日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

『Nanjing Massacre Defeat of the historical falsification group南京大虐殺歴史改竄派の敗北 - Li Xiuying Defamation lawsuit to the future』/ 本多 勝一Katsuichi Honda, 星 徹Toru Hoshi, 渡辺 春己Harumi Watanabe《南京大屠杀幸存者李秀英控诉日军暴行》Prière pour la paix et l'amitié entre la Chine et le Japon🍁2023/07/22CANADA⑥


 南京大虐殺紀念館の来場者は
 このあと、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(「紀念館」)へ行き、来場者に話を聞いてみた。そのうちの何人かの声を紹介する。
 江蘇省金壇に在住の50歳の男性は、展示物を見学した後、次のように語った。
 「南京大虐殺は、人類の汚い部分の表れであり、軍国主義・日本の侵略の結果です。これはすでに証明された事実です。それを否定する人々にとっては、歴史の問題ではなく、政治的な問題なのでしょう。注意すべき動きだ」
 河南省在住の26歳の男性に、「日本に南京大虐殺の事実を否定する人々もいる」と私が言うと、彼は興奮して次のように語った。
 「日本に南京大虐殺の事実を否定する人々がいるというのは、許せないことだ!そういった人々は、政治的な目的で事実を歪曲しているのです。日本人は、歴史をもっと正視すべきだ!」
 妻と一緒に見学していた北京在住の68歳の男性は、次のように語った。
 「日本軍の残虐行為の事実を否定する人々に対して、私のまわりではみな怒っています。特に、年とった人々は激怒しています。私も小さいころは奉天(現在の瀋陽)に住んでいて、日本軍の蛮行をいろいろと見聞きしました。これまで中日友好をずっと続けてきたのに、小泉首相は靖国神社に参拝するとは、なんでそんな愚かなことをしたのか。日本人は、中国人の気持ちをもっと知るべきだ」

 研究者らの意見は
 次に、南京大虐殺の問題に取り組む南京在住の四人の方々(うち三人はこれまで紹介した)に、最近の日本の動きなどについて、筆者の質問に答えていただいた。
 【朱成山・侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館館長】
 ー松村俊夫氏や東中野修道氏のように、李秀英さんや夏淑琴さんを「ニセ被害者」扱いしたり、「南京大虐殺はでっち上げだ」などと主張する人が日本にはいます。どうお考えですか?
 朱 歴史に直面することは、人間の基本です。特に、歴史研究やそういった議論をする人々にとっては、その態度そのものが基本です。ところが、李秀英さんや夏淑琴さんの証言のちょっとした違いや間違いを取り上げては攻撃し、南京大虐殺自体を全面否定する人々がいます。まったくけしからんことです。侵略した加害者側がそのように歴史を改竄するのでは、日本がこれからどういった道を進んでいくのか心配になります。我々は、そういった人々の行為に抗議し、有力な資料(史料)をもっと集めて、反撃していこうと思っています。
 -彼ら以外にも、日本では「南京大虐殺はでっち上げだ」と主張する人々がいて、そういったことを積極的に取り上げるメディアもあります。

 朱 近年になって、私は大きな不安を持つようになりました。日本の右翼が、教科書・マンガ・雑誌などの出版物や映画などを利用して、歴史を歪曲するような行為をくり返しているからです。日本は確かに経済力はありますが、お金の悪質な利用だと思います。そういったマスコミを利用して歴史を改竄しようとする勢力は、私たちが長年つちかってきた中日友好を邪魔しているのです。このようなことに、私は非常に心を痛めています。
 そういったことは、中国人民にとっては傷にさらに塩をまかれるような苦痛なのですが、日本国民にとっても国際イメージの打撃をもたらします。さらに、「新しい歴史教科書をつくる会」や小泉首相の靖国神社参拝問題もあいまって、中国人民とくに若い世代の人々の対日意識にマイナスの影響が出てきました。日本の右翼の行為によって、このように中国の若者の間に日本への不満が広まっていることに、私は非常に不安を持っています。 
 今年は中日友好30周年の年です。中国と日本が歴史を踏まえたうえで和解をして、もっともっと仲良くなれたらよいと思います。しかし、それとは逆方向に情勢が進んでいることに、心を痛めています。

