日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

『資本主義ロシアー模索と混乱』中澤孝之/Capitalist russia-Groping and confusion Takayuki Nakazawa/Капиталистическая Россия Нащупывание и путаница Такаюки Наказава①


[1994/12/20]Capitalist russia-Groping and confusion  By Takayuki Nakazawa/Капиталистическая Россия Нащупывание и путаница  Такаюки Наказава
連邦解体から三年,歴史上はじめて資本主義国家への道を歩み始めたロシア.しかし,かつて敵の体制の象徴としてのみ理解されていた資本主義は,いま大多数の国民にとって無制限の自由を意味するにすぎない.この混乱と無秩序のなかで自らの道を模索するロシアの最新の状況を,経済,政治,社会,軍事,外交のさまざまな局面から検証する.
Three years after the dissolution of the Soviet Union, Russia began its path to becoming a capitalist state for the first time in history. But capitalism, once understood only as a symbol of the enemy's regime, now only means unlimited freedom for the majority of the people. We will examine Russia's latest situation in search of its own path in this turmoil and disorder from various aspects of economy, politics, society, military, and diplomacy.
Через три года после распада Советского Союза Россия впервые в истории начала свой путь к капиталистическому государству , но капитализм, когда-то понимаемый только как символ вражеского режима, теперь означает неограниченную свободу для большинства населения. Мы рассмотрим новейшее положение России в поисках своего собственного пути в этой суматохе и беспорядке с различных сторон экономики, политики, общества, вооруженных сил и дипломатии.

*Takayuki Nakazawa中澤孝之 (Nakazawa Takayuki , janvier 1935-) est un journaliste japonaiset russe --Chercheur soviétique. Такаюкі Наказава(Takayuki Nakazawa), січень1935-) — японськийжурналіст іросійсько-радянський дослідник.大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つBorn in Dalian. Raised in Sakuho Town, Minamisaku County, Nagano Prefecture

はしがき
ソ連の解体後、1994年末で満三年を迎える。人間でいうと72歳の寿命であった一つの国家の終焉ー。1991年12月8日、ソビエト社会主義共和国連邦なる国の「消滅」とСодружество Независимых Государств(СНГ)独立国家共同体Commonwealth of Independent States(CIS)(CIS)の創設が突如として宣言された。西側では、そしてソ連のなかでも、この歴史的な大事件はおおむね、当然のことのように受けとめられた。不思議なことに、この宣言が練られたスラブ三首脳による「Białowieża Forestベロベーシの森の密約Беловежская пуща」を誰も詮索しようとしなかった。あれよあれよという間に、既成事実として、連邦解体が受け入れられたことを改めて思い出すのである。
ソ連は「崩壊」あるいは「消滅」したといわれる。崩壊とか消滅という言葉は、ふつう自動詞として使われ、いかにも自然に、成り行きで崩壊あるいは消滅したといったニュアンスが強い。「А́вгустовский путч, он же Путч 199191年8月のクーデター未遂事件1991 Soviet coup d'état attemptの後、ソ連はまるで坂から転げ落ちるように、崩壊に向かった。だから、ソ連は崩壊したのだ」という説明はもっともらしく聞こえる。
共産主義体制は確かに「崩壊」した。しかし、より正確に言うと、ソ連という国は「解体」させられたのだ。それも無理やりに。崩壊でも解体でも同じではないかという声が聞こえてきそうである。だが、あえて繰り返すようだが、ソ連は解体させられらたのである。当時のБори́с Е́льцинエリツィンBoris Yel'tsin ・ロシア大統領、Леонід КравчукクラフチュクLeonid Kravchuk・ウクライナ大統領とСтанісла́ў Шушке́вічシュシケビッチStanislav Shushkevich・ベラルーシ最高会議議長の三人によって。これは疑いもなく、権威を失いつつあったソ連大統領ゴルバチョフを一気に追い落とすための性急な反Михаи́л ГорбачёвゴルバチョフMikhail Gorbachev・クーデターであった。われわれはまず、この点をしっかり認識しておく必要があると思う。

