日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

【The era of Koizumi】Satoshi Kamata/【Эпоха Коидзуми 】Сатоши Камата/『コイズミという時代』鎌田慧고이즈미 준이치로小泉純一郎⑨

米国は歴史からなにも学ばない
にもかかわらず米国は「100%報復テロがある」と根拠のない発言をして先制攻撃にむかった。これなどは、軍隊がけっして国民を守らないという証明である。軍隊は勝つためにあらゆる手段を使うのであって、自国の国民がテロの恐怖にさらされるなどに、なんらとんちゃくしない。
アフガニスタンへの攻撃も、軍事施設中心といいながら、民間施設への誤爆がかなり発生した。これもあらかじめ想定されていたことだ。とにかく敵を徹底的に叩く。そのための犠牲は惜しまない、という荒っぽいやりかたが、公然とまかり通った。
またタリバーン政権にたいする批判があったにしろ、米国と英国という外国の軍隊によって、アフガニスタン国内の政権を壊滅させて、新しい政権をつくるなど許されることでなかった。かつてチリのアジェンデ政権を、CIA(米中央情報部)が倒したという過去の歴史から、米国はなにも学ぼうとしていない。自分たちの気にくわない政権なら、武力で倒しても構わない、といまだに考えている。それはあとのイラク攻撃でもまったくおなじだった。


*サルバドール・ギジェルモ・アジェンデ・ゴスセンス(Salvador Guillermo Allende Gossens、1908年6月26日 - 1973年9月11日)は、チリの医師、社会主義政治家[1][2][3]。1970年から1973年まで同国大統領であった。自由選挙による世界初のマルクス主義者の大統領でもあった。
*アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte、1915年11月25日 - 2006年12月10日)は、チリの軍人、政治家、独裁者。第30代大統領(在任:1974年 - 1990年)。
*チリ・クーデター(スペイン語: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生した軍事クーデターのこと。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権(アジェンデ大統領の人民連合政権)を、チリ陸海空軍および国家警察の指揮する武力で覆した。
米国ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授の推計によれば、01年12月6日の時点でのアフガニスタンでの民間死者が3700人となり、米英軍に殺害された無辜の市民が、同時多発テロによりニューヨーク・ワシントンで殺害された人数を超えたという(『朝日新聞』02年1月8日)。
イラク戦争により報道される機会も減ったが、03年4月9日には、結婚式をしていた民家を米軍が空爆し、民間人11人が死亡したという痛ましいニュースもはいってきている。
これ以外にも、老人・子ども・女性もふくむ数百万単位の難民の運命や、飢餓や病気による子どもの死亡などの悲劇が発生している。その責任を誰がとるのか。9・11の死者よりも、アフガニスタン人の死者が上まわればなにか解決するとでもいうのか。

難民の妻と本人を殺した日本
戦争の余波は日本にもおよんだ。日本で難民認定申請をしていたアフガニスタン人が自殺した、という悲惨なニュースが飛びこんできた。自殺したのは、02年8月9日。難民としての認定を申請していたのだが、2年半も放置されていた。その間にアフガニスタン空爆がはじまり、妻子は亡くなっていたという。
「在留特別許可」がおりたので、彼は妻子を捜しにいき、家族の死を知らされた。彼の失意は想像にあまりある。「体は元気でも、私はごみのようなもの。生きていても何の意味もない」(『毎日新聞』02年8月11日)。彼の遺書である。
しかし、忘れてはならないのは、このとき、日本は米軍などによる空爆を、支援しつづけていたのである(24ページ参照)。彼が政治難民であることを知りながら放置し、妻子を日本に呼ぶのを妨害して殺してしまった。日本政府は、彼に二重にも苦しみをあたえたことになる。

エンロンとブッシュの「悪の枢軸」
戦争の背景で見逃せないのはエンロンとブッシュ政権の癒着である。エンロンといえば、青森県六ヶ所村で、関連会社が天然ガスによる200万キロワットの大型火力発電所を建設すると発表した(267ページ参照)ことでわたしがかねてから気にしていた企業だった。
*エンロン(英語: Enron Corporation 2007年3月に Enron Creditors Recovery Corp. に改称)とは、かつてアメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた企業である。
両者の不可解な関係については、米国のメディアが盛んに報道を繰り返した。01年5月に米国政府が発表した新政策では、エンロンのビジネスチャンスがひろがるような内容になっていたともいわれた。
しかも両者の「枢軸」の犠牲者として、クリフォード・バクスター元副会長が自殺するという事件まで発生している。が、汚れた選挙で登場したブッシュ政権は、エンロン疑惑について、知らぬ存ぜぬで貫き通すつもりのようだ。
*John Clifford "Cliff" Baxterクリフォード・バクスター (September 27, 1958 – January 25, 2002) was an Enron Corporation executive who resigned in May 2001 before committing suicide the following year. Prior to his death he had agreed to testify before Congress in the Enron scandal.

02年12月10日には、エンロンなどエネルギー業界関係者と政府との面会記録開示を司法が棄却しており、追及の手はますます遠のいたといえる。
もし同時多発テロとそれにつづくアフガニスタン戦争がなければ、ブッシュ政権はエンロン疑惑に立ち往生していた可能性が強い。となれば国民の支持を得た疑惑追及によって、ブッシュ政権はかなりの苦境に立たされていたはずである。少なくとも米国社会が、戦争によって人気が「底上げ」されるという社会でなければ、イラク攻撃も抑えられたかもしれない。

