日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

☆천국(天國)Himmel ☆★天国へ送るパンチ★亡き『拳豪たちのBallard』★追悼★Shuichi Hozumi 穂積秀一さん・Seiji Asakawa 浅川誠二さん・Royal Kobayashi ロイヤル・小林さん(CANADA🍁)2021/03/08


緊張気味だった試合前の王者友利(天竜数典(鹿児島県出身(東洋から内野ジム・本名伝住数典)16度防衛した名選手)+WBA王者故ハイメ・リオス(パナマ+’駒ネズミ’の異名★追悼★2019年3月に死去=享年65歳)リゴベルト・マルカノ(ベネズエラ+具志堅に2度挑戦(判定負け・7回KO負け)との決定戦で判定勝ち。豪打のファン・グスマン(ドミニカ+’リトル・フォアマン’の異名・具志堅が7回KO勝ちでタイトル奪取)に15回判定負けで転落+具志堅に2度挑戦(判定負け・13回TKO負け)に挑戦し(ノンタイトル戦でも4回TKO負け)15回判定負け+東洋王者故金性俊(後のWBC王者)に挑戦し3回KO負け)との再戦で初回KO勝ち(初挑戦は判定負け)タイトル奪取)に対し、「友利を食ってやるぞ」(自信満々の笑顔を浮かべていた穂積さん(無敗の13連勝中(この一試合前に元世界ランカー+東洋7位のティト・アベラ(比=具志堅に7回KO負け)に大差の判定勝ち「アベラを破って自信がついた」)=写真を懐かしく思い出します月刊『ゴング』誌)日本王座獲得後、東洋タイトルに挑戦。突貫ファイター、強打の王者楊弘洙(韓国)に9回ノックアウト負けで初黒星(相性も悪かったと思う。本当に、口惜しかったです=例①楊は穂積さんが8回KO勝ちした石井幸喜(ラストファイト(お父さんがアメリカ黒人)北海道出身(SB日東ジム)全日本アマ王者・世界選手権(78年ベオグラード大会)銅メダル)に大差の判定負け②石井は、穂積さんが10回判定負けした世界ランカー(サウスポー)の玉城和昌(沖縄県出身(東洋から内野ジム)↑天竜の後輩)に6回KO勝ちしている)。友利正(沖縄県出身(三迫ジム)沖縄高校(現、沖縄尚学高校)から高校選手権制覇+後に「危険な’豹’に友利がアタック」戦慄の強打者、WBC新王者アマド・ウルスア(メキシコ(獰猛な鋭い眼光(野生児そのもの)精悍で凄みのある風貌だった)前王者サウスポーのイラリオ・サパタ(パナマ+後の王者、強敵へルマン・トーレス(メキシコ・判定勝ち)、ジョーイ・オリボ(米・14回TKO勝ち)元王者ネトルノイ・ボラシン(タイ・8回TKO勝ち)を連破したばかり=中島成雄(茨城県出身(ヨネクラジム)天竜に3回KO勝ち、楊弘洙にも10回判定勝ち)に15回判定勝ちで奪ったタイトル(再戦も11回TKO勝ち)を8度防衛)に2回KO勝ちで王座を強奪+この試合の前、トーレス(この敗戦後、来日=輸入ボクサー協栄・トーレスとなり、後に大関・へルマンに改名)にも10回判定勝ち)に挑戦し、15回判定勝ち(正直まさか勝てるとは思わなかった(勝ったり負けたりが続いていて、友利のキャリアは決して順風円満ではなかった)ながら開始早々からの思い切りのいいストレート攻撃は見事。素晴しかったです)初防衛戦で前王者サパタに判定負けで転落(この試合は勝ちでもおかしくなかった大接戦の僅差(何度もサパタを窮地に追い込んだ)再戦は完敗の8回KO負け=友利のラストファイト)。             
2021年3月8日 リッチモンド・ヒル カナダ






Shuichi Hozumi ★追悼★故穂積秀一さん(Hozumi Shuichi, 1959 December 8 - 2017 January 11 ), the Japan of Prizefighter . Born in Ora-gun , Gunma Prefecture(群馬県出身) . He belongs to Teiken Boxing Gym and graduated from Komagome High School . Conquer the Japanese title 2nd class in the light flyweight and flyweight (the most 6 times defense in the history of the flyweight), and challenge the WBA world flyweight title twice.