ゴルバチョフの全く知らないところで、つまり、ゴルバチョフの了解なしに、連邦大統領のポストをなくすことによって、ゴルバチョフを引きずり降ろしたのが、このクーデターだった。「エリツィンの誤りの一つはソ連邦を解体したことだ。これはゴルバチョフ大統領をポストから降ろすための政略だった」とミハイル・クルビャンコ東洋学研究所主任研究員(岡山大学助教授)も述べている。
したがって、首謀者三人がいかなる弁明を試みようが、それは国民の意思を完全に無視し、憲法に違反した無計画で無謀な宮廷クーデターであった。事前の準備がまったくなかったがゆえに、この三年近くの間に、ロシアはじめ「独立を果たした」CIS各国は例外なく大混乱に見舞われたのである。とくに域内の産業連関の破壊を主因とする経済恐慌は未曾有のもので、案の定、シュシケビッチとクラフチュクの二人はその政治責任をとらされる形で、それぞれ93年12月、議会で解任され、94年7月の大統領選挙で敗北、相次いで政治の舞台から消えた。
「ゴルバチョフは好むと好まざるとにかかわらず、文明を共産主義の攻撃から守った。ゴルバチョフがソ連を崩壊させたと批判する者がいても、それは事実ではない。いわんや彼はソ連を柔軟な連邦に変えることを目指していたのだから。もしクーデター事件(91年8月の)が起きていなかったら、彼のもくろみは成功していたにちがいない。もちろん新連邦は長い期間はもたないだろうし、結果としてはCISのようなものになっただろうが、一定期間後に変貌するのはやむを得ないと言える。しかし、ゴルバチョフはこの合法則性をちゃんと理解していた」(ロシアの文明評論家Дени́с ДрагунскийドゥラグンスキーDenis Dragunsky。『ユーラシア研究Eurasia Research』第四号所載インタビュー)という言葉は傾聴に値しよう。「解体」をロシア語ではラズヴァール(развад)あるいはラスバード(pаспа́д)というが、どちらかというと後者の方が自然崩壊のニュアンスが強いようだ。
エリツィン自身、Беловежские соглашенияベロベーシの密約Belovezha Accordsが反ゴルバチョフ・クーデターであったと言われるのを嫌っていたかにみえる。94年春に各国で出版された手記の中でエリツィンは「これは’静かなるクーデター’ではなく、現存する秩序の合法的な転換、つまり、連邦の三主要共和国間の条約の条約変更であった」と苦しい弁明をしている。さらに「エリツィンはゴルバチョフに対して恨みを晴らそうとしている。ゴルバチョフの参加しない協定は、彼を権力から排除しようとする手段にすぎない。こう非難されるであろうことは覚悟していた。今後も生涯にわたって、この非難が続くだろうことも分かっていた。したがって、私の決意は二重の意味でも深刻なものであった。政治責任だけではなく道徳的責任をも引き受けねばならなかったからだ」とも書いている。「道徳的責任」という言葉は意味深長である。だが、その後の「私は確信したのだが、ゴルバチョフの精神的・意思的な寿命は尽きていた。悪人どもがまた彼を利用する可能性があった。こうして私は決心したのだ。そこでベロベーシの森にやって来たのである」という文章はまさに、ベロベーシの密約が反ゴルバチョフ・クーデターであったことを図らも物語っている。エリツィンは93年9月にも、今度は議会に対してクーデターを断行するが、これは本文で触れることになろう。
ついでながら、ベロベーシの密約の際の協定作成のロシア側参加者について、手記の日本語版の露文オリジナルでは「ブルブリス(当時、以下同じ、ロシア共和国大統領付属国家化意義書記)、シャフライ(ロシア共和国法制担当国家顧問兼ロシア副首相)、ИлюшинイリューシンIlyushin(ロシア大統領書記局主任)の三人しか挙げていないが、ヘルシンキで印刷・製本された豪華な露語版を見ると、シャフライとイリューシンの間に、ガイダル(ロシア共和国副首相兼経済・財務相)とコズイレフ(ロシア共和国外相)の名前が挿入されていることを紹介しておきたい。協定の作成参加者は当初から分かりきっているのに、なぜ後でこの二人を付け加えて合計五人としたのだろうか。この協定の重みを印象づけようとしたのかもしれない。
①ゲンナージー・エドゥアールドヴィチ・ブールブリス(ロシア語: Генна́дий Эдуа́рдович Бу́рбулис, ラテン文字転写: Gennadii Eduardovich Burbulis, 1945年8月4日 – )は、ロシアの政治家。エリツィン時代前期の国務長官。同郷のエリツィンの側近として権勢を振るい「灰色の枢機卿」の異名を取った。ドイツ語に堪能であるセルゲイ・ミハイロヴィチ・シャフライ(ロシア語: Сергей Михайлович Шахрай, ラテン文字転写: Sergei Mikhailovich Shakhrai、1956年4月30日 - )は、ロシアの政治家、法学者。エリツィン時代にソビエト連邦の崩壊前後のロシアの国制構築に関与し、特に法制や民族政策でエリツィンに重用された。

*Yegor Timurovich Gaidar (Russian: Его́р Тиму́рович Гайда́р; pronounced [jɪˈɡor tʲɪˈmurəvʲɪtɕ ɡɐjˈdar]; 19 March 1956 – 16 December 2009)[1] was a Soviet and Russian economist, politician, and author, and was the Acting Prime Minister of Russia from 15 June 1992 to 14 December 1992.

*アンドレイ・ウラージミロヴィチ・コズイレフ(コーズィレフ、ロシア語: Андре́й Влади́мирович Ко́зырев, ラテン文字転写: Andrei Vladimirovich Kozyrev、1951年3月27日 - )は、ソビエト連邦及びロシアの外交官、政治家。エリツィン政権で外務大臣を務めた。
いずれにせよ、ベロベーシ協定作成のプロセスに関して、エリツィンは手記の中でも触れず、他の当事者たちも完全に口を閉ざしたままだ。ゴルバチョフのгласностьグラスノスチglasnostを引き継いでいるはずの現在のロシアで、ベロベーシの密約の内幕は秘密のベールに包まれている。この歴史的なクーデターの全貌が明らかにされるのはいつのことであろうか。
次に、ソ連(厳密には旧ソ連だが、本書では原則的に旧をつけない)とロシアを比較して、無造作に、「旧ソ連ではこうだったが、ロシアではこうだ」という表現が使われることがよくある。解体前のソ連と新生ロシアとの比較が適切な場合もあることはあるが、ゴルバチョフ以前のソ連とゴルバチョフ以後のソ連を同一視すべきではなく、ゴルバチョフ以前と以後を明確に区別しなければならないというのが私の意見である。レーニンの革命に次ぐ「第二の革命」とも言うべきперестройкаペレストロイカperestroikaの前と後では、ソ連も百八十度の変わりようだからだ。ここではペレストロイカを改めて論じるつもりはないが、エリツィンのロシアを検討する前に、ペレストロイカの残したものを確認しておくことは重要だと思う。
「彼(ゴルバチョフ)は、いまだかつて存在したなかで最強の、スターリン主義的・共産主義的原則に立脚した全体主義体制を破壊した。数億の国民に、上から押し付けられる図式とドグマなしで、自ら、自分たちの生活を整備し、発展の道を選択する自由を与えた。地球上の陸地の六分の一に住む国民に、民主主義、法治国家、市場経済、人権、言論と信教の自由など、全人類的価値の承認に立脚して、現代文明の共通の方向へと入る可能性を与えた。冷戦と核軍備競争を停止するするために誰よりも多くのことを行い、それによって人類を第三次世界大戦の破局での興亡から救うことに決定的な貢献をした」-ゴルバチョフの外交政策担当補佐官だったアナトリー・チェルニャーエフ氏は著書『ゴルバチョフとの六年』(邦題『ゴルバチョフと運命をともにした二〇〇〇日』潮出版社)の「あとがき」のなかでこのように、ゴルバチョフの歴史的偉業の一端を指摘している。これこそがまさに、ペレストロイカの成果であったのだ。さらに付け加えるならば、ペレストロイカは未完の事業である。

