日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一⑩


本物は本物、偽物は偽物
佐高 本多さんは、今でも山に登られるんですか?
本多 今の山は「生きる意味を・・・」ということではなくて、単なる趣味ですけれどね。本当は「ひと月ひとつの山」を目標にしたんですが、どうしても追いつかない。つまり、一年に12の山に登ることが目標だったけれど、ここ十年間にそれを達成したのは、一年しかありません。今年はまだ二つしかない。
佐高 それは登ったことのない山に登るのですか?
本多 ほとんどそうです。もちろん、人類が登ったことがないという意味ではなくて、自分が・・・という意味ですけれど(笑)。
佐高 私は山登りはやったことがないのですが、体力をつけるためにトレーニングなどをしなければならないんですか?
本多 トレーニングをする暇がないので、意識的にはやっていません。ただ、エスカレーターや、エレベーターはなるべく使わないとか、そのくらいのことは時間をとらない程度にやっていますけどね。
佐高 (突然に)音楽の趣味はどうですか?”ド演歌”とか。
本多 (怪訝そうに)”ド演歌”?
佐高 演歌に”ド”がつく。
本多 それは、初めて聞いたな(笑)。演歌でもいいものはいいですね。
佐高 例えば?
本多 美空ひばりで言えば『悲しい酒』とか、ああいうのは感動しますね。

①Русскийロシア語→Хиба́ри Мисо́ра (яп. 美空 ひばり Мисора Хибари), настоящее имя Кадзуэ́ Като (яп. 加藤 和枝 Като: Кадзуэ(神奈川県出身), 29 мая 1937 — 24 июня 1989) — японская певица (в частности, наиболее известный представитель жанра энка) и киноактриса②Kanashii Sake (яп. 悲しい酒, букв. «С грустью и сакэ») — песня Миюки Исимото[ja] на музыку Масао Коги[en] в стиле энка, известная как репрезентативная работа из репертуара японской певицы Хибари Мисоры и один из её «миллионных синглов»
佐高 (したり顔で)「本多さんの悲しい酒」、なるほどね。
本多 本多さんの、ってのはなんだ(笑)。
佐高 (笑)。自分で歌うことはあるんですか?
本多 大いにありますよ。しかしカラオケは嫌いです。あれほど主体性のない・・・つまり、伴奏は歌う人に合わせるんでしょう?カラオケは逆に伴奏に歌う人が合わせる。これは日本人にふさわいしな、と思って(笑)。①Françaisフランス語→Le karaoké (カラオケ가라오케卡拉OK, Караоке) est une façon divertissante de chanter, habituellement en suivant les paroles sur un écran②「日本ではなんでも’指示’されるIn Japan, anything is 'instructed'「左を向いてください!Please turn left!右を向いてください!Please turn right!(パキスタン労働者がテレビのお笑い番組でPakistani worker played on TV laughter Program「コントconte」を演じた)鎌田慧の記録Record of Satoshi Kamata『虚像の国Country of Virtual Images』October 25, 1991)。

佐高 (おずおずと)私も伴奏に合わせて歌っていますが・・・。
本多 これは意外(笑)。
佐高 言われてみると、そうですね。

本多 そんなことを書くとまた憎まれると思っていたら、中村八大が死んだときに永六輔が「中村八大は、かねてからカラオケを軽蔑していた」ということをかなり詳しく語っていた。そこで「しめた」と思って中村八大に便乗してカラオケ批判を書きました。(『貧困なる精神・Z集』/毎日新聞社)
①Hachidai Nakamura (中村 八大, Nakamura Hachidai(中華民国青島出身), January 20, 1931 – June 10, 1992) was a Japanese songwriter and jazz pianist②Françaisフランス語→Rokusuke Ei (永 六輔(東京都出身) Ei Rokusuke?), né le 10 avril 1933 et mort le 7 juillet 2016, est un parolier, écrivain, essayiste et tarento japonais d'origine chinoise(中国系日本人タレント).
佐高 私の趣味はほとんど貧しいんですけど、ピアノで伴奏してくれる店もありますよね。
本多 それが本来のありかたですね。
佐高 そっちのほうがテンポが合わない場合がある。
本多 弾き手が悪いんじゃないの?
佐高 弾き手はうまいんですが、私に合わせようと思ったら、向こうが混乱するようなんですが。
本多 うーん、それはおかしいな(笑)。
佐高 いつか、松本に講演に行ったんです。京大で学生運動をやったとかいう、私よりちょっと年上の人が係についたんですが、彼が私の話を聞いて誉めなきゃならないと思ったんでしょうね。「佐高さんの話を聞いてラベルの『ボレロ』を思い出した」と言ったんです。
①Русскийロシア語⇒Мацумо́то (яп. 松本市 Мацумото-си)Matsumoto (Nagano) — Особый город в Японии, находящийся в префектуре Нагано②Slovenščinaスロベニア語→Univerza v Kjotu (京都大学 Kyōto daigaku), okrajšano tudi Kjodai (京大 Kyōdai), je ena od japonskih narodnih univerz s sedežem v Kjotu③『ボレロ』(仏: Boléro )は、フランスの作曲家、モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ曲である。
本多 どうしてラベルの「ボレロ」?
佐高 私のラベルの「ボレロ」を聴いたことがなかった。
本多 何年か前ですが、たしか例のモーリス・ベジャールがあの曲で踊る映画を観ました。えらく国連礼賛だったが。
*モーリス・ベジャール(Maurice Béjart, 1927年1月1日 - 2007年11月22日)は、フランスのバレエの振付家。マルセイユに生まれる。父は哲学者ガストン・ベルジェGaston Berger
佐高 当然向こうは知っているだろうと思って話しているから、「聴いたことない」と言えない雰囲気だったんです。家に帰ってからこっそり聴いた。ある種の教養という意味で、いろいろな音楽も聴いていないと駄目ですね。本多さんはいろいろ聴かれますか?
本多 ある意味では片寄っているんですが、本物なら何でもいいというほうですね。黒人音楽や民族音楽も非常に好きですが、偽物には腹が立つんです。別にジャンルとして本物偽物があるわけではなく、どんなジャンルであっても本物は本物で、偽物は偽物ですね。
佐高 美空ひばりは歌手としては本物ですね。
本多 必ずしも彼女の歌のすべていいとは思わないけど、本物ですね。演歌で言えば、森進一も本物ですね。
佐高 (感心したように)うーむ。とりわけ何ですか、「襟裳岬」とか。
本多 いいですね。