420対1の冷静さ
同時多発テロ以降の展開から「なんと世界は愚かなのだ」と腹立たしい気持ちで21世紀最初の年を送った人たちは多かったであろう。と同時に、なにもできなかった自分の無力さを深く感じさせられた。それでも、テロと報復の論理を受け入れられない人たちが、けっしてすくなくなかったことが、未来にひと筋の灯りをともすことにつながる。
発生直後の報道のなかで、わたしがもっとも注目したのは、カリフォルニア州選出の下院議員バーバラ・リー(民主党)が、大統領がもとめた武力行使の決議を、たったひとり拒否したというニュースであった。
*바버라 진 리バーバラ・リー(영어: Barbara Jean Lee, 1946년 7월 16일 ~ )는 캘리포니아주 제13구역 연방 하원 의원으로 재직 중인 미국 정치인이다. 2020년 기준 12선 의원으로 1998년부터 재직 중이며 민주당 의원이다. 해당 지역구는 오클랜드에 있으며 알라 메다 카운티의 대부분을 차지한다.
決議は420対1で可決されたのだが、「誰が抑制を利かせねばならない。決議の意味をじっくり考えるべきだ」と彼は語り、米国の報復によって世界的な暴力の悪循環の生まれることを懸念したという。
バーバラ・リーは、1998年のイラク空爆にも反対し、99年の旧ユーゴスラビア・コソボへの部隊派遣でも下院でただ1人反対した。ブッシュ政権が離脱宣言した地球温暖化防止の京都議定書を支持しているという。
軍事力による解決と自国の孤立化を恐れない米国の興奮状態にたいして、敢然と世界平和の立場から、「抑制」を主張した議員がいたことは、米国のひとつの希望である。同時に、たったひとりしか反対しなかった事実は、このテロによる米国のプライドの喪失をも物語ってもいた。
169ページにビザの出前にいって、行方不明になったヒスパニックのエピソードを引いた。テロによって、グローバリゼーションという名の「市場原理主義」をやめさせることはできない。おなじように、テロの「首謀者」として、ひとりの男の首に35億円の懸賞金をかけて殺したにしても、テロをやめさせることはできない。
「市場原理主義」とは、弱肉強食の論理をやや上品にいっているだけのことだ。世界に経済格差をつくりだし、「負け組」をどんどんふやしていて、なんら心を傷めることのない連中が、世界を支配している限り、テロリストを生みだす無限の憎しみをなくすことはできない。
ひとりの男を捕まえて殺すために、なん百億ドルものカネをかけ、なん十万人もの兵隊を送り込み、なん十万トンもの爆弾を投下し、なん千人もの人間を殺し、なん百万人もの人間から家と仕事を奪って路頭に迷わせ、難民にしている。日本の米軍支持は、泥道に「派遣」のわだちをつけておいて、つぎの「派兵」をやりやすくするため、である。

イラク攻撃無惨
1000万人の反戦デモ
ブッシュ米大統領が抱くイラク攻撃への野望は、世界的に高まる反戦の声をかき消して達成された。攻撃か否かのギリギリの折衝をつづけていたころの国連安全保障理事会(安保理)では、攻撃開始派の米国にたいして、議長国のドイツと常任理事国のフランス・ロシア・中国の主要四カ国が抵抗した。
*国際連合安全保障理事会(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかい、(英: United Nations Security Council、UNSC)は、国際連合の主要機関の1つ。世界の平和と安全の維持に主要な責任を負っており、国際連合の6つの主要機関の中で最も大きな権限を持ち、法的に国際連合加盟国に拘束力を持つ決議を行うことができる、事実上の最高意思決定機関である。
*Françaisフランス語→Comme le prévoit la Charte des Nations unies国際連合安全保障理事会常任理事国, le Conseil de sécurité des Nations unies se compose de quinze États membres de l'Organisation.
当初米英は、安保理でのお墨付きをもらい、国際世論をバックに、自分たちの侵略を正当化しようとした。しかし拒否権をもつ常任理事国三国の賛成をうる見通しが最後までつかず、議決に必要な全15カ国のうえの9カ国の支持も取りつけられなかった。態度をあきらかにしていなかった中間派の6カ国(カメルーン、ギニア、メキシコ、アンゴラ、チリ、パキスタン)にたいしては、米国の「切り札」である経済援助という札束攻勢をかけた。それでも説得しきれなかった。国際世論の勝利である。
日本もODA予算をちらつかせ、米国の使いっぱしりとして中間派の懐柔を図ったが、完全な不調に終わり、赤っ恥をかいた。だいたい「カネをやるから戦争に賛成しろ」というのが、平和憲法をもつ国がやることか。日本の平和主義と軍縮を訴えるチャンスだったのだ。
結局、カネでの支配に失敗して、ブッシュは僚友の英国ともども勝手に戦端をひらくことになった。ブッシュの政治的な敗北は、ブッシュに人望がなかったことや、ブレアの二枚舌によるものではない。世界の民衆がしめした「戦争はいやだ」というごく単純な意見が、各国政府を突き動かしたのである。
湾岸戦争の時代とちがって、反戦・厭戦気分が国際的にひろがっている。これは20世紀の反省から生まれた、21世紀の「希望」として評価できる。

暴力で押しつぶす思想にNOの声を
03年2月15日には、東京をふくむニューヨーク、ロンドン、ローマ、ベルリン、パリ、メルボルンなど世界各国の都市で、大規模なデモがおこなわれた。英国メディアは、60カ国の400都市で計1000万人もの人びとが参加したと伝えていた。このほかにも大規模な反戦集会などもひらかれ、世界的な反戦の動きは、ますます大きなうねりとなっていた。
日ましに燃えあがっていった世界の反戦集会や反戦デモは、けっしてフセイン支持の集会ではなかった。対立する国家や指導者を武力によって押しつぶすという暴力的思想に、ただ「NO」といったまでである。ブッシュおよび米国政府の主張は、「非民主主義的なフセイン政権が人民を抑圧しているから、我々が解放してやる」といったものだった。しかし、これはテロリストが正義を掲げて大量殺害をおこなうのとおなじ理屈である。
国際世界では、アフガニスタン・イラク・北朝鮮をにらんが米国の暴力支配があり、ミクロな世界ともいえる市井では、企業による労働者イジメ、路上生活者への虐殺などがまかり通っている。まさに暴力が地球を覆っているといえる。
このときにようやく盛り上がりをみせた反戦平和の集会やデモの気運が、労働現場や社会の末端での差別や支配をどう開放し、獰猛な利権や利益の追求をどう解除していくのかを、戦争が終わったあとでも注目する必要がある。いずれにしても人間的な判断によって、自ら未来を切りひらいていくしかない。