*Русскийロシア語⇒Анато́лий Серге́евич Черня́ев (25 мая 1921, Москва — 12 марта 2017, там же[1])Anatoly Sergeevich Chernyaev — советский историк и партийный деятель, помощник Генерального секретаря ЦК КПСС, затем — президента СССР по международным делам (1986—1991).
エリツィンのロシアは、ソ連の継承国と自他ともに任じているが、当然、ゴルバチョフのペレストロイカをも継承した。継承したというより、ペレストロイカの延長上に、今日のロシアがあると言ったほうが、より正確かもしれない。前任者の政治を否定するというソ連の伝統は、エリツィンによっても間違いなく引き継がれたが、事実は事実である。ペレストロイカなしには、エリツィンのロシアはあり得なかったであろうからである。ちょうど、ゴルバチョフなしに今日のエリツィンはあり得なかったように。
ペレストロイカの適切な英訳は、リストラクチェアリングつまり、今はやりの、リストラだ。本書は、エリツィン政権のもとでソ連解体後のロシアのリストラはどのように行なわれているのかを探ろうとするものである。
本論に入る前に、肝心なことを記しておきたい。まず第一に、ロシアにおける本当の意味での民主化プロセスは大かた、ペレストロイカの時代に始まり、そしてその六年九ヶ月間のゴルバチョフのソ連時代でほぼ終わったというのが私の認識であること。ゴルバチョフの民主化のなかでサハロフ博士夫妻は流刑を解かれ、在米作家ソルジェニーツィン氏は市民権を回復されて、帰国の自由を得たのである。

*アンドレイ・ドミートリエヴィチ・サハロフ(露: Андре́й Дми́триевич Са́харов、1921年5月21日 - 1989年12月14日)Andrei Dmitrievich Sakharovは、ソビエト連邦の理論物理学者・政治家。物理学博士。

*Aleksandr Isayevich Solzhenitsynアレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィンАлександр Исаевич Солженицын(11 December 1918 – 3 August 2008) was a Russian novelist. One of the most famous Soviet dissidents, Solzhenitsyn was an outspoken critic of communism and helped to raise global awareness of political repression in the Soviet Union (USSR), in particular the Gulag system.
思い起こせば、ペレストロイカの下で怒涛のような民主化の波がうねった。保守派の強い抵抗と急進派の執拗な突き上げのなかで、右に揺れ左に揺れながらも、ペレストロイカは政治、経済、社会、文化、軍、国家保安委員会(KGB)、外交などあらゆる面にじわじわと浸透した。水が上から下に流れるように、確かにそれは一種のカオスХа́осをもたらした。革命と言われるゆえんだ。
①カオス(古希: Χάος)とは、ギリシア神話における原初の神である②カオス(英: chaos)またはケイオスとは、「混沌」を意味する英語である。 無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、一貫性が見出せない、ごちゃごちゃした状況・様相を形容する表現として用いられることが多い。 
民主化は全体主義との決別であった。それはあの広大な国においては、おそらく、10年単位の事業にちがいない。全体的にほとんど無血の革命だったと言ってよい。今冷静に振り返ると、よく短期間であれだけのことが成し遂げられたものと思う。民主化による全体主義崩壊の後のロシアをエリツィンは引き継いだのである。
「私は今のうちに、できるだけ多くペレストロイカの種をまいておきたい。その収穫に私は立ち会わないかもしれないけれど」というゴルバチョフの言葉を改めて思い起こす。
第二に、ロシアでは市場経済とか、市場経済化という言葉が日常的に使われている。急進経済改革とも言う。しかし、強調しておきたいのだが、実際は、資本主義経済、資本主義化であり、資本主義への移行と言うのが正しい。政治的には社会主義路線を堅持している中国の開放経済は、「社会主義」を冠して自他ともに「社会主義市場経済」と呼んでいる。それは土地私有の否定と一党独裁の堅持を原則とする。しかし、エリツィンのロシアが目指しているのは、資本主義以外の何物でもない。しかも、92年の価格自由化で始まったガイダルの路線は、西側、とりわけ米国の資本主義を手本とするものであった。ハーバート大学のサックス教授という米国から招いた指南役(経済顧問)らが米国型資本主義への道案内をした。
*ジェフリー・サックス(英語: Jeffrey David Sachs, 1954年11月5日 - )Джеффри Дэвид Саксは、アメリカ合衆国の経済学者(開発経済学、国際経済学)。ミシガン州デトロイト出身。コロンビア大学地球研究所長(Earth Institute)を務め、国連ミレニアムプロジェクトのディレクターも兼務している。全米経済研究所研究員、Millenium Promiseの代表および共同創設者でもある。
93年12月の国民投票で採択されたエリツィン憲法、94年2月の初めの大統領年次教書をいくら読んでも、化ピタリズム(資本主義)のカの字も出てこない。エリツィン自身そしてエリツィン政権のだれも、いまだに資本主義を目指していると正直に言った者はいない。「市場経済」の現在のプロセスが資本主義に向かうプロセスであることは明白であるにもかかわらず、である。ここにエリツィン政権最大のごまかしがある。94年なかばのビッグニュースだった投資会社「MMM」の取り付け騒ぎと倒産は、まさにロシアが資本主義の過程にあることを如実に物語る象徴的な出来事であった。
АО «МММ» was a Russian company that perpetrated one of the world's largest Ponzi schemes of all time, in the 1990s②A constitutional referendum was held in Russia on 12 December 1993Всенародное голосование по Конституции России. The new constitution was approved by 58.4% of voters, and came into force on 25 December.
70年以上にわたる長い共産党独裁政権のもとで、「資本主義は悪」と人びとは教え込まれた。「市場」という概念も「犯罪と同一視されていた」(ポポフ前モスクワ市長の発言)。ただ、資本主義という言葉の方がより抵抗が大きいようだ。エリツィンが市場経済とは言えても、うかつに資本主義とは言い出せない理由はここにある。94年8月9日付け『ИзвестияイズべスチヤIzvestia』紙は「MMM」事件を報じた記事に「ロシアにおける資本主義の発展は国家機関のそれを追い抜く」との見出しをつけたが(記事本文には資本主義という言葉はない)。極めて珍しい。
*Gavriil Kharitonovich Popovガヴリール・ハリトノヴィチ・ポポフ (Russian: Гаврии́л Харито́нович Попо́в; born 31 October 1936) is a Russian politician and economist. He served as the mayor of Moscow from 1991 until he resigned in 1992.
ソ連解体により、経済競争においてソ連型社会主義が資本主義に敗北したことは明らかである。自分たちが屈服したその資本主義の手法を学ぼうとすることに異を唱えるつもりはない。問題はごまかしである。エリツィンはいつ、いさぎよくロシア資本主義への道を歩んでいるのだと正直に言うだろうか。あるいは、ボリシェビキ流に、いつまでもごまかし続けるかもしれない。しかし、これはエリツィン政治の基本姿勢と信用にもかかわる問題であろうと思う。われわれも「ロシアの市場経済化」などときれいごとを言わずに、はっきりと「資本主義化」(カピタリザーツィアкапитализация)と表現しなければならない。
ロシアは資本主義を経験したことがなかった。社会主義革命以前の帝政ロシアは資本主義の萌芽期だったかもしれないが、資本主義の国ではなかったというのが定説である。社会主義からいきなり近代資本主義(先進資本主義ではない)へとジャンプアップしようとしている今日のロシア。しかし、三年近くの資本主義化の過程で、米国型資本主義あるいは西欧型資本主義はロシアの土壌になじまないところが、次第にはっきりしてきた。ではロシア型資本主義はどのようなものになるだろうか。そしていつ花開くのであろうか。
本書で私は、市場経済化、いや資本主義化への突入を急ぐプロセスにおいてロシアの抱える問題点をさまざまな角度から検証してみたい。なお、本文の月日、あるいは引用雑誌の番号の表記で、とくに年号を付けているのは、1994年の出来事であり資料である。また、敬称を省略した個所もあることをお断りしたい。

