日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

Bōsōzoku《★Dragon怒羅権Дракон★》Босодзоку【Menace II Society】«агрессивный гоночный клан»恐怖の自称’つっぱり’「番長」(Banchō) 『高校デビューHigh School Debut』Yankee Bokou ni Kaeru<日本鬼子Un ancien membre du Parti communiste japonais>の夢☆五星红旗☆No Cigarettes!!Brother/Strike's Train Ride

2016年9月 昨日はこの夢をみた。
世田谷区「烏コウ」(校門横の壁に「関東連合・千歳台Black(黒) Emperor(帝)ブラック・エンペラー」とスプレー書き・対立暴走族だからビクビクだった)についてばらしたからだろうか(5ヶ月で中退)。
ロシア語→Босодзоку (яп. 暴走族 бо:со:дзоку, букв. «агрессивный гоночный клан») — полукриминальная субкультура байкеров, насчитывавшая в 2009 году более 42,5 тысяч человек. Босодзоку — одна из самых известных субкультур Японии. Они появились как субкультура, состоящая из криминальных группировок лихачей-мотоциклистов, а вскоре часть босодзоку перешла на автомобили. Впоследствии основная часть попыталась дистанцироваться от криминала, сохранив при этом «легальный» образ жизни «банд мотоциклистов».
実録:ビーバップ・ハイスクール「体験史」(一次史料):
東京都立烏山工業高等学校(とうきょうとりつ からすやまこうぎょうこうとうがっこう)は、かつて東京都世田谷区にあった都立工業高等学校Tokyo Metropolitan Karasuyama Technical High School is a metropolitan technical high school that was once located in Setagaya Ward , Tokyo (制服は濃い青色ブレーザー+エンジ色ネクタイ)
何日か前に紹介した「高校デビュー」の自称’つっぱり’上級生たちについて、もう少し詳しく話しましょう。1ヶ月もすると、「元小中ゴロツキ」出身の外見はそれっぽいながらあまり’目立たない’(おれはニグロ(当時流行・「パンチ」よりまさに’黒人’頭、もっときめが細かい)やつらと友だちになった。
みんな「自主選択」の「高等教育」に進んだ少年たち。強制の「義務教育」ではない(つまり「行かなくてもいい」わけ)。俺とおんなじ。タバコ吸って酒飲んで、それ以外はおとなしくしてたよ。
そしてだいたいそういうのはいずれ、「中退」(俺が一番はやかったけど)するのも珍しくもない。中にはずっとまじめに「技術者」を目指して卒業したのもいたはず(辞めたあとのことは知りません)。
ごまかしが利かない「義務教育時代」:
いわゆる「偏差値」は最下位。しかも「工業」(将来の「職業」訓練校みたいなもの)。女子生徒は全校、われわれの「タメ」2人のみ(女子トイレすらなかった=男子校同然)。おそらく人生最高の青春を謳歌したことだろう。確かに「美人」だとは誰がみてもいえなかっただろうが、「ブス」だのって’蔑称’は好みの問題。’推しメン’アイドルといっしょ。誰だって「多様」なはず。
いつも10数人の「親衛隊」たちにちやほや取りまかれてる(「絶対数」の少なさは大きい)。すっかり「増長」「シンデレラ」になってしまう気持ちもムリはなかろう(「生き生き」として現れていた)。
だんだん「お化粧」も気合満々、おまけに「登山」の遠足に1人は「アカ」の’ハイヒール’で参上するほどに・・・(さすがに’教師’に注意されて、即席「うわばき」運動靴にはきかえさせられてた(^_^;けど・・・)
俺たちが「あなた「山登り」するのに「ハイヒール」?頂上までのぼれたらチューしてやるよ」なんていおうもんならたちまち、「そういうこというなよ。かわいそうだろ」。と「親衛隊」たちに怒られ、説教を食らう(中には前田耕陽や光GENJIの赤坂みたいのすらいる)。「ああ、すんまへんでした」といってみんなで爆笑(いつのものこと=あんまり芳しいとはおよそいえない、行為、申し訳ありませんでした)。
記憶がよみがえったのは。後の別の日、その「片方」(ひとり(「赤ハイヒール」+太目)は入学後しばらく消えていた(「シンデレラ」扱いってな噂でも聞きつけたのかな?)。いつの間にか舞い戻ってきた)に帰り道の京王線「千歳烏山」駅ホームでばったり会った(私ひとり)。なんか見下すようなツラしてたので(ベンチに座って「お化粧」しながら)ムカついたのを覚えている(苦笑+あえて正直に「ルポ」として書かせていただけば我々の間では、「おかめ納豆」(袋の’カオ’に似ていたので)と呼ばれていた=ひどい話ですけど)。
ちょうど「商業高校」が逆の展開になると聞いた。「工業」ほどではないにせよ、女子40人に対して男子5~6人?(試験前の「学校見学?」とやらで、びっくらこいたほかの野郎たちがわいわいやってたのも思い出した) だけど「偏差値」がもっと高いから「ヤンキー」たちは残念ながら大抵受からない(苦笑)。だから成績中くらい。案外目立たなかった普通の生徒みたいな奴が「アイドル」扱いになった。なんて話も耳にしたもんだ。
「おおバカ用」の「カラ工」’へんな顔軍団’とまで周囲のお嬢さま女子高(「佼成女子学園」(私の小中おんなじ幼馴染も何人かおった)ろくでもない同級生の’へんな?’奴らが「ナンパ」とか抜かして、校庭にまで乱入したとやら=大問題になった)。さらに「高偏差値」の「学校秀才」たちには蔑称でよばれてた。しょうがない。
ひとつびっくりしたのは→駅前にラーメン屋「東秀」があった(懐かしい☆あれからおよそ「35年経過」=まだあんのかな?)。よく帰りに何人かで食べに行ったもんだ。いっつも「セーラー服」姿の女子高生でうまってた(*_*;みんな↑の高校出身。「女の子も外で、いっしょにラーメン食べたりするんだな」(って当り前ですよね(苦笑))。
何せ「競争率」だけは都内第一。試験日は、そりゃすさまじかった。「高等学校」の’学課試験’にサングラスにパンチ、白のスーツで来るのもいりゃ・・・’ジャバラ’(襟がアゴまでかくれる)の長ランから、「特攻服」までいた(門前にいた教師たちに、あまりひどい場合は帰らされたらしい)。私は髪の毛は赤かったけど、おとなしいカッコで行きました(笑)。だから巻き込まれずにすんだ。
「おうっ。’つっぱり’はいねえのか?」ってひと教室づつまわってくるならずもの・・・シーンっと静まりかえった試験中、「このやろうてめえ」の怒号とともにどこかで一戦おっぱじまる・・・帰り道は「どこだよ?」「・・だ。文句あんのか」で恫喝・威嚇のにらみあい、もちろんボテボテ・ボコボコにされてるのもいた。
