日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

【The era of Koizumi】Satoshi Kamata/【Эпоха Коидзуми 】Сатоши Камата/『コイズミという時代』鎌田慧고이즈미 준이치로小泉純一郎⑭

自発的でないボランティアという言語矛盾
もうひとつの問題は、ボランティアを全員の参加方式にすべき、という答申を中教審がまとめたことである。奉仕活動などの内容を記録する「パスポート」を自治体がつくり、入試や就職試験に活用するよう提言した。すでに00年にはじまった教育改革では、ボランティア活動を評価対象とし、学生に押しつけることを決めた。01年12月に発表された文科省の調査によれば、ボランティア活動を単位として認定している高校は、57校から86校に増加したという。
これなど政治がボランティア活動の本質をまったく理解していないと自ら暴露したものである。そもそもボランティアとは自発的活動であるとともに、精神性の問題であって、自分の利益を得るための行為とは呼べない。
Françaisフランス語→Le bénévolatボランティア est une activité non rétribuée et librement choisie qui s'exerce en général au sein d'une institution sans but lucratif (ISBL) : association, ONG, syndicat ou structure publique. Celui ou celle qui s'adonne au bénévolat est appelé « bénévole »1. L'étymologie du mot vient du latin « benevolus » qui signifie « bonne volonté ».자원봉사(自願奉仕)는 사회 또는 공공의 이익을 위한 일을 자기 의지로 행하는 것을 말한다.[1] 자원봉사자들의 봉사 활동은 보통 비영리단체(非營利團體, NPO, Non-Profit Organization)를 통하는 경우가 많다. 때때로 이 방식의 봉사 활동은 공식 봉사 활동으로 불린다. 하지만 이들 공식 봉사 단체와는 별도의 개인 또는 몇몇 사람들이 비교적 격식을 차리지 않고 자유롭게 봉사 활동을 펼치는 경우도 있다. 이러한 비공식적인 봉사 활동은 보통 알려지지 않기 때문에 통계치로 잡기가 무척 힘들다.
教育の名のもとに「単位」をエサに奉仕活動を情報としてまとめ、進学や就職を盾に参加を強制的に迫るなど、ボランティア活動をあざむくどころかあきらかに逆行している。日本からNGO(非政府組織)の精神を奪う教育改革、ともいえる。自主的な動機や無償の行為ということをまったく理解できない、欲得ずくの官僚や政治家たちの考え方が、「ボランティア」を泥まみれにしている。
平和憲法を子どもたちにひろめるという精神からつくられた教育基本法を撃破し、本丸の憲法を空洞化させようというのが、自民党の戦略である。連立与党の公明党はいまはさすがにこれには消極的だが、これから政治的な妥協がはじまる。戦争にむかう国家体制になるのを防ぐためには、こうした政治の動きに有権者の関心を引きつけて、それに対置する意識をつくるのが重要な仕事だ。ジャーナリスト精神に根ざした世論形成が必要となっている。

History textbook what's wrong Thorough verification Q & A
What kind of book is the textbook of "Tsukurukai"? Is it a suitable textbook for junior high school students to study history? Thorough verification by historical researchers.  Yoichi Komori ed. , Yoshikazu Sakamoto ed. , Yasumaru Yoshio ed.
Contents of this book: The history textbooks of the "Japanese Society for History Textbooks", which has classified the textbooks as "masochistic", have passed the test. What kind of historical view is it written in? Is it really suitable as a junior high school textbook? Why and what points are criticized by China and South Korea? Thorough verification by history researchers and literary researchers. I will explain it easily with Q and A. Written by Kenzaburo Oe, Shuichi Kato, Ryuichi Narita, Manabu Sato, Katsumi Fukaya, Sung-si, Yuzo Mizoguchi, Shun Metorima, Midori Wakakuwa, Osamu Hashimoto, Minako Saito, Soji Takasaki, Mikiyo Kano and many others.


