日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一④

                  迎合教科書花盛り         鎌田慧
十年ほど前、教科書問題の取材のため、自民党文教族の西岡武夫に会ったことがある。
*Deutschドイツ語⇒Takeo Nishioka (jap. 西岡 武夫, Nishioka Takeo; * 12. Februar 1936 in Nagasaki, Präfektur Nagasaki(長崎県出身); † 5. November 2011 in der Präfektur Tokio) war ein japanischer Politiker und seit 2010 Präsident des Sangiin, des Oberhauses des japanischen Parlaments.
いまでも印象に残っているのは、「社会科」にたいして示した反感で、たとえば公害などおなじことを小、中、高と繰り返して教える必要はない、といい切ったのである。
사회과(社會科, social studies)In the United States education system (and other countries), social studies is the integrated study of multiple fields of social science and the humanities, including history, geography, and political science.
社会問題を扱う教化は、おのずから社会批判をふくむ。おそらく、為政者にとってそれはやはり座り心地の悪いものなのであろう。そんな不安が反映してか、来春から小学校1,2年の「社会」は廃止され、「理科」と統合されることになった。あたらしい学科の名前は「生活科」である。
*Françaisフランス語→Vie (sujet)生活 (教科) (Seikatsu et anglais : Life Environment Studies ) a été révisée en 1989 (Heisei 1) et instaurée en 1re et 2e année du primaire à partir du programme d' 1992études.
社会派から生活派への転換。まるでカネモチニッポンを象徴しているかのようである。いまでさえ、さいきんの若ものたちは社会意識が弱く生活感覚ばかり強くなった、といわれているのだから、それが小学生の段階からさらに完成されることになる。ますます保守派は枕をたかくして眠れるであろう。
それでは生活科とはなにを勉強するのか。新聞の報道によると、十二社の教科書のうち、十一社はイラストや写真が中心で、それも「学校探検」とかの名目で、保健室や給食室を「探検」したり、職員室で先生と握手したりするとか(『朝日新聞』7月1日)。
もちろん、身近なものに関心をもたせるのは教育上、有効でないことはない。が、それにしてもなんとも身近かすぎる。職員室で握手をもとめられるほどの存在に教師はなっているのだろうか。こじつけにきこえるかもしれないが、なにか入学したての子どもたちに、迎合の精神を教えこむようなもの、ともいえる。
小動物の飼育についても、たいがいの教科書はウサギやザリガニを扱っている、とか。かつて、学校でふえすぎたウサギの始末に困った、というエピソードが伝えられたこともある。ウサギやヒヨコを飼うにしても、大きくなってしまえば、都会の団地生活では、反教育的な始末をするかもしれない。
アサガオを育てる教科書も多い、という。学校で『これはなんですか』と教師がアサガオやグラジオラスの種を手にして子どもたちに発問する。その方法が、マニュアル化されている岡崎市では、全市でいっせいにおなじ発問される超現実的な光景を、わたしは『教育工場の子どもたち』で描いた。
*Русскийロシア語⇒Окадза́ки (яп. 岡崎市 Окадзаки-си) — центральный город Японии, расположенный в центральной части префектуры Айти.


ところが、わたしの想像力をはるかに超えて、全国でいっせいに、この画一的な発問がなされることになりそうなのだ。管理教育の究極、である。
教科書は商品である。義務教育の子どもたちには無料で支給されるのだが、購入(採択)は各地の教育委員会段階でおこなわれる。無償になる前は、小学校ごとに教師たちが決めていた。わたしも小学校のころ、指定された本屋に教科書を買いにいった記憶がある。
が、いまは「広域採択制」と称して、ほぼ県段階で横ならびにおなじ教科書が使われることが多い。(もちろん、例外もある)。だから、「限定教科書」といわれたりしている。
来春から小学校で使われる教科書は、新聞記事を読んだ限りでは、「国定化」にちかづいているようである。再来春は中学校、そのつぎは高校とあたらしくなるが、これで国の教科書体系がほぼ確立してしまうようで、不安になるだけでなく、腹立たしい想いを禁じえない。
教科書は文部省の「学習指導要領」に従ってつくられるのだが、今回からは「検定制度」も変って、かつてのように「条件つき合格」⇒「修正」というコースがなく、「合格」かどうか最後まで判らない状況となった。
教科書は商品だから、はやくつくって営業活動をしたい。不合格になったら経営にとって大打撃である。だからとにかく、教科書会社には検定という名の検閲を無事に通過したい。その焦りが強くなる。そうなると、より文部省の意向に迎合した形になる。
その結果、ウサギやザリガニやアサガオなど、文部省の研究推進校の実践成果に迎合したものをつくる。そればかりか、日の丸、君が代、東郷平八郎など、「新指導要領」が強調する「国家意識の涵養」に沿ったものになる。
子どもたちへの教育が、国家意識の涵養を前面に打ちだしたものになり、その内容もほぼおなじものになってしまえば、もはや「国定教科書」というしかない。
①Русскийロシア語⇒Флаг Японии (яп. 日章旗 ниссё:ки, «солнечный флаг»), на родине его также называют хиномару (яп. 日の丸 , «солнечный круг»)②Românăルーマニア語⇒Kimigayo (君が代) este imnul național al Japoniei③Українськаウクライナ語⇒Маркіз Тоґо Хейхатіро (яп. 東郷 平八郎(大日本帝国海軍元帥・鹿児島県出身); 27 січня 1848 — 30 травня 1934) — адмірал флоту в Імперський Японський військово-морський флот і один з найвидатніших флотоводців←④The October incident (十月事件, Jūgatsu Jiken), also known as the Imperial Colors incident (錦旗革命事件, Kinki Kakumei Jiken), was an abortive coup d'état attempt in Japan on 21 October 1931, launched by the Sakurakai secret society within the Imperial Japanese Army, aided by civilian ultranationalist groups.
つまり、かつて「軍国主義」から「民主主義」に転換したとき、わたしたちがスミを塗らされた教科書に急速に近づいている、といっていい。
*A sumi-painted textbook墨塗り教科書 is a textbook that has been erased by smearing it with ink.
教師の採用で日の丸、君が代にたいする「思想調査」が公然とおこなわれ、その教師が使う教科書が日の丸、君が代を強制しているのなら、日本の教育は、日の丸教育といって過言ではない。いっそのこと、表紙にも日の丸を刷りこめばはっきりする。
その教育で育った「企業戦士」が海外進出で経済戦争を戦う。自衛隊もついに海外派兵する時代になった。これからは、ますます迎合教科書による迎合的人間がふえる。反面教師、反面教科書に対抗するためにも、教育への闘争がますます必要とされる。
日教組や高教組にその気概があるか、と問えば、ただ紋切型の「反動教育ハンターイ」の声があがるだけかもしれない。いや、もはやそんなこともいわないのかな。(91年9月)