「革命の輸出」論の由来は
イラク戦争は03年3月21日、「衝撃と恐怖」作戦と名づけられたミサイルと爆弾の大量投下ではじまった。その光景をテレビで眺めながら、首都バクダッド市内で、どのような大量殺害がおこなわれているのか想像され、落ち着けなかった。ブッシュ米大統領が、フセイン・イラク大統領とその一族にたいして、「48時間(以内)にイラクを離れろ。拒否した場合には、軍事衝突になる」と最後通告を発したのが、3月17日午後8時(現地時間)だった。これは、いいがかりというもので、いうことをきかなければ殺すぞという強盗の論理である。
当事国以外が暴力によって政権転覆を目指すなど、「革命の輸出」でしかない。冷戦時代、西側諸国が警戒した、社会主義国による「革命の輸出」は、現政府にたいする人民の抵抗・反抗を根にもっていた。しかし国内の運動が煮詰まっていないのに外部から革命を注入すること自体、革命戦略として破綻していた。当然の結果として、「革命」は歴史的な悲劇を生んだ。
そうした旧ソ連などの「革命の輸出」と角を突き合わせてきた米国が、冷戦構造が崩れた現在でも、まだ「革命の輸出」をつづけているのは、歴史に学ばない愚かさだ。このような「革命」が破綻するのは、歴史の必然といえる。またイラク侵攻の目的は、当初30万人を超える米英軍を派遣しての政権転覆にあった。これこそ史上まれにみるクーデターだ。逆にいえば、大量の軍隊を使って無理に転覆させなければならないほど、フセインはそれなりに民衆に支持されていたともいえる。チリ、グアテマラ、コロンビア、ニカラグアなど、CIAを中心とした中南米諸国の政権転覆計画は、これほどまでの戦力を要しなかった。そう考えると、ブッシュの「正義」がいかに不正義であるかを理解できる。
基本的にテロリストは少数者で行動を起こす。ところが世界最大の軍事大国が30万人もの兵力を集中して政権転覆を目指すのだから、大テロリスト集団といっても過言ではない。この戦争がはじまる前、NHKの衛星テレビで、ABC放送を見る機会があった。その番組では、「バクダッド経由が家路への近道だ」と、前線の指揮官が若い兵士にアジっていた。はやく故郷に帰りたい兵士たちに、バクダッドの市民を大量に殺したら帰れると、がなっていたのだ。こういった洗脳もまた、大テロリスト集団のやり口である。

破壊しておいて解放だと言い立てる横暴
戦争は国家による人殺しである。ひとりでも多く殺せば国の名誉があがり、殺人者の名誉はさらにあがるぐらい野蛮な構造となっている。どんな理由があったにしても、戦争は国家による醜悪な大イベントでしかなく、きれいな戦争などあるわけもない。とはいえ米英軍によるイラク攻撃は、近年まれにみる「汚れた戦争」であった。
なぜブッシュ大統領が戦争に踏み切ったのかは、大いなる謎である。そのため「理由なき戦争」とも呼ばれ、国際的にも反対意見が強かった。ブッシュの唱えた侵略の大義は、大量破壊兵器の破壊とイラクの人びとが「イラク解放」に、さほど喜んでいるようにもみえない。フセインに弾圧されていたイスラム教シーア派の幹部たちも、フセイン打倒には気勢をあげたものの、米英軍の駐留を歓迎しているわけではない。
米軍が大量に放ったミサイルは、1万8000発にのぼるという。トマホークだけでも、750発もぶちこんだ。これだけすさまじい大量破壊をおこなっていて、どこが「イラクの解放」なのだろうか。事実は「イラクの破壊」でしかない。住民が喜んで米軍を迎えるなど、完全な夢想である。
独裁政権の倒れた象徴として、バグダッドでは、フセイン像の引き倒しが、生中継で全世界に伝えられた。一部報道では、元ルーマニアの独裁者チャウシェスク政権崩壊になぞらえるむきもあったが、引き気味のカメラにはまばらに集まった住民が映り、住民の蜂起と呼べるほどの熱気はなかった。
実際、米国側の演出だったのでは、との報道も流れた。03年9月、イスラエルのオルメルト首相代理は、パレスチナ暫定自治政府のアラファト議長について「殺害することも選択肢のひとつだ」と発言した。パレスチナでは「マフィアのようだ」と批判の声が高まっているという。当然だ。
*エフード・オルメルト(Ehud olmert.ogg Ehud Olmert[ヘルプ/ファイル]、 ヘブライ語:אהוד אולמרט‎、1945年9月30日 - )は、イスラエルの政治家。首相(第16代)、国会議員(9期)。財務相(第25・27代)、カディマ党首(第2代)を歴任。
*Idoイド語→Yaser Arafat ヤーセル・アラファート(n. Mohammed Abdel-Raouf Arafat al-Qudwa al-Husseini en 1929, m. 2004) esis unesma prezidanto di Nacionala Autoritato di Palestina. Ilu partoprenis Nobel-premio pri paco en 1994, kun Ichak Rabin e Shimon Peres.
こうした暴言のバックグラウンドにあるのが、米国による他国への干渉支配である。軍事力を背景とした米国の暴力が、世界中に暴力的な思考をばらまいている。


