日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一⑬

①Françaisフランス語→Système de l'Empereur天皇制Tennosei est la monarchie japonaise et le système étatique centré sur l' empereur. Dans un sens étroit, il fait référence au système impérial en tant que monarchie en vertu de la Constitution de l'Empire du Japon, tandis qu'au sens large, il inclut le système impérial pré-moderne et le système symbolique de l'empereur en vertu de la Constitution du Japon②Deutschドイツ語→Die Nachfolge皇位継承 auf dem kaiserlichen Thron bedeutet, dass in Japan der kaiserliche Thron ( der Rang des Kaisers ) vom kaiserlichen Erben ( der ersten Person in der Reihe der Nachfolge des kaiserlichen Throns) geerbt wird.
本誌前号の投書ページや亀井淳氏のコラムを、A紙編集局長も読んでほしい。西小路公子氏や菊池恵美子氏、あるいは亀井氏の学生たちの良識は、あなたよりもはるかに上ではないのか。

*Atsushi Kamei亀井 淳 ( born May 30, 1944東京都出身) is a Japanese businessman . He is an adviser to Ito-Yokado
待てよ、と考えた。かつて「赤い赤いアサヒアサヒ」と呼ばれたこともあるA紙だ。これは深慮遠謀の戦略かもしれないぞ。不安定な初期に懐妊を大々的に暴露して、M子さんに猛烈なストレスをかけ、流産させて「皇位継承」者が生まれないようにする。
だとすれば、戦略は成功したことになるが、私事暴露を手段とするこの卑劣な方法に、俺は断固反対したい。(『週刊金曜日』2000年1月14日号)
<注>「日本人の安すぎる名誉」として拙著『貧困なる精神・N集』(朝日新聞社)に収録。

①Deutschドイツ語→Das als Fall Marco Polo (jap. マルコポーロ事件 Maruko Pōro jiken) bezeichnete Ereignis ist ein schwerwiegender Zwischenfall des japanischen Revisionismus bzw. der Holocaust-Leugnung. Er begann 1995 mit einem im Februarheft des japanischen Monatsmagazins „Marco Polo“ (fortan MP) abgedruckten Artikel, in dem der Arzt Masanori Nishioka (jap. 西岡 昌紀) behauptete, dass alle Zeugnisse der Gaskammern im Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau von den Alliierten produziert worden seien und es ursprünglich keinen Plan zur Vernichtung der Juden gegeben hätte. Nachdem ausländische Medien über diesen Artikel berichteten, wurde das Verlagshaus Bungei Shunjū, welches MP publizierte, von jüdischen Vereinen und anderen Gruppen heftig kritisiert. Als Folge dieser Kritik erwogen viele Unternehmen, die Anzeigenaufgabe bei allen Publikationen von Bungei Shunjū einzustellen. Daraufhin rief der Verlag alle im Handel befindlichen Magazine zurück. Außerdem wurde MP selbst eingestellt und die Kündigung der für den Artikel verantwortlichen Personen veranlasst, darunter der Präsident des Verlages und der Chefredakteur von MP

②Masanori Nishioka西岡 昌紀 (1956-東京都出身) is a Japanese doctor , journalist, and novelist↓
「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかったDas größte Tabu der Nachkriegsweltgeschichte. Es gab keine Nazi-'Gaskammern'」
(1)そのナチス党政権下のドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとした、とする従来の主張には根拠がないThere is no basis for the conventional claim that Germany under the Nazi Party government tried to "exterminate" the Jews.
(2)その手段として使用されたとするガス室は、それらの位置や構造からみて、ソ連もしくはポーランドが戦後捏造したものとしか考えられないJudging from their locations and structures, the gas chambers allegedly used as a means of doing so can only be considered to have been fabricated by the Soviet Union or Poland after the war.
(3)戦後、連合国軍が押収したドイツ政府文書から判断して、ナチス党政権下のドイツが「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んで企図した計画は、ソ連を打倒した後、ヨーロッパのユダヤ人をロシアに強制移住させるものだったJudging from the German government documents seized by the Allied forces after the war, the plan that Germany under the Nazi party purported to call the "Final Solution to the Jewish Question" was planned after overthrowing the Soviet Union. It was to force Jews to emigrate to Russia.
(4)収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は、ガス室による処刑ではなく、発疹チフスなどによる病死であるThe real reason for the mass death of Jews in the camps was death from disease, such as typhus, rather than executions in gas chambers. 