「いやあ、浅川くん、ホンマにごっついパンチやなあ」(対オサム一雄(埼玉県出身(オサムジム)元全日本新人王(スイッチヒッター)本名飯野一男)戦(2回KO勝ち)を観戦した後援者である島田紳助さん言『ボクシングマガジン』写真が懐かしい限りです涙)。【追悼】Sep 16, 2020 — オサムジム会長の渡辺治氏が8月に亡くなっていたことが16日分かった。82歳だったIt was found on the 16th that Mr. Osamu Watanabe, the chairman of Osamu Jim, passed away in August. he was 82 years old(西島洋介Yōsuke Nishijima(東京都出身)の師匠でもあった)




「(赤コーナー陣営(谷崎会長・坂東トレーナー)から)リズムが大事だと、気を抜いては絶対いけないと、攻撃するときは手を抜くな、手をゆるめるな、攻撃の手を絶対にとめるな」(アナウンサー)「やっぱセコンドはそういうこといいますね」(浜田氏)「世界を狙おうというんであればもう少しきびきびしたボクシングして欲しいですね。打つパンチでも切れるパンチ打ってもらいたいですねえ」「今みたいに速く打とうと思えば打てるんですから・・・あの、余裕というよりもちょっと手加減気味なところあると思うんですね。それはあの~いいとは思わないですねえ」「ダメージありますね、ですから動けるときに打って欲しかったですね。こういうことがありますからねえ」(浜田氏)


Asakawa Seiji★追悼★故浅川誠二さん (Seiji Asakawa, 20 décembre 1967 - 25 juillet 2001 ), le champion japonais des poids plumes de boxe d' origine , champion des poids plumes de l' OPBF . Appartient à l'Association de boxe de Kobe. Né à Hyogo Ward , Kobe City, Hyogo Prefecture(兵庫県出身) . Diplômé du lycée Ikuei .

Joe Koizumi ジョー・小泉(real name: Yoshihiro Koyama (本名、小山義弘), 1947 March 31, 2008 -), the Japan of boxing critics, the boxing matchmaker and trainer, boxing program commentator, boxing magazine reporter. Born in Kobe City , Hyogo Prefecture(兵庫県出身) .

Boxing obsessed man Joe Koizumi [Author] 권투에 사로 잡힌 남자 조 고이즈미 【의】

32 不調の浅川、朴の連打を浴びて沈む 計量遅刻事件のため体調不良で完敗
WBA世界フェザー級タイトルマッチ
朴永均VS浅川誠二 1991年12月22日 韓国仁川
Asakawa annihilated by "Korean Tank" Park
♦実力伯仲
マッチメーカーとは、選手と選手を組み合わせ、契約その他の手配をするのが仕事だ。ときには自分が手がけ成長したボクサー同士の試合を組むことも起こり得る。
WBA世界フェザー級チャンピオン 朴永均(パク・ヨンギュン)、24歳、22戦19勝14KO2敗1分け。
*박영균(朴永均, Yong-Kyun Park, 1967년 8월 16일 ~ )은 대한민국의 전 권투 선수이다. 전 세계복싱협회(WBA) 페더급 챔피언. 전형적인 인파이터로 별명은 불도저.
筆者は最近、第三国の仲介者として外国人同士を組み合わせる機会が増えてきた。
朴は、90年1月、ソウルにおいて筆者が招んだ東洋太平洋王者ジョージョー・カイソン(比国)を8回にKOし、王座を獲得した。朴の2度の防衛戦は、ジミー・シスファイダン(タイ)、クリス・サギド(比国)を退けたもので、これも筆者が担当したマッチメーキングだった。
朴は俗に韓国型と呼ばれる、徹頭徹尾前に出て連打を放つファイターだ。一発のパンチはないが、旺盛なスタミナと驚異的なタフネスで相手を屈服させてきた。
朴は、昨年3月、強豪王者アントニオ・エスパラゴサ(ベネズエラ)を番狂わせの判定で破り、見事世界の王座に就いた。
初防衛戦で長身の日本人挑戦者、竹田益朗を6回TKO、2度目の防衛戦で21戦全勝20KOの強打者、1位のエロイ・ロハス(ベネズエラ)に大差の判定勝ち。
今回が3度目の防衛戦になる。
一方、浅川は変わったキャリアの持ち主だ。
朴を上回るハードパンチャーだが、やや打たれもろい。全日本新人王戦で最優秀選手になり、89年、加納一也(前の年、KO負けを喫している)に借りを返し8回KOで空位の日本タイトルを獲得している。
以後、福田健吾、タイガー道上、植田龍太郎などの強豪を撃退して5度防衛。しかし、90年11月、何と10位の園寿和に4回KO負けし、タイトルを失った。
園が防衛戦をせぬまま王座を返上して引退。サウスポーの技巧派、松本好二が渡辺司を鮮やかなKOで沈め、新王者となる。
その松本を大差の判定で破り、浅川は日本タイトルを奪回した。実は、浅川は筆者の後輩である。だから、さまざまな交渉上の障害を克服して、タイトルマッチ実現にこぎつけた。
「園に負けていなければ、日本に世界チャンピオンを迎え、地元の利を生かした王座挑戦ができただろう」そういう人が多い。
それは事実だ。しかし、昨日の敗北を悔いても仕方ないだろう。要は、明日の試合に勝つことだ。敵地、韓国で朴と闘っても、浅川には勝機があるーと、筆者は考えた。
キャリア、年齢、戦績の点でも、実力伯仲だ、と。

