日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

『Nanjing Massacre Defeat of the historical falsification group南京大虐殺歴史改竄派の敗北 - Li Xiuying Defamation lawsuit to the future』/ 本多 勝一Katsuichi Honda, 星 徹Toru Hoshi, 渡辺 春己Harumi Watanabe《南京大屠杀幸存者李秀英控诉日军暴行》Prière pour la paix et l'amitié entre la Chine et le Japon🍁2023/07/22CANADA③


これら証拠調べのなかで決定的だったのは、被告松村氏の本人尋問であった。裁判では一般的に本人尋問が行われているが、これは直接本人が自己の主張が正しいことを証明する機会として認められている場である。すでに星氏の「レポート・李秀英名誉毀損裁判」(本書16ページ参照)にも紹介されているので、ここでは本多氏に関する部分と本件裁判の争点についての尋問のやりとりを紹介するにとどめる。
まず「松村本」の正確性に関して、松村氏は当初「少なくとも引用文は一字一句間違えていません」、内容についても「間違えと言うよりも、これを書いた時点においては僕は間違っていないと思いましたね」と自信ありげに答えていた。ところが、具体的に「松村本」の根拠を問い質されると以上のような証言を行うに至った。


To the site of the Nanjing Massacre Tomio Hora / Akira Fujiwara / Katsuichi Honda(1988)
現地に2回行き、南京事件の日中交流調査をしたメンバーが、その成果と最新の研究を加味して著した南京大虐殺の証明。中国軍の規模とその崩壊・虐殺過程、犠牲者の埋葬実態とその数などを明らかにし、論争に大きな波紋を起こすA proof of the Nanjing Massacre written by members who visited the site twice and conducted research on exchanges between Japan and China on the Nanjing Massacre, taking into account the results and the latest research. Revealing the size of the Chinese army, its collapse and massacre process, the actual burial of the victims and their number, etc., causing a big ripple in the controversy.

①オーラル・ヒストリーについて
本多氏は、『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社)のなかで「五人の体験史」との表題のもと、南京虐殺事件当時家族を殺害された夏淑琴の聞き取り調査を発表している。本多氏は「体験史」の冒頭部分で、「これは決して口承史(いわゆるオーラルヒストリー)ではありません」「『体験史』としたのは、そのような意味からです」と記して、同氏の聞き取り調査はオーラル・ヒストリー(口承史を含む)ではないことをわざわざ明記したうえ、夏淑琴の聞き取り調査を記録しているのである。
ところが「松村本」では、<本多勝一が彼女から聞き取りを行い、彼としては法廷での反対尋問にも堪え得ると判断した幸存者五人のうちの一人の話だから、後述するオーラル・ヒストリーである>(365ページ)とし、<・・・裁判での反対尋問に堪え得るというのは幻想であろう>(367ページ)と非難している。以下部分はそれに関する尋問である。
[甲第19号証(『南京大虐殺の現場へ』)の179頁を示す]
この頁に「五人の体験史 本多勝一とありますね。この「五人の体験史」というのを入れて本文だけで五行目に「これは決して口承史(いわゆるオーラルヒストリー)ではありません」、
それから同じ頁の後ろから五行目に「したがって以下の五人の直接の当事者による証言であり、裁判での証人に相当します。口承史を排して『体験史』としたのは、そのような意味からです」と書いてあります。その後、このなかの夏淑琴が出てきますね。
   はい。
と認めたのち、
[甲第21号証(『オーラルヒストリーと体験史』青木書店)の176頁を示す]
この後ろから六行目に、本多勝一氏は「このさい断固として『オーラル・ヒストリー』と区別する言葉を考えようではありませんか」と言って、一番最後の行から二行目に「したがって、『口承史』と『体験史』は、たんに解釈や範囲の大小の違いではなく、まったく別次元のものと規定するほうがいいと思います」と書いてありますね。これを受けて、同じくこの『オーラルヒストリーと体験史』のあとがきに、吉沢南という歴史学者が書いているのですが、この右の頁の後ろから三行目に、「対談でも明らかなように、氏が、『オーラル・ヒストリー』という用語と範疇にむしろ批判的であったことである。本多氏は、歴史学者の考えるように『オーラル・ヒストリー』が『伝承史』を含むものであるなら、『オーラル・ヒストリー』という用語を拒絶し、氏自身の『聞き取り』の仕事」、これは具体的に言っていますが、「(たとえば、南京事件の聞き取り)は、体験者からの実体験の証言であり『体験史』であり『裁判の証拠集めに近い作業だ』と強く主張されたのである」というふうにまとめています。分かりますね。
   ・・・。
そうすると、これは誤りだということが分かりますね。
   ・・・。
この問答から、「オーラル・ヒストリー」という用語を、本多氏自身が「拒絶」しているにもかかわらず、「松村本」で本多氏の聞き取り調査の記録を「オーラル・ヒストリー」であると書いたことが誤りであることを、松村氏も自認したと見ることができよう。

