日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一③

けれども、日本にもどって大量に印刷・製本しただけでは、無人島での出版と情況はたいして変りません。ここに「出版」というものの根本的問題があります。なぜか。
それは、いかに大人口の国で大量に印刷・製本しても、一般にその存在が知られなければだれも買おう(読もう)とはしないからです。
「読者」となるためには、何よりもまず存在を知ることが第一歩、中身の良し悪しだの趣味だのは次の段階での話でしょう。ここに「広告」とか「宣伝」というものの基本原理があります。すなわち、出版には広告が不可欠であって、私家版ならともかく、広告のともなわぬ出版などは「無人島での出版」でしかありません。とりわけジャーナリズムとしての出版であればこれは深刻な問題です。印刷・製本ではあっても出版ではない、と極論することもできます。
極論ではあっても、これは当然きわまる事実ではないでしょうか。ところが出版人・広告マン・宣伝マン・編集者などには、この当然きわまる原理に気づいていない人が、思ったよりも多いことは最近私は気づきました。それは私のこのコラムにも関係することです。
たとえば同人雑誌というものがあります。なぜ「同人」かというと、仲間うちだけで読みかつ読まれつだからですが、もっと本質的には「仲間以外から読まれない」から、外界に知られないから、存在を知られないから、つまりは「無人島での出版」と同じ原理だからでしょう。前述の5人の遭難者が雑誌を出して書いたら、これは5人の同人誌であって、外界が知ることはできません。さらに言いかえれば外界への影響力がないということです。
*Deutschドイツ語⇒Der Begriff Dōjinshi (japanisch geschrieben 同人誌) ist eine Abkürzung des Begriffs dōjin zasshi (同人雑誌, „Zeitschrift von und für Gleichgesinnte“, dōjin sind Menschen, die den gleichen Geschmack teilen, zasshi ist das Magazin[1]) und bezeichnet von nichtprofessionellen Zeichnern im Selbstverlag herausgegebene Mangas, vergleichbar mit Fanzines.
同人誌は「読みつ読まれつ」ですが、一方的な発行の雑誌(つまり読み手が同時に書き手ではないフツーの雑誌)でありながら、同人誌と本質は変らぬ場合もあります。たとえばそれは、定期購読者だけに郵送される雑誌で、かつその内容についての広告・宣伝をしない雑誌です。たとえば万単位の読者がいようと、これは定期購読者以外には知られない、外界への影響力がないという点では「無人島」内部での出版と似た原理でしょう。(ただし、その定期購読者たち自身が外界への強い影響力を持つ場合は、間接的な影響力を持つことができる。政党の機関紙や宗教の教典などはこれにあたる。なんらかの分野でのリーダー格の人々が講読する場合も同様だが、影響力はあくまで間接的なものといえよう。)
本誌1月17日号のこのコラム(「時間不足をなにとぞお許し下さい」)で書いたように、私たちは何人かの同志で硬派の新週刊誌『週刊金曜日』の創刊を準備していましたが、その採算点たる3万5000人の講読予約目標をこのほどほぼ達成したので、過日の編集委員会で今秋創刊を正式に決めました。しかし広告に依存しない経営<注1>の安定のために、創刊時には5万人の購読者を得るべく努力することになりました。
「無人島での出版」について説明しましたのは、この新週刊誌がいかに定期購読者中心<注2>であろうと、無人島出版をやるつもりはないことを言いたかったからであります。それでは影響力がない。ジャーナリズムとしての役割もはたせない。したがって私たちは広告・宣伝にも大いに力を入れる予定です。それをも含めた上での「採算点」でした。
広告・宣伝・プロパガンダ・PR・広報・パブリシティ。要するに「知らせる」ということの本質を最もよく理解していたのは、ナチ・ドイツの宣伝相ヨゼフ・ゲッベルスでしょう。ゲッベルスがいかに恐るべき人物かは、クルト・リースの『Joseph Goebbels』(西城信訳『ゲッベルス』=図書出版社・1971年)がよく描いています。

①Русскийロシア語⇒Па́уль Йо́зеф Ге́ббельсパウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(немецкое произношение Гёббельс; нем. Paul Joseph Goebbels, немецкий: [ˈpaʊ̯l ˈjoːzɛf ˈɡœbl̩s] (Звук слушать); 29 октября 1897 года, Райдт, Рейнская провинция, Пруссия — 1 мая 1945 года, Берлин) — немецкий политик, один из ближайших сподвижников и верных последователей Адольфа Гитлера②全国宣伝指導部(独:ReichspropagandaleitungRPL)direction de la propagande du Reich de la NSDAP) (RPL) は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の組織である③国民啓蒙・宣伝省(こくみんけいもう・せんでんしょう、ドイツ語: Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda 略称・RMVP)Reich Ministry of Public Enlightenment and Propagandaは、ナチス・ドイツ時代のドイツに置かれた国家宣伝と国民指導を目的とした省。日本語では国民啓発・宣伝省と訳されることもある④Wenn du eine Lüge hundertmal erzählst, wird sie wahr嘘も百回言えば真実となるIf you tell a lie a hundred times, it will be true