①Portuguêsポルトガル語→Kazuhiro Moriuchi (森内 一寛 Moriuchi Kazuhiro(山梨県生まれ鹿児島県出身), Kōfu, Yamanashi; 18 de novembro de 1947) mais conhecido pelo seu nome artístico Shinichi Mori (森 進一 Mori Shinichi?), é um cantor e compositor japonês de enka, folk e pop②『襟裳岬Cape Erimoえりもみさき』is Shinichi Mori 's 29th single released on January 15, 1974 ~♪北の街ではもう 悲しみを暖炉で~襟裳の春は 何もない春です~遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ~♪
佐高 内藤克人さんが「昴」が大好きで谷村新司と対談しているんですが、都はるみが歌った「昴」がいいと言っていましたね。


①『昴Subaru すばる-』is a single by Shinji Tanimura released on April 1, 1980②Українськаウクライナ語→арумі Міяко (яп. 都 はるみ), уроджена Харумі Кітамура (яп. 北村 春美(京都府出身), нар. 22 лютого 1948, Кіото) — японська співачка жанру енка
本多 プロで感心するのは、森進一もそうだけれど、自分で泣きながら歌ったりすることがあるでしょう。あんなことは私にはできませんね。非常にいい歌で、身につまされてしまうと喉がつまって歌えなくなったりします。ああいう人は、泣くほど歌に感じながら、しかしちゃんと歌っている。よく喉が平気だな、と思いますね。
佐高 美空ひばりが「悲しい酒」を歌うときもそうでしたね。常に涙が浮かんでいるという・・・。作詞家の山口洋子さんは、「五木ひろしHiroshi Itsukiは努力家で、森進一は天才だ。五木ひろしが逆立ちしてもかなわないものを森進一は持っている」ということを書いていますね。

*Españolスペイン語→Yōko Yamaguchi (山口洋子 Yamaguchi Yōko(愛知県出身), 10 de mayo de 1937 – 6 de septiembre de 2014) fue compositora y novelista japonesa.
本多さんに、夢中で歌の話なんかしてしまった。
本多 (笑)でも、私は昔から歌うことが好きだったんです。山岳部のときにガリ版刷りで印刷した歌集を作ったことがありますし、自分が作曲した山の歌も六曲くらいあります。
佐高 シンガーソングライター本多勝一は、本邦初公開ですね(笑)。
(『サンサーラ』1993年10月号『貧困なる精神Y集』)

                   岡っ引き記者繁盛記          鎌田慧

三面記事の主人公になるとは、この歳になるまで考えてもみなかった。

新聞に文章を書いたり、コメントをだしたりするのは、それが仕事だからであって、表現のひとつの手段としてである。ところが今回はまるで「犯罪者」扱いで、全国版、それも六段抜き、凸版見出し入りの大記事の当人になってしまったのだから、人間の運命などは判らない。けっして自慢するわけではない。読者諸賢の御判断を仰ぎたいので、ここに全文を掲載させて戴くことにします。

                「雲仙」立入り禁止区域をルポ

『フライデー』掲載 島原市内三人で取材、警察が事聴取へ

<19日発売の写真週刊誌『フライデー』に、長崎県雲仙・普賢岳の火山活動に伴い立ち入り禁止となっている島原市内の「警戒区域」内のルポが写真とともに掲載された。ルポライターの鎌田慧さんに同誌記者と契約カメラマンが同行、死者、行方不明者41人を出した大砕流や、その後の土石流の現場跡の様子を撮影、描写されているが、体育館や仮設住宅などでの長期の避難生活を余儀なくされ、帰りたくても帰宅できない警戒区域の住民の心情を逆なですることにもなり、長崎県警察部署も同区域内に入った経緯などについて講談社側から事情を聞く。

①Friday (フライデー, Furaidē) is a Japanese weekly magazine that contains celebrity gossip, politics, news, and simply. It is published by Kodansha②Українськаウクライナ語→Kodansha Ltd. (яп. 株式会社講談社 Кабусікі-ґайся Ко:данся) — найбільше в Японії видавництво, що випускає літературні твори та манґу.