戦争終結宣言以後に戦死者が続出する誤算
米英軍はあたかも通り魔のようにイラク全土を襲撃、破壊、殺戮し、居座った。戦争によって死傷した兵士や市民がどれほどだったか、米英軍は公表していない。イラク戦争における民間人の死者数を集計している「イラク・ボディー・カウント」によれば、04年4月7日現在で最高で1万677人、最低でも8827人、とされている。
繰返しになるが、米英軍の武力攻撃は大量破壊兵器の廃棄が目的だった。それが理由で大量のイラク兵や一般市民を殺害したのである。ところが大量破壊兵器の存在は証明できず、発見されていない。「大量破壊兵器」は侵略戦争の旗印、侵略のための神器であった。いまやその皮ははがされ、ブッシュの正義は虚構の正義となった。
開戦前に米国政府が主張した「イラクによるウラン購入疑惑」、英国政府による「イラクは45分で大量破壊兵器の配備が可能」などという侵略を正当化するブラック・プロパガンダも、すでに完全に破綻した。ならば米軍の犯罪性は厳しく問われなければならない。彼らの行為は、利権のための人殺しでしかなかったからだ。
03年5月2日、ブッシュが「イラクにおける主要な戦闘作戦は終了した」と戦闘終結宣言をしてから、イラク国内で米軍をはじめとする占領軍へのゲリラ闘争がむしろ活発化したのは、この「虚構」への怒りからである。けっして、フセイン支持だけによるものではない。自国に侵略してきた、米英およびその同盟軍にたいする抵抗闘争でり、イスラム文化を踏みにじる侵略者への反撃でもある。
イラク侵攻から約1年で米兵の死者は、200人を超えた。03年11月15日には、北部ムスルで米軍の軍用ヘリコプター(米軍ヘリ)2機が墜落し、米兵17人が死亡した。その3日前には、イラク南部のナシリアでイタリア軍が駐屯する警察本部に自爆テロが仕掛けられ、イラク人をふくむ30人前後が死亡した。さらに11月2日には、米軍ヘリがロケット弾で撃墜されて、兵士16人が死亡。ミサイル攻撃や自爆テロが頻発している。

ベトナム戦争の二の舞か?
大義のない戦争に駆りだされた13万人にもおよぶイラク派兵の米兵は、なんのために、なにを守るのかという「戦争の理念」を喪失している。そのうえ、いつゲリラから襲撃されるかわからない恐怖のどん底にいる。その精神的負担を考慮に入れれば、外敵を追い払おうとしているゲリラ側の士気が、どれほど米兵を圧倒しているかがわかる。
1963年から米国が直接介入したベトナム戦争での米軍兵士の死者は、5万8000人とされている。しかし精神的なダメージを負った人たちは、その数字を超える。戦争は武器だけの闘いではない。不断の神経戦である。殺す側も、殺される側も精神的に重大な負担をともなう。ましてやゲリラ戦ともなれば、すべての場所が戦場となり、心休まる暇がない。だからこそベトナムでは、恐怖におびえた米兵による、非戦闘員である村民の大虐殺が頻発した。ソンミ「ミライ」村の大虐殺などは、その悲惨の象徴である。イラク戦争開始以来の死者数は、ベトナム戦争の最初の3年間を上まわっている。米軍が撤退しない限り、米兵の恐怖は極限にむかって進んでいく。このようなゲリラ活動の激化により、米英の占領スケジュールは変更を余儀なくされた。

*ソンミ村虐殺事件(ソンミむらぎゃくさつじけん、ベトナム語: Thảm sát Mỹ Lai、英語: The Mỹ Lai massacre)は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士がクアンガイ省ソンティン県ソンミ村(現:クアンガイ市ティンケー社、広義市静渓社[1])で非武装のベトナム人住民を虐殺した事件。ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こって、アメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。
03年11月15日には、米国中心の米英暫定占領当局(CPA)とイラク統治評議会が、04年6月末までに占領統治を終了させることで合意した。この計画によれば、全18州で部族長や指導部などが議長を選出して暫定国民議会を設立。そののちイラク国民の直接投票による制憲会議議員を選出し、憲法草案をつくって国民投票で承認を得る。それから総選挙が実施される予定という。
*連合国暫定当局(れんごうこくざんていとうきょく、Coalition Provisional Authority)とは、アメリカ軍を中心としてイラクの政府体制を再建しようとする連合暫定施政当局をいう。略称「CPA」。旧称は復興人道支援室(ORHA:US Office of Reconstruction and Humanitarian Assistance)で、国防総省の機関であった。
*イラク統治評議会(مجلس الحكم العراقي マジュリス=ル=フクム=ル=イラーキー)は、対米戦争後のイラクの暫定統治を行ったイラク人による初の機関。アメリカ軍の占領下において、新政府が樹立されるまでの統治や大臣・大使の任命、新憲法制定などを行った。
占領体制の下で憲法制定、選挙をへて新政権樹立という当初の方針は、反米感情の高まりのなかで頓挫した。だが、多くの利権を抱える(191ページ参照)イラクを、米国が簡単に手放すはずがない。暫定国民議会の議員選出には、米占領当局が圧力をかけることができる。またイラク人による新政権発足後も、米英軍を主力とする連合軍は駐留する見通しが強い。
つまり、米英はゲリラ攻撃の対象となる表舞台からは去ったように見せかけ、イラク統治の手綱は離さない作戦だ。

いや、ベトナム戦争以上にバカげている
では結局は米国の思惑通りにいくかというとそう簡単にはいくまい。なぜならば米国には例によって歴史から学ぶ姿勢が欠けているからだ。先に紹介したベトナム戦争での教訓も生かさず、米兵を追い込んでいるのがいい例だ。
実態のない敵の脅威をあおり立てて戦争をするのは、権力者の常套手段である。かつてマクナマラ米元国防長官が、自著『マクナマラ回顧録』で、ベトナム戦争における米国の敗因として、「相手方の危険性を過大評価した」「相手国内の政治勢力の判断を完全に誤っていた」「すべての国家を米国好みにつくりあげる天与の権利などもっていない」などの理由をあげた。
*ロバート・ストレンジ・マクナマラ(英語:Robert Strange McNamara、1916年6月9日 - 2009年7月6日)は、アメリカ合衆国の政治家、実業家。第5代世界銀行総裁、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン政権で第8代国防長官を務めた。
イラクへの米国の行動は、ベトナム戦争のときとなんら変わりはない。それ以上にバカげている。大量破壊兵器疑惑も、フセイン政権崩壊後に起こるはずだった市民の歓迎という夢想も、マクナマラが指摘した失敗になぞらえる。あまりに巨大な軍事力は、おそらく米国の解体につながる。米国は、歴史に学ばなかったのだ。儲けに走った拙さである。今後も米国が好むようにイラクの人民は動くまい。イラクに親米政権をつくれなかったとき、米国はマクナマラが指摘した失敗の意味を悟ることになる。

