日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

【The era of Koizumi】Satoshi Kamata/【Эпоха Коидзуми 】Сатоши Камата/『コイズミという時代』鎌田慧고이즈미 준이치로小泉純一郎⑬


すでに付け替え道路や建設道路がつくられ、五木村の住民たちはそのあおりをくらい、移住をはじめていた。ダム建設によって、五木村およそ1000戸のうち約500戸が水没する計画だった。国土交通省は、ダム建設は防災のための事業だといっていたが、計画発表の1966年よりも十数年前から、電力需要をまかなうために、発電所のダムを建設するプランがあった。それが防災用というオブラートに包まれて強行したのは、農地開発事業が防災用に化けた諫早湾のやり口を踏襲している。
*Françaisフランス語→Le ministère du Territoire, des Infrastructures, des Transports et du Tourisme (国土交通省, Kokudo-kōtsū-shō?, littéralement « ministère du territoire et des transports ») est un des départements ministériels du Cabinet du Japon, officiellement traduit en anglais par Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism (MLIT). Il est souvent abrégé en japonais en Kokkōshō (国交省?).
電力用のダムが防災用に変わったのは、60年代前半に3年間、連続して発生した洪水が原因だった。そのあと、まだこじつけが足りないと思ったのか、潅漑をふくめて多目的ダムといい換えている。しかし、すでに周辺の農業は水源を確保していて、これ以上の水を必要としない。つまり農民のいらない潅漑用水を、巨大なダムでつくりだすというデタラメだった。
防災にかんしても、必ずしもダムが必要ではない。そもそも洪水の原因は、上流の山林を乱伐したことによる土砂崩れだった。つまり上流の森林をいかに手当てするかが重要なのだ。当時、土砂崩れによって発生した洪水が、川辺川支流につくられていたダムに推積して水位を上げ、惨事にいたったといういきさつがある。

監視すべきムダはまだある
ダムですべてを解決するという発想は、すでに破綻している。ダムに水が貯まれば放水するという問題もある。ダムの放水によって、人間が事故に巻き込まれる事件は記憶に新しい。ダム建設こそが洪水を誘発する構想を生んでいる。結局、ダム建設のホンネは、ゼネコンの需要拡大なのだ。巨大な公共事業の浪費と政治家への環流が、ここでもまたみられた。こうしたバカげた投資が進められれば、自民党の崩壊はさらに進む。自民党がどうなろうと知ったことではないが、血税のムダ遣いはストップさせて、引き返す勇気が必要だ。
さらにいえば神戸市の市営空港の「虚大」開発、自衛隊の空中空輸機の購入、小型「航空母艦」の建造、在日外国航空会社協会からも、「必要ない」といわれる中部国際空港、ミサイルを打ち落とすメドさえ立たないミサイル防衛システムなど、まだまだ監視すべき膨大なムダは多い。孫の代まで残る、700兆円を超える巨大債務をどう解消するのか。あるいはあらたな日本をどうつくるのか。まず、ムダな公共事業をストップさせる、そこから世直しの道がひらかれる。

民のカネを私する防衛一族
自衛隊と兵器産業の腐敗関係もいっこうにあらたまる様子がない。1998年、NECなどによる防衛庁への水増し請求が大問題となった。それにも懲りず、日本飛行機の水増し請求が発覚した。日本飛行機は、航行自衛隊のF15戦闘機や海上自衛隊のP3C哨戒機などの定期修理、米軍戦闘機の修理などをおこなう兵器産業である。01年度、防衛庁との貿易取引額は149億円。その利益率は、なんと27%にものぼるボロ儲けだった。
*Polskiポーランド語→NEC Corporation (jap. 日本電気株式会社 Nippon Denki Kabushiki Gaisha) (wcześniej Nippon Electric Company) – japońskie przedsiębiorstwo z dziedziny informatycznej z siedzibą w Minato w Japonii.
*Japan Airplane Co., Ltd 日本飛行機株式会社(Japan airplane), the Japan of aircraft manufacturers one of. It does not produce the entire aircraft, but mainly produces parts and repairs and maintenance. A wholly owned subsidiary of Kawasaki Heavy Industries .
おなじ会社内でも、民間取引での平均利益率が8%というから、とんでもない水増しである。水増しによる請求総額は、数十億円と推定されている。98年の不正請求事件以降、防衛庁への不正水増しが発覚した場合は、倍返しの規定となった。しかし、これだけ儲ければ、倍返しもなんのそのである。兵器産業は、受注がほぼ独占されているうえ、防衛庁の元幹部が関連企業に天下りしている。典型的な腐敗の構造にある。構造そのものが改善されない限り、腐ったドブは悪臭を発しつづける。

成田空港では1日約90回の拷問
02年4月、成田空港(成田国際空港)の暫定平行滑走路の供用開始記念式典がおこなわれた。華やかな形で報道されたが、これは残酷空港、人殺し空港の式典であった。この滑走路にむかう航空路の直下には、いまなお農民たちが住んでいる。ニワトリを4000羽、ブタを十数頭飼育している農家の40メートル上空を、ジェット機が離着陸している。国土交通省は、住民が住むための仮設住宅を準備した、といっていたが、いわばアフガニスタンやイラクの民衆を攻撃して、発生した難民をキャンプに収容するような野蛮なやり口である。
旧運輸省(現在の国土交通省)はこの空港を建設するに当たって土地の強制収用をおこない、反対運動をしていた若ものを機動隊が殺すという残虐な攻撃をおこなってきた。そののち運輸省はこのような強硬策をとらないと約束し、農民に陳謝した歴史もある。「暫定滑走路建設」では、強行建設および強要はしないと約束し、2500メートルで計画されていた滑走路を、住民が住んでいる地域を外して2150メートルにした。しかし、それはなんと住民の庭先に、滑走路をつくる野蛮を意味している。
畑を耕し、家畜を飼育して生活している農民の生活を、まったく無視した工事だった。これは静かに暮していた住宅の屋根の上に、いきなり鉄道の線路を敷くのとおなじような暴力で、人間の生命を無視した攻撃である。
こういう野蛮が、国際空港という名前でまかり通っていることは、日本の恥である。
空港へ着陸するパイロットからすれば、滑走路の進入口の手前に人家があるのは、あたかも航空機の足で民家を引っかけるような恐怖を感じるという。もちろん住民の恐怖は、さらに大きい。いつ飛行機が屋根にぶつかってくるかわからない。このような、非人道的行為が、毎日80回から90回もおこなわれている。
このように、小泉内閣の政治とは、まったく人民の生活を無視したやり方である。人心の荒廃はさらに高まっている。この国のどこが民主主義国家なのだろうか?