*Deutschドイツ語⇒Curt Riess, auch Riess-Steinam, ursprünglich Curt Martin Steinam, alias Peter Brandes, C. R. Martin und Martin Amstein (* 21. Juni 1902 in Würzburg; † 13. Mai 1993 in Scheuren, Ortsteil von Maur, Kanton Zürich) war ein jüdisch-deutscher Schriftsteller.
いうまでもなく、ゲッベルスは広報の本質を悪魔的にまで「悪く」利用しました。しかし反対に「良く」利用するとしたら、どういう場合があるのでしょうか。キリストやムハンマドやブッダの使徒たちは預言者あるいは教祖の真意を広報すべくつとめたし、孔子の弟子たちは「子曰く」と記録して広報・宣伝につとめたし、ソクラテスの弟子のプラトンその他もそうだし、ホーチミンの弟子のファン・バン・ドンやボー・グエン・ザップその他も師の意図を広報・実践・拡大してベトナムの独立・統一を達成しました。これは「良く」利用したと、いえばいえるでしょう。しかし、悪かろうと良かろうと、広報の本質に変わりはなく、要するに「知らせる」「お知らせ」「伝達」「宣伝」こそがすべての第一歩なのです。「すべての」第一歩ですから、これなしには一切が「無」であります。さきに「無人島での出版」と極論したのも、このような意味からでした。

①ホー・チ・ミン(胡 志明、ベトナム語:Hồ Chí Minh / 胡志明 HoChiMinh, 1890年5月19日 - 1969年9月2日)は、ベトナムの革命家、政治家②ファム・ヴァン・ドン(ベトナム語:Phạm Văn Đồng / 范文同 Pham Van Dong、1906年3月1日 - 2000年4月29日)は、ベトナムの政治家。ホー・チ・ミンの側近。1955年から1976年までベトナム民主共和国(北ベトナム)の、1976年の南北ベトナム統一後は1987年まで、合計32年間にわたり首相を務めた③ヴォー・グエン・ザップ(ベトナム語: Võ Nguyên Giáp、漢字:武原甲、1911年8月25日 - 2013年10月4日)は、ベトナムの軍人、政治家。ベトナム共産党政治局員。ベトナム人民軍(QĐND)総司令官。最終階級は大将であった④↑左からファム・ヴァン・ドン首相、ホー・チ・ミン主席(大統領)そしてチュオン・チン(Trường Chinh / 長征)国家評議会議長(国家元首)、ヴォー・グエン・ザップ国防相です(1954年3月、ディエンビエンフーの戦いChiến dịch Điện Biên Phủにおける総攻撃に先駆けた作戦会議) 。
私個人についてこの原理を適用してみましょう。去年の5月に『朝日ジャーナル』が休刊となったあと、連載していた私のコラム「貧困なる精神」を『サンデー毎日』に’引っ越し’して続けさせていただきました。連載記事の内容や傾向に全く変りはありませんが、次の一点だけが変っています。
すなわち、その時々の問題に深くかかわるタイムリーな論評の場合は、『朝日ジャーナル』だとその見出しを新聞広告や電車中吊りポスターに出してくれました。しかし『サンデー毎日』の場合は、そういう例が全くありません<注3>。もちろんそれなりの理由はありましょうが、結論としての話です。これは「無人島出版」からすれば次のように解釈することができます。
たとえば『週刊新潮』に山口瞳氏が連載していた身辺雑記的な随筆であれば、とくに広告を出さなくてもよいでしょう。広告にない連載は、その筆者のファンが読むということであって、固定読者と筆者の間の無人島出版的関係になります。
*Deutschドイツ語⇒Yamaguchi Hitomi (japanisch 山口 瞳; * 3. November 1923 in Tokio(東京都出身); † 30. August 1995) war ein japanischer Schriftsteller.
しかし私のコラム「貧困なる精神」は、もちろん身辺雑記や登山記や趣味の話もありますが、時事問題に深くかかわるテーマがかなりの割合で多いのです。そういうときは、いわゆるファンだけではなしに、ひろく一般に呼びかけて、なるべく多くの人々に読んでほしいと思います。つまりは無人島出版ではなく、広告をしてほしいのです。
最近の例でいえば、教科書裁判での最高裁判決に対する批判を『サンデー毎日』で三回にわたって書きました(4月2日・18日・25日号)。これなどは一般に広く訴えたい内容なのですが、広告はもちろん目次にも出ていませんから、雑誌のこのコラムそのもののページを見るまでは気づかれることさえないでしょう。これでは無人島出版的関係の固定ファン以外へのひろがりはあまり期待できないのであります。
しかし、広告に出してくれ、などと編集者に自分でいうことは、なんだか自己顕示欲にまみれていると思われそうで嫌なのですが、去年の暮れに恥をしのんで一度だけ、多忙なため一回分の文章量を短くするお願いのさい編集長に言ってみました。にもかかわらず以後もこの願いは実現せず、連載はすべて広告しないのが原則とのことです。
仕方がないので、私のほうでも方針を変更することにいたしました。つまり「最高裁の判決批判」といった時事問題に深刻にかかわるテーマの場合は、今後は「広告に出してくれる雑誌」か、あるいは「新聞等に雑誌広告を出さない小雑誌でも読者がそういうテーマを歓迎する雑誌」に書くことにしました。
したがって『サンデー毎日』には、無人島出版に適した身辺雑記とか登山記、あるいは日常生活における「貧困なる精神」や「文句じじい」的随筆をつづけることにいたします。
いや、これはべつに『サンデー毎日』に抗議しているのではありません。それぞれの雑誌にはそれぞれの編集方針があり、それぞれに”偏向”しているわけですから、それぞれの編集方針を筆者の意図にあわせて変えようとしても無理な話なのです。ただ、こちらもその編集方針にあわせましょう。あわせてテーマを選びましょう、というだけのことなのです。
『朝日ジャーナル』が休刊に追いこまれたとき、『サンデー毎日』はそのすぐ翌週から私の連載コラムをすくいとって下さった週刊誌として、「貧困なる精神」史の中でも独特の色あいを帯びています。
<注1>経営の基盤を広告に「依存しない」だけであって、広告を拒否するのではない。
<注2>原則は定期購読予約者に郵送する方法だが、一部の書店や大学生協などでも扱う。ただしその場合の定価は定期購読読者向けよりも割高になる。資料請求あるいは講読申込みは左記へ。〒101 東京都千代田区神田錦町2-2、錦信第1ビル5K『週刊金曜日』(℡03-3296-0081 FAX03-3296-0082)
<注3>例外として、去年の秋にロシアのエリツィン大統領が来日する(はずだった)とき、北方領土に関連する提言として広告に出していただいたことがある。これはしかし私の方からお願いしたのであって、いちいちこんな気恥ずかしいお願いをしたくはない。(『サンデー毎日』1993年5月30日・『噂の真相』同7・8月号)

