日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

☆Vendredi Friday☆EPIC PROMO Mike Tyson vs Roy Jones jr (Boxing King Media Special)November 28, 2020)+☆금요일(金曜日)/Sexta-feira/Vendredo/Пятница/Vineri☆


*마이클 제라드 "마이크" 타이슨(Michael Gerard "Mike" Tyson, 1966년 6월 30일 ~ )은 은퇴한 미국의 권투 선수이다.  Майкл Джеральд Та́йсон

*로이 존스 주니어(Roy Jones, Jr., 1969년 1월 16일 ~ )은 미국의 권투 선수 및 래퍼이다.  Рой Леве́ста Джонс-мла́дший 


(1)、1984年 ロス五輪ヘビー級代表選考国内予選決勝
ヘンリー・ティルマン(金メダル+48勝6敗)VSマイク・タイソン(24勝3敗)
―ティルマンの判定勝ち
(2)、1988年 ソウル五輪ライト・ミドル級決勝
ロイ・ジョーンズ・ジュニア(銀メダル+121勝12敗)VS朴時憲(박시헌優勝金メダル+ワールドカップ(85年ソウル大会)優勝金メダル・アジア選手権(85年バンコク大会)優勝金メダル(87年クウェート大会)優勝金メダル・プロ入りはしなかった)
―朴が判定勝ちで金メダル獲得。しかし他のページで語ったよう、明らかにジョーンズの勝ち。歴史に残る地元判定に泣いた。逆に、気まずそうな表情で呆然としているジョーンズを抱き上げる朴がかわいそうだった。アメリカ時代、テレビでライブ観戦。


(1)、1986年2月16日 ヘビー級ノンタイトル10回戦 マイク・タイソン(18連勝(18KO)無敗→50勝(44KO)6敗2NC)VSジェシー・ファーガソン(14勝(10KO)1敗→26勝(16KO)18敗)ニューヨーク州トロイ
―弱冠19歳のタイソンが6回KO勝ち。キャリアで初めての難敵相手だったといえる。底力のあるファーガソンにやや手こずった面もありながら。最後はコーナーに詰め、十八番の右ダブル。ボディーからアッパーでファーガソンを前のめりに倒した。スピードと切れ味抜群、ダマト・タイソン時代の大傑作。見事なノックアウト劇だった(上体もよく動き、まず当てさせない。何よりバランスが最高)。ファーガソンは後に手強い「大物食い」的
選手となる。ボウ(ソウル五輪スーパーヘビー級銀メダル)への挑戦を控えた前WBO王者のマーサー(ソウル五輪ヘビー級金メダル)を判定で破る(マーサーによる「八百長斡旋」疑惑(クリンチしたとき「どうも調子が出ない。云々ドルやるから負けてくれ」と囁いていたのがテレビカメラに捉えられていた)が浮上した問題の一戦)。余勢を駆ってそのままボウに挑戦するが、2回ノックアウト負けの完敗。
(2)、1996年11月9日 WBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 王者マイク・タイソン(45勝(39KO)1敗)VS挑戦者前統一王者イベンダー・ホリーフィールド(ロス五輪ライトヘビー級銅メダル(160勝14敗+32勝(24KO)3敗→44勝(29KO)10敗2分) ネバダ州ラスベガスMGMグランド
―大番狂わせ、ホリーフィールドが11回にタイソンをストップ。王座に返り咲いた。本来なら5年前に実現していた組み合わせだった。ダグラスを3回KOに破りタイトルを奪取した統一王者ホリーフィールドに、王座奪回を目指す前王者タイソンが挑戦。しかしタイソンの負傷により延期となる。直後に暴行事件が起き、タイソンは収監されたためお流れ→「俺のノックアウト勝ちで終わっていたはずだ」(この試合前の談話)。タイソンは現役最重量となる222ポンド(約100・7キロ)で登場。初回、猛然と先制攻撃に出る。右ストレートを命中させるが、力みが目立ち後続打がなかった(一発一発振り回す、豪腕パンチャースタイル)。ホリーフィールドは物怖じせず、真正面から打ち合った。加えてタイソンはホリーフィールドをなめていた様子(すでに全盛期は過ぎたと見られ、ボウとの3度目の対決で6回にダウン奪いながらも、8回逆転KO負けしたばかり)。タイソンは動きが重く、スピードがなかった。5回、タイソンは左フックからチャンスをつかみ、続いて右ストレートが当たる。右アッパーを連発し、久しぶりの十八番右ダブルを炸裂させホリーフィールドをたじろがせる。ながら連打が出ない。タイソンは6回に目を切り、続いてダウンを奪われる。そして疲れもみえた10回終了寸前にまとめて打たれ、KO寸前に追い込まれる。続く11回、ダメージは回復せず、そのままホリーフィールドの連打を浴び、ストップ負け。ホリーフィールドはヘビー級転向後の何戦か(全部TKO勝ちとはいえ、(連打を繰り返し炸裂させても)なかなか倒せなかった=相手がみんな大きい)は、やはり体が小さくパワー不足な面もあった(急激な増量により、靴の紐が結べない頃もあったそうだ(ただ肥っただけじゃなく、「筋肉」をつけた)=エアロビクスと柔軟体操で体が固くなるのを防いだ)。しかし模範的に練習熱心で真面目な選手。ウエートトレーニングに励み(以前と同じスピードは維持したまま)、見事ヘビー級にふさわしい強打を身につけたといえる。この1戦でタイソンは素直に負けを認め、試合後の記者会見でホリーフィールドに握手を求め。スポーツマンらしかったのだが・・・。トロントにてテレビ観戦。余談として有料TVKOチャンネルでは、前回のセルドン戦(タイソンの初回KO勝ち)で視聴者からかなり苦情が出たのに因み。もし初回で終わったら「ただ」(無料)6回までだったら何%割引きなどと特別な設定が嵌めこまれた(しかし、試合は上記のとおり=それらはすべて「杞憂」に終わりました)。