①나카자와 신이치Shinichi Nakazawa(일본어: 中沢新一(山梨県出身), 1950년 5월 28일 ~ )은 일본 야마나시현 출신의 사상가, 종교학자, 인류학자이다②Deutschドイツ語⇒Susumu Nishibe西部 邁 (Nishibe Susumu(北海道出身)1939 < Showa 14> 15. März --2018 < 2018 > 21. Januar) ist ein japanischer Kritiker , Ökonom und konservativer Denker .

*The Todai Komaba Soudou東大駒場騒動 is a conflict that occurred between instructors of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo over the personnel affairs of newly appointed instructors from 1987 to 1988. It was also called the Nakazawa Incident and the Nakazawa Problem after Shinichi Nakazawa , one of the people involved in the turmoil, but the parties to the turmoil were not Nakazawa himself, but the instructors of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo at that time.
             ”東大問題”とは要するに「西部問題」にすぎぬ

やや長い海外出張から帰国したとき知ったことのひとつに「東大(教養学部)問題」がある。『朝日新聞』の学芸欄に関係者が登場したり、本誌(『朝日ジャーナル』)でもかなり重点的に扱ってきたが、ほとんど読みすすまぬうちに、この「問題」の中心人物が西部邁教授であることを知って全く関心を失い、多忙な時間をさいて関連記事を読むことはやめていた。
なぜか。私はこの西部氏が書いたものを去年まで読んだことがなかったのだが、あの中曽根康弘氏がまだ総理の座にいて「知識水準」発言や「単一民族」発言などで世界に恥をまきちらした後、売上税Taxe sur la vente問題で命脈つきようとしていたころ、偶然この人の一文を読んだ。それは(『朝日』の)編集委員の会合でのこと、ある記者が売上税に関連して、その日の『毎日新聞』(1987年3月17日付夕刊)で西部氏の「おもしろい異論」が出ているというので、私も読んでみたのである。
売上税総スカンの原因についてここで西部氏は「売上税によって所得捕捉率が高まりそうだというのを小さくない契機にして」おり、要するに反対者は「脱税を続けさせよという要求にほかならない」と断じている。
この部分に関するかぎり、実は西部氏と私とではかなり似た結論である(くわしくは拙文「売上税と国家秘密法と日本人」=『潮』1987年5月号参照=『貧困なる精神・第19集』収録)。ただしその背景の説明は全く異なる。西部氏は「高度大衆社会を如実に表象する」ものとして説明するが、それならば世界のどこの国でも「高度大衆社会」になれば同じことになるのだろうか。
*Deutschドイツ語⇒Der Gesetzentwurf zur Verhinderung des Ausspähens nationaler Geheimnisse国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案 (Horitsuan on the spy on the secret) wurde dem Repräsentantenhaus vorgelegt1985auf dem 102. LandtagLiberaldemokratischen ParteiMitgliedeinemvon. 
だが、ここで問題とするのは西部氏のこのような説明なり解釈についてではない。この「売上税騒動異論」という評価は上下二回の連載になっていて、あくる3月18日夕刊で「下」が掲載された。これを見るに及んで、もう「おもしろい異論」などという記者はいなかった。つまりは中曽根康弘氏の「総理の座」を死守したいという魂胆を「小さくない契機にして」売上税に断固賛成しているにすぎないのだ。
むろん賛成自体が悪いというのではない。できれば原文をぜひ読んでいただきたいのだが、この「下」の前半で西部氏はまず、次のような論法によって中曽根氏の公約違反を免罪にする。
「中曽根首相が公約違反をなしたことは明白だと思われる」「どうせ公約違反といわれること必定なのだから、どうして例外規定なしの一律売上税でいかなかったのか、首相およびその側近における勇気の欠如が惜しまれる」
「ところで、ざっくりいえば、現在の世論状況を前提にして大幅の税制改革を行おうとすれば、公約違反は不可避だったのではないか」
「あらゆる政党が耳あたりのよい公約を掲げるのは生者の民主主義に迎合してのことである。と同時に、国家は生者を越えて死者の民主主義および子孫の民主主義をも射程に入れざるをえず、したがって公約は実現されないのが相場である。この公約に対する軽信と虚無を適当にないまぜにしてその日暮らしを送る、それが現代の民主主義ではないだろうか。売上税問題はそのことの端的な反映だと思われる」
かくて中曽根氏の公約違反は正当化された。つぎはその’正当なる’中曽根氏を、私たち日本国民は、なにがなんでも尊敬して好きなようにやらせるべきだという西部氏の心情が、つぎのような論法によって展開される。
「私が首相の回し者であるという噂が流通する可能性なきにしもあらずと思いつつも、世人は自分らの選んだ首相をもう少しきちんと評価したらどうかといいたい。どんな人間であれ首相という地位に就いたものは、それなりの責任感が伴うという可能性があるのである。首相には、その個性というよりも地位のおかげで、勇気、節制、正義、思慮といったような徳が、私利私欲でしか売上税問題をとらえないような大衆には及びもつかない水準で、備わっているのかもしれないのである。かならずそうだと断言するのではない。そうかもしれぬと仮定してみるくらいの度量を持たなければ、とても主権者の名にふさわしい国民とはいえないということである」
「大衆のこわさは、地位の高いものとあらば誰彼かまわずに悪罵を投げ、その地位から引きずり降ろし、その挙句に、責任ある指導者はもういないと高らかに宣言し、そうすることによって自分らの無責任を免責しようとする点にある。これは、ざっくりいって、卑しい心性というべきではなかろうか」
要するに「地位」が首相であれば、それ自体によって高い「徳」が「備わっているかもしれない」のだそうな。するとヒトラーAdolf HitlerであれスターリンJoseph Stalinであれネロ(ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(羅: Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37年12月15日 - 68年6月9日[1])はローマ帝国・第5代皇帝)であれポル・ポト(ポル・ポトប៉ុល ពតPol Pot、1928年5月19日 - 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家、共産主義者。本名はサロット・サルសាឡុត សSaloth Sarであれ、そのような「仮説」によってやらせてみるくらいの「度量を持たなければ、とても主権者の名にふさわしい国民とはいえない」ことになる。
これはいったい、何だろう。非論理というべきか破廉恥というべきか幼稚というべきか、一言で要約すれば「典型的御用学者」というだけのことなのであろうが、同じ御用学者でも「学者」の段階に達しているとはいえないのではないだろうか。
これは決して、単純な間違い(ミステーク)だの「筆のあやまり」だの「右」か「左」かだのといった次元の問題ではない。この人の「民度」を示す本質的なものである。このあたりは本誌(『朝日ジャーナル』)連載第二回(1988年4月8日号「知識と事実と論理」=『貧困なる精神・A集』で書いた三項目の「その一」(知識は論理と関係がない)に相当するだろう。大学の先生であれ寒村からの出かせぎ労働者であれ、インチキはインチキ、ホンモノはホンモノ、まさに「地位」それ自体と「徳」とは一切関係がない。そして西部氏はインチキの部類であることがこの”評論”によって証明された。
となれば、そのような人物自体が「問題」なのであって、東大教養学部に問題があるとするならば、そんなインチキを今日まで「教授」にしておいたことではないのか。
①Українськаウクライナ語⇒Токійський університет (яп. 東京大学; англ. The University of Tokyo) — державний дослідницький університет у Японії. Скорочена назва — То-дай (яп. 東大)②Graduate School and College of Arts and Sciences, the University of Tokyo, Komaba (東京大学大学院総合文化研究科・教養学部)
そこでこの一文を書くにあたって、本誌連載の「多角分析『東大問題』の処方箋」をひととおり読んでみる(『朝日ジャーナル』1988年7月22日号)

