日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

【The era of Koizumi】Satoshi Kamata/【Эпоха Коидзуми 】Сатоши Камата/『コイズミという時代』鎌田慧고이즈미 준이치로小泉純一郎①


The era of Koizumi Satoshi Kamata [Author] Эпоха Коидзуми Сатоши Камата [Автор]
Publisher content information
He thoroughly criticizes the administration of Junichiro Koizumi, which was established in 2001, and the social situation. A collection of non-voices to the administration and the world, which the author called "the worst cabinet in postwar history."
Информация о содержании издателя
Он подвергает резкой критике администрацию Дзюнъитиро Коидзуми, созданную в 2001 году, и социальную ситуацию. Сборник неголосов к администрации и миру, который автор назвал «худшим кабинетом в послевоенной истории».


鎌田 慧(かまた さとし(青森県出身)、1938年6月12日 - )は、日本のルポライター。シューレ大学アドバイザー/Satoshi Kamata (鎌田慧, Kamata Satoshi?) is a Japanese journalist born June 12, 1938. A worker in a printing house at the age of 18, he was fired after wanting to create a union there. He then took courses in Japanese literature at Waseda University. Subsequently, he became a journalist and writer/Сатоши Камата (鎌田慧, Камата Сатоши?) — японский журналист, родился 12 июня 1938 года. Работая в типографии, в 18 лет был уволен после того, как захотел создать там профсоюз. Затем он прошел курсы японской литературы в Университете Васэда. Впоследствии он стал журналистом и писателем. Он написал около десяти книг, переведенных на несколько языков.

*Русскийロシア語→Дзюнъитиро́ Коидзу́ми[1] (яп. 小泉 純一郎 Коидзуми Дзюнъитиро(神奈川県出身):, 8 января 1942, Йокосука, Канагава) — лидер Либерально-демократической партии Японии и премьер-министр Японии с 2001 по 2006.

序章

「赤頭巾ちゃん気をつけて」とわたしは小泉ギマン内閣発生を批判した。

いまから約3年前、2001年4月14日、小泉純一郎が自民党総裁に就任、26日には国会で首相に指名され、小泉内閣が発足した。

世論調査による内閣支持率は朝日新聞が78%(30日付)、読売新聞が87%(29日付)、毎日新聞が85%(30日付)と当初の熱狂はすさまじく、まるで救い主をみいだしたかのようだった。

この悪夢のような事態が、その後の絶対「非戦」憲法下での派兵という「投げやり日本」の退廃をつくりだした。親分から番頭へのバトンタッチでしかない権力の委譲に、マスコミが目をつぶってもちあげ、批判の精神をドブに捨てたのである。

わたしは、翌5月上旬に脱稿した『記録』6月号の原稿で、すぐさま警鐘を鳴らした。いつもは自民党政治に批判的なものもふくめて、小泉礼賛一色に様変わりした。そのなかで記録すべき原稿、と思う。手を加えることなく、ここにあえて全文を再掲する。

【再掲】鎌田慧の現代を斬る(『記録』01年6月号)

中曽根稚児政権 

おおかたの予想に反して、小泉内閣が誕生した。成立当初の支持率は、各マスコミの調査で80パーセント以上を記録した。これは小泉純一郎人気の高さをあらわしたものだと伝えられているが、純粋にそうともいいきれない。竹下内閣と並ぶ、史上最低9パーセントの支持率を誇った森喜朗前首相への反動である。人間あまりにもひどいめに遭えば、予想外のなにかに期待したくなるものだ。

*Українськаウクライナ語→Йосіро Морі (яп. 森 喜朗(石川県出身); нар. 14 липня 1937) — японський політик, 85-тий та 86-тий прем'єр-міністр Японії. 

高支持率で調子にのった小泉は、「新世代維新」や「改革断行内閣」、はては「政権交代のようなもの」と、自らの内閣を自画自賛している。また首相に就くと同時に首相公選論をテコにした改憲をブチあげている。断末魔の自民党は、「調整型」の総理から、「アジテーター型」への転換によって生き延びようとしている。

藪から棒の首相公選論が、国民から支持されている理由は、デタラメだった前首相がちっとも退任に追い込まれなかった苛立ちからで、本気で考えているわけではない。

*수상 직선제(首相直選制) 또는 총리 직선제(總理直選制)는 수상(총리)을 선거권이 있는 국민들의 직접 선거로 뽑는 제도를 말한다.

忘れてはならないのは、ほとんどの人たちをイライラさせた首相をささえていたのは、ほかならぬ小泉だったことだ。森派会長として忠義を尽くし、森がどんなに批判されても国民に敵対して森政権をささえつづけた。バカをささえて自分の人気取りに利用するなど、国民を愚弄するにもほどがある。

まちがっては困るのは、小泉を支持する投票をしたのは国民ではなく、自民党員である。いわば特権内閣の選挙で選ばれたのだ。くたばれー自民党の党員たちは、7月の参院選挙で負けると利権構造が解体される、という危機感から、「改革断行」を強調する小泉を支持したにすぎない。

だいたい、小泉の語る「改革」は、歴史を逆行する改悪でしかない。彼が総裁選挙中からわめいていた靖国神社の公式参拝など、戦前回帰そのものである。靖国神社は、軍国主義の象徴であるばかりではない。政教分離を定めた憲法20条に違憲するとして、公式参拝がつねに問題になっていた場所である。

*Euskaraバスク語→Yasukuni santutegia (japonieraz: 靖国神社 Yasukuni Jinja?) Tokioko santutegi xintoista bat da, Chiyoda auzoan kokaturik dagoena. Japoniaren alde bizitza eman dutenei dedikaturiko tenplua da.