♦痛恨の計量遅刻
谷崎孝会長は筆者の兄のようなもので、数多くの試合で一緒にセコンドについた。
坂東芳昭トレーナーは小学校時代から筆者と同級生で、彼の叔父に筆者はボクシングを教えてもらった。
浅川はスポーツメーカー、A社の社員である。A社、およびその韓国支社は一丸となって浅川を支援してくれた。
1月24日、試合の前日、浅川一行はソウル市内の韓国コミッションでライセンスの手続きをしたあと、仁川市の西海ホテルでの調印式に出席した。
*인천광역시(仁川廣域市, 영어: Incheon Metropolitan City)는 대한민국 북서부 서해안에 있는 광역시이다. 서쪽으로 황해를 사이로 중화인민공화국이 있다. 인천항과 인천국제공항을 중심으로 제조업과 물류 산업이 발달하였다. 시청 소재지는 남동구 구월동이고, 행정구역은 8구 2군이다. 2003년 인천광역시경제자유구역청이 개청되어 송도·청라·영종 지구를 관할한다.[2]
世界戦の興行をする現代プロモーションから8人乗りのボンゴを手配してくれたが、浅川一行はA社の韓国支社の車に乗った。
車のシートが広く、宿舎の富川市プリンス・ホテルから目的地まで、体が楽なためである。
1月25日の朝8時前、A社の車が来た。浅川の食事を世話してくれた母親、身のまわりの手配をしてきた兄が同乗した。
「昨日と同じ所へ行ってくれ」
A社の韓国語が達者なM氏が韓国人の運転手に言った。谷崎会長、坂東トレーナー、筆者は現代プロモーションが迎えに出してくれたボンゴに乗り、10分後に出発した。
計量は10時からだ。筆者たちは、予想していた交通渋滞もなく、8時50分に韓国コミッションに着いた。
先に出た浅川一行がまだ着いていない。
「別の道を通り、そこが混んでいるんだろう」と、谷崎会長は言った。
10分、20分、30分経つが、浅川たちが来ない。
ーおかしい、運転手が道に迷ったのだろうか。A社の韓国支社の車には電話が付いている。
ホテルに電話し、M氏をつかまえようとするが、外出中で連絡がとれない。
金種営プロモーター(チャンピオン、朴のマネージャーでもある)が、眉間にしわを寄せ怒りはじめた。
「折角、私の息子にボンゴを運転させて出迎えに行かしたのにそれに乗らず、素人の韓国人運転手の車に乗るから、こんなことになる。もしこのまま浅川が行方不明なら、今夜の興行はどうなる。韓国全土にテレビ生中継されるビッグ・イベントなのに。お客さんにはもう切符を売っているし、大変なことになりますよ」
金会長の言葉はすべてもっともだ。谷崎会長とともに頭を下げるしか方法はない。
10時になってしまった。
「チャンピオンの朴だけ先に計量し、浅川側の谷崎会長が立会って下さい」
韓国コミッションの李元馥国際部長の声で朴が裸になり秤に乗った。色白で、顔は空腹のためかやや青ざめている。「57・0キロ!」リミットより100g軽い、計量パスだ。
チャンピオン一行は足早にコミッションから去った。早速、食事をし休養をとるのだろう。
ボクシングでは、計量の時刻で両陣営がもめることがある。試合までに、食事をし消化しつつ体を休めるというのは、体調作りのため非常に重要だ。
電話が鳴った。浅川の車からだ。
ソウルとは逆方向の仁川の西海ホテルに着いてしまい、いま引返している最中だが、交通渋滞に巻きこまれている、という。
昨日と同じ所というM氏の指示がを運転手は誤解し、コミッションではなく、仁川の調印式会場へ行っていたらしい。
まさかソウルと仁川を間違えるとはー
結局、浅川一行がコミッションに到着したのは11時半、空腹の浅川はホテルを出てから、3時間半も車の中で缶詰めになっていた。
計量はチャンピオンと同じく57・0キロでパスしたが、プロモーターから厳しい小言が聞かされた。
試合後、筆者は敗者、浅川にこう言って慰めた。
「新幹線で東京から大阪まで3時間だ。食堂やトイレへ行き、時たま体を動かしても、座り続けというのは疲れる。3時間半といえば、東京から神戸までだろう。昼前まで旅をし、その日の夜、世界タイトルマッチを闘って、いいコンディションで試合できるわけがない。だから、またがんばれ」
♦2回に速くもダウン
筆者は2時に仁川室内体育館に着き、約100名の日本人応援団の世話をしていた。