もっとも合格後の「登校日」にいったらそういうのはほとんどおらず(みんなちっとも「勉強」しないから不合格は当然。自分のやったことの’責任’は己に「はねかえってくる」んです)。いるのは「おとなしい」元少年ヤクザと電気・機械オタクばっかり=でも彼ら(誰でも)とも仲良くしてたよ(そこが他の「元ヤン」たちと私の異なったところか*)。
私の場合も単なる「まぐれ」「運」に過ぎなかった(勉強なんて全然せず)。その日は「ヤマカン」(苦手な英理数(全部選択問題=都立はすべて共通)が冴えていたので偶然’合格’したに過ぎない(あと’苦肉の策?’(ヤマカケ作戦)が功を奏した=はじめの2~3問おでましになる。つまりまじめに勉強していた「1年生」時代の問題だけ、集中して覚えてのぞんだのもよみがえった(笑)。中3の終り頃は、また「謹慎」とかいってあんまり学校にも行ってなかった。もともと「行く気」なんてゼロで、親や教師に半無理やり強制的に受けさせられたようなもの(もうひとつ受けた普通科「私立」(世田谷区「駒場学園(当時は男子校)」偏差値はもっと高い)こっちは「選択問題」じゃない=バケの皮がはがれる(~__~;は見事「不合格」落ちました(苦笑))。
順位でいけば「機械課」(ここがイチ番元ヤンキーが多い)次が「電気」(わたしはここ=ながらなぜこれを選んだか?まったく覚えていない)一番高いのが「電子」(ゴロツキはぐんと少ない)。どれだろうと一番興味がない苦手な分野だったのに変りはないだけ。
ひとりクラスに「いかにも」ってのがいた(すごいいい奴で、しばらくしてから仲良くなったけど)。体がでかく太目(おまけに金髪)。やっぱり意識して、睨みつける。けど「無視」された。話したら中央区「月島」出身(「䥝(みなごろし)だっけ?」って聞いたら「極悪(暴走族=というより(双方)「愚連隊」(北千(住)’殺人会’笑)に近い)」って笑ってたのがなつかしい涙)でした。中学時代は相当な悪だったと思えた彼(そういえば’沖縄’名字(×嘉)だった)は練れていて、おとなしく。一生懸命がんばってました(卒業したと思う)。
*92年頃、カナダ再渡航へのビザ待ち(銀座線「青山一丁目」駅地下街)「喫茶店」(「キッチン」担当)でバイト。しばらくしてやめちゃったけど小柄な年上の大学生。台東区浅草近辺の出身(まじめで「無口」ながらふしぶしなんとなく現われとったけど)。最後の日、いろいろ話して「「極悪」でしたっけ?」と聞いたら「荒武者(同等以上におっかない)」とニンマリ笑ってたのも思い出す(どうしているか涙)。
無関係だけど。ひとつ忘れられないのは1学期の中間?だか期末
だか。「英語」テスト、動物園のカバさんの話で「なぜ雌(メス)だとわかったのでしょう?」って日本語の質問はそれだけだったから「’男根’がついていなかった」って書いた。そしたら「0点」+バ~カってつけたしてあった(苦笑)。以来時々いまだに「本当の問題と回答ってなんだったんだろう?」なんて考えてます(^__~; 
あと、同じ中学出身。年上の卒業生から「実習レポート」(工業機械の課目)だけ出してリャ大丈夫。なんてのを小耳に挟んだ。だから全然まじめにやってないのにそれだけは「期限内」に提出していた。これも教師の癇にさわったようだ。けどその気持ちはわかる(苦笑)。ちっとも真剣に取り組んでいないくせに、ちゃっかりそういう態度に腹が立つのは当たり前=「山田かあ~、今日はどうやっていじめてやろうかって楽しみに、はやくきちゃったよ」なんてもん。「きみは実習レポートだけ出せばいいってもんじゃないんだよ」(肝心の「実習中」はいっつも「寝て」いたので)。
一学期が終わった時通知表に「4つ」赤点(5段階評価の「1」)があった(確か英数理+電気工業)。夏休みに「補習?」教師から電話で叩き起こされてしょうがなく行ったのを覚えている。その「電気」なんとかはまったく分からんので代りに「反省文」を書かされたのを思い出した。要するに「まじめ」にやらないと落伍するだけ(私の場合も、仮に中退しなくても、ついていけなかったのだけは間違いない)。
ともあれ自称「ヤンキー先生」大臣閣下、傷だらけの青春・・・あんたみたいの絶対「ふるボッコ」まず逃れられないっスよ(^_-☆
「大ぼら」「うそ武勇伝」「’ゾク’」(こういう’隠語’はすでに時代遅れだった)→「暴走族」。マッポもホンマもんの’少年ヤクザ’たちは「警察」と呼んでた。「チャリンコ=自転車」、「ペケJ=XJ」「フェックス=FX」「いどこう=移動交番」(これは変わってなかった)「原チャリマッポ」=「カブマン」に進化?。
だから出身地や経歴、素性もたしかめようのない「海外」版、例の「匿名・偽名・住所ナシ」もしくは「刺青」なんか彫りこんでのしてる自称「元てのつけられないヤンキー」たち・・・「海外デビュー」がほとんど。上の「隠語」をぶちまけてデカイ顔してるのはたいてい「イワシの頭」なのは間違いないでしょう。
そしてそういったのを「古き良き時代?」の「武勇伝」式に吹聴しているような方々。問題あると思います。
私の小学校時代。今から考えるからこそ信じられないとはいえ(単なる「犯罪者」)。社会の「ゴミ」的存在。この当時は「窃盗」(はじめて捕まったのは4年生)「空巣」「路上駐車あらし」常習犯(6年生のとき最後に捕まってそれでやめました)。まったくひどいものでした=何の弁明もありません。ひたすら「ゲームセンター」に入り浸っていた。以来「盗難車」に乗ったことはあるにせよ、「盗み」だけは2度と働いたことはない。
だから全東京都から集まってくる。過去の「つっぱり」(こんなのも当時ですら時代錯誤の官製「標語」)歴なんか、ウソついても同校生や地元のやつにきけばすぐバレる。「先輩」とかいっていばってるのも「あれ、高校デビューだよ」みたいな(この言葉もきらい)。
蔑称「番長」(おれたちゃバカにしてそう呼んでた)と「つっぱり」参加命令:
イングリッシュ→Banchō (番長) may refer to either a governmental position during the Ritsuryō period, or the leader of a group of delinquents. Juvenile delinquency In Japan in the 20th century, the term refers to a leader of juvenile delinquents in middle and high schools.[1] It is thought that this current meaning originates from the original meaning of the term—the personalities of guard commanders. An alternative is that the word derives from tōbanchō (当番長), a term for a position in the former Japanese army. Female banchō are called sukeban (スケ番). The typical image of a banchō is an uncouth fighter who has a strong sense of gang honor. Banchō who rule several schools and have control of other banchō are called sōban (総番), and in elementary schools and under, the term for banchō is gakitaishō (ガキ大将). In reality, though, banchō were becoming increasingly rare in the 1970s, and by the 1980s the term was relatively old-fashioned. Vestiges of the word still remained, though, such as in the nicknames for baseball players Kazuhiro Kiyohara and Daisuke Miura. By the end of the 20th century, the term almost did not exist at all, though groups of delinquents who committed crimes began to stand out.