               花田ドタキャンさん                本多勝一

株式会社文藝春秋の月刊誌『マルコポーロ』は、III Rzeszaナチ=ドイツТретій Рейхארץ יהודהユダヤיהודהСинтиロマрома民族(ציגײַנערジプシーЦыгане)やІнвалідність障害者Behinderung等を大量虐殺したגאז קאמערガス室עבריתの存在を否定する論文を掲載し、花田紀凱編集長は解任。『マルコポーロ』は廃刊にされた。ところが朝日新聞社は、そのような花田さんを文春から引きぬいて拾い、創刊女性誌の編集長に据えた。その歴史認識の欠落ぶりについては、『週刊金曜日』1996年2月9日号の「風速計」で指摘したとおりである。また花田さんの違法行為についても『週刊金曜日』1996年5月31日号の「文書の本質を見誤ってはならぬ」で紹介した<注>。

①Русскийロシア語⇒Концентрацио́нный ла́герь и ла́герь сме́рти Осве́нцимאוישוויץアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所אושוויץ (Концентрационный лагерь и лагерь смерти Аушвиц: нем. Konzentrationslager Auschwitz, польск. Obóz Koncentracyjny Auschwitz; Концентрационный лагерь и лагерь смерти Биркенау: нем. Konzentrationslager Birkenau, польск②Українськаウクライナ語→Газова камераガス室가스실(Gas chamber) 毒气室приміщення, призначене для умертвіння людей шляхом отруєння отруйним або задушливим газом③Polskiポーランド語→Zagłada Żydówホロコースト(大量虐殺), również Holocaust lub Holokaust (gr. ὁλόκαυστος holokaustos – „całopalenie, ofiara całopalna”), Shoah, Szoa – ludobójstwo około 6 milionów europejskich Żydów[a] dokonane w czasie II wojny światowej przez III Rzeszę Niemiecką i wspierane w różnym stopniu przez uzależnione od niej państwa sojusznicze.

③Deutschドイツ語→Kazuyoshi Hanada花田 紀凱 ( * 13. September 1942 : Hanada Kazuyoshi東京都出身) ist ein japanischer Zeitschriftenredakteur . Chefredakteurin und Chefredakteurin von „ Monthly Hanada “, ehemaliger Direktor von Wack Magazines , ehemaliger Chefredakteur von „ Monthly WiLL “.