問題のルポは「『灰の街』島原絶望地帯を往く」というタイトルで、四ページにわたって掲載。先日三日、大規模な大砕流に見舞われた水無川流域の島原市北上木場町の焼けただれた樹木や、同30日の土石流に埋まった同市北安徳の住宅の写真とともに、鎌田さんが、現場の様子を克明にルポしている。

①Wadi水無川 (Arabic: وَادِي, romanized: wādī), alternatively wād (Arabic: وَاد), North African Arabic Oued, is the Arabic term traditionally referring to a valley②Polskiポーランド語⇒Shimabara (jap. 島原市 Shimabara-shi) – miasto w Japonii, na wyspie Kiusiu (Kyūshū), w prefekturze Nagasaki

警戒区域は、災害対策基本法63条に基づき、応急対策にかかわる人員以外の立ち入りを市町村長が禁止、制限する区域で、普賢岳噴火に伴って先日八日、水無川流域の島原市内17地区、深江町13地区が指定された。罰則は一万円以下の罰金か拘留で、これに伴い、2740世帯、一万人余りの住民が区域外への立ち退きを強いられ、親類宅に身を寄せたり、体育館や仮設住宅での避難生活を続けている。

区域内に入れるのは重要書類の持ち出しなどで市町村長の許可を得たケースだけで、長崎県警では、同区域に通じる車道を中心に機動隊員を配備して監視している。

同署の熊本正三署長は「住民が帰宅できずにいるのに、言語道断。警戒区域への侵入がはっきりすれば、警告なども含めて対応を検討したい」としている。>(7月20日『読売新聞』)

それでもまだ救われているのは、小生の名前の下に「さん」がつけられていて、「容疑者」扱いでないことである。しかし、「警察が事情聴収へ」の見出しは、6・7センチもあって、ひとを驚かせるには十分である。

記事が出る前の夜、わたしは自宅にいなかったのだが、若い記者から、コメントが欲しい、と電話がきた、という。それでも、わたしはそんなのが記事になるとは考えもしなかった。

『読売新聞』は購読していないので、平和な朝を迎えた。やがて、他社の記者から電話がかかってきた。

「載っているんですか。何段の見出しですか」

わたしボツになっていないのに驚いた。それでも、当然、ベタ記事と考えて、一応きいてみたのだが、「六段!」といわれて、驚いてしまった。その記事を読んで、『時事通信』も追っかけたらしく、一部の地方紙やスポーツ紙にもおなじ趣旨の記事が掲載された。

*Françaisフランス語→Jiji Press (時事通信社, Jiji tsūshinsha?) est une agence de presse japonaise généraliste.

「住民の心情を逆なですることになりIt will upset the feelings of the residents」との記述は、コメンテーターがいなので、読売新聞の独創性によるものだが、『東京スポーツ』ではいつの間にかカッコ内にはいって、との声も上っているとなり、『サンケイスポーツ』では、見出しに格上げされている。

①Deutschドイツ語→Tokyo Sports (in der Originalsprache 東京スポーツ) ist eine auf Wrestling konzentrierte japanische Sport-Tageszeitung②Españolスペイン語→Sankei Sports (サンケイスポーツ Sankei Supōtsu?) es un diario en japonés publicado por el diario deportivo Sankei Shimbun.

『サンケイスポーツ』については、機会があればこれからも書くかもしれないが、島原市長の顔写真を入れて、「市民が猛抗議Citizens protest」とこれまた見出しに使っている。

ところが、記事には市民のコメントはなく、いったい誰がいったのかわからない発言なのだから不思議である。

わたしの『フライデー』掲載の記事は、被害状況のルポと被災者の要望を伝えたもので、その結論は、「大国日本の政府は、まだなんの援助も決めていないThe government of Japan, a great power, has not yet decided on any assistance。湾岸戦争では、あれほど素早く軍資金の大盤振舞いを決定したのにIn the Gulf War, that they decided the large-scale behavior of the military funds so quickly」というものである。この記事を読んで、どんな市民が「心情を逆なでされる」のであろうか。記事の詳しい比較検討は、また別におこなうしかないが、記者たちがあたかも盗作でもしているかのように、おなじ心情の記事を書くのが不思議である。なにか手本でもあるのだろうか。

このひとたちにきいてみたい。あなたたちは「立ち入り禁止区域」を取材したことはないのですか。それとも「立ち入り禁止」といわれると、ハイといって自衛隊撮影のビデオフィルムや写真でお茶を濁し、それで安心してしまうんですか。報道の権利や自由、国民の知る権利などはどうでもよくて、書いた人間を槍玉にヤツらははやくしょっぴけ、といってはウップンを晴らしておられるのでしょうか。

それで取材と報道のクビを締めているとはお感じにならないのですか(91年10月)

                  岡っ引き記者繁盛記 2

前回でお伝えした「島原報道事件」にたいして、さっそく援軍があらわれた。拙稿が活字になる前、『読売新聞』を読んですぐ書かれた御意見である。このひとたちの感覚の鋭さが、読売の記事の奇妙さをことさらひきたてている。

ひとりは、宮崎在住の記録作家である川原一之さんである。彼は朝日新聞記者時代に土呂久の鉱毒問題と出会い、会社をやめて運動に加担するようになった熱血ライターである。『亜砒焼き』(岩波書店)の著書がある。彼はこう書いている。

①川原一之Kazuyuki Kawahara Born in Fukuoka Prefecture in 1947. Record writer. Graduated from Waseda University②Toroku arsenic disease (土呂久砒素公害, Toroku hiso kōgai) was a disease resulting from air and water pollution from a refinery at a mine at Toroku, located in Takachiho, Nishiusuki District, Miyazaki, Japan.

