日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一⑥

日本留學生射殺事件:服部剛丈(1975年11月22日-1992年10月17日),出生於名古屋市,日本留學生,由於在美國被有爭議的殺害,引起了亞洲各國對美國槍枝管制問題和可能的種族歧視問題展開了關注

Españolスペイン語⇒Yoshihiro Hattori, también conocido como Yoshi Hattori (服 部 剛 丈, Hattori Yoshihiro; Nagoya, 22 de noviembre de 1975-17 de octubre de 1992)1​ era un estudiante japonés en un programa de intercambio en los Estados Unidos que fue asesinado en Baton Rouge, Luisiana. Iba de camino a una fiesta de Halloween y fue a una casa equivocada por error. El dueño de la propiedad, Rodney Peairs,2​ mató a tiros a Hattori, pensando que estaba invadiendo su hogar con una intención criminal. El tiroteo y la absolución de Peairs en el tribunal estatal de Louisiana recibieron atención mundial.

               アメリカ式「白人民主主義」がおわかりですか      本多勝一
アメリカ合州国の「自由」や「民主主義」などは、要するに「白人の自由」「白人至上主義」にすぎず、もっといえば「侵略者の自由」「海賊民主主義」にすぎないことは、本誌のコラムでも指摘してきたし、基本的には20年余り前のルポ『アメリカ合州国』(朝日文庫)で報告したとおりである。


[1981]Les états-unis d'Amérique auteur Katsuichi Honda (Auteur)
しかし、アメリカ合州国の野蛮な側面を理解できる日本人は「きわめて少ない」こともまた指摘してきた。それはこの国に留学した日本人の大部分を含めてのことだ。留学生の多くは「体制側」「主流」としての「白人のアメリカ合州国」に身をおいて、その世界での視点しか理解しないまま帰国してきたからである。
だが、今回の「服部君射殺事件」に対するルイジアナ州での裁判結果を知って、日本人もいくらかはこの野蛮な側面を理解できたかもしれない。
報道によれば、名古屋市の高校生・服部剛丈君(当時16歳)は、去年秋のある夜、友人宅のパーティーに行く途中、別の家とまちがえて玄関でノックしたが、出てきた31歳の男が別人だったので立ち去ろうとした。男は「フリーズFreeze(動くな)」と呼びとめたが、フリーズFreeze(凍れ)などというイギリス語を理解できない服部君が止まらなかったので、男は射殺した。レーザー照準の44 Magnum44口径マグナム銃10.9x33mmRによる殺人であった。
*Françaisフランス語→Nagoya (名古屋市, Nagoya-shi?) est la troisième ville du Japon par sa superficie et la quatrième par la population, derrière Tokyo, Yokohama et Osaka. Située sur la côte Pacifique, au bord de la baie d'Ise dans la région du Chūbu, au centre de Honshū, c'est la capitale de la préfecture d'Aichi.
ルイジアナ州バトンルージュ郡地方裁判所の陪審員12人は、5月23日の評決によってこれを「無罪」とし、この州の刑事法では再審不能なため無罪は「確定」した。明白な過剰防衛だが、12人の陪審員全員一致による無罪であった。
①ルイジアナ州(ルイジアナしゅう、英: State of Louisiana)は、アメリカ合衆国南部の州(フランス領ルイジアナ(フランスりょうルイジアナ、仏: La Louisiane、英: Louisiana)は、北アメリカ大陸のフランス植民地・Nouvelle-FranceヌーベルフランスNew Franceの一管轄地域の名前である。17世紀から18世紀にかけての名称であり、この地方を探検したフランス人の探検家ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールRené-Robert Cavelier, Sieur de La Salleによって、フランス国王ルイ14世Louis XIVに因んでルイジアナと名づけられた)②バトン・ルージュ(Baton Rouge、仏語:Bâton-Rouge)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州の州都であり、Ville de La Nouvelle-OrléansニューオーリンズNew Orleansに続く州内第二位の都市である③陪審員Суд присяжных裁判(英:jury trial배심제またはtrial by jury)とは、陪審員が判決や事実認定を行う合法的な手続きのことである。これは、裁判官または裁判官団がすべての決定を下すベンチ・トライアル(bench trial)とは異なる。
おわかりかな?日本人諸君、おわかりかな?去年4月の「ロス暴動」の意味が、あのとき、ロドニー・キングという黒人に対する白人警官らの無茶苦茶な過剰防衛(?)が陪審員によって「無罪」と採決されるや、ロスアンゼルスの黒人たちは怒りを爆発させ、あのような大惨事に発展した。