*政教分離(英語:separation of church and state),指的是國家政府權力(凱撒即世俗王權)與宗教機構權力(基督即教會)的分割。

それを彼は、「日本の発展は貴い命の犠牲の上に成り立っている。戦没者慰霊祭の日に、そういう純粋な気持ちを参拝であらわすのは当然ではないか」と、新総裁会見でいい放った。「(公式参拝は)違憲の疑いを否定できない」との80年の政府統一見解をうち捨て、憲法違反を承知で参拝しようとしている。

首相公選論、あるいは靖国参拝強行で思いつくのは、中曽根康弘「大勲位」である。彼も若いときから首相公選を唱え、首相になってから靖国に公式参拝し、世論から批判されたことがある。この中曽根と森と石原慎太郎、いわば自民党右派勢力の議論が、小泉の総裁選に大きな影響をあたえたことを忘れてはいけない。

*Idoイド語→Yasuhiro Nakasone中曽根康弘 (群馬県出身n. 27 di mayo 1918 - 29 di novembro 2019) militisto e politikisto, esis chefministro di Japonia de 1982 til 1987.

*Nederlandsオランダ語→Shintaro Ishihara (石原 慎太郎, Ishihara Shintarō(兵庫県出身); Kobe, 30 september 1932-) is een Japans auteur, acteur en politicus. In 1955 oogstte hij als auteur een gigantisch succes met zijn bestseller Taiyō no kisetsu (太陽の季節, ‘het jaargetijde van de zon’) waarvoor hij de prestigieuze Akutagawaprijs[1] in ontvangst mocht nemen. In 1968 stapte Ishihara in de politiek en stelde zich kandidaat als parlementslid voor de Liberaal-Democratische Partij van Japan (LDP). In de periode 1999- 2011 was Shintaro Ishihara gouverneur van de prefectuur Tokio.

森は、青木幹雄、野中広務、村上正邦、亀井静香など、自身もふくめた5人組によって首相に収まった。小泉の場合も、おなじような密談が都内の料亭でおこなわれた。

*Españolスペイン語→Mikio Aoki (青木幹雄(島根県出身) Aoki Mikio?, 8 de junio de 1934 –) fue un político japonés. Fue Secretario Jefe del Gabinete en el gabinete de Keizō Obuchi y es el actual Secretario General del Partido Liberal Democrático de Japón en la Cámara de Diputados Locales de Japón. Estudió en la Universidad de Waseda, pero no se graduó.

*노나카 히로무(일본어: 野中廣務(京都府出身), 1925년 10월 20일 ~ 2018년 1월 26일)는 일본의 정치인으로, 전 자유민주당 소속 중의원 의원, 전 관방장관이다. 헤이안 조가쿠인 대학의 강사 직을 맡은 경력이 있다.

*村上正邦(日语:村上 正邦/むらかみ まさくに Murakami Masakuni,1932年8月21日-2020年9月10日),日本政治家。福岡縣田川郡添田町出身。毕业于拓殖大学政经学部。曾4次當選參議院議員。

*Shizuka Kamei (亀井 静香(広島県出身), Kamei Shizuka, born 1 November 1936) is a former Japanese politician and a former chairman of the Parliamentary League for the Abolition of the Death Penalty.[1][2][3]

『朝日新聞』4月25日号によれば、「橋本君はかわいくない」と中曽根は森に語ったそうである。つまり小泉政権は中曽根にかわいがられた「中曽根稚児政権」といってもよい。

こうして小泉は、「右翼片肺内閣」をつくりあげた。

防衛庁長官に起用された防衛大学校出身の中谷元は、憲法改悪論者である。政調会長の麻生太郎は、総裁選で9条書き換えを言明してた。自民党幹事長の山崎拓などは、いまや公然と憲法改悪をブチあげ、「改憲して集団的自衛権を行使すべきだ」などとほざいている。小泉だって負けてはいない。

*Eestiエストニア語→Gen Nakatani (jaapani keeles 中谷 元(高知県出身); sündinud 17. oktoobril 1957 Kōchis) on Jaapani poliitik, ta on Liberaaldemokraatliku Partei liige. Ta oli 24. detsembrist 2014 kuni 3. augustini 2016 Jaapani kaitseminister.

*Latviešuラトビア語→Taro Aso (japāņu: 麻生 太郎(福岡県出身), Asō Tarō; dzimis 1940. gada 20. septembrī) ir japāņu politiķis, pašreizējais valsts finanšu ministrs un premjerministra vietnieks. Laikā no 2008. gada septembra līdz 2009. gada septembrim bijis Japānas premjerministrs. Japānas Liberāli demokrātiskās partijas biedrs.

*Deutschドイツ語→Taku Yamasaki (jap. 山﨑 拓(中国(満州)大連生まれ・福岡県出身) Yamasaki Taku; * 11. Dezember 1936 in Dalian, Kaiserreich Japan/Mandschukuo (heute: Volksrepublik China)) ist ein japanischer Politiker der Liberaldemokratischen Partei (LDP) und ehemaliger Bauminister. Innerhalb der Partei führte er die Yamasaki-Faktion (derzeit Ishihara-Faktion genannt) mit derzeit 13 Mitgliedern im Unterhaus und einem im Oberhaus. Im Jahr 2015 war er Spitzenberater der Fraktion.[1]

「集団的自衛権はあるが行使できないというのが今までの解釈だ。私は憲法改正が望ましいという考えを持っている。国益に一番大事なのは、日米の友好だ。日本近海で共同活動している米軍が攻撃を受けたとき、日本が何もしないことができるのか。すぐに憲法解釈を変えろということではないが、あらゆる事態を研究する必要がある」

