日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一⑪

7月11日(木)、午前5時すぎからおよそ一時間、被災地の北安徳町と大下前、門内町、札の元町、天神元町、白谷町を経由して、北上木場町の「熊野」に到着したのは『フライデー』(8月2日号)に執筆したとおりの事実である。
ここで明らかにしておかなければならないことは、編集者とカメラマンが同行したのもまた事実であるが、ただこの両人は「取材したい」というわたしの強い意志に従ったものである。もちろん、火山活動と比較的安定し、その日も早朝のうちには火砕流の発生はない、として行動したのは本人の判断によるし、生命については各人の危険負担によるものであったのはいうまでもない。
被災地で事実を認め、それについては逃げ隠れもしないことは、ここで重ねて強調したい。

なぜ取材、報道したか、といえば、繰り返しになるが、被災地の状況の報道こそが地元住民と国民の利益に合致すると判断したからであり、いまなおそう信じている。それが報道に携わるものの権利であり、義務である。
拙稿が、これ以上のの被害がないことを祈り(18頁)、被災地の援助と補償の速やかならんことを希っている(19頁)のは、本文においても明らかである。
それが、わたしが取材し、報道し、主張したかったことである。それ以上の何物でもない。
                             1991年9月13日 鎌田慧
島原警察署 熊本正三署長 殿
刑事たちは「供述調書」の代りに「意見書」をもち帰った。一週間たって、島原署はわたしと編集者とカメラマンの三人を書類送検した。これまで、住民の「無許可侵入」は、数え切れない。わたしたちだけが送検されたのは、公然と報道したのが悪質、ということらしい。(91年12月)
                   普賢岳報道顛末記
この欄にいままで三回も書かせて頂き、ご心配をおかけした「普賢岳報道事件」は、10月17日、島原地検が「不起訴」処分にして決着がついた。応援して下さったみなさん、ありがとう。
わたしたちの「警戒区域内」への「無許可」立ち入り不起訴(一部報道は「起訴猶予」)にしたことについて、長崎地検は、報道が目的で公共性があった、すでに1414人もの住民が立ち入って警察に注意を受けているのに、立件、逮捕はひとりもいなかった、などを理由としている。当然の判断である。
わたしが事情聴取を拒否して警察に抵抗していたのは、記事を書いたことを理由にいちいち処罰されては大変だ、というきわめて常識的判断による。被害者がどこにもいない報道が手錠をはめられるのは、民主主義の根幹にかかわる問題だからである。
だからこそ、物書きを業としている川原一之、佐木隆三、黒田清、大谷昭宏などのひとたちが、論陣を張って応援して下さったのである。
*Deutschドイツ語→Akihiro Otani大谷 昭宏(* 8. Juli 1945東京都出身) ist ein japanischer Journalist , ehemaliger Zeitungsreporter und Manga-Autor . Sein jüngerer Bruder ist der ehemalige Richter am Obersten Gerichtshof Takehiko Otani.
「こんなことでいちいち警察から呼び出しを受けていたんでは私なんかいくら体があっても足らない。しかしそういうライターの行為を新聞記者がまっ先に警察に通報するとはどういうことなんだ」(大谷昭宏『共同通信』配信9月20日)

*Українськаウクライナ語→Інформаці́йне аге́нтство Кьо́до (яп. 共同通信社, きょうどうつうしんしゃ, МФА: [kʲoːdoː t͡su̥ ɕinɕa], «Об'єднане інформаційне агентство»; англ. Kyodo News) — незалежне громадське інформаційне агентство новин в Японії.
「これは読売新聞から警察に知らされたと見るのが常識である。
もちろんこれは私の推測だが、もしそうならば、なんという姑息な新聞であろうか。学校から買い食いを禁じられた小学生が、友達が買い食いしているのを見つけて先生に言いつけた、そんな小学校時代のことを連想してしまった。自分の友達がひそかに先生の言いつけを破った。そのことを言いつけて自分をほめてほしいし、いい子と言われたい、優等生でありたい・・・。もちろん、ことは買い食いの密告より大きい。なぜなら、それはジャーナリズムが自分で自分の首を絞めているからである(黒田清『宝石』11月号)
*『Houseki宝石』 is a Japanese detective novel magazine and a monthly general magazine for men.
報道に警察が介入すべきではない。それが民主主義の最低限の約束であるはずだ。ところが大マスコミの読売新聞は、警察に取り締まれ、と圧力をかけていたのだから、悲しむしかない。前にもお伝えしたように、『読売新聞』が、六段抜きの連続殺人事件にも匹敵する大記事で、わたしの取材を槍玉にあげ、「事情聴取へ」と警察を焚きつけたのが「普賢岳報道弾圧事件」のそもそもの発端だが、そのあと、読売新聞は、新潟市でひらかれたマスコミ倫理懇談会全国大会の報告を「編集委員河村好市」の署名いりで掲載している。