「現場を重視するライターが、わが身の危険を承知の上で、災害の危険地帯へ立ち入って状況を伝えた。このことで警察が取調べに乗り出した例を、ぼくは寡聞にして知らない」(『西日本新聞』8月7日)。

川原さんは、危険な災害現場に踏みこむ取材が法律で処罰されると、原発事故などのドキュメントもできなくなる、と書いたあと、こういう。

「災対法違反は、一万円以下の罰金または拘留という懲罰ではあるが、もし裁判にでもなれば、報道の自由とのからみで議論されることは間違いあるまい」

『復讐するは我にあり』の佐木隆三さんは、こう書いている。

「警察や行政のいいなりになって事実がわかるわけはなく、日頃から記者クラブ制度といったものに守られている大新聞の記者たちは、いつのまにか、こうした精神〔ジャーナリストの使命=引用者註〕がマヒしているようだ。また、報道協定などといって、大事件が起こると、人命尊重をタテに権力と約束事を結ぶといったことを昔からやってきているが、そのこと自体もよく考えてみると、おかしいのである。

①《복수는 나의 것》(일본어: 復讐するは我にあり, 영어: Vengeance Is Mine)은 이마무라 쇼헤이가 감독하여 1979년에 개봉된 영화이다②Deutschドイツ語→Ryūzō Saki (jap. 佐木 隆三, Saki Ryūzō * 14. April 1937 in Kankyō-Hokudō, Chōsen旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ, Kaiserreich Japan (heute: Hamgyŏng-pukto, Nordkorea); † 31. Oktober 2015 in Kitakyūshū) war ein japanischer Schriftsteller③記者クラブ(A kisha clubきしゃクラブreporters' club)は、公的機関や業界団体などの各組織の継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織whose reporting centers on a press room set up by sources such as the Prime Minister's Official Residence, government ministries, local authorities, the police, or corporate bodies.

そういった体質がもろに出ているのが、今回の読売の記事だ。読売は『フライデー』を批判する資格などない。逆に、「それでも、あなたたちは新聞記者か?」といいたい。フライデーの記事を読んで見るといい」

立ち入り禁止を決めさせられたのは、島原市と深江町の被害地の首長である。その根拠は「災害対策基本法」にあるが、この法律の目的は、国民の生命、身体、財産を災害から保護するためであって、「公共の福祉の確保」にある。この法律をタテにして、公共性のある報道を規制し、報道したものを罰しようというのは、きわめて権力的な拡大解釈、牽強付会(デッチ上げ)といえる。

*Fukae (深江町, Fukae-chō) was a town located in Minamitakaki District, Nagasaki Prefecture, Japan.

「立ち入り許可」を検討していた深江町が、県警に反対された一幕もあったりしたが、8月22日現在、立ち入り区域内に立ち入って警察から警告されたのは、「329件」にもおよんでいる。そのことを報じた8月24日の『朝日新聞』(西部本社版)には、警戒区域内から出てきた住民が、警官から注意されている写真まで掲載されている。

住宅や職場や畑から引き離されて仕事ができなくなってしまった住民の生活はすでに疲弊しきっているが、災害心理学の広瀬忠・東京女子大教授は、「住民側も万一の危険に対して、責任を負う考え方に転換すべきだと思う」と、同紙にコメントをだしている。この問題に触れる余裕はないが、住民は「警告」ですんでいるのに、報道すると「事情聴取」するから島原までこい、というのは、いささか乱暴である。

警察が「証拠」としている『フライデー』の記事は、読売新聞の東京本社から島原へファクシミリで送られたもののコピーである。ということは、この記事は読売新聞本社ー支局ー島原署とリレーされたことになる。これもいささか乱暴な筋ちがいである。

これでは、記者がファクシミリで送られてきた週刊誌の記事を片手に、まるで鬼の首でもとったかのように駆けこみ、「ご注進!」と叫んだ光景がみえてくる。

*注進(ちゅうしん)は、事件や出来事などを書き記して上申することを指す言葉、またはその書状のこと(注進状)Chushin注進 is a word that refers to writing down and reporting an incident or event, or a letter to that effect ( chushinjo )現在では、転じて、事件などを急いで目上の人に報告することを指すCurrently, it refers to reporting incidents etc. to superiors in a hurry。

このときの島原署長のコメントは「警戒区域への侵入がはっきりすれば、警告なども含めて対応を検討したい」という程度のものでしかなかった。

それでもたくさんの住民が自宅の安否を気づかって「区域内」にはいっていた。全員結束してはいなかったのは、佐木さんのいうように、記者クラブで協定している新聞社とテレビ局のひとたちぐらいのものだった。それで、わたしの記事を読んで警察にご注進となったのだが、この記事は誰に、どんな被害を与えたのだろうか。しいていえば、記者クラブのメンツをいささかつぶしただけのことでしかない。

その挙句の果てが、六段抜きの読売の記事となり、「警察が事情聴取へ」の6・7センチもの活字が躍ったのである。これではまるで、警察をダシにした読売新聞の自作自演の大スクープとなる。それでもまだ「住民を逮捕しろ」とか「住民を事情聴取しろ」とは書いていないから、すこしは許される。住民を味方にしたいために、「住民の心情を逆なでにすることにもなり」と書いているのが姑息である。「になり」に記者の後めたさが隠されている。ついでにいえば、読売以外の良識ある新聞も、わたしに電話をかけてきたがこんなバカげた記事は書いていない。