「「憲法はこうすれば改正できる」と国民に理解されやすいのが首相公選制だ。ほかの条文は一切いじられない。具体的な改正で、改正手続きも鮮明になる」(『朝日新聞』4月28日)

首相就任するやいなや、憲法改憲を公言したのは小泉が最初であった。しかも集団的自衛権の行使、つまり米国と一緒に戦争すると公言したのである。首相公選制などネズミ取りの毒まんじゅうである。


この女性入閣でなにが変わる?
このように危険な内閣の登場を、マスコミはさっぱり批判せず、バンザイ報道するのは犯罪的だ。なんとか不況を脱してほしいという庶民の期待を小泉にむけさせ、担ぎ上げている。目くらまし報道だ。
組閣当時、『毎日新聞』は一面に大きく女性閣僚5人の写真を入れて、小泉内閣の登場を祝った。女性が入閣したのは評価すべきではあっても、まるで奉祝新聞だった。
国土交通大臣の扇千景は、いわずと知れた改憲論者。法務大臣の森山真弓は、労働省の官僚出身、死刑執行について、「法秩序の維持が必要な場合はやむを得ない」と言明した死刑断行派。文部科学大臣の遠山敦子は文化庁長官だった人物で、教育基本法の改革路線をつづけるという。環境の川口順子大臣は、旧通産省の審議官で環境破壊を推進してきた官庁の幹部である。田中真紀子は、いわば小泉人気の生みの母でもある。
*Españolスペイン語→Chikage Ōgi (en kanji: 扇 千景(兵庫県出身), en Hiragana: おおぎ ちかげ) (Kōbe, 10 de mayo de 1933) fue una actriz y política japonesa.
*모리야마 마유미(森山 眞弓(東京都出身), 1927년 11월 7일 ~)는 일본의 자유민주당 소속 정치인으로, 전 중의원 의원이다.
*Portuguêsポルトガル語→Toyama Atsuko (遠山 敦子(三重県出身) Kuwana, 10 de dezembro de 1938) é uma política japonesa e ex-burocrata do Ministério da Educação, Cultura, Desporto, Ciência e Tecnologia do Japão.
*Bahasa Indonesiaインドネシア語→Yoriko Kawaguchi (川口 順子(東京都出身) Kawaguchi Yoriko, kelahiran 14 Januari 1941) adalah seorang politikus Jepang. Lahir di Tokyo, ia memegang gelar sarjana dalam bidang hubungan internasional dari Universitas Tokyo, dan gelar Master Filsafat dalam bidang ekonomi dari Universitas Yale
*다나카 마키코(일본어: 田中眞紀子(東京都出身), 1944년 1월 14일 ~ )는 일본의 민주당 중의원 의원으로, 도쿄도 분쿄구 출신이다.

5人の女性が閣僚に選ばれたのはいい。しかし、これでなにが変わるのだろうか。
おなじ『毎日新聞』でも、5月11日の記事は目を見張るほどで、「「改憲内閣」の様相、小泉首相 9条に踏みこむ」と見出しを掲げた。大新聞にしてはめずらしく代表質問の本質をズバリと突いた記事であった。
『朝日新聞』などとくらべても、きわめて明確な紙面づくりだといえる。さらに「小泉首相の改憲発言の変遷」という欄までつくり、彼の危険な思想をあきらかにした。
小泉首相は、9条および前文の削除をターゲットにしている。憲法改正手続きの簡略化も、自民党内で企てられている。かつては石原慎太郎が唱えていたが、いまは幹事長の山崎拓などが「憲法改正を発議する要件としての国会議員の3分の2以上の賛成を、過半数の賛成に緩和すべき」などと発言している。
こうした内閣が、どうして80パーセント以上の拍手によって迎えられるのか。人気に迎合し、危険性を指摘できないマスコミの怯惰は、歴史に禍根を残す。

自民党が突出した異常な状態にありながら、最大野党の民主党は対決姿勢を明確にしていない。民主党自身内部に改憲論者を抱えているからである。鳩山由紀夫代表からして、改憲論者であり、幹事長の菅直人も「改正議論をタブー視はしない。国民的な合意が得られる課題から改正していくというのはひとつのやり方で、9条改正の突破口になるから反対という意見にもくみしない。憲法を自分の力で変えられるかどうかは、日本の民主主義の強さが試される問題だと思うからです」と『朝日新聞』(5月14日)のインタビューに答えている。
*Esperantoエスペラント語→HATOYAMA Yukio (東京都出身en Hepburn-Transskribo), (鳩山由紀夫 [hatojama jukio]) (naskiĝinta la 11-an de februaro 1947 en Bunkjo-kvartalo, Tokio, Japanio) estas Japana politikisto, estro de Demokrata Partio de Japanio(DPJ), 93-a Ĉefministro de Japanio.
*Latinaラテン語→Kan Naoto sive litteris Iaponicis 菅 直人 (山口県出身natus in Ube praefecturae Yamaguchi die 10 Octobris 1946), alumnus Instituti Technologiae Tokiensis, physicus et causidicus, est rerum politicarum peritus qui fuit Iaponiae primus minister a die 8 Iunii 2010 usque ad diem 2 Septembris 2011.
「柔軟」な姿勢での対応とは、党内世論の反映である。自民党のように、政策抜きの野合集団でしかない民主党の弱点が、憲法問題に極端な形であらわれている。