①Oral History and Experience History: On the Work of Katsuichi Honda (Rekiken Academy)  – September 1, 1988 by History Society (Editor)
Content:南京事件体験者の生なましい〈証言〉を精力的に取材している本多記者と歴史研究者との白熱の討論A heated discussion between reporter Honda, who is energetically covering the raw testimonies of those who experienced the Nanjing Massacre, and a historical researcher―現代史研究に不可欠のoral evidence(口述史料)、oral history(聞き取り、口承史)の方法、その有効性と問題点を、初めて本格的に究明する!For the first time, we will fully investigate the methods, effectiveness, and problems of oral evidence and oral history (listening and oral history), which are indispensable for contemporary history research!
②吉沢南(1943 - 2001)茨城大教授 アジア現代史Minami Yoshizawa (1943 - 2001) Professor, Ibaraki University Modern Asian History 1943年に誕生、2001年03月29日に亡くなりましたBorn in 1943, died on March 29, 2001.
著書books①『ベトナム戦争と日本Vietnam War and Japan』 (岩波ブックレットIwanami Booklet―シリーズ昭和史Series Showa history)1988②『私たちの中のアジアの戦争Asian wars in our midst: 仏領インドシナの「日本人」"Japanese" in French Indochina』 (朝日選書Asahi Selected Books)2010③『戦争拡大の構図Escalation of war―日本軍の「仏印進駐」The Japanese Army's "Position in French Indochina"』(青木書店Aoki Shoten)1998などなどEtc


*Deutschドイツ語→Xia Shuqin (5. Mai 1929 - ), gebürtig aus Nanjing, ist eine Überlebende des Nanjing-Massakers.
②夏淑琴が見取り図を書いたとする疑問について
「松村本」では、李秀英とともに夏淑琴に対しても被害者として「仕立てられた」と中傷を加えている。その根拠の一つとして、前述した『南京大虐殺の現場へ』のなかでの本多氏の聞き取りにある夏淑琴の家の見取り図(本書149ページ参照)について、<この図を見たときに驚いたのは、幼いころの家の見取図を書ける彼女の記憶力だった>(366ページ)として疑問を呈している。後出の本多意見書を読んでいただければ、見取り図を書いたのは本多氏であることがお分かりだろう。このことは、本多氏がすでに、同氏の聞き取りの方法を述べるなかでノートを示しながら明らかにしている事柄である(『オーラル・ヒストリーと体験史』1988年・青木書店、『調べる・聞く・書く』1996年・朝日新聞社)。これらの問答についてみてみよう。
[甲第1号証(「松村本」)の頁を示す]
この後ろから四行目に「この図を見たときに驚いたのは、幼いころの家の見取図を書ける彼女の記憶力だったし」云々と、あなたが驚いた図は、この夏淑琴が書いたというふうにあなたはお思いですね。
   そうですね。
[甲第21号証(『オーラル・ヒストリーと体験史』)]
ここに12月19日の図がありますね。これは、先ほど『南京大虐殺の現場へ』というところであなたが驚いたという図面ではありませんか。
   あの図面は正確にと言うよりプリントされているので、この図面とは違うように思い・・・。
それの原図ではありませんか。
   それは分かりません。確かめていませんから。確かめていませんから分かりません。
要するに、これは明らかに原図なんですよ。本多勝一氏が本人から聞いて図面を再現して、そして自分で書いたものなんです。それをあなたは間違えたのですね。これは『調べる・聞く・書く』にも同じように出ています。
   ・・・。
この問答でも、松村氏は、本多氏の著作も読まずに、この件を夏淑琴さんがニセ被害者であるとする根拠としていることがわかる。

Research/Listen/Write Written by Katsuichi Honda(1996)Asahi Shimbun Publishing
小学校時代の作文や京都大学探検部時代の論文、駆け出し記者時代の小記事から50万部をこえるベストセラーまで、現代日本を代表するジャーナリストの全軌跡を追う、決定版著作集。付録には、著者の書下し連載「最近の日記から」を収録するA definitive collection of writings that traces the entire trajectory of one of Japan's leading journalists, from essays written in elementary school, essays written by the Kyoto University Expedition Club, small articles written when he was just starting out as a journalist, to bestsellers that have sold over 500,000 copies. The appendix contains the author's newly written series "From a recent diary".

③本多氏が直接当事者から取材していないとの非難について
本多氏は、いわゆる家永第三次訴訟の第一審で申請の証人として出廷し、南京虐殺事件に関連して証言している。そのなかで同氏は、聞き取りの対象を選定している人たちについて「役人という場合もあるし、それから、いろんな委員会みたいなものがありますよね。いろいろあります」と証言している。これに対し、「松村本」では驚いたことに、<パネリストの一人である本多勝一は、自分が家永教科書裁判の証人として出廷したときの記録をまとめて、『裁かれた南京大虐殺』という本にしている。その中で、最初の関係者である昭和41年(1971)の『中国の旅』以降の資料について、国の代理人である秋山弁護士との問答のうちで、それらは訪問の趣旨を受けた中国政府の役員、委員会、新聞記者から聞いたことが大部分である、と答えている(同書50~51頁)>(378ページ)と書いている。以下は、松村氏の日本語の読解能力さえ疑わせる内容に関する尋問である。
*①家永教科书诉讼是日本高中日本史教科书《新日本史》(三省堂出版)作者之一的家永三郎关于教科书检定(教科书审查)问题向日本国政府提起的一系列诉讼案件的统称。从1965年的第一次诉讼,经过1967年的第二次诉讼,最后直至1984年提出的第三次诉讼为止。1997年,日本最高法院对第三次诉讼作出判决,本案告以终结。从最初起诉到最终结案历经32年之久的本案也被《吉尼斯世界纪录》认定为“史上历时最长的民事诉讼”②Third lawsuit第三次訴訟: Ienaga filed a suit against the government of Japan to demand state compensation for the result of textbook authorization in 1982 that rejected his draft textbook.
   これは『裁かれた南京大虐殺』という本の中で、後ろから五行目<その中で、最初の関係著作である昭和4   1年(1971)の『中国の旅』以降の資料について、国の代理人である秋山弁護士との問答のうちで、それらは訪問の趣旨を受けた中国政府の役員、委員会、新聞記者から聞いたことが大部分である、と答えている>と書いてありますね。これは誤りですね。
   誤りです。その件について、本多氏に手紙を書いたんです。   
と松村氏自身も誤りを認めているが、すでに述べたように、尋問で指摘される以前は「僕は間違っていないと思いますね」と述べていたのである。しかしこの間違いは、本多氏の聞き取りの対象者はだれかという、日本語のごく初歩的な理解力があれば間違えるはずのないような性格のものである。参考までに、『裁かれた南京大虐殺』から該当箇所をあげておく、答弁者は、本多勝一氏。