①Русскийロシア語⇒Ро́дни Глен Кингロドニー・グレン・キング(англ.Rodney Glen King로드니 킹; 2 апреля 1965 — 17 июня 2012) — чернокожий гражданин США, преступник, задержание которого полицейскими спровоцировало массовые беспорядки в Лос-Анджелесе

②Українськаウクライナ語⇒Бунти в Лос-Анджелесіロサンゼルス暴動1992년 로스앤젤레스 폭동 — масові заворушення, що відбувалися в Лос-Анджелесі з 29 квітня по 4 травня 1992 року, що призвели до загибелі 53 осіб[1][2] і заподіяння шкоди на суму в 1 мільярд доларів.
黒人たちにとっては、今回の服部君射殺事件への不当な評決のことは、もう合州国での日常茶飯事なのだ。いったいどうして、私の見たかぎりでの日本の新聞やテレビは、この評決に対する黒人の論評をきこうとしなかったのか。さきに「日本人もいくらかは・・・理解できたかもしれない」と述べたのは、すなわちあくまで「いくらか」にすぎず、大部分はまだ理解できないであろうと思うからである。取材した新聞記者諸君の大部分は、黒人に聞いてみようという発想さえ浮かばぬような、そういう『白人至上主義の側』に身を置いたアメリカ取材をしてきたのであろう。
だが、いかに日本人記者諸君が白人民主主義の側にいるつもりでも、当の白人諸君たちは記者諸君をはじめとする日本人たちを「白人」とは思っていない。(むろん私はここで「すべての白人」と言っているのではなく、象徴的な意味での「主流の白人」を指している。)
この事件の背景には、いうまでもなく「武器社会」としての野蛮な合州国という基本的性格がある。これは指摘されるとおりだ。服部君が射殺されたことそのものについては、だからこの性格の延長線上にあるだろう。とはいうものの、服部君がもし普通の白人だったら、これほどあからさまな過剰防衛に出ただろうか。銃をかまえたわけでもない服部君を、なぜいきなり、警告としてマトからはずすこともせず、せめて足を狙うこともせず、一発で殺したのか。
思いだす議論がある。人間初の原爆を、なぜいきなり広島へ、見せしめや警告もなしに落として無差別大虐殺したのか。なぜドイツよりも日本に・・・<注>。

*Українськаウクライナ語⇒Я́дерне бомбардува́ння Хіросі́ми і Нагаса́кі日本への原子爆弾投下히로시마·나가사키 원자폭탄 투하(廣島・長崎原子爆彈投下, 영어:Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki)Atombombenabwürfe auf Hiroshima und Nagasaki— ядерні атаки на японські міста Хіросіма і Нагасакі, здійснені збройними силами США за президентства Гаррі Трумена наприкінці Другої світової війни. 6 серпня 1945 року атомна бомба «Малюк» була скинута на Хіросіму, а 9 серпня — «Товстун» — на Нагасакі. Це були єдині випадки використання ядерної зброї проти цивільного населення.