その花田編集長による朝日の女性月刊誌『UNO!』創刊号が最近発売になった。こんな雑誌を好む者があるのだろうか。まともに論評する気にもならぬ。ただし、私自身がこれに無関係というわけではない。この雑誌が創刊されるまでの様子をフジテレビが追って記録し、創刊直後の11月2日に放送した。そしてその中で私も”出演”しているのだ。もちろん朝日と花田さんの歴史認識欠落ぶりを批判する一幕である。このテレビ番組で『UNO!』ができるまでの報道を知って、実物を見る前からその基本的姿勢が理解できる。要するに、化粧品やアイスクリームやビールなどの「商品」と全く同じレベルのものを作って売りだしただけの話なのだ。つまりジャーナリズムの片鱗さえもない。ビールの方がまだましだ。いうまでもなく広告だらけ、つまりスポンサーだらけ、タブーだらけである。この馬鹿馬鹿しい雑誌で朝日に恥をぬりつけた根元は、花田さんのようなヒトを起用した朝日のある役員にあるというべきだから、問題にするとしたら花田さんよりもその責任役員氏の方だろう。
ただし、一点だけ本誌(週刊金曜日)編集部も学ぶべき所があった。花田編集長が広告とりのためスポンサーに頭を下げてまわるところだ。本誌も発展のためには編集以外のどんなことでも骨身を惜しんではだめですね。むろんそれは「広告を経営基盤にせよ」ということではないけれど。
ところで花田さんだが、かねて私に対する不法行為や破廉恥行為をやっていたせいか(124号参照)、「ドタキャン」を重ねて逃げまわっているかにみえる。ドタキャンとは私も最近知った言葉だが、「ドタン場でキャンセルlast minute cancellation」の意味だそうな。テレビ局で出演時間まぎわになって突然キャンセルする無責任な人物のことだと聞いた。
①近世、首切りの刑を行うために築いた土の壇。前に穴を掘る。土壇 (どだん) ② 決断をせまられる、切羽詰まった場面critical moment。最後の場面Dotanba: Originally, platform made of dirt used to perform executions (decapitations) in the Edo period​.
その1、2年前(1994年10月)に日本ペンクラブ主催で「差別表現を考える」という討論会があった。日本てんかん協会・部落解放同盟の各代表に、ライターとして井上ひさしさんと私、編集者として花田さんが列席するはずのところ、当日になって花田さんのドタキャンである。
①公益社団法人日本てんかん協会Association japonaise de l'épilepsieは、「波の会」という別名を持っており、国際てんかん協会 (International Bureau for Epilepsy) の日本支部として活動している②Русскийロシア語⇒Лига освобождения бураку (яп. 部落解放同盟Buraku Liberation League Бураку кайхо: до:мэй) — японская организация, борющаяся против дискриминации буракуминов

③Magyarマジャール語→Inoue Hiszasi (井上 ひさし Inoue Hisashi, 1934. november 16(山形県出身) – 2010. április 9.) vezető japán drámaíró és képregényíró, a Japán Művészeti Tanács tagja, a Japán Drámaírók Szövetségének igazgatója és a Japán Bungei Szövetség társaságának elnöke volt.1961-től 1986-ig az Uchiyama Hisashi művésznevet használta.
その2、今年の10月に月刊誌『創』主催の討論会があり、本誌編集委員では筑紫哲也さんと私も発言した。ところが出るはずだった花田さんがやはりドタキャンである。
すなわち、これまでに花田さんと直接お会いするチャンスがあるたびにドタキャンをされた。もし破廉恥行為を恥じてのドタキャンであれば「堂々と」謝罪すればいいのだが、要するに破廉恥プラス卑劣ということですかね。(『週刊金曜日』1996年11月26号)
<注>いずれも拙著『貧困なる精神・L集』(朝日新聞社)収録の「歴史認識の欠落」および「文春の本質を見誤ってはいけません」

                 朝日の恥『UNO!』の休刊
現在はどうか知らないが、私が数年前までいた朝日新聞社内で、次のようなアネクドートанекдо́т(ロシア式逸話)がささやかれていた。
「朝日新聞で一番いいのは読者、つぎにいいのは記者、三番目(つまり一番ダメ)は経営者」
実例は「枚挙にいとまなし」かもしれないが、最近の目立った例は月刊女性誌『UNO!』の創刊であろう。これは二重の意味で大失敗だった。
第一の大失敗は、もちろん、朝日新聞の歴史にきわだつ汚点を残したことだ。このコラム(『週刊金曜日』1996年2月9日号=『貧困なる精神・L集』収録で「歴史認識の欠落」として指摘したことだが、「アウシュヴィッツ」を否定して『マルコポーロ』廃刊に追いこまれた歴史認識欠落出版社たる文春、その国際的スキャンダル編集長・花田紀凱を、わざわざ『UNO!』編集長に拾ってくる歴史認識欠落新聞社。「朝日の伝統、少なくともタテマエは、最近完成した社史にみるとおり、こんなものではなかったはずだ」(同号から)。