Nanjing Massacre Tried – April 1, 1989 by Katsuichi Honda (author) 晩聲社Bansei-sha
南京大虐殺はなかった。 なんでか? 東京裁判で「南京大虐殺」は裁かれなかったから。 もし南京大虐殺があったのなら、 日中戦争、大東亜戦争の総括である東京裁判で当然裁かれているはずだ。 でも裁かれなかったということは、「南京大虐殺はなかった」ということになるThere was no Nanjing Massacre. Why? The Tokyo Trials did not judge the Nanjing Massacre. If there was a massacre in Nanjing, it should have been judged at the Tokyo Trial, which is a summary of the Sino-Japanese War and the Greater East Asia War. But the fact that they were not brought to justice means that there was no Nanjing Massacre.

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72二回にわたって中国に行かれて、まあ三回目はまだ発表されてないようですが、中国側の人に接見をする場合、その相手の人はどうやって選択するのですか。
   これは、ほとんどの場合、こちらから既にこういう趣旨で行くということを向うに通告してありますから、

      その趣旨に合った人を主として向うの現地の村なら村で選んでもらっているわけですね。
73中国政府にお願いするわけですか。
   最初の段階では、そうですね。
(中略)
76と、まあ、端的に言えば、中国共産党の人たちが設定してくれた証人ーこういうことで、いいでしょうか。
   中国政府。
(中略) 
78村の、大体、党なり政府なりの役人ですか、選定してくれる相手は。
   役人という場合もあるし、それから、いろんな委員会みたいなものがありますよね。いろいろあります。
79何の委員会。党の委員会ですか。
   新聞記者の場合もあります。つまり、窓口は、日本で言うと「日本新聞協会」というのがありますね。それ

           に当たるのが中国にあるわけですね。それが私自身の受入先になっておって、それは日本でも同じですね。             中国から来れば、日本新聞協会が引き受けてやりますから、同じことですね。
                      (『裁かれた南京大虐殺』 晩聲社刊 50~51ページより)
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以上に本多氏に関する記述をみても、「松村本」の初歩的誤りと意図的な曲解が「容易に理解」(一審判決より・本書125ページ参照)できよう。現に松村氏も、先に述べたように当初は「これを書いた時点においては僕は間違っていないと思っていましたね」と述べていたにもかかわらず、尋問により誤りを指摘され、「松村本」について「あなた(松村氏のこと)が見てもいくつかの問題がございますよね」と問われ、「ありますね」と答えるなど、さまざまな誤りがあることを自認するに至っているのである。

裁判の争点について
①次に裁判の争点の問答についてみてみよう。まず「松村本」の内容全体について、星氏の執筆部分に重なる部分もあるので簡潔にふれておこう。
だから、先程の甲28号証の産経新聞で、藤岡さん(藤岡信勝東京大学教授)が「別人ではないかと松村氏が同書の中で推測した」と書いているのは正しいのですね。
   同一人物とは違うんじゃないかと疑いを持ったということと推測したということと同義語なのかどうか、私
           は国語学者じゃないから分かりません。私は推測したんですよ。
推測したんでしょう。
   はい。
(中略)
推測したのではないですか。あなたの具体的な主張の中でも「推測以上に」という言葉が出ているんですよ。だから、推測したというふうに準備書面でも読めるんですよ。推測したのではありませんか。
   では、そう読んでください。
いいんですね。 
   そういうふうに読まれるんですからね。
当たり前ですよ。
   これは自分のそういう疑いを持ったということは、これはもう全部に一貫していますよ。とにかく、疑いを
           持ったんです。
疑いを持ったのはいいんですよ。疑いを持ったうえで推測して書いたかどうかの問題なんです。
   いや、疑いを持ったから書いたんです。
そうですね。疑いをもって書いたということでよろしいですね。
   ・・・。
として、「松村本」全体として別人であることを前提として書いたことを認めたうえ、とくに「松村本」のなかの「語り部に受けつがれ」たとの具体的記述については、
[甲第1号証(「松村本」)の363頁を示す]
あなたは甲1号証の359頁の「もう一人の李秀英」という見出しの下に363頁に「一つの推理であるが、谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ」とありますね。
   はい。
この語り部に受けつがれ」たということは、AからBに、ある人から違う人に移ったのだということ以外には意味はありませんね。
   受けつがれたということですからね、はい。
「実体験でない証拠であろう」というのは、違う人物と推測しているということでよろしいでしょう。
   ・・・。
と、原告と李秀英を明確に別人物として書いていることを自認した。
②次に、別人物とした具体的な根拠についての問答をみてみよう。
先程、「谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ」たとありましたね。さっき甲第1号証で示し ましたが、それはいつ語り部に受けつがれたのですか。
   それは分かりませんね。
誰から受けつがれたのでしょうか。
   それも分かりませんね。
今、その語り部は、前の人はどこにどうしているのですか。
   そういうことを聞かれても分かりませんね。
(中略)
それでなくて、AさんからBの原告にいつ頃、どういう関係でこういう話があったというようなことを示す資料はございますか。
   そういう具体的なものはありません。あくまでも、推測資料しかございません。
として、具体的裏付け資料のないことも認めたのである(控訴審判決もこの点を指摘している)。
③しかも松村氏は、訴訟中である2001年1月15日付『月曜評論』で、「中国側史料が李秀英偽証の証拠になった」との表題のもと、<・・・そして被害者も原告でないことが立証された>と書き、さらに李秀英を傷つけたのであった。ところが、この「中国側史料」について松村氏に問い質したところ、
この二つは、347頁(乙第27号証『南京事件資料集 第二巻「中国関係資料編」』南京事件調査研究会 青木書店)で死んだ者は胎児、ここで重傷を受けた者が李秀英というふうに認めるのではないですか。
   私はそうは読みません。
しかし、先程言いましたけれども、マギーのフィルム、ウィルソンの資料、胎児と被害者本人、そのことから見たら、その資料に今言った解釈は符号するのではありませんか。
   資料No「京027」というのは共通ですから。
ですから、乙26(『中国側史料 日本の中国侵略』明石書店)では共通の二人の部分を書いてしまったので、乙27で二つに分けたのだというふうに解釈できませんか。
   私にはできません。なぜならば、母親は1931年に亡くなっているはずです。
今の解釈で母親は関係ないでしょう。何で母親が出てくるのですか。
   分かりました。読み方は分かりましたけれども、私はそうは読みません。
では、今の読み方の中で母親が関係するとどうなるのですか。
   だから、分からないから、これはおかしいと・・・。
分からないんでしょう。
   だから、おかしいということになるんです。
では、あなたは分からないからおかしいというのですか。今の解釈でやると、全部マギーのフィルムとウィルソンの日記と整合性を持つのです。あなたは学者が分からないと言っていますけれども、笠原先生なり何なり、みんなこうやって解釈しています。すぐに解釈しています。こんなことは知っていますよ。分からないなら分からないで結構です。
   ・・・。
と、松村氏が、『月曜評論』で李秀英の<偽証の証拠になった><被害者も原告でないことが立証された>と、中傷を加えた根拠としていた中国側の資料について、驚くべきことに「分からない」と述べた。意味が「分からない」資料をもとに、李秀英を中傷していたことを自ら認めたのである。この問答のなかに、松村氏の根拠のなさと悪意ぶりが如実に現れているといえよう(一審判決も、死んだ者が胎児、重傷を受けた者が李秀英と判断している)。