 【段月萍・侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館副研究員】
 -段さんは、南京大虐殺の被害者から証言を長年あつめているそうですが。
 段 私は、1983年の「紀念館」建設の準備段階から現在の仕事に携わり、南京大虐殺の被害者調査に従事してきました。そのことにより、私たちは84年までに1756人の被害生存者を確認しました。そして、その後に確認した人々も含めて、642人を選んで証言の聴き取り調査を行い、報告集にまとめました。
 -今回、「李秀英裁判」の判決(東京地裁)が出ました。
 段 松村氏らの主張は、手に入れた資料を自らの主観によって改竄し、でっち上げているだけです。まったくの事実無根で、話になりません。私は84年に李秀英さんから証言を聴きましたが、現在の李さんが六十数年前の李さんと同一人物であることは、間違いありません。それを証明できる資料は山ほどあります。李さんのことを「ニセ被害者」扱いする人々は、おそらくそのことを突破口にして、南京大虐殺そのものを否定する目的があるのだと思います。ですから、今回の判決は、彼らにとっては大きな打撃だったと思います。 
 -夏淑琴さんについても、松村氏と東中野氏は「ニセ被害者」扱いしています。
  私たちが調査を始めてから、当時「国際安全区」に避難していた夏さんの叔母からまず話を聴いたのです。それで夏さん一家の事件について知り、姪である夏淑琴さんに話を聴きに行ったのです。このような悲惨な過去について語る生き証人に対して、確たる証拠もなく「ニセ被害者」扱いすることは荒唐無稽であり、本当に許せないことです。
 -最近の日本の動きについて、どのようにお考えですか?
 段 今年は中日国交正常化30周年にあたります。この30周年の道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、両国人民は仲良くやってきました。しかし昨今、日本国内の右翼たちが、中日友好の気運を悪くするために、非友好的なことをいろいろ作り出そうとしています。小泉首相の靖国神社参拝もまた、中国人民の心に傷を与えてしまいました。非常に残念なことだと思います。新しい世紀では、真の中日友好を求めていきたいと思っています。

①Il y a eu une bataille de Nankin mais pas de « massacre de Nankin »南京の戦いはあったが、"南京大虐殺”はなかったByła bitwa pod Nanking, ale nie było „masakry w Nankinie”②Gesellschaft zur Verbreitung historischer Fakten史実を世界に発信する会Общество распространения исторических фактов・Chairman会長: KASE Hideaki加瀬英明/Secretary-General書記長(事務総長): FUJIOKA Nobukatsu藤岡信勝/Secretary事務局長: Hiromichi Moteki茂木弘道→③Japan “Nanjing” Society日本「南京」学会・Chairman会長: Shūdō Higashinakano東中野修道/Director and Secretary-General理事兼事務局長: Shigenobu Tomisawa冨澤繁信/Secretary-General理事: Toshio Matsumura松村俊夫→After the annual report was published in May 2008, activities were gradually reduced, and the last academic conference was held along with a social gathering on September 15, 2012. It was disbanded after achieving its original purpose2008年5月に発行された年報を最後に活動をしだいに縮小し、2012年9月15日、最後の学会を懇親会とともに開催。当初の目的を達成したとして解散した。

 【張連紅・南京師範大学歴史系副教授】
 -中国での南京大虐殺に関する研究は、どのような状況ですか?
 張 南京には、この問題を専門とする研究者はあまりいません。南京大虐殺は人類史上で重大な蛮行であるにもかかわらず、中国側の研究は不足しています。そこで私たちは、南京師範大学のなかに南京大屠殺研究中心(南京大虐殺研究センター)を作り、研究を進めています。私たちは、日本の研究者たちともっと交流していきたいし、日本の右翼・左翼両方の人々とも話し合いたい。南京大虐殺の事実を否定するような研究者でも、大歓迎です。このような方々とも、一緒に座って議論ができます。
 -松村氏や東中野氏のような南京大虐殺の事実を否定する人々は、難民区(安全区)内で起こった避難民への殺人・強姦、そして外国人財産の略奪を、中国人ゲリラ(便衣兵)の仕業にしようとしています。
  そのような「中国人ゲリラ」という可能性はまったくありません。当時は南京一帯は完全に日本軍に制圧されていたので、そんな余裕はありませんでした。私たちは、事実を踏まえて証明する必要があります。私たちが持っている資料には、そのような事実はありません。ただし、中国人避難民が生活のために、他人の家に残っている食料などを持ってきて食べることはありました。しかし、そのことと略奪とは別のことです。
 -日本の今後について、何か一言。
 張 南京大虐殺の事実を否定する動きや、小泉首相の靖国神社参拝・歴史教科書問題などの日本の動きを見ていると、昔のような軍国主義に戻るのではないか、と私たちは心配しています。日本の歴史を見てみると、平和の時代から軍国主義の時代になるのがとても早いのです。

*Deutschドイツ語→Die Japan-China Friendship Association일본중국우호협회日本中國友好協會Ассоциация японо-китайской дружбы ist eine im Oktober 1950 gegründete japanische Nichtregierungsorganisation . Als internationale Freundschaftsvereinigung setzt sie sich für die Vertiefung aller Aspekte der freundschaftlichen Beziehungen zwischen China und Japan ein . Seit 1966 spaltete sich der Verein in zwei Gruppen. Die beiden Gruppen existierten unter dem Namen des Vereins nebeneinander. Die beiden Gruppen werden im Folgenden durch unterschiedliche Veröffentlichungen unterschieden.