戦前を呼ぶ「新しい歴史教科書」の臆面のなさ
トンデモ・デタラメ教科書登場
文部科学省の検定に合格した「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書は、教科書検定の前に市販する(01年6月10初版第一刷発行)というアクロバット的なやり方で、けっこう売れたらしい。が、聞きしにまさるデタラメ本だった。代表執筆者の西尾幹ニが「市販本前書き」において、「全体を無視して部分だけ取りあげて、あげつらうなら正しい批判にならない」(IIページ)などと書いている。
*Esperantoエスペラント語→Japana societo por reformi historian lernolibron (新しい歴史教科書をつくる会 [ataraŝij rekiŝi KJO-kaŝo o cukuru kai] lit. Societo por Krei Novan Historian Lernolibron) estas grupo fondita en 1997 por propagandi pli konserveman vidpunkton de Japana historio.
*Deutschドイツ語→Kanji Nishio (japanisch 西尾 幹二, Nishio Kanji(東京都出身); geboren am 20. Juli 1935 in der Präfektur Tokio) ist ein japanischer Germanist. Er war Universitätsprofessor für Literatur in Tokyo und ist bekannt für seine Nietzsche-Übersetzung, für seine Beiträge zur Literatur und Philosophie, und auch für seine Beiträge zu Fragen der japanischen und westlichen Gesellschaft.
しかし部分に荒唐無稽なことが書いてあるならば、それは全体の思想をあらわしているといえる。どれだけ奇妙な教科書か、ページの許す限り紹介する。
この教科書は、「歴史書への招待」という序章の巻頭に、「歴史書を学ぶとは」(6ページ)というページをもうけている。そこには
「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」
と書かれている。しかし「過去の不正や不公平」を学ぶことによって、二度とそのようなおなじ過ちを犯さなくなるのであって、それこそが歴史の教訓に学ぶということである。
西尾はさらに、「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にするのはやめよう」(7ページ)とも書いている、が、その時代に当時の悪を批判する声があっても、それが権力によって押しつぶされてきた。そういった事実に目をつぶってはいけない。つまり時代の内部で歴史は動いているのだが、この教科書の編者たちは認めようとしない。
この教科書は、歴史事実への解釈とその偏向性がはなはだしい。古代史では神話と忠実が混同している。たとえば神武天皇の東征伝というページが登場していて、八咫烏(ヤタガラス)が道案内をしてくれたという神話が、そのまま採用されている。わたしは子どものころ見た、神武天皇の弓の上の烏が稲妻を発している絵を思い起こした。それが堂々と教科書に復活しているのだから、眉唾ものである。
*진무 천황(일본어: 神武天皇 진무텐노[*], 기원전 711년 2월 13일 (음력 1월 1일) ~ 기원전 585년 4월 9일 (음력 3월 11일))은 일본의 초대 천황이다. Françaisフランス語→L'empereur Jinmu ou Jimmu (神武天皇, Jinmu Tennō?), fondateur mythique du Japon, est considéré comme le descendant de la déité shinto Amaterasu et fils d'Ugayafukiaezu. La maison impériale actuelle du Japon fonde ses droits au trône du chrysanthème sur la descendance directe de Jinmu.
*八咫烏[註 1](日语:八咫烏/やたがらす(やたのからす) Yatagarasu (Yatanokarasu))乃日本神話故事神武東征之際,受高皇產靈神和天照大神之命,從熊野國到大和國為神武天皇帶路的烏鴉,一般描繪為三隻腳的形象。&Deutschドイツ語⇒Yatagarasu bzw. Yatakarasu oder auch Yata no karasu (jap. 八咫烏; Karl Florenz übersetzt mit „Acht-Hand-Krähe“ im Sinne von „vielhändige (vielklauige) Krähe“, Motoori Norinaga interpretiert als „achtköpfige Krähe“) ist ein Kami in der Mythologie des Shintō. Er hat die Gestalt einer dreibeinigen Krähe.
それ以外でも神話に属する天照大神(アマテラスオオガミ)や素戔嗚尊(スサノオノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)などにもページが割かれている。これによってなにを学ばせようというのか。
*Românăルーマニア語⇒Amaterasu (天照?), Amaterasu-ō-mi-kami (天照大神 sau 天照大御神?) sau Ōhiru-menomuchi-no-kami (大日孁貴神?) este în mitologia japoneză zeița soarelui, și poate cea mai importantă zeitate (神 kami?) șintoistă.Svenska
*Svenskaスウェーデン語⇒Susanoo (須佐之男 (スサノオ)?), även romaniserat som Susano-o, Susa-no-O, Susano'o och Susano-wo, och även känd som Takehaya Susanoo-no-Mikoto (建速須佐之男命?), är havets och stormens kami (gud) inom japansk mytologi. Han är son till Izanagi, bror till Amaterasu och Tsukuyomi, far till Suseri-Bime, och make till Kushinadahime. 
*Yamato Takeru (ヤマトタケルノミコト, Yamato Takeru no Mikoto), originally Prince Ousu (小碓命, Ousu no Mikoto), was a Japanese legendary prince of the Yamato dynasty, son of Emperor Keikō, who is traditionally counted as the 12th Emperor of Japan. His name written in kanji can vary, in the Nihon Shoki it is spelled 日本武尊 and in the Kojiki it is 倭建命.
このように個別に批判しているときりがないので、時代を近現代にしぼってみたい。韓国から批判を受けた、「韓国併合」の記述は問題だ。
「韓国併合のあと、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・潅漑の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した」(240ページ)。
あたかも外国の開発のために、日本が土地を整備したような記述になっている。一方で朝鮮の人びとの日本への反発という項目は、「日本語教育など同化政策が進められたので、朝鮮の人々は日本への反感を強めた」(同)とあるだけ。もちろん創氏改名や日本語の強制が、朝鮮の人びとの反感を強めたのは事実である。しかし日本への反感の根本は、武力による侵略と虐殺行為があったからである。すり替えてはいけない。