一審判決の内容と意義
一審判決は「松村本」の記述内容を具体的に検討し、「松村本」は、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準にすれば、前後の文脈からして、原告に関し次の事実(以下「本件摘示事実」という。)を摘示しているものと認められる。)として、
「(a)原告は、マギーフィルムの女性ではないこと。(b)原告は、南京法廷において証言した李秀英ではなく、その証言内容の語り部であること。(c)しかるに、原告は、マギーフィルムの女性であり南京大虐殺の被害者であると虚偽の主張をして日本国に対し別件訴訟を提起し、別件訴訟において実体験に基づかない虚偽の供述をしていること。(d)原告が、上記のように虚偽の主張をして別件訴訟を提起し、別件訴訟において虚偽の供述をしているのは、他者により仕立てられたからであること」と記述していると明確に判示した。
次に、「松村本」の根拠に関しても、判決はまず松村氏らが李秀英語を別人とした資料と主張していた「ウィルソンの手紙」「マッカラムの手紙」「ラーべの日記」等の資料の内容を具体的に比較・検討したうえで、
「被告松村は、本件書籍の執筆時においては、マギーフィルムの女性に関する外国人記録と原告の発言等に関する資料とを比較し、あるいは、原告の発言等に関する複数の資料を相互に比較するに際し、対象資料の性質に応じた批判・検討の作業を十分に行わず、主として、刊行された前記(2)の各書籍等に記載された文章・文言そのものを比較して、その食い違い・変遷を指摘した上、それを本件摘示事実の根拠として記述したものであり、各引用資料について上記①において指摘した諸点を考慮しながらその性質を検討し、一見して食い違い・変遷があるように見える資料間に実質的な食い違い・変遷があるのかどうか、実質的な食い違い・変遷があると認められる場合にそのいずれが信用できるか等についての検討をほとんどしなかったものと認められる。
そうすると、資料間に上記のような食い違い・変遷があるということからは、原告がマギーフィルムの女性であり南京大虐殺の被害者であることについて、なお、検討・解明されるべき点があるとの指摘をすることはできても、積極的に本件提示事実を認定することは到底できないし、本件摘示事実を推理し、あるいは推測すべき合理的理由があるとすることもできない」
と断じるとともに、「松村本」の内容が李秀英の社会的評価を低下させているとして、名誉毀損の事実を認めたのである。
このように判決は、松村氏らの「根拠」と主張する第三者の手による資料や李秀英の発言等について詳細な検討を加え、基本的事実が一致しており、一定の食い違いがあることが「本件摘示事実を推理し、あるいは推測すべき合理的理由があるとすることもできない」としているのである。こうした手法は裁判の事実認定や歴史学での資料批判の原則を踏まえたものであり、いわば常識的判断である。しかも本多意見書が指摘しているように、「松村本」は資料を正確に読んだうえで書かれたものとは到底いえないことも明らかにしている。
そのうえで、とくに本件判決は、
「さらに、前示の相当性の判断において示したとおり、本件書籍は、資料間に表現上の食い違い・変遷があることから、推理あるいは推測という表現形式で本件摘示事実を記述したものであり、そのような推理あるいは推測は十分な合理性のないことは、資料を批判的に検討し、かつ、合理的に判断できる読者の多くにおいては、容易に理解できるものである」
とまで述べている。この内容は要するに、合理的判断能力のある人は「松村本」は不合理なこと(根拠のないこと)が容易にわかるというのである。本多意見書で指摘されている内容が、判決でも確認されているといえよう。
「松村本」は、些細な食い違いや誤りを発見すると、あたかも加害行為全体が否定されるかに論じている、いわゆる”虐殺否定派”の特徴を端的に示している書物である。こうした”否定派”の基本的手法を判決が否定したことの意義は小さくない。
現在書店には多くの”否定派”の書籍が並んでおり、このことによって国民のなかに南京虐殺事件はまだ論争中であるかのような誤解が広がっている。
しかし、事実か否かは一つであり、その判定はどちらがどのような根拠に基づいて事実を認定しているかにある。その意味で、一審判決が”否定派”の書籍に対し、専門家としての立場から「松村本」のレベルにまで言及していることは強調してもすぎることはない。