浅川は4時ごろ会場につき、ストーブで温めた控室へ入った。どことなく元気がない。6時50分、試合が始まった。
浅川はファイター朴を相手に後退するまいと、もみ合いをしながら朴を押し返す。朴は軽い連打で応戦してくる。
浅川も打返すが、ヒザと腰がギクシャクしている。
初回は、僅差で朴が取った。2回に入ると、朴が体を振りながら前進してきた。浅川は左腕を伸ばし、朴の突進を止めようとした。そこに軽い右クロスが命中した。
浅川はもろくもヒザをついた。ダウンだ。ダメージは大きくないが、この好機を見逃す朴ではない。一気呵成に攻めたてる。浅川は守勢ながら、時おりパンチを返す。
しかし、いつものパワーも切れもない。約2分間打たれっ放しで、辛うじてゴングに救われた。
3回、浅川の方が攻勢をとった。ワン・ツーから左アッパーのボディ・ブローが再三チャンピオンに当たる。
朴は顔をしかめながら、挑戦者の反撃に耐える。浅川のパンチにいまひとつ力がないため、クリーンヒットしながら、朴にダメージを与えられない。
4回は、朴の方がまた積極的に攻めだした。浅川は3回の反撃が幻であったかのように、防戦一方になる。ときに右ストレートから左アッパーを返すが、朴の連射砲のような連打に圧倒されている。
またペースが変わってしまった。
♦左フックでKO負け
5回になると、朴の攻勢に勢いがついてきた。まる3分間、朴は打たれ放し。浅川はロープに詰まり、ブロックするのがやっとだ。「打ち返さないと、ストップされる」
筆者は青コーナーで、傍の坂東トレーナーに言った。「打ち返せ!下がるな!前へ出ろ!」トレーナーは叫んでいるが、浅川の体には朴の攻勢を押し返す力がない。
やっとゴングが鳴った。
5回はダウンこそないが、10-8につけられても文句もいえぬほど一方的だった。
6回になると、朴は前のラウンドの打ち疲れか、やや手数が減った。浅川もたまにワン・ツーを返す。しかし、ペースは変わらない。依然として劣勢が続く。
7回、勝負をかけた浅川が渾身の力をこめて反撃する。右クロス、左フック。好打しているが、タフネスを誇る朴はパンチを耐え応戦してくる。
ー浅川のパンチにいつものシャープさがあれば、その攻撃で朴にダメージを与え、朴の勢いを止めることができるのだが。このラウンド、浅川の方がやや優勢だった。無理に打ち合い疲れが見える。
8回、スタミナ充分のチャンピオンは挑戦者をロープに詰め、上下の連打を見舞う。浅川は頭の中で得意のカウンターをとることを考えていたのだろう。
しかし、朴の回転の速い連打は、浅川にカウンターを打つ間を与えてくれない。
朴は腰を落として右フックで脇腹を叩いてくる。顔面への連打はそれほどパンチがないが、このボディー・ブローだけは強烈だ。浅川はこれを受けて耐えているが、回りこめない。
9回が最後のラウンドになった。挑戦者の疲れを見たチャンピオンはますます攻撃のピッチを上げる。また浅川はロープに詰まる。朴のワン・ツーに対し、浅川は左フックを返す。一瞬早く朴の左フックが浅川のアゴを射抜いた。
浅川は前のめりに倒れかけ、まだ攻め続けようとする朴と体が交差した。
朴は失神してキャンバスに這う浅川をまたぎ、そしてニュートラル・コーナーへ走った。浅川は長々とのびている。
ラリー・ロザディリャ・レフェリーは10カウントを数え、試合終了を宣言した。
谷崎会長、坂東トレーナーたちはリングにとびこみ、敗者を介抱する。
一方、地元の観客は勝者、朴を大歓声で称える。完敗だ。淺川はまだキャンバスに横たわったままだ。
5分ほどして敗者はやっと立ち上がった。
試合後、ドクターの検診を受ける浅川の眼は虚だ。日本人記者団の質問に敗者は答えている。
「チャンピオンは思ったほど強くなかったが、ペースを取られ、こちらの力を発揮できなかった」
一方、朴の方は敗者の闘志を誉めた。
「浅川は予想していたよりパンチがあり、ファイトがあった」何台かの車に別れ、われわれは宿舎にもどる。
「浅川は最初から元気がなかったですね。いままでの試合の中で一番調子が悪かった」と、筆者はため息まじりに言う。
「朝計量に遅れてきたとき、今日は勝てん、という予感がした」と、坂東トレーナー。
A社の韓国支社の運転手のミスをいまさら責めても、勝敗はくつがえらない。富川のホテルまで、われわれは重い沈黙に耐えた。