これは追試困難な仮説だ。しかし陪審員全員一致の無罪、これは服部君が白人ならありえないであろう。陪審員の選び方からして問題を含み、さらに検察側と弁護側の関係についても、ある種のなれあいの疑いがあるだろう。たとえ陪審員のなかに黒人がいる場合でも、こういうときは必ずと言っていいほど「アンクル・トムUncle Tom」(白人の意をくむ黒人)が選ばれるのだ。
*Deutschドイツ語⇒Das Onkel-Tom-Syndrom bezeichnet ein ritualisiertes, angepasstes und unterwürfiges Verhalten von Afroamerikanern gegenüber Weißen. Der Theorie nach zeigen von dem Syndrom Betroffene als Bewältigungsstrategie ein fügsames und sanftmütiges Verhalten, so dass sie vom weißen Gegenüber nicht als eine Bedrohung wahrgenommen werden.
『毎日新聞』によれば、無罪評決の瞬間、二人の女性傍聴者が「OK」「ヤー」と叫び、被告は「いい気持ちだ」と本音をもらし、法廷を去る被告に通りがかりの市民がVサインを突き出した。これが先住民大虐殺で建国したアメリカなのだ。良識派はいるが、いつも少数派だった。
だが、在米日系人も「祖国」日本も、「ロス暴動」は起こさぬであろう。むろん日系人や留学生が少数ということもあるが、それよりもアメリカの主流白人の狂暴さを体験的にまだ理解できていないのだから。
(『サンデー毎日』1993年6月13日)
<注>この場合、ドイツ降伏時には原爆がまだできていなかった、といった指摘は大した問題ではない。また服部君が育った日本的社会(とくに都会)から脱していないために「危険を察知する能力」が退化していたであろうことも考えられるが、そうした前提の上でもやはり「白人民主主義」の側面は否定できぬであろう(『貧困なる精神Y集』)。


[2003]Nouvelle Amérique États-Unis (Asahi Bunko) auteur Katsuichi Honda (Auteur)

                                                                        非国民志願           鎌田慧
「狼がきた」と囃したてる気はないが、いよいよはじまったな、との実感がある。自衛隊の海外派兵である。
こんどのイラクのクウェート侵攻をまつまでもなく、政府はこれまでも派兵の地ならしのチャンスをうかがってきた。たとえば、ごくさいきんでは、フランスやイギリスから返還される核廃棄物の護衛のために、自衛隊の出動が検討されたりした。それでも、明確に憲法で決められている以上、派兵などできるわけはない。
*放射性廃棄物Déchet radioactif(ほうしゃせいはいきぶつRadioaktiver Abfall、英: radioactive wasteРадиоактивные отходы (РАО) とは、使用済みの放射性物質及び放射性物質で汚染されたもので、以後の使用の予定が無く廃棄されるものを言う。
「戦力なき軍隊」などと子ども騙しのレトリックで再軍備をおこない、日本はいまや世界に冠たる軍事大国にまで成り上がってしまったが、それでも、航空母艦や原子力潜水艦や空中給油機など、これ以上無駄なものをなんとかつくらないですんでいるのは、自衛隊に足止めを食わせているからである。

ところが、イラクの侵攻と日本人人質が大量発生するや、「正義」と愛国心の高揚にマスコミは、大判振舞い。
「自衛隊派遣へ新立法も」といちはやく「政府筋」のアドバルーンを掲げたのは、読売新聞だった(8月21日、一面トップ)。驚いたことに、批判のコメントは一行もない。そして、アッという間に、米軍主力の「多国籍軍」へ十億ドル(1450億円)の支援決定である。


*The Iraqi Japanese hostage caseイラク日本人人質事件 (Iraqi Nihonjin Hitojichijiken) and the Iraqi Japanese hostage case (Iraqi Hojinhitojichijiken) disregarded the Ministry of Foreign Affairs' recommendation to refrain from traveling to Iraq after the 2003 Iraq War .