*ノーメンクラトゥーラnomenclatura(ロシア語: номенклату́раNomenklaturaとは、ソビエト連邦における指導者選出のための人事制度を指す言葉[1]。また転じて、共産党単独支配国家におけるエリート層・支配階級や、それを構成する人々を指す言葉としても用いられた。後者の場合は「赤い貴族」、「ダーチャ族」[2]とも呼ばれる。

第一章 ノーメンクラトゥーラ資本主義

1 ロシア版ネズミ講
一攫千金の幻想
リョーニャ・ゴルブロとマリーナ・セルゲーエブナ。ロシアで一番有名な架空の人物二人である。彼らは遠慮解釈なく、強引に一般の家庭の居間に上がりこんでいた。ブラウン管を通じて。テレビコマーシャルの登場人物なのだ。
*ネズミ講(ネズミこう)Mouse lectureとは、後に無限連鎖講と呼ばれることとなった連鎖配当組織のことである。
ロシア最大の投資信託会社「MMM」のコマーシャルはすさまじかった。いつ、どのチャンネルをひねっても、リョーニャとマリーナが飛び出してきた。リョーニャはモスクワの掘削労働者。「MMM」の株を買って、その配当金で妻のリータに冬のブーツをプレゼントし、次いで毛皮のコートを買い、家具、乗用車、最後にはパリに家を買う計画を立てる。その間、弟イワンと一緒にワールドカップЧемпионат мира по футболу観戦のためサンフランシスコСан-Франци́скоに行き、そこでロシア対アルゼンチンの試合を見る。二人は米国社会を褒めたたえながらも、こう付け加える。「われわれの国の方がいい。自然もウオツカも、すべて」
画面はこの兄弟を好対照に描く。リョーニャは「MMM」の株を買ったことで、大金持ちになったが、一方、イワンは働きづめながら、何も手に入れることができない。
マリーナはそれほど若くないが独身女性で、他人を信じないで生きてきた。ところが「MMM」の株を買ったら人生が変わり、「私は若くないけど、まだまんざらでもないわ」と思うようになって、恋人を見つけるーというドラマ仕立てである。マリーナには、ロシアのテレビで人気を博したメキシコの連続テレビドラマのヒロインで主演女優のVictoria Ruffoビクトリア・ルフォВикто́рия Ру́ффоが起用されたから、そのアピール度は推して知るべしである。
ロシア国民はこのようなテレビ広告に弱い。しかも、ハイパーインフレによる物価高に給料が追いつかず、生活が苦しいという一般国民が一攫千金を夢見るのは責められない。「MMM」のセルゲイ・マブロジ社長は庶民の弱点につけこんだのである。一時期、テレビコマーシャルの二本に一本は「MMM」のコマーシャルが占めていた。テレビだけではなく、どの新聞にも一面広告を掲げた。一週間に何と100億ルーブル(約五億円)という広告・宣伝費をつぎこんで投資熱を煽り立てた。