*Evander Holyfield (n. 19ma di oktobro 1962) esas Usana boxisto


(1)、1992年1月10日 世界ミドル級ノンタイトル10回戦 ロイ・ジョーンズ・ジュニア(15連勝(15
KO)無敗→66勝(47KO)9敗)VS元WBC世界ウェルター級王者ホルヘ・バカ(メキシコ+48勝(40KO)9敗1分→65勝(50KO)28敗2分)ニューヨーク
―期待の新鋭ジョーンズが初回にバカをノックアウト。左フック一発で豪快に沈めた。古豪バカは元王者ブリーランド(ロス五輪金メダル+(当時無敗だったドナルド・カリー(モスクワ五輪米代表)に6回TKO勝ちで統一タイトル強奪)元王者ハニガン(英・ジャマイカ系)に3回KO勝ち)を引退(6回TKO勝ち)に追い込み、再浮上中(ハニガンとの再戦で3回KO負けし王座転落。次にブラウン(ジャマイカ)のIBF王座に挑戦し3回KO負け)。ミドル級時代のジョーンズ、一発の破壊力はすさまじかった。この当時はまだ父のロイ・ジョーンズ・シニアがマネージャー兼トレーナー。後に息子に解雇(絶交)され、完全に閉め出された(最後は愛犬を射殺され、ジュニアは激怒し愛想を尽かした模様)=「いつまでも俺を子供扱いしやがったんだ」(非常に権威主義的で、平然と暴力まで振るっていたらしい))。この父の独善采配により、ジョーンズは他のメダリストたちと一線を画し地味な存在となっていた(地元フロリダ州ペンサコーラを拠点とした目立たないマッチメーク)。ジョーンズは申請していたロシア国籍を2015年に取得(アメリカは二重国籍を許可(カナダも同じく)している→ロシアを訪問し、プーチンと会見した)。
*Jorge Vaca est un boxeur mexicain né le 14 décembre 1959 à Guadalajara.
(2)、1997年3月21日 WBC世界L・ヘビー級タイトルマッチ 王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(37連勝(30KO)無敗)VS挑戦者モンテル・グリフィン(バルセロナ五輪米代表(36勝5敗+26連勝(18KO)無敗→50勝(30KO)8敗1分)ニュージャージー州アトランティック・シティ
―新旧五輪代表同士の無敗対決。グリフィンが9回失格勝ちで新王者に輝く。ジョーンズは思いもよらぬ、初黒星(連勝ストップ)。グリフィンは↓で紹介するジョーンズのライバル、トニーに判定勝ちしたばかり。一進一退の攻防、グリフィンは善戦し、優勢だった。ジョーンズ(マッカラムに判定勝ちでこのタイトルを奪い、3階級制覇)は大苦戦となったが、ようやく9回にグリフィンを捉え、ダウンを奪う。ながら倒れたグリフィンにパンチを打ち込んでしまい。グリフィンが試合続行不可能となったため。試合後、本来はKO勝ちだったジョーンズはレフェリーの処置に不満をぶちまけていた。
*Montell Griffin (ur. 6 czerwca 1970 w Chicago) – amerykański bokser.


(1)、1986年11月22日 WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 王者故トレバー・バービック(カナダ・モントリオール五輪ジャマイカ代表+31勝(25KO)4敗1分→49勝(33KO)11敗1分)VS挑戦者マイク・タイソン(27連勝(25KO)無敗)ネバダ州ラスベガス
ータイソンが2回KO勝ち。ヘビー級最年少(20歳)、新王者に就いた。バービックは無敗の王者トーマスに土をつけ、15回判定勝ちで念願のタイトル奪取。タイソンは初の世界戦、やはり緊張していた(コンビネーションも乱れがちで、リズムがもうひとつ)。けど実力差は歴然。バービックは2回にダウンを奪われ。最後はタイソン得意の左フックを食い、仰向けに倒された。故カス・ダマト(イタリア系)のキャットスキルチーム時代、ケビン・ルーニー(トレーナー・アイルランド系「(91年のインタビュー)カスは絶対にベストだ。誰であろうと及ばない・・・私はいつでも喜んでマイクのところへ戻りたいと思ってる。オリジナルチームに帰ってきて欲しい」)、故スティーブ・ロット(アシスタント(ユダヤ系★追悼★2021年11月6日に死去=享年72歳)88年、真っ先に解雇された+タッブス戦で来日)「(収監中のインタビュー)道で会えば挨拶し、話もする。私はスティーブは好きなんだ」引退後のタイソンと、2人で微笑ましく映ってる写真もある)、故マット・バランスキーMatt Baranski(カットマン(ポーランド系)2010年に死去(享年89歳)する前、老いたバランスキーを表敬訪問した笑顔のタイソンとの記念写真が忘れられない+同じくタッブス戦で来日)そして故ジェイコブス(共同マネージャー・ユダヤ系)も健在だった(涙)「この勝利を偉大な亡き(師匠)カス・ダマトに捧げたいです。彼(養父)の息子はやり遂げたと誇るのは間違いありません」。このときは横浜、関内駅前のビル工事現場(解体工)で働いていた。待ちわびてみました(弱冠17歳)。故バービックはホームズの連続KO防衛を「8」でストップ(15回判定負け)、元WBA王者故テート(黒人・モントリオール五輪米代表銅メダル)に9回KO勝ち(さらにアリ、ペイジを破った)。