紛争当事国への大量の軍資金カンパは、あきらかな戦争への加担、である。「国益」のための「戦争協力」が前面に打ちだされて当然、の時代になった。
たまたま眼にした、『毎日新聞』(夕刊)のコラム「近事片々」(8月29日付)には、度肝を抜かれた。なんども眉に唾をつけて読み返した。あるいはこれよりも勇ましい論調は、ほかにもあったかもしれないが、とりあえず紹介してみたい。
「・・・私たちはイラクから『お客さま』と言われても、世界から『お客さま』と言われることには耐えられまい。私たちは文明化しすぎたおかげで、わかりきっていることまでわからなくなってしまった。生き存らえるためにはしばしば闘わなければならないし、闘うためには身をおとしめなければならない。(ジョージ・オーウェル)国際貢献(実は国益でもある)に憲法が足枷と言うには、余りに憲法の恩恵を受け、余りにそれをないがしろにしてこなかったか。戦争は悪である。剣をとる者は剣によって滅びるが、とらない者はいやな病によって滅びる」

*Русскийロシア語⇒Джордж О́руэлл (англ. George Orwell, настоящее имя Эрик Артур Блэр, англ. Eric Arthur Blair; 25 июня 1903, Мотихари, Британская Индия — 21 января 1950, Лондон, Великобритания) — британский писатель, журналист и публицист. Его работы отличаются простым стилем письма, критикой тоталитаризма и поддержкой демократического социализма.
読んでまず浮かんだのは、驚倒するジョージ・オーウェルの姿だった。たしかに彼は銃をとって戦った。が、それは個人の資格での、スペインのフランコFrancisco Franco政権にたいしての義勇軍の一員としてである。「国益」など彼の念頭にはひとかけらもなかったし、むしろ国益や国家など、人間を強制するものにたいする憎悪が、彼のモチーフだった。
このコラムニストは、彼の『象を撃つ』などの植民地体験の色濃い短篇や『動物農場』『1984年』など、国家悪にたいする批判をどう読んだのだろうか、聞いてみたい。
①『動物農場』(どうぶつのうじょうСкотный двор、原題: Animal Farm)は、1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説②Deutschドイツ語⇒Shooting an Elephant象を撃つ ist ein autobiographisch beeinflusster Essay von George Orwell aus dem Jahr 1936③『1984年』(1984ねん、原題: Nineteen Eighty-Four)または『1984』«Тысяча девятьсот восемьдесят четвёртый»は、1949年に刊行したイギリスの作家ジョージ・オーウェルのディストピアSF小説。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。欧米での評価が高く、思想・文学・音楽など様々な分野に今なお多大な影響を与えている近代文学傑作品の一つである。
国益のために憲法を犠牲にしろ、とはさすがに一部のタカ派を除いて、自民党の連中だってまだ声高に主張していない。まだまだ海外派兵にたいする批判の世論が強いことを知っているからである。
ところが、大新聞社の論説委員クラスが、「人質」や「国益」に眼がくらんで、いともカンタンに心情的な「聖戦」派となってしまうのだから、大新聞など信用できない。まるで翼賛記者である。
アメリカが何十万の軍隊を国益や聖戦のために派遣したとしても、それはアメリカの政治の拙なさ、というものであって、日本は平和解決を迫って、むしろ「お客さま」の恥辱に甘んじていればいい。
日本はいっさいの戦争はおこなわないし、いっさいの戦争に加担しない、と誓ったはずである。侵略戦争の敗戦から45年たってしまえば、軍事大国を世界に誇示したくなるのですか。それともなんですか。戦争を煽ってまたもや朝鮮戦争やベトナム戦争での特需の夢を追っていたいのですか。
制服を着なければ、自衛官ではない。いったん身分を変えればいい。丸腰なら兵隊ではない、などまたもや子ども騙しの「戦力なき派兵論」である。新聞はいつも騙されたフリをして、世論の誘導に協力する。
財界や自民党や民社党の連中が、派兵の既成事実をつくりたがっているのは、外国での企業防衛のためである。
日本企業がこれだけ世界に出張ってしまえば、それを軍事力でカバーしたくなるのであろう。が、戦争を知らない自衛隊に、出番を与えてはいけない。
臆病者といわれても、非国民といわれても、たとえ、「いやな病によって滅び」たにしても、わたしは「国益」のための戦争につき合うのは、まっぴら御免だ。(90年11月)