ただいいことばかりじゃない。少年ヤクザ、ゴロツキ軍団がほとんど落ちたので。そんなこっぱにすぎない俺すら目立ってしまう。たちまち上級生に目をつけられてしまった(>_<;
大体上級になるほど人数が少ない。2年だと「30人」3年でひどいのだと「22~3人」。元ゴロツキ暴走族はやめて。みんな「元の巣」に戻るのが常。
でかい顔してえらそうに「たむろ」してる大人数の「2年生」たち・・・何人かでしかとしてとおったら。
「番長」(茶髪に当時流行?のチェッカーズ頭みたいのしてた=私も夏休み明けの頃(しばらくして中退=しかし直接の原因は例の「頭痛」に発病)はこれだった(苦笑))が「おい待てよ」と追っかけてきた。
「俺が一応’シメ’(元締め=番長?笑)てんだよ・・・別にあいさつしろとはいわねえよ。ただシカトしてとおられたらやっぱ頭くんだよ・・・ごめんな・・・」といって去った。
以来「番長」とこっそり蔑み「こんちわ~っス」とわざと大声であいさつするようにした。それでも許してくれない。
あるとき、校外の駄菓子屋でお菓子を買ってタバコを吸ってたら「番長」と「副番長?」数人にばったり(その頃は、パーマがのびて腐った頭がうっとうしく。また「パンチ」をかけてたから余計に始末悪し)。
「あ~あ、またかよ」・・・の危惧とおり。
「番長」から通達。「おまえつっぱんだろ。カンパとかビシバシまわしてやるからな」→「つっぱる」「カンパ」・・・中学の頃きいたすでに廃れた「隠語」こいつは間違いなく「高校デビュー」だ(でも他のにきいたら一応「暴走族」だった’みたい’。杉並区の「Mad Special」というのの集会でみたとか)。
頭にきて睨みつけたまま去ったら激怒して追いかけてきた。さんざん脅しと説教。
「ここてめえらの地元じゃねえんだよ・・・」どうのこうのと延々。
今後いかにこの「番長」に悩まされたかはもうお分かりだろう。さんざんいじめられた。
*《ウラミくん》「あっ、番長の奥目だっ!」ギャース!!「おい魔太郎、奥目さんがお呼びだ(-_-」
↑の「集会」でみたという友だちもやられていた(苦笑)。彼は「1コ上」つまり「番長」たちとは「タメ」。だから「俺はおまえらとタメだ」っていったら囲まれて「てめえは学年は下なんだよ」金属バットふりまわされ、さんざん脅されという。以来彼もゴチャゴチャまとわりつかれていた。特に仲がよかったのは彼ら3人(みんな機械課)。ひとりは隣の市(武蔵野市)。もうひとりは隣の中学出身(彼とはじめて会ったのは中2のとき(その人の中学)→当時はメチャクチャ柄悪くてやばかった(苦笑))。みんな元中学生暴走族。私が辞めてから1回3人で遊びに来てくれた。急に電話がかかってきたから、待ち合わせ場所に行ったら「またかけたの?」って笑われた。当時は工場労働(札つきの問題社員)。「教護院」(故梶原氏と同じ東京都青梅市「誠明学園」*「少年院」よりここが一番大変だったといってました)からそのまま「全寮制」高校(後に教師による暴力や集団リンチ・脱走・事故死・自殺などで問題となった)三重県津市学校法人「日生学園」(’便器’を「素手」で磨かされたりする=ここも酷かったと聞いた)に放りこまれてた相棒が逃げ帰ってきて。早速つるみだし2人でまた「暴走族」(荒れ狂ってました)。いっしょに「二グロ」をかけてまさに「少年ヤクザ」外見(でも彼のせいじゃない。自分の責任)。けど来てくれて、うれしかったです(涙)。その中の隣の市出身。「スーパーマーケット広場」(もうとっくにありません=すりきりいっぱいどっか企業のビルになってしまった)がわれわれ地元のたまり場だった。2~3度遊びに来てくれた。(*同僚だった’退院’生たちも何人か(みんな’暴走族’)紹介され、会いました)
もうひとり同じクラスで仲良くなった友人がいました。彼は渋谷区出身でむろん「元暴走族」(でも入学時は茶髪に「サーファー」みたいな頭だった)。2つ上の兄貴は相当有名だったらしい。彼とはいっしょに「早退」して、私の実家で「弁当」食ったのも懐かしいです(涙)。ホンマ、優しくてええやつでした(恐らく彼も卒業したと思う)。確か別の日、彼と2人で帰宅中も「番長」たちにからまれたはず(苦笑=まったくもって)。彼の従兄弟がわれわれが「集会」で新宿に向う途中の甲州街道沿い(一度待ちぶせしてた「関東連合」(「石材屋」に50~60人)に襲撃されてひどい目にあったのもよみがえった(大小各種「石材」が次から次へと嵐のように飛んできた=私は「悪運?」強く当らなかったけど、命中してこけた人や血を流してるのがたくさんいた)=そして今度はこちらから「トップ」たちが仕返しに行った。それでまた向うからお礼参り・・・Never ending大騒動になる=結局、「上」同士が話をつけ収まったと聞きました(単なる一構成員の「ダサ坊」にすぎない私は加わっていません))。「コンビニ」で待ち合わせ合流してた同じ「暴走族(CRS)連合」にいたみたい(けど結局、誰だかわからなかったけど)。私のことを集会でみた(入学時のクラス写真で見てたらしい)って聞いたと↑の友だちが話してたのも夢のまた夢・・・。でも「暴走族」ではみんなにバカにされてました。’はったり’小僧。(ろくに「単車」も運転できなくて)いっつも「ケツ」ばっか乗ってるから。下っ端に過ぎなかったです。
*フランス語⇒Kanto Union (関東連合), du 20ème siècle à la fin du 21ème siècle était présent sur la période début du Japon des gangs de motards.
’吉田’先生の思い出(苦笑):
ー入学して2ヶ月後ぐらいだったか・・・。おなじクラスで友だちになった別の方向の隣中学出身(この彼も中退)。その彼がひとりの奴(ヤンキーではなかったはず(世田谷区上北沢出身)。でも問題児だった。後に、中退したと聞いた)と授業中にもめた(相手はそのまま帰った)。次の日、来なかったと思ったら、帰り校門にパンチ「本職」(イッコ上)そのものの人間と立って、待ち構えてた(これも対立暴走族また「関東連合・鬼面党」(苦笑))。
ー側の空地で「タイマン」となり、殴り合ってる2人をその男とみながら「タバコ」吸ってたら。へんなじいさんが通りかかり、すごい形相で私の前に立ち止まった。睨みつけてたら「おまえは1年生か?」「・・・」(これ先生かな?って頭をよぎったけど)「ちょっと、いっしょに来い」と連れ去られそうになったら。その「本職」男が「おれが吸わしたんだよ」ってすごみを利かせてかばってくれた。「きみは誰だ?」「どうこう」と押し問答が続き。結局、そのじいさんはびびって許してくれた(名前と課及びクラスを聞かれ’捨て台詞’ならぬ、頭を一発ひっぱたかれただけ)。入ったそうそうの「停学」は免れたってこと。