*Trevor Berbick est un boxeur jamaïcain naturalisé canadien né le 1er août 1954 et mort le 28 octobre 2006 à Norwich en Jamaïque. Il est connu pour être l'un des cinq boxeurs à avoir battu Mohamed Ali en 1981 après 10 rounds éprouvants et un match spectaculaire1. Il a aussi été champion du monde de boxe en 1986 avant de perdre son titre face à Mike Tyson.
*Costantine "Cus" D'Amato (New York, 17 gennaio 1908 – Catskill, 4 novembre 1985) è stato un manager e allenatore di pugilato statunitense di origine italiana, tra i più conosciuti nel mondo della boxe.
*Steve Lott (January 17, 1950-November 6, 2021) was the CEO of Boxing Hall of Fame Las Vegas Nevada, boxing manager
*James Leslie Jacobs (February 18, 1930 – March 23, 1988) was an American American handball player, boxing manager, Academy Award nominee and comic book and fight film collector.
(2)、1996年6月28日 ホリーフィールドとの再戦 ネバダ州ラスベガスMGMグランド
―「タイソン‘耳噛み’の暴挙」(ボクシングマガジン)3回失格負け。ホリーフィールドが約40億円のファイトマネー(タイソンは35億円)。その瞬間まではきびきびとしたいい試合だった。初戦では調整不足を指摘されたこともあり、今回タイソンはベストウェートの217ポンドで臨んだ(気合が入っていた)。スピードがあり、調子はよかった。ホリーフィールドは1戦目と同じく、勇敢に打ち合った(初回後半、連打を命中させる)。2回、バッティングによりタイソンは目蓋から出血。タイソンはクリンチしながら、レフェリーに抗議。これで苛立ちが悪化し、あの愚行につながる。でも3回はゴングと同時に突進。サウスポーにスイッチし、左のダブルを炸裂させる。続いて右ストレートを叩き込み、猛攻(しかしマウスピースを忘れるなど、冷静さを失っていたようだ)。だんだんタイソンのパンチが当たり始め、ペースをつかみかけていた矢先だった。結局、2度噛みつき(1度目は右耳を食いちぎり(減点2ポイント)、2度目は左耳を噛んだ(これで失格)→ホリーフィールドは飛び上がって激怒)反則負け。タイソンは試合終了後に常軌を逸し、リング上で荒れ狂う醜態もさらした(ホリーフィールドはそのままリングを降り、控え室に引き上げてしまう)。そして2人の相性も悪かったように思える。今さらながら残念な結末だったとしかいいようがない。試合後、タイソンは興奮しておりインタビューでしきりに目蓋の傷を誇示し「こんな傷がついた顔を、家に帰って子どもたちに見させられない」といきまいていた(しかし一転、翌日には頭を抱えながらしゅんとしてひたすら「懺悔」。ライセンス停止への「寛容」処置を懇願していたのが悲しかった)。ホリーフィールドはいつも通り紳士。「まず神に感謝したい」(敬虔なキリスト教徒)とはじめ「今夜のタイソンには、勇気のかけらも感じられなかった」と吐き捨てていた。後にTVに共演して和解(噛み千切られたホリーフィールドの耳の破片も、拾った人がいて返還。「復元」手術もうまくいったようだ)。ちなみにタイソンは「まるで別の惑星にきたみたい」(初来日)「私は日本が大好きだ」ホリーフィールド(タイソンVSダグラス戦時に来日)は「悪いけど日本食は食べなかったよ」「どこへ行っても人が多かったこと」



(1)、1992年6月30日 世界ミドル級ランカー対決 ロイ・ジョーンズ・ジュニア(17連勝(17KO)無敗)VSホルヘ・カストロ(アルゼンチン+70勝(53KO)3敗2分け→130勝(90KO)11敗3分)フロリダ州ペンサコーラ
ージョーンズの10回判定勝ち。タフなカストロをしとめられず、連続KOはストップした。久しぶりに見たけど、ミドル級時代のジョーンズは「ワイルドな一撃、暴風雨のような連打」(ボクシングマガジン)、イキがよかった。カストロはこの前、ノリスのWBCJ・ミドル級王座に挑戦し判定負け(ノリスも倒せなかった)。後に、サウスポーのWBAミドル級王者ジャクソンに9回逆転ノックアウト勝ちで戴冠(3度目の防衛戦において来日。竹原慎二の挑戦を受け、3回にダウンを奪われ判定負け。王座転落)。頑丈さは定評がある(後に挑戦したゴメス(キューバ(サウスポー・アマ時代↓のターバーに判定勝ち)WBCクルーザー級王者)にはTKO負けしたが、ジロフ(カザフスタン(サウスポー・アトランタ五輪金メダル)IBFクルーザー級王者)も倒せなかった)。
*Jorge Fernando "Locomotora" Castro (18 de agosto de 1967, Caleta Olivia, provincia de Santa Cruz) es un exboxeador argentino.
(2)、1997年8月7日 グリフィンとの再戦 コネチカット州フォックスウッド・リゾート
ー気合満々のジョーンズが初回にグリフィンを沈め王座奪回。ゴングと同時にKOを狙い、早々とダウンを奪う。「危険は冒さないという評判のジョーンズが、危険を冒している」(マーチャント言→相手のパンチも当たる距離に入っている)。圧勝だった。最後は痛烈な左フックでノックアウト。グリフィンは何もできなまま初黒星。グリフィンは引退した名トレーナー・故エディ・ファッチから離れ、初戦だった(ジョーンズとの初顔合わせでグリフィンの勝利(最後はともかく、無敵の感が強かったスター、ジョーンズを相手に互角以上に戦った)へ貢献した、ファッチ(最後の子飼い弟子はこのグリフィンをはじめボウそしてマッカラー(英(北アイルランド出身)・バルセロナ五輪銀メダル(決勝でカサマヨール(キューバ)に判定負け)・日本で薬師寺保栄からタイトル奪取)だった)の役割は大きいといえる)。
*Eddie Futch (* 9. August 1911 in Hillsboro, Mississippi; † 10. Oktober 2001 in Las Vegas, Nevada) war ein US-amerikanischer Boxtrainer.