*Русскийロシア語⇒Серге́й Пантеле́евич Мавро́ди (11 августа 1955, Москва, РСФСР, СССР — 26 марта 2018, Москва, Россия) — российский предприниматель[1], основатель финансовых пирамид, политический деятель.Известен как создатель АО «МММ»
この「MMM」は、「年間に1000%から3000%の値上がりが見込まれる」とか「リスクなしにもうけられる」、「1000%の配当がある」などと誇大広告して、自社株を宣伝した。額面1000ルーブルの株券だが、売買価格を自ら設定し、ついには13万ルーブルにまで吊り上げた。株を買った人たちはなぜ株が上がるのか、どこに投資しているのかも知らされなかった。ほとんどの人びとはあえて知ろうとはしなかったと言った方が正確かもしれない。
同社の商法は、株の新規購入者から入る資金を払い戻し、配当金に充てるという自転車操業であった。新規の購入が続いているうちはいいが、これが途絶するとたちまち資金繰りがつかなくなり、破綻するというネズミ講まがいのものだ。この手口は「ピラミッド商法」ともいわれる。
①自転車操業Bicycle operationとは、操業を止めてしまえば倒産するほかない法人が、慢性的な赤字状態でありながら他人資本を次々に回転させて操業を続けていく状態のことである②Русскийロシア語⇒Пирамидальная схема — бизнес-модель無限連鎖講(むげんれんさこう、英語: Pyramid scheme)とは、金品を払う参加者が無限に増加するという前提において、2人以上の倍率で増加する下位会員から徴収した金品を、上位会員に分配することで、その上位会員が自らが払った金品を上回る配当を受けることを目的とした金品配当組織のことであるMulti-fake business methodマルチ・マルチまがい商法。
①The Toyota Shoji case豊田商事事件 (Toyota Shoji-jiken도요타 상사 사건) is a systematic fraud case that occurred in the early 1980s, using the scam method ( in -kind fraudulent business method ) using gold bullions by Toyota Shoji②GrandCapital (グランドキャピタル)③The Enten円天 controversy involved Kazutsugi Nami波 和二, the chairman of Tokyo bedding supplier Ladies & Gentlemen (L&G), arrested by Japanese police on 5 February 2009.
94年7月下旬、この「MMM」に脱税の疑惑があると政府が発表したのが引き金となって、取り付け騒ぎが起きた。モスクワのワルシャワ通りにある本社や各地の支店に多くの顧客が押しかけ、払い戻しを要求したが、会社側は資金は十分あると言いながら、なかなかそれに応じようとせず、逆に、それまで13万ルーブルだった株価を予告なしに一気に額面の1000ルーブルにまで引き下げた。これがかえって、資金繰りに困ったため新たな株購入を促して資金を調達する狙いではないかとの疑惑を深めた。一説によると、すでに大株主のマフィアが大量の払い戻しを迫られていたともいわれる。当局の直接の捜査容疑は、一日に40億ルーブル(約二億円)もの利益を上げたのに税金を払わなかったことであった。
取り付け騒ぎが起きて事実上倒産した九日後の8月4日に、ロシア税務警察係官がマブロジ社長宅を家宅捜査し、社長を連行した。その後、身柄を拘束されて拘置所での取り調べを受けている。社長宅からは膨大なチョウのコレクションが見つかったという。マブロジ社長は脱税などの罪で正式に起訴された。同社長が経営する別の投資顧問会社の「大規模脱税」の容疑である。9月に39歳となったこのマブロジといはいかなる人物なのか。
ギリシャ系ロシア人(前モスクワ市長のポポフ氏もそうである)マブロジ三兄弟の長男で、モスクワ電子数学大学Moscow Institute of Electronics and Mathematicsの応用数学科の出身。数学はずば抜けて出来たらしい。早くから商才には長けていたようで、70年代末には人気の出始めたジーンズに着目、販売を手掛けた。80年代半ばには、まだ普及していなかった映画ビデオの違法販売で当局の取り調べを受けた経験もあるといわれる。89年にコンピューターの組み立てから日用品まで扱う協同組合方式の販売会社を作って財を成し、それを基礎に投資会社へと発展した。もっとも、「MMM」の資金には旧共産党の資金が流れ込んでいるのではないかとの疑惑も強い。91年秋にはモスクワ交通局に地下鉄の一日分の旅客収入を上回る200万ルーブルを支払って、運賃を無料にさせ、「今日は「MMM」が運賃をただにしました」と宣伝し、市民を驚かせたことがある。いずれにせよ、マブロジ社長はロシアの資本主義化に伴って生まれたニューリッチの部類に属する。