 【劉恵明・弁護士】

 -劉さんは、1995年から五年すこし日本に留学していたそうですが、日本人の歴史認識についてどのように思いましたか?
 劉 多くの日本人は、かつての戦争の歴史、例えば南京大虐殺のようなことについてあまり知らないですね。たとえある程度知っていても、あまり関心を持っていない人が多いと思いました。だから、小林よしのりのマンガなんかに影響されるのだと思います。しかし、私は日本に五年以上いて、多くの優しい人に助けられ、日本にはとても良い感情を持っているんです。多くの日本人は優しくて誠実で勤勉だ、と思いました。それでも中国人を見下すような人もいましたが、ごく少数でした。

①Yoshinori Kobayashi ( Pseudonim : 小林 よしのり, Nume real : 小林 善範; Kobayashi Yoshinori ) este un mangaka japonez . sa născut la 31 august 1953 în Fukuoka, Japonia.「よしりん企画」社長Președintele „Yoshirin Planning”↓

②August 6, 2002ーNeo Gomanism Declaration『南京の真実』は真実ではない! “The truth about Nanjing” is not true! 電脳日本の歴史研究会Cyber ​​Japan History Research Grouphttp://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html③『ラーベの日記』を徹底検証するA thorough examination of "Rabe's Diary" 東中野修道Shūdō Higashinakano『正論Seiron』98年4月号④→「ラーべЙон Хайнрих Детлеф Ра́беの命と生涯をかけた人道的行為に対して、悪意をもって誹謗中傷するだけしかできない彼らの貧困な精神ぶりは、彼ら自身が人道主義や正義心、良心に基づいて行動する人間とは無縁な人々であることの証明であるといえようIhre von Armut geprägte Mentalität, die ihnen nichts anderes erlaubt, als Rabes Leben und die humanitären Taten, denen er sein Leben gewidmet hat, böswillig zu verleumden, macht es schwierig zu glauben, dass sie selbst Menschen sind, die auf der Grundlage von Humanität, Gerechtigkeit und Gewissen handeln. Dies kann als Beweis dafür angesehen werden, dass es sich um nicht verwandte Personen handelt」(笠原十九司Tokushi Kasahara/1999年)。
 -日本には、南京大虐殺など侵略の加害事実を否定したり、過小評価して誤魔化そうとする動きもありますが、どう思いますか?
 劉 彼らは歴史の事実を無視して、「そういった事実はなかった」という先入観を持ちつづけ、証言者らの小さな食い違いや隙間を見つけて、そのことだけでもともとの事実を否認しようとするのです。しかし、そういった手法は、明らかに間違っています。このような一部の日本人に対して、中国の人々は憤りを感じています。そのことによって、日本人全体のイメージが悪くなっています。中国の人々は、日本に二度ひどい目にあわされた、ということに怒っているんです。そして、日本の人々がそのように加害事実を否認することによって、以前から持っていた恨みを増幅させているのです。これは南京に限らず、中国全体について言えることです。
 しかし、多くの中国人は優しいのです。前に悪いことをやっても、「その事実をちゃんと認めて謝罪すれば、それでいいじゃないか」と思っています。だけど、そういったことを認めず、侵略の歴史を歪曲しようとするのであれば、やはり中国の人々は過去のことを忘れません。友好の前提としては、過去の清算が必要なのです。
 -昨年(2001年)に引きつづき、今年も小泉首相は靖国神社に参拝しました。
 劉 そういったことに、南京の人たちは特に敏感なんです。言葉では「日中友好」だとか、「過去のことは反省している」と言っても、行動が伴っていないのです。日本の一部の政治家は、歴史認識において本当に不誠実だと思います。
 -そのほか、現在の日本について思うところは?
 劉 日本政府は毎年8月15日にアジア諸国に対して「謝罪の言葉」を述べますが、ちょっと変な感じがするんです。私は、場合によっては日本が小沢一郎氏の言うような「普通の国*2」になってもいいと思っています。しかしその前提としては、アジアでの侵略戦争の問題を解決することが必要だと思います。かつての侵略の歴史をちゃんと認めて、謝罪をして、アジアの人々の信頼を得てから、やっと「普通の国」になる資格が出てくるのです。そうでなければ、いつまでたってもそれは認められないでしょう。
 -しかし、自衛隊を外に出したがる人にかぎって、日本の侵略戦争の事実を認めたがらない、という傾向が顕著だと思います。
 劉 そうなんですよ。さきほど「変な感じがする」と言ったのは、そういうことなんです。やはり、日本の侵略の歴史事実を歪曲して否定する動きが強まれば、中国をはじめとするアジアの人々の反発は大きくなり、侵略の歴史がくり返されるのではないか、と不安になってくるのです。