ムダを生みだす原因はこれだ
効率主義の結果としてのBSE
こうしたムダがまかり通る原因はいつくかある。先に述べたゼネコンの需要拡大と政治の癒着はそのひとつだが、効率主義を信じて疑わない精神構造も後押ししている。米英軍によるアフガニスタンのタリバーン政権にたいする攻撃が繰り返されていた01年、日本を襲っていたのは、BSE(牛海綿状脳症)パニックだった。
*牛海綿状脳症(うしかいめんじょうのうしょう、英語: Bovine Spongiform Encephalopathy, 略語: BSE)は、牛の脳の中に空洞ができ、スポンジ(海綿)状になる感染症(プリオン病)である。「ぎゅうかいめんじょうのうしょう」とも読む。一般的には狂牛病(きょうぎゅうびょう, Mad Cow Disease)として知られ、1986年にイギリスで初めて発見された[1]。羊のスクレイピーや、鹿の慢性消耗病 (CWD)、他、ヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病 (Creutzfeldt-Jakob disease, CJD) などを総称して伝達性(伝染性)海綿状脳症(Transmissible Spongiform Encephalopathy, TSE)と表記される場合もある。
これは農林水産省の無責任体制に問題があったにせよ、その発生原因は人類的な課題である。もともと草食動物である牛の飼育のために、牛の解体作業から発生した廃棄物を、飼料に加工して、仲間の牛にあたえる、という発想は、利益追求のためからである。母乳のかわりに、商品価値の低い肉骨粉を液状にして小牛にあたえ、放牧よりは手間のかからない牛舎に縛りつけて、牧草のかわりにまた肉骨粉をあたえていたのだ。

「共食い」の野蛮な風習は、飢餓からではなく、効率の追求からはじめられた。この野蛮を牛に押しつけたのは、すべて利益だけで動く人間の都合である。BSE感染牛から人間に、難病の新変質型クロイツフェルト・ヤコブ病をもたらすブリオンが伝わるのだが、これは、自然の摂理を無視した人間の欲望の結果だった。各国ともに、最近になってようやく、肉骨粉を牛にあたえることは中止した。
新兵器を発明し、大量殺傷の効率化を図り、「野蛮な民族」の頭の上から新型爆弾を降りそそぎ、災いを後世に残す悪習は、戦争も酪農もおなじ論理である。人を殺す効率化は、もういいかげん、終わりにすべきだ。

衛生打ち上げ失敗の原因はモラール低下
20世紀末から相次いだ、日本の宇宙衛星打ち上げの失敗は、日本の技術力が文字通り地に堕ちたことをしめしている。日本の製造業はモラールの高いことを誇りにしてきたが、それはいつの間にか「神話」となっていた。これまた巨額の公費を一瞬にしてムダにしている。
宇宙開発事業団が02年2月4日に打ち上げた、小型衛星「DASH(高速再突入実験機)」の場合は、ロケットからの分離に失敗した。1998年と99年の「H2」、2000年の「H2A」につづく失敗である。こんどはNECの配線ミスだったことが判明した。配線ミスが検査段階で発見されなかったのである。6億円を投入した衛星が、単純なミスでオシャカになるとは、信じられない事故である。
*宇宙開発事業団(うちゅうかいはつじぎょうだん)は、日本の宇宙開発を担う目的で日本政府が設立した特殊法人である。英文名称:National Space Development Agency of Japan, NASDA(ナスダ)。根拠法は「宇宙開発事業団法(廃止)」で、設立日は1969年(昭和44年)10月1日である。旧科学技術庁所属。1964年(昭和39年)4月に科学技術庁内に設置された宇宙開発推進本部が発展して発足した。2003年(平成15年)10月1日、航空宇宙技術研究所 (NAL) ・宇宙科学研究所 (ISAS) と統合し、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 (JAXA) に改組された。
この事故原因が発表されたおなじ日に、朝日新聞文化財団が主催する「企業の社会貢献度」の大賞に、NECが選ばれていたから皮肉である。受賞理由は、世界中のグループ社員の地域での貢献ということらしいが、本業で税金をムダにしているのだから世話はない。
*Asahi Shimbun Cultural Foundation朝日新聞文化財団 is a public interest incorporated foundation located in Chiyoda-ku , Tokyo .
原因である製造業でのモラールの低下は、コスト削減が至上命題にされてきたからである。儲けのために、プライドを捨ててきた経営体質にある。企業倫理をなくした上げ底や誇大広告、インチキ商法が、いつの間にかまかり通るようになってしまった。JCOの臨海事故や雪印食品の牛肉詐欺事件で、あきらかになった構図でもある。
03年10月に同事業団など、三機関が宇宙航空研究開発機構として統合された。その1ヶ月後に打ち上げられたH2Aロケット6号機も、またまた失敗した。欠陥体質はなにひとつあらたまっていない。

