的動機が福沢の中にもあったのです。
ところが不幸にしてそのあとの歴史的事実が、日清、日露戦争から、アジア諸国を侵略することによって日本だけが西洋列強に対して独立性を確保し、仲間入りしようという方向に進んでいったものですから、その線から過去に向かって延長線を引くと、福沢の脱亜論にぴったり合ってしまったわけです。しかし日本国家の営みの中で、しだいにそういった自己批判がなくなっていきます。とくに日清、日露のあたりから急速になくなる。そして挙国一致主義になって、自由民権の板垣退助などという人さえそっちのほうへ引っぱられていく。日本には自己批判の精神は伝統的に弱い社会だったといえると思います。
戦前、1920年代に華やかに出てくるマルクス主義が、日本に対する自己批判、日本社会を対象化して世界史的視点から日本社会を批判するということをやった。マルクス主義が弾圧されると、ほかのいろいろなものを借りて、たとえばマンハイムもその1人ですけれども、主として西洋社会に対する自己批判の表現された著作、思想を勉強することによって自己批判が行なわれた。しかしそれもまた国家によってことごとく弾圧されました。国家規模、あるいは日本社会規模では少数派です。
第二次大戦で日本国家は国家まるごと敗けた。敗北しなければわからないので、それ以後の戦後史は、その戦前の自己批判なき軍事的膨張主義に対する反省から出発しようという流れと、陰に陽にそれを鎮圧しようという流れと、この両方の葛藤の中で描かれます。そしてしだいに反省から出発しようという流れのほうー私もその一員ですがーが劣勢になっていって、ごく少数の中に押し込められたとき、私の言葉でいえば「安楽への全体主義」が日本社会を覆い、高度経済花盛りと会社主義になったわけです。
しかし、それも行き着くところまで行き着いてきたようです。日本企業が世界中へ怒涛のごとく流れ出ていく傾向に対して、世界のそれぞれの現地の人、とくに第3世界の人が黙ってはいない。それはそうですよ、殺されかかっている人間の誰が「殺して下さってありがとう」なんていいますか。いまはもうそこまできた。そして日本の政治情勢にも微かな変化の徴候が現われてきた。はたしてこの微かな変化が、いま日本社会が抱えている、この最も罪深い膨張主義のもたらす商品流通の「繁栄」に対する自己批判につながるのかどうか。そこがいまの選択でしょう。しかし、世界を制覇して日本だけ安楽にやろうという日本安楽主義は、事実の膨張なる集積として現実になっていますから、これを改めるまでにはものすごい努力が必要です。

*カール・マンハイム(ドイツ語: Karl Mannheim、ハンガリー語: Manheim Károly、1893年3月27日 – 1947年1月9日)は、ハンガリーのユダヤ人社会学者で知識社会学の提唱者。Esperantoエスペラント語→Károly Mannheim [kAroj manhejm], laŭ hungarlingve kutima sinsekvo Mannheim Károly estis hungara filozofo, sociologo, mezlerneja kaj altlerneja instruisto. Lia bofrato estis Pál Kecskeméti.
*율령제(일본어: 律令制)는 율령을 기초로 하는 제도를 말한다. 주로 고대 동아시아에서 보이는 중앙집권적인 통치 체제를 일컫기도 하지만, 실질적으로 당나라의 제도를 모방해 체계적인 법전을 편찬하고 시행한 국가는 일본뿐이다.[1]일본에서 율령제는 율령체제(律令体制), 율령국가(律令国家)라고도 불리지만 중국에는 이러한 호칭은 존재하지 않는다.[2] 중국에서〈율령〉이란 단어는 진나라에서 명나라에 이르기까지 긴 시기를 거쳐 사용되었고, 그러한 와중에 율령의 내용이나 율령이 중국에서 차지하는 위치는 큰 변천을 보였다. 이 때문에, 일본의 율령제의 직접적인 모델이 된 수나라나 당나라의 국가체제인〈율령격식〉을〈율령제〉라고 정의하는 것은 중국 내 율령의 변천의 실정을 무시하는 것이 되고, 진나라부터 명나라까지의 1800여년간(율(律)만 존재한 청나라를 포함하면 2100여년)의 제도를 한데 묶어 서술하는 것은 그다지 의미가 없다는 시각도 있다.[3]
日本包囲網が始まる
―政権交代が行なわれるとしても、はたして自己反省の精神のもとに行なわれるかどうか。ほんとうは社会党も戦後そういう出発をしたはずですが、いまはもっと現実的になれという形で安楽主義への同意を求められているのが現状のようですね。
藤田 土井さん周辺のグループはいいと思いますよ。 大淵さんとか堂本さんとか。しかし政治というものは、具体的手順を踏んで、議題を実現していくことでしょう。いま抱えている課題は非常に大きいものですから、その課題を少しずつ実現していくための具体的な手順をどうつくっていくか、その前にはいろんな妥協もあると思います。それが無原則な妥協でなければいいので、妥協の原則というのは人間にとってあるべきなのです。