弱肉強食政権が日本を失業者だらけに
首相に就任して以来、小泉が強調しているのが、「構造改革」である。「構造改革なくして景気回復なし」という発言を、なんどとなく繰り返している。では、景気回復の目玉である経済改革とは、どんなものか。
「構造改革を実施する過程で、非効率な部分の淘汰が生じ、社会のなかに痛みを伴う事態が生じることもあります」
この発言は、小泉の所信表明演説で語られたものだ。読めばわかるとおり、彼の経済改革は弱者の切り捨ての論理であり、強者にくみしたグローバリゼーションへのシフトを明確にしている。つまり大企業バンザイ主義である。いかに大企業の暴走をチェックして、国民の生活を安定させていくかという視点を、まったく欠いている。
さらに驚くべきことには、終身雇用制の抜本的見直しを厚生労働省に指示している。
①2・3年の期限付き雇用の対象拡大 ②解雇ルールの明確化
これらの方針は、生涯雇用を中心にした雇用制度を抜本的に変えてしまう。2~3年の雇用形態がひろがるということは、2~3年でクビにされるのが前提の、いわば「一億総臨時工」となる。解雇が全面的に進められていくことになる。彼の経済価格の本質は、ここに見事にあらわれている。こんな政策で景気が復活するはずもない。
最近の欧州の政策は、いかに雇用をつくのかが重要視されている。ドイツやフランスなどで雇用が急速に改善してきているのは、ワークシェアリング、つまり仕事の分かちあいによるものだ。
フランスでは、週35時間労働制となり、法定労働時間はさらに週4時間も減らされた。ドイツでも長期失業者の再雇用プログラムが実施され、あらたに雇用された労働者の賃金の半分は、地元の労働局が補助する政策をとっている。
労働時間を短縮し、その分だけ雇用をふやす、あるいは失業者を公的な仕事によって救う。こうした先進国の分かちあい政策と逆に、小泉の解雇政策は失業者を増大させていくだけだ。
また、彼が断行しようとしている不良債権の最終処理にも、多くの危険がある。都市銀行などが抱えている不良債権を処理するために、融資先の企業を整理すれば、ゼネコンなどの倒産が急激に進む。一説には、建設業だけで50万人以上の失業者が生まれるという。このように弱肉強食の改革が、国民の生活にプラスになることはありえない。
*ゼネコンGeneral contractor は、元請負者として各種の土木・建築工事を一式で発注者から直接請負い、工事全体のとりまとめを行う建設業者を指す。日本語では総合工事業(者)(そうごうこうじぎょう(しゃ))[1][2]、総合建設業(者)(そうごうけんせつぎょう(しゃ))に該当する。
今回の組閣で経済財政政策担当大臣となった竹中平蔵は、ソフトムードで人気も高い。しかし、もともと森内閣の経済担当顧問として働いていた「教授」であり、現実についてはなにも知らない。金持ち優遇政策も変わらない。ソフトイメージとは裏腹に、極端な弱肉強食主義者である竹中は、労働者をどん底に突き落とすだろう。

*다케나카 헤이조(일본어: 竹中 平蔵(和歌山県出身) 타케나카 헤이조[*], 1951년 3월 3일 ~)는 일본의 경제학자이자 전직 정치인이다. 게이오기주쿠 대학 글로벌 시큐러티 연구소 (グローバルセキュリティ) 소장, 대학원 미디어 디자인 연구과 교수·종합 정책 학부 교수, 주식회사 파소나 그룹 (株式会社パソナグループ) 이사회장, 아카데미 힐즈 (アカデミーヒルズ) 이사장을 맡고 있다.
小泉政権が掲げる前近代的な政策が「構造改革」という名によってもちあげられているのは、マスコミの犯罪行為である。

内閣誕生当初のご祝儀記事はいつもの例だが、そろそろ小泉内閣の問題点を書かなければ、ジャーナリズムなど存在理由はない。

長くなったが、以上である。掲載からすでに3年以上たったが、このときの指摘のどこかがまちがっていただろうか。これとおなじ趣旨の文章は、「赤頭巾ちゃん気をつけて」として『週刊女性』(2001年5月22日)に発表した。なお、その1ヶ月前、同誌には、戦争は防げないことか、を発表『こんな国いらない!』(七ツ森書館刊)に収録)している。
愚鈍の森から欺瞞の小泉へ、この「『アジテーター型』への転換」は、当初はわかりやすい政治姿勢と評価されたが、いまでは「ワンフレーズ・ポリティックス」と底の浅さを見抜かれている。「森派会長」として、じつは派閥政治家であるといった彼の本質は、「脱派閥」をいいながら、選んだ閣僚は森派を中心としており、また副大臣以下は派閥の順送りを認めていることで、バケの皮がはがれた。
「7月の参院選挙で負けると利権構造が解体される」から、という自民党の読みはズバリと当り、選挙は過半数を超える勝利に終わり、彼の公約とは正反対の政官業の利権代表者を多く国会に送り込むと同時に、頭目の青木幹雄参議院幹事長を味方につけた。
公約としてあげた「靖国神社の公式参拝」は、01年は8月13日に、02年には4月21日の春の例大祭中に、03年には1月14日に、04年は元旦と、当初豪語していた「敗戦記念日」を避けて参拝し、その点を参議院予算委員会で民主党の菅直人代表に「公約違反」と指摘されると、「この程度の約束を守れなかったことはたいしたことではない」と暴言を吐く始末だ。
だったら参拝しなければいいのに韓国や中国といった近隣諸国から批判されるなど、どこからみても姑息な理も利もない行動をつづけている。