その結果は、以上のような見方に確信をもつばかりであった。とくに杉本太一郎氏(Daiichiro Sugimoto杉本 大一郎 (Sugimoto Daiichiro(京都府出身), March 18, 1937- ) is a Japanese astronomer and space physicist)と小出昭一郎氏(Shoichiro Koide小出 昭一郎 (Koide Shoichiro(東京都出身), March 25, 1927 - August 30, 2008 ) is a Japanese physicist and professor emeritus at the University of Tokyo)の論文にその感を深くする。本誌(『朝日ジャーナル』)の投書欄(「読者から」)でも、7月1日号で阿部安治氏(「学者バカを考察する」)が、西部氏のある御用論文について次のように紹介している。
コトは「自衛官合祀訴訟」の件である。<政教は合体せざるをえない>と意見を述べる。それは次のような論拠によって証明される。<国家は歴史をもつ。歴史は物語りである。物語は神話をふくむ。神話は宗教をもたらす>。
この論法で国家と宗教はつながっていると断じているのだ。あいた口がふさがらないとはこのことである。歴史は物語で、また神話をふくんでいるというくだりは、この人は社会学をどのようにとらえているのだろうかという疑問を生じさせる。そして、最も驚くのは、以上の論点を認めたとしても、そのことを、<組織人格としての私は、天皇や神話にかんする儀式をすすんで受け容れる。なぜといって、それらは日本の国家や歴史を象徴するものだからである>という文章に結びつける荒業に対してである。(中略)私は思う。バカ呼ばわりして学者バカが一人消えた大学の学生は幸せであると。