控訴審とその判決について
一審の判決に対し、松村氏らは名誉毀損が認められたことを不服として控訴した。李秀英もまた、一審判決には松村氏らの悪意が充分に反映されていないこと、謝罪広告が認められなかったことを不服として控訴した。
控訴審では、2002年12月5日および2003年2月4日の二回にわたり審理がなされた。
そのなかで、松村氏らは準備書面や陳述書などを提出したが、その内容は、一審で主張したもののくり返しにすぎなかった。そのため、控訴審の第一回の審理のさい、裁判長は松村氏に対し、一審判決に対する不満な点をすべて陳述書に書いて提出するよう、もう一度松村氏に言い分を主張する機会を与えた。しかし、第二回の審理で松村氏から提出された陳述書もこれまた、それまでの主張のくり返しにすぎなかった。
そこで、第二回の審理で結審となり、2003年4月10日に判決がなされるという運びになった。
控訴審判決では、双方の控訴を棄却するというものである。その内容は、一審判決の判断をそのまま維持したうえ、松村氏らの主張を退け、松村氏が李秀英の名誉を毀損していることをさらに明確に認めている。
とくに控訴審判決では、
「本件書籍の内容を全体としてみれば、一審被告松村の個人的な考えが強く反映された読み物といった印象を拭いきれないこと」
「本件書籍中の推理あるいは推測に十分な合理性がないことは、資料を批判的に検討し、かつ、合理的に判断できる読者の多くにおいては容易に理解できること」
とまで認定しているのである。一審判決に加えて控訴審判決もまた、「松村本」が「十分な合理性がない」とし、「読み物といった印象を拭いきれない」とまで説示しているのである。
松村氏はさかんに、「松村本」について外国の資料を検討した研究書であることを強調していたが、本多氏や笠原氏が「松村本」は研究書としての基本を踏まえていないことを指摘しているのと同様に、控訴審の判決でも、研究書というより「読み物といった印象」と述べている。
一、二審のこの点についての判断は、「最近の否定論の主張は、いずれもすでに破綻している議論」(『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房、247頁)であることを裏付けたものといえる。
また、「松村本」が李秀英の名誉を傷つけていることに対して「言論の自由」を理由に自己弁護していることについても、
「一審被告ら主張の表現の自由が憲法上保障された重要な権利であることはいうまでもないが、個人の尊厳と名誉の保護も同様に重要な権利保障制度の一つであって、表現の自由にも自ずから一定の限界があり、個人が自己の名誉を毀損された部分について損害賠償を求めることが、表現の自由の保障の趣旨に反するものとはいえない」
としてその違法性を認めている。
このように、一審判決に加えて控訴審判決が虐殺否定本の典型的な書籍の一つである「松村本」に対して文献上の価値を明確に判示したうえ、根拠のない誹謗、中傷は、「言論の自由」の名を利用しても合理化できないことを認めた意味は大きいといえる。