(1)、1987年5月30日 WBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 王者マイク・タイソン(29連勝(26KO)無敗)VS挑戦者前WBC王者ピンクロン・トーマス(29勝(24KO)1敗(デビュー以来26連勝(21KO)→43勝(37KO)7敗1分)ネバダ州ラスベガス
ータイソンが6回に強敵トーマスをノックアウト。豪快なKO劇だった(ベストファイトのひとつ)。全盛期のタイソンが懐かしい限り。トーマスは歴戦の王者ウィザスプーンに判定勝ち。タイトルを奪い、初防衛戦では前WBA王者ウィバーを8回KOで破りながらもバービックに判定負けで王座転落(初黒星)。しかしその左ジャブ・ストレートの威力は評価が高かった。タイソンは試合前、逆に「左ジャブでやっつけてやる」と悠然としていた(ダマト・スタイル時代のタイソンの左ジャブは伸びがあり、速くて強かった)。その公言通り、初回から鋭いジャブから入り、迫力ある連打を叩き込みKO寸前に追い込む。そして迎えた6回、再び往年の「強打の連続」が火を吹く。最後はサウスポーにスイッチし、強烈な左フックを浴びせトーマスを沈めた(タイソンもスイッチ・ヒッター(サウスポーだけでも戦える)。この時代のスパーリングはサウスポーと半々)。「タイソンに敵う相手はいない」トーマスはすっかり脱帽。トーマスは引退後、麻薬依存に苦しんだが克服した。
*Pinklon Thomas (born February 10, 1958) is an American former professional boxer who competed from 1978 to 1993. →Thomas now has a foundation, Project P.I.N.K. (Pride in Neighborhood Kids), and is a motivational speaker.
(2)、1999年1月16日  世界ヘビー級ノンタイトル12回戦 元統一世界王者マイク・タイソン(45勝(39KO)3敗)VS前IBF王者フランソワ・ボタ(39勝(25KO)1敗(デビュー以来35連勝(22KO)→48勝(29KO)11敗3分)ネバダ州ラスベガスMGMグランド
ータイソンが苦戦しながらも5回、右ストレート一発でボタをKOした。ホリーフィールド(2)での失態後、約1年半のブランク。タイソンは現役最重量となる223ポンドでリング入り(以降、ラストファイトにいたるまでで、往年のベストウェート(216~217ポンド)で登場することはなかった)。初回、タイソンは先制攻撃に出た(ジャブを出し、頭も振っていた)。ながら終了間際、再び大混乱(タイソンは相撲の「キメ技」に出て、ゴングは鳴ったがボタも応戦し、すったもんだ。危うくそのまま試合終了となりそうな雰囲気)。実力者ボタに手こずったとはいえ、「腐っても鯛」フィニッシュは見事だった(ボタはフラフラ、テンカウントを聞く)。タイソンは立てないボタを助け起こし、2人とも笑顔で健闘を讃え合う。試合後のインタビューでタイソンは「ひどい錆び付ぶりだ」と強調していた。ボタは「ザ・ホワイト・バッファロー(The White Buffalo)」の異名を持ち、自分が「アフリカ人」であることを誇示していた。敵地ドイツで地元の英雄シュルツ(旧東ドイツの選手)との決定戦に勝ちIBF王座を獲得(初防衛戦でモーラーに12回TKO負け)。この後、レノックス・ルイスに挑戦したが2回KO負けを喫した(クリチコ弟のWBO王座にも挑戦したが、こちらも8回TKO負け)。後にK-1に参戦したので、日本の方々にも馴染みがあるかもしれない(2003年に来日。名古屋で藤本祐介(バタービーンには初回KO負け)にダウンを奪われ、判定負け)。
*Francois Johannes Botha (gebore 26 September 1968 in Witbank) is 'n Suid-Afrikaanse swaargewigbokser en die voormalige Wêreld-swaargewigkampioen.


(1)、1994年11月18日 IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ 王者ジェームズ・トニー(44連勝(29KO)無敗2分→77勝(47KO)10敗3分)VS挑戦者IBF世界ミドル級王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(26連勝(23KO)無敗)ネバダ州ラスベガスMGMグランド
ースーパーファイト。王者同士の無敗対決はジョーンズが3回にダウンを奪い、大差の判定でトニーを破る殊勲。2階級制覇に成功。下馬評はほぼ互角(ながらトニーやや有利)。そして大事な世紀の一戦、トニーは調子が悪かった(減量苦が原因)「今夜のトニーはいつものジェームズ・トニーではなかった」(解説者)。トニーはかつて無敗の王者ナンを11回にノックアウトし、ミドル級タイトルを奪取。バークレーとの統一戦に9回TKO勝ち(マッカラムと2勝1分)、元L・ヘビー級王者ウイリアムス(米・黒人)を12回KOで破ったばかり。一方、ジョーンズはやや低迷気味だった(後に紹介しますが、ホプキンスとの決定戦(凡戦となる)も辛勝だった→8年後に行なわれた再戦はホプキンスが判定勝ちで雪辱)。試合展開はジョーンズのほぼワンサイド。ロープとコーナーに詰めて、連打を繰り返し浴びせる(とはいえ、トニーは'Lights Out'の異名そのもの。のらりくらりとかわして決定打は許さなかった)。この当時は、同郷(ミシガン州)出身のジャッキー・カレン女史(ユダヤ系)がトニーのマネージャー(トランクスに縫われた「ダビデの星」はそれが故+これが最後のコンビとなる)。この1戦は両者のキャリアにおいて分岐点となった(ジョーンズは羽ばたきスター街道まっしぐら、トニーはしばらく脚光から遠ざかり地味な存在に留まる)。そうとはいえ、後にトニーはクルーザー級(無敗のジロフに判定勝ち)及びヘビー級も制覇する。ホリーフィールドにも9回TKO勝ち。ジョーンズについては、再びながらアマ時代に負けているマクラレン(「最も危険なパンチャー」(ボクシングマガジン))との対決(夢の一戦・数十億円ファイト)が実現しなかったのは本当に惜しい。
*James Nathanial Toney (Grand Rapids (Michigan), 24 augustus 1968) is een Amerikaans voormalig bokser die wereldtitels in het middengewicht, supermiddengewicht en cruisergewicht heeft gewonnen.
*Jackie Kallen (* 1952 in Detroit) ist eine der ersten und erfolgreichsten weiblichen Box-Manager in der Sportgeschichte. 
(2)、2003年3月1日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ 王者ジョン・ルイス(プエルトリコ+38勝(27KO)4敗1分→44勝(30KO)9敗1分)VS挑戦者統一世界ライトヘビー級王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(47勝(40KO)1敗)ネバダ州ラスベガス
ージョーンズが判定勝ち。4階級制覇を成し遂げた。ルイスはホリーフィールドからタイトルを奪ったながら、ヘビー級選手としては「一流王者」とはいえない選手。ジョーンズはヘビー級に体を仕上げた。ノックアウトこそ逃がしたが、一方的な内容だった。これがジョーンズのボクシングキャリア、集大成となった。この後、ジョーンズはL・ヘビー級に戻りターバー(サウスポー)との2連戦を迎える(初戦=際どい判定勝ち。再戦=壮絶な2回KO負け+ラバーマッチもジョーンズは判定負け(この1戦から父シニアがアドバイザーとして加わった)=負け越し)。
*John Ruiz (ur. 4 stycznia 1972 w Methuen) – amerykański bokser pochodzenia portorykańskiego, były dwukrotny zawodowy mistrz świata organizacji WBA w kategorii ciężkiej.