 人間として当然の怒り
 これまで見てきたことから、この節の冒頭であげた「中国の人々はなぜこれほどまでに反発し、怒るのか?」という問いは、まったく意味のないものであることが分かってくる。反発して当然、怒って当然ではないか。これで怒らない人がいる時にこそ、「なぜ反発しないのか?怒らないのか?」という問いを発するべきであろう。
 先の南京の大学生の声からも分かるように、中国のとくに若い層の人々は、決して単純な「反日」という意識を持っているのではない。文中でも紹介したように、彼らの多くは、日本がかつての侵略戦争の事実を認めて真摯な態度で臨めば、日本を許し、さらなる友好関係を築きたいと思っている。ところが、彼らがどうしても許せないのは、かつての日本軍による蛮行の事実というよりも、加害の歴史を歪曲・改竄したり、被害者を確かな証拠もなしに「ニセ被害者」扱いしたり、首相が靖国神社に参拝するといったような、中国人の気持ちを踏みにじるような現在の日本人の基本姿勢の方なのである。劉恵明弁護士も述べているように、中国の多くの人々は「日本に二度ひどい目にあわされた、ということに怒っている」のであり、「日本の人々がそのように加害事実を否認することによって、以前から持っていた恨みを増幅させている」のである。
 このようなことから、現在の中国の人々の日本への反発・怒りは「反日」という言葉でくくれるようなものではなく、「たび重なる理不尽な行為に対する、人間としての怒り」と言ったほうが、的を得ているだろう。
             *通訳では、載國偉さんと南京師範大学日本語学部の皆さんにお世話になった。

                 イカサマの連鎖を絶て          星徹
 まずは「風通しのよい議論」を
 南京大虐殺(南京事件)の被害者をニセモノ扱いしたり、事件自体を「なかった」「大したことなかった」としたり、「戦争犯罪と言えるようなことはなかった」とする松村俊夫氏や東中野修道氏のような歴史改竄派が、いかに非論理かつ非人間的であるか、をこれまで明らかにしてきた。このような彼らのあり方は、歴史の事実を科学的(論理的)に追究する姿勢とは対極に位置するものであり、歴史を自分たちの思惑どおりに作り替え、解釈しようとする反知性の典型と言えるだろう。歴史の事実は、現在に生きる私たちがそこから学ぶことはできても、勝手に作り替えることはできない。このことは、はっきりさせておく必要がある。
 彼らの放つ荒唐無稽で非知性的な言説に対して、日本国内には少数ではあるが一定の支持者が存在する。いつの時代でもそのような人々は存在するもので、それはそれでよい。しかし問題なのは、そのような少数の人々とは不釣合いに、影響力の大きいメディア(『産経新聞』『正論』『諸君!』『SAPIO』など)がこのような主張に沿ったかたちで、加害者たる日本の責任を頬被りして、歴史の事実を無視して自らに「都合のよい」「心地よい」物語を垂れ流していることなのである。その一方で、他の大多数メディアは、南京大虐殺など旧日本軍の加害行為に関しては、「右翼」の暴力的な抗議行動や一部政治家からの圧力を恐れて、取り上げようとはしない。NHK(日本放送教会)が放映するドキュメンタリー番組を観れば、そのことは一目瞭然だろう。
 大多数の人々は、日中戦争全体やそのなかの南京大虐殺について、歴史の流れに正確に位置づけて考察したり、原典にあたって調べたりはしない。そのような状況下で、ある部分の人々は、「同じ日本人がそんな酷いことをしたとは信じたくない」「日本のために戦って亡くなった英霊を悪者にしたくない」「嫌いな中国に弱みを握られたくない」等の思惑のもと、歴史改竄派の「都合のよい」「心地よい」物語をすんなり受け入れるのである。
 また、南京大虐殺に関する学問研究のあり方について、前出の笠原十九司・都留文科大学教授は、<日本の歴史学会やその他のアカデミズムの世界では、あまりに政治的、イデオロギー的な問題として論議を忌避する傾向>があり、<国民が南京大虐殺の事実を認識することを阻止、妨害しようとする右翼の暴力的な活動が活発であるため、一般の大学や学会で南京事件を取り上げて自由に議論を展開する学問的環境ができていない>として、日本の現状を憂慮している。
 このように、日本のメディアと学問研究の場における「ことなかれ主義」の常態化こそが、民主社会の根本たる「風通しのよい議論」を封殺しているのである。
 そういったことから言えば、中国側が主張する個々の事柄についてもまた絶対視する必要はなく、被害者やその家族の心情を十分にわきまえたうえで、確かな根拠があるならば異議を唱えるのは当然のことである。しかしその場合は、日本が中国を侵略して多くの人に苦しみを与えたという歴史事実を認めることが大前提であり、これを認めずして個々の事柄について異議を唱えても、理解は得られないであろう。
 たとえば、「南京大虐殺で30万人の中国人が殺害された」という中国側の「公式見解」についても、学問的な議論を躊躇する必要はないと思う。実際、笠原教授によると、中国における南京事件に関するシンポジウムなど学問交流の場において、「十数万以上、それも20万近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になった」との自身の推定を発表しているが、中国側研究者からの感情的な反発は皆無で、冷静な議論が成り立つそうである。笠原氏が旧日本軍の侵略の事実を十分に認識し、その罪悪性を認めているからこそ、このようなことが可能なのであろう。
 このことから見ても、笠原氏は決して「中国側の公式見解」に忠実なのではなく、歴史事実や学問的真理に忠実たらんとしていることが分かるであろう。これと対極の生き方をするのがまさに松村氏や東中野氏のような人物であり、歴史事実や学問的真理に忠実であるのではなく、自らに「都合のよい」「心地よい」物語にひたすら忠実にしがみつくのである。