Polskiポーランド語⇒Morihiro Hosokawa (jap. 細川 護熙 Hosokawa Morihiro(東京都出身); ur. 14 stycznia 1938 w Tokio) – japoński polityk, premier Japonii.
                       もともと哀しい器の細川
細川首相が辞任したが、自民党長期政権がやりたくてもできなかった悪政を、自民党にかわって短期間にドンドン実現させたのが細川政権だった。それ以外に何かありましたか?
すでに本誌3月18日号で「細川(連合)政権の『終った使命』と横路北海道知事の『終った使命』」として、細川(かつて同じ新聞社にいた”後輩記者”として「君」とする)に弔意を表していた私としては、今ごろ総理をやめたからといって何の感慨があろうか。もともと小沢一郎の代行ていどの器でしかなかったのだ。自らの哲学も「知」もないから、「侵略」発言にしてもアジアと欧米との区別さえつかない。佐川だのコクドだの汚い業界との疑惑にまみれているのでは、ゼネコンGeneral contractor型税金泥棒ダムの象徴たる「長良川Le déversoir de l' estuaire de la rivière Nagara」がストップできなかったのも、当然どころか必然である。
①Русскийロシア語⇒Такахиро Ёкомити (яп. 横路 孝弘 Ёкомити Такахиро(北海道出身), род. 3 января 1941, Саппоро, префектура Хоккайдо) — японский государственный деятель, председатель Палаты представителей (2009—2012)②Deutschドイツ語⇒Ichirō Ozawa (jap. 小沢 一郎, Ozawa Ichirō(東京都出身), * 24. Mai 1942 in Shitaya (heute: Taitō), Tokio) ist ein japanischer Politiker③Sagawa Express Co., Ltd. (佐川急便株式会社, Sagawa Kyūbin Kabushiki-gaisha) is a major transportation company in Japan.도쿄 사가와큐빈 사건(東京佐川急便事件)은 일본의 택배 기업인 사가와큐빈을 둘러싼 부정부패 사건이다. 자유민주당의 거물 정치인이던 가네마루 신을 비롯하여 정계의 자금 흐름이 문제되었다.

こんな人物に日本では支持率が高いというのだから、結局は「いかなる国民も、かれらにふさわしい政治しかもてない」(欧米の金言)のであろう。(『週刊金曜日』1994年4月22日号)

The Kabutoyama Incident甲山事件 is a series of incidents that originated in 1974 when two children were killed at Kabutoyama Gakuen, a facility for people with intellectual disabilities in Nishinomiya City , Hyogo Prefecture . The innocence of all those charged with the case was confirmed.

                 軍律の横行            鎌田慧
「人権の報道・関西の会」という市民グループに呼ばれて、大阪へ行った。犯罪報道を是正しようという新聞記者や弁護士たちの集まりで、事務局にいる甲山事件の無実者である山田悦子さんに声をかけられてのことだった。
わたしは冤罪事件の報道についておぼつかない話をして前座を務めたのだが、真打は、神戸の県立高校で起こった女子生徒の「校門圧死」をめぐるシンポジウムである。パネラーは、その高校の教師と県高教の幹部、地元記者、そして被害者家族の代理人(弁護士)の四人。この不幸な事故をめぐる報道を検証しようという意欲的な試みである。