財界の奥田「裏総理」が猛毒を準備
ムダ遣い政治家にカネを用意して延命させる悪癖は、あらたまったと思っていた。ところが、03年1月に日本経団連が発表した「奥田ビジョン」は、政治献金に積極的に関与し、政界での発言力を強化する姿勢を打ちだした。
「日本経団連が前向きな姿勢をみせれば、企業は献金する」(「毎日新聞」03年2月4日)と語ったという。
ちなみに同ビジョンでは、消費税の引き上げも提言している。税率を04年度から毎年1%ずつ上げ最高16%にする、というのだからあいた口がふさがらない。日本経団連は経団連と日経連が合併した財界の指導部であり、奥田碩会長は独裁的な「財界総理」である。好調がつづくトヨタ資本を背景にした、彼の強引な発言は、日本の政治家にも影響をあたえている。これにカネの力が加われば、それこそ「裏総理」である。
政治献金は、戦後以来の自民党の泥沼政治をつくってきた猛毒だ。これが企業側からの政治家買収でしかないのは、いまさらいうまでもない。政治献金に絡んだ疑惑の数々を、奥田会長はもう忘れているとみえる。

政治献金に画期的な判決
一方、政治献金の違法性については、03年に画期的な判決が下された。ゼネコンの熊谷組にたいする条件の株主代表訴訟で、「欠損時の政治献金は違法である」と、裁判所が判断したのである。
*Bahasa Indonesiaインドネシア語→Kumagai Gumi Co., Ltd. (株式会社熊谷組 Kabushiki-gaisha Kumagai Gumi) adalah sebuah perusahaan konstruksi asal Jepang yang didirikan di Fukui, Prefektur Fukui. Secara resmi, kantor pusat perusahaan ini berada di Fukui, namun secara aktual, kantor pusatnya berada di Shinjuku, Tokyo.
この判決は、松本貞夫社長に2860万円の返済を命じ、ゼネコンと政治献金の関係に重大な疑義を呈した。
また「会社あるいは産業団体の寄付が特定の政党ないし政治団体のみ集中するときは、当該政党のみが資金力を増大させて政治活動を強化させることができ、ひいては国の政策にも決定的な影響力を及ぼすこととな」る結果として、「政界と産業界との不正常な癒着を招く温床ともなりかねない」と、政治資金の闇を指摘している。
熊谷組側は、政治資金が自由主義経済体制の維持ないし発展に必要だ、と主張したようだが、「政治資金の寄付が自由主義経済の維持ないし発展に結びつくとも認めなれない」と、その詭弁をも一刀両断した。
1998年3月に2400万円の損失をだしていた企業が、自民党に献金していた事実は、株主の意思さえ無視するやり方を、自民党が企業に要求していたことをしめす。まして熊谷組は、自民党長崎県連にも献金をしている。長崎県の諫早湾干拓事業を受注した会社に、熊谷組がはいっているのである。諫早湾干拓事業は、ゼネコン救済の公共工事だとの噂が、ずいぶん前から飛び交っていた。しかし残念ながら、ゼネコンの政治献金も、無用な工事も、住民は止めることができなかった。そういった意味でも、熊谷組の政治献金にたいする裁判所の判断は画期的である。当たり前とされてきた政治家と財界の癒着に一石を投じたといえる。
直営官僚・甘木直人大使を解雇
もっとも本来ならば裁判に頼らず政治家や財界、官僚自らがエリを正すべきなのだが、実態は退廃としかいいようのない方向である。たとえば、外務官僚の天木直人レバノン全権大使の「解雇」がある。彼がイラク戦争直前の03年3月14日と、開戦後の同24日に、意見具申として公電を川口順子外相に送ったのが、詰め腹を切らされた原因とされている。最初の公電は「国連決議なしのイラク攻撃は何があっても阻止すべきである。イラク問題はパレスチナ問題と深く関わっているので、パレスチナ和平再開が1日も早く必要で日本もイニシアティブを発揮すべきである」との内容だった。
つぎの公電は「日本の米国支持表明は中東の心を逆なでしている。唯一の被爆国で戦争放棄した希有な平和憲法を持つ日本こそ世界の平和の重要性を訴えるべきである」という、いずれもまっとうな内容だった。中東にいる大使が、その国の状況を把握していたからこそ、日本の進路に意見を述べる。それを「解雇」したのは、いかに日本の外交政策が、無知なウルトラ右翼の政治家たちによって、誘導されているかをあきらかにしている。
捜査と司法改革は人権の拡大のためにこそある。

和歌山毒カレー事件に重大な疑義
和歌山市で1998年7月に発生し、4人死亡、63人の被害者をだした「カレー毒物混入事件」にたいする判決が、02年12月11日、和歌山地裁でいいわたされた。林真須美被告にたいする死刑判決に、わたしは重大な疑義を抱いている。まず、この判決において直接的な証拠はあきらかにされていない。つまり状況証拠による死刑判決である。しかも間接証拠には、被告の犯行以外の行為までふくまれている。新聞などに掲載された判決骨子には、つぎのように書かれている。
「被告は保険金取得目的でカレー事件発生前の約1年半の間に、4回も人に対してヒ素を使用しており、通常の社会生活において存在自体極めて稀少である猛毒のヒ素を、人を殺害する道具として使っていたという点で、被告以外の事件関係者には認められない特徴であって、カレー事件における被告の犯人性を肯定する重要な間接事実である」
裁判官が林被告の犯行と断定した四つの事件は、被告がつくった食事を食べたあと、被害者が急性とヒ素中毒の症状と合致した症状をしめしたこと、あるいは被害者に多額の保険金をかけていたことなどを根拠としている。
しかし事件発生当時、嘔吐などの症状をヒ素による中毒だと病院側が認定したわけではない。もしそうなら、その時点で警察が動きだしていたはずである。つまり「ヒ素混入」を疑えば、状況が説明できるといった程度の「証拠」といえる。
検察側は、カレー事件の10年以上前に起こっていた、従業員の死亡や夫の激しい嘔吐までふくめ、計11件もの事件を被告の犯行とし、そのすべてを間接証拠にしようとした。ここまでくればあきれるほかないが、さすがに、このうち7件は退けられたとはいえ、くず湯、マーボー豆腐、うどんなどの4件を、裁判所は証拠として採用している。これらの保険金不正取得殺人事件は、いずれも「未遂」に終わったもので、証明は難しい。
また林被告がなぜカレー事件を起こしたのかその動機もハッキリしていない。近隣住民の冷たい態度に、被告が激高したという検察側の主張を裁判所は退け、「動機が不明確である等の事情は被告の犯人性の判断に影響を与えるものではない」といいきっている。動機は不明だが犯人だ、との判決である。