さてわたしは9月5日現在、事情聴取には出かけていない。だから、これからどうなるかわからない。批判の相手はいまのところ新聞だけにしたいのだが。(91年11月『どうしようもないJRなど』)


*北方領土問題(Contentieux relatif aux îles KourilesほっぽうりょうどもんだいKurilenkonflikt、露: Проблема принадлежности южных Курильских островов , 英: Northern Territories dispute, Kuril Islands disputeПроблема Північних територій북방 영토 문제は、日本国とロシア連邦との間の領土問題である。

*ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン(ロシア語: Бори́с Никола́евич Е́льцин ru-Boris Nikolayevich Yeltsin、ラテン文字表記の例:Boris Nikolayevich Yel'tsin、1931年2月1日 - 2007年4月23日)は、ソビエト連邦及びロシア連邦の政治家。初代ロシア連邦大統領および初代ロシア連邦閣僚会議議長(首相)を務めた。
           「北方領土」に関連してエリツィン大統領に直訴する   本多勝一
本誌が出るころにはロシア大統領エリツィン氏が来日するはずだったが、延期になってしまった。いずれにせよ、いわゆる「北方領土」問題について日本側は終始やきもきしてきた。
この問題について、私はかねてから強い疑問を抱いている<注>。かつて伯父がエトロフ島の村長をしていたという個人的感情もややあるが、それよりも「人類」とか「地球生態系」といった現代最大の課題にかかわる関心からである。
①Françaisフランス語→Itouroup (en russe : Итуруп, Остров Итуру́п, Ostrov Itouroup; en aïnou エトゥオロプシリ, Etuworop-sir ; en japonais : 択捉島, Etorofu-tō2) est la plus grande île de l'archipel des îles Kouriles②生態系ЭкосистемаÉcosystèmeせいたいけいÖkosystem、英: ecosystemЕкосистема생태계とは、生態学においての、生物群集やそれらをとりまく環境をある程度閉じた系であると見なしたときの呼称である。
私自身は、この30年来「千島列島全島は日本の領土であり、ロシア領とする正当な理由はない」と主張してきたし、現在もこの考えに変りはない。しかし、だからロシアに対して「北方領土(南千島)を早く返還せよ」とは主張しない。むしろ今のままの日本であるならば返還に反対する。その理由を一言でいうなら、リゾート法とその他によって国立の自然公園でさえ自然破壊企業に荒らされ放題の日本では、返還されたらかれらの草刈り場になることがわかりきっているからだ。
①Deutschドイツ語→Die Kurilen (russisch: Курильские острова; japanisch: 千島列島, Chishima-rettō, deutsch „Archipel der tausend Inseln“) oder Kuril-rettō (クリル列島, Kuriru-rettō, dt. „Kurilen-Archipel“) sind eine etwa 1200 Kilometer lange, zu Russland gehörige und territorial teilweise umstrittene Inselkette mit mehr als 30 großen und kleinen Inseln vulkanischen Ursprungs in Ostasien②The Comprehensive Recreational Areas Development Act総合保養地域整備法(Sogohoyochiikiseibiho) emphasizes the use of private businesses to create places where people can enjoy a variety of leisure activities in order to promote the development of the resort industry and the balanced development of the national economy. This law was enacted in 1987 ( Showa 62) with the aim of comprehensively developing 通称リゾート法resort law.
実は、今月中にクナシリ島の最高峰チャチャヌプリ(爺々山=1822メートル)へ登る計画を立てていた。アイヌ民族のある友人が登りたいというので、それでは一緒にいこうと言っていたのである。チャチャヌプリは私も知床半島から何回も眺めていて、いずれは登りたいと思ってきた。しかし現地の様子を調べた結果、つぎの理由で今秋はあきらめることにした。