一審判決文(抜粋/東京地方裁判所 2002年5月10日 岡久幸治裁判長)
           主文
一 被告らは、原告に対し、各自、金150万円及びこれに対する平成11年10月16日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
           事実及び理由
[第一 当事者の求める裁判]
1 請求の趣旨
(1)被告らは、原告に対し、各自、金1200万円及びこれに対する平成11年10月16日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
(2)被告らは、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞及び日本経済新聞の各新聞全国版に、別紙1記事の謝罪広告を別紙2記載の条件で各一回掲載せよ。
(3)訴訟費用は、被告らの負担とする。
(4)(1)につき仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1)原告の請求をいずれも棄却する。
(2)訴訟費用は、原告の負担とする。
[第二 事実の概要]
本件は、被告松村俊夫が執筆し被告株式会社展転社において被告相澤宏明を発行人として発行した書籍『「南京虐殺」への大疑問』中の記述により、南京大虐殺の被害者を装って日本国に対し損害賠償請求をしている等の事実を摘示され名誉を毀損されたと主張する原告が、被告らに対し、慰謝料の支払及び謝罪広告の掲載を求める事案である。
1 争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実
(1)~(6)略
(7)本件訴訟の提起及び別件訴訟の第一審判決
 ①原告は、平成11年9月17日、損害賠償等を求めて本件訴えを提起した。
 ②別件訴訟においては、同月22日に第一審の判決(以下「別件判決」が言い渡され、別件判決は、「南京大虐 
 殺」というべき行為があったことはほぼ間違いないとし、かつ、原告がその被害者であることも明らかであると
 し たが、結論としては、原告に損害賠償請求権がないとして原告の請求を棄却した(甲6)。
  原告は、別件判決に対して控訴をしている。
2 争点 略
[第三証拠]
 本件記載中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりであるから、これを引用する。
[第四 争点に対する当裁判所の判断]
1 本件各記述が事実の摘示に当たるかどうかについて
(1)被告らは、本件各記述は、意見ないし論評の表明であり、事実の摘示に当たらない旨主張するので、まず、この点について検討する。
名誉毀損の成否が問題となっている記述が、意見ないし論評の表明に当たるかのような語を用いている場合にも、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準に、前後の文脈や当該書籍の出版当時に読者が有していた知識ないし経験等を考慮すると、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張するものと理解されるときは、その記述は、その特定の事項についての事実の摘示を含むものというべきである(最高裁第三小法廷平成9年9月9日判決)。
また、書籍中の問題となっている記述において表現に推論、推理又は推測の形式が採られている場合であっても、当該記述についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準に、当該記述の前後の文脈や書籍の出版当時に読者が有していた知識ないし経験等を考慮すると、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を上記推論等の結果として主張するものと理解されるときは、当該記述は、事実を摘示するものと見るのが相当である(最高裁第二小法廷平成10年1月30日判決)。
そして、摘示された事実が他人の名誉を毀損するものであるときは、行為者において当該行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったことを主張立証し、かつ、その事実が真実であること又は真実であると信じるにつき相当の理由があることを主張立証しなければ、当該行為は、名誉毀損の不法行為に当たるというべきである。
そこで、以下、上記の観点から、本件各記述が、事実の摘示をしたものであるか、意見ないし論評を表明したものであるかについて検討する。
(2)① 本件記述①について
 別紙3記載の記述においては、まず、
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  平成9年(1997年)2月12日、日本政府に損害賠償を求める訴訟の口頭弁論に出廷した、77歳だとい
 う中国人女性李秀英は、60年前の昭和12年(1937)12月に日本軍兵士から受けた暴行について証言し
 ている。毎日新聞による証言内容は次の通りである。
  <妊娠七ヶ月の身重で南京市内の地下室に避難していた李秀英は、侵入してきた三人の日本兵に服を脱がされ
 そうになったので抵抗したために、銃剣で全身をメッタ刺しにされて病院にかつぎこまれた。九死に一生を得た
 が、身体中に37ヶ所の傷を受けて流産してしまったし、顔の傷のために職にもつけず、大変な苦労をしたとい
 う。彼女に証言を決意させたのは、大虐殺はなかったという日本人がいると聞いたからで、事実は事実として伝
 えなければならないと、強い口調で日本政府に謝罪を求めた。>(平成9年2月13日付『毎日新聞』)
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との紹介をした上、上記毎日新聞紙上に現れた原告による別件訴訟の法廷での供述その他原告に関する国内の報道内容と、外国人記録に現われたマギーフィルムの女性に関する記載との間で、被害者の年齢、傷の個数と程度、日本兵の人数などの被害状況に食い違いがある旨の指摘をした後、
  毎日新聞と『資料集①』を総合すると、このフィルムを毎日放送が同年10月7日に放映したところ、三年前に李秀英と会って話を聞いたことのある毎日新聞記者の指摘で、毎日放送取材班が南京で彼女と接触、本人と確認できたことになる。
  しかし、フィルム放映直後、それより三年前に会ったことのある李秀英と顔立ちや経険談と似ていると感じたという記者の直感力には疑問が残る。
  日本人同士でも十代と七十代とでは、親族や友人などよほど親しい人でなくては識別は難しいから、顔立ち云々は付け足しであろう。また、似たような体験談は多いし、彼女との再接触が南京虐殺記念館の肝煎りと知れば、彼女が自分の方から同一人を否定するはずがないと思えてくる。
との記述がなされている。
そうすると、上記記述は、三年前に原告と会ったという毎日新聞社の記者が、顔立ちと体験談の類似から直感により原告とマギーフィルムの女性との同一性に思い至ったことについて、十代と七十代とでは顔立ちの識別が困難であること、似たような体験談は多いことを理由に、上記記者において両者を同一人であると判断した直感力に疑問がある旨を指摘し、さらに、毎日放送の取材班が、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の仲介で原告に再接触をし、原告とマギーフィルムの女性とが同一人であると判断したことを批判するものであり、「彼女が自分の方から同一人を否定するはずがないと思えてくる」との本件記述①は、著者である被告松村においてマギーフィルムの女性と原告との同一性について強い疑問を有していることを表記する記述であるといえる。
しかし、本件記述①は、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にした場合に、それ以上に、著者である被告松村において、「原告とマギーフィルムの女性とが別人であると主張するもの」と理解することはできない。
したがって、本件記述①は、それ自体では原告に関する事実の摘示に当たるとすることはできない。
②本件記述②について
別紙4記載の記述は、本件書籍の第五部第二章において、平成三年(1991年)12月14日と15日に京都市で開かれたシンポジウムにおいて映画『マギーの遺言』(マギーフィルムにその他の新たな資料を加えて製作された映画)が上映されたこと及びその内容の一部を紹介した後、「李秀英の発言」との見出しの下に記載されたものであり、映画『マギーの遺言』中でインタビューに答える原告の体験談と、マッカラム、ウィルソン等の外国人記録に現われたマギーフィルムの女性に関する記載及び原告の別件訴訟における供述を報じる新聞記事との間に食い違いがある旨指摘した後、書籍『証言・南京大虐殺』に収められている「戦犯谷寿夫の事案附帯文書」に現れている李秀英の証言を紹介した上、
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ここには、ウィルソンとマッカラムの名前は出てくるが、その事件経過は、これまたマギーのフィルムに関連する話とは全く違っている。南京法廷とマギーのフィルムの李秀英とが、同一人であるとの保証がないというのはいい過ぎだろうか
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との記述がなされている。