ー2~3日たってからそのじいさんに学校内でばったり。手を引っぱられ「吉田!あんなことしてちゃだめだぞ!」って小声でささやかれた(「だから中尾だってさっきからなんべんも言ってんだろ」「バカやろ、俺ははじめて聞いたぞ」「あんまり顔よせんなよ、クセーよ」「ああ~?そういう言い方ねえだろ’吉田’あ~(^_^」)。私の名字「山田」をぼそっといったから聞き違えた様子+もしくはクラスに「吉田」というのが2人くらいいたので(いつも「あいうえお」順に並ばされるので、私の後ろにいたのはその方々)。名簿を調べて勘違いしたのかも。それからそのじいさんは「吉田先生」になってしまった(苦笑)。授業中、廊下を歩いてんのが目に入ると「あっ!吉田先生だ!」ってほかの奴らといって大笑い。「国語?」だったっけな?その教師が「原?(だった記憶)先生だろ」とへんな顔をしていたもんだった。さらに加えれば、その「吉田」という1人についても。大柄で長髪、肥満(フォークギターで「さだまさし」などを弾いてるとか小耳にはさんだけど)巨体だった彼は入学当時の校内見学みたいのでいつも「昨日はウイスキー、ボトル1本全部飲んじゃった」だの「その前は」どうこうと「酒」の話ばかり後ろでボソボソ喋ってる奴だった。だから(むろん言いふらした’元凶’は恥ずかしながら私ですが)その男は「酒」というあだ名になってしまった(苦笑)。そしてよく遅刻するし休む。そんな関連の通達が教師から出ればたちまちクラス内で「’酒’、てめえやめろよっ!」と罵声と嘲笑がほとばしっていた。「なぁんだよぉっ!」といつも憤慨していたその彼も私の後に中退したそうである(「自動車教習所」で偶然会ったその「てめえやめろよっ!」の友人(隣の市(三鷹市)出身)から聞きました)。
ーでもその「友だち」にも辞めた後、ひどいことしてしまった。さんざん迷惑かけてしまいました。本当にいい奴だったのに・・・こういう形でたいしたこともないうえに「ひどい人格」だったんです(いいところなんて何もない=現在の自分からながめてホンマ「ぶっ殺して」やりたいような嫌なガキ)。最終的には誰にも嫌われるろくでなし。30年以上をへて、ぶりかえすのは結局。こういう悔いても悔やみきれない後のまつり。「負の遺産」ばっかり(追加:2018年10月31日、雨のハロウィン。カナダ リッチモンド・ヒル サム=仕事中、いろいろ考えてました)。
*↑の「日本人的?(とりわけ男子内)」な’あだ名’(大抵’バカ’にする形)というのも’ひとこと’’ひと態度’がアダになってしまうのも多くみてきた(現在は大分事情は違うんでしょうけど)(1)小学校低学年のとき(まだ中野区から転校してきたばっかり)「ドッジボール大会」時、ひとりの奴が(「決勝進出」)「あ~あ、うでが鳴る~!(●_●(手振りも交えながら)」私の前方にいた「いじめっこ」が「バぁカじゃねこいつっ!あ~あ、うでが鳴る~」(なぞと、何回も(小ばかにしながら)マネしとった)以降「うで」というあだ名になる(ずっと後々まで変わらなかった)(2)中学に入ったとき、入学式の後、隣の小学校出身の子が同校出身者で群れていたわれわれのところへやってきて(私の幼馴染に)「きみでしょう!?さっきぼくの**つかんだのっ?痛かったんだよぉ~
(*_*;」とかいうのでその生徒は「へんなの」というあだ名がついてしまった(「おう、’へんなの’!」「’へんなの’全然おもしろくねえよ」ってなものでした笑)
*この記事がいきなり上がってきたのでびっくりしたのが本音なのですけど(苦笑)。さまざまよみがえっております・・・。↑の「吉田」というもう1人はいわば小柄な「普通の生徒」でして(とはいえいっしょに下校すれば帰り道、「JOKER」を吸っていたのを覚えている笑+おかしな「伊達メガネ」をかけて登校していた)。その彼ともう1人こちらも同じくタイプとしては「ヲタ」(「(試験日にあふれかえってた「ゴロツキ軍団」について)もう、全部落ちればいいって思ってたよ
(^_^」)両者とも下町の23区出身だった。彼らは洋楽とくに「ヘビメタ」が好きで、いろいろ新たな分野を教わったもんだった。しかし「ヲタ」式少年の方が、「放送部」に入った様子で昼休みにたとえば「Twisted Sisters」~♪ We're Not Gonna Take It~♪といった辺りを大音響でかける。クラスに現われ私の周辺に坐ってだべっていた「機械課」からの「元ヤン」たちが「うるせえなこれ怒。なんか最近やかましいのばっかり・・・ナンなんだよっ」と文句をいっていたのも夢のまた夢です(彼らとは仲が良かったので懐かしい涙(間違いなく卒業したはず)。
*ちょうどこの頃、故「梶原一騎」氏が逮捕され、「アントニオ・猪木」氏を監禁・脅迫していた事件も明らかになった。これについても大昔、もう消してしまったとはいえどっかで書いたはずながら。私は梶原氏の「格闘技マンガ」をたくさん読んでいた。だから「極真会四段」(「’私とて’極真会四段(’名誉’はついていなかった)」)というので氏自身も「強くて」「空手家」だと思い込んでいた。ですから「猪木と梶原がリングで対決すれば梶原が勝つ」と大真面目にいったら↑の「一般生徒」たちに冷笑され「’かぁじぃわら’なんてよぉうぇええよお~(^_^」とさんざんやられたのもなんともはや「バカっ、絶対強いって!(●_●極真会’四段’だぞっ!」↑の「0点+バ~カ」の英語教師が割り込んできて「’四段’っていったって’名誉’四段だろ」と無表情に語っていた=しかし当時はその’名誉’とやらも内実及び意味を知らなかったし「梶原」氏そのものの’強さ’すらまったく疑っていませんでした笑(そしてこの「論争?」はしばらく続いたのでその度、大勢にバカにされた再笑)。ちなみにそうした一般生徒たちには「ヤマちゃん」と呼ばれておりました。ヤンキーたちには「山田」笑。
*入学して3ヶ月くらいだったっけな。駅周辺でこちらは5~6人(↓映像に現われる左側の「坂道」(魔太郎がくる!「(引ったくり)残像写真」?)この間(当時とほとんど変わっていなかったのに驚きました)何十年ぶりに見た涙笑)向うからパンチ+「本職」姿の(恐らく1~2コ上)やばそうな2人(小柄と大男)が歩いてくる。すれちがいざまに(小柄な方の)1人が(機嫌悪そうだった)「てめえら、態度がデケえんだよっ!」ってタバコを投げてきた。われわれの中の(がたいがよく強そうだった=「茶髪」サーファー頭)元「ヤン」(中野区出身(最寄駅は丸ノ内線「中野富士見町」)電子課)1人が後ろを向いてずっと「睨んで」たら。たちまち猛ダッシュで走ってきて背中に強烈な「飛び蹴り一発」そのまま痛そうなパンチの「連打」を食らい鼻血を出してた。その後、切符販売機の前に「おまえら、全員並べっ!」(まさにビーバップ笑)1人1人、持っていた「セカンドバッグ」で頭を一発ずつ思いっきり殴られた。私だけ「パンチ」だったので「なんだこの頭は?!」って髪をひっつかまれた揚げ句もう一発、顔面を殴られてしまったけど(苦笑+「数十年」を経過したここ「カナダ」にいてもまだドタマに「セカンドバッグ」(「Zippo」ライターと「ポケベル」が入ってたみたい=痛かった再笑)と左頬に「拳骨」の感触が残ってます笑なんともはや)。「おまえら「烏コウ」だろ?!」「ここ、どこだと思ってんだ。’エンペラー’の地元だぞ」(’名前’聞いただけでホンマ、’戦慄’するほど’恐い’んですよ・・・)って捨て台詞を残して、憤然と去りました。余談追加「遥かなる」ザ「我が国」少年時代回顧(懐古)・・・2021年10月31日(日曜日(偶然なのかな?また)ハロウィン笑)リッチモンド・ヒル。