たとえばゴルバチョフはロシアの官僚主義をなくすために、人民代議員大会の選挙を待った。そうしたら、もののみごとに6割が落ちたのです。あえてクビを切る必要はなかった。実際に彼らは落選したのだから、追放の正当な根拠があるのでしょう。正当性の根拠の上に立って、官僚主義を一つ一つなくしていくという道を彼は選んだわけです。それで一体間に合うのかという問題はあります。しかし政治というのはそのように後れたものなんです。政治は進んでいるもんだという従来の通念は間違っている。政治というものは後れているものなんです。解決すべき問題はすでに出ていて、その問題を解決していくのが政治ですから、解決に手順が要るとなると、ますます後れるんです。そのためには、まず進んだ認識と問題に寄添っている社会運動がなければならないでしょう。
そして政治は原則的に後れているのですが、ただしそれを具体的な手順の上に乗せていくものですから、絶叫すればいいというものではない。これにはコストもかかるし、時間もいるし、知恵もいる。だから、いよいよもって抱えている課題の大きさと政治的実力の小ささとの距離を私たちは実感しなければならないのです。

―いまゴルバチョフのことが出ましたが、日本の経済的な繁栄は、戦後米ソの長い冷戦、というよりアジアでは実際に熱戦が火を吹いたのですが、それをステップにし、利用して大きくなってきた。ほんとうに“漁夫の利”ですが、それがいよいよ終わりつつある、次の時代へ入りつつあるといわれています。そういう状態についての認識を日本社会はもっているのでしょうか。
藤田 いわゆる日本の「有権者」なるものは気がついていないと思います。
―40年間うまくきた、このままもずっといけるんだろうという・・・。
藤田 そうでしょう。でなければ、こんなに財テクブームが普及するはずはない。しかしこれからはどうなるかわかりませんよ。それこそ日本の企業は一斉に外に出ている、大企業で進出していないところなど1つもないでしょう。この進出に対して、世界的な包囲網が形成されるだろうし、それ以外にこれをおさえることはできないというのが、まことに残念ですが、事実だろうと思う。日本国内には自己改革能力がないということは、経済摩擦問題で、つまり経済帝国主義間の矛盾の中でアメリカ政府当局が日本の政府当局に言い始めた。文化問題としては40年余前からいわれている事柄を、やっとアメリカの政府レベルから、商業上の「経済摩擦」問題を通して言われて始めて問題と自覚される。商品主義社会はこういう風なんですが、しかしその点はある部分で世界の共通認識になってきたのですね。日本の経済行為における排外的集団主義が。
そのような「日本文化の問題」が、経済面、商品のやりとりと競争の中で初めてはっきり出てきたというのは興味深い。しかしそういう事柄の負担は全部第三世界が背負わされているのです。この事が大事なんです。古在由重先生はもう89歳になろうというのに、依然として考えていることは健康で、私が来日したアマゾンのインディオの指導者パイアカンの話を聞いて感動した話を伝えたら、「歴史の中心があちらに移ったのだ」とひとことおっしゃってた。古在さんは若い時にヘーゲルを勉強していますから、歴史の精神が移動するというヘーゲルの歴史観があうのでしょうが、歴史がいちばん辛いところ、人間社会のいちばん苦痛の部分、したがってそこから出る行動が社会を動かす原動力になる。という意味での歴史の中心は、明らかに第三世界にいま存在している。その苦痛を押しつけているのが、日本、アメリカ、ヨーロッパ「先進諸国」です。
日本とヨーロッパ、アメリカは、工業社会であることや自然破壊、その自然破壊のツケを第三世界に押しつけている点については共通していますが、日本とのちがいは、とくにヨーロッパには自己批判の文化的伝統があることです。文化というのは自己批判ですが、それはギリシャ以来ある。だからいまでも自然を破壊することがいかに人間自身を破壊するか、自然のコンタミネーション(汚染)を行なうものは、いかに人格それ自身の汚染を受けるか、ということもよく知っている。