Françaisフランス語→L' affaire accablante de la porte du lycée de Kobe Takatsuka神戸高塚高校校門圧死事件 (lycée de Kobe Takatsuka) s'est déroulée le 6 juillet 1990 au lycée de la préfecture de Hyogo Kobe Takatsuka à préfecture de Hyogoville de Kobe,Nishi-ku Toshihiko Hosoi , 39 ans à cette époque) temps) a essayé de fermer la porte de l'école à la porte de l'école au moment du couvre-feu, mais une élève (15 ans à l'époque) qui a essayé de franchir la porte de l'école juste avant le couvre-feu s'est dirigée vers la porte. était un cas d'être pincé [1] écrasé et mort .
「代理人」の話をきいてはじめて知ったのだが、事故のあと、被害者の自宅に報道陣が押しかけ、張り込みがつづき、父親は一ヵ月間も勤めに出られなかった。それで「代理人」を依頼することになった、という。遺族の声をきく、というのはマスコミのひとつのパターンだが、それほどまでする必要があるか、と反省させられる。
もうひとつハッとさせられたのは、生徒は遅刻して殺された、と受けとめられていたのだが、8時30分ちょうどに門をくぐっていたのだから、「遅刻ではなかった」との遺族の主張である。もちろん遅刻したから殺されていいというのは論外だが、彼女は8時30分に門を通過していた。とすると、彼女になんの落度があったのか。遺族にしてみれば、それは冤罪で殺されたことにも匹敵する。
遅刻しなくても殺されるとしたなら、それは予防のためのみせしめだったことになる。
その高校の教師を代表して出席したのは、県高教の分会の役員だった。彼によれば、74名の教師のうち、組合員は10名しかいない、という。
そのこともあってか、校長は絶対的な権限をもっていて、職員会議はあたかも専制政治のセレモニーのようにおこなわれ、教師には発言の自由などなかったようである。
校門で生徒が死亡する、という信じられない事故が発生したにもかかわらず、その日からはじまった期末試験はそのまま継続され、生徒たちは通用門から帰されていた。教師たちは事情を知らされず、新聞やテレビで知るていどたった、という。
新聞記事によれば、事故の翌日、体育館で開かれた全校集会で、教務部長は「亡くなった石田さんの分までがんばって、(期末テストの点数を)稼ごう」と発言したり、校長は「皆さんが10分はやくくれば」といったりしたようだ。どこまで自分たちの責任を感じていたのだろうか。
シンポジウムの会場で配布された県高教の分会(当該校)の声明では、門扉の構造や教育委員会・校長の管理についての批判が書かれていた。その批判は当っていると思うが、それを許してきた教師たちの非力さにたいする自己批判はまったくみられなかった。
それで、わたしはたまりかねて発言した。その前に一時間以上も喋っていたので、会場から発言するのは遠慮したかったのだが、なぜ230キロもの重い門扉をそのままにしてきたのか、それもなぜ8時半にはピシャリと閉ざして、遅れた生徒を排除してきたのか。たしかに、女子生徒を死なせてしまったのはA教師である。が、それはたまたまのことであって、もしかしたら自分が手を汚していたかもしれない。その危険性に眼をつぶってきたことへの怖れと痛みが、その声明にはなかったからである。

わたしの発言のあと、大学で語学を教えている、というフランス人の女性が、「これは構造的な殺人事件です」といい切った。わたしはそれに賛成である。門扉の構造ばかりか、それを加重させた教育行政やシステム、そしてそれを許容してきた教師総体、その責任が問われているはずである。
いまやごく当り前になってしまった管理が生徒たちの死を招くかもしれない、と教師のだれも想像しなかった。あるいは想像するものがいたかもしれない。が、それを主張し、抵抗し、やめさせる勇気がなかった。そして、そこに労働組合があったなら、運動の弱さへの自己批判があってしかるべきで、校長や行政批判でことたりるものではない。
8時30分になると教師によって押しだされる鉄製の門扉は、いまの教育の象徴である。教育が受け容れるよりもはじきだす冷酷なものになっていないか。そのあいだにはさまったものが圧しつぶされる。一秒のちがいで生死をわかたれるほど学校が重要なものかどうか。
非行防止と成績向上。それが学校教育の最大の価値観となっている。サボる自由も遅刻する自由もない、とすれば、そこはすでに軍律の世界である。
子供たちが校則という名の軍律で処分される。それをほとんどの教師や父母が認め合っているこの国の不気味な情況に、われわれはどっぷりと浸っている。
戦争に協力しないものは卑怯だ、との意見が出てきた。日本だけが平和でいいのか、との声高いな叫びがきこえている。その声に踊らされて、あわてて跳びこんではいけない。(91年1月)