日本語Japanische SpracheЯпонська моваにほんごЯпонский язык、にっぽんご)Japonais일본어Japanese languageは、主に日本国内や、日本人同士の間で使用されている言語で、事実上日本の唯一の公用語である。
               日本には日本語の辞書が存在しない        本多勝一
いきなりまた憎まれ口の極論をいえば、日本にはまだ真の「日本語」の辞書が存在しないのである。なぜか。
いうまでもないことだが、辞書・事典・字引きの類はその国の文化水準をよく反映する。前回書いた例のように、アイヌ語の辞書が50年前のイギリス人の四版を超えることが今なおできない日本の言語学(あるいは文化人類学)界は、「それなりの実力だ」と評されても仕方ないであろう<注1>。

*アイヌ語Ainu (Sprache)Айнська моваアイヌごАйнский язык、アイヌ語ラテン文字表記: Aynu itak、アイヌ語キリル文字表記 : айну итак、アイヌ語仮名表記: アイヌ・イタㇰ)Aïnou (langue du Japon)아이누어Ainu languagesは、日本列島関東以北に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道島、樺太、千島列島、カムチャツカ半島南部、かつては東北地方、に分布していたが、現在はアイヌの移住に伴い、主に首都圏など日本の他の地方にも拡散している。言語学では「孤立した言語」である。言語学では「アイヌ語族」(Ainuic)と呼ばれることが稀にある。国際連合教育科学文化機関によって、2009年2月に「極めて深刻」な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である。危険な状況にある日本の8言語のうち唯一最悪の「極めて深刻」に分類された。
こんど三省堂から国語辞典の力作『大辞林』が刊行された。この種の大型辞書としては、これまでに『大言海』(冨山房)をはじめとして、『大辞典』(平凡社)・『広辞林』(三省堂)・『広辞苑』(岩波書店)・『日本国語大辞典』(小学館)等々があって、それぞれに特長をもちながらも、一般的にはあとに出るものほどその時代の人に便利な傾向があった。こんどの『大辞林』は、刊行と同時に買ったばかりなのでまだ使いこんでいないから一瞥したかぎりでの感想だが、たしかに一歩前進しているようだ。編集者の熱意が伝わってくる。現代国語の常用辞書としては最も役立つにちがいない。
*国語NationalspracheНациональный языкこくごНаціональна мова、英: National language、仏: Langue nationale국어國語국가언어國家言語또는 국민언어國民言語は、その国家を代表する言語で、公の性格を担う言語のことを指す。国民にとって共通の言語というべき性質をもつ。国家語ともいう。
欲をいえばきりがないし、趣味の問題にもなってくるのであろうが、それでも不満は残る。百科事典要素を多く盛りこむよりも、同じ紙数ならコトバそのものの機能(辞書)をもっと豊富にし、類語との違いを明確かつ具体的にし、用例や実際の使い方にもっと力を入れてほしかった。この欠点はこれまでの国語辞典に共通だと思う。『Webster』(イギリス語)『Robert』(フランス語)などのやり方も参考になろう。あるフランス語学者の言葉を借りれば「結局は外国語屋が主体になってやらんとだめなんじゃないか」
①ウェブスター辞典Словарь Уэбстера(ウェブスターじてん웹스터 사전、英語:Webster's Dictionary)とは、19世紀初頭にノア・ウェブスターが初めて編纂した一連の辞典②Françaisフランス語→Le Petit Robert est un dictionnaire de langue française, publié par les Dictionnaires Le Robert. Sa première édition paraît en 1967.
私はしかし、この次元の国語辞書とは全く別の、「日本語辞書」への夢がある。お気付きのように「国語」と傍点をふってきたのは、日本語と国語との違いを明確にする意図があってのことだった。「国語」というとき、一般にいわれる「方言」は対象からはずされている。(これまでのところ『大辞典』が方言を比較的優遇した。)一国あるいは一民族の言葉をあつかうにさいして、これでは「民族語の一部」しか対象にしていないことになるではないか。
わかりきった当然の話にすぎないが、たとえばわが故郷・信州伊那谷の言葉はすべて日本語であって、ドイツ語でも中国語でもない。ただし「国語」かといわれると少々違ってくるであろう。東北弁であれ九州弁であれむろん同様である。伊那弁などは独特の表現がとくに多いほうではないと思うけれど、それでも「国語」ではぴたりと表現できない言葉、それ以外には一言であらわせぬ類の言葉が少なくない。「みやましい」「いきれる」「ややけて」「せんしょな」「小(こ)びい」<注2>等々、地域的には多少ほかと異なる言葉もあろうが、これらはいわゆる共通語(標準語)ではとても一言で代替することができないだろう<注3>。いや、実は同じ単語、たとえば「SnowNeige」であっても、新潟市Ниигата (город)で考えられてきた雪Schneeと北海道旭川Асахикаваで考えられてきた雪とでは内容が異なる。この点は外国語の単語との違いと本質的に同様だ。