これも古在先生の言葉を借りると、「ヒューマン・ネイチャーのネイチャーの部分がなくなる」。ネイチャーの部分が無くなった人形が、いま日本社会にはゴロゴロしているでしょう。全然自然な感じのない、自動的に動いている人間みたいな、そういう感情喪失の人間がいっぱいいます。韓国なら、たとえば黄暫暎氏などにヒューマン・ネイチャーのネイチャーを感じます。私は会っていないけれど、文章をみていてそれがわかる。歴史の原動力というか、人間社会の社会的矛盾の苦痛を背負ってくれている第三世界の人たちが、日本社会を改めていくための包囲網をやがてつくってくれるというのは、私としてはありがたいけれど、申しわけないですよ。安楽全体主義の中で暮らしていて、それを反省するために、ひと様の実存的苦痛の社会的表現を持ち、それに頼らざるをえないというのは、ほんとうに情けない。まことに心理的に苦痛ですけれど、そういう心理的苦痛を持つことによって、かろうじてその包囲網の端くれに加わることができるかもしれません。
包囲網はできざるをえないでしょう。それができてくると、一斉に出ている日本企業は一斉にダラダラかとにかく撤退する以外にない。そうでなければ地球を殺してしまうからです。アメリカの企業もヨーロッパの企業も日本の企業も、全部がG7とかなんか小手先でごまかして現状維持をしようとしている。日本国民の大部分は現状が維持されるであろうという予定のもとに、資産カードなどをいっぱいつくってる。でも戦後の経験から見てもわかるように、一ぺんに雪崩をうってつぶれてしまうことがあるんです。そうすると、その日の次の食い物もないということになる。そのときに人間は鍛えられるし、そしてもう日本社会全体は鍛えられる以外に立ち直る道はないんじゃないかと思います。やがてはその動揺すべき「不快な出来事」に直面する。つまり経験中の経験をすることになると思う。

軍事的敗北のように、何月何日何時に降伏調印を行いました、というふうにはならないでしょう。政治犯、思想犯を全部釈放して、思想言論の自由を与えろという勝利国の命令によって時間が特定できるようにはならない。しかし、一定の幅をもった時間帯の中で、軒並み雪崩をうって撤退するとなったとき、どうやって生きていこうとするか。自然の一員としての人間の生き方が1人1人に関われるときがくる可能性がないとはいえない。私の微かな希望はそういうところにあります。

*Japan Socialist Party (JSP), or Social Democratic Party of Japan (日本社会党 (にっぽんしゃかいとう、にほんしゃかいとう, Nippon shakai-tō, Nihon shakai-tō)) was a left-wing political party in Japan existed from 1945 to 1996 사회민주당(일본어: 社会民主党 사카이민슈토[*])은 1996년에 일본사회당이 당명을 개칭해 발족한 일본의 사회민주주의 정당이다. 사회주의 인터내셔널에 가맹되어 있다. 주로 약칭해 사민당 또는 사민이라고 부른다. 전신인 일본사회당은 제2차 세계 대전이 끝난 1945년에 무산정당 계열의 정치세력을 규합해 발족한 정당이다
*Españolスペイン語→Takako Doi (土井 たか子 Doi Takako?, 30 de noviembre de 1928 - 20 de septiembre de 2014)1​ fue una política japonesa.土井 多賀子(日语:土井 たか子,1928年11月30日-2014年9月20日),生於日本兵庫縣神戶市,日本女性政治家與法學家。歷任日本社會黨委員長、眾議院議長、社會民主黨黨首等職務。是日本憲政史上首位女性政黨黨首,以及首位女性國會議長[1]。
*古在 由重(こざい よししげ(東京都出身)、1901年5月17日 - 1990年3月6日)は、日本の哲学者。元名古屋大学教授。元日本共産党員[1]。Esperanto語⇒Yoshishige Kozai ( 17 majo 1901 - 6 marto 1990 ) estas japana filozofo . Eksa profesoro en Universitato Nagoya . Eksa membro de la Japana Komunista Partio [1] .