この破廉恥人事に対して、さすがに「朝日で一番いいのは読者、つぎにいいのは記者」だけあって、怒れる読者たちから抗議が相ついだ。公開質問状も出された。内部からも記者による意見書が出されるなど、内外から出た強い拒否反応は本誌126号(96年6月14日)に特集されているとおり。

そして第二の大失敗は、「三番目(つまり一番ダメ)は経営者」のとおり、こんなおろかなことをして朝日の信用を失墜させた上で、しかも大赤字を出してこのほど休刊(事実上の廃刊)に陥ったことだ。この経営能力の無さ、見通しの甘さ。創刊号だけは(どの雑誌もそうだが)四十何万部売れたものの、あとは号を追って急落していった。出版関係者の噂によると、全体の収支は10億円のマイナスとのこと、つまり信用失墜した上でカネモウケの点でさえ失敗したのだ。
私も含めて”憂慮せるOB”は、この破廉恥雑誌を早く廃刊にするよう「三番目」たる経営者に進言してきたが、創刊時の社長は去年の交代まで、定評あるその優柔不断的性格を変えなかった。同郷でもある今の新社長に対しても私は年賀状で進言していた。
先日ある居酒屋に集まった”憂慮せるOB”数人が、破廉恥雑誌の消滅を祝って乾杯したとき、この大失敗の責任問題が話題になった。優柔不断だった前社長もさることながら、一番の”戦犯”はやはり創刊を積極的にすすめた担当役員(前述の公開質問状に126号で回答している人物)である。出版と無関係だったのに担当役員として天下りし、かつて出版局にいたこともなかった手下を局長にすえたりしていたことでも知られる。もはや「大失敗」が明白になった去年に役員をやめたものの、左遷どころか系列のテレビ朝日の役員になり、さらに今年は系列の名古屋テレビの社長になっている。
この無責任体制、大蔵省等の天下りや無責任を批判する前に、自浄能力を持たぬ社内体制を改革したらどうか。近く朝日の株主総会もあることだし。(『週刊金曜日』1998年6月5日号)
*参考までにPour référence:私は(親戚一党も含め)『朝日新聞』と『赤旗』がある家にて育ちました。しかし20年ほど前から「おもしろくない」とのことで短期間『毎日新聞』になり、以降はずっと(10年前、最後に帰ったときも同じく)『東京新聞』になっておりましたJ'ai grandi dans une maison avec Asahi Shimbun et Akahata (y compris ma famille). Cependant, il y a environ 20 ans, il a été changé pour le Mainichi Shimbun pendant une courte période parce qu'il était « sans intérêt », et depuis lors (il y a 10 ans, quand je suis parti pour la dernière fois), C'est devenu Tokyo Shimbun. 2022/08/27 Samdi/Saturday Canada

                 ここまで来たか、文春よ

本誌先々週号(『週刊金曜日』2000年7月7日号)には、石原慎太郎という浅薄なタレントについての特集があったが、そのあとまもなく出た『文藝春秋』という月刊誌は、このタレントを”首相”に任命した。題して曰く・・・「国民は『石原慎太郎』を選んだ」

この月刊誌を読んだのは何年ぶりだろうか。あいかわらず偏狭なナショナリズムや「反・反公害」「反・反核」、要するに反平和・好戦路線を増幅している。そしてついに、この「ウソつき」で「卑劣な小心者」(先々週号の拙文から)たる三流以下の小説家を、日本の首相にかつぎだすところまで”進化”したのだ。ある時期から反平和・好戦路線を明確にしてきた文春の読者アンケートを求めれば、このタレント都知事が一位になることもありえよう。だが『世界』や『週刊金曜日』の読者にアンケートを求めれば、石原などは最下位になるだろう。堕落したとはいえ『週刊朝日』や『サンデー毎日』ていどさえ、石原が一位に選ばれることはあるまい。

①Sekai (Japanese: 世界 "World") is a Japanese monthly political magazine published by Iwanami Shoten, which was founded in December 1945②주간 아사히(일본어: 週刊朝日Weekly Asahi 슈칸아사히[*])는 1922년 창간한 일본의 주간 시사·대중잡지이다③《선데이 마이니치》(일본어: サンデー毎日Sunday Mainichi)는 마이니치신문에서 발간하는 일본의 주간 시사·대중 잡지이다. 1922년 4월 2일에 창간하였다.