私が西部氏の書いたものを読んで感じたことは、決して私の誤読でも「過小評価」でもなかったことが、西部氏の他の文章についてもこのような第三者によって証明された。
いうまでもなく東京大学教養学部には、本誌などでいろいろ指摘されたような「問題」もあるだろう。それらはしかし、この大学の教養学部「特有」の問題だろうか。他の学部や日本の他の大学にも共通するのではなかろうか。結局は現在の日本のモノサシ一本的価値観に犯された文部省教育が問題なのであり、ひいては日本型メダカ社会が問題なのであって、東大教養学部の場合「も」その表層的部分のひとつとして現われているにすぎないであろう。だから同じ「問題」は、他の大学のみならずNHKにも朝日新聞にも文部省にも宗教団体にも政党にも農協にも銀行にもあるだろう。
西部氏がよく使う言葉をまねて「ざっくりいえば」、先週号で紹介した彼の”評論”が自らの宗主・中曽根氏を死守したいという魂胆を「小さくない契機にして」いたように、こんどもまた自らの「徳」ならぬ不徳な個人的何かを「小さくない契機にして」、大学の「問題」を利用しただけのことなのだ。
こういう例は、自己顕示欲過剰とか目立ちたがり屋とか有名病症候群に陥っている型(タイプ)から出てきやすい。西部氏はかつて新左翼の活動家だったそうだが、いわゆる活動家のなかにももちろん本モノの人物も少なくないけれど、自己顕示の手段としてやっている例もまた少なくないことを、私はこれまで実例としていくつか見てきた。そういう人は、なにかきっかけさえあれば簡単に正反対の側の走狗になる。活動の目的が革命だの改革だのにあるのではなく、目立ちたがっているだけなのだから、もし反対の側へと裏切ることによってさらに「有名」になった上に「よりおいしい」生活ができるとすれば、むしろ嬉々としてそうなってしまうのも当然ではないか。西部氏もまたその一例だったかどうかを検証するひまはないが、ありそうなことではある。
「西部問題」(つまり「東大問題」ではない)で西部氏にひきずられたり同調したりした人々のなかには、だから西部氏と共通する症候群の人々が観察されるであろう。

[2002]Méthode anti-américaine auteur 小林よしのりYoshinori Kobayashi (Auteur) , Susumu Nishibe西部 邁 (Auteur)
Amérique, alliance nippo-américaine, terrorisme, religion, civilisation, modernité, révolution... Parlez de vos idéaux de "putain de réalisme" ! "Déclaration du Nouveau Gomanisme" Yoshinori Kobayashi et Susumu Nishibe, un philosophe, recherchent l'entêtement de l'espoir. . . 

①Jan 22, 2018 — 小林よしのりさん「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」Yoshinori Kobayashi "C'est bien de régler sa vie par soi-même."評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載した。文章は「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」などとつづられ、「謹んで哀悼の意を表します」と結ばれているConcernant la mort du critique Susumu Nishibe, Yoshinori Kobayashi, un mangaka qui entretenait une relation étroite avec lui, a publié une phrase sur sa page d'accueil le 22, intitulée "Susumu Nishibe va bien". Le texte est énoncé comme suit : "C'est bien de régler votre vie par vous-même" et se termine par "Je vous présente mes condoléances"②2018/02/21 — 小林よしのりYoshinori Kobayashi「一人でいても寂しくない男になれSoyez un homme qui ne se sent pas seul même quand vous êtes seul」わしと西部邁氏との決裂は「社交」が原因だったLa rupture entre moi et M. Susumu Nishibe était due au « social »③『東大一直線Todai Ichokusen』は、小林よしのりによる日本のギャグ漫画est un gag manga japonais de Yoshinori Kobayashi④Aug, 2010ー「わしは昔サヨクだったJ'étais Sayoku(gauche)だが『戦争論』で明確に転向してしまったmais j'ai été clairement bouleversé par 'la théorie de guerre'」⑤January 28, 2015ー「ようござんすね?このまま戦争でC'est normal d'aller à la guerre comme ça」大ベストセラー『戦争論』から17年、過剰に右傾化した日本の舵を、いったん真ん中に切り戻す衝撃作、第1弾! C'est splendide ".17 ans après le best-seller "Theory of War", c'est la première œuvre choquante qui remet au centre le gouvernail trop penché à droite du Japon !→「ざっくりいって」Обломов「ざっくりいえば」Чтотакоеобломовщина?/Qu'est-ce que l'Oblomovisme ? ←↑「悪賢く利口ぶるなne sois pas rusé」「怠慢、無為、オブローモフ主義、立ち遅れを大げさな言葉によって隠蔽するなNe dissimulez pas la négligence, l'inaction, l'Oblomovisme ou le retard avec de grands mots」「共産主義的なオブローモフ流Le style communiste Oblomov」「共産主義をもったいぶるなne joue pas au communisme」「共産主義的官吏のあまったるい駄法螺Les douces conneries des officiels communistes」「共産主義的に愚鈍なcommunistement stupide」「役立たずの共産主義者communiste inutile」「『共産主義的な』なぐうたらUne chanson de bourrin 'communiste'」「共産主義者的なばか者をばかにする制度Un système qui rend fous les communistes fous」「共産主義的おしゃべりbavardage communiste」(『レーニン最後の闘争Lenin's Last Struggle1921-23年)

[2017]The beginning of Lenin's new edition author Shinichi Nakazawa (Author)
What was the idea behind Lenin's laughter that touched the rhythm of life? A masterpiece that highlights the characteristics of Lenin's ideas found in the "Philosophical Notebooks" that formed the origin of the revolution. 

西部氏が推薦したという中沢新一氏については私は全く知らないが、杉本太一郎氏(本誌6月3日号)の論評を読むと、どうもそのおそれもなしとしないかもしれぬ。少なくとも中沢氏が西部氏と「思想的に正反対の極に位置する(本誌6月10月号の佐伯啓思氏)とはとうてい思われないが、このさい私自身の判断は留保しよう。
*Françaisフランス語→Keishi Saeki佐伯 啓思(Saeki Keishi(奈良県出身), 31 décembre 1949- ) est un économiste japonais. Professeur émérite de l'Université de Kyoto .
しかし「中沢氏の師と目される山口昌男・東京外大教授」(本誌6月10月号「『五月祭』に出演した『中沢問題』の主役たち」=高橋伸児記者=から)については十分に自己顕示欲過剰・有名病症候群患者であることを、今から17年前に山口氏との論争で私は指摘した<注>。その後の山口氏について、この論争を収録した拙著『殺す側の論理』(すずさわ書店)第三版一刷で次のような追記を書いた。