戦争賛美のオンパレード
さらに驚くべきことに、「大東亜戦争」(276ページ)が堂々と見出しになっている。また日本がアジアの国々の支配のためにひらいた「大東亜会議」にまで、1ページを割いている。
*대동아회의Великая Восточноазиатская конференция(일본어: 大東亜会議)The Greater East Asia Conference 는 1943년 11월 5일과 11월 6일 동안에 일본 제국 정부가 도쿄에서 주최한 정상회의를 말한다. 이 회의에는 일본 제국을 비롯하여 만주국, 난징 국민정부(중화민국), 태국, 버마, 필리핀 등 6개국이 참여하여 아시아 각국 지도자급에 해당되는 친일 인사들이 참가했다.
しかも、太平洋戦争に関する記述で特徴的なのは、戦場で戦う姿が賛美されていることである。たとえば、ガダルカナル島での戦闘については「死闘の末、翌年2月に日本は撤退した」(278ページ)とか、「アッツ島では、わずか2000名の日本軍守備隊が2万の米軍を相手に一歩も引かず、弾丸や米の補給が途絶えても抵抗を続け、玉砕していった」(同)とか、「レイテ沖海戦で、「神風特別攻撃隊」(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行った」(同)など、兵隊が死を覚悟して死んだ姿が描かれている。

沖縄戦の説明では、「日本軍は戦艦大和をくり出し、最後の海上特攻隊を出撃させたが、猛攻を受け、大和は沖縄に到達できず撃沈された」とか、「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って」などと悲劇的に書かれている。
いうまでもなく、3000人ほどの船員を乗せて出発した戦艦大和は、帰りの燃料をもたない自決行為だったし、沖縄の少年や少女の戦闘などは無惨にすぎた。そのような戦争が、兵士および住民にもたらした悲惨さが、まったく語られていない。昭和天皇については、和歌が引用され、「爆撃にふれゆく民の上をおもひくさとめけり身はいからむとも」(307ページ)と、いかにも天皇が体を張って戦争をやめさせたという短歌が引用されているが、彼が大元帥として采配をふるい、兵士を鼓舞し、兵士が、天皇の名の下に倒れていった事実については触れられていない。天皇制教育についての批判も姿を消してしまっている。
戦後の高度成長の説明(308-9ページ)では、東海村の原発まで例にあげ、技術革新を大絶賛している。一方で公害問題については六行で片づけ、革新勢力の資本主義批判は説得性がないと批判し、学生の運動を暴力や争乱と記述している。
この教科書は、書かれていることよりも、従軍慰安婦の問題をふくめて、書かれていないことが重要である。きわめて作為的、恣意的、偏向的に書かないのだ。それが検定を通過した理由であろう。検定は書いていないこと以上に、書いてあることを厳しくチェックするからである。