「MMM」の背景
「MMM」の債権者は全国で1000万人ともいわれた。株式を買うためにダーチャ(別荘)や家、全財産をつぎこんだ庶民も少なくない。株を売り買いすることが新しい時代のビジネスだと思い込んだ庶民は、当然のことのようにマネーゲームに走った。その結果は悲惨な「夢のバブル」の崩壊であった。
ところが奇妙なことに、いつまでも夢を追い続ける庶民のなかにはマブロジ社長を支持する者が出てきた。「マブロジは何も悪いことはしていない」「問題は政府の「MMM」への不当な介入だ」「政府は共産主義者と同じ独裁的手法で「MMM」をつぶした」などと怒りを政府の方にぶつけるのである。約500人の株主がモスクワ市内で社長の即時釈放を求めてデモを行った。「MMM」株主同盟が結成され、その後、単に「株主総会」と名前を変えて、社会政治団体として登録、改革に対する政府の姿勢を追及していく構えをみせ始めた。「MMM」倒産は社会問題から政治問題へと発展していくのである。株主たちは「次の選挙では反政府勢力に投票するぞ」と脅しをかけた。マブロジ本人も「われわれには株主だけでも1000万人の市民がいる。「MMM」はロシアで最も力のある政治勢力だ。国民投票をやれば私が正しいことが証明されるであろう」とうそぶき、国民投票で政府不信任を求める動きに出た。取り付け騒ぎの後、マブロジは新聞広告などで政府の介入を激しく非難し、エリツィン政権への対決姿勢を明確にした。そこで、マブロジの肖像の入った株式引換券は絵葉書と同じだと大蔵省当局が繰り返し警告したにもかかわらず、マネーゲームの夢を捨て切れない市民一万人がモスクワの本社ビルに株券購入のために殺到する光景が連日見られた。
ロシア初の金融スキャンダルに発展した「MMM」騒ぎに対するエリツィン政権の反応だが、エリツィン大統領は8月11日、「国民にとって良い教訓になった。破格の利益を生むという危険な約束には慎重に対応すべきであった。これは悪質な企業による詐欺事件であり、政府とは無関係である」とにべもない。チェルノムイルジン首相もこのような会社の存在を放置した責任は認めながらも、「損害を受けた市民に対して国民の税金で補償するつもりはない」と言明した(7月31日ロシア通信による)。
*Viktor Stepanovich Chernomyrdinヴィクトル・ステパノヴィチ・チェルノムイルジン (Russian: Ви́ктор Степа́нович Черномы́рдин, IPA: [ˈvʲiktər sʲtʲɪˈpanəvʲɪtɕ tɕɪrnɐˈmɨrdʲɪn]; 9 April 1938 – 3 November 2010) was a Russian politician and businessman. He was the first chairman of the Gazprom energy company and the second-longest-serving Prime Minister of Russia (1992–1998) based on consecutive years.
「MMM」は、8月初めに営業を停止していたが8月22日に約半月ぶりに営業を再開した。マブロジが拘置所から営業再開を命じたのである。同社のようなネズミ講組織を規制する法律がないため、営業停止は強制できないのだ。
この問題はロシアの今後の経済政策にも影響してくるだろう。この事件で市民による市場経済への信頼が確実に失われるという見方がある(経済学者スタニスラフ・シャタリン氏。7月30日付け『インタナショナル・ヘラルド・トリビューンInternational Herald Tribune』紙)。いずれにせよ、事件はエリツィンの目指す資本主義化への支持勢力を減らすという効果をもたらすかもしれない。
①Русскийロシア語⇒Станисла́в Серге́евич Шата́линスタニスラフ・セルゲーヴィチ・シャターリン(24 августа 1934, Детское Село, Ленинградская область — 3 марта 1997, Москва) Stanislav Sergeevich Shatalin— советский и российский учёный-экономист и общественный деятель②500 Days Program (Russian: программа "500 дней")La programo 500 tagoj was an ambitious program to overcome the economic crisis in the Soviet Union by means of a transition to a market economy.
第一に、投資に関する法律が不備であることがこうした問題を生んだのだ。前記『ヘラルド・トリビューン』紙は「ロシア資本主義はほとんど整備されていない。ピラミッドの崩壊はロシアの資本家たちを震撼させた」と指摘している。この点から政府の責任を追及する声も上がった。エリツィン大統領支持の政治グループ「民主ロシア」は8月24日、「この事件の責任は絶対、司法機関にあり、逮捕されたマブロジ社長に弁明の機会を与えるべきだ」との声明を発表し、社長釈放にも賛同した。声明はまた、「株主を過激な行動に駆り立てている人物は株主の利益よりも、自分の政治的利益の追求に走っている」と暗にチェルノムイルジン首相ら政府首脳を批判した。
*民主ロシア(Демократическая РоссияDemocratic Russiaは、ロシアにおける政治運動体、選挙ブロック、政党。

①政党エル・デー・ペー・エル(Политическая партия ЛДПРLDPRLiberal Democratic Party of Russiaは、ロシアの極右政党。党首はウラジーミル・ジリノフスキー。旧称のロシア自由民主党(ロシアじゆうみんしゅとう、Либерально-демократическая партия России)で知られる②Vladimir Volfovich Zhirinovskyウラジーミル・ヴォリフォヴィチ・ジリノフスキー(25 April 1946 – 6 April 2022) Влади́мир Во́льфович Жирино́вский was a Russian ultranationalist politician and the leader of the populist Liberal Democratic Party of Russia (LDPR) from its creation in 1992 until his death.
「MMM」の波紋
事が政治に発展したところで、悪名高い極右自民党のジリノフスキー党首が、「MMM」の支援を買って出た。彼は8月25日、イリュシェンコ検事総長代行に声明を送り、「社会の緊張を和らげるために」マブロジ社長を釈放するよう要求した。そうした圧力もあってか、マブロジ社長は10月13日、逮捕以来70日ぶりに釈放されると、同年末のモスクワ市北部選挙区での、暗殺された下院議員(第三章参照)に立候補し、なんと27・8%の票をあつめ、他の11人の候補者を抑えて当選してしまった。本人は選挙後の記者会見で、「政治にはいっさい興味はない。会社を再建するため立候補した」と語り、議員の不逮捕特権を得るための出馬だったことを認めた。
話はもどるが、ロシア中央銀行は8月19日、同行の認可を受けずに預金業務を行なっている商業銀行や投資会社23社の名前を公表。これらの企業の経営内容を把握できず、信頼性について保証できないと警告した。このモグリ金融会社の中には、「チベット」「ルースキー・ドーム・セレンガ」「A・R・D」といった「MMM」と同じくテレビや新聞を通じて高利回りの宣伝をして市民から資金をあつめていた会社も含まれていた。「チベット」が8月25日、すべての営業活動を無期限に停止。同社幹部はその理由を、「中央銀行から預金業務に関する公式認可をうけるため」と説明したが、再開のめどは立っていない。テレビなどを通じて「MMM」と同じように宣伝活動を続けていた投資会社「ルースキー・ドーム・セレンガ」も8月に入って営業を停止している。モスクワの信託投資会社「A・R・D」が9月21日に活動を停止した。モスクワ市長府によると、同社の社長は国外に逃亡したという。同社の資本金はわずか10万ルーブルで、約20万人の出資者から多額の金をあつめ、社長は捕まる前に大金をもってドロンしてしまったのであった。
「MMM」事件は、誇大宣伝を手助けしたテレビなどロシアのマスコミの責任問題にまで発展した。テレビ側にも、ソ連解体で国から補助金が打ち切られ、自前で稼がねばならない苦しい台所事情があった。多くの新聞も、一方で「MMM」批判記事を掲げながら、財政上の配慮から、別のページでその巨大な広告を載せざるを得なかった。
ИТАР-ТАССイタル・タス通信TASSによると、チェルノムイルジン首相は9月3日、「MMM」社のテレビ・ラジオの広告を禁止する決定を下した。「MMM」が倒産後も広告を続けるのは「不公平な広告から消費者を保護する」という大統領令に反するためと説明されている。また「MMM」のコマーシャルは「社会的な緊張をあおり、脱税の容疑でマブロジ社長への捜査に支障をきたす」との理由を挙げている。
8月9日付けの『イズべスチヤ』紙は一面トップに「ロシアの資本主義は国家機関のそれを追い越す」との見出しで「MMM」問題を論じた。資本主義経済の下にそれなりのちゃんとした経済倫理がある。信用、契約を重視する伝統もその一つである。これがロシアにはない。
長い社会主義経済のなかで経済モラルははぐくまれなかった。そして、突然のソ連解体で、資本主義らしきものがいきなり国民に押し付けられた。だから、拝金主義поклонение деньгамがはびこる社会が生まれたのは必然だったかもしれない。逆に言うと、経済倫理が確立しない社会では、本来の資本主義は成り立ち得ないということであろう。
*拝金主義(はいきんしゅぎ배금주의、英:money worship황금만능주의(黃金萬能主義) 혹은 물질만능주의(物質萬能主義)とは、金銭を無上のものとして崇拝すること。拝金主義者を揶揄する言葉として「守銭奴」であるとか、「金の亡者」があるが、「拝金主義者」自体に批判的なニュアンスがある。また、「経済至上主義者」とは必ずしも一致しない。
「結局この事件は、これまで株式市場の無法状態を解消せず、ロシア国民の無経験と根強い奇跡信仰を悪用するテレビCMを放置してきた国家政策の産物である。ゴルブロは、数年間のエリツィンと同様に節度のない大衆主義者であり、その違いは、エリツィンがパリの家ではなく、クレムリンの官邸を獲得したというにすぎない(ロシアの政治評論員スタニスラフ・コンドラシェフ)というコメントは正鵠を得たものと思う。