*Masao Yamaguchi (山口 昌男, Yamaguchi Masao(北海道出身), August 20, 1931 – 10 March 2013)[1][2] was a Japanese anthropologist.
<第三版からの追記>たぶん多くの読者もご存知なように、その後の山口氏は非常にたくさんの「自分の著書というものを持つ」にいたり、すっかり「有名文化人」の一人となることに成功しました。したがってここに見られたような病気に起因する低次元の症状は少なくなってきたように思われます。皮肉でなしに、これは本当に慶賀すべきことでした。世の評価と自分の評価とのギャップが埋められた好例と申せましょう。山口氏とはその後もお会いして歓談したことがあり、文章も雑誌や新聞のものをときに拝読することがあります。山口氏の今後の「本当の大成」のために申上げるとすれば、まだ自己顕示症のシッポが残っている点でしょう。ニセモノくさい部分が散見されるのも、この病気の後遺症かと思われます。このニセモノくささが消えたときこそが、内実においてもホンモノになったときなのでしょう。一部の小説家などをだますことはできても、ニセモノ性を見破る目は意外に多いものです。そして、何度も申しますように、ニセモノかホンモノかは、「知識」の程度と何の関係もありません。どうか「ホンモノとしての山口昌男」に大成されますように。
だが、山口氏のニセモノ性は、「有名文化人」の一人となっても変らなかったらしい。その典型的実例を以下に紹介する。
<注>月刊誌『展望』(筑摩書房)1970年10月号と1971年8月号。『殺す側の論理』は文庫版(朝日新聞社)もあるが、山口氏との論争は単行本だけに収録されている。文庫化にさいして山口氏の了承が得られなかったため。(『朝日ジャーナル』1988年7月29日号)

「有名文化人」になりたくて仕方なかった頃の病気がまだ治癒していない山口昌男氏の体質を示すことができる。このころ山口氏は本誌に「道化の宇宙」と題する連載ものを書いていた。その第五回(同年1月14日号)で、「道化のような経済学者の肖像」としてガリアーニを論じているのだが、これに対してフランス文学者・中川久定氏が強い疑問を抱き、「山口昌男氏の『独創性』?」と題する批判を2月4日号の投書欄(「読者から」)に書いた。
①Italianoイタリア語⇒Ferdinando Galiani, detto l'abate Galiani (Chieti, 2 dicembre 1728 – Napoli, 30 ottobre 1787), è stato un economista italiano②Françaisフランス語→Hisayasu Nakagawa (中川 久定 en kanji ; なかがわ ひさやす en hiragana) est un universitaire japonais né le 15 mars 1931 à Tōkyō(東京都出身) et décédé le 18 juin 2017 à Kyoto.
これは実に興味深く、私にとっては「山口氏のやりそうなこと」、つまりいかにも山口昌男式行動学にふさわしい行為に思われるので、まさに文化人類学の対象としての関心を抱いた。この対象は山口氏個人の生態としてだけでなく、こういう人の書くものをめぐる日本的社会や日本的学者の反応を含めている。つまり「日本的なもの」を文化人類学的に研究する上でも、山口昌男氏という「文化人類学者」は格好の素材ではなかろうか。むろんそこには「西部問題」もからんでこよう。
詳細はバックナンバーで見ていただくとして、かんたんにいえば山口氏は大誤訳を重ねた上で、それを山口氏の主要論拠として文章をつづっているのだ。長い引用はさけたいので<注1>、一ヶ所だけ山口氏訳と中川氏訳を比べておく。
山口氏訳「これは我々の裸なる永遠の争闘である。戦争であるために永遠化する平和」
中川氏訳「だから一方の人間(アフリカ人)の間では絶えざる戦争が、逆に他方の人間(中国人)の間では永遠の平和が生まれるのだ」
問題の本質は誤訳にあるのではない。単なる誤訳であればどんな名訳といえどもどこかにあるものだ。それは訂正すればすむ。しかしこれは主張の根幹にかかわるし、第一、山口氏の文章は日本語として何のことだかわけがわからぬではないか。前者(主張の根幹にかかわる)について中川氏はたとえば次のように問いかける。
山口氏の訳文にすぐ続き、しかも同氏が訳されなかった部分で、ガリアーニは第二の「補題」の「系」の結論として、こう主張しています。
ー「情念」と「理性」が均等に混在しているがゆえにこそ、ヨーロッパがアフリカ(「情念」のみが支配する中国)や中国(「理性」のみが支配する国)よりも「はるかにすぐれているように思える」のだ、と。18世紀ヨーロッパ文明に対する、かげりを知らぬこの高らかな賛美。これが「それまで可能でなかった視点を導入するという」「今日最も現代的な知の形態」であり、また「ちりぢりばらばらなものを、独創的な接近によって結びつけ解明するという」「想像力の極意」なのでしょうか。
この中川氏の投書は規定の長さを例外的に大きく超えたまま掲載されている。これに対して山口氏から何らかの釈明があったかどうかを中川氏に確認してみると、直接的には何もなかったが、去年出た山口氏の対談集(『知のルビコンを越えて』人文書院)で対談したさい、山口氏が非を認めたかたちになっている、とのことであった。その対談集を見たところ、冒頭の中川氏との対談の前の「編集からのひと言」というコラムで「中川氏の存在は、『朝日ジャーナル』で、私が当時同誌に連載していた<道化の宇宙>の一回分について投書により批判をいただいて知った」とふれているだけである。山口式うさん臭さが根幹にまで及ぶ自身の文章についての中川氏の問いかけには一言たりとも答えてはいない。(山口氏の右の「一回分について」というコメントにもいじましさがにじみ出ている。)
これは私の推論だが、山口氏は答えてはならないのだ。まともに答えることは、自分のニセモノ性を世間に広める結果に陥る。さいわい投書欄で目立たない扱いだから、このままだんまりをきめこむとしよう。そしてかくも強烈に本質を突いてきた批判者に対しては、むしろ自分の「有名文化人」性を利用した土俵に出てもらうことによってかかえこんでしまおう。・・・
そして後者(日本語として何のことかわけがわからぬ)は、山口氏の文章に論理性が欠如していることを示している(A集の「知識と事実と論理」参照)。自分でもわかっていないことを、論理的整合性のある文章に書けるはずがないではないか。それを他人が読んでどうして理解できよう。しかし山口氏にとってさいわいなことに、日本には旧制高校時代の昔から、わからぬことは「高級」なのだ、という迷信があって、今なおそのまま跋扈している。「西部問題」のなかの「中沢問題」には、この迷信も大きく作用しているのではなかろうか。