*ロシア語⇒Черный Императорブラック・エンペラーBlack Emperor, 1960-е, примерно с конца 1992 года, присутствовал в Японии над бандой мотоциклистов.
終わりに:
暴走族の集会や’ミーティング’(ごろつき寄り合い会議)で、その「からす工業」にちなんで各地の中学同級生たちからいろいろ聞かれたり、いわれる。
「*谷って知ってる?」(隣の市(府中市)すっかり落ち着いて「茶髪」サーファー頭で温厚(電子課)。長身のやさしい青年だった)けど、中学時代は有名な元「トップ」クラス)「*村!!だせえくせにパンチみてえのカケてんの・・・」(府中市(別の中学)ちょうど↓ゴリ照屋氏&川田氏の「高校デビュー殺し」に出てくるスポーツ刈りの「卓球部」少年(「1!2!3!ハーロック!!」(ドライブスマッシュ)「いいね、お前!?(^_^(「激火美人」総長)みたいな雰囲気。(毎朝長身の美女(☆恋心再発☆愛しの元AKB☆あゆ姉☆に似ていた笑(+元SKE☆怜奈ちゃん☆を混ぜたような相貌)「稲城高校(普通科「偏差値」は若干高い(制服は濃い緑色ブレーザー+模様つき緑ネクタイ)ここもいわゆる中学時代元’大物ヤンキー’(主に三鷹市・武蔵野市・府中市などなど)が多かった)」)と「調布」駅まで現われるのでうらやましかったけど笑)われわれは「百姓」(機械課)というあだ名をつけ(方々連れ歩き、そそのかしてその「パンチ」をかけさせた張本人も実は私^_^)かわいがっていたのですが「名字」で冷たくよばれる苦笑)だの「あんなのあいさつなんかしなくていいよ」(同市隣中学=「高校デビュー」の2年生笑)。
「おーい、ノブオ~!!」「伊藤」「なんだお前、兼子じゃねえか?」「・・・(*_*;」「お前、こんなのに伊藤なんて呼ばせてたらいかんぜ。おまえまでなめられちまう」「ションベンちびりのカネゴンっていったらそら有名よ」「なっ、カネゴン!(^_^」「・・・(ー_ー;」「コラッ!兼子、てめえなにブーたれてんだ!・・・またションベンちびりてえのか!」(マンガ「BEBOP-HIGH SCHOOL」より)ありがちな展開です(笑)。
「ヤンキー自慢」の某政治家先生や他、インチキ「不良録」、21世紀(20世紀でもバレバレだったけど)。デマカセの「ゴロツキイカサマ武勇伝」なんてこんなもんスよ。
私の中学はいわゆる「2学年上」までがまさに「校内暴力」特にひどかった(むろんみんな「暴走族」)。ひとつ心に残ってるのは。「中退」したとき、父親に連れられて担任教師(理科の先生=いい人でした)に挨拶に行った。始末の悪い軽口人間父親が、余計なこと(いつも聞かれもしないことをべらべらとしゃべりちらす)つまり私の中学時代(田舎送りも含め)のことを話したみたいで、別れるとき「お父さんから中学時代のこといろいろ聞いたけど、高校に入ってからの山田からは考えられないことで」どうこうと・・・やっぱそれなりに嬉しかったです(苦笑))。
*だから私は「修学旅行」っていうのは、まったく経験ないんです(徳島県の中学は「2年生」(京都)のはじめに終わってた)東京に帰ってきたのは(3年の2学期)もう行った(青森県)後(1年の「林間学校」も行かなかったし、せいぜい小学校6年のときの「臨海学校」(千葉県(39度近い高熱の子供まで強制参加=無茶苦茶)バスからフェリーに乗りついだ記憶がよみがえる)と「合宿」(確か京王線「分倍河原」駅で乗り換え。羽村、青梅方面へ行った(「奥多摩」はちょっちゅう(ひとりでも)「渓流釣り」で出向いてました涙)~♪土曜の夜はトゥ~ナイト~♪ってのがはやってた頃笑)双方、担任の(体育会系)熱血暴力教師(絶大な「人気者」だった→「金八先生」式?笑)にムリヤリ狩り出された)だけ)。
再び繰り返しながら。私の場合、やってしまったことは取り返しがつかない(「過去は変えられない」まさしくです))。けどそれを自称「ヤンキー先生」のように悔いて、反省するどころか「自伝」を発表。加えていい年した「先生」の立場から「教え子」(「中学生」までいる)と「交際」(「妊娠?」)どうこってのも信じられない(「ドラマ」ではそんなんやってなかった。全然違う(苦笑))。さらにご「自慢」の種?(「私の夢。俺の希望?」「当たり前にしばられるな」「きみよ、反抗しろ?」)。しかも立身出世の個人欲望のために「悪用」しているような人々は心底軽蔑します。
「暴走に明け暮れて特攻服に身をつつみ爆音とともに過ぎ去っていった俺の青春。死ぬまで’云々’」「何時かはやってくる青春の終わり。誰かまうことなく身体をはって爆音とともに過ぎ去っていった俺の青春。これから世の中に染まっていくが考えていることは死ぬまで’云々’」(「死ぬまで」そんなこと考えててどうすんのあんたら?
(^_^;でした。①Yo~~!! Deuce!!  I got pretty good on that 'Honky' play did I? Sure, you did honey.  Are you a Deuce?  No, I am not②Strike my man! Somebody's Gotta Pay! You are done from the streets, you are done from this project, you are done from New York(Tokyo?)!!Penn Station⇒Narita Airport おつきあいありがとうございました。単なる「体験史」不良録にすぎません。ほぼ「97%」事実です。   サミー 2016年8月
~♪この街をとびだせばやつのおもかげとGOOD-BYE~旅にでるこの俺に涙は似合わない~肩身のヘルメットうなるノイズのその中にやつの声が~しぼりこむスロットル今日もおれだけただ一人~やつを飲み込んだたそがれのアスファルトこえて~(1982年、杉本哲太氏(中島今朝吾中将の役・名演技でしたよ!!)と「750CCライダー」紅麗威甦=グリース)
~♪この街からでていくのは少しだけいずらくてただそれだけの理由だよ~この街から出て行くのに本当はわけなんてないかもしれない~♪(シャ乱Q,「ネオン」(作詞作曲つんく)1996年)
*『Débuts au lycée高校デビュー』(High School Debut)« Дебют в старшей школе »고등학교 데뷔
暴走族(日語:暴走族)是一種類似「汽車俱樂部」的日本次文化,指的是一群喜歡改裝(通常是違法改裝)摩托車和汽車的年輕人所組成的集團。這些改裝通常包括移除車輛的滅音裝置,使之在行進間發出更多噪音。暴走族也經常危險駕駛車輛,例如在道路的兩側左右滑走(蛇行)、不穿著護具,以及無視交通號誌。日本警方稱他們為「Maru-So」(警察代碼:マル走/丸走)。在暴走族中,女性的集團被稱為「レディース」(ladies,英語中「女士」之意)+ドイツ語→Bōsōzoku (jap. 暴走族; wörtlich ‚brutal laufender Stamm‘) sind eine japanische Subkultur, die den westlichen Tuningklubs ähneln. 