*一般社団法人 マスコミ倫理懇談会全国協議会General Incorporated Association Mass Media Ethics Roundtable National Council
一般社団法人 マスコミ倫理懇談会全国協議会は「マスコミ倫理の向上と言論・表現の自由の確保」を目的として創設されました。各媒体に共通する倫理上の諸問題について話し合い、メディアの自律・倫理の向上を目指すとともに、言論・表現の自由に対する外部からの不当な介入を排除することに努めていますThe General Incorporated Association Mass Media Ethics Council National Council was established for the purpose of "improving mass media ethics and securing freedom of speech and expression." Discussing various ethical issues common to all media, aiming to improve the autonomy and ethics of the media, and striving to eliminate unfair interference from the outside against freedom of speech and expression.

そこでは、「被災地の状況報道こそが地元住民と国民の利益に合致する」とのわたしの主張を紹介したあと、
「これに対し参加各社から『鎌田氏は自分の行為を正当化している。取材のためならどんなことをしてもよい訳がない』(新聞)「報道は公共のルールを守ることで国民の信頼を得ている」(通信社)と批判的な意見が続出した」(9月28日)と書いている。
出席したひとの記憶によれば、「批判的な意見が続出した」とか、見出しにある「『雲仙』などの白熱討論」というようなものではけっしてなく、二、三人が発言したにすぎなかった、という。わたしの有罪性を説明するために、「住民感情を逆なでにする」との名文句をつくりだしたのは読売新聞だが、記者の客観性を粧った感情報道のほうが罪が深い。
読売・警察連合対フリーライターたちの対立となったようだが、この間に割りこんできた評論家の半可通ぶりには、絶望するしかない。新井直之創価大教授(ジャーナリズム論)は、わたしが書類送検されたとき、つぎのように語っていた。
「・・・命をかけなければできない取材もある。しかし、火砕流の取材がそれだけの値打ちがあるものだろうか。無事だったからいいが、被災した場合、地元の人たちがかかる迷惑は大変なもので、今回の送検もやむをえないと思う」(『共同通信』9月20日)
①Naoyuki Arai新井 直之 ( September 21, 1929 – May 13, 1999岩手県出身) was a Japanese journalist②Русскийロシア語⇒Университет Сока (яп. 創価大学) — частный японский университет в Токио, основанный в 1971 году.
取材にたいする弾圧の是非を記事の値打ちで計るのが、評論家の仕事なのだろうか。まして、わたしは住民になんの迷惑もかけていない。彼は「不起訴」になったあとも、不服そうに、「取材をする者が一般人と比べて特権をもっているわけではなく、一般人の知る権利の代行者に過ぎない」(『朝日新聞』西部本社版、10月18日)とのコメントを発し、そのあとに相変わらずの住民迷惑論をつけ加えて、自論を補強している。

バカも休み休みいってほしい。わたしが警察から執拗に出頭を命ぜられていたのは、新聞記事のように「特権」がないためである。「知る権利の代行者」としての報道が、警察(権力)に弾圧されるのが当り前になっては困る。大本営発表などいやだからこそ批判しているのに、その足許をさらってのうのうとしているんだから、救いはない。(92年1月)
①대본영 발표(일본어: 大本営発表)는 태평양 전쟁 당시, 일본의 대본영(일본어: 大本営) 육군부(陸軍部)와 해군부(海軍部)에서 전시 상황 등에 공식적으로 발표하는 내용을 가리킨다②Српски / srpskiセルビア語→Врховна команда (јап. 大本営 — дајхон'еј) координирано је командовала Јапанском царском војском и Јапанском царском морнарицом.