そうすると、「南京法廷とマギーのフィルムの李秀英とが、同一人であるとの保証がないというのはいい過ぎだろうか。」との本件記述②は、映画『マギーの遺言』における原告の発言内容と外国人記録に現われたマギー・フィルムの女性の被害内容及び別件訴訟における原告の供述を報ずる新聞記事とを比較して、両者における事件の経過が全く異なると述べた後、南京法廷における李秀英の証言内容を紹介した上、南京法廷における李秀英の証言内容とマギーフィルムの女性に関連する話とがその事実経過において全く異なるとし、そのことを理由として、「南京法廷において証言した李秀英」と「マギーフィルムの女性」及び「自己がマギーフィルムの女性であると主張している原告(李秀英)とが同一人であるとの保証がないとの意見を述べているものと理解できる(「同一人であるとの保証がないというのはいい過ぎだろうか。」との記述は、同一人ではないと断言するものではないが、「言い過ぎだろうか」として、言い過ぎであることに疑問を提示することにより、「同一人であるとの保証がない」との意見を婉曲的に表明しているものといえる。)。
しかし、「同一人であるとの保証がないというのは言い過ぎだろうか。」との意見は、著者である被告松村において「同一人であること」について「強い疑問を表明するもの」ではあるが、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とした場合に、著者である被告松村において同一人ではないと「主張するもの」と理解することはできない。
したがって、本件記述②は、それ自体では原告に関する事実の摘示に当たるとすることはできない。
③本件記述③について
別紙5記事の記述は、本件記述②に続いてされており、これに付されている「もう一人の李秀英」という見出しは、これのみでは、具体的に何を意味するものか明らかではないが、その記述が、「李秀英」という人物が二人存在する、あるいは存在したということを示す記述であることは明らかである。
そして、別紙5記事の記述には、書籍『南京難民区の百日』に引用されている原告の体験談(被害にあったときの状況の説明)を詳細に紹介した後、外国人記録に現われたマギーフィルムの女性に関する記載との間に食い違いがあることを指摘した上、
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   一つの推理であるが、谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ、それを聞いた毎日新聞記者がマギーのフィルムに結びつけ、南京大屠殺紀念館がそれに乗ったのではないかと思う。南京軍事法廷、記者のインタビュー、映画撮影、日本の裁判所と、証言のたびごとに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠であろう。
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との記述がされており、この記述は、原告ないし原告の発言について検討をした後、その結論を示す記述となっている。そうすると、上記記述は、別紙5の記述の見出しを「もう一人の李秀英」とした理由をも示しているものと理解できる。