                                                                     地獄への道
10月上旬発売の『週刊新潮』と『週刊文春』のトップ記事は、日朝国交回復批判、である。新潮は「謝罪外交」、文春は「土下座外交」とやっつけている。たしかに金丸元副総理にスタンドプレーの意図がみえなくもないが、謝罪が遅きに失したとはいえ、それ自体はけっして否定されるべき筋合いではない。
*Suomiフィンランド語⇒Shin Kanemaru (金丸 信(山梨県出身) Kanemaru Shin), 17. syyskuuta 1914 – 28. maaliskuuta 1996[1]) oli japanilainen poliitikko, joka oli merkittävä hahmo Japanin politiikassa 1970-luvulta 1990-luvun alkupuolelle.
ところが、新潮のリードには、「泥棒に追い銭」とあって、日本人のひとりとして恥しい気持にさせられてしまった。まるで高級車に乗っていて、当り屋を警戒している成金の感覚である。
①「謝罪外交」を越えて アジア再考 Beyond "Apology Diplomacy" Rethinking Asia(小学館文庫Shogakukan Bunko) September 1, 2002深田 祐介Yusuke Fukada 古森 義久Yoshihisa Komori②土下座外交Dogeza diplomacy外交において、相手国の要求を無条件で呑み続けるなど、極端な弱腰の姿勢で臨むことを意味する表現diplomacy , an expression that means taking an extremely weak posture, such as continuing to swallow the demands of the other country unconditionally③盗人(泥棒)に追い銭changing money to thieves盗人に物を盗まれたうえに、金銭をくれてやること。転じて、被害にあったうえに、さらに損を重ねることのたとえTo give more money after being stolen by a thief. The parable of accumulating losses. Change to a thief.
敗戦から45年もたってしまえば、侵略した側が侵略された側を「泥棒」といいくるめることが可能になるのだろうか。朝鮮、韓国人がもしもこの記事を読んだなら、まずなにかのまちがいだろうと眼を疑うであろう。
いまさらいうまでもないことだが、侵略に勝る泥棒はない。泥棒はまだ可愛気もあるが、火つけ、強盗、人殺しを堂々とおこなっていたのが、45年前の日本人であって、どんなに批判されたにしても、甘んじるしかないはずである。
それにもかかわらず、「泥棒に追い銭」などと書くのは、「盗っ人猛々しい」というしかない。加害者であるはずの日本人は、いつから被害者になったのだろうか。
そもそも、幸か不幸か、日本人が成金意識になれたのは、1950年の朝鮮戦争Guerre de CoréeによってであるKorean Special Demand。倒産寸前だった日本の重化学工業は、北朝鮮の山河にバラ撒かれた爆弾を米軍に納入したり、戦車を修理したりして、その後の発展の基礎を築いたことを忘れてはいけないSpecial demand economy
さらにいえば、朝鮮半島が한반도 분단(韓半島 分斷)二つに分割Teilung Koreasされるようになった根っこのところに、日本による일제 강점기(日帝強占期)植民地化Корея под властью Японииがあったわけで、それらの歴史的事実に眼をつむって、カネを取られるぞ、と叫んでるのをみると、とても情けなくなってしまう。
「バカ」か「利権」か、というのは『週刊新潮』の中見出しである。それは金丸批判なのだが、彼の行動を「利権」がらみで説明しようとするのは、強引にすぎる。利権について本文では「今のところ噂の域を出ない」と断わっている。
噂を動員して「謝罪」を帳消しにしようというのはフェアといえない。
たとえば、田中角栄が日中国交回復に調印したあと、その行為を週刊新潮は『バカか利権か』とこきおろしたであろうか。マーケットが大きく商売になる中国との国交回復なら双手をあげて賛成し、もちだしになりそうな北朝鮮だと冷水を浴びせる。そんなエコノミック・アニマルの意識が、これらの記事の底に流れていないだろうか。
*エコノミックアニマル(economic animal) 経済上の利潤追求を第一義として活動する人間を侮蔑的にいう。高度成長期の日本人に対して欧米人が呼んだ語Wirtschaftstier (wirtschaftliches Tier) Eine Person, die mit dem Streben nach wirtschaftlichem Gewinn als oberste Priorität arbeitet, wird verachtet. Ein Wort, das Westler in der Hochwachstumszeit für Japanisch nannten.

*중일공동성명(Japan–China Joint Communiqué中日共同聲明Communiqué commun du gouvernement du Japon et du gouvernement de la république populaire de Chine)은 중화인민공화국 정부와 일본 정부가 1972년 9월 29일 중화인민공화국 베이징에서 체결한 공동성명이다.
さいきん、ときどきびっくりさせられるのは、若ものたち(ばかりではないが)のあいだに根強い、日本が最上の国だ、との思い込みである。ついこの間までの日本の貧しさを知っている中年男にとって、それは思いがけない伏兵といえる。
その基準は、経済力への自負であって、どこへ行っても「貧しさ」ばかりに眼を奪われて、相手国を小バカにして帰ってくる。日本以外のアジアのひとたちが、みんな日本に憧れ、日本人のようになりたい、と思っていると考えるのは、「夜郎自大」というもので、身のほど知らず、というしかないが、そんな手合いがふえている。
日本人は幸せで、貧しいアジア人は不幸との視点は、金持ちを幸せで貧乏人を不幸とする己れの貧しい認識の反映であるが、どうしてこうも悲しむべき Materialismus物質崇拝materialismだけが蔓延してしまったのだろうか。
*버블 세대泡沫世代(일본어: バブル世代)는 일본에서 1980년대 중반 당시[1] 경기 호황이 본격화하면서 이들이 10대 중후반에 학업을 등지고 취업의 길로 입문하게 되는 세대를 말한다The bubble generation is the generation that got a job in Japan during the bubble economy , and it was an era when many university graduates were able to get a job at a major company by mass hiring of companies

情報化時代といわれながらも、あふれているのはモノ情報だけで、新聞はDer Begriff Kisha Club記者クラブ기자 클럽発表の画一的情報に覆われている。たまに週刊誌に批判的な記事が現われたにしても、歴史を無視した見当ちがいとなってあらわれる。現実と歴史を結びつけて書くジャーナリズムの手法はますますなくなっている。
Интернационализация国際化Internationalisationを謳いながらも、自分の国の基準でしか考えられないから、この国の為政者たちは国際的には噴飯ものの失言を性懲りもなく繰り返して愧じるところがない。