Sino-Japanese War (Iwanami Shinsho) – May 20, 1985 by Tetsuo Furuya (author)
北京郊外の蘆溝橋付近で夜間演習中の日本軍に十数発の銃弾が打ちこまれたMore than a dozen bullets were fired into Japanese troops during night exercises near Lugou Bridge on the outskirts of Beijing.この小さな事件をきっかけに,日本が中国との全面戦争という泥沼にはまりこんでいったのはなぜかWhy did this small incident lead to Japan becoming mired in a full-scale war with China? 満蒙権益,満州事変,満州国建国などManchurian interests, Manchurian Incident, founding of Manchukuo, etc.,日本近代の対中国政策を追いつつ,日中戦争という泥沼でのあがきが,太平洋戦争を避けがたいものにしていく過程を描くDepicts the process of Japan's struggle to catch up with modern China policy and the quagmire of the Sino-Japanese War, making the Pacific War inevitable.
*Françaisフランス語→Tetsuo Furuya古屋 哲夫 ( 21 mars 1931東京都出身 - 2 décembre 2006 ) était un historien japonais . Sa spécialité est l'histoire moderne du Japon . Professeur émérite à l'Université de Kyoto .

 『元々論』を改竄するな、忘れるな

 ところで、南京事件の歴史事実を故意に歪めたり否定する人々に対して、根本的なことについて言いたいことがいくつかある。以下に、それらについて取り上げてみたい。

 第一。「『元々論』を改竄するな、忘れるな」ということである。「松村本」・「東中野本」の両著書とも、南京事件を考察するに際して、この歴史的経緯を十分に踏まえることなく、あたかも領有権の決まっていない土地をめぐり、日中両軍が争奪戦をくり広げたかのような前提で話を進めているのである。このような姿勢は、歴史の連続性を無視し、全体としての歴史事実を歪める結果につながっている。

 日本は、19世紀後半から日清戦争(1895-95年)・日露戦争(1904-05年)を経て、韓国(大韓民国)と満州(中国東北部)への進出を加速させ、1910年には韓国併合を断行した。また、第一次世界大戦期の14年8月にはドイツに宣戦し、中国・山東半島の租借地・青島を攻撃し、翌年1月には21ヶ条の要求を中国政府につきつけ、徐々に帝国主義的政策を強めていった。さらに、27-28年にたびたび山東省へ出兵し、同28年6月には関東軍(満州の日本軍)の河本大作参謀長らが満州軍閥の張作霖を列車ごと爆破した。 

 このような長年にわたる中国侵略の延長線上に、関東軍参謀らの計画的陰謀である柳条湖事件(31年9月18日)が起こり、それに始まる「満州事変」(日本側の呼称)があったのである。そして、32年3月には日本の傀儡国家・「満州国」の建国宣言が行われ、日本は9月に「満州国」を正式に承認した。しかし国際連盟加盟諸国はこれを認めず、33年3月、日本は同連盟からの脱退を通告した。こういった状況下において、37年7月7日北平(北京)近郊の盧溝橋で日中両軍が衝突し(盧溝橋事件)、日本はこの機に乗じて日中戦争へと突入した。そして、日本軍は華北への侵攻にとどまらず、8月には華中の上海へも戦線を拡大した。

*「もうこうなったらやむを得んだろうなI guess it's unavoidable if it becomes like this. 軍令部もそう思っているのだろうThe Imperial Japanese Navy General Staff probably thinks so too. かくなりては、外交にておさむることはむずかしいIn such a situation, it will be difficult to settle the matter through diplomacy(1937(昭和12)年8月13日、天皇Emperor)上海においての、中国軍の反抗は激烈を極めたThe Chinese army's resistance in Shanghai was extremely fierce(家永三郎Saburo Ienaga『日本の歴史History of Japan』)。