①ウェールズ公妃ダイアナ(Diana, Princess of Wales、全名: ダイアナ・フランセス(Diana Frances)、旧姓: スペンサー(SpencerДиана Фрэнсис Спенсер、1961年7月1日 - 1997年8月31日)Діана, принцеса Уельськаは、イギリスの第1位王位継承権者・ウェールズ公チャールズの元妃。日本では主に「ダイアナ元妃」と呼称されている

②パパラッチ(イタリア語: 複数:paparazzi、単数:paparazzoПапарацци狗仔隊Папараці파파라치は、セレブリティ等をつけまわし、彼らのプライベート写真などを撮影するカメラマン一般をさす俗称である。パパラッチは独立契約者である傾向にあり、主流メディア組織との関わりを持たない。

[1995.3]sentence of execution author Hachiro Taku (Author)
A 3-year execution record that relentlessly pursues the enemy, Shogakukan's "Weekly Post", from the surprising truth of the "hit-and-run" unfair arrest case. Mass media coverage crimes until the unprecedented mass media accomplice attack on "Shogakukan"...
               「裁くのは俺だ!」-宅八郎さんに聞く       本多勝一
ダイアナ元皇太子妃の悲惨な事故死で、私事暴露を職業とするのぞき写真家「パパラッチ」が改めて問題化した。しかしこの問題は写真にとどまらず、私事(プライバシー)暴露ということでは映像も活字も音声もないはずだ。『フォーカス』が神戸殺人事件の未成年容疑者のカオを違法なさらしものにしたのはもちろん、一部週刊誌やテレビ(ワイドショー)などの目にあまる私事暴露行為はすべてパパラッチであろう。
パパラッチの人権侵害がいかにひどいものか、実際にその標的にされた体験者でなければ想像を絶するものがある。とりわけ日本では名誉毀損の賠償金があまりにも安いために、加害メディアは何の心配もなくパパラッチをつづけることができる。しかも事前に差止めをする法的手つづきがまた難関ときているので、パパラッチ雑誌の天国となっている。
このひどい現状への有効な策は、パパラッチの飼い主(メディアの編集長や社長)や飼い犬(面接の筆者)に対して逆パパラッチで応ずる以外に、速効性のある対抗手段があるだろうか。
(以下は『週刊金曜日』の特集「メディアとプライバシー」での総論、この特集の中から、ここでは宅八郎さんとの対談を収録する。)

Françaisフランス語→Hachiro Taku宅 八郎 (de son vrai nom : Morihiro Yano矢野 守啓(静岡県出身), 19 août 1962 - 11 août 2020★追悼★故宅八郎さん) est un chroniqueur qui se dit « critique otaku » . , essayiste , talent . Son nom de scène vient de Hachiro Higashi, le personnage principal du manga/anime « 8 Man » .
人権やプライバシーについてのマスコミの意識が低い日本では、司法に裁かれる前に何の資格も権限もないメディアから徹底的に裁かれる。しかも、間違っていてもなんの救済もない。なんの根拠もなしに罪を着せられたり、攻撃を受けることもある。もはや「目には目を、歯には歯を」(ハムラビ法典)に訴えるしかないと、「無法マスコミ」にやられたと同じ手段で、当の取材記者やデスクなどに対して「『取材』を敢行」した宅八郎さんに、パパラッチ撃退法を聞いた。
*ハンムラビ法典Codex HammurapiCode de HammurabiハンムラビほうてんЗаконы Хаммурапи、英語: Code of Hammurabi汉谟拉比法典Закони Хаммурапі함무라비 법전は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。
 ボクが「宅八郎」として仕事を始めたのは、宮崎勤の事件(1989年8月)が契機になっているんです。あのとき、司法以前にメディアに裁かれる構図をものすごく感じてしまった。「ホラー・ビデオを見ているから、現実と虚構の見境がつかなくなって殺人を犯した」「漫画の見すぎ」といった言われ方をずいぶんされた。ビデオが6000本弱あることで、異常性を位置づけるような報道がされていたんです。
本多 そういうことはしょっちゅうだね。松本サリン事件の河野義行氏のときとか。

①Русскийロシア語⇒Цуто́му Миядза́ки (яп. 宮﨑 勤미야자키 쓰토무Tsutomu Miyazaki; 21 августа 1962 года — 17 июня 2008 года) — японский серийный убийца, насильник и педофил. Убил с особой жестокостью 4 девочек в возрасте от четырёх до семи лет, мёртвые тела жертв насиловал, фотографировал и употреблял в пищу. Повешен по приговору суда②도쿄·사이타마 연속 유아 유괴 살인 사건(일본어: 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件Tokyo/Saitama serial kidnapping-murder case) 은 1988년 8월 22일부터 이듬해 1989년 6월 11일까지 걸쳐 도쿄도 특별구(고토구) 및 북서부 ~ 사이타마현 남서부에서 미야자키 츠토무라는 26세 인쇄공이 일면식도 없던 연약한 어린 소녀 4명을 잇따라 연속적으로 납치하여 살해한 뒤 옷을 벗겨 시체에 성폭행을 한 후 인근 지역에 유기한 사건을 말한다. 경찰청 광역 중요지정 제117호 사건