ブッシュとブレアを戦争犯罪人として裁け
米国の自己批判のなさはベトナム戦争だけではない。あらためていうがアフガニスタンやイラクでの市民を巻き込んだ大空爆は、1945年の東京大空襲や各都市での空爆、および広島・長崎での原爆投下を認めた精神構造とつながっている。

*도쿄 대공습(일본어: 東京大空襲 토오쿄오다이쿠슈[*], 영어: Bombing of Tokyo)은 제2차 세계 대전이 막바지로 치닫던 1945년 3월 10일 일본을 무력화시키고 전쟁의 조기 종결을 위하여 미군이 추축국인 일본의 수도인 도쿄와 그 주변 일대에 대량의 소이탄을 투하한 사건을 말한다.
その証拠がある。このほど米国立スミソニアン航空宇宙博物館の新館が公開された。そこには「エノラ・ゲイ」が完全に復元されたという。「エノラ・ゲイ」は、いうまでもなく、広島に原爆を投下したB29爆撃機である。
日本人にとって悪魔の飛行機というべきものが、復元され、原爆の被害など記述のないまま公開されたという。このような態度は、イラク戦争で核兵器の限定使用さえひそかに準備していた、といわれる米国の傲慢さを、よくあらわしている。

*Deutschドイツ語→Enola Gay ist der Name des B-29-Bombers (Superfortress) der 509th Composite Group der United States Army Air Forces (USAAF), der bei den Atombombenabwürfen auf Hiroshima und Nagasaki eingesetzt wurde. Von der Enola Gay wurde am 6. August 1945 die erste Atombombe („Little Boy“), die je in einem Konflikt eingesetzt wurde, auf die japanische Stadt Hiroshima abgeworfen. Am 9. August 1945 war die Enola Gay eines der Begleitflugzeuge des B-29-Bombers Bockscar, der die Atombombe „Fat Man“ auf Nagasaki abwarf. Heute ist die Enola Gay im Steven F. Udvar-Hazy Center in Chantilly ausgestellt.
原爆を投下したのは、日本の即時降伏のため、米日双方に多大な被害のでる本土決戦を回避するため、そんな理由で広島23万人、長崎13万人もの罪のない民を殺した。大量殺人への痛みのまったく感じられない米国。それがいまなお外国の民衆を大量に殺し、なんらの反省もしない態度をつくりだしている。
ミサイルの飛んでくる心配のない米本土にいて、膨大な警備兵とSPに守られながら暮している、愚鈍な政治家の鼻息は相変わらず荒い。これだけの無駄死にを目の当りにしながらも、彼はなおも撤退しないといいはっている。
しかし、大義もなく国連安保理の承認も受けず、侵略の歴史への内省もない。独断と偏見と傲慢の野蛮を強行したのは彼らである。ブッシュとブレアは、戦争犯罪人として独裁者フセインとともに裁かれる存在である。米英が自国をイラクとちがう民主主義国家だといいはるなら、国内の議会によって厳しく批判されるべきはずなのだ。


米国を戦争に駆り立てる背景
自国だけは安全圏の幻想
02年末頃から、イラクを攻撃するか、やめるかの世論がせめぎあっていた。すでに近隣のイスラエルでは、大量破壊兵器の飛来にそなえて、防毒マスクを購入する市民がふえていると感じられた。米軍派兵の増強もつづいた。イラク政府も防戦体制にあった。市民は空爆への恐怖が、時間とともに浸透していた。このままでは、また罪のない人びとが大量に殺されるのは必至だった。
このように、恐怖を世界中に撒き散らしながら、ブッシュは自国だけを安全圏に置く、「ミサイル防衛(MD)」構想を世界中に宣伝するのだから、始末が悪い。ミサイル防衛構想のもとは、強い米国を目指し、自らもマッチョなガンマンに憧れつづけた、ロナルド・レーガン大統領の趣味を反映した「スターウォーズ計画」である。
*罗纳德·威尔逊·雷根(英語:Ronald Wilson Reagan,1911年2月6日-2004年6月5日),美國政治家,第40任美国总统(1981年-1989年),第33任加利福尼亚州州長(1967年-1975年)。踏入政壇前,雷根也曾擔任過運動廣播員、救生員、報社專欄作家、電影演員。美国人心目中最伟大的总统之一。
当時、レーザー衛星で、敵の大陸間弾道ミサイルを破壊するといって、世界をアゼンとさせた妄想が、つぶれることなく生き残っていた。とはいえ発射されたミサイルを迎撃するという夢物語は、膨大な開発費と防衛産業育成の思惑によってすこしずつ形をなしつつある。
03年1月5日、イスラエルでは、弾道弾迎撃ミサイル「アロー」が、ミサイルを打ち落とすという実験に成功した。このミサイルには約20億ドルの開発費がかけられたらしいが、米国全土を迎撃ミサイルで覆う「MD構想」が、この程度の金額ですむはずもない。半永久的に軍需関連産業が巨万の利益を得ることになる。
MDについては、02年の『毎日新聞』(12月18日付)がつぎのように報じている。
「アラスカ州フォートグリーリーに建設中の基地に04年までに、10基の迎撃ミサイルを配備。さらに05-06年に10基を追加配備する。米国はこれまでも04年までの配備を目指すとしてきた。大統領は声明で「すべての危険から米市民を守るため」と述べたが、北朝鮮のミサイル開発を抑止する狙いなどから、公式発表に踏み切ったものとみられる」
MD外交カードが有効だと、ブッシュ政権は考えているらしい。しかし、どんなに軍事力を強化しようが、防衛力を整えようが、それは正面きっての戦争でしか機能しない。すでに182ページに述べたように内側からの攻撃にあらゆる軍事力が無力だと証明されている。その意味でMDは防衛力の「矛盾」を、そのまま体現する存在となっている。各国との和平にもとづかない防衛力など、スターウォーズ計画以上の夢物語である。