アジアとの共生の視点がまるでない
また戦争中の戦意高揚の空気がそのまま使われているのも、この教科書の大きな特徴だ。たとえば真珠湾攻撃における戦艦アリゾナの沈没風景(276ページ)、特攻隊を見守る女学生の姿(278ページ)、日本兵がアジアの子どもたちに日本語を教育している姿(281ページ)など、戦争中の侵略的な視点がそのまま使われている。
さらに「戦争と現代を考える」(288ページ)というコラムでは、日本の各都市への無差別攻撃や原爆投下、ナチスによるユダヤ人虐殺、スターリンの大量処刑などが紹介されているのだが、日本軍については「不当な殺害や虐殺を行った」というぐらいの記述でしかない。こうした編集姿勢は、「戦争への罪悪感」という見出しによって露骨に表現されている。
「GHQは新聞、雑誌、ラジオ、映画を通して、日本の戦争がいかに不当なものであったかを宣伝した。こうした宣伝は、東京裁判とならんで、日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後日本人の歴史の見方に影響を与えた」(295ページ)
日本人が戦争にたいして罪悪感をもつことは、自己批判として当然であるし、悔いても悔いきれない問題だ。ましてアジア諸国には、いまだに戦後補償がキチンとおこなわれていない。それを恥じないようにしようなど、自虐史観批判というより「加害合理化史観」である。
過去にたいする自己批判がなく、日本の誇りだけをあたえようとするのは、序章に書かれた「歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり真実を確かめるようにしよう」(7ページ)という主張とはまったくちがう。きわめてパターン化した教条主義的な見方である。このように「新しい歴史教科書」は、きわめて古い破綻した価値観に彩られている。日本の歴史を学ぶということは、日本を対象化することであり、自分を他者との関係によって見直すことである。しかしこの教科書の視点はきわめて一方的な視点であり、「夜郎自大」的な教科書というしかない。
この教科書に欠如しているのは、アジアの国々との共生の思想である。いまなお日本を中心にした「五族協和」の精神を唱えつづけるなど、アジア各国に受け入れられるはずもない。このような教科書によって、日本の歴史を教えられた子どもたちが、これからアジアの人びとと出会ったときに、自分の国が過去になにをしてきたのかまったく知らないことで、しっぺ返しをくらうのはまちがいない。そうした姿は、容易に想像できる。
中韓の修正要求にはゼロ解答
01年7月8日の『産経新聞』によれば、テレビ朝日系で放送していた『ニュースステーション』で、コメンテーターを務める清水建朝日新聞委員が、「子どもたちをそんな大人にしたくないという保護者と先生たちが立ち上がって声を上げた方がいいです。この教科書は嫌だと」と発言。これにたいして、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが、総務省に処分を要請する申し入れをしたという。
歴史を捏造している教科書を採択しないように、という発言は正しい。各中学で採択の動きがひろまれば、外交上でも重大な影響をあたえる。にもかかわらず、放送法に違反するなどとして、お上に注意するなど、彼らの言論弾圧体質をよくしめしている。
こうした連中の悪ノリこそ、日本の社会が戦前の体質にむかっていることを、よくあらわしている。「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書は、戦争への情熱を駆り立てるものでしかない。前述の特攻隊や沖縄のひめゆり部隊の死は、もっとも悲惨な少年、少女の死であり、強制された死である。この事実を美談化しようという精神で、教科書がつくられている。だからさまざまな問題が起きる。
日本の軍隊によって侵略された国の人たちが、侵略の歴史を美化した教科書だと感じているのは当然だ。こうした批判にたいして、政府は真摯に耳を傾けるべきである。しかし政府の対応は、いわば切り捨てゴメンというものであった。中国と韓国の修正要求にはゼロ解答、これは両国の歴史を、戦中、戦後にわたって足蹴にするものだ。
たとえば韓国併合を侵略ではなく、国際的に認められた行為として記述した、と韓国は抗議した。これにたいして日本政府は、「韓国内の反対を、武力を背景におさえて併合を断行した」という教科書の記述を根拠に、「明白な誤りとは言えない」と日本政府はいいきっている。おなじく日本が朝鮮を植民地としていた時代の記述で、人民から収奪した記述がないという韓国からの批判にたいし、日本政府は「どのような内容を記述するかは、執筆者の判断にゆだねられている」などと、「つくる会」を擁護する言い訳を開陳している。
歴史の事実を率直に認めない行為は、これから恐るべき日本人をつくることだろう。戦後60年をへようとしているのに、いまだに侵略した事実をうやむやにしようとする態度に、相手国が侵略を正当化していると感じて当然である。ドイツではいまなおナチスの責任を訴追し、その賠償金を払いつづけている。日本政府は、このような解決策のツメのアカでも飲んだらどうだ。
国の認識を表明したことになる検定制度
「つくる会」の教科書問題は、検定制度の問題をふくんでいる。検定とは国家が表現の自由を規制したものだ。つまり国のお墨付きをもらった内容だけが、記述されている。国の認めた内容が、相手国のプライドを傷つけるなら、日本国が挑戦・挑発していることになる。わたしは検定制度には反対しているものである。しかし、現実的に国家の意思が教科書の執筆に貫徹されているならば、それは検閲であり、書いた内容に国家が責任を負うべきである。それができないのなら、検定をやめるべきだ。
もしも教科書の検定制度がないならば、それは著者個人の表現の自由であり、中国や韓国もいちいち批判してこないはずである。両国が批判の対象としているのは、国のお墨付きによってあきらかになった国の意識である。国家が検定していながら著者に表現の自由があるという論理は、責任逃れというしかない。さらに侵略された当事者がこれだけ批判する教科書を、地方自治体が採用するのは、中国や韓国にたいする敵対行為ともいえる。栃木県の下郡採択地区では、採択協議会が教科書を採択する決定をした。しかし教育委員会の意見によって、この時点での採択は見送られる公算が大きくなった。
一方で、愛媛県教育委員会は01年8月にさっそく「郷土を愛し、自分の住む国に誇りを持てる子供を育てるという点で、他よりも優れている」(吉野内直光・県教育長)(『毎日新聞』02年8月8日)として、選定資料の総合所見を無視し、県内の養護学校やろう学校の一部で教科書を使うよう決めた。翌年には、県立の中学課程で使おうと画策し、春に新設した県立中学三校での使用を決定している。03年度、この教科書は九郡県の16校で計1053冊も使われていると報道された。「つくる会」の運動を背景とした強引な採択が、すこしずつ受け入れられはじめてきたのも、日本の危機的状況を強くあらわしている。