驚くべきは、侵略大好き路線の文春の読者を、そのまま「国民」として恥じぬこの厚顔無恥鈍感傲慢無茶苦茶ぶりにある。戦後の文春の良識派社長・池島信平が現在の文春の諸雑誌を見たら、どんなに嘆くことだろうか。文春の社員諸君。池島信平の『雑誌記者』(中公文庫)でも、先輩社長の著書として時には読んでみることだ。たとえば次のような言葉も出てくる。

「日本全体の動きが右へ、右へと動き、そこには筋道の通った考えが通らない。(中略)自分自身にやり切れなさと虚無感をもたせるのは、外部のこういう変化ばかりでなく、むしろ同僚や社の内部に起った精神的断層である。(中略)再び暗い時代が来た時、敵は外にあると同時に、もっと強く内部に・・・」

*Deutschドイツ語→Ikejima Shimpei (japanisch 池島 信平, Nachname eigentlich 池嶋 geschrieben; geboren 22. Dezember 1909 in Tokio(東京都出身); gestorben 13. Februar 1973) war ein japanischer Herausgeber, 3. Präsident des Verlages Bungeishunjū.

池島信平は、戦後の日本でとりわけ反戦的で反体制的でもなかったが、戦前の文春について深く反省はしていた。反動と亡国の大政翼賛マスコミ情況の中でも、特に牽引車約を果たした文春<注1>。

*Українськаウクライナ語→Асоціація допомоги трону (яп. 大政翼贊會) — японська фашистська організація в 1940–1945. Мета створення — «мобілізувати націю навколо монарха» в умовах війни.

だが今や日本は「再び暗い時代」(池島)が来つつあるどころか、文春がそれを煽っている。戦前と全く同じ牽引機関車となっている事実を、文春の社員諸君は「正直な話」どう思っているのか。いくらかでも疑問を発する社員は、「内部」にある「敵」に圧殺されているのだろうか。それとも、一人もそんな疑問を持たぬほど、文春は石原のごときに洗脳されてしまったのか。

それにしても、さきに「ヒトラーに嗤われる男」(本誌2000年4月21日号=注2)として指摘した、第二次大戦後のドイツとの共通性が、不気味な現実性をますます帯びてきた。そんな文春の雑誌に書いたり著書を出したりしている人々の中にもいる良心派の意見を聞いてみたい。(『週刊金曜日』2000年7月21号)

<注1>くわしくは拙著『愛国者と売国者』(朝日新聞社・1997年)収録の「国家秘密法と文芸春秋」参照。

<注2>拙著『貧困なる精神・N集』(朝日新聞社・2000年)に収録。

Españolスペイン語→Toma de la residencia del embajador de Japón en Lima在ペルー日本大使公邸占拠事件Захват японского посольства в ЛимеJapanese embassy hostage crisisLa toma de la residencia del embajador japonés en Lima fue un secuestro masivo que comenzó el 17 de diciembre de 1996 en San Isidro, Lima, Perú, cuando 14 miembros de la organización terrorista peruana Movimiento Revolucionario Túpac Amaru (MRTA) tomaron como rehenes a cientos de diplomáticos, oficiales del gobierno, militares de alto rango y empresarios que asistían a una celebración con ocasión del 63º aniversario del nacimiento del Emperador de Japón Akihito organizada en la residencia oficial del embajador de Japón en el Perú, Morihisa Aoki.