(1)、1987年8月1日 世界ヘビー級タイトル統一戦 WBA・WBC王者マイク・タイソン(30連勝(27KO)無敗)VSIBF王者トニー・タッカー(モスクワ五輪米代表・ワールドカップ(79年ニューヨーク大会)優勝金メダル(115勝6敗+34連勝(29KO)無敗1NC(デビュー以来14連続KO勝ち)→57勝(47KO)7敗)ネバダ州ラスベガス
ータイソンが12回判定勝ちで王座統一に成功。タッカーは初黒星(連勝ストップ)。クロンクジム、故スチワードの秘蔵っ子だった長身タッカー(すでに離れた)はダグラスとの決定戦に10回TKO勝ち。IBF王座を奪取。タイソンは前戦においてWBA王者スミス(米・黒人)判定勝ち。初回、タッカーはゴングと同時に突進してきたタイソンに左アッパーのカウンターを見舞い、のけぞらせる(解説陣もタイソンが受けた「はじめての強烈なパンチ」と言及)。3回までは互角の展開で一級品同士の緊迫した攻防だった。しかしその後タッカーはタイソンの圧力に押され、消極的なクリンチ戦法に終始(「抱きつき」スミスも同じだった)。タイソンは勝ったとはいえ、展開に満足していない様子で冴えない表情だった。タッカーは後にルイスのWBC王座に挑戦(判定負け)及びセルドンとWBA王座決定戦(8回TKO負け)に臨んだが王座復帰はならなかった。
*Tony Tucker est un boxeur américain né le 27 décembre 1958 à Grand Rapids, Michigan.
(2)、2000年1月29日 ヘビー級ノンタイトル12回戦 マイク・タイソン(46勝(40KO)3敗1NC)VSジュリアス・フランシス(21勝(11KO)7敗→23勝(12KO)24敗1分)イギリス・マンチェスター
ータイソンが合計4度のダウンを奪い、2回KO勝ち。イギリスでのデビューを見事な勝利で飾った。前戦の対オーリン・ノリス(元クルーザー級王者・テリーの兄)では、ゴング後にパンチを打ち込み倒してしまい。ノリスは続行不可能となり、ノーコンテストに終わる(加えてその試合前には、交通上のトラブルで暴行を働き

傷害で再び逮捕。約半年間服役していた=腹部に彫られた「チェ・ゲバラ」の刺青は塀の中にいたときのもの)。アメリカ国内での試合開催が難しく、イギリスに渡った。けれどイギリスの「タイソン人気」は予想以上で、思いもよらぬ大歓迎を受けたタイソンはすっかり上機嫌。さらに1試合行なう(サバリース(復帰したタイソンの元ライバル、ダグラスから3度のダウンを奪い初回KO勝ち)に初回TKO勝ち)。


(1)、1995年9月30日 IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ 王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(29連勝(25KO)無敗)VS挑戦者故トニー・ソーントン(37勝(26KO)6敗1分(★追悼★2009年に事故死=享年58歳)37勝(26KO)7敗1分)フロリダ州ペンサコーラ
ージョーンズが3回KO勝ちで連続KO防衛を「3」に更新。最後は強烈な左フック一発で、ソーントンを仰向けに倒した。2回までは意外に静かな展開だったが、ジョーンズの豪腕うなる戦慄のノックアウト劇。'The Fighting Postman'(戦う郵便集配さん)’の異名を持つソーントンのラストファイト。ソーントンの試合はアメリカ時代に何回かみた(対デウィット(判定負け)フレージャー(判定勝ち)戦)。当時は筋肉隆々でパワーがあるファイターだったが、もう晩年。全盛期はとっくに過ぎていた(腕も肩も細くなっていて、びっくりしたのが本音)。
(2)、2008年11月8日 ノンタイトル12回戦 WBA・WBC・WBO世界スーパーミドル級王者ジョー・カルザゲ(英・110勝10敗+45連勝(32KO)無敗→46連勝(32KO)無敗)VSロイ・ジョーンズ・ジュニア(52勝(40KO)5敗)ニューヨーク・MSG
ーサウスポーのカルザゲ(イタリア系ハーフ)が無難な判定勝ちで、ジョーンズを破った。下馬評も圧倒的にカルザゲ有利(ジョーンズはもはや昔日の面影はなかったといえる)。この前戦ではホプキンスにも判定勝ちしていたカルザゲのラストファイト。
*乔·卡尔扎合,CBE(英語:Joe Calzaghe,1972年3月23日-),威尔士拳击运动员,前世界拳王,人称“威尔士的骄傲”(Pride of Wales)、“意大利之龙”(Italian Dragon)



(1)、1986年7月26日 ヘビー級ノンタイトル10回戦 マイク・タイソン(24連勝(22KO)無敗)VSマービス・フレージャー(ジュニア五輪(79年横浜大会)優勝金メダル・全米ゴールデングローブ制覇(56勝2敗+16勝(7KO)1敗(ホームズに初回KO負け)→19勝(8KO)2敗)
ータイソンが初回KO勝ち。マービスは故ジョー・フレージャーの息子。タイソンがゴングと同時にラッシュ。相手にならなかった。試合前、マービスの横にぴったりくっつき睨みを利かせていた父ジョーの方が迫力があった。
*Marvis Frazier (born September 12, 1960) is an American former professional boxer who fought in the heavyweight division.
(2)、2001年10月13日 ヘビー級ノンタイトル12回戦 マイク・タイソン(48勝(43KO)3敗2NC)VSブライアン・ニールセン(バルセロナ五輪銅メダル(104勝7敗+62勝(43KO)1敗→64勝(43KO)3敗)デンマーク・コペンハーゲン
ータイソンが3回にダウンを奪い、6回TKO勝ち。ニールセンは頑張ったと思う(あれだけ打たれながらも、踏みとどまった)。タイソンはロープに詰めて、よく打った(特にボディーブローが強烈)。パンチの強さ、一発の破壊力は相変わらずだった。しかしこの試合は239ポンド(約108・4キロ=再び最重量)でリング入り(もう晩年、往年のベストウェートに下げるのは無理だったのだろう)。またデンマークでも「タイソン・フィーバー」はすごかった(欧州初登場)。
*Brian Nielsen (født 1. april 1965 i Korsør) er en tidligere dansk bokser.