①Feb 21, 2012 —China does not accept Nagoya Mayor Takashi Kawamura's denial of the crime of the Nanjing Massacre②May 14, 2013 — Osaka Mayor Toru Hashimoto said on Monday that the "comfort women" gave Japanese soldiers a chance "to rest"③Feb 18, 2016 —Kazuya Maruyama, Japanese lawmaker apologizes for comment linking Obama to slaves④Aug 31, 2017 —Taro Aso has a history of controversial public statements involving Nazis⑤Nov 26, 2017 —Kozo Yamamoto, Ex-Abe cabinet member makes discriminatory remark about Africans⑥Aug 22, 2020 —Yuriko Koike, Officials under fire over edited transcripts of Koike's remarks⑦Feb 12, 2021 —Le sexisme de Yoshiro Mori, ex-patron des JO de Tokyo, symbole d’un machisme enraciné au Japon⑧Mar 11, 2021 — Mio Sugita, a conservative MP from the ruling Liberal Democratic party (LDP), ranked ahead of men in the survey with her last year's⑨Feb 4, 2022 —Shintaro Ishihara: a politician who peddled hatred
敗戦から45年たって、日本ではますます「過去」にこだわらない厚顔無恥が幅をきかせだした。この45年間、Ministère de l'Éducation文部省일본 문부성はひたすら戦中の加害については隠しつづけ、その功成ってか、ついに「一億総大国意識」の時代となり、いまやまたぞろ勇ましい海外出兵が期待されるまでになった。
さいきん、ある雑誌の取材で、アジア系留学生たちの日本批判を聴く機会があったが、そのなん人かは日本はやがて滅びる、と断言した。
「両側を壁に囲まれた、せまい道を歩いている。そんなふうにみえて仕方ありません」と台湾の留学生が表現した。その道が、地獄への道でないことを希うしかない。(90年12月)

①2007ーPetit Nationalism Syndrome: Young People's Japan Doctrine②Sept 7, 2013 —Le Japon, un Etat nationaliste ?③Apr 20, 2014 —I heart cherry blossoms — the rise of Japan's petit nationalism tsuyoi Nihon (強い日本, strong Japan)④May 15, 2017 —The Global Rightist Turn, Nationalism and Japan⑤『醜い韓国人Ugly Koreans』(93年)は日本でベストセラーになったbecame a bestseller in Japan⑥小林よしのりYoshinori Kobayashi『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論Neo Gōmanism Manifesto Special - On War』(幻冬舎Gentosha)が70万部を超す大ベストセラーとなるdevient un grand best-seller avec plus de 700 000 exemplaires⑦『プライド・運命の瞬間Puraido: Unmei no Shunkan』one of the highest-grossing Japanese films of 1998 and was nominated for two Japan Academy Prizes⑧2013ー《영원의 제로永遠の0Eternal Zero – Flight of No Return》The film had grossed ¥6.5 billion (US$64.1 million) about a month and a half after being released⑨2015ー《일본의 가장 긴 하루日本のいちばん長い日Japan's Longest Day》Найдовший день Японії


[14. Dezember 2001]Wahlloser Terrorismus und willkürlicher Krieg/Katsuichi Honda
Es gibt ernsthafte Zweifel am "War of Bush"! Ein knochiger Journalist kritisiert „Amerika“ anhand eines einmonatigen Interviews in den USA im Juni dieses Jahres und weist in „Ikeike stetig“ auf die Probleme der US-amerikanischen und japanischen Medien hin, die über diesen neuen „Krieg“ berichten.

Portuguêsポルトガル語→O Campeonato de beisebol escolar do Japão (全国高等学校野球選手権大会 'zenkoku kōtō gakkō yakyū senshuken taikai'?) é o maior campeonato escolar de baseball do Japão.
                   甲子園報道と俺の関係    
もともと野球に興味が薄かったせいもあるが、高校野球にも関心がほとんどなかった。とくにプロ野球など、ショウとしてならともかく、あれは人間がパチンコ玉になっているようなもので、スポーツとしては非常にかたよっている。投手の片腕だけに異様に負担がかかり、打者は立ちんぼの時間が長い一方で、突然全力で走らねばならない。「自分がやるスポーツ」としては、あれは三流ではなかろうか。蹴球축구(蹴球, 영어: Association football, 일부 국가에서는 Soccer)の方がずっと「かたより」が少ない。

そんな”偏見”を抱いていたから、山スキーのような豪快で「ひたすら自分がやる」スポーツ、変な試合などなくて楽しい仲間とやるスポーツを知ってからは、新聞社に就職しても野球取材などやる気はまったくなかった。かけだし新人記者はまず支局に配属され、その地方の「甲子園」を担当させられる。俺は北海道(札幌)だったが、日ごろから俺が野球に無関心なことを知っていた上司は、甲子園担当をはずしてくれた。
本社に転任になってずっと後のこと、甲子園野球が高校生に及ぼす害毒を取材した。以前からこの問題を医学的に注目していた友人の整形外科医・西岡久寿樹氏にインタビューするかたちで特集記事を書いた。俺は編集委員になっていたが、そのときの担当デスク(臼井健策編集局次長)は、やはり以前からの友人(ワシントン支局長をつとめ、のちに「天声人語」を執筆)だった。原稿をみるとあわててやってきて言った。-「かんべんしてくれよ。こんなことを書いたら業務(甲子園を直接主催する部局)が目をむくぜ」
そう言って”あぶない所”を削り、あるいは表現をやわらげた(1984年8月27日夕刊)。のちに『朝日ジャーナル』の連載コラムを書くようになったとき、こんどは"圧力”をかけられるおそれはないので、前述の整形外科医などとともに「新版・野球とその害毒」と題し、主として少年野球や甲子園野球を対象に、徹底的に批判する八回の連載記事を書いた(1990年=注)。
こうして俺は自分を憎む人々をまたしてもふやしてしまった、のだ。(『週刊金曜日』1997年7月25日号)
<注>この連載はのちに『貧困なる精神・第21集』(すずさわ書店・1991年)に収録した。