<いま振り返ると>
浅川というのはキャリアの節目でポカをする運のないボクサーだった。試合の前日、仁川の調印式場へ行ったあと、韓国コミッションへ寄り計量用の正規の秤で体重をチェックした。「昨日と同じ所へ行ってくれ」と指示したA社のM氏に悪意などなかったろう。きちんと「コミッションへ」と私が念押しをすればよかった。A社の運転手にも悪意はなかった。
「韓国の謀略」とかいう噂があるが、それは断じてない。浅川陣営のミスだ。当時は、試合当日の朝、計量が行われ、タイトルマッチはソウルではなく仁川だったので、浅川は食事を摂ったあと2時間ほど休憩しただけで試合場へ行く車に乗らなければならなかったのだ。
ボクサーの試合直前のコンディションというのは積木細工のように微妙なものだ。一瞬の不注意で体調はガクガクにくずれてしまう。100人も浅川の応援のため渡韓されたのに、みなさんにいい試合をお見せできなくて誠に申し訳ないと思う。浅川誠二は全盛時、パンチがあった。(236-243ページ)








Royal Kobayashi★追悼★故ロイヤル・小林さん (Royal Kobayashi, Name: Kazuo Kobayashi  (小林和男), 1949 10. Oktober - 2020 17. November ), die Japan von männlichem Profi - Boxer . Geboren im Bezirk Shimomashiki , Präfektur Kumamoto(熊本県出身) . WBC World Super Bantamgewicht , OPBF Oriental und Pacific Featherweight Champion. Vertreter aus Japan für die Olympischen Spiele in München ( 1972 ).


Kōki Ishii ( jap. 石井 幸喜, Ishii Kōki ; * 3. August 1954 in Sapporo ) is a former Japanese Boxer.

Ким Чхоль Хо (кор. 김철호; род. 3 марта 1961, Осан) — южнокорейский боксёр, представитель второй наилегчайшей весовой категории.





Tadashi Tomori (jap. 友利 正, Tomori Tadashi; * 28. Dezember 1959 in Naha(Okinawa), Japan) ist ein ehemaliger japanischer Boxer im Halbfliegengewicht.

×

非ログインユーザーとして返信する