教科書が実際に採択されることになれば、さらに悪ノリした内容になるであろう教科書指導書が、教員の手に渡る、このような強権国家にむかう教育を許さないためにも、「新しい歴史教科書」という名の、無反省で恥ずかしさに満ち充ちた「ウルトラ・アナクロ教科書」が、各地の学校で採択されないような運動をすることが、戦争を阻むものの大きな義務である。
あとがき
いよいよ、露骨な言論狩りがはじまった。長年にわたって、自衛隊基地の監視活動をつづけてきた、「立川自衛隊監視テント村」のメンバー3人が、「自衛隊のイラク派兵反対!」のビラを配ったとして、2月下旬、立川署員に逮捕され、3月下旬になって起訴された。容疑は、住居侵入罪。自衛隊官舎の敷地内各戸にビラを配布したのを理由に、「テント村」事務所など六ヶ所の捜索を受け、名簿などが押収された。
ビラまき活動の日から1ヶ月たってからの逮捕だから、警視庁や検察庁の上層部との打ち合わせがあってのことであろう。態勢を整えての弾圧である。「住居不法侵入」というのは、自衛隊駐屯地に隣接する、自衛隊官舎の敷地内に無断ではいったことをさしているのだが、どうして、官舎の敷地にはいったのを理由にして逮捕されるのか。一般の社宅ではありえないことである。ましてそこには門扉はなく、出入り自由、さまざまな業者がセールスや配達、集金にやってくる。市民団体に所属しているだけで逮捕されるのであれば、この国では結社の自由が認められていないことを意味する。
いつのまにか、自衛隊宿舎も、自衛隊基地とおなじ、「立入禁止地帯」に格上げされたのか。とすれば、そこは、自衛隊員とその家族が、一般社会の人間とはちがうということを、警察が主張していることになり、隊員と家族の人権問題となる。もしも、「住居侵入罪」はたんなる口実であって、ビラを撒いたのが逮捕の理由なら、それは表現の自由、営業の自由をいちじるしく制約するものである。構内に出入りするピザ屋やそば屋、あるいは不動産の広告、スーパーマーケットや家具のセールのチラシを配ったものが逮捕されたとは聞いていない。もしも、「派兵反対」が逮捕の理由なら、日本にはいまや言論、表現ばかりか、政治活動の自由さえもなくなったことを示す。小泉内閣の誕生によって、ついにイラクの戦場へ自衛隊を出兵させる時代になったからこそ露骨になった政治現象である。
ところが、「復興支援」が表看板の自衛隊の輸送は、「人道支援物資に限定する」と公言していたのだが、最初のC130輸送後には、「新生児保育器」などが積まれていたものの、あとの大半が「軍事物資」である。この実態については、つぎのように書かれている。
「米軍からすれば自衛隊輸送機も他の「有志同盟国」と同じように実質的な米国の傘下に組み入れ、軍事物資の輸送にあたらなくては意味がない」(『日本経済新聞』04年3月4日)
反戦ビラにたいする逮捕、起訴以外にも、「戦争反対」と公衆便所に落書きして、「器物破損罪」で起訴されて有罪判決を受けたり、「憲法9条を守ろう」との『赤旗』号外を配った、として「国家公務員法違反」で逮捕、起訴された公務員もいる。休日に政治活動をするのは、自由のはずだ。このように、思想、信条、良心、表現、政治活動の自由を奪われた国であっても、まだ民主主義の国、といえるのか。『週刊文春』(04年3月25日号)が、田中真紀子議員の長女に関する記事を掲載、本人からの「出版差し止め」の仮処分請求にたいして、東京地裁はそれを認める決定をだした。販売される前に、その出版を禁止する決定がだされたのは、異常事態である。
掲載されていたのは、どうでもいいような記事だが、「長女」にとっては、重大なプライバシーの侵害であろうから、彼女がその掲載をやめさせようとしたのは、理解できないことではない。しかし、国家権力たる裁判所が、その意向をうけて、国権の発動たる「出版禁止処分」(東京地裁は、文春の異議申し立ても却下)としたのは、越権である。憲法は、検閲を禁じ、表現の自由を認めているからである。この処分の実施は、あたかも、ミサイルで民家を壊滅させるような暴挙である。
「表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣後することがあきらかである」というのが、東京地裁の決定である。しかし、プライバシー権と表現行為とは、同列におけるものではない。表現の自由は、なにものにも換えられない民主主義の原点である。プライバシーはそのもとで尊重されるべきもので、逸脱があったからといって、大本の表現の自由まで剥奪すべきではない。その原則を打ちたてていなければ、ことあるごとに、裁判所が「プライバシーに劣後する」といって、出版を差し止めることができるようになる。これは認められない。もしも、表現の逸脱によって損害を受けたなら、それはそれ相当の賠償金によってつぐなわれるべきものである。
その後、東京高裁が、さすがにこの地裁決定を取り消して、「表現の自由は憲法上最も尊重されなければならない権利である」と判断した。が、そのあと、「慎重な上にも慎重」にと、出版の事前差し止めを認めるがごときに書き、絶対認めないとはしなかった。これが怖い。周辺事態法、テロ対策特措法、武力攻撃事態法の設置、あるいは自衛隊法や安全保障会議設置法の改定、さらには、イラク復興支援特措法など、小泉自民党は、公明党をまきこみ、あるときには民主党をも同意させて、矢継ぎばやに、日本の軍事強化の法律を制定してきた。イラク復興支援特措法は、憲法違反ともいえる戦場への出兵を認め、武器の使用を解禁することになった。
そのあと、さらに、小泉内閣は、米軍行動円滑化法案(米軍支援法案)、国民保護法案、外国軍用品海上輸送制法案を上程して、それぞれの法案で「武器使用」を認めさせようとしている。「敵」との交戦を公然と認める「捕虜取扱法案」まで準備している。これほど憲法が踏みにじられ、あたかも屋上屋を重ねるように軍事大国にむかっていながら、内閣を打倒しようという政党も運動もない。それが日本の危機の深化をみせつけている。
この本は、アストラ社が発行するミニコミ誌『記録』に連載している、「鎌田慧の現代を斬る」の01年4月号から04年2月号までに加筆し、まとめたものである。毎月、その月に起こった問題を批判した、小泉内閣の犯科帳でもある。小泉首相はあたかも憲法を縛り首にするかのように、なんらの大義もない米国のイラク侵攻を、闇雲に支持し、自衛隊を派兵し、靖国参拝を強行している。石原慎太郎超タカ派都政は、日の丸、君が代の強制に抵抗した教師たちを大量に処分している。残念ながら、野党はあまりにも弱く、急速な政治の右傾化に歯止めはかけられていない。なにをなずべきか、自分の非力さに絶望的になりがちだが、それでも諦めることなく発言し、書きつづけ、ささやかながら自分のできることをつづけるしかない。
すでに7年にわたって、毎月、口述筆記を担当してくださった、『記録』編集部の大畑太郎さん、約3年間の原稿をテーマ別に整理、編集してくださった編集長の萩太さん、いつもながら、斬新な装頓で拙文を飾ってくださった林佳恵さん、ありがとうございました。           2004年3月31日  鎌田慧