①『週刊ポスト』1989年12月8日号の中沢自身のインタビュー「オウム真理教のどこが悪いのか」では「僕が実際に麻原さんに会った印象でも、彼はウソをついている人じゃないと思った。むしろいまの日本で宗教をやっている人の中で、稀にみる素直な人なんじゃないかな。子供みたいというか、恐ろしいほど捨て身な楽天家の印象ですね」と麻原を持ち上げる自身の談話が掲載された"Weekly Post" December 8, 1989 issue Nakazawa's own interview "What is wrong with Aum Shinrikyo?"“My impression of Mr. Asahara when I actually met him was that he was not a liar. I wonder if it's like a child, or rather, it gives the impression of a terrifyingly desperate optimist."And a discourse of himself praising Asahara was posted②かつて文藝春秋社の社長を務めていた松井清人は自身の記事で「一連の事件で麻原が逮捕されたあと、島田裕巳氏のように過ちを認め、自分なりに総括を行った学者もいる。だが中沢氏には、反省のかけらもないようだ」と中沢を非難しているKiyoto Matsui, former president of Bungeishunjusha, wrote in his own article, "After Asahara was arrested in a series of incidents, some scholars, like Hiromi Shimada, admitted their mistakes and made their own conclusions. But Mr. Nakazawa doesn't seem to have a shred of remorse," he criticized Nakazawa.
先週号でふれた高橋記者の記事(本誌6月10日号)で「山口氏の現在」の生態を見ると、まだまだ自己顕示症のシッポを残しているようだ。ホンモノの学者よりはタレント学者を起用したがる日本型マスメディア(むろん『朝日新聞』も含めて)にあっては、有名性を利用するのも大いに結構だが、それが病気の結果であっては、意外に多い「ニセモノ性を見破る目」までもだますことはできぬだろう。
さて「西部問題」だが、これは別の意味では決して軽視すべきではない。なぜか。前回に引用した阿部安治氏の指摘にもあるように、自民党政権が強引にすすめている戦前への回帰手続きを、西部氏はことごとく推進させようとしているからである。ケタはずれの非論理・破廉恥・幼稚さによる論法によって御用評論家をつとめている、書くことすべてに虚偽が充満していることで知られる山本七平(ベンダサン)氏とか、論理的思考のできぬことで有名な渡部昇一氏といった文筆詐欺師<注2>の類がまた一人戦列に加わっただけだ。
今の日本にナチ=ドイツのゲッベルス宣伝相はいらない。すっかり牙を抜かれたマスメディアがその代役をはたしてくれる。でたらめの西部節も、「うそも千回くりかえせば」式にテレビや新聞や大雑誌がこの御用評論家を使いつづければ、西部氏が常に軽蔑・差別する大衆はやがて信ずるようになるだろう。そして国家秘密法といった凶悪法案も、こうした御用評論家らの旗ふりとマスメディアの優遇が功を奏して、やがて成立してゆくことになるのかもしれない。
かくて日本はますます世界の嫌われ者となり、「国際化」の合唱とは正反対に「反国際化」してゆく。
<注1>中川氏のこの評論に対して山口氏からなんらかの釈明があったかどうかを確認のために中川氏に問いあわせたところ、結果は右のとおりだが、中川氏からは「山口氏が非を認めたことなので引用しないでほしい」と言われた。しかしその「非の認め方」は前述のとおりであり、かつ中川氏の指摘を中川氏自身が取り消してもいないので、公表されたものである以上、必要最小限の引用をすることは筆者としてやぬをえぬことであった。ただ中川氏として右のご希望があったことは明記して、中川氏と読者へのおことわりとしたい。
<注2>「文筆詐欺師」といった表現はどぎつくて抵抗感をもつ人もいるかもしれない。しかしこれは「おおげさ」に「形容」したものでもなければ「たとえ<比喩>」でもなくて、正確な事実であり、等身大の表現であり、裁判の訴訟にも耐えうるものなので、このように書いた。実際の強盗犯人のことを「強盗」と書く場合と少しも違わない。(『朝日ジャーナル』1988年8月5日号)
*Русскийロシア語⇒Ситихей Ямамото山本 七平 ( 18 декабря 1921 ( 10 Тайсё )Исайя Бен - Дасанイザヤ・ベンダサンIsaiah Ben-Dasan— 10 декабря 1991 ( 3 Хэйсэй ) ) — японский критик . Владелец книжного магазина Ямамото.