わき上がる「死刑を」の声に迎合か?
これまで自供に重きを置く司法当局の方針が、数々の冤罪を生みだしてきた。密室で自供を強要し、証拠が不足していても刑が確定した。ところが林被告は、完全黙秘を貫いている。黙秘は認める、が、関連事実で有罪にする。「被告はカレー鍋に亜ヒ酸を混入したと極めて高い蓋然性をもって確認することができる」。この判決で目を疑うほどに多用されているのは、「蓋然性」である。
「広辞苑」によれば、「蓋然」とは「或いはそうであると思われるさま」という意味であり、「必然」の対話であるという。「あるいはそうかもしれない」という程度の認定で、死刑に処するのはあまりに、無責任だ。さらに量刑の理由として、つぎのように書かれているのも気になる。
「カレー事件には猛毒の亜と酸をひそかに食べ物に混入するという匿名性の高い犯行態様であるばかりか、子供も含む不特定多数の者が食べることを知りながら、多量の亜ヒ酸をカレーに混入した無差別的犯行である。極めて悪質かつ冷酷といわねばならない。死亡被害者の無念、悔しさは言葉に表しようがない。最愛の家族を突然奪われた遺族の心の傷は深く、その悲しさ、理不尽な死に対する怒りは、聞く者の胸に強く迫る。本件犯行の残酷非情さを感じざるを得ない。被告の遺族のこの悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきである」
裁判官は声を詰まらせて朗読した、との報道もあった。が、死刑判決が当時の沸騰した世論に影響され、そして迎合していないかどうか。
その一方で、裁判官は、ことごとく、マスコミの過剰な報道をも批判している。「事件の捜査、審理にも(影響を)及ぼしかねなかった」と書いているが、裁判官自身、それに大きな影響を受けているのだから、他愛ない。
わたしには、林被告が犯人か、それとも犯人でないかはわからない。しかし、直接証拠がなく、「蓋然性」程度でしか判決を下せないとしたら、むしろこんごの裁判を考え、勇気をふるって推定無罪とするべきだった。もしも検察が新証拠や新事実を発見したなら、控訴審であらためて判断すればよい。
このようなあいまいな形で死刑判決が許されるのは、まるで中世的暗黒だ。小山育英裁判長の脳裏には、「無罪を証明できなければ有罪」という判断が刻み込まれているようだ。しかし「疑わしきは罰せず」と「合理的な疑いを超える程度に証明されなければ」無罪というのが、裁判の基本のはずだ。有罪を証明できなければ、世論に迎合せず、率直に無罪とすべきだった。
米国イリノイ州が不道徳な死刑を廃止
気の滅入るような話ばかりつづくなか、最近の朗報といえば、米国・イリノイ州の死刑囚問題である。03年1月13日、ライアン州知事は、同州の死刑囚167人すべてを、一括して終身刑に減刑するという大英断を下した。
「(知事は)3人を40年以上の禁固刑とし、残る全員を仮釈放なしの終身刑とした。これとは別に知事は10日、「拷問によって強要された自白を根拠に有罪判決を受けた」として、4人の死刑囚に特赦の措置を取っていた」(「朝日新聞」1月13日)
ライアン知事は共和党知事であるが、民主党知事でも発言しようとしない死刑囚の減刑に一気に踏みこんだのだから勇気がある。
*共和党(きょうわとう、英語: Republican Party)は、アメリカ合衆国の政党。民主党と並んで、現代のアメリカの2大政党の1つである。GOP(Grand Old Party)とも呼ばれる。
*民主党(みんしゅとう、英語: Democratic Party)は、アメリカ合衆国の政党。共和党と並んで、現代のアメリカの二大政党の1つである。
*Latinaラテン語→Georgius Homerus Ryan (natus Maquoketae Iovae die 24 Februarii 1934), medicamentarius, est rerum politicarum peritus Americanus factionis Republicanae, qui ab anno 1999 usque ad annum 2003 Illinoesiae gubernator fuit.
もともと死刑賛成論者だった彼は、州内の死刑囚に冤罪が多かったという反省から一括減刑を決めたという。「読売新聞」(同日)によれば、死刑囚の無実が刑執行の48時間前に判明した経験も、知事があきらかにしたそうだ。彼は「死刑制度は不道徳」だという結論に達したという、が、先進国で日本と並ぶ死刑大国の米国にとって、彼の英断は衝撃的な出来事だったはずだ。米国では、1972年にいったん死刑禁止の方向に傾いたが、76年には死刑が復活、現在、国内半数以上の38州で死刑がおこなわれている。77年から2000年までの間に、死刑執行されたのは683人。日本は93~00年の8年間で39人の死刑が執行されているから、およそ5・8倍の処刑人数である。
しかも米国における死刑囚の問題は、経済問題や人権問題をふくんでいる。金持ちは優秀な弁護士を雇って有利に弁論を展開できるが、貧乏人は有能な弁護士を雇える力がなく冤罪が多い。人種差別による誤った判断も、冤罪の温床になってきた。死刑大国米国でも、ようやく死刑廃止の本格的な議論がはじまろうとしている。これは米国内だけでなく、日本国内の死刑存続派にも、死刑の残忍性を考えさせるきっかけになる。
イリノイ州では、これから死刑賛成派からの強い反対がしめされることだろう。しかしフランスの例をみてもわかるとおり、死刑廃止は世論がそのまま反映されるものではない。どのような国をつくるのかというきわめて政治的な問題である。犯罪への憎しみを犯罪者だけにむける論理によって、死刑を存続させるべきではない。人を殺さない国家。いまそれが強くもとめられている。