軍需産業への公共事業
ブッシュ政権には、軍需産業と強いつながりをもつ閣僚が並んでいる。それでも好戦国家の背景を読み取るヒントになる。リチャード・パール前米国政策委員長は、国防総省が許認可権をもつ企業の顧問だったという理由で委員長を辞任した。噂されるアラブの武器商人との関係は、彼の横顔をしめしている。
*リチャード・ノーマン・パール (Richard Norman Perle, 1941年9月16日 - ) は、ニューヨーク州出身のユダヤ系アメリカ人。米国のネオコン政治家、ロビイスト。政敵からThe Prince of Darkness(暗黒の君)の二つ名を奉られている。民主党員でもあり、現在はマルセイユ在住。1974年のジャクソン・バーニック法起草者である。
ラムズフェルド国防長官は、軍需産業系のシンクタンクで理事長だった人物であり、超タカ派のウルフォウィッツ国防副長官は、爆撃機などをつくるノースロップ・グラマン社の顧問、チェイニー副大統領の妻に当たるリーネも、おなじく爆撃機などを製造するロッキード・マーチン社の役員だった。

戦争は、兵器の大量消費の一大チャンスである。『毎日新聞』(03年4月9日)は、戦争で使われた兵器の値段を、つぎのように報じている。
トマホーク(ミサイル)一発・・・50万ドル(6000万円)JDAM(精密誘導爆弾)一発・・・約2万4000ドル(287万円)バンカーバスター爆弾一発・・・14万5600ドル(1747万円)ステルスB2A(爆撃機)一機・・・6000万ドル(72億円)FA18E(爆撃機)一機・・・6000万ドル(72億円)MIA2エイブラムズ(戦車)一両・・・430万ドル(5億1600万円)
こうした高額の兵器が、湯水のように使われるのだが、米軍需産業関係者の笑いは止まらない。ひとりを殺せば殺人者であるが、100人を殺してモノを売りつければ英雄となる。それがブッシュ型のモラルなのだ。イラク侵略は、古い兵器の在庫一掃と新兵器の開発を狙ったビジネスショーと考えれば、とてもわかりやすい。
米軍のイラク侵略は、前段階で大量のミサイルと爆弾を投下した。その映像はテレビゲームのようであり、人を殺している意識は低くなる。
市街戦は大空襲のあとというのが定石だ。しかも原爆に匹敵する、高さ約3000メートルものキノコ雲が発生する破壊力をもつ、新型爆弾「MOAB(モアブ)も準備された。こうした新兵器にささえられた攻撃は、最初から戦争とはいえない。ただの大量殺害行為である。「大量破壊兵器をなくすため」に、大量殺人をおこなうのだから矛盾している。強大な爆弾のあとの市街戦は、卑怯そのものである。
朝鮮戦争およびベトナム戦争でも、米軍はじゅうたん爆撃といわれた、無差別攻撃でたくさんの人民を殺した。ベトナム戦争では、ジャングル内に無数にばらまいたセンサーで音をキャッチし、いきなり無差別に空爆する戦法をとった。最近になってこそ、民間施設を識別するなどといっているが、戦争の論理はベトナム戦争以来変わっていない。
誰がゲリラで、誰が民間人か識別できない場合は、一挙に殺害する。それが米国の戦争の「掟」である。いまさら民間施設は攻撃しないといっても、厳密に識別できる戦争などあるはずもない。その結果、病院や学校が攻撃されてきた。イラク戦争も結局はおなじで、誤爆によって巻き添えになる市民が大量にでた。

劣化ウラン弾とクラスター爆弾
また、たとえ民間施設を攻撃しなかったとしても、大気や国土を放射線で汚染する劣化ウラン弾をばらまいていては、無差別じゅうたん爆撃よりむごい。その健康被害がなん十年にわたってつづく。すでにイラク国民には重大な被害があらわれている。
クラスター爆弾の投下も大きな問題だ。米英軍が使ったクラスター爆弾は、約1万3000発、その子爆弾、約190万発が地上に散乱したという。この爆弾により1000人を超える死傷者が発生したといわれており、今後も深刻な被害を生みだすにちがいない。
*Françaisフランス語→Les munitions à uranium appauvri sont des munitions employant l'uranium appauvri, matériau très dense, afin de perforer les blindages.
*Italianoイタリア語→Le bombe a grappolo o munizioni a grappolo, sono ordigni, in genere sganciate da velivoli o elicotteri e talvolta con artiglierie, razzi e missili guidati, contenenti un certo numero di submunizioni: le bomblets, che, al funzionamento dell'ordigno principale (cluster), vengono disperse, secondo diversi sistemi, a distanza.
クラスター爆弾の投下も大きな問題だ。米英軍が使ったクラスター爆弾は、約1万3000発、その子爆弾、約190万発が地上に散乱したという。この爆弾により1000人を超える死傷者が発生したといわれており、今後も深刻な被害を生みだすにちがいない。
クラスター爆弾は、ジュネーヴで採択された「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」でも規制されている。ただし規制内容は、使用後の不発弾の除去への努力をうたったにすぎない。さすがに国際世論は使用規制をもとめてはいるが、米国は規制強化に反対している。これでは戦争終結後も、なんの罪もない人びとを殺しつづけることになる。
*特定通常兵器使用禁止制限条約(とくていつうじょうへいきしようきんしせいげんじょうやく、英語表記はCCW or CCWC:Convention on Certain Conventional Weapons)とは、過剰な傷害または無差別の効果を発生させると認定される通常兵器の使用を禁止または制限する多国間条約である。
いずれにせよメディアで宣伝されるような「誤爆」など、戦争には存在しない。兵士も民間人も「敵は殺す」。それが戦争である。

壊したヤツラで復興独占
ところが米国や英国の企業は、大量に破壊することを前提に、「復興する」との名目の特需のおこぼれにあずかろうとしてきた。復興費用の額はいろいろと取りざたされているが、『読売新聞』(03年4月6日)は「戦争が3ヶ月程度で終わった場合は1560億ドル(約18兆6000億円)」というエール大学教授の試算を発表している。
これら膨大な復興費用と戦費は、ヤクザのみかじめ料のように、米国が世界各国から回収するつもりのようだ。もちろん日本も例外ではない。
しかも米国はイラクに債権をもっていない。日本・フランス・中国などは巨額の債権をもっているため、フセイン政権が転覆したいま、どのようにそれを回収するかに頭を悩ましている。こうした状況にありながら、ライス米大統領補佐官は「イラク解放に命と血をかけた連合軍(米英)が、主導的な役割を期待するのはごく自然なことだ」と述べ、破壊し尽くしたあとの復興需要と利益を、事実上、米国で独占すると宣言した。
イラク戦争は米国の1人勝ち、との宣言である。人命を奪い、住居を奪い、故郷を奪って、そのあとにどんな復興があるのか。たんに建物や道路をつくり直せば、それで復興になるのか。
いわばゼネコン的な発想の復興には、もっと批判の声があがってもよい。日本もイラク復興に協力するなどといっているが、利権争いへの参入である。日本は、破壊のあとの復興よりも、破壊の前の平和に寄与すべきで、その方がはるかに重要だった。