「磨滅」を強いる社会
―安楽の全体主義を、その中にいて個人的な努力で意識化できることがあるんでしょうか。
藤田 その問題に気がついてきている人はこのところ急速に増えています。日本国民の数からいくと少数でしょうけれど、絶対数からいくと、急速に増えてきていると思います。だから私はこのごろ人前でしゃべりだした。十数年、学校以外では人前でしゃべったことはないんですが、このごろ話せといわれると人前で話すようにしている。とにかく急速に増えてきているのだから、これをさらに増やすことができれば、と考えて。西欧社会には自己批判の伝統があります。私たちはこの自己批判の伝統の蓄積から教わらなければいけない。日本にはひとつもないといっていいと思います。いたずらに西欧排除主義というのには私は反対です。
コンラート・ローレンツ、ジュリアン・ハックスレー、レイチェル・カーソンから、経済面では、メドウズの「成長の限界」があるでしょう。文学者でいえば、E・M・フォスター、植物学者でいえば、ビーバーズ・カーターなど、自己批判の相当みごとな認識力がある。それを学びとる必要があると思います。そういう意味では、日本社会内の東洋哲学ブームは私はほとんど信用していない。日本の中には東洋哲学はないんです。東洋哲学は中国やインドにあるのであって、日本にあると称している連中は全部中国のもの模倣形態で、しかもそれを手前勝手に歪めているものにすぎない。それよりはまだ日本の洋学者のほうが正確に引用している。そして日本的「東洋哲学ブーム」は、西洋の自己批判の文化をも排除しようという排外主義的動機の中から出ています。この排外主義が気に食わない。いかなる排外主義もいけないのです。
―ここ数年、まだよく目には見えないけれども、草の根的な強い排外主義が日本には生じてきているようですね。たとえば子供たちのあいだでは在日朝鮮人に対する露骨な差別やいじめがあったり、外国人労働者に対する差別がじわじわと広がっている。
藤田 仰言る通りだと思います。この間指紋押捺問題では、日本政府は恩赦というやり方でごまかそうとしましたね。これは明らかにインチキだ。それに対して、憲法判断を求める訴訟を起こした韓国人および朝鮮人たちに対する判決で、「原告の精神的動機は非常によく理解できる」という裁判官の意見が付された。国家への追随傾向が目立って大きくなっている裁判官どもにして、そういう断り書きをしなければならなくなっている。これをみても指紋押捺などはむちゃくちゃだと考える程度の常識を持つ人間の数が、少数ながら増えてきたように思います。自然破壊の問題に気づいていた人が増えたように、日本の経済帝国主義の膨張の傾向に不愉快さを感じはじめた人が、急速に増えている一例じゃないか。
しかし依然として、徐京植氏のいう「草の根排外主義」は日本社会に牢固としてあります。彼の言葉を借りれば、差別される側は日本社会の中で日常毎日毎日「磨滅感」を味わわされる。


*サー・ジュリアン・ソレル・ハクスリー(Sir Julian Sorell Huxley、1887年6月22日 - 1975年2月14日)は、イギリスの進化生物学者、ヒューマニスト、国際間協力の推進者。自然選択説を強力に擁護し20世紀中盤の 総合進化説の形成を主導した。Esperanto=Kavaliro Julian Sorell HUXLEY, FRS (naskiĝis la 22-an de junio 1887 en Londono, mortis la 14-an de februaro 1975 en Londono) estis angla evoluada biologo, humanisto kaj internaciisto. Li estis la unua uzanto/elpensinto de la vorto transhumanismo.

*レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson、1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を研究した。Latina=Rachel Louise Carson fuit zoologa et biologa Americana.

*エドワード・モーガン・フォースター(Edward Morgan Forster OM, 1879年1月1日 - 1970年6月7日)は、イギリスの小説家。主な作品に『ハワーズ・エンド』、『インドへの道』、短編 "The Road From Coronus" などがある。異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品が多い。Deutsch=Edward Morgan Forster OM, CH (* 1. Januar 1879 in Marylebone, London; † 7. Juni 1970 in Coventry) war ein britischer Autor und zeitweise Mitglied der Bloomsbury Group.