①Беларускаяベラルーシ語→Кунашыр (руск.: Кунашир, яп.: 国後島, айну:クナシㇼ, літаральна "Чорны востраў") — самы паўднёвы востраў Вялікай грады Курыльскіх астравоў②Русскийロシア語⇒Тя́тя (айнское Чача-Нупури, буквально — «отец-гора» яп. 爺爺岳 тятя дакэ) — действующий вулкан на острове Кунашир Большой Курильской гряды, на территории Курильского заповедника.
第一に、ここは自然保護区内にあって、ロシア人レンジャー(監視係り)たちがまじめに管理しており、特別許可をとるのに一定の時間を要する。第二に、日本の主な山のようなかたちの登山道はなく、登るためには相応の時間と体力を要し、二人や三人で気楽な山旅というわけには(とくに還暦前後の隊では)いかない。早春の積雪期に山スキーで登る方が楽かもしれない。
この山には、去年の6月に早稲田大学探検部の学生六人が登頂している。札幌テレビの撮影隊と一緒に許可をとってレンジャーも登ったのだが、学生の一人の話によると、標高900メートル付近に最近(十数年前)できた噴火口があり、その下までは沢をつめて登った。そこから上はハイマツや火山磔地帯になるが、手薄な部分をぬって行った。新火口までかなり長く丸一日かかったそうだ。その学生の感想が印象的である。-
「手つかずの自然とはこんなにもすばらしいものかと感動したI was moved by how wonderful untouched nature can be. これに比べたら、日本で比較的自然が残されているといわれる北海道などでも、いかに荒されたものかがよくわかったCompared to this, we can clearly see how much nature has been degraded even in places like Hokkaido, which are said to have relatively preserved nature in Japan.
*Українськаウクライナ語→Університе́т Васе́да (яп. 早稲田大学 Васеда Дайгаку; або 早大 Содай у скороченій формі) Waseda-Universität와세다 대학Waseda University— приватний університет у Японії. Розташований на півночі району Сіндзюку, Токіо, в місцевості Васеда.
・・・さもありなん、テレビ番組で今年クナシリ・エトロフ両島をたずねた立松和平氏も、破壊されていない現状のすばらしさをしみじみと語っていた。そうだろう、そうだろう。おそらくそれは、今から33年前(1959年)に私としては初めて訪ねた中央部脊梁を縦走したころの知床半島、その翌年羅臼湖を探検したころの知床半島に近い状況であろう。その後の知床半島は、自動車道が海岸ぞいに奥までのびて自然破壊が容易になったことをはじめ、国立公園指定とひきかえに中央部を横断する自動車道をつくり、そのすぐそばにある秘境・羅臼湖の周辺など、かつてはUrsus arctosヒグマБурый медведьの楽園として一切の人跡もなかったところが高山植物の盗掘その他でさんたんたる姿となり、さらに驚嘆すべきことには、国立公園内の最も重要な壮年木さえ林野庁という公的役所がカネもうけの目的で伐採して売り払った(1987年)。こんな馬鹿げたことが可能な「国立公園」は世界に類がないだろう。ましてや、単なるカネもうけ以外に何の目的もない私企業(観光資本・鉄道資本)が「公的役所」以上の破壊を狙って虎視たんたん(トラに失礼)と、しないほうがおかしいではないか。
①Françaisフランス語→Wahei Tatematsu (立松 和平, Tatematsu Wahei(栃木県出身), 15 décembre 1947 – 8 février 2010) est un romancier japonais. Il écrit plusieurs romans dont Enrai et Dogen-Zenji, au sujet du pieux bouddhiste qui fonde l'école sōtō du bouddhisme zen en 1227②Lake Rausu羅臼湖 is a lake in Rausu , Hokkaido .
以上のような背景をもとに、エリツィン・ロシア大統領に対し、私は直訴状を提出することにした。「私たち」とする意味は、以上の直訴状原案に賛同していただける方たちの御意見を入れて改良の上、むろんロシア語に翻訳して提出するからである。(これは宮沢首相にも提言する。)とりいそぎ連絡のついた方々だけとならざるをないが、来日のいかんにかかわらず、賛同者をひろげて文書を追送した。

*Русскийロシア語⇒Киити Миядзава (яп. 宮澤 喜一(東京都出身), 8 октября 1919 — 28 июня 2007) — японский политик, Премьер-министр Японии в период с 5 ноября 1991 года по 9 августа 1993 года.