새로운 역사 교과서를 만드는 모임(일본어: 新しい歴史教科書をつくる会 아타라시이레키시쿄카쇼오츠쿠루카이[*], 문화어: 새 력사교과서를 만드는 모임)은 일본의 역사에 대한 새로운 관점을 전파하기 위해 1997년에 결성된 일본의 우익 단체로, 일본에서는 만드는 모임(일본어: つくる会 츠쿠루카이[*]), 대한민국에서는 새역모(新歴會)라는 약칭으로도 불린다. 이 모임은 후소샤(扶桑社)를 통해 《개정판 새로운 역사 교과서》를 출판하였는데, "난징 대학살"을 "난징 사건(南京事件)"이라고 바꾸어 부르고, "위안부(慰安婦)"라는 용어를 계속 사용하는 등, 일본 제국 시절의 전시 활동을 빠뜨리거나 축소하는 태도로 말미암아 대한민국, 조선민주주의인민공화국, 중국 등으로부터 많은 비판을 받고 있다. 이 교과서는 또한 독도와 센카쿠 열도, 쿠릴 열도 남단 4개 섬의 영유권을 강조하고 있다. 일본정책연구센터(일본어: 日本政策研究センター)는 〈여기가 이상한 중국과 한국의 역사 교과서〉(일본어: ここがおかしい中国・韓国歴史教科書)라는 이름의 소책자를 통해 한국과 중국의 역사 교과서가 반일 선전을 담고 있다고 비난하고, 교과서들을 비교해 볼 것을 주장하였다. 일본은 초등학교와 중학교, 고등학교 역사 교과서에 대해 검정교과서 제도를 실시하고 있다.[1][2] 따라서 일본 문부성의 검정기준을 통과하는 한 민간 출판사에서 역사 교과서를 자유롭게 만들 수 있다.