「憲法改正が望ましい」という自身の考えを、「現実の政治課題に乗せる気はない」などといいながら、総裁選が迫った03年8月には、ついに自民党の結党50周年を迎える05年11月にむけて、改正案策定を検討する考えを記者団にしめした。そのホンネは憲法違反ともいえる、テロ特措法やイラク特措法を成立させたことですでに明白である。
小泉内閣が誕生した年の9月11日、米国同時多発テロが発生、それに端を発する米国の単独行動主義に、彼はなんの考えもなくいちはやく追随し、「米国と一緒に戦争すると公言」している。
「女性入閣でなにが変わる」と指摘した5人の閣僚は、予想どおりなにも変えないばかりか、悪い方向へ導いた。「小泉人気の生みの母」だった田中真紀子外相は秘書給与疑惑で辞職し、扇千景国土交通大臣は日本道路公団の藤井治芳総裁をかばうなどゼネコン官庁のスピーカーに徹し、環境大臣から転じた川口順子外相は、米国がイラクを攻撃した場合に、対米支援とする根拠を質問されて、具体的な回答を避けるなど当事者能力がまったく欠如している。
死刑を断行しつづける森山真弓法相は、一方で名古屋刑務所の処遇の不満を法相に直接訴える「情願制度」が骨抜きにされて、死者まで発生していた事実が明るみになったにもかかわらず、事態を取り繕うばかり。遠山敦子文部科学大臣は、国立大学の法人化で大学の自治をないがしろにする一方で、文科官僚の天下り先をひろげた。
このうち03年9月に第二次改造で扇、森山、遠山は外れ、かわりに小池百合子環境大臣と小野清子国家公安委員長が登場した。しかし、サシミのツマ大臣では、「これでなにが変わるのだろうか」の疑問は強まるばかりだ。

العربيةアラブ語→يوريكو كويكي (باليابانية: 小池百合子(兵庫県出身)) (مواليد 15 يوليو 1952 في هيوغو)، هي سياسية يابانية وعضو في مجلس النواب الياباني من 1993 حتى 2016. شغلت منصب وزير الدفاع في اليابان لمدة شهرين من يوليو 2007 حتى أغسطس 2007. في 1 أغسطس 2016 أصبحت عمدة العاصمة طوكيو، وهي تعتبر أول امرأة شغلت هذا المنصب.
Italianoイタリア語→Kiyoko Ono (小野 清子 (Ono Kiyoko宮城県出身); Iwanuma, 4 febbraio 1936 – 13 marzo 2021[1]) è stata una ginnasta giapponese. È morta nel marzo del 2021 per complicazioni da Covid-19. [2]
「経済改革は弱者切り捨ての論理」「小泉の解雇政策は失業者を増大させていくだけ」「極端な弱肉強食主義者である竹中(平蔵)は、労働者をどん底に突き落とすだろう」に関してはもはや多くを述べる必要はない。小泉内閣発足時に4・8%だった失業率は5・4%にまで上昇し、倒産件数も経済苦による自殺者も史上最悪をばく進中である。
この内閣の危険性と限界をわたしは、最初から指摘し、警鐘を鳴らしつづけてきた。が、残念ながら、歯止めはかからず、ついには、米軍の要請に応じて、自衛隊を戦場へ派兵するまでの、悪夢のような時代を招いた。それでも国民は小泉戦犯内閣に、いまだ40%以上の支持をあたえている。ジャーナリズムの無力感が、この退廃をつくりだしている。
この本は、わたしが呼吸し、ものを考え、人間として成長してきた、戦後のプロセスを全否定する、戦後史上最悪内閣の権力と世相にたいするノンの声の集成である。

第1章
軽い言葉と軽はずみな行動が重大事を決める新型恐怖政治 
政治は言葉である。ところが「ワンフレーズ」が売り物の小泉純一郎首相になってから、政治家のやることなすことが軽くなった。軽い言葉と軽はずみな行動が、何年、何十年もかけて議論してきた重大事をあっさりと片づけていく。あるのは無意味、意味不明、こじつけ、すり替え、幼児性、思いつき、無批評、露骨な差別、場当たり主義、大時代主義、虚言空疎、独善的、空騒ぎ、非情冷酷、裏切り、八方美人のたぐい。この章の小見出しに抜き出したその手の言葉をみると、こんなヤツらに生命と財産を委ねているかとゾッとする。

お気軽純ちゃんの迷言・珍行動
米軍加担の戦争で「国際社会で名誉ある地位を占める」
小泉政権になってから、数多くの政治家が暴言を吐き、失態を犯しては退場したり居座ったりした。首相自身が歪曲やすり替えでその場をごまかす名人だ。かつての政治家もほめられたものではなかったが、小泉政権の「軽さ」は歴史的だといえる。それがどれだけの損失をあたえているのかを検証していく。
2001年9月の同時多発テロにたいして米国を全面的に支持する姿勢を小泉首相は即座に表明した。しかし彼の頭のなかに、日本の平和憲法が存在しているのかどうかははななだ疑問だ。事件の翌日、福田康夫官房長官が「日本は日本の憲法の範囲のなかで、でき得ることは最大限やる」とあらためて憲法を強調したが、米国がどんな作戦をとるのかがはっきりしないうちから、「全面的」などというのは、軽率のそしりを免れない。
Malagasyマダガスカル語→Yasuo Fukuda福田康夫(東京都出身) dia mpanao politika mizaka ny zom-pirenen'i Japana teraka ny 16 Jolay 1936