ブッシュ「石油メジャー」政権
ブッシュ政権の閣僚たちが、イラク復興を狙っていたのは、彼らがまれにみる国際石油資本(石油メジャー)政権である点も見逃せない。ブッシュ自身、テキサスの石油会社の重役だったのだが、00年の選挙では、石油ガス業界から選挙資金として2億円以上受け取っていた。まさに石油利権大統領である。
チュイニー副大統領は、油田開発会社のハリバートンの元CEO(最高経営責任者)である。このハリバートンの子会社は、イラク侵攻半ばで、70億ドル(8400億円)もの油田の消火・復旧事業を、無銭争で受注している。またライス米大統領補佐官は、大手石油会社シェブロンの社外取締役、さらにエバンズ商務長官は、長年、石油会社で働いてトップも占めたことのある石油業界の実力者だ。
*ハリバートン (Halliburton Energy Services, NYSE: HAL)は、アメリカテキサス州ヒューストンに本拠を置く多国籍企業で、120カ国以上で営業している。
*唐纳德·路易斯·埃文斯(Donald Louis Evans,1946年7月27日-,得克萨斯州休斯敦),美国政治家,美国共和党成员,曾任美国商务部长2001年-2005年)。
*シェブロン(英:Chevron Corporation)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンラモンに本社を置く石油関連企業である。石油を始めとするエネルギー関連製品を扱う民間企業であり、現在世界の石油関連企業の中でも特に巨大な規模を持つ国際石油資本、いわゆるスーパーメジャーと総称される6社の内の一社である。
またこれまでサウジアラビア主導のOPEC(石油輸出機構)に仕切られていた中東の石油価格が、親米イラクの原油増産で大きく揺らぐことにもなる。結果的に「石油メジャー閣僚」たちにも、大きな利益が転がりこむ。
ブッシュの野望に石油利権が絡んでいることは、すでに世界の多くの人びとが知るところとなった。こうしたブッシュの思惑は、「石油の一滴は、血の一滴」という日本の戦時中のスローガンを思い起こさせる。ときとともに世界中で反戦の動きが強まっていき、ブッシュ大統領が語るイラク攻撃への大義名分は、ますますインチキ臭くなった。
*石油輸出国機構(せきゆゆしゅつこくきこう、英: Organization of the Petroleum Exporting Countries、略称:OPEC(日本語発音:オペックopec、アメリカ英語発音:[ˈoʊpek] オウペク))は、国際石油資本などから石油産出国の利益を守ることを目的として、1960年9月14日に設立された組織である。設立当初は、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5か国を加盟国としていたものの、後に加盟国は増加し、2020年9月現在では13か国が加盟している[1]。
ブッシュの頭のなかは、テレビゲームのような爆撃のイメージで支配されていたようだ。が、世界の人たちは、これ以上血を見たくないと主張しはじめている。ましてブッシュの利権のために、血を流したいなどと、誰が思うだろうか。要するに石油の利権をもつ政府を血祭りにあげ、自国の軍需産業がつくった兵器で徹底的にぶち壊し、自分で壊した街を自国の企業につくり直させて、イラクが生みだす原油で支払わせる。そのうえ回収不能の債権もない。
米国にしてみれば、殺せば殺すほど、破壊すれば破壊するほど儲かるのだから、これほどウマイ商売はない。良心はおろか自省の念さえ吹き飛ばし、結局、ブッシュ、ラムズフェルトのイケイケどんどんのビジネスゲームである。

復興に予想どおりのネオコン企業群登場

そうした思惑がむきだしになったのが、03年末にあきらかになった米国による「イラクの経済復興」である。CPAが新外国投資法によって進めてきたその内容はといえば、イラクの国営企業を解体して民営化し、外国資本の参入を可能にする。関税を周辺諸国とくらべて格安に設定し、なおかつ06年1月1日には、関税を完全に廃止することまで盛りこんだものだ。
*アメリカ合衆国における新保守主義(しんほしゅしゅぎ、英: Neoconservatism、ネオコンサバティズム, 略称:ネオコン)は、政治イデオロギーの1つで、自由主義や民主主義を重視してアメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想。
*関税(かんぜいTariff)Droit de douane Zoll (Abgabe)とは、広義には国境または国内の特定の地域を通過する物品に対して課される税[1]。狭義には国境関税(外部関税)のみを指す[1]。国内関税がほとんどの国で廃止されている現代社会では、国内産業の保護を目的として又は財政上の理由から輸入貨物に対して課される国境関税をいうことが多く、間接消費税に分類される。
つまり、イラクを植民地にする法律である。イラク商工会議所のパルダウィ会長が、「復興を口実に資源や富を奪おうとしている国がある」(『日本経済新聞』03年12月9日)、と不信感を表明したのも当然だ。