                      ジャーナリズムは死んだ

テレビ朝日の記者がペルー日本大使館公邸の現場にはいって取材したことについて、ジャーナリストの原則論からすれば、これは支持せざるをえない。

問題は、この原則論からして今回が「例外」にあたるかどうかであろう。子どもの誘拐事件のような場合にしても、取材はしても発表はしないのであって、取材もしないということではあるまい。となると、今回の人質事件現場を「取材すること」それ自体が人質の生命を危機におとしいれたかどうかであろう。

これまでに私が知りえた範囲での情報という留保の上でのことだが、この取材自体が人質の生命を危うくした、という解釈には、説得力がない。そうであれば、テレビ朝日記者の取材は、評価されこそすれ、非難されるべきではないはずだ。ジャーナリズムは、この記者を擁護すべきである。むしろ「他の記者も見習うべきだ」と言いたい。もし私があの地にいたら、やはり同じような取材を狙うであろう。

広河隆一氏がいうように<注>、ジャーナリストの身柄拘束とテープ没収に対して、ジャーナリズムは結束して抗議すべきである。今やジャーナリズムは死んで、「マスコミ」(情報産業)としての商売だけ、それも権力側と癒着した商売だけになった。そういう中で育てられたマスコミ人(ジャーナリストではない)ばかりとなっては、例外的存在たるテレ朝記者を守れはしない。(『週刊金曜日』1997年1月24日号)

①Españolスペイン語→Ryuichi Hirokawa広河 隆一 ( nacido el 5 de septiembre de 1943中華民国天津市で出生 ) es un reportero gráfico , fotógrafo de guerra y activista ciudadano japonés②2022年6月29日(沖縄タイムスOkinawa) Timesー女性への性暴力問題が明らかになった報道写真家 明確な謝罪なく沖縄で活動再開 抗議の動きReport photographer who revealed sexual violence against women Resumes activities in Okinawa without clear apology Protest movement③2022/07/01 — Ryuichi Hirokawa Photo Exhibition Canceled No Apology for Sexual Abuse2022/07/09 — [中止] 私のウクライナ-惨禍の人々-写真展 広河隆一(フォトジャーナリスト)

【追記Postscript】急に「沖縄」関連の記事が沸騰したのに正直、驚いていたのですが。背景に、こうした問題が絡んでのことだったとは、残念としかいいようがないですTo be honest, I was surprised by the sudden surge of articles related to Okinawa. It is unfortunate that these problems were involved in the background. 2022/08/30 Sammy Canada

<注>トゥバク=アマル革命運動(MRTA)によるペルー日本大使公邸占領時権特集で、「人質の状況を報道することはジャーナリストの使命」と題して広河隆一氏が書いた評論を指す。

*トゥパク・アマル革命運動(スペイン語: Movimiento Revolucionario Túpac Amaru - MRTAРеволюцио́нное движе́ние и́мени Ту́пака Ама́руTúpac Amaru Revolutionary Movementとは、かつてあったペルーの左翼武装組織である。活動拠点は主としてリマに存在した。

                「発表ジャーナリズム」はいらない

新聞社にはいって早々の仕事は、いわゆる事件記者こと「サツまわり」であった。サツまわりは警察の記者クラブを根城にしている。そこでの「発表」を記事にするほかは、潜行中の事件について刑事と親しくなって特ダネを盗むのがもうひとつの仕事になる。  

それにシノギを削ることを生きがいとする記者もいるし、それはそれで価値がないわけではないが、私はつまらなかった。要するにこれは、役人の類がやった仕事に便乗しているだけじゃないか。自分が最初から創造的に取材して書いたわけではない。

これはサツまわりに限らず、基本的には記者クラブがある所すべてに共通する問題であろう。これが「問題」なのは、単にジャーナリズムとしてつまらないだけでなく、いわば「発表ジャーナリズム」として権力側の走狗になる危険が常にあるからなのだ。定年で退職する半年ほど前の1991年7月に、朝日新聞労組と公開で質疑応答した中から一部引用しよう<注>。

「基本的に今のような記者クラブというのは、私は必要ないと思っております。(中略)もし必要だとすれば、今の記者クラブとは正反対の、例えば体制が悪いことをしたときの監視機関とか、あるいは記者が弾圧を受けたときの団結機関とか、そういうものならあってもいいと思います。ところが、むしろ体制に癒着する機関になっちゃってますね」