①Hiroyuki Yoshiie「😍憧れちゃいますよねえ~😍I admire him」⇒autoproclamé "Yankee-sensei"(自称「ヤンキー先生」)Il aurait été un ancien membre du Parti communiste japonais(元日本共産党員), et est apparu plusieurs fois sous le drapeau rouge(しんぶん『赤旗』にも数度登場していた)日本会議国会議員懇談会Réunion des membres du régime Nippon Kaigi←「すごい燃えると思いますよI think I will burn really hot」②Le Premier ministre japonais Shinzo Abe serre la main de Hiroyuki Yoshiie, candidat du Parti libéral-démocrate au pouvoir③Dec 9, 2019 — Ce groupe est initié par trois parlementaires japonais, ... Parti libéral démocrate au pouvoir, M. Hiroyuki Yoshiie, ancien vice-président, ...④Feb 28, 2020 —Hiroyuki Yoshiie doit quitter Tokyo samedi et s'entretenir lundi avec ... est soupçonné d'avoir quitté le Japon le soir du 29 décembre en se

「どこにいるぅ~?😩返事しろ~!」「何してるぅ~?😲立てぇ~!」😠→④発覚!ヤンキー先生 義家弘介参院議員 「女子中学生とBMW」不適切な過去Discovered! Yankee teacher Hiroyuki Yoshiie, a member of the House of Councilors, had an inappropriate past with a female junior high school student and a BMW⑤Jun 23, 2017 — 「ヤンキー先生」とは一体なんだったのか?What exactly was "Yankee Sensei"?疑わしき「熱血」の正体The true identity of the suspicious "hot-blooded" person「返事した程度だろぉ~?!😠それもたった一度ぉ」⑥2017.12.02ー義家弘介が文科副大臣時代に補助金交付の学校法人からカネをHiroyuki Yoshiie received money from a subsidy-granting school corporation when he was the Vice Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology. 一方で「森友・加計は捏造」主張の厚顔無恥On the other hand, the shameless claim that "Moritomo and Kake are fabricated''←「あのさ先生ぇっ!!😡」「教師ズラしてんじゃねえぞこの野郎ぉ~!!😠」A video reenactment of the [heroic story] of Mr. Yankee, lawmaker Yoshiie, who assaulted his homeroom teacher during his high school days and set his head on fire with a lighter↓