①標準語(Литературный языкひょうじゅんごСтандартизована мова、英:Standard language,独:StandardsspracheLangue standard표준어とは、公共の言説において人々の集団(民族、共同体、国家、組織など)によって用いられる言語変種である。あるいは、言語変種は文法や辞書における記述(英語版)のために整理され、こういった参考文献において記号化される際に起こる標準化の過程を経ることによって標準となる②方言
DialektДиалектほうげんДіалект、英:accent, dialectDialecte방언διάλεκτοςは、ある言語が地域によって別々な発達をし、音韻・文法・語彙などの上で相違のあるいくつかの言語圏に分かれた、と見なされたときの、それぞれの地域の言語体系のこと。
「国語」と「日本語」と「方言」の関係については、同じ日本国内での異民族語たるアイヌ語の場合を例に説明すればわかりやすいかもしれない。『アイヌ語辞典』をつくる場合、もし白糠(シラヌカ)Shiranuka地方のアイヌ語だけで編集して『アイヌ語辞典』とするなら、ほかの地方のアイヌ民族としては黙視しえぬことになる。沙流(サル)Saruアイヌや白老(シラオイ)Shiraoiアイヌや十勝(トカチ)Tokachiアイヌそのほかの言葉はアイヌ語ではないのか。アイヌ語の場合は「共通語」(あるいは標準語)を強引に定めてはいないので「国語」に相当する単語はないが、アイヌ語について白糠方言だけで編集して、あたかもアイヌ語の辞典であるかのように僭称しているのが「国語辞典」の類なのである。