100 Days in the Nanjing Refugee Zone: Foreigners Who Witnessed the Massacre  – June 23, 1995 by Kasahara Tokushi(author)
1937年12月,南京December 1937, Nanjing.日本軍による大量虐殺の渦中に,難民区で避難民救済に奔走する米国人宣教師たちがいたIn the midst of the massacre by the Japanese military, there were American missionaries working hard to help refugees in the refugee zone. 彼らはその日々を記録し記憶にとどめたThey recorded and remembered the days.難民区の内側から描く南京虐殺の真実The Truth About the Nanjing Massacre Drawn from Inside the Refugee Zone.衝撃の書き下ろしWriting down shock.
そして、上記記述は、別紙3記載の記述の後にされており、別紙3記載の記述のうちの「毎日新聞と『資料①』を総合すると、このフィルムを毎日放送が同年10月7日に放映したところ、三年前に李秀英と会って話を聞いたことのある毎日新聞記者の指摘で、毎日放送取材班が南京で彼女と接触、本人と確認できたことになる。」との記述を前提とするものと認められる。また上記記述は、本件記述①における「マギーフィルムの女性と原告とが同一人であることについて疑問がある」旨の意見の表明を前提とし、さらに、本件記述②における「南京法廷において証言した李秀英と原告とが同一人物であるとの保証がない」との意見の表明をも前提としているものと認められる。
以上の点を前提として、上記記述を見ると、「一つの推理であるが、谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ、それを聞いた毎日新聞記者がマギーのフィルムに結びつけ、南京大屠殺紀念館がそれに乗ったのではないかと思う。」との本件記述③においては、推理の結果として「谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ、それを聞いた毎日新聞記者がマギーのフィルムに結びつけ、南京大屠殺紀念館がそれに乗った」との表現により事実が表示されており、それに続く「記者のインタビュー、映画撮影、日本の裁判所と、証言のたびごとに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠であろう。」との記述をも考慮すると、推理された内容は、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にすれば、「南京法廷において李秀英がした被害状況に関する証言の内容を語り部が受け継ぎ、その語り部(原告)から自己の体験談として話を聞いた毎日新聞記者が語り部(原告)をマギーフィルムの女性と結びつけ、その見解に、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館が乗り、語り部である原告(もう一人の李秀英)を南京大虐殺の被害者として毎日放送の取材班に紹介した」との事実経過を表示しているものと理解することができ、これが「証拠等によりその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」であることは明らかである。
そして、本件記述②は、「一つの推理であるが」との前置きをしているが、その推理は著者なりの一応の根拠を示してされたものであり、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にすれば、前後の文脈や本件書籍の発行当時に読者が有している南京大虐殺又は原告に関する知識ないし経験等を考慮すると、著者である被告松村において証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を「主張するもの」と理解されるといえる。
したがって、本件記述③は、上記の推理内容を事実として摘示しているものと認められる。
④本件記述④について
別紙6記載の記述においては、
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笠原は『南京難民区の百日』で、
  <李秀英と夏淑琴一家の被害の実例は、フィルムによる映像資料とウィルソンとマギーの記載した文字資料とさらに生存する被害者の証言資料とが三つともそろっていることにおいて、これほど決定的な事例はそうあるまい。中国語の「鉄証(鉄の証明)」という表現がぴったりする。>(256頁)
と書いているが、
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と、書籍「南京難民区の百日」の著者である宇都宮大学教授笠原十九司(以下「笠原教授」という。)の見解を紹介する記述の後に、
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  しかし、凄まじい強姦の幸存者の代表とされている二人の「鉄証」に、これだけの疑問があることを知れば、彼女たちが起こしている裁判も、日本の支援者たちの主張も、まことに空しいものに思えてくる。被害者証言の全体が崩れるからである。
  それは、彼女たちの責任ではない。ただそのように仕立てられただけなのであろう。
  しかし、その主張によって、日本の名誉が傷つけられ、日中双方の国民が誤った判断に陥ることがあってはならないのである。
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との記述がある。
そして、上記記述は、書籍『南京難民区の百日』において原告と並んで南京大虐殺事件の確証事例と評される夏淑琴の発言について検討し、「夏淑琴の体験談も、マギーや許伝音の記憶をもとにする東京裁判と南京法廷の話が、一つのまとまったものとして後から人為的に作られているような気がするのは私だけではあるまい。」との記述(甲1の371頁)をした後に、それを前提としてされたものであり、本件記述③において事実として摘示された前示内容も本件記述④の前提となっているものと解される。
したがって、「ただそのように仕立てられただけなのであろう。」との本件記述④においては、「なのであろう。」として推測の形式で表現されているが、推測された「そのように仕立てられた」との内容は、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にしても、原告が別件訴訟において実体験に基づかない虚偽の供述をしているという事実と原告がそのような虚偽の供述をしているのは他者の意思によりそのように仕立てられたことによるとの事実とを示しているものと理解される。そして、その内容は、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項に当たる。
また、本件記述④は、「ただそのように仕立てられただけなのであろう。」として推測の形式で表現されているが、著者なりの一応の根拠を示して記述されており、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にすれば、前後の文脈や本件書籍の発行当時に読者が有している南京大虐殺又は原告に関する知識ないし経験等を考慮すると、著者である被告松村において、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を「主張するもの」と理解される。
したがって、本件記述④は、上記内容の事実を摘示しているものと認められる。
⑤まとめ
以下検討したところによると、本件記述③及び④は、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準にすれば、前後の文脈からして、原告に関し次の事実(以下「本件摘示事実」という。)を摘示しているものと認められる。
(a)原告は、マギーフィルムの女性ではないこと。(b)原告は、南京法廷において証言した李秀英ではなく、その証言内容の語り部であること。(c)しかるに、原告は、マギーフィルムの女性であり南京大虐殺の被害者であると虚偽の主張をして日本国に対し別件訴訟を提起し、別件訴訟において実体験に基づかない虚偽の記述をしていること。(d)原告が、上記のように虚偽の主張をして別件訴訟を提起し、別件訴訟において虚偽の供述をしているのは、他者により仕立てられたからであること。

①Apr 16, 2023 —[Historical War] The Nanjing Incident admitted by the Ministry of Foreign Affairs HP despite having no grounds Kenichi Ara「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないIt cannot be denied that there were acts of looting and killing of non-combatants after the Japanese army entered Nanjing」②2022/12/13ー近現代史研究家 阿羅健一氏 根拠なき政府見解は撤回をMr. Kenichi Ara, a researcher of modern and contemporary history, withdraw the government's baseless opinion③Dec 14, 2017 —【浪速風Naniwa Wind】朝日新聞が「南京大虐殺」広めた…「虚構」が「史実」にAsahi Shimbun spreads "Nanjing Massacre" ... "Fiction" becomes "Historical fact"④Oct 19, 2016 —「虐殺」写真に裏付けなし 同士討ちの可能性は触れず 日テレ系'Massacre' photo not backed up No mention of the possibility of friendly fire Nittele group⑤←「このような新聞・雑誌社を許してはいけないNous ne devons pas autoriser de tels journaux et magazines. ぜひとも、これらの企業の息の根を止めるべく買わないようにお願いしたい限りであるPar tous les moyens, je voudrais vous demander de ne pas l'acheter pour arrêter la vie de ces entreprises」http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_nankinziken_matuneniishi.htm
2 原告の社会的評価に対する影響について
原告は、平成3年10月5日付毎日新聞紙上で、マギーフィルムの女性であることが確認された旨報道され、同年6日(日曜日)の毎日放送のテレビ放映によってもその旨全面的に報道され、その後も全国的に新聞、テレビ等により度々、南京大虐殺の生き証人として紹介された(甲45の(1)ないし(25)、弁論の全趣旨)。
また、原告は、日本国に損害賠償を求める別件訴訟において原告として法廷で供述し、そのことが新聞等により全国に報道された(甲45の(13)、弁論の全趣旨)。そして、笠原十九司教授の著書『南京難民区の百日』(甲9、乙12)においては、映像資料、文学史料及び証言資料の三つがそろった南京虐殺の確証事例として紹介されていた(同書256頁)。
さらに、原告は、二度にわたり来日し、全国で南京大虐殺の被害者として講演をしていた(甲43)。
本件書籍は、上記の状況の下に出版されたものであるから、これに含まれている本件摘示事実が原告の社会的評価を低下させる内容のものであることは明らかである。そして、本件書籍が発行されたことにより、原告が本件摘示事実に従って評価を受ける危険性が生じたものと認められる。

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