        ロシア共和国大統領ボリス・エリツィン殿Dear Mr. Boris Yeltsin, President of the Russian Republic
エリツィン大統領の日本訪問を心から歓迎いたします。報道によりますと、今回の訪日にさいして日本政府側の関心の最も重要な部分に、いわゆる「北方領土」問題があるようです。また日本の世論も、多くは北方領土の日本返還を願っていますI would like to extend a heartfelt welcome to President Yeltsin on his visit to Japan. According to reports, the most important part of the Japanese government's interest in this visit to Japan is the so -called "Northern Territories" issue. Japanese public opinion also hopes for the return of the Northern Territories to Japan.
私たちもまた、基本的には一般世論と同様な感情を抱いてはいますものの、現状の日本にはあまりに大きな問題がありすぎて、このまま無条件に返還されることに対しては強く反対する立場をとらざるをえません。それは以下のような意味においてでありますWe also share the same sentiments as the general public, but we strongly oppose the unconditional return of Japan as it is because there are too many big problems in Japan.I have to take a stand.It is in the following sense.
千島列島の歴史をかえりみますと、ロシアと日本が南北から侵入してゆく前に、ここは先住民族たるアイヌが住みつづけていた土地、アイヌ語でいう「アイヌシモリ」だった事実に議論の余地はありますまい。それがどのような経過をへて現在にいたったかは、ここで述べるまでもないと存じます。つまり理想的には、千島全島は本来アイヌ民族に返還すべきものです。これはアイヌ民族自身の中に現に主張している人がいます。少なくとも次善の策としては、いかなるかたちで返還するにせよしないにせよ、アイヌ民族の先住者としての権利は具体的なかたちで認めることを条件とすべきでしょう。これが日ロ両国の交渉において条件とすべき第一点です。このことはアイヌの公的組織たる北海道ウタリ協会も主張するとおりでありますLooking back on the history of the Kurile Islands, it is debatable that before Russia and Japan invaded from the north and south, this land was inhabited by the indigenous Ainu people, called "Ainu Shimori" in the Ainu language. I'm sorry. I don't think it's necessary to explain how it went through to the present. In other words, ideally , the entire Kuril Islands should be returned to the Ainu people. Some Ainu people themselves actually claim this. best course of action should be a condition that the Ainu people's rights as indigenous people be recognized in a concrete way, regardless of the form of return. This is the first point that should be a condition for negotiations between Japan and Russia.This is as claimed by the Hokkaido Utari Association, a public Ainu organization.
①Русскийロシア語⇒Коренны́е наро́ды先住民原住民народы, которые обитали на определённых землях до прихода туда переселенцев из других мест②The Hokkaido Utari Association (北海道ウタリ協会홋카이도 아이누 협회, Hokkaidō Utari Kyōkai) is an umbrella group of which most Hokkaidō Ainu and some other Ainu are members. Originally controlled by the government with the intention of speeding Ainu assimilation and integration into the Japanese nation state, it now operates independently of the government and is run exclusively by Ainu.
第二点は、南千島の日本環境保全のためにかかわる条件です。ご承知のように、今や人類の運命にとって地球環境の悪化防止は最重要課題となりました。ところが日本列島の場合、あたかもそれとは逆行するかのように、最近の悪法「リゾート法」などを利用して、いたるところで自然破壊が進行しています。日本の国立公園の不備や環境庁の相対的無力さも原因の一部となって、国立公園の中でさえ私企業によって平気で公然たる自然破壊が行なわれるのです。クナシリ島に隣接する知床国立公園なども、もはやクナシリ島と比べたら見るかげもないほどに荒廃しましたThe second point is the conditions related to the preservation of the Japanese environment in the Minami Chishima. As you know, prevention of deterioration of the global environment has become the most important issue for the fate of humankind. However, in the case of the Japanese archipelago, the destruction of nature is progressing all over the place, taking advantage of the recent bad laws such as the resort law, as if going against that. the inadequacy of Japan's national parks and the relative incompetence of the Environment Agency, even within national parks there is unabashed and open destruction of nature by private companies.Shiretoko National Park, which is adjacent to Kunashiri Island, has also been devastated to such an extent that it cannot be seen compared to Kunashiri Island.
ところが、最近クナシリ・エトロフ両島を訪問してきた日本人たちの報告によれば、これらの大きな島は自然環境が実によく保存され、日本の現状にくらべると夢の国のように思われるほどです。これもロシア当局による熱心な保護政策の成果によるものと、深い敬意を表するものでありますHowever, according to reports from Japanese who have recently visited both Kunashiri and Etorofu islands, the natural environments of these large islands are so well preserved that they seem like a dreamland compared to the current situation in Japan.  This is also a result of the enthusiastic protective policy of the Russian authorities, and we express our deep respect for it.
しかしながら、もし現在の日本にこのまま返還されますと、日本で進行中の自然破壊がそっくり南千島にもちこまれ、たちまちにして破壊されてしまうでしょう。とくに鉄道資本を母体とする観光資本が狙っていて、噂によればこれらの島出身で北海道に現在住む旧住民に対し、ひそかに土地買収を交渉している例さえあるとのことです。こんな日本に、何の担保条件もなく南千島を返還することは、地球のため、人類のためにも避けなければなりませんHowever, if they were to be returned to present-day Japan, the ongoing destruction of nature in Japan would be carried over to the South Kuril Islands, where they would be destroyed in no time at all.In particular, tourism capital, which is based on railway capital, is targeting it, and according to rumors, there are even cases of secret negotiations with former residents who are from these islands and currently live in Hokkaido to buy land. Returning the Minami Kuril Islands to such a Japan without any collateral conditions must be avoided for the sake of the earth and humankind.
もし両国で交渉がすすめられるとすれば、この点を最大限に考慮した条件を厳密に規定されるよう望むものであります。「たとえば」の話ですが、これらの島は両国の環境庁(またはそれに相当する省庁)が共同で管理する国境緩衝地帯とし、全土を国際的自然公園とする。私企業の侵入は一切許さず、スウェーデンその他の先進自然公園を範として、開発をせぬ原生的自然のままの公園とし、入場者数の制限も加える。そこでのレンジャーには、先住民たるアイヌ民族に優先として就職の機会を提供し、移住の優先権も配慮するIf negotiations between the two countries are to be pursued, I hope that the terms and conditions will be strictly stipulated with the utmost consideration given to this As for "for example", these islands will be a border buffer zone jointly managed by the environment agencies (or equivalent ministries) of both countries, and the entire land will be an international natural park.Private companies will not be permitted to invade, and the park will be an undeveloped wilderness park, modeled on advanced nature parks in Sweden and elsewhere, and the number of visitors will be limited. people, who are indigenous people, for job opportunities, and we will also consider the priority of migration・・・
これに類する方法によって、この珠玉のような南千島の自然環境を後代に伝えようではありませんか。人類の遠くない未来は、もはや国境をなくす方向にあると思われますLet us pass on the natural environment of the Minami Chishima, which is like a gem, to future generations through a similar method. -too-distant future of humankind, it seems that national borders are disappearing. September 1992. 1992年9月(提言者一同連名joint names of all the proposers
<注>拙著『貧困なる精神・H集』(朝日新聞社)収録の「現状の日本では北方領土は還らぬ方がよい」で詳述した。(『サンデー毎日』1992年9月27日)
<追記>この直訴状については、一部に賛同をよびかけた段階で来日延期となったため、実際にはエリツィン氏に渡されなかった。しかしこの一文はその前に書かれていたので、冒頭の部分だけゲラで「延期」にふれた。
【追加個人体験ルポAdditional Personal Experience Report】
①Русскийロシア語⇒Мыс Со́я (яп. 宗谷岬 Со:я-мисаки) — самая северная точка японского острова Хоккайдо. Административно относится к городу Вакканай в округе Соя~♪宗谷の~岬の名物は~♪(こりゃこりゃ?笑)「お土産店」の屋根に設置された「拡声器」から例の「巨大騒音」がすさまじい唸りをあげていた(そのまま遠望している「(南)樺太」(も返せ!?)へ行ってしまいたかった)The "loudspeaker" installed on the roof of the "souvenir shop" was blaring out the "massive noise" (I wanted to go straight to "(South/юг)SakhalinСахалин"(should be returned too!?) in the distance)楽しそうにしている周りの「日本人観光客」たちが目に入れば、余計に参ったWhile I could see the "Japanese tourists" around me who seemed to be having fun, I would feel even worse1991年8月末日②Беларускаяベラルーシ語→Рэбу́н (яп.: 礼文島) — востраў у Японскім моры на паўночны захад ад вострава Хакайда→さびれたフェリー発着場に並べられた「パッソル2」を借りて、島内めぐり。ところ狭しと疾駆する「ジャリトラ」(ダンプカー)群とすれ違うばかり。排気ガスと埃を食らい、気分が悪くなった(その記憶しかない)Rent a "Passol 2" lined up at the deserted ferry terminal and tour around the island. Just passing by the group of "Jaritora" (dump truck) that are rushing in a narrow place. I ate exhaust fumes and dust and felt sick (that's all I remember)同年7月某日③今、この静かな真夏のカナダ・トロント郊外から回想しても、無惨なものだったですEven now, when I look back on this quiet midsummer in the suburbs of Toronto, Canada, it was miserable④そして宗谷岬に行ったときは「ソ連八月政変Августовский путч」の直後だったAnd when I went to Cape Soya, it was right after the "Soviet coup d'état attempt"(心配だったしI was worried、そればかり考えていましたand just thinking about it)道中On the way、車内でwhile drivingソ連からの「ロシア語」(むろんOf courseまったくわからないとはいえI don't understand at all)ラジオ放送を聴いていたI listened to a "Russian" radio broadcast from the Soviet Union(ペレストロイカ末期last days of perestroika。故マイケル・ジャクソンМайкл Дже́ксонの~♪I Just Can't Stop Loving You~♪及び故ホイットニー・ヒューストンУи́тни Хью́стон~♪I Wanna Dance with Somebody~♪が流れていたのを感慨深く思い出しますI deeply remember that those songs were playing前夜宿泊した豊富温泉Toyotomi Hot Spring(静寂そのもの(他に誰もいなかったthere was nobody else)すばらしかったですIt was so quiet and excellent号泣涙)のテレビニュースTV NEWSで逮捕arrestedされ、レフォルトボ刑務所Лефортовская тюрьмаに収容されたヴァレンチン・パブロフВалентин Павлов首相やドミトリー・ヤゾフДмитрий Язов国防相のインタビューinterviewも見た)側の某町郊外にある牧場に住み込み作業員A live-in worker at a ranch on the outskirts of a certain townともあれ~♪Единый, могучий Советский Союз!団結した強力なソビエト連邦万歳!Славься, Отечество наше свободное栄光あれ、我らの自由たる祖国よ~♪2022/08/09 