2 「新ロシア人」というニューリッチ
91年末に独立国家として歩み始めたロシアは、明確な資本主義への移行のプロセスのなかで、かつてない経済混乱に襲われた。ハイパーインフレ、生産低下、流通の停滞、資本逃避、そして貧富の格差増大(階級分化)などの現象である。92年初めの価格自由化で始まった急進経済路線(ガイダル路線)は失敗したというのが大方の専門家の一致した意見だ。
経済混乱は新しい階級をこの国に生み出した。ロシア語でミリオ二ェールМиллионер、つまり百万長者である。場合によっては、ビリオニェールMиллиардер(億万長者)ともいわれる。新興成り金である。英字紙で使われるのが「ニューリッチ」。また「新ロシア人」という言葉も、この階級を指す。時と場合によっては、「ビジネスマン」(ロシア語でも)が当てはまる。
①A millionaire백만장자(百萬長者Millionär , Millionaire) is an individual whose net worth or wealth is equal to or exceeds one million units of currency②A billionaire억만장자(億萬長者Vermögensmillionär, Billionaire) is a person with a net worth of at least one billion (1,000,000,000, i.e., a thousand million) units of a given currency, usually of a major currency such as the United States dollar, euro, or pound sterling.
94年7月14日付けの保守系『プラウダПравда』紙は、「新ロシア人ー神話と現実」と題する論評を掲げており、このグループは「ロシア人に本来備わった価値や素質を進んで否定する比較的高学歴の積極的な若い世代で、市場改革の原動力であり、個人主義的かつ反愛国主義的な志向の持ち主」と定義している。この定義だけでは少し分かりにくいが、有力紙『イズベスチヤ』紙(9月7日付け)が、応用政治研究所所長のオリガ・クルイシュタノフスカヤ女史による興味ある調査結果とその分析記事を掲載したので、これをもとにロシアのニューリッチの実像を追ってみよう。
豊かなロシア人、特にモスクワのニューリッチは平均年齢が36歳。70%が高等教育を受け、学位取得者は7・5%で、72%が既婚者である。モスクワっ子が53%と半数以上を占め、農村地帯の出身者はわずか2・5%、そして、86%の金持ちの両親はインテリだという。また、首都の最も富裕なビジネスマンの12%はかつてソ連時代、ソ連共産党、КомсомолコムソモールKomsomol(共産青年同盟)あるいはКомитет государственной безопасности (КГБ)国家保安委員会Committee for State Security(KGB)での有望なキャリア組だった。彼らはしたがって、「百万長者ノメンクラトゥーラ」であると、この記事は表現している。
さらにこのほかの実業家のタイプに「成り上がり百万長者」というのがある。これは自分の職業の経歴において行き詰まった失敗者がはい上がったケースだ。このなかにはとりわけ、20代から30代の青年で、安定した職業に恵まれなかったグループがおり、その大多数が学校に通っている時期にすでに闇商売を手掛け、コンピューターや流行の衣服を売買したことがあるという。「新百万長者」調査の回答者のうち40%は、過去に非合法のビジネスをしたことがあると答え、22・5%が刑事責任を問われたことを認めた。25%は今も犯罪組織(例えば、マフィア)と関係していると回答した。
モスクワへの金持ちの集中度はロシア全体に比べて七倍であるが、このなかでも西側の基準による金持ちは0・01%を超えない程度だという。わずか1000人に1人ということであろうか。では一体どのくらいの金を稼げば金持ちの気分を味わえるのであろうか。中流の市民の回答者は月400ドルと言い、中流のビジネスマンは月2万ルーブルだと答えた。普通の回答者の意識にある豊かさとは具体的に何かというと、明日という日を考えないこと、仕事があること、車、дачаダーチャDacha(別荘)、アパートをもつこと、欲しいだけ腹一杯食べること、健康であること、給料の高いよい仕事に就くこと、盗みをすること、ペテン師であること、外貨をもつことーなどとなっている。ところが、実業家たちは少し違う答えをしている。明日の日を考えないこと、儲ける仕事(種類は問わない)をもつこと、興味ある高い給料の仕事に就くこと、不動産を所持すること、КоньякコニャックCognac(ブランデー)を飲むこと、レストランに行くこと、親しい人を助ける機会のあること、西側の人と同じように生活すること、才能を有すること、旅行をする機会をもてることーなどである。
1993年の時点で、富裕階級に属するのは月に400ドル(平均賃金の七倍から八倍)以上の収入のある人たちで、民間人の大会社の幹部、合弁企業か外国会社の従業員のほかに、有名な芸術家、運転運手、ジャーナリスト、政治家がこの範疇に入る。芸術・文化関係者(外国講演などで稼ぐ)や外交官の多くは外国の銀行に
口座をもっている。
古いソビエト・ノメンクラトゥーラといわれるのは、大変な資産はあるが、資本のない人たちで、しゃれたアパートやダーチャをもち、絵画、書籍、骨董品や武器をあつめることを趣味としている。これらのグループは経済的なことにあまり関心がなく、自分たちの財産からの利潤もない。高額所得者のなかには犯罪ビジネスに携わる人たちもいるが、今のところその数をだれも知らないと記事は述べている。