*Deutschドイツ語⇒Als Ainu bzw. Aynu阿伊努族 (アイヌ아이누)Айни阿伊努語Айн, seltener Aino, werden die Ureinwohner des nördlichen Japans (Hokkaidō) und Teilen Russlands (Sachalin, Kurilen) bezeichnet. Genetische und anthropologische Untersuchungen legen nahe, sie als direkte Nachfahren der prähistorischen Jōmon-Kultur zu betrachten, deren Angehörige in einer Kernzeit von 14.000 bis 300 v. Chr. in ganz Japan lebten.
すでに私の意図は理解されたであろう。現在の「国語辞書」の類は、すべて「共通語辞書」または「標準語辞書」にすぎないのだ。もっと皮肉をこめていえば「日本語の一部の辞書」にすぎぬ。あとの大部分の膨大な日本語は無視・黙殺されてきた。これはひどい文化的差別ではないのか。「方言」という言葉は、「方言学」や、ときには民俗学の分野におしやられてしまった。これが日本語のゆたかさにどれほどマイナスになったか、ほとんど想像を絶するものがあるだろう。いわゆるヤマトコトバには本来すべての方言が含まれるべきものであろうが、これまた「国文学」上の主流として文字化された古典にばかりたよってきた。もし真の日本語(つまり全方言を含むもの)が常用辞書として活用されるべく古くから編集されていれば、明治以後の日本がこれほど漢語に頼らなくてもすんだであろうし、今みられるようなイギリス語(家畜語)乱用による植民地化情況に対する文化防衛にもなったであろう。いま家畜語として使われれている無数のイギリス語の単語には、「ミーティング=よりあい」式<注4>に、家畜語以上にぴったりの日本語(全方言を含む)がいくらでもある。以下、「日本語」といえば全方言を含む意味と考えていただきたい。
①Русскийロシア語⇒Кита́йский язы́кChinesische SprachenКитайська мова(китайские, синитские, синитические языки; кит. трад.漢語, упр.汉语, пиньинь hànyǔ, палл. ханьюй либо кит.中文, пиньинь zhōngwén, палл. чжунвэнь)Langues chinoises중국어中國語Chinese language— язык или языковая ветвь сино-тибетской языковой семьи, состоящая из разновидностей, в том числе полностью взаимонепонятных. Китайский язык является наиболее распространённым современным языком с общим числом говорящих более 1,3 млрд человек

②Українськаウクライナ語⇒Англі́йська мо́ва英语Englische Sprache(англ.English, the English language)
Английский языкAnglais영어— мова, що належить до західногерманської підгрупи індоєвропейської мовної сім'ї, якою спочатку розмовляли жителі ранньосередньовічної Англії③家畜ViehСельскохозяйственные животныеかちくХудоба、英:domesticated animal, livestock, domestic animallive stockBétail가축とは、ヒト(人間)がその生活に役立つよう、野生動物(wild animal)であったものを馴化させ、飼養し、繁殖させ、品種改良したものをいう。哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類・魚類のほか、無脊椎動物もその範疇にある。
日本の今の「主流」たる東京や関西以外の日本人と話していると、ハッとするような見事な日本語に出合うことがある。いちいち例をあげきれるものではないが、一昨年岐阜県Gifu-kenできいた「すぼる」(雪の中に足が深く落ちこむ様子=伊那弁だと「つんもる」)とか、つい先日山口県Yamaguchi-ken人にきいた「かるう」(「背負う」よりもやや気軽な動作)という動詞・・・。こうしたゆたかな日本語は、しかしながらいま急速に消えつつある。おそらく今の50歳前後の世代を境に、それ以後の若い世代はNHK的な偏向した狭い「国語」の影響をもろにかぶって成長した。家ではテレビ、学校では「国語」教師を中心とする先生たち。むろん日本語を大切にする良心的教師もいるのだが、怒涛のごとき「国語」化と家畜語化に抗すべくもなかった。
だが、この植民地情況を嘆く人々が、より豊かな日本語を意図的に使おうとしても、かなしいかな、日本には日本語辞書がまだないのだ。この真の日本語辞書は、類語辞典の性格を重視しなければならない。右の例でいえば、「ずぼる」という的確な表現を知らぬ者がこれを得たいとき、たとえば深い雪に「沈む」とか「落ち込む」「はまる」等ではどうもうまくないので、何かいい言葉はないかと「沈む」なり「はまる」なりを引くと、そこに用例とともに「ずぼる」が現れる、といった使い方も可能な辞書である。