(1)、1993年5月22日 IBF世界ミドル級王者決定戦 1位ロイ・ジョーンズ・ジュニア(21連勝(20KO)無敗)VS2位バーナード・ホプキンス(22勝(17KO)1敗→55勝(32KO)8敗2分け)ワシントン州
ージョーンズが実力者ホプキンスに苦戦しながらも12回判定勝ちで新王者に就く。強打者同士の1戦。両者警戒し合い、あまり白熱はしなかった。意外な凡戦に終わったといえる。
*Բեռնարդ Հոփքինս (անգլ.՝ Bernard Hopkins, հունվարի 15, 1965, Ֆիլադելֆիա, Փենսիլվանիա), ամերիկացի պրոֆեսիոնալ բռնցքամարտիկ, որը հանդես է գալիս միջին և կիսածանր քաշային կարգերում:
(2)、2003年11月8日 統一世界L・ヘビー級タイトルマッチ 王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(48勝(40KO)1敗)VS挑戦者アントニオ・ターバー(世界選手権(95年ベルリン大会)優勝金メダル+アトランタ五輪米代表銅メダル(158勝8敗+21勝(17KO)1敗→31勝(22KO)6敗1分)ネバダ州ラスベガス
ー新旧五輪代表同士の決戦。ジョーンズが2-0の判定で辛勝。しかしターバーは判定に納得せず、おおむくれだった。ジョーンズは急激な減量で階級を下げたため、ひからびてしまい(いびつな体型だった)。もうひとつスピードもパワーもなかった。ターバーは五輪準決勝(サウスポー対決)でジロフに判定負け。
*Antonio Deon Tarver (21 de noviembre de 1968; Orlando, Florida) es un exboxeador profesional estadounidense de peso semipesado, quien ha sido campeón de la AMB, CMB, FIB y The Ring.


(1)、1996年3月16日 WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 王者フランク・ブルーノ(40勝(38KO)4敗+デビュー以来21連続KO勝ち=後のWBA王者ボーンクラッシャー・スミス(タイソンに判定負け)に10回TKO負けで初黒星)VS挑戦者マイク・タイソン(43勝(37KO)1敗)ネバダ州ラスベガスMGMグランド
ー約7年ぶりの再戦(1戦目はタイソンが初回にダウンを奪い、5回にブルーノをストップ)。タイソンが3回TKO勝ちで返り討ちに成功(王座奪回)。左フックのダブルを命中させ、最後はサウスピーにスイッチし連打でしとめた。出所後3戦目、復調目覚しいタイソンは、このまま突っ走るかなと期待していたのだが。雪辱ならなかったブルーノのラストファイト。ブルーノ(大の寿司好き)はイギリスの英雄である(もっとも知名度の高いボクサーだった)。横には同胞であるベンがついていた。ブルーノははじめウィザスプーン(米・黒人)のWBAタイトルに挑戦し11回TKO負け。続いて↓ルイスのWBCタイトルにも挑戦し、英雄対決で7回TKO負け。マッコールに判定勝ちで念願の王座に就いた。なお、再浮上中だったバグナー(「だれがウシっ?!」)にも8回TKO勝ちしている。
*Franklin Roy "Frank" Bruno OIB (nacido el 16 de noviembre de 1961) es un exboxeador británico que llegó a ser campeón del Consejo Mundial de Boxeo en la categoría de peso pesado en 1995.
(2)、2002年6月8日 WBC・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ 王者レノックス・スイス(ソウル五輪スーパーヘビー級優勝金メダル・ワールドカップ(85年ソウル大会)優勝金メダル(85勝9敗+39勝(30KO)2敗→41勝(32KO)2敗+デビュー以来25連勝(21KO))VS挑戦者マイク・タイソン(49勝(43KO)3敗)テネシー州メンフィス
ースーパーファイト、世紀の1戦(ルイスが約40億円のファイトマネー・タイソンが約30億円)ルイスが8回にタイソンをノックアウト(ルイスが繰り返し打ち込んだ右ストレートは強烈だった)。前半はタイソンが優勢(特に3回はチャンスだった)。しかし試合が長びいてくると、やはり度重なったブランクと「錆びつき」は顕著で完敗。ルイスはこの次のビタリ・クリチコ戦(6回終了TKO勝ち)がラストファイトとなる。ルイスは初黒星(2回KO負け=この試合までのトレーナーは、ペペ・コレア(レナードの元トレーナー)「チアリーダーみたいなものだ」(ルイス言)=解雇されたコレアは、ルイスの再起戦(6回KO勝ち)では、相手のバトラー(米・黒人、かつて来日。ソ連ペレストロイカ軍団の(べチャ)スラフ・ヤコブレフVyacheslav Yakovlev(世界選手権(86年リノ大会)銅メダル)に6回判定勝ち、初黒星をなすりつけた=以降17連勝(16KO))につく)を喫したマッコール(この試合では、マッコールに補助トレーナー(故グレグ・ペイジがトレーナー)としてついていた故スチワードだったが。以降、ルイスとコンビを組む)とのWBC王座決定戦で5回TKO勝ち(王座奪回)。ラクマン(米・黒人)によもやの5回KO負けで再び王座転落。再戦は4回KO勝ちでタイトルを奪回した。すでにホリーフィールドとも戦い(1勝1分)、主だった選手(ビッグス(ロス五輪金メダル=3回KO勝ち)ラドック(カナダ・ジャマイカ系・2回KO勝ち)マーサー(判定勝ち)トゥア(サモア出身・世界選手権(91年シドニー大会)銅メダル・バルセロナ五輪ニュージーランド代表ミドル級銅メダル=判定勝ち)アキワンデ(ソウル五輪英代表=5回失格勝ち)グラント(米・黒人・2回KO勝ち)などなど)とはほとんど戦っていた(いい引き際だったと思う)。かつては右ストレートの破壊力だけに頼る「一発屋」だったルイス。故スチワードがついてから、左の使い方が上手くなった。ひとつ心残りなのは、五輪決勝で2回ストップ勝ちしたボウとのプロでの対決が実現しなかったこと(WBA王者ボウ、WBC王者ルイスの(無敗対決)統一戦として行なわれるはずだった)。ルイスはイギリス生れカナダ育ちのカナダ人である(五輪もカナダ代表・12歳の時、このオンタリオ州キッチナーに移住してきた)。むろんイギリス国籍も保持している。
*레녹스 루이스(영어: Lennox Claudius Lewis, CBE, CM, 1965년 9월 2일 ~ )는 영국에서 태어난 권투 선수이다. 캐나다의 국적도 갖고 있다. 그는 1988년 하계 올림픽 최중량급 결승전에서 유력한 세계 챔피언 리딕 보위를 제치고 금메달을 땄다. 1999년 BBC 올해의 스포츠인상 수상자이다.