 もともと日本兵の多くは中国人への蔑視感情が根強く、中国の抗戦力に対する過小評価もあった。そして、この戦争(当時は「事変」とした)には大義名分がなく、戦争目的も不明確なことに加えて(暴支膺懲(日语:ぼうしようちょう,或惩罚暴支)「暴戻支那ヲ膺懲ス」(横暴(=暴戻)な中国(=支那)を懲らしめよPunish the tyrannical (= regressive) China、動員された上海派遣軍の日本兵には妻子持ちで高年齢の予備役・後備役兵が多数含まれていたため、上海攻略戦の段階で軍紀の弛緩・退廃が現れていた。このような状況下で、日本軍はここ上海で思いもよらぬ苦戦を強いられ、多くの犠牲者を出した。自らも苦労し、多くの戦友を失ったこれら日本兵の軍紀はさらに弛緩・退廃し、中国人への敵愾心は異常なまでに高揚して、上海戦線ですでに捕虜の殺害が公然と行なわれていた。

*The Battle of Shanghai (Chinese: 淞滬會戰) later described as "Stalingrad on the Yangtze"Deutschドイツ語→Die Schlacht um Shanghai vom 13. August bis zum 9. November 1937 war die erste größere Schlacht im Zweiten Japanisch-Chinesischen Krieg. Die japanische Armee griff im August 1937 die chinesische Stadt Shanghai an. Nach schweren Kämpfen in der Innenstadt, die mit der Zerstörung eines Großteils Shanghais endeten, eroberten die japanischen Truppen im November die Stadt. Die Verluste waren auf beiden Seiten sehr hoch.
 11月5日に第10軍が杭州湾に上陸し、上海の中国軍の背後をおびやかし、日本軍はようやく局面を打開した(「日軍百万上陸杭州北岸Millions of Japanese troops land on the north bank of Hangzhou」のアドバルーンをあげながらwhile raising ad balloons、上海の中国軍を囲む態勢をとったprepared to surround the Chinese army in Shanghai。しかし、上海派遣軍兵士らの故国への帰還は許されず、自暴自棄的な空気を一気に加速させた。このような状況下で、中支那方面軍(上海派遣軍と第10軍により編成)は食糧の補給や兵站機関が十分でないままに、中国・国民政府の「首都」であった南京までの約300キロメートルを一気に攻め込んだ。そして、上海または杭州湾から南京へ攻め込む途上で、一般住民への殺害強姦、そして略奪・放火がいたるところで発生した*4。「大虐殺」は、決して南京で始まったのではない。そして12月初旬、日本軍は南京へ侵攻し、南京事件を引き起こしたのである。
*第10軍と上海派遣軍が南京へ向けて進撃をはじめた時から残虐行為が始まっておりThe atrocities began when the 10th Army and the Shanghai Expeditionary Force began advancing towards Nanjing、残虐行為の質は上海から南京まで変わらずthe quality of brutality remains the same from Shanghai to Nanjing、南京付近では人口が増えたために被害者数が増大したしthe number of victims increased in the area around Nanjing as the population increased、杭州湾・上海近郊から南京までの南京攻略戦の過程すべてを地理的範囲と定義するthe entire process of the Nanjing campaign from Hangzhou Bay and the suburbs of Shanghai to Nanjing is defined as the geographical range.(本多勝一『南京大虐殺The Nanjing Massacre』朝日新聞社Asahi Shimbun-sha1997年)。
 ここで重要なのは、笠原氏も指摘するように、<宣戦布告もせずに、国際法に違反して南京まで攻略して、一方的に軍事占領を続けるという「強盗行為」をやったのは日本軍であるという前提を忘れるべきではない*5>ということである。そして、日本は、表向きは「戦争ではなく、事変である」と言いつづけ、国際法を無視してこれ以降も中国への侵略を続けたのである。
*1939年7月26日、ついにアメリカは突如として日米通商条約の廃棄を通告してきたFinally, on July 26, 1939, the United States suddenly announced its intention to abolish the Japan-U.S. Commerce Treaty. 原油、精鋼、機械類、飛行機材料、屑鉄など、軍需物資の半分以上をアメリカからの輸入に頼っている日本にとってFor Japan, which relies on imports from the United States for more than half of its military supplies, including crude oil, refined steel, machinery, aircraft materials, and scrap metal、通告から1年後に実施となるこの条約の廃棄は痛烈な大打撃であったthe abrogation of this treaty, which took effect one year after the notification, was a severe blow. 日本は軍部も政府も、中国との戦いがこんな大戦争となるとは思っていなかったJapan's army and government had no idea that the war with China would turn into such a major war. 当初は「支那軍は弱いから、一撃すれば屈服して言うことを聞かせられる」と甘く考えていたAt first, they naively thought that the Chinese army was weak, so if I hit them with one blow, they would surrender and do what I had to say. だが装備の劣る中国軍は日本軍と徹底的には戦わずHowever, the poorly equipped Chinese army was unable to fight the Japanese army to the fullest、退却して奥地に逃げる戦略を取ったからthey took the strategy of retreating and escaping into the hinterland、日本軍は都市は占領しても肝心の中国軍を補足殲滅することができずeven though the Japanese army occupied the city, they were unable to supplement and annihilate the crucial Chinese army、国民政府の戦意を喪失させることはできなかったit was not possible to make the National Government lose its fighting spirit.・・・1939年末の時点で中国に85万人(26師団、1騎兵旅団、20混成旅団)を派兵している大戦争になっていたのであるBy the end of 1939, a major war had begun in which 850,000 troops (26 divisions, 1 cavalry brigade, and 20 mixed brigades) had been dispatched to China.(『聯合艦隊Combined Fleet』(日米開戦編Japan-US war begins)世界文化社World Culture Co., Ltd、1998年)。