米国の国際政策そのものが生みだした、ともいえるテロにたいして、日本の首相はなんの見識もしめさず、ただブッシュの「戦争だ」という叫びに「そうだ」と大向こうから声をかけただけ。この無責任な軽薄さは、国を誤った方向に導く。
*ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(英語:En-us-George Walker Bush.ogg George Walker Bush、1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。同国第43代大統領(在任: 2001年1月20日 - 2009年1月20日)、第46代テキサス州知事(在任: 1995年1月17日 - 2000年12月21日)。
日本国憲法は、「「国際紛争」を解決する手段として」の武力の放棄を高らかに宣言している。03年12月9日の記者会見において小泉首相は、「(イラクに行かないことは)本当に国際社会の中で名誉ある地位を占めたいという憲法の理念にかなうんでしょうか」などと、憲法前文を引用した。
*Norsk bokmålノルウェー語→Japans grunnlov (japansk: 日本国憲法, Nihon-Koku Kenpō) er det fundamentale lovverk som bestemmer konstitusjonen og den politiske styringen av Japan. Den ble innført den 3. mai 1947 som ny lov for etterkrigstidens Japan. Den japanske grunnloven innførte et parlamentarisk system for regjeringen og garanterte bestemte grunnleggende rettigheter for borgerne. Den fastslo at Japans keiser er «symbolet på staten og folkets enighet» og utøver kun seremoniell rolle uten besittelse av riket.
しかし、憲法は非武装主義を堅持することによって「名誉ある地位を占め」ると宣言しているのであって、ほかの国の戦争に加担することが「名誉」になると書いているわけではない。
テロ発生直後から政府内では後方支援の法を整備するなどと騒ぎ、憲法の枠組みを超えようとした。しかし、国際的な名誉を考えるなら、日本にできることとできないことを具体的に提案していくべきであった。混乱に乗じて、主権を抑圧する有事体制の整備までした政府にたいして強く批判すべきだった。
*日本有事法制,即其行軍禦敵所恃。所謂有事,指他邦嘬兵侵攻。
そもそも日本政府がしめした「戦争はしない。しかしテロリズムとは戦う」という論理は奇妙である。米国は同時多発テロを「戦争状態だ」と表現し、首謀者とその保護国に圧倒的な攻撃を加えた。

この攻撃に加担する日本は、戦争参加ではないと強調した。テロリズム根絶への戦いに参加したという名目が、既成事実として、これから戦争への協力にエスカレートしていくことをわたしは恐れたが、心配したとおりになった。
米国がアフガニスタンへの攻撃方法をあきらかにしていない時点で、すでに「支援」を検討したのも無茶苦茶であった。地上戦の可能性はすくなくないのに陸上自衛隊を派遣した場合、「後方」という名目はなんの意味ももたなくなる。武力で圧倒的に劣るタリバーンは、地形を利用しゲリラ的な戦法を選択してくると容易に予測された。
そうした状態で、どこが「前方」でどこが「後方」になるのか。運搬や補給の業務は、完全に戦闘状態に巻き込まれる。どこが戦場になるのかわからないという場所に、自衛隊を派遣するのは、すでにPKFの発動とおなじことであり、日本国憲法の枠内では考えられない集団的自衛権の発動であった。
*ターリバーン(パシュトー語: طالبان、Tālibān、英語: Taliban)は、パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義組織。日本語メディアでは通常タリバン(またはタリバーン)と表記される。
유엔 평화유지군(UN -) 또는 국제 연합 평화유지군 (國際聯合平和維持軍, United Nations Peacekeeping Force)

日米首脳会談は「ポスター」贈呈と「キャッチボール」
それにしても同時多発テロ後の日米首脳会談での小泉はおソマツだった。ブッシュ大統領との会談で映画『真昼の決闘』のポスターを恭して頂き、どうやら「世界の保安官」ブッシュに、助手として採用され、保安官バッチをもらって悦にいったようだ。

*『真昼の決闘』(まひるのけっとう、原題: High Noon)は、1952年製作のアメリカ映画。フレッド・ジンネマン監督による西部劇映画である。保安官が自分1人で殺し屋4人と立ち向かわざるを得ないという内容で、ジョン・W・カニンガム(John W. Cunningham)の小説『ブリキの星』(The Tin Star)に基づく。
揚げ句の果てに、国会にもはからず自衛隊の派遣までアピールしてきた。日本を戦争に巻き込む、とんでもない軽挙妄動だった。
米国への迎合はいじめられないための防衛策、と考えたにしても、憲法の規定に従えば国際紛争は、粘り強い外交勢力によって解決していくのが国是である。独立した国の首相なら、自国の立場を主張するしかない。しかし小泉には、そういう国際的な役割など念頭になく、ブッシュにシッポを振るだけで帰ってきた。
日本の首相が、訪問先の大統領と会って、キャッチボールの相手をしてもらい、保安官のポスターをもらって帰ってきた。一国の首相の挙動としては哀れすぎるが、それを止めた側近はいない。[米国追従」は国益と考えられているからだ。しかし戦争がどうして国益なのか。ほかの国の民衆を殺すのを、どうして支持できるのか。それが経済利益になるからだ、としたなら、経済的な利益のために、人間は人間を殺してもいいのか、というしかない。
02年2月、こんどはブッシュが日本にやってきたが小泉の態度は変わらない。ブッシュと小泉は「善の枢軸」、イラン、イラク、北朝鮮は「悪の枢軸」という単純明快な論理で、2人は盛り上がった。
ブッシュは同時多発テロ以降、「味方でなければ敵、敵は殺せ」と叫びつづけていた。ネイティブ・アメリカンを大量虐殺した西部劇の論理を、国際政治に当てはめたものだ。小泉も西部劇ファンだそうだが、彼らの単純な善の論理が、アフガニスタンで大量の難民を発生させ、寒さのなかで大量の飢え死にと病死を招いていることを、わたしは絶対に忘れない。