のちに、同じ新聞社の編集委員室で同僚だった竹内謙君が鎌倉市長になったとき、閉鎖的な記者クラブをやめてすべてのジャーナリストへの公開会見とした。日本型記者クラブ廃止への突破口として私は高く評価したい。さらにのちに長野県庁でも田中康夫知事が改革を実行した。今後は中央官庁でも、むしろマスコミ側が自主的にやってほしい。

①Françaisフランス語→Ken Takeuchi竹内 謙 ( 6 décembre 1940東京都出身 - 2 avril 2014 ) est un homme politique et journaliste japonais . Maire de la ville de Kamakura , préfecture de Kanagawa (2e mandat)②Deutschドイツ語→Yasuo Tanaka (jap. 田中 康夫 Tanaka Yasuo(東京都生まれ(本籍地静岡県)長野県育ち);  12. April 1956 in Musashino) ist ein japanischer Schriftsteller und Politiker. Tanaka war zwischen 2000 und 2006 Gouverneur der Präfektur Nagano und von 2007 bis 2009 Abgeordneter des Oberhauses, von 2009 bis 2012 des Unterhauses. Ab 2005 führte er die Neue Partei Japan (Shintō Nippon). Zuletzt kandidierte er erfolglos als Kandidat der Ōsaka Ishin no Kai in der Präfektur Tokio für das Oberhaus.

ただ実は私はそれさえも不要だと思っている。役所や企業の発表などはインターネットか何かで勝手にやらせておけ、真のジャーナリストの仕事がそんなところにあるとは思わない。(『週刊金曜日』2001年9月7日=記者クラブ問題特集で)

<注>朝日文庫『滅びゆくジャーナリズム』65ページから)。

Perishing Journalism (Asahi Bunko) author Katsuichi Honda (Author)   

*Românăルーマニア語→Chihiro Ito伊藤 千尋 (bărbat, 15 septembrie 1949山口県出身) este un jurnalist japonez・・・スペイン語とルーマニア語の知識があったことから「東大ジプシー調査探検隊」(顧問・直野敦)を結成して東欧に飛ぶ。東欧では「日本のジプシー」を名乗り、現地のジプシーと交わって暮らし、日本初のジプシー語辞書を作り、帰国後は新聞にルポを連載したDatorită cunoștințelor sale de spaniolă și română, a înființat „Expediția de cercetare țigănească de la Universitatea din Tokyo ” (consilier Atsushi Naono ) și a zburat în Europa de Est . În Europa de Est, el s-a numit „țigan japonez” și a trăit în armonie cu țiganii locali .

              日本に真のジャーナリズムを創るために

                ー伊藤千尋さんとの対話

「はじめに」ジャーナリスト関係の組織の個人が、現在のジャーナリズム不在マスコミ(情報商売)を強く批判しつづけているけれど、そんなことでマスコミが変わるような情況ではない。批判の段階はとっくに過ぎて、もう聞きあきている。もはや実践あるのみ、この問題意識を共有する現役記者として、伊藤千尋さん(『朝日新聞』外報部に対話をお願いした。この対話は、近く本誌(『週刊金曜日』)で伊藤さんが連載する「闘う新聞『ハンギョレ』の12年」の’序曲’でもある。

本多 伊藤さんが『アジア記者クラブ通信』<注1>の新年号巻頭で書かれている内容にまったく同感でして、これをさらにつっこんだお話しを聞きたいと思います。この中で、ジャーナリストとはそもそも革命家だ、大いに叫ぼうとおっしゃっているので、俺も賛同して叫びたいわけです。去年の国会は俺も戦後最悪だと思っていますけど、伊藤さんはこの中で、「猛獣を放置するような行為をした点で、99年日本のジャーナリストは罵倒されていい、大いに反省すべきだ。だが、ただ嘆いている場合ではない。反撃が必要だ」と書かれた。そこでまず、今のマスコミの現状をどんなふうに捉えていらっしゃるかを・・・。








































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