                    誤読はかなしい
『毎日新聞』文化面のコラム「瑣末事小研究」が、いかにもエラソーな態度でからんできたので、二度応酬した。匿名コラムを使っての絶対権力者気取りが、基本のところで誤読していたら目もあてられぬ。
<その1>誤読はかなしい
2月14日夕刊のこのコラム「判決批判の『作法』は、『週刊金曜日』の昨年12月10日号に私が書いた一文(東京高裁の判決に対する論評)を批判する内容ですが、これは①基本的に誤読の上での批判であり、②裁判所の側だけに立った視点(あえて言えば「御用評論」)にすぎませんので、本紙読者に誤読されぬためにも、ひとこと反論しておきたいと思います。
なぜ誤読か、このコラムを書いた匿名の筆者「於」氏は、私の論評が「判決が検討した内容にはふれずに」裁判長の態度を問題にしているとし、裁判官が「うつむいていようが大口をあけて笑っていようが、判決の中身と直接の関係はない」と批判しています。
どうか私の原文を読みなおして下さい。原文は明白に「判決が検討した内容」を中心に論評しています。量的にも質的にも判決の内容への批判が中心です。裁判長の態度を冒頭で書いたのは、あくまで「起承転結」式にいえば「起」としての役割、あるいは文章技術上の「読者を引きこむ話術」にすぎず、そのこと自体を批判の中心にしてはいません。問題は見出しにあるとおり、丹宗朝子裁判長が「憲法の精神に反する判決」をしたことにあります。
こういう誤読をする第一の理由は、「於」氏がこの裁判について全く何も調べずコラムを書いたからでしょう。その証拠に「於」氏は、たとえば「・・・見解を朝日新聞に記事化し」といった事実無根の虚偽を書き、さらに「これを中心にした著作を刊行」などと間違いの上ぬりをしています。
第二の理由は、「於」氏が判決を無批判に「公正」「明解」とした前提で書いているからでしょう。何よりも、裁判のもととなった。『諸君!』Shokun! (諸君!, Shokun!, literally “Gentlemen!”)の評論と、私の原著とを読みくらべることを「於」氏におすすめします。
警察の一方的発表だけを記事にするマスコミのあり方が問題視されていますが、裁判も全く同様で、体制側の判決という「一方の言い方」に対して、「判決された側」の見解が今のマスコミには余りにも欠落しています。裁判の体制癒着(司法の独立の崩壊)が大問題になっているとき、それにマスコミまで癒着してしまえば、裁判への信頼などうすれる一方でしょう。
なお、「入門講座」<注>の<その1>のつづきは、もちろん近いうちに書きます。こうした中断は私の過去の例に全然珍しくありません。(『毎日新聞』1994年2月14日夕刊)
<注>『週刊金曜日』に間欠的に連載している拙文「裁判官のためのジャーナリズム入門講座」を指す。
<その2>『判決批判』批判の作法
このコラムに匿名の「於」氏が書いた「判決批判の『作法』は、私が『週刊金曜日』(昨年12月10日号)に書いた一文を批判する内容だったので、同じコラムで「誤読はかなしい」(2/28)と反論したところ「於」氏が「『反論』の作法」(3/10)として再批判されました。
匿名氏の微細な再批判を逐一追ってみる読者は少ないでしょうから私の再反論を一括すれば、この小さなコラムの枠内に収めるべく引用にさいして省略せざるをえなかった部分を、匿名氏は単にあげつらっているだけです。氏のいうとおり省略なしに引用したとしても、私の主張に何の影響もないどころか、むしろ主張がより強い説得力をもつでしょう<注>。
この匿名氏が基本的にダメなのは、当初「判決批判の『作法』としながら①判決自体を正しく読んでいないし、②判決の認定事実が妥当かどうかを検討していない点です。これでは「『判決批判』批判の作法」ができていないことになります(これらについては、前回指摘したような奇妙な虚偽を匿名氏が書いていることからも明白)。
そして、権力側によるこうした一方的な判決を、ろくに資料も読まずに「明解」と支持する匿名氏に社会的意味があるとすれば、もっぱら司法権力の体制癒着を助長する反面教師としての役割でしょう。裁判の堕落が近年とみにひどくなっているようですから、「判決」という名の権力による判断は、国民による厳重な批判・監視が必要です。
私は自分で訴訟を起こしたのは初めてですが、その前に証人として二回ほど法廷に立つ機会もあり、実際に裁判を体験してみて、世間知らずの無知な裁判官による粗雑な判決がいかに多いかを痛感しました。これには裁判官の個人的素質以上に現行の司法行政や裁判制度が問題なのでしょう。
いずれにせよ「裁かれる側」としての国民にとっては、当面はひどい被害としてののしかかってきます。一方的粗雑判決に泣いている人々がどれほど多いことか、そんな”権力犯罪”的判決も珍しくないのですから、匿名氏も「判決批判を批判」する以上、せめて原判決や資料を正確に読んで下さい。(『毎日新聞』1994年4月27日夕刊)
<注>ただし一ヶ所だけ、ミステークによる書きおとしが四字あったが、これも原字通りにしても「何の影響もないどころか、むしろ主張がより強い説得力をもつ」であろう。引用はミスを防ぐべくコピーをはりつけることにしているが、このときは短い句なのでそれをしなかったのが原因。今後は短い引用でも必ずコピーを原稿にしよう(『貧困なる精神Y集 蛙のツラに拡声器 』朝日新聞社、1994年)。