*徐 京植(ソ・キョンシク、서 경식、1951年 - )は、在日朝鮮人作家、文学者。東京経済大学現代法学部教授(現代アジア思想 )。京都市生まれ。早稲田大学文学部卒業。兄に立命館大学特任教授の徐勝、人権運動家の徐俊植がいる。4人兄弟の末っ子。한국어=서경식(徐京植, 1951년 ~ )은 재일 조선인 저술가이자 작가이다. 2008년 현재 도쿄 경제대학 현대법학부 교수이다. 리쓰메이칸 대학 교수인 서승과 인권운동가인 서준식의 동생이다.
これは飯田泰三氏から見せて貰った本の中で発見した事ですが、19世紀、ウィリアム・もリスがアイスランドのサガ(口承文字)に興味をもってそれを研究し、イギリス人に紹介する文章の中で使った言葉ですが、アイスランドの人たちは「文明」を経験しないできて、そのお蔭でサガが伝えられた。ヨーロッパの中で文明を経験したものはみな、ローマ帝国の「ひき臼によってひきつぶされる」ことを通して文明化したというのです。
ウィリアム・モリスの表現は、「パーシング・スルー・ミル・オブ・ローマン・エンパイア」-ローマ帝国の水軍(ひき臼)を通り抜ける(ひきつぶされる)。ところがこれが英和辞典で引くと、「艱難辛苦を経て(辛い思いをして)というふうになっている。これでは感じはつかめない。「ひき臼でひきつぶされる」、すなわち「磨滅」というのは、どのような感覚なのか。
日本社会では、圧倒的に同質性が高く、同質なるものを好み、異質なるものを毛嫌いする。これが、日本人が隣人や少数者や自然の破壊を簡単にやってしまう根本的動機のひとつです。異質なもの、他者なるものを毛嫌いするということは、自分以外のものを知ろうとする意欲が欠けているということです。好奇心というのは、そもそも違うものに好奇心をもつのであって、自分に好奇心をもつなどということはありえない。ロナルド・ドーアさんは、「日本語にない、したがって日本人の中にないものはキュリオシティである」といったことがある。普通「キュリオシティ」は「好奇心」と訳しています。けれど、もちろん「好奇心」という日本語を知らないドーアさんではないから、この訳語に異論を唱えているわけです。好奇心というのは、ごく珍しいもの、たとえば見世物小屋にたかるようなのをいう。「キュリオシティ」は違うのだというのです。
それはまず無償のものである。それは自分と違ったものに対して興味をもつということであって、それへの報酬を期待してはだめなんです。日本人は報酬を期待する、つまりすべてのものを商品として扱う。それは「キュリオシティ」とは反します。もうひとつは、自分と違うものに対する愛情だ、というのです。そういうものが「キュリオシティ」の特徴で、自己愛の社会である日本にはない、といわれたドーアさんの洞察は、非常に鋭いと思って私は感心したのです。
日本にはペットブームはあるけれど、動物に対するほんとうの愛はない。ペットは会社への献身と同じく、自分が独立して居れないものだから、自分の分身のように仕込んで、それを撫でているので、自分を撫でているのと同じなんです。コンラート・ローレンツのように、自由なる状態にした動物を愛する、家畜化されない野生の動物をこそ愛する。そう努力することによって人間社会への反省的自覚が生まれる。という風に生きる人は日本には多くない。
「ソロモンの指環」でもいっていますが、彼はあらゆる動物とつき合ったけれども、自由な状態でつき合わなければだめだというのです。動物は敏感ですから飼われた瞬間に萎縮して、ノイローゼになる。ペットというのはノイローゼが日常化した状態なんです。他者を日常的にノイローゼにして自らを慰めているのが、同質性だけを好む社会の及ぼす「磨滅」作用の心理的側面でしょう。そこには排除だけがあって、キュリオシティーつまり無償性と自分と違うものに対する愛情、自分と違うものの独立性を深く承認して、そのうえで、そのものについて知りたいという感覚がないからです。他者を他者として愛するということは、逆に言えば、自分の限界を知りたいということで、そこで自己批判の精神とつながるわけです。そして、放っておけば人間はやりたい放題やってしまうのだから、人間の限界を知ることこそが倫理なのです。