The forefront of research on the Nanjing Incident Japan Nanjing Society Annual Report 2008 (Final Edition)Author Shudo Higashinakano (editor)2008/展転社Tentensha
ーPros and cons of the issue of Japanese military executions inside and outside Nanjing City, the delusion of the Nanjing massacre theory of 20,000 people, contains a thorough examination of Nanjing at the time based on documentary films. A collection of essays from the Japanese "Nanjing" Society, which presents groundbreaking research results to the world.

 それを東中野氏は、他の多くの歴史改竄派と同様に、南京事件にいたる日本軍の侵攻を<自国民保護のため><在留邦人を保護するため>(「東中野本」第一章)などとお決まりの屁理屈を書きたてて、これら日本の侵略行為を正当化するのである。もう一方の松村氏は、「規律正しい皇軍がそんな酷いことをするはずがない」という思い込みに固執し、南京虐殺の事実を否定しようと躍起になっている。以下に、「松村本」の中から、このような姿勢を示す好例をいくつか取り上げてみよう。
 ある沼で大量に殺害された遺体について記述された「ラーべの日記」(38年2月7日)を松村氏は取り上げ、<日本軍がどうしてそこまで念入りな残虐極まる殺し方をしなければならなかったのか、そして、半数が民間人であることをどうしてわかったのか、などを考えると、私には外国人たちにあることないことをいろいろ吹き込んでいる支那人の姿が見えてくるような気がする。>(249ページ)と述べる。また、同日付の日記に記載された中国人四人が日本兵に射殺された件なども取り上げ、<それにしてもその殺し方の残虐さたるや日本人の発想をはるかに超えている。>(同)とも述べている。

 このような思考は、南京事件での蛮行を否定する文脈中の以下記述から、松村氏の希望的思い込みに端を発していることが分かるであろう。<戦前の日本人が持っていた矜持は、誤った国家主義によるものであるような教育を受けている戦後に成人した人々にはわからなくなっているのかもしれない。しかし戦前も、そして戦後もしばらくの間は、「日本人は真面目で信用できる」との評判を海外で得ていたことは、まぎれもない事実だった。私ですら1970年代の七年間のアメリカ生活で実感している。勿論、例外のあったことは否定できなくとも、日本ではそれほど一般に「恥の文化」が徹底していたのである。>(277ページ)
 これまで見てきたように、「元々論」ともいえる歴史的経緯を無視あるいは都合よく改竄することが、松村氏と東中野氏の著作に共通する特徴と言えるだろう。彼らのような歴史改竄派には少し高級すぎるが、ロシア現代史の大家である渓内謙氏の以下の言葉を捧げたい。
 <歴史家の主な仕事は、「汚点」などの事実と人間的に向き合ったうえで、事実から認識に必要な「知的距離」を保ち、冷静に因果関係をあらゆる史料を駆使して多面的に分析することです。ちょうど、医師が患者の苦痛を人間的に理解し同情しつつ、診断と治療のためには病気にたいして最大限に冷徹な科学者でなければならないのと同じです。>(『現代史を学ぶ』岩波新書・1995年)、144ページ)
*Françaisフランス語→Yuzuru Taniuchi溪内 謙( 2 septembre 1923石川県出身 - 13 février 2004 ) était un historien et politologue japonais . Spécialisé dans l'histoire politique russe / soviétique . Professeur émérite de l'Université de Tokyo .