大規模な破壊は、一大プロジェクトをつくりだす。敗戦国を完全にしゃぶりつくすのが、「復興」であり「民主主義の設立」である。それがブッシュをささえる米巨大資本の欲望である。こうした復興の方針を決めるのは、ブッシュをささえる米巨大資本の欲望である。
こうした復興の方針を決めるのは、ブッシュをささえるネオコン(新保守主義者)の幹部たちである。米国で戦争を主導してきたネオコンは、石油利権・復興利権・市場の自由化などでビジネスチャンスを得る。自国の大資本、なかでもネオコン議員にちかい大企業にたいする優遇策を実施してきた。
07年までで550億ドルともいわれる復興費は、予想どおりにハリバートンやぺクテルなどのネオコン関連企業にまわっている。そのうえ報道によれば、ハリバートングループは、ガソリン代として米政府に6100万ドル、およそ65億8000万円の水増し請求をしていたことがあきらかになった。
ぺクテルは、レーガン政権のシュルツ国務長官が政権入りする前に社長を務め、いまも役員である。シュルツは00年の米国大統領選挙でブッシュに外交政策を指南したとされ、いまの政権にもっともちかい人物だ。
「強盗企業」にモラルをもとめるのは無理なことだが、イラクの混乱期には、なんでもありの状況だ。戦争はもともと汚いものだが、このように当初から、商売としてはじめられた戦争の汚さにはあきれるほかない。国連の統治を否定し、ひたすら利権拡大に走る方向性は、今後もあらためられことはあるまい。
*ジョージ・プラット・シュルツ(英語: George Pratt Shultz, 1920年12月13日 - 2021年2月6日)は、アメリカ合衆国の政治家。リチャード・ニクソン政権で第11代アメリカ合衆国労働長官、第62代アメリカ合衆国財務長官、第19代アメリカ合衆国行政管理予算局局長、ロナルド・レーガン政権で第60代アメリカ合衆国国務長官を歴任した。

第7章 ついに参戦に踏み切った小泉の歴史的犯罪
ほんの10年ほど前まで、「極右」でさえ自衛隊を戦闘地域にだして戦えるなどは主張していなかった。その意味で小泉政権は右の右を通り越し、思想の範囲では収まらないカルト集団にちかい。思いつきでイージス艦の派遣を約束し、テロ対策特別措置法では文民統制まで否定し、イラク復興支持特別措置法によって、戦場の真っただ中への参戦である。「死に神」がもしも人の姿になれば、きっと小泉首相のような顔立ちであろう。

米国同時多発テロとイージス艦の派遣
攻撃に直結するイージス艦情報
2001年9月19日、小泉首相は、インド様に海上自衛隊のイージス艦を情報収集のために派遣する、と発表した。これは9・11テロの首謀者とされている、オサマ・ビンラーディンをかくまっている、としてアフガニスタンのタリバーン政権への軍事政策を示唆したブッシュの方針にすばやく反応したものである。
そればかりか、自衛隊が医療、輸送・補給などの支援ができるような措置を講じる、とも語った。世界最新鋭の情報艦であるイージス艦の派遣は、日本が米国の戦争の「下請け」になることを意味した。なぜならば、イージス艦艇のコンピューターシステムで情報を収集するには、米国の攻撃システムと密接な連携をとらなければならないからだ。武器や弾薬などの軍事物資を供給するのに匹敵する情報戦参加といってもよい。
情報収集という名目ならば、自衛艦の派遣も可能だと防衛庁は考えていたとの報道もあった。しかしイージス艦のあつかう「情報」は、攻撃に直結する。日米共同戦線の実施は、「集団的自衛権」の発動であって、とても平和憲法下で容認できるものではない。
アフガニスタン戦争は結果的に米軍の圧勝に終わり、日本の出番はたいしてなかったが、だから、これでいいというものではない。小泉政権が米航空母艦の護衛やイージス艦の派遣などの最悪のシナリオを選択して、「参戦」に踏み切ったのは事実である。
またこの事件で、日本の米軍基地の警備は、事件後急速に厳格化された。こうした状況を利用して、01年10月には自衛隊法が改正され、首相が「警護出勤」を命じれば、在日米軍施設を警備できるようになった。この法律が成立するに当たっては、国会や原発なども、警備対象にふくめようと画策したが、自民党内の反対もあり小泉首相は断念した。
さらに03年11月29日、イラクで2人の外交官が殺されたのを契機に、自衛隊に在外公館の警備をさせるため法改正する動きが強まった。自衛隊による国内外の警備を、どさくさに紛れて認めさせるつもりだ。対テロ対策との口実で、治安警備はますますきびしくなった。

海上幕僚幹部が米海軍へ要請した中身
もっとも、すぐにでも派遣しかねない勢いだったイージス艦だが、「武力行使と一体化してしまう」などの反対論で派遣は延期されてきた。しかし水面下の動きはあったのだ。『
朝日新聞』(02年5月6日)にすっぱ抜かれたのは、4月に米国から要請されたイージス艦とP3C哨戒機のインド洋派遣の裏側である。この記事によれば、防衛庁海上幕僚(海幕)幹部が、在日米海軍チャプリン司令官を横須賀基地に訪問し、派遣を米側から要請するよう働きかけたという。
これほどシビリアンコントロール(文民統制)を無視した制服組の暴走である。政府に関係なく、海幕幹部が勝手に自衛隊の派遣を米軍に要求させるなど、「売国奴」である。これまで海上自衛隊は、米海軍と密接な合同演習をおこない、米海軍の弟分として動いてきた。だから米国防衛産業からイージス艦を約1200億円もの高値で、4隻も買って米国の貿易赤字削減にも貢献した。さらにその虎の子を、米国に貸してやるという「意欲的な提案」をしたのである。
また「攻撃機も潜水艦も保有しないままテロリスト相手に、「イージス艦やP3C哨戒機が)なにをするのか)とも指摘されていたが、まさにそのとおりである。米軍がおこなうイラク攻撃の前に、とにかく派遣しておきたいという制服組の野望、そしてもっとも大事な武器を米国の軍隊に差しだす奴隷根性が、政府を飛び越えての直訴となったのである。
この海幕幹部が米海軍司令官に渡した文面について、記者はつぎのように書いている。
「内容は、インド洋に至る空母機動部隊進出時の護衛や、情報の収集及び提供など、空母護衛艦隊の中核がイージス艦であり、情報収集の有力手段がP3C哨戒機という触れ込みだった。
文章は護衛の法的根拠を列挙したが、「共同訓練」名目で出動し、攻撃を受けたら自衛隊法の「武器防衛のための武器使用」や「治安出動」条項を使って反撃するという強引な拡大解釈ぶり。憲法が禁じる集団的自衛権行使への抵触など、どこ吹く風だった」



×

非ログインユーザーとして返信する