ブッシュの腰巾着ともいえる小泉は、大統領が明治神宮で参拝している間、おとなしく外で待っていた。その姿は、まるで太刀持ちのようだった。
*Latinaラテン語→Templum Meiji (Iaponice:明治神宮 Meiji-jingū) est templum Shintonis in Shibuya-ku Tokio stat quod dedicatum pro spiritu Imperatoris Meiji et Imperatoricis Shōken, uxor sui, die 1 Novembris anno 1920 constitutum est. Feria maxia die 3 Novembris datur.[1]
2月18日の日米首脳会談でも、ブッシュは「テロとの戦いはこれからもつづく、緊密に協議、協力したい」と発言した。これはイラク攻撃を念頭においた発言とも報道された。あらたな悲劇を生みだすことが確実なブッシュの暴走を止めるためにも、小泉も一言ぐらいは、「NO」といったらどうだ。平和憲法をもつ日本が、テロ防止という名目の戦争に加担することなどできないはずだ。地獄へのメルトダウン(炉心溶融)は本格化した。
北朝鮮にたいしてはゴーマンすぎる対応をみせる日本政府も、一転、米国政府にたいしてはシッポを振りつづけるチンだ。米国のアフガニスタン攻撃に追随してブレア英首相は、自分はブッシュのプードルではない、と弁明したそうだが、小泉首相は、そのブレアに、「あなたは「ブッシュ大統領のプードル犬」と言われているが、私は大統領の前でしっぽをちぎれるくらい振っている、と言われる」と激励した、という(『朝日新聞』03年8月11日)。
*アントニー・チャールズ・リントン・ブレア(英語:Anthony Charles Lynton Blair、1953年5月6日 - )[1]、通称はトニー・ブレア(Tony Blair)は、イギリスの政治家、弁護士。

武力行使は「その場の雰囲気で」
03年のイラク戦争でも小泉は、イラクが大量破壊兵器をもっているという米国のプロパガンダに同調してさかんにチョウチンをもち、ついに自衛隊を応援に派兵して、侵略戦争に加担した。
*대량살상무기(大量殺傷武器, 문화어: 대량살륙무기(大量殺戮武器), 영어: Weapons of Mass Destruction, WMD) 또는 대량파괴무기(大量破壞武器)는 인간을 대량 살상할 수 있는 무기를 말한다. 구체적으로는 생물 무기, 화학 무기, 핵무기, 방사능 무기의 4종류를 가리키며, 핵무기를 방사능 무기에 포함하여 화학·생물·방사선 무기(化學·生物·放射線 武器) 또는 화생방 무기(化生放 武器)로 부르기도 한다. 이들은 영문 약자로 'ABC 무기', 'NBC 무기', 'NBCR 무기', 'CBR 무기' 등으로 표시한다.
大量破壊兵器がイラク国内にあるか疑問視されていたにもかかわらず、国際的に孤立していたブッシュをささえるため、さかんにおベンチャラをいいつづけ、米国がイラクに最後通告を発表する以前から、「その場の雰囲気で」などと支持を表明していた。「雰囲気で」大量殺戮に賛成する彼の無思想、無定見、無責任は万死に値する。
同年10月中旬、ブッシュ大統領が来日し、小泉首相と会談した。米日ファッション化の象徴ともいえる会談で、ブッシュはイラク攻撃の後始末のカネを事実上日本に請求した。小泉はブッシュとの「盟友ぶり」をアピールし、多額のお土産をもたせることにした。
外務省高官は数十億ドル規模になると予想していたようだが、米国の当面の復興コストは500億ドルとも750億ドルともいわれる。今後の現地の混乱状況を考えれば、外務省の計算どおりにはいかないだろう。
自衛隊をイラクに派兵するための経費が、総額で数百億円と見積もられている。「ドロボウに追い銭」である。まじめに働いている人びとからは税金をふんだくり、その血税を侵略につぎ込んで危険にさらす。許されることではない。
派兵にともなう備品は、年内の派兵に間に合うよう防衛予算を使っての購入をはじめた。イラク派兵をまだ国会が認めていない状況での暴挙である。この国はシビリアンコントロールさえ外れてしまっている。
さらに石破茂防衛庁長官は、03年11月14日に来日したラムズフェルド米国防長官にたいして、自衛隊の早期派遣を表明した。憲法を無視して、自国民の生命を危険にさらし、なお平然としている「軍事オタク」は、辞任させるべきだ。
*石破 茂(日语:石破 茂/いしば しげる (鳥取県出身)Ishiba Shigeru,1957年2月4日-),日本政治人物,歷任防衛廳長官、防衛大臣、農林水產大臣、自民黨幹事長、內閣府特命擔當大臣(國家戰略特別區域、地方創生擔當)等職。父親為前建設事務次官及鳥取縣知事石破二朗。
*ドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(英語: Donald Henry Rumsfeld、1932年7月9日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。ジェラルド・R・フォード政権にて第6代大統領首席補佐官、国防長官、ランド研究所会長を歴任した。ジェラルド・R・フォード、ジョージ・W・ブッシュ政権にて国防長官をそれぞれ務めた。アメリカ新世紀プロジェクトのメンバーでもあり、イラク戦争ではジョージ・W・ブッシュ政権内で終始強硬な攻撃論を主張した。