辻元清美元社民党衆議院議員の不可解な逮捕
裁判ばかりではなく警察や検察の捜査にも不可解なことが多い。03年7月の辻元清美元社民党衆議院議員の逮捕および起訴は、最近でもっとも納得いかない出来事のひとつである。逮捕については、ほとんど予想されておらず、しかも議員辞職から半年もたっての逮捕であった。党衆議院議員の逮捕および起訴は、最近でもっとも納得いかない出来事のひとつである。逮捕については、ほとんど予想されておらず、しかも議員辞職から半年もたっての逮捕であった。
辻元元議員の容疑は、政策秘書の給与を事務所資金にあてたという「詐欺罪」である。この問題は、秘書制度そのものの問題としても、クローズアップされてきたものだ。辻元元議員の秘書は勤務実態がないということで問題となったが、勤務実態こそ形式的で、秘書が親族で公設・政策秘書として仕事ができるのかが怪しいケースなど、おなじような問題が放置されてきた。辻元元議員は取り調べにも応じており、秘書たちも50回から70回もの出頭にも応じていたので、書類送検・起訴猶予だろうと予想されていた。逃亡のおそれも、証拠隠滅のおそれもない。しかも彼女は、詐取したといわれている金額に、利子をつけて返却している。もちろん法的責任も自覚し議員を辞職している。それでもなおかつ逮捕されたのは、選挙前に社民党へダメージをあたえる政治弾圧としか考えられない。あるいは選挙区での「辻元人気」をおそれた。公明党の差し金じゃないかとの噂もたっている。正確なことはわからない。ただし不可能であるのはまちがいない。

田中真紀子と何が違う
03年8月8日、「辻元さんらの起訴の不当を訴え即時釈放を求める声明」を、わたしは灰谷健次郎、前田哲男、石川文洋、石坂啓、本多勝一とともに発表、記者会見をおこなった。
*Русскийロシア語→Хайтани Кэндзиро灰谷健次郎 (兵庫県出身、31 октября 1934[1], Кобе — 23 ноября 2006[1]) — японский детский писатель.
*前田 哲男(まえだ てつお(福岡県出身)、1938年9月28日[1] - )は日本のジャーナリスト・軍事評論家[2]。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論
*Françaisフランス語→Bun'yō Ishikawa (石川 文洋, Ishikawa Bun'yō(沖縄県出身, né le 10 mars 1938) est un photographe japonais1.
*石坂 啓(いしざか けい、1956年3月28日 - )は、日本の漫画家、作家。愛知県名古屋市出身。女性。雑誌『週刊金曜日』の編集委員や、ピースボート水先案内人を務めるほか、テレビコメンテーターとしても出演している。既婚で一児の母。本名、立川啓子。旧姓、福田[1]。
*Katsuichi Honda (本多 勝一, Honda Katsuichi(長野県出身, born January 28, 1932) is a Japanese journalist and author most famous for his writing on the Nanjing Massacre.
また会見の3,4日前には、検察庁・高等検察庁にもおなじ声明文を提出した。その一部をここに引用する。
「辻元さんのこんどの事件で、組織のバックのない市民派の議員がどんなに事務所の経費のやりくりに苦労していたか改めて知りました。決してぜいたくをしたり私的に使ったりしたとは思えません。私たちの支援も足りなかったと反省しています。(中略)国会議員のなかに秘書給与の問題点を指摘される例が他にも多数伝えられ、衆議院では辻元さんの事件をきっかけに、秘書給与の在り方についてプール制を採用すべきかどうか検討を重ねていると聞いております。であればなおのこと、あえて辻元さんを逮捕してまで調べたことに、不審を抱かざるをえないではありませんか。他の例が放置されたり不起訴になったりするとなれば、私たちは「なぜ辻元さんだけがそんなに追及されつづけなければならないのか」との疑問を抱かざるをえません」
起訴と同時に釈放になったため、即時釈放を訴えていたわたしたちの要求は、東京新聞に一部掲載されただけで、ほとんど黙殺された。一方、おなじような問題で議員を辞職した田中真紀子元衆議院議員(03年11月の総選挙で返り咲き)は不起訴処分になった。また、秘書給与問題で詐欺容疑の被告となった自民党の田野瀬良太郎衆議院議員も不起訴となった。

Deutschドイツ語→Ryōtarō Tanose (jap. 田野瀬 良太郎(奈良県出身)Tanose Ryōtarō; * 31. Oktober 1943 in Gojō, Präfektur Nara) ist ein ehemaliger japanischer Politiker. Bis 2012 vertrat er den 4. Wahlkreis Nara für die Liberaldemokratische Partei (LDP) im Shūgiin, dem Unterhaus des nationalen Parlaments. Innerparteilich hatte er der Yamasaki-Faktion angehört.
どうして辻元元議員だけが逮捕され、23日間の拘留ののちに起訴されたのか。また、関係者として社民党の土井たか子党首の元秘書も同時に逮捕・起訴された。このようにおなじ法の下での不平等を実行するのは、権力の横暴でしかない。とても許されないことが横行しているのが、日本の現状なのだ。

*Scandal: Nagoya Prison Case名古屋刑務所事件
In 2001 (2001) in December, prison officials of inmates one person anus towards the, in the fire hose, which was the watering plug and irrigation water discharge by you, inflicting injury rectum an incident that were killed in the explosion occurrence. In May 2002, a prisoner died due to the abdomen being tightened with leather handcuffs . In September of the same year, a prison officer was injured due to the application of leather handcuffs by a prison officer and was transferred to an outside hospital. Incumbent prison officer special civil servants assault Ryogyaku crime in the indictment have been. In the case of the May and September 2002, the accused side counsel had argued that "inmates were killed by the fall." On March 30, 2007, the Nagoya District Court found that "leather handcuffs were used for disciplinary purposes" and convicted four prison officers . Prison officers four people ruling appealed to, until April 5 in Nagoya High Court to appeal was. On February 26, 2010, the Nagoya High Court dismissed the appeals of four prison officers .