《中学生日记》1972年4月9日至2012年3月16日期间在NHK名古屋放送局 偶然「たまり場」でみて(確か「不良少年」)心に残ってるのは、’班長’(兼学級(代表)委員?)のなかなかのべっぴんさん(私服姿)優等生の女生徒を放課後(まちぶせ)路上にたちはだかった男(ズザっ!)ワイシャツ+黒ズボンの制服姿「’班’をめちゃめちゃにされたくなかったら付き合え(-_-」足早に立ち去ろうとした’班長’を(すれ違いざま)つかまえ脅し、「喫茶店」へ’強制連行’?「おれのことまんざらでもねえんだろっ(ニヤニヤ)」(憤激して立ち上がった’班長’)「へんな誤解しないでっ怒!わたし、’不良’は好きじゃないのっ!ボタンちゃんとかけない人好きじゃないのっ!頭ボサボサの人(といっても普通の’横わけ+刈り上げ’みたいな髪型やったけど=「NHK」らしく笑)好きじゃないのっ!」「じゃあ、なんで’班’になんか入れたんだよっ怒!?」「クラスをまとめたかったからよ」(捨て台詞を残して、そのまま帰ってしまった+入れ違いでにわかに現われた’不良’(スケバン?ズベ公?)みたいな女(こっちは(NHK式?)’清楚?’なケバさ笑)が「(せせら笑いながら’説教’を食らわす)あんたとあの子じゃ、ツキとスッポンじゃないっ(^_^」「どこからどうみてもあんたは’不良’よぉっ!」「睨・・・(-_-」次の日登校時、校門周辺を清掃していた用務員のおじさんに「おじさん、おはよう(^_^」’スポーツ刈り’+さわやかな笑顔で現われ「あれっ?××君どうしたのっ?!」「ちょっと、変えてみただけだよ(ニコニコ)」とびっくりさせていた。こういう「役者」さんたちって今、どうしよんやろか?笑。2021年12月12日(暗い日曜日)追加、ヤケクソ気味な「吉田?」より苦笑 カナダ