<注1>アイヌ語の本格的辞書の編集については、いま藤村久氏(北海学園大学教授)を中心にすすめられている。過去すべての成果を吸収・集大成としての大辞典は数年後になるが、それ以前に故・吉田巖氏採集の語彙集や、アイヌ民族自身たる葛野辰次郎氏(78)の語彙集が刊行される予定。
<注2>「(こ)びい」は「小僧(こぞう)」と対になって使われる名詞で、年少の女の子をいくぶん悪(あ)しざまに、あるいはからかい半分で呼ぶときに使われる。例「この生意気なコビイめ」
<注3>伊那谷の日本語の解説については下沢勝井『伊那谷の方言歳時記』(郷土出版社=松本市島立1094)があり、また日本語伊那谷辞典ともいうべきものに『ずくなし』(上下二巻=伊那市・伊那毎日新聞社)がある。
<注4>『朝日ジャーナル』1988年11月4日号の拙文「たかが立て札の文句だが、旧(帝大)構内ともなれば・・・」で、「よりあい」という適切な日本語を捨てて「ミーティング」という長たらしいイギリス語に走る悪にふれた『貧困なる精神・C集』収録。(『朝日ジャーナル』1988年11月25日号・『貧困なる精神B集』)

*葛野 辰次郎Tatsujiro Kazuno(Kuzuno Tatsujiro, 1910 ( Meiji 43) April 10-2002 ( 2002 ) March 27 ) is a folklore of Ainu language and Ainu culture .

【参考(私的)資料】<注1>①例えば「群馬県」では「カブトムシ・クワガタ」などを一括して「オニムシ」と呼んでいました。さらに「寿司」は「ナマズシ」となり「ゴキブリ」は「油虫」(「をはねのけながらカール・マルクス」?笑*ちなみに原書(『トロツキー自伝』の邦訳書)では「ごきぶり」となっていた)「ぶっつく」(ぶつかる(当る)「いまこんな、でっけえのがぶっついたよっ!」②徳島県では「ごっつい」(すごい「っついな」通常の「ごつい」(体格などがいい)の意味ではない)「めげる」(こわれる「あれ、いま、めげとるわ」大分前に死語化している)「せこい」(疲れた「あ~あせこっ」普通の「せこい」(ケチ)という意味ではない=これも’老人世代’のみとなるでしょう)加えて阿波池田弁では「どぼれ」(ろくでなし「どぼれよ」「××はどぼれじゃ(故蔦文也監督言)」というのもあります)↑で本多氏が解説していた「雪」そして「標準語」(内実と意味は若干異なる)ではぴったり来ない表現の一環となります③’原’住民<注2>「アイヌ」の人々については、私は北米に出てきてから「北海道」出身の経営者や先輩、同僚が多かった(「帯広」「旭川」「函館」「札幌」「釧路」「別海」などなど)。年配(現在70~80歳代)の人たちは「俺たちが子供のころは、まだクラスに4~5人はいたな」「顔が全然ちがう」と語っていたのが印象深かった.*「がおる」(くたびれる「××はがおった」「がおってる」)「あずましい」(すばらしい?「あれも、あんまあずましくねえな」)「なげる」(捨てる「もう、それ、ぶんなげろ!」「ちゃんと、なげなさいよ」「なげられちゃったか!」)「こわい」(疲れた「あ~あこええ」→「何がそんなに「恐い」のかな?」とはじめは不思議に思ったもんでした)とかとかをよく耳にした。2022/06/05 Canada Sammy 

<注1>「日本は狭い島国だが、それでも地方ごとに違った文化を持っている。湯浅医師や小島隆男さんが東京の町文化に育ち、富永正三さんや永富博道さんが九州熊本の武の文化を背負っていたように、土屋芳雄さん(山形県出身)は東北型農村の文化が生んだ男子であった。忍耐強く従順、同じ階層にあると思われる者に対しては競争心が強く、勤勉で着実だった」(野田正彰(精神科医(大学教授)評論家・高知県出身)『戦争と罪責』岩波書店・1998年・244頁)
<注2>故藤田省三法政大学教授(愛媛県出身)が「’先’住民という表現はおかしい。まだ’住んで’いるのだから「原住民」とするべき」と繰り返し強調していました。*「国会」も「こっかい」ではなく「こくかぁい」だそうです(故三木武夫首相(徳島県出身)は正しく発音していたと言及していらした)。

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