イラク戦争にかんして、日本の米軍基地が大きな役割をはたしていたことも忘れてはいけない。ラムズフェルドは、さっそく沖縄を訪問し米軍基地で兵士を激励した。米軍の世界侵略に、沖縄の米軍基地がどれほど大きな役割を担っているかが透けてみえる。
基地の縮小を訴える稲嶺恵一沖縄県知事との対話では、ラムズフェルドは基地縮小の具体策にはなんら言及しなかった。それどころか騒音問題はむしろ減少していると反論し、米軍基地がもたらす「被害」を訴える知事に、露骨な不快感をしめしたと報道されている。これまた軽くみられたものだ。
*Françaisフランス語→Keiichi Inamine (稲嶺 惠一, Inamine Keiichi?) est un homme politique japonais né le 14 octobre 1933. Il exerce comme gouverneur de la préfecture d'Okinawa de 1998 à 2006.
日本国内には失業者があふれ、不況、倒産、過労による自殺がふえている。そうしたなか、米国の無謀で勝手放題のツケを負担するなど、まるで属国の政府だ。将来の展望を欠いた政治が、日本両国によって進められている。小泉は歴史の裁きを受けるだろう。

核保有も「どうってことない」
02年5月、「政府首脳」こと福田康夫官房長官が「(核を)持つべきだ」という問題発言をした。安倍晋三官房副長官の「憲法上は原子爆弾だって問題はない」との発言を受けたものである(114ページ参照)。ところが小泉は「あれどうってことないよ」などとノー天気な反応だった。首相自身がこの程度なのだ。
*Interlingueインターリング語→Shinzō Abe安倍晋三(東京都出身) es un politico de Japan. Il nascet li 21-im de septembre 1954 in Nagato in li prefectura Yamaguchi(本籍山口県) e esset inter li li 26-im de decembre 2012 e li 16-im de septembre li prim-ministre de Japan. Abe esset anc li presidente del Liberal-Democratic Partise.
この口先宰相は、「どうってことない」とたかをくくりつづけて60年以上生きてきた人間だが、これではまるで、首相と正副官房長官が、核武装のアドバルーンを上げたのとおなじことである。
だいたい官房副長官から首相にいたるまで、これだけの暴言を吐きながら、「正常」に政治運営をつづけている。野党は完全にナメられている。
いまさらいうまでもなく、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則は、被爆国である日本の民衆の悲願である。いまだ、年になん人もの被爆者が死んでいく。そんな悲劇を繰り返したくない、という強い思いが結実したのが、非核三原則だった。
Deutschドイツ語→Bei den Drei nicht-nuklearen Prinzipien (jap. 非核三原則, Hikaku San Gensoku) handelt es sich um einen Beschluss des japanischen Parlaments. Durch diesen wird die japanische Nuklearpolitik seit dessen Verabschiedung im Jahr 1971 entscheidend beeinflusst. Der Beschluss wurde bisher jedoch nicht in ein Gesetz übertragen.
それを無視して、「日本も核保有が可能」と「政府首脳」がいいきっている。戦争にたいする当時の責任者たちの反省が、いかに不徹底だったかがよくわかる。
福田・安倍・小泉ら2世・3世議員の政治姿勢は、幼稚園児クラスといってまちがいない。
「売り家と唐様で書く三代目」。江戸時代の川柳のように、小泉家が三代目の無能によって倒産するのはかまわない。しかし三代目の無責任によって、日本は世界から見放されようとしている。
小泉の底上げ人気は暴落したり持ち直したりしている。彼が田中真紀子外相を切ったときには支持率が急落した。女性ファンから愛想をつかされたことによっている。真紀子人気によって自分の人気が維持されていたことを忘れて、自分の人気とカンちがいしたのだ。

英霊も戸惑う「靖国死守」のための擬態

01年2日の前倒しを大層に「自らの決断」

小泉首相が当初から靖国神社の公式参拝を公約していたことは「序章」で指摘したとおりである。01年8月13日に参拝したニュースを、わたしはカナダからカムチャッカにむかうピースボート船上で聞いた。

その時点で「参拝した」という以上のニュースははいっていなかったので、国内で反響がどうなっているのかもわからなかった。が、わたしは野球のテレビ中継で、二塁に盗塁成功して、ベースの上でキイキイ踊り上がっているサルの次郎の姿を想像していた。

敗戦記念日の8月15日を回避して、13日の奇襲攻撃をする作戦で、彼はしてやったりと思っていたかもしれない。しょせんサル知恵なんだ。

小泉は談話を発表し、「平和への誓い」のための8月15日参拝だから、「十分説明すれば」「近隣諸国」に「理解を得られる」と考えていたが、15日がちかづくにつれて「国外からも、参拝自体の中止を求める声があり」「状況を真摯に受け止め」「私自らの決断として」15日の参拝を避けたという。

じつにおかしな話だ。「中止を求める声」は、「理解を得られ」ていないから起こるわけで、参拝しない以外の「決断」などありえない。

そもそも靖国神社など、壮大なフィクションでしかない。中国で、東南アジアで、太平洋上の島々で、無残に死亡した兵士たちが、どのようにして一度もいったことのない東京・九段の坂まででたどり着くのか、わたしにはそれが理解できない。「靖国で会おう」といいかわす兵士たちがいたという。だからそれぞれ伝書鳩のような感覚をもっていたのかもしれない。が、地方からまっすぐに戦場に引っ張られていった兵士たちは、九段がどこにあるのか知らなかったはずだ。

たしかに、死亡が確認されると、「祭神簿」に氏名、等級などが記載されるとしても、それはかなりあとのことだから、霊魂はそれまで宙にさまよっている。

困るのは「水漬く屍」や野ざらしになった兵士たちで、戦後、数十年たって遺骨が回収されても、この「不名誉」な人たちは、東京・千代田区にある千鳥ヶ淵戦没者墓宛の方に祀られることになっているから、それまではすぐそばにある「靖国」の上空をうろうろしていることになる。これは死んだら靖国神社に祀ってやるという約束とはちがって、不公平だ。

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