«Против течения» (фильм, 1992англ. South Central) — кинофильм. Экранизация произведения «Crips», автор которого — Дональд Бэкир.



『クロッカーズ』(原題:Clockers)は、1995年制作のアメリカ合衆国の映画。スイパク・リーShelton Jackson "Spike" Lee監督、マーティン・スコセッシMartin Charles Scorsese製作。アメリカの麻薬社会と麻薬犯罪に手を染めるアフリカ系アメリカ人の現状を描いた問題作。









No Cigarettes!!  Yes!!  My brother!!  Stay the F××k out My Business!!  You're getting awful mouthy, aren't you, prag?  Polish my boots!

Hey!! Hernandez!! Get your feet off the table!!  Metzker: What's the problem?  Hernandez here, he's got an attitude. . .  Raoul . . .  I'm gonna ask you nicely once.  Will you please take your feet off the table? Will you do that for me ha?? . . . Thank you!  Let's go Eugene

See me riding a bicycle?  You're gonna kill the faggot. You gotta learn to think before you act ...Times have changed, Nino.

You're Kosygin, right? I heard of you. The most brutal hitter in Little Odessa.  Let's speak American.  Unlike you, when I was in Russia, I was not a criminal.  I was an educator. . . 

『ポケットいっぱいの涙』(«Угроза обществу»Menace II Society)は、アフリカ系アメリカ人である双子の監督アレン・ヒューズとアルバート・ヒューズによる1993年にリリースされたアメリカ合衆国の映画である。


*怒羅権(ドラゴン)Драконは、日本の首都圏を拠点に活動する、中国残留孤児の2世ならびに3世が人員の中核を占める暴走族。成人した構成員らは東北系チャイニーズマフィア(東北幇)と連携し裏社会にも進出している。「怒羅権」とは「日本人に対する怒り、団結、権利」を意味する。中国残留孤児帰国者の一時入所施設「常盤寮」があった東京都江戸川区葛西で1988年に結成された。設立当初の構成員らの言によれば、中国残留孤児帰国者らは日本語が不自由なため授業に付いてゆくことが困難であり、また、学校で差別やイジメを受けていた。そして自身らが日本人なのか中国人なのか分からなくなり、同じ境遇にあった中国残留孤児の2、3世で自然と集合化していったПятизвёздный красный флаг五星红旗Fünf-Sterne-Rote-Flagge오성홍기Five-star Red Flag

*Dragon怒羅権 is a motorcycle gang based in Japan's metropolitan area, whose core members are second- and third-generation Japanese orphans in China遗华日侨중국 잔류 일본인.The adult members cooperate with the Tohoku Chinese Mafia (Black Society黑社會) and advance into the underworld. "Dragon" means "anger, solidarity and rights" towards the Japanese people. It was formed in 1988 in Kasai, Edogawa-ku, Tokyo, where there was a temporary dormitory for orphans returning from China, Tokiwa Dormitory. According to the members at the time of its establishment, the returnees of orphans left behind in China found it difficult to keep up with classes due to their lack of Japanese language skills, and they were also discriminated against and bullied at school. Then, it became difficult to tell whether they were Japanese or Chinese, and they naturally gathered together in the second and third generations of Chinese orphans who were in the same situation.


이시모토 타이치(일본어: 石元太一Taichi Ishimoto, 1981년 12월 13일 ~ )은 일본의 전 폭주족 지도자이다. 폭주족 연합체인 관동연합과 블랙엠퍼러를 이끌었다「(関東連合系の暴走族)“千歳台ブラックエンペラーChitosedai Black Emperor ”の元総長Former President」

Junshi Urita瓜田 純士 (Urita Junshi, 4 décembre 1979 -) est un combattant japonais d'arts martiaux mixtes , écrivain, kickboxer et YouTuber.


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