(1)、1995年6月24日 IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ 王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(28連勝(24KO)無敗)VS挑戦者元IBF世界ライト級王者ビニー・パチエンザ(40勝(27KO)5敗→50勝(30KO)10敗)ニュージャージー州アトランティック・シティー
ージョーンズが6回KO勝ち。ベストファイトの一つ。ライト級あがりとはいえ、手強いパチンエンザをスピードとパワーで翻弄(絶好調だった)。見事なKO勝利(ジョーンズの全盛期はまだまだこれから)。パチエンザ(ロードアイランド州プロビデンス出身(イタリア系))はホーゲン(米・白人・故ウィテカー(ロス五輪金メダル)に判定負けで転落)との再戦に判定負けでライト級王座を失ってから、デュレ(仏(黒人・グアドループ諸島出身)+在日米軍出身の東洋王者エリオット(八戸帝拳)との決定戦で8回KO勝ち)に12回TKO勝ち。WBAスーパーウェルター級王座を奪い、2階級制覇を達成(その前に、再起した元統一ウェルター級王者ハニガンにも10回KO勝ち)。正面衝突の交通事故により、瀕死の重傷(首を骨折)を負いながら、奇跡的な再起。復活を果たした。映画化→アメリカ映画『ビニー/信じる男』(原題『Bleed for This』)。異名は”The Pazmanian Devil”(パズマニアン・デビル)=豪州タスマニア島のタスマニアデビル(The Tasmanian devil (Sarcophilus harrisii) コアラに似た外見に似合わず気性が荒い)をもじったニックネーム。なお、タイソンの元トレーナー、ケビン・ルーニーがパチエンザのトレーナーである。
*Vinny Paz, nome completo Vincenzo Edward Pazienza (Cranston, 16 dicembre 1962), è un ex pugile statunitense, di origini italiane, campione del mondo dei pesi leggeri e dei pesi superwelter sotto il soprannome di The Pazmanian Devil.
(2)、2004年5月15日 ターバーとの再戦 ネバダ州ラスベガス
ーターバーが2回、左フック一発のカウンターでジョーンズをノックアウト。不満たらたらだった初戦の雪辱を果たした(両者のライバル関係は熾烈)。ジョーンズはグリフィンとの再戦とおなじ(気合が入っていた)。初回からKOを狙って積極的に攻撃していた(足を止めて、真正面から前進。普段は入らない、間合いに踏み込み強打を放つ)。ターバーはそのKOパンチがはじめて出した強烈なパンチだった(まともに命中し、ジョーンズは仰向けに倒れテンカウントを聞く)。この1戦以降、ジョーンズは凋落していく(再起戦でも格下のジョンソン(米・黒人)に9回KO負け)。


(1)、1996年9月7日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ 王者ブルース・セルドン(33勝(29KO)3敗→40勝(36KO)8敗)VS挑戦者WBC王者マイク・タイソン(44勝(38KO)1敗)ネバダ州ラスベガス
ータイソンが初回2度のダウンを奪い、ストップ勝ち。セルドンのふがいなさに「八百長」の野次すら飛んだ一戦だった。タイソンは絶好調(219ポンドとやや重かったが。私見としては出所後、一番の出来だったと思う)。追い足も鋭く、迫力も満点だった。セルドンは2度目の防衛に失敗(初防衛戦は、サウスポーのヒップ(米・原住民系)に11回TKO勝ち)。タッカーとの決定戦に8回TKO勝ちし、奪った念願のタイトルをあっさり手放した。「セルドンはチキン(ハートが小さい・いくじなし)だ」(故スチワード言)。試合後も激しいブーイング(タイソンも冴えない表情。横にいるセルドンはひたすらしょんぼり)。しかし、WBAタイトルを手に入れたタイソンは、チャンピオンベルトを巻いた姿。控え室へ向かう通路において嬉しそうに満面の笑顔を浮べ、万歳していた。トロントの自宅(その当時は、街中のマンション)、有料TVKOチャンネルで観戦。「一方タイソンですっ!浜田さん」「ううんっ!」「さきほどの表情とは大分違いますねタイソンはっ」(高柳氏)「これじゃあ、なきゃあ、いかんと思いますよねっ。やあっぱりい~試合前、ニコニコっていうよりい~これがあ~やっぱ勝負師ですねっ」「やあっぱりい~これから死ぬか生きるかのリングに上がる時にあれ~ニコニコしてていいのかなあ~っとびっくりした後にあのタイソンの表情みて」「この表情のまま上がってきましたっ。浜田さん、これをどう見ますかっ」「うう~んん。相当嬉しそうですよねっ。タイソンとやるのがやっぱあ~嬉しいんですかねっ。ホント、ニコニコニコニコと嬉しそうですねえ~」「ただあのう~ブルース・セルドン!私はあ~試合前ニコニコして上がってきてっ、気持ちで負けてたと思いますねっ」
*Bruce Samuel Seldon (Atlantic City, Nova Jersey, 30 de janeiro de 1967) é um boxeador americano, ex-campeão mundial.
(2)、2004年7月30日 世界ヘビー級ノンタイトル12回戦 マイク・タイソン(50勝(44KO)4敗2NC)VSダニー・ウイリアムス(31勝(26KO)3敗→54勝(41KO)29敗)ケンタッキー州ルーイビル
ーウイリアムスが4回にタイソンをノックアウト。タイソンに再び約1年4ヶ月のブランク(再起戦は初回KO勝ち)。この試合はフレディ・ローチェ(元世界ランカー(故カマチョに10回判定負け)、パッキャオはじめ数々の名選手のトレーナー(+’猫ちゃん’パンチローク氏のトレーナーとしても来日)としても有名)をトレーナーとして迎え、調子がよかった。初回から往年の右ダブルを放ち、強烈な左アッパーを食ったウイリアムスはダウン寸前となる。しかしこの回後半、タイソンは膝を痛め、おかしな動きをした(苦しげな表情を浮かべる=靭帯切断の重傷)。その後もタイソンは積極的に手を出していたが、ウイリアムスはだんだんタイソンのパンチに慣れてしまう。そして徐々に形勢は逆転し、最後はロープ際で仰向けに倒され立ちあがれなかった。 