Il existe un mouvement appelé "Kai" pour créer de nouveaux manuels d'histoire.Yoshinori Kobayashi [Rédaction responsable] / Réunion pour créer un nouveau manuel d'histoire [Modifier]
instructions: Un soutien à chaud se répand au Japon ! Le dernier rapport d'activité de la « Réunion pour la création de nouveaux manuels d'histoire » qui avance quotidiennement vers la création de manuels d'histoire pour les collèges et les manuels civils utilisés en 2002.
*Latinaラテン語→Yoshinori Kobayashi小林よしのり(Kobayashi Yoshinori(福岡県出身), nomen reale: Kobayashi Zenhan (legens eadem), 1953 August 31, 2008 -), Iaponia de cartoonist - critica . Praeses "Yoshinori planningよしりん企画", praesidentiae社長  Ire Mission Hallゴー宣道場主宰者", Praeses honorarius名誉塾長 "Asiae Iuventutis Maioris Orientalis大東亜青年塾". Sanguinis genus, O genus.

La pensée des gens Hidetsugu Yagi [Auteur] / Société pour la création de nouveaux manuels d'histoire [Modifier] Publications Sankei Shimbun (publié en mars 2005)
instructions: Passé, présent, futur - une "philosophie à axe vertical" consciente de la continuité de la vie sauve le Japon de la crise. Quelle est l'idée qui amène un avenir prospère?
*Deutschドイツ語⇒Hidetsugu Yagi八木秀次 (Yagi Hidetsugu(広島県出身), 1962 (1962) 9. März -), das Japan des Juristen . Professor, Fakultät für Internationale Studien, Universität Reitaku [1] . Spezialisiert auf Verfassungsrecht und Rechtsgeschichte. General Foundation Japan Education Playback-Mechanismus Präsident一般財団法人日本教育再生機構理事長, Fuji Television Network Programmberatungsausschussフジテレビジョン番組審議委員, die Sankei Shimbun zu Recht Mitglieder産経新聞正論メンバー. Der dritte Vorsitzende des „ Treffens zur Schaffung neuer Geschichtslehrbücher「新しい歴史教科書をつくる会」第3代会長 “.