Русскийロシア語⇒Фумихиро Дзёю (яп. 上祐史浩 Дзё:ю: Фумихиро, Дзё:о: Фумизиро, Дзё:о: Фумисиро, род. 17 декабря 1962 года) выполнял функции менеджера по связям с общественностью японской религиозной группы Аум синрикё. Является фактическим главой организации с 1999 года, ныне называющейся «Алеф».
                   つきあいきれぬ人々
新聞記者とか編集者といった職業ですと、当然ながら実にさまざまな分野や立場の人々と接するし、記事の反響としてたくさんの手紙や電話をいただいたりもします。そして当然ながら、それらの人々の性格もまた実にさまざまです。
さまざまな性格の人々ですから、なかにはかなり「変った人」も、一定のパーセンテージでいます。平均的性格の個人というものはない以上、数字的な意味で当然のことでしょう。これについては本誌(『噂の真相』の今年1月号の投書欄(「読者の場」)で書いた「”貴重な”個性」でもふれました。
「変った人」の存在自体はどうということもないし、当然でもありますが、それが「つきあいたくない」タイプだった場合、普通であれば敬遠するだけでいいものを、記者だの編集者だのですとそうもいかない例がしばしばあります。これは書いたり編集したりしたものが公刊された結果としてのリアクションであり、宿命でもあるでしょう。(もちろん反対の「実にありがたい反響」や「貴重な情報」もある、というよりその方が多いのですが、ここでは別とします。)
去年(1994年)の5月中旬から『週刊金曜日』という雑誌の「編集長」を引継いで四苦八苦していますが、還暦をすぎてから「編集長」などという”生まれて初めての職種”をやってみて、教えられることが多々ありました。そうした中のひとつに、「つきあいたくない」タイプにまで糞まじめに責任感を持って相手にする必要はない、という結論があります。
私はこれまで、自分の記事や本に対してさまざまな批判なり誤りの指摘なりをしてきた人には、まともに応じるなり訂正なりをしてきました。しかし誤読を土台にした非難とかは、ばかばかしい水準のいちゃもん、あるいは匿名・偽名の卑劣な攻撃は黙殺しました。
しかしながら、「編集長」となるとそうはいかないと考えたので、公刊されたものでの批判・非難に対しては、当の刊行物の同じ土俵で、できるだけ応じる方針をとりました。ひとつの雑誌の責任者なのですから、黙殺すれば不当な言いがかりでも世間に誤解されっぱなしになると思ってのことです。本誌(『噂の真相』)の投書欄に何回か書いたのも、その結果です。
やってみて、これは際限のない無駄骨折りだと悟りました。論理的正確さも誠意もなく、しばしば偽名・匿名のままいいかげんな揶揄口調で無責任に攻撃してくる人々につきあうには、その改竄引用や不正確・誤読などをいちいち指摘するだけで多くの字数を要し、そればかりか「お相手」すると喜んでさらに「ああ言えば上祐」<注>を重ねて改竄・非論理・誤読・曲読・揶揄を増幅するのです。
4月号に限って例をあげれば、書くなら正確に、と私が要望すると「内部事情を暴露され・・・トチ狂って」と曲読したり、「事務所に出てこい!顔を出せ!」などと私が「発言」したことに改竄する。投書欄で回答すれば「連載の場を持ちながら「読者の場」をも侵して・・・迷惑このうえない」し、ぼう大な投書の中から担当者が選んだものに編集長が目を通しただけでは「傲慢」だという。「会議の最中にガタガタ音をたてて平気」な人物を身障者問題にスリかえる・・・。
こういう人々には、とてもつきあいきれません。多くの編集者の忠告を受け入れて、「糞まじめな責任感」はやめました。申し訳ありませんが、つきあうと喜ぶ「上祐さん」たちにお相手している時間がないのです。お許し下さい。(『噂の真相』1995年7月号)
<注>サリン事件で大量の死者を出さしめた「オウム真理教」の幹部「上祐」は、逮捕される前のテレビ出演などでさまざまな質問や追究に対して、あらゆる屁理屈で「見事」に応じてかわすので、「ああ言えばこう言う」をもじって「ああ言えば上祐」とからかわれていた(『貧困なる精神P集・無差別テロと無差別戦争』朝日新聞社、2002年)。

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