名古屋刑務所で刑務官が受刑者暴行、死へ 
裁判で刑が確定し、服役する場である刑務所の実態も、デタラメのようだ。02年11月にあきらかになった、刑務所での暴行事件である。名古屋刑務所で42歳の受刑者が、01年12月に急死したのが、刑務官による暴行だったことがわかった。懲役5ヶ月の実刑判決を受けて移送されてきた受刑者が、反抗的だったという理由で革手錠をはめられ、保護房に11回、83日間も収容されたということである。
刑務所での刑務官は、圧倒的権力者であり、裁判もなしに個々の判断によって革手錠をはめ、「保護房」という刑務所内刑務所にぶちこむことができる。軍隊以上の絶対服従の社会である。名古屋刑務所があきらかにしたところによれば、5年間で病死者と事故死者は、58人にのぼるという。つまり発表された死亡事故は、氷山の一角でしかない。

第11章
少年少女の未来をふさぐ選別と偏狭な教育環境
少年犯罪が大ニュースとして報道されるようになって久しい。だが少年少女が置かれた日々の環境や将来への展望のなさが、どれだけ犯罪の温床となっているかなど、2世3世のボンボン政治家たちにわかるはずがない。本来ならば彼らの悲鳴に耳を傾け、むき合うことこそ政治家の仕事のはずだ。厳罰化、選別の強化、はては「日の丸・君が代」「愛国心」の強制など、了見の狭いナショナリズムに囲いこんで支配しようとするなど、これ以上の有害、反教育はない。

希望のもてない社会が子どもを追いつめる現状
子どもの声にならない叫び声を聞け
凶悪な少年犯罪が報道されるケースがふえている。少年犯罪は増加と減少を繰り返しており、現状が過去の状況より悪化しているかは判断の分かれるところである。しかしひとの命が若ものたちによって奪われていくのは胸を、ふさがれる思いにさせられる。
政府は罰の強化によって、少年犯罪を減らそうとしている。はたして、それで解決するのかどうかは、疑問といわざるを得ない。というのも少年犯罪の背景には、家庭環境の問題があり、学校での差別の問題があり、就職難など将来の問題が伏在しているからだ。
もちろん犯罪を肯定するわけではない。ただ家庭環境の問題ひとつとっても、親の失業問題やパートの低賃金などの背景があり、家庭を維持するのさえ困難な状況が控えているのである。結婚をしたがらない男女がふえているのは、こうした家庭の危機を回避したいという意思もある。少年少女だけではなく、未来にたいする、伸びやかなイメージを多くの人びとが抱くことができなくなっているのだ。
大学を卒業しても就職口がない。少年少女がはじめて社会とかかわる入り口が、アルバイトやフリーターとしてこき使われる環境でしかない。地域のなかには、彼らを温かく迎え入れる場すらない。学校から放りだされた子どもは、十代の半ばでいきなり居場所を失ってしまうのである。
本来ならば、これまでにも指摘されているとおり、父母たちが地域で多様な活動に参加し、さまざまな子どもを受け入れる場をつくる必要がある。しかしリストラを背景とした、競争と排除の時代に、そのような時間をつくれる人はすくない。企業では、脇目もふらず、利益を生みだす人間だけが生き残っている。
最近の新聞は、いじめ問題より若年層の凶悪犯罪を中心に取りあげている。しかし、いじめがなくなっているわけではない。現在も針のむしろに坐っているような気持ちで、学校に通う子どもたちが数多くいる。また、その環境に耐えられなくなり、不登校や引きこもりになってもいる。報道される凶悪事件の裏側にも、声にならない叫び声をあげている数多くの少年少女がおり、それを救うことのできない大人がいる。それがわたしたちの住んでいる世界でもある。

ローティーンのセックスが商品化
子どもを覆う環境の悪化は、教育制度の改悪や少年犯罪者の増加という現象だけにあらわれるのではない。ローティーンのセックスが商品化されるという形でもあらわれている。
2003年7月には、掃除のアルバイト、という甘言にだまされた小学6年の少女4人が、赤坂のマンションで誘拐・監禁された。その後に自殺した若い容疑者は、少女を相手にさせるデートクラブを経営していたとも伝えられ、大人の欲望が小学生にまで手を延ばしている現実があきらかになった。ここで問題となるのは、この容疑者がローティーンを商品化する商売で、それなりの金を儲けていたことである。そこまで稼げた理由は、自身を商品化することに抵抗がなかった子どもがいた、ということでもある。
現在、おもちゃや服飾をはじめとするメーカーが、ローティーンの性を対象とした商品を開発している。両親、祖父母、そして本人にもカネを使わせようと大宣伝を繰りひろげてもいる。その一方では、消費社会の拡大と深化に対応できない子どもたちが、売春によってお金をつくる事態があらわれているのだ。