Der Verein zur Erstellung neuer Geschichtslehrbücher (japanisch 新しい歴史教科書をつくる会 Atarashii rekishi kyōkasho o tsukuru kai, kurz: Tsukurukai) wurde 1996 von Kobayashi Yoshinori gegründet und ist Nachfolger des „Vereins zur liberalistischen Geschichtsauffassung und Forschung“, (ehemals „Verein für die Förderung liberaler Geschichtsbetrachtung“ 自由主義史観研究会 Jiyūshugi Shikankenkyū Kai). Ziel des geschichtsrevisionistischen Vereins ist es, durch die Änderung der Perspektive der Geschichtsschreibung Nationalstolz, Nationalbewusstsein und Patriotismus in der japanischen Jugend zu fördern. Er richtet sich damit gegen die herrschende wissenschaftliche und kriegskritische Geschichtsschreibung, die als „masochistisch“ (自虐 jigyaku) und marxistisch bezeichnet wird, da diese sich zu sehr auf die dunklen Seiten der japanischen Geschichte fokussiere. Durch seine kriegsverherrlichenden Schriften und relativierenden Medienkampagnen stellt der Verein ein Problem für die Versöhnung Japans mit China und Südkorea dar. Unterstützung erhält der Verein dabei aus rechtspolitischen (insbesondere LDP) und wirtschaftlichen Kreisen.

*Esperantoエスペラント語→Sugita Mio杉田水脈 (Mio Sugita(兵庫県出身) nur [Noto 1] , 1967 la 22-an de aprilo [1] -), la Japanio de politikistoj . Membro de la Reprezentantĉambro apartenanta al la Liberala Demokrata Partio (tria oficperiodo)自由民主党所属の衆議院議員(3期目). Direktoro de la Societo por Historiaj Lernolibroj新しい歴史教科書をつくる会理事. Diplomiĝis ĉe la Fakultato de Agrikulturo, Tottori University . La naksnomo estas Yoshioka.

The Japanese Society for History Textbook Reform (新しい歴史教科書をつくる会, Atarashii Rekishi Kyōkasho o Tsukuru Kai) is a group founded in December 1996[1] to promote a ultra-nationalistic[2] view of the history of Japan.
Productions and views": The group was responsible for authoring a history textbook published from Fusōsha (扶桑社), which was heavily criticised by China, South Korea, and many Western historians[citation needed] for not including full accounts of or downplaying Imperial Japanese war crimes during World War II, such as the Nanjing Massacre (南京大虐殺) or as it's more commonly known in Japan The Nanjing Incident (南京事件), the "Kantō Massacre" (関東大震災朝鮮人虐殺事件),and the policy of utilizing "comfort women" (慰安婦).The textbook also highlights Japan's claim to the Liancourt Rocks, which Japan calls Takeshima and which South Korea calls Dokdo; as well as the Senkaku Islands, called Diaoyu in Chinese, which are administered by Japan and claimed by both the People's Republic of China and the Republic of China (Taiwan). The Japan Policy Institute (日本政策研究センター, not to be confused with the JPRI based in San Francisco) has published a pamphlet entitled "Questionable points of Chinese and Korean textbooks" (ここがおかしい中国・韓国歴史教科書). The institute accuses neighboring Asian nations' textbooks of containing anti-Japanese propaganda, and encouraged people to compare the textbooks.


2021/08/16 —Hitoshi Matsumotos "Elternpflichten" im Sommer, ein Kriegsfilm für Kinder "Ich persönlich hasse es, weil es kein Happy End gibt ... aber"
Hitoshi Matsumoto (57) vom Comedy-Duo "Downtown" hat am 16. sein Twitter aktualisiert. Im Sommer gab er bekannt, dass seine älteste Tochter als Elternpflicht verpflichtet war, einen Film über den Krieg zu sehen.
*Українськаウクライナ語→Мацумото Хітосі (яп. 松本 人志 Мацумото Хітосі(兵庫県出身), нар. 8 вересня 1963), також Маттян (яп. 松ちゃん (まっちゃん)) — японський комік та телеведучий. Один з найбільш популярних коміків Японії. Частина дуету Downtown разом з партнером Хамадою Масатосі.








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