All-out war between Japan and China (Showa history 5)  – October 1, 1988 by Akira Fujiwara (author)
昭和12年7月7日、北京郊外盧溝橋の日中両軍衝突を機に、軍部は全面戦争への道を歩み始めたOn July 7, 1930, the military began to move toward full-scale war after a clash between Chinese and Chinese armies at the Marco Polo Bridge on the outskirts of Beijing.…がHowever、中国軍民の抵抗に戦況は泥沼化、配給制度など日本の国民生活も窮乏の度を加えたthe war situation became a quagmire due to the resistance of the Chinese military and civilians, and the lives of the Japanese people became increasingly impoverished due to the rationing system. 日独伊三国同盟など、太平洋戦争前夜を描くDepicts the eve of the Pacific War, including the Tripartite Alliance between Japan, Germany, and Italy.
*Русскийロシア語→Акира Фудзивара (藤原 彰, Фудзивара Акира , 2 июля 1922東京都出身 — 26 февраля 2003) — японский историк. Его академической специальностью была современная японская история, и он был почетным профессором Университета Хитоцубаши.

 侵略される側の視点を忘れるな
 第二。「侵略される側の視点を忘れるな」ということ。この「視点」とは、本多勝一氏の言う「殺される側の論理」と同じことである。松村・東中野両氏の著作に共通するもう一つの特徴は、そこに暮す「抑圧され、殺され、犯される中国民衆の現実」に思いをいたさない、自分勝手な机上の言説であるということだ。南京は日本軍の侵略直前まで中国・国民政府の首都であり、その近辺には多くの中国人が生活していた。もちろん南京に限らず、中国全土で同じように人々が暮らしていたのである。こういった事実を歴史改竄派の人々は知ってか知らずか、無視を決め込むのである。このような姿勢は、現実を歪めていると言わざるをえない。
 このようなことを述べると、他の国だって中国に介入し、分割に加わったではないかDidn't other countries intervene in China and join in the partition?」といった反発がよくあるので、以下に私論を述べておく。
 日清戦争で清国が日本に敗れたあと、ロシア・イギリス・ドイツ・フランスといった帝国主義諸国も、競って中国分割に参加した。そういった意味では、これら諸国も日本と同類の「侵略者」ということになる。しかしその「同類」とは、これら「侵略者」間での関係のことであって、対中国ということで言えば、「侵略者」と「被侵略者」という関係があるだけで、その罪悪性が減じることはいささかもありえない。また、先に「侵略者」という意味で同類と述べたが、同じ「侵略者」間でも、その罪悪性の大小には当然違いのあることを忘れてはならない。私たちの日常社会でも、犯罪者には窃盗犯もいれば殺人犯もいるのと同様である。日本は第一次世界大戦後にも、中国の広い範囲への侵略をさらにつづけ、その後も長期間にわたり多くの中国人民を殺害するなど苦しめたことを考えれば、日本の罪悪性がとりわけ大きいことが分かるであろう。
 このようなことから言えば、41年12月に始まるアジア太平洋戦争においては、本多勝一氏が以前から指摘するように*6、アメリカ・イギリス・フランス・オランダと日本との争いは「侵略者同士のケンカ」であり、中国をはじめとするアジア諸国の被侵略国との関係とは分けて考えるべきことなのである。
 アメリカ合州国もこの戦争では、日本に対して多くの非人道的な犯罪を行った。東京をはじめとする人口密集地への無差別空襲、そして広島・長崎への原爆投下などである。アメリカをはじめとする連合国を「正義の側」とし、日本など枢軸国を「邪悪の側」と規定することにより、「正義の側」のやることはすべて正しい、といったゴマカシを私たちは見破らなければならない。もちろん、日本はアジア諸国などに対して多くの邪悪な行いをなしたのであり、そのことは率直に認めて責任をとるべきである。しかしそのことをもって、アメリカなどの行いがすべて正しかった、と言うことはできない。

①Deutschドイツ語→John Heinrich Detlef Rabe约翰·海因里希·德特勒夫·拉贝 (* 23. November 1882 in Hamburg; † 5. Januar 1950 in Berlin)Джон (Йон) Рабе욘 하인리히 데틀레프 라베 war ein deutscher Kaufmann. Er wird wegen seiner humanitären Verdienste um die chinesische Zivilbevölkerung im Zweiten Japanisch-Chinesischen Krieg auch als der „Oskar Schindler Chinas“, in US-amerikanischen Quellen als der „zweite Schindler“ und von Chinesen als der „deutsche lebende Buddha“ oder „der gute Deutsche von Nanjing“ bezeichnet

②Das John-Rabe-Haus (chinesisch拉贝故居)Джон Рэйб ХаусJohn Rabe House존 레이브 하우스Maison de John Rabein Nanjing ist der ehemalige Wohnsitz des früheren Siemens-Vertreters in China und Vorsitzenden des Internationalen Komitees der Nanjing-Sicherheitszone, John Rabe. Er bewohnte dieses Haus in den Jahren 1932–1938. Heute sind darin eine John Rabe gewidmete Gedenkstätte sowie ein Forschungszentrum für die Friedensforschung untergebracht.

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