日本の自然保護運動は、大方がお金持ちか宮廷かの自然文化教会などでしょう。E・M・フォースターがひどく軽蔑して、わざわざ皮肉をこめて、「H・G・ウェルズのような保護団体ではなくて」とカッコをつけていったような、小金持ちの、とかくペットブームとか、植木ブームみたいな自然保護ではなく、ほんとうに自然を大事にする保護運動がでてこない。ヒューマン・ネイチャーが自己のネイチャーを大事にするように、ヒューマン以外のネイチャーそのものも大事にする、という感覚をもった運動は日本の中からは出にくいのです。
日本で民主主義というと、最初は多数決だった。しだいに多数決だけではまずいということが日本の政治学者にもわかってきて、絶対的多数というのはない。だからアメリカの批判的な政治学では、民主主義とは少数者の権利の尊重ということになります。それが日本人に入ってくると、日本国内における少数意見の尊重であるとか、言論レベルの問題になってしまう。少数者の尊重というのは、本来、生活様式その他すべてを含めた存在としての尊重なんです。
日本国内でいえば、その代表は在日朝鮮韓国人であり、続いて、これは日本の歴史的責任ですが、非常に少数になってしまったアイヌの人たち、そしてこれからは外国人労働者といわれている人たちでしょう。これを現在の「草の根排外主義」はどうするかというと、外へ押し出すのではなくて、下へ押し込める。最下層労働のところへ押し込めてそこに壁をつくろうとする。それがいまの草の根排外主義の状態でしょう。
こういう社会の差別構造の中に置かれた人の状態を、例えば若い友人の朝鮮人の人に聞いてみたら、こういうことなんです。たとえばお金がないので月賦で自動車を買いたいと思う。月賦販売のデパート式の店はいっぱいあるから、そこへ行って月賦販売を頼んで、最後に住所と氏名をいうとその瞬間に断られる。長年住んでいるから住所もきちんとしていて、行きずりの人に月賦販売するわけではないのに、第三国人の場合ニハいついなくなるかわからないから、という口実で断られる。お金をためてから買う以外にないのです。それから、間借りをしようとして不動産屋を何軒も歩く。このぐらいの値段でこのぐらいのところならいいと選んで、家主との交渉に入って名前を言った瞬間に「お断りします」となる。
口実もいろいろな口実を言うものですから、1つ1つ取り立てて、訴訟問題やオフィシャルな問題にするほどのことではない。問題にすれば大袈裟にしたみたいになりかねない。そう思って怒りを嚥み込んで我慢する。日常的な小さな、しかし日常生活をおくっていくためには絶対必要な事柄の中で、人に言うのも少しためらわれるような差別、いちいち取り上げていったら愚痴だけを言い続けていなければならないからと黙っている。そういう差別が積み重なっていく。我慢する努力だけでスリ減ってしまう。これが「磨滅感」というものだろうと思います。
そういうことに毎日必ず1つや2つ出くわすことが人格にとってどんなに屈辱的なことであるか。日本人は知らなくてはいけない。知る義務がある。しかるにそういう磨滅感を与えている社会を許しているのが日本社会の現状です。日本で民主主義というのだったら、まず、日本の中の少数者を、日常生活の中で臼にかけているんだ、ということの反省から始めなくてはならない。国会があるから民主主義だなんて以ての他です。自分で作った国会もないくせに、民主主義というのは、もっと生活感そのもの、生活のあり方に即しているのだと思います。そういうことへの反省まで到達しうるかどうか、それが問われている。
しかし、はたして地球をつぶしてしまう前に、日本社会はそこに到達しうるか?コンラート・ローレンツは死ぬ前、インタビューに答えていますが、2つのところが印象的でした。1つは、「(地球は)ポイント・オブ・リターンー引き返し不能の点をもう越えた。だけれども、悲観ばかりしていてはいけない」といっている点である。もう1つは、「ゴルバチョフについてどう思うか」と聞かれて、「ゴルバチョフについては私は非常に好感を持っている。自分を楽天的な気分にしてくれる。しかし私は熱狂しません。なぜならば幻滅はいやですから」という点です。立派なものですね。日本の政治的変動の現状についてもそういう感じがしませんか。「それは私の気分にいささか楽天性を甦らせてくれました。私はもっぱら悲観的ですから。しかし、熱狂はしません。なぜならば、幻滅はいやですから(笑)。
―そうですか、もうポイント・オブ・リターンを越えましたか。
藤田 ええ、そういう感じがする。



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