                                                    「意見書」ひとつ        鎌田慧
島原被災地域での取材が、「無断侵入」とされて、わたしは島原署から呼びだされていた。出頭を断わりつづけていると、二人の刑事が東京まで出張してきた。以下はそのとき手渡した「意見書」である。
島原・雲仙岳取材についてのわたしの意見
写真週刊誌『フライデー』編集部からの取材の要請をうけて、現地に到着したのは、7月10日の午前中だった。
昼食後、タクシーで市内をまわった。大きく迂回して、普賢岳の後方から深江町にはいってなお、被災地を見渡すことはできなかった。現場の状況がさっぱりみえないのには大いに当惑した。タクシーの運転手によれば、広大な地域が、「立ち入り禁止」になっていてはいれない、とのことであった。
それでも、避難している住民たちの声をきくと、生活の不自由さと自宅の安否が心配な余り、地域内にはいって衣類をもちだしたり、近所の光景を撮影しては知人にみせ、安堵感を味わっているとのことであった。
それら被災地の現状について、マスコミ各社が報道しないのは、各社ともカメラマンなど火砕流による死者を発生させたためであって、二次災害を懸念して自粛しているのは容易に判断できた。たしかに、報道の巻きぞえになったタクシー運転手など、一般市民の犠牲は悲しむべきことだが、フランスの火山学者やカメラマンの犠牲は、それとは別に考えるべきものであって、不幸な結果に終わったとはいえ、学問や報道にたいする使命感は評価されるべきである。彼らを批判するのは、その遺族にとっては耐えがたいことであろうと推察できる。犬死扱いしてはならない、との感情もある。
そしてもうひとつ、視えない現地の周辺をまわって思いだしたのは、テレビでの映像が「自衛隊提供」によるものだった、ということである。視聴者のひとりであったときには奇異に感じただけだったが、島原に着いて、はじめて強く感じたのは、報道が規制され、あるいは自己規制したままでいるジャーナリズムの精神の衰弱である。
わたしたちの先輩たちは、ベトナム戦争をはじめとして、あらゆる戦争、災害、事件に身を挺して報道してきた。犠牲者も数多くだしている。それでもなお、報道することに身命を賭けてきたのは、それこそ報道者の任務であり、報道の権利であり、かつまたそれが知らせるという行為によって公共の利益に合致すると信じていたからであった。
いうまでもなく、報道の自由と知る権利は、国民の基本的権利である。それはけっして誰からも制限されるべきものではなく、自己規制すべきものではない。
「災害対策基本法」は「国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため・・・総合的かつ計画的な防災行政の警備及び推進を図り、もって社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする」ところにある。
とすれば、被災地の状況をすこしでも速く正確に伝え、その対策を要望する報道は、その精神に合致するものであり、この法が報道までも規制するとは考えられない。

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