[2002]Polémique patriotique Un coup dur pour "Sayoku(gauche)" et un flash pour "Hoshu(conservateur)" 渡部昇一Shoichi Watanabe (Auteur) , 小林よしのりYoshinori Kobayashi (Auteur)
Ce que les attentats terroristes du 11 septembre ont frappé les Japonais, les intérêts nationaux du Japon, la controverse sur les manuels d'histoire... Une vision déformée de la guerre et une vision de l'histoire ! Ryogoku, qui a créé un tourbillon dans le monde de la parole et qui a eu une grande influence sur les Japonais après la guerre①『神聖な義務Sacred dutyー劣悪遺伝子は自発的な断種でDefective genes are spontaneously sterilized』(渡部昇一Шоичи Ватанабэ(Joseph Goebbels?)「博士Доктор」)『知的生活の方法How to Live an Intellectual Life』累計部数118万部超!!Cumulative number of copies exceeds 1.18 million copies! !史上最大のベストセラー!!The biggest bestseller of all time! !「幸いにも田中正明先生は”南京大虐殺”の物理的または制度的不可能性を証明する根拠を提示する本を出されたFortunately, Masaaki Tanaka Sensei(Master/Teacher) has published a book that presents evidence to prove the physical or institutional impossibility of the "Nanjing Massacre"」②『優生思想Eugenic thoughtーこの世は馬鹿が99%だ99% of people in this world are idiots』(小林よしのりЁсинори Кобаяси(Alfred Rosenberg?)「先生Sensei」)『新天皇論New emperor theory』累計20万部突破のシリーズA series that has sold over 200,000 copies『国防論Defense theory』がベストセラーにbecome a bestseller「(東中野修道Shūdō Higashinakano教授professor)最新の研究として一番信用でき、徹底して資料に当たっているMost credible as the latest research, and thorough reference to the materials」→(「民度が高いHigh people's degree」ザ「我が国The Wagakuni」)「End of the ageこの世の終わりDoomsday」Ἁρμαγεδών最終戦争Армагеддонかなんか?③小林よしのり、田母神俊雄へ影響を与えた歴史観(渡部昇一)Ansichten der Geschichte, die Yoshinori Kobayashi und Toshio Tamogami (Shoichi Watanabe)←「ドイツだったらあなた(方)は逮捕されますよIn Germany you(guys) will be arrested」(德国(实际为加拿大)记者质问日本右翼二战观遭围攻Ein deutscher (eigentlich kanadischer) Journalist stellte Japans rechte Sicht auf den Zweiten Weltkrieg in Fragehttps://www.youtube.com/watch?v=49zBt-wKKnU&t=8s)嘆息笑

The State Secrecy Law, officially the Act on the Protection of Specially Designated Secrets (SDS)Gesetz über den Schutz bestimmter Geheimnisse (特定秘密の保護に関する法律Закон о защите определенной тайны, Tokutei Himitsu no Hogo ni kansuru Hōritsu)Loi concernant la protection des secrets spécifiés특정비밀보호법特定秘密保護法토쿠테이히미츠호고호, Act No. 108 of 2013, is a law in Japan allowing the government to designate defense and other sensitive information as "special secrets" that are protected from public disclosure.


How to learn history Read Burghardt in modern times (PHP Shinsho) author Nobuo Noda (Author)
Historian Burghardt foresaw problems in the 20th century, such as the rise of the Nazis and the spread of business civilization. Taking history as a continuum of the human spirit, the view of history pierced by the spirit of deep skepticism was born in the 21st century ...

*Deutschドイツ語⇒Nobuo Noda野田 宣雄 (Noda Nobuo(岡山県出身), 4. Dezember 1933 - 29. Dezember 2020 ) ist ein japanischer Politikwissenschaftler und Historiker und emeritierter Professor an der Universität Kyoto . Spezialisiert auf deutsche politische Geschichte.
                   大学教授の道徳          鎌田慧
二週間ほどで、ヨーロッパのいくつかの国をまわった。河合塾の牧野剛講師との取材旅行で、東欧の「激動」のあと、教科書の「墨塗り」がはじまっているのではないか、という牧野推理を検証する旅ともいえた。
①Tsuyoshi Makino (牧野 剛, Makino Tsuyoshi(岐阜県出身), 24 September 1945 – 20 May 2016) was a Japanese author, critic, and social activist. He taught Japanese language at Kawai Juku in Sendai, Japan②Deutschドイツ語⇒Kawaijuku河合塾 ist eine große japanische Vorbereitungsschule mit Sitz in Nagoya City , Präfektur Aichi , und eine Schulgesellschaft

まわったのは、ベルリン、ワルシャワ、プラハ、パリ、マドリッドの五都市で、壁の崩壊のあと、EC統合へむかうヨーロッパの教師や青年たちと話しあった。
まずびっくりさせられるのは、ベルリンのチェックポイント・チャーリーの跡だった。ここは西と東の連絡口で、壁崩壊の二ヶ月ほど前、わたしは団体のバスで通過している。


*チェックポイント・チャーリー (Checkpoint Charlie) Чекпойнт Чарлиは、第二次世界大戦後の冷戦期においてドイツ・ベルリンが東西に分断されていた時代に、同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所。
そのとき、バスは一時間以上も停められ、係員がのろのろと、大きな雪掻きに鏡を張りつけたような台車でバスの底を覗いてみたり、検問所に梯子をたてかけて屋根の上を点検したり、まるでいじわるでもしているようだった。観光客でさえこんな状態だったから、ドイツ人にとっては、悪夢のような関所であったにちがいない。
ところが、こんどいってみると、そこはたんなる道路にすぎず、あのささくれだった空気は一掃されて東から西へ、西から東へクルマがスイスイ軽快に走り抜けていた。

道ばたに解体された鉄骨が横倒しになっていたので、かつてそこに検問所があったことを辛うじて知ることができたのだが、いまからみればなんでもない道傍のちいさな空間が、どれほどひとびとに恐怖を与えていたことか。それが権力の巨大さと愚かさ、といったようなものを痛感させた。
壁は国民の脱出を防ぐための障壁であったのだが、同時に資本主義的な価値観への防波堤でもあった。いったんこの防波堤に穴があいてしまうと、東のひとたちは抑えられていた反動として西側のひとたちよりも貪欲にカネにむかって突進しているようで、それまで西側に親戚がないため交流がなく、モノへの免疫がなかったひとたちほど、そのエネルギーが激しい、という。
この旅行でもっとも印象的だったのは、フンボルト大学の学生たちで、この東側の「マルクス・レーニン主義の牙城」も、もはや三流大学あつかいになってしまったようである。