荒廃の根本にあるカネ万能社会
こうした風潮の根底にあるのは、すべてはカネによって解決できるという社会の思想である。そして地道な労働によって、お金を獲得するのが正しいという価値観の破綻でもある。コツコツと働くのは、ダサイ、暗いというイメージがあたえられ、気楽にカネを稼ごうとの誘惑がふえている。
会社自体でも、年功序列賃金が崩れ去った。時間をかけて技術を身につけ、賃金を上げていくことはすべて否定され、一攫千金的な年俸制が導入された。社会全体が、すこしでも労力を惜しんでカネを手に入れる方向を追求している。
そのさいたるものが、不良債権で大儲けをしている、ハゲタカファンドと呼ばれる投資会社である。ほとんどの人が低賃金であえいでいるなか、1年で億単位の給料をもらう社員のいる会社だ。
*ハゲタカファンド(禿鷹ファンド)は、安値で買い叩いた株式や債券などの資産を高値で売り抜いて、巨額の富を得るファンドの総称をいいます。
少年少女にたいする犯罪がふえ、監視カメラによる盛り場の警備がひろがっている。管理社会化がますます強まっている。しかしカメラで監視して犯人を捕まえることができても、子ども心の傷はいやせない。わたしたちにできることは、働かないでカネを得ることの不自然さを語り、子どもの持ち物に気をつかい、身分不相応のものがあったら、きちんとむき合って子どもと話をすることだろう。

*Deutschドイツ語→Der Kishiwada Junior High - School Student Abuse岸和田中学生虐待事件 Fall wurde berichtet , die Morgenzeitungen am Januar 26, 2004 in Kishiwada Stadt , Präfektur Osaka , wo der älteste Sohn im dritten Jahr der Junior High School wurde missbraucht , um den Punkt von Hunger. Ist. Als sie geschützt wurde, war ihr ältester Sohn 155 Zentimeter groß und wog 24 Kilogramm ( BMI 10 ) und stand kurz vor dem Verhungern und wurde wegen versuchten Mordes angeklagt . Sowohl der Vater als auch die Stiefmutter wurden vom Bezirksgericht Osaka zu 14 Jahren Gefängnis verurteilt. Unmittelbar nach der Entdeckung des Vorfalls blieb der älteste Sohn bewusstlos, erlangte jedoch nach harter Behandlung kaum das Bewusstsein und erholte sich so weit, dass er ein einfaches Gespräch führen konnte. Die Intelligenz seines ältesten Sohnes war jedoch deutlich reduziert, und seine körperliche Behinderung und seine Folgen blieben.
岸和田市の中学生虐待事件
子どもを取り囲む状況で、さらに絶望的な気分にさせられるのが、親からの虐待・虐殺である。
子どもたちへの虐待・虐殺といえば、戦争が最大のものである。近年では、アフガニスタンやイラクでも、一般市民が戦争に巻き込まれ、なんの罪もない子どもたちが大量に殺された。ミサイルで直撃されて死んだ子どもばかりでない。地雷で足を失ったり、あるいは米軍が無差別に投下した劣化ウラン弾によって被曝する子どももふえている。このような戦地の子どもたちの状況も悲惨だが、「平和なはず」の日本でも、子どもたちへの虐待と虐殺は、依然としてなくなりそうもない。
04年1月下旬、大阪府岸和田市で逮捕された夫婦は、中学3年生(15歳)の長男を自宅マンションに閉じこめ、ほとんど食事をあたえず餓死寸前の状態に追い込んだとされている。ついに死んだと思った父親が119番通報して、発見・保護されたのである。この夫婦にたいする容疑は、殺人未遂という重い罪状であった。2人は子どもを殴ったり蹴ったり、浴槽に顔を沈めたこともあったという。教師が家庭訪問にいっても、病気で寝ているといって家にはいるのを断わったと伝えられている。
このような子どもの虐待には、児童相談所の介入が必要不可欠である。ところがこの事件では、虐待している親からの言葉を信じて放置してしまった。その結果、虐待がつづいていたという。容疑者である父親は、仕事場ではまじめな男としてとおっていたという。そうした人物が悪魔のような所業をした理由は、なかなか理解できない。しかし、弱いものに暴力がむけられた状況は、日本の社会状況そのものでもある。
豊かな社会であるはずの日本社会がもつ暗闇を、忘れてはいけない。そして虐待されている子どもたちをどのように助けるのか、大人の社会のつくり方を変えるしかない。

更正を妨げる青少年育成施策大綱
以上のように、子どもが置かれたありさまは、悲惨である。ところが政治はこうした背景を深く考えずに、結果として起こった少年犯罪だけをとらえて、厳罰化に踏み切っている。それで根本的な解決になるわけはない。
たとえば現在、非行を犯した少年の氏名・年齢・住所など、本人と推測できる記事や写真を報道することは、少年法61条で禁じられている。が、捜査中の少年には明確には適応されていない。このすき間に警察庁が入りこんだ。03年末、少年に公開捜査の道をひらくよう、青少年育成施策大綱に盛り込んだのである。犯罪を起こした少年を特定できないようにしているのは、更正した少年を世間の好奇な目から守るためであり、更正を成功させるためである。
少年であっても、凶悪犯罪ならば氏名や顔を公開していいというのは屁理屈というものである。それは新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が、1997年に発生した児童連続殺傷事件で少年の顔写真を公開したときの言い訳とおなじものである。つまり、当時あれだけ物議をかもした記事のつくり方を、いまや公の機関が認めたということだ。
少年の氏名や写真をあきらかにする公開捜査で、どれほど治安がよくなるかは不明だ。それよりもさらしものにされた少年の将来が心配だ。この方針を決めた警察庁は、公開捜査に踏み切る根拠すらしめしていない。

わたしが加害少年たちの周辺を取材してわかったこと
03年11月、わたしは千葉市で16歳の少女が殺された事件を取材した。その事件は、墓地でひどい暴行がおこなわれたこと、また加害者の青年が多重の債務を抱え、ローン会社からカネを借りられなくなったため、偽装結婚で、被害者の戸籍にはいってカネを借りていたことで注目された。
主犯格の青年は22歳、その「共犯者」となったのが、16歳から18歳までの少年4人であった。この事件はたしかに陰惨なものだった。しかし罪を犯した少年たちの周辺を丁寧に取材すると、そこには彼らが抱える孤独が浮び上がってきた。このような犯罪こそ、大人の責任と救済する力が問われている、とも感じた。
しかし少年たちは、「刑事処分相当」の処遇意見をつけられ、家庭裁判所から検察官に「逆送」となった。つまり成人とおなじような裁判を受けることになったのである。少年法の改正にさいして、逆送は慎重にされるべきだという声が強く、実際にしばらくは慎重に判断されてきた。しかし前例があれば、判断はすこしずつ慢性化し、慎重さは失われていく。最初に凶悪犯罪であるという理由で突破すれば、あとは月日とともに厳しい処分が一般化していくのである。
とにかく日本政府は、ことあるごとに国民の人権をはぎ取る方向にむかっている。そのため人権にたいする攻撃を、御用新聞や御用評論家や御用ライターを使っておこなっている。これこそ国内での戦争体制強化である。イラク派兵と一体化している。