大金もちへの道
たくさんの金を稼げるにはどうしたらよいのか。その手段として一般市民は商業、ビジネス、盗み、ブローカー商売、金融業、為替操作、売春、麻薬ビジネス、恐喝を挙げ、ビジネスマンは商業、為替操作、金融業、公務員とそれに関連する賄賂、ブローカー商売、盗み、不動産取引、ビジネス・コンサルタント、消費物資生産などを挙げている。
実際にモスクワの百万長者にどうして金持ちになったのか聞いてみたところ、75%が商業、23%が消費物資生産、20%が金融業、18%が投機、15%が出版事業と答えた。商業のうちで最も儲けの多いのが輸出入取引で、ロシア連邦での資本蓄積の典型は原材料の輸出と消費物資の輸入だ。ロシアの市場で最も採算の取れる輸入品は食品、家具、衣服、履物、医薬品、ビール、香水、食器だという。儲かる輸出品は機械製作製品、化学工業品、非鉄金属や鉄鋼、大型有角獣の毛皮、木材とセルコースなどである。また、犯罪によって大金持ちになる手口としては有価証券の偽造が手っ取り早いという。
実業家にとって最も快適だったのは、ゴルバチョフ時代の1988年で、当時ビジネスマンが100万ルーブル稼ぐのには四ヶ月あればよかったし、ブローカーは平均二週間足らず(1・7週)で済んだ。
次に金の使い道だが、百万長者は所得の85%を次のビジネスの資金にとっておき、消費に回すのは15%というのが一般的な答えだった。ロシアの成り金の特徴は、けばけばしさとひときわ目立つ豪華さへの好みであると記事は言う。富の象徴は車、それもきまって高級外車である。特にメルセデスMercedes-Benz、ボルボVolvo Personvagnar、BMW、ポルシェPorsche、クライスラーChryslerなどが好まれる。1993年、ロシアでメルセデス500と600が、年間に全西欧で販売されたのと同数も売れたという。車の次に買うのがアパート。また庶民の羨望を浴びながら、郊外の別邸を建てるのもニューリッチである。そうした別邸は17万ドルから50万ドルもするといわれる。さらに実業家の60%は外国に保養のための別荘を買い、いずれ子供たちに譲るつもりだ。新ロシア人は積極的に外国の不動産取得に走っている。その場合の外国はスペインReino de Españaが13%と最も多く、次いで米国United States of America(12%)、Κυπριακή ΔημοκρατίαキプロスKıbrıs Cumhuriyeti(11%)、ポルトガルRepública Portuguesa(10%)、ギリシャΕλληνική ΔημοκρατίαとフランスRépublique française(各9%)、英国United Kingdom(8%)の順となっている。
政治信条調査では、ビジネスマンの71%は民主主義的な考えを抱いており、共産主義者はわずか6%、もっともこの「民主主義的な考え」というのはかなりあいまいだ。エリツィン支持ということであれば、彼こそがニューリッチの育ての親だから、不思議ではない。13%は政治に無関心で決まった政治的な考えがない。とりわけ若いビジネスマンはノンポリである。
非常に有力な実業家の10%(主に銀行家)は政治筋に近く、自分の政治的な好みを隠しているという。
「このようにロシアに、実業家という新しい社会階級が形成された。1987年から1988年にかけて彼らは何百万ルーブルも稼ぎ、今また何百万ドルを稼いだ」-記事はこう述べた後で、「新しい金持ちの圧倒的多数はワーカホリックであり、休日も、休暇も事実上なく、1日13時間も働いている」と結んでいる。しかし、この結びの言葉は庶民は一生懸命働かないから金持ちになれないのであって、もし金持ちになろうとするならば、休まず13時間働け、と言っているようだ。確かに人並み以上に働いて金持ちになった人もいるだろうが、一方ではほとんど毎晩、美女やボディーガードを引き連れて、入場料15万ルーブルもするナイトクラブ「マリカМарика 」に出入りしたり、カジノで100ドル紙幣をみせびらかすにわか成り金がいるし、経済混乱に乗じて虚業に従事してニューリッチとなった連中も少なくないと思われるので、やや引っ掛かる結論である。

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