*ベルリン・フンボルト大学(ベルリン・フンボルトだいがく、Humboldt-Universität zu Berlin)は、ドイツの首都ベルリンに位置する国立の総合大学の一つ。2005年ドイツ国内におけるエクセレンス・イニシアティブ(Exzellenzinitiative)に指定された11の大学の一つ。東ドイツ時代に思想統制で衰退したが、東西ドイツ統一後に再建され、最近ではTimes Higher Education (タイムズ・ハイアー・エデュケーション) の世界大学ランキングにおいては、2015年80位、2016年49位、2017年57位、2018年62位、2019年67位と毎年100位以内にノミネートする、ドイツもしくはヨーロッパを代表する名門大学の一つである。
「第二国民扱いされている」
というのが彼らの不満だった。この一言で、西に併呑された東の市民の不安を理解できる。ある女子大生の意見が心に残った。彼女の父親は音楽家で、マルクス・レーニン主義教育には反対だった、という。たいがい東欧の家庭では、両親が共産党をいつも批判し、学校では公式的なマルクス・レーニン主義教育という面従腹背で対応してきたようだ。
それでも、彼女は壁の崩壊と同時に、それまでの理念や矜持がすっかり投げ捨てられたのをみて、むしろかつての「理念」-それは共産党幹部自身が裏切っていた精神主義だったがーいま一層必要なのではないか、というのだった。
ベルリンからワルシャワに移動する列車は、西側の「自由大学」の日本語学科の女子学生と一緒だった。彼女は日本に一年間留学した経験があり、ちかくまた日本にくる、という。
いわば恵まれた大学生で、いまやすっかり権威が地に堕ちたフンボルト大学の学生たちとはちがって、明るい表情だった。
パリもマドリッドも日本人観光客がすくなく、ロンドンから東京への全日空機の乗客は、ジャンボ機に50人という閑散たるものだった。「Zweiter Golfkrieg湾岸戦争Война в Персидском заливе」の余波である。
成田空港で買った『毎日新聞』の夕刊に、京大の野田宣雄教授が寄稿していた。タイトルは「湾岸からの戦死者の問いかけ」というものである。
*Русскийロシア語⇒Киотский университет (яп. 京都大学Université de Kyoto кё:то дайгаку)Universität Kyōto — один из важнейших национальных университетов Японии, расположен в городе Киото.
彼は、サミットに参加し、ベルリンの壁の崩壊を歓迎し、イラクの侵略行為を非難した日本人は、西欧的世界に身を置いている。ところが、こんどの戦争で西側が「戦死者Killed in action」をだしたのに、日本人は他国の犠牲で正義感を満足させている、と指摘している。そこから奇妙な論理を展開している。
サッチャーMargaret Thatcherはかつて、フォークランド戦争の戦死者に慰問の手紙Letter of consolationを送った。ブッシュGeorge H. W. Bushは、遺族たちに「直接長い電話Direct long phone」をかけた。が、日本の指導者には苦悩の色がない、と。

*フォークランド紛争(フォークランドふんそうFalklandkrieg、英語: Falklands War/Conflict/Crisis、スペイン語では「マルビナス戦争」(スペイン語: Guerra de las MalvinasФолклендская война、フランス語では「マルイーヌ戦争」(フランス語: Guerre des Malouines))は、大西洋のイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)[注 1]の領有を巡り、1982年3月からイギリスとアルゼンチン間で3か月に及んだ紛争のこと。
カイフやオザワやハシモトなどが、アッケラカーのカーなのは、派閥の力学にしか関心がなく、国民にたいする責任感がないためだが、しかしだからといって、誰が戦争で殺されて、為政者から「直接長い電話」をかけてもらうことを欲しているだろうか。それはЛживость欺瞞Deceptionというものだが、この京大教授は、いまだ辛うじてその欺瞞のない日本を「Moralische Dekadenz道徳的頽廃Moral decadenceもここに極まれり」と嘆いているのである。


①Deutschドイツ語⇒Toshiki Kaifu (jap. 海部 俊樹(愛知県出身), Kaifu Toshiki; * 2. Januar 1931 in Nagoya; † 9. Januar 2022) war ein japanischer Politiker der Liberaldemokratischen Partei (LDP)②Українськаウクライナ語⇒Рютаро Хасімото (яп. 橋本 龍太郎(東京都出身); нар. 29 липня 1937, Соджя, Префектура Окаяма — пом. 1 липня 2006, Токіо) — японський державний діяч, в період з 11 січня 1996 року по 30 липня 1998 займав пост Прем'єр-міністра Японії③派閥Faktion파벌はばつPolitical faction)とは、組織内において利害で結びついた人々によって形成する集団。
日本についた途端に、わたしは人ごろしをすすめる論文に出会ってしまったのだが、Universitätsprofessor大学教授University Professorsはフンボルト大学やワルシャワやカレル大学Univerzita Karlova v Prazeでもおなじように、ノーテンキである。
戦死者をつくらない国が不正義の国だ、とこの教授は講義しているのであろうか。(91年5月)

Hitlers Ära (Geschichte der Bunshun Gakugei Bibliothek)Autor Nobuo Noda (Autor)
Wer war Hitler? Die Errichtung der Hitlerdiktatur und der rasante Aufstieg Nazideutschlands, die Wellen, die sie in der internationalen Politik verursachten, und die Jahrzehnte, die das 20. Jahrhundert vom Ausbruch bis zum Ende des Krieges erschütterten ...


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