何の解決にもならないエリート主義と教育基本法改悪
東京都の高校改革が目指す序列化
これだけ悲惨な状況を前に、学校に多くを期待する人もすくなくない。しかし、その希望は捨てた方がいいかもしれない。たとえば、東京都では、「都立高校改革推進計画」などによって普通科高校を明確に序列化し、定時制高校・夜間中学校を統廃合しようという動きがはじまっている。
この推進計画では、進学指導重点校・中堅校・教育課題校と序列化し、進学指導重点指定については、成果があがらない場合、指定から除外して予算を削る、といって激しい競争をあおっている。さらに中高一貫校を、現在の二校から十校にふやそうともしている。また高校入試では、学区の制度を廃止し、全都一律の競争を実施して、学校の勝ち組と負け組をつくりだそうとしている。
わたしの学生時代にも、たしかに高校の順列はあった。どこが名門校かといういわれかたもした。しかし地域ごとに「名門」と呼ばれる高校が存在したので、都道府県全体では名門校の数もそれなりにあった。この改革のように、都道府県レベルで優劣を競うような制度ではなかった。まして東大合格人数だけで、高校の善し悪しが決められていたわけでもなかった。これらの改革は、エリートとそうでない生徒とに、はやいうちから選別していこうというもくろみである。
エリートの子しかエリートになれない差別社会
しかも現在のエリート育成は、子どもを養育する実態の資産状況と深い関係にある。はやいうちから進学校にはいり、受験情報を仕入れ、その受験に合った指導を受けた学生が、受験に強いのは当り前だ。つまりエリートがエリートを生みやすい環境になっているのである。そんな社会に、大多数の少年・少女が、はたして希望をもてるだろうか。
教育家の有力者たちは、ひとりのエリートをつくるためならば、100人の学力などどうでもいいと考えているのだろう。大人が弱肉強食社会を認め、むしろそれを進めてきた結果がこれである。強いものだけを育てようとする教育は、戦後の教育が目指してきた、ひとりひとりの人間の可能性を追求していくという教育と真っ向から対立する。
石原慎太郎東京都知事が進めてきた、弱者切り捨て政策が、ついに教育界にもおよぼうとしている。こうした動きには、歯止めをかけるしかない。
追いつめられる児童養護施設卒業生
もうひとつ、経済が教育に大きな影響をあたえる現実も書いておきたい。児童養護施設にいる子どもたちに進路についてである。児童養護施設とは、親と生活できない子どもたちの施設である。これらの施設をでて大学・短大に進学する場合、多くの子どもが奨学金を活用する。しかし就職が不安な現在では、卒業後に返済が必要となる奨学金を借りるのも大きな決心を必要とする。もちろん受験のための塾にいくどころではない。
全国児童養護施設協会のまとめによれば、2000年4月に施設から高校にはいって卒業した子どものうち、大学・短大に進学したのは、わずか8・1%だったという。全国の平均が4割を超えているのを考えれば、その差の大きさがわかる。政界をみれば、議員の多くは2世・3世議員である。ほとんど貴族院かと見まごうほどだ。こうした議員が、戦後営々として築いてきた「人間は平等である」という思想を受け継ぐわけがない。そして社会の上部に固定されたエリート層が、日本社会の活力を奪っているともいえる。
強権国家にむけた教育基本法論議
中央政権、強権国家にむかう小泉政権は、教育分野にも大きな影響をおよぼしている。教育基本法の改正をたくらむ、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会は、02年11月、議論わずか1年で、教育基本法の見直しをもとめる中間報告を文部科学大臣に提出した。審議に参加した委員からは、性急な議論に疑問の声があがっている。
たとえば部会委員を務めた市川昭子・国立学校財務センター名誉教授は、「議論はしたが言いっ放しで、意見が集約されたとは言えない。文科省に都合のいいところだけ書いている」(「毎日新聞」11月15日)と語っている。
当初から盛り込むように叫ばれていた「愛国心」の文言は、さすがに中間報告では使われていない。それでも「国際社会に出れば、自国の存在に無関心でいられず、地位を高める努力をするのは自然である。このような思いが国を愛する心につながり、前提として郷土や国の伝統、文化を理解し、尊重することが重要となる。国を愛する心が全体主義にならないことはいうまでもない」と書かれている。
控えめではあるが、教育基準法がこれまで排除してきた愛国心や道徳心を、しつこくもとめている。教育基本法は「教育の憲法」と呼ばれ、憲法が教育を通じて国民に浸透するようにつくられた法律である。国家主義的な思想を拒否することによって出発した教育基本法が、国家主義そのものを容認し、強調する方針に180度転換した。
憲法調査会の動きと合わせ、これらが日本人の意識にあたえる影響は大きい。この規定しない「愛国心」の強要は、日の丸・君が代の掲揚・斉唱にともなう処分など、教師の管理強化にむかっている「力」をさらに推し進めることになる。
このほかにも「学校・家庭・地域の役割」として、「教師の使命感や責務を明確にし」、家庭の「果すべき役割や責任を想定」し、学校が「「知・徳・体」を教える場であることを明確に規定」すべきだとも書いてある。道徳教育を強化し、教師にたいする国家の管理を強めようという狙いがみえる。

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