(1)、1996年11月22日 WBC世界L・ヘビー級暫定王者決定戦 元WBC王者マイク・マッカラム(米・モントリオール五輪ジャマイカ代表(3回戦で敗退=240勝10敗)+49勝(36KO)4敗1分)VSロイ・ジョーンズ・ジュニア(33連勝(29KO)無敗)フロリダ州タンパ
ージョーンズが3-0、大差の12回判定勝ち。マッカラムの晩年、次のトニーとのラバーマッチ(第3戦)に判定負けしたのがラストファイトとなる。ジョーンズは老いたりとはいえ、侮れない実力者マッカラム相手。無理をしてまでノックアウトは狙わず、大事に戦った。マッカラムは1度初黒星を喫している、カランベイ(スーダン出身・伊)に判定で雪辱(WBAミドル級王座奪取)。ハーディング(豪)を破り、3階級制覇達成(ファブリス・ティオーゾ(仏)に判定負けで王座転落)。
*Mike McCallum (* 7. Dezember 1956 in Kingston, Jamaika) ist ein ehemaliger jamaikanischer Boxer.
(2)、2010年4月3日 ホプキンスとの再戦 バーナード・ホプキンス(50勝(32KO)5敗1分)VSロイ・ジョーンズ・ジュニア(54勝(42KO)6敗)ネバダ州ラスベガス 
ーホプキンスが12回判定勝ちで雪辱。2人ともとっくに全盛期は過ぎていたが、余力を残し円熟期に入っていたホプキンスが衰え顕著なジョーンズ(すべてを出しきってしまった)を負かしたといえる。


(1)、2000年6月24日 ヘビー級ノンタイトル12回戦 マイク・タイソン(47勝(42KO)3敗)VSルー・サバリース(アマ・ニューヨーク州ゴールデングローブ制覇+39勝(32KO)3敗→46勝(38KO)7敗)イギリス・グラスゴー
ータイソンのイギリスデビュー2戦目。初回、強打のサバリース(イタリア系)から左フック一発でダウンを奪い、連打を浴びせTKO勝ち。ながらもレフェリーがストップした後も打ちまくり、あやうく失格負けになりそうな顛末(レフェリー(ジョン・コイル氏)までなぎ倒す=コイル氏は、激怒してタイソンを叱咤していた)。タイソンの豪腕ぶりは相変わらず。かたや、よみがえりつつある野性味と、スポーツマンらしからぬ粗暴さ(ノリス戦も似たようなもの)が同時に現われたような内容(試合後、コイル氏はタイソンのラフな行為に対して「それなりの措置がとられて然るべき」と不満そうだった)。サバリースは無敗のホープ、グラントに判定負けしたばかり。この後、古豪ウィザスプーンに5回TKO勝ちでWBO王者となる(ジョンソン(カナダ(世界ジュニア選手権(89年バヤモン大会)優勝金メダル)黒人)に4回KO負けで転落)。またタイソンは試合後のインタビュー(高ぶる感情を制御できない様子。興奮していた)でも対戦が秒読み段階のルイスについて「子どもを食い殺す」と暴言を吐き、ルイスは「いつでも戦うが、あくまで彼が正常な場合に限っての話だ・・・私の子どもを食い殺すなどとは、とてもまともとは思えない」と呆れ果てていた(決戦前の顔合わせにおいても、タイソンがしかけルイスも応じ。殴り合いとなった)。
(2)、2003年2月22日 世界ヘビー級ノンタイトル12回戦 マイク・タイソン(49勝(43KO)4敗2NC)VSクリフォード・エチエンヌ(24勝(17KO)1敗1分→29勝(20KO)4敗2分)テネシー州メンフィス
ータイソンが初回KO勝ち。ルイスに敗れた後の再起戦をノックアウトで飾る。逃げずに真っ向から打ち合った新鋭エチエンヌ。そこへタイソンは強烈な右フックのカウンターを炸裂させ。仰向けに倒し、テンカウントを聞かせた。試合終了後、タイソンはダメージ深いエチエンヌを助け起こす。この試合を見た限り、まだまだこれからもやれそうに思えたのを回想する。


(1)、1996年6月15日 IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ 王者ロイ・ジョーンズ・ジュニア(31連勝(27KO)無敗)VS挑戦者エリック・ルーカス(カナダ+19勝(6KO)2敗2分→39勝(15KO)8敗3分)フロリダ州ジャクソンビル
ージョーンズが後半11回終了後に、ルーカスをストップ(目蓋の傷が悪化。とはいえ、試合展開はジョーンズのワンサイドだった)。5連続KO防衛に成功。ジョーンズは初回から鋭いジャブを多用し、スピードで自力のあるルーカスを圧倒した。全盛期のジョーンズは何をしても無敵。ルーカス(ケベック州出身・フランス系)の試合はモントリオール時代に、ライブ観戦したことがある(一発パンチはないけど、正統派。まとまったスタイルのいい選手)。後に、パチエンザに判定勝ち。ながら、ティオーゾ弟には判定負け。
*Éric Lucas est un boxeur professionnel québécois né le 29 mai 1971. Il gagna le championnat du monde de boxe des super moyens de la WBC le 10 juillet 2001 et demeura champion jusqu'au 5 avril 2003.
(2)、2005年10月1日 ターバーとのラバーマッチ(3戦目)フロリダ州タンパ
ーターバーが12回判定勝ち。ライバルに勝ち越し、決着をつけた。ジョーンズは3連敗。ターバーは、この次戦でジョンソンに判定負け(IBFタイトル喪失)。ホプキンスにも判定負けした。

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