Polskiポーランド語⇒Zamach w Matsumoto (jap. 松本サリン事件 Matsumoto-sarin-jiken) – zamach terrorystyczny dokonany nocą 27 czerwca 1994 roku przez Takashiego Tomitsu, członka sekty Aum Shinrikyō przy użyciu sarinu w Matsumoto w prefekturze Nagano

④Françaisフランス語→Yoshiyuki Kōno河野 義行(愛知県出身), né le 3 février 1950, est une victime de l'attentat au gaz sarin de Matsumoto qui a tué huit personnes et fait de nombreux blessés dans la nuit du 27 juin 1994.
 ボクの家にもビデオが2000本ぐらいあったんです。もしボクと彼との関係があるとしたら、四人の幼女を殺したと疑われているか、いないかだけ。これはものずごい大きな差異だけど(笑)。それ以外はほとんど差異を見出せなかったんです。ところがマスコミすべてが彼の趣味の部分や嫌疑以外の部分で司法以前に彼を裁いた。アニメーターや漫画家など、当時はアパートを探すのさえ困難だった話もあったんですから、オタク差別もひどいです。
この状況を変えられる人間が存在するとしたら、殺人容疑者ではない宮崎勤が現れる以外にない。そこで「自分は四人殺していないけれど宮崎勤とほぼ変わらない人間だ」と公言し、堂々とメディアに出ていこうと考えた。「宅八郎」というパーソナリティが作られたモトは、メディア批判そのものだったんです。
*Românăルーマニア語→Otaku (おたくОтаку/オタク오타쿠御宅族אוטאקו) este un termen din limba japoneză ce face referire la un om pasionat de anime și manga. Persoanele care se uită la anime-uri, se numesc Weeb (de), dar acest cuvânt nu este cunoscut în nici o limbă.
本多 宅さんの文章を読んだ人は、非常に過激という意識があるんだね。どうしてそう思うのか聞いてみると、前に宅さんがマスコミから何をやられたかを知らないんです。これは原子爆弾と同じではないか。日本人から見ると、原爆は無差別大虐殺だと。これはそのとおりです。しかしアジアの、つまり中国人とか韓国人・フィリピン人から見ると「あれは当り前だ。天罰だ」になってしまう。もちろんこれは別次元で問題だけど、彼らが何をやられたかが前提だから、そうなるわけですよ。

こうして復讐劇がはじまった
宅 ボクが最初に公的にトラブったのは、『月刊プレイボーイ』の宮崎幸男という方だったんです。漫画を紹介するようなコラムをやっていたときに、ビデオ『けっこう仮面』のグラビアを撮ろうとスタッフがスタジオに集合したんです。ところが、ビデオの主人公だった女性モデルが来なかった。こちらは筋を通して依頼して、許可をもらっていたんです。どの程度に故意・過失であったかはっきりしない面もあるけれど、『月刊プレイボーイ』の編集者が「行かなくていい」と言ったんです。
事情を説明してもらうために編集者に連絡をとろうとしたら、「何だおまえらは!」という態度なんです。金銭的な損害の補償も願いたいところ。結局、集英社のある神保町まで足を運んだら、非を認めるどころか「女優に車を出さなかったから悪いんだ」と、めちゃくちゃな理由で言い逃れようとする。それで、「あなたから聞けることはない。もうけっこうです」と言った。つまり、ボクはその人へ有効な対策を考え始めたわけです。
本多 問題は、コトの発端よりも後の対応ですね。
①Monthly Playboy (月刊プレイボーイ, Gekkan Pureibōi), also known as Geppure (月プレ) or MPB, was a franchise of Playboy magazine in Japan②Русскийロシア語⇒Kekko Kamen (яп. けっこう仮面 кэкко: камэн, также Kekkou Kamen, Kekko Masked, букв. «Восхитительная маска») — манга японского автора Го Нагаи, публиковавшаяся в юношеском журнале Shonen Jump③Українськаウクライナ語→Shueisha, Inc. (яп. 株式会社集英社) — японська корпорація.
 それでボクは、彼が編集者になろうとした動機、出身大学、現住所、所有している車など、一所懸命調べた。彼が海外取材に妻を同伴させていたり、妻名義で会社を持っていることとかもわかってきた。そのときボクが連載していたのが『週刊SPA!』で、古本屋で買ってきた二、三百冊の『月刊プレイボーイ』を、河原に組んだ材木の上に積みあげてガソリンをぶっかけて燃やした写真を載せて、「お宅の編集部員は海外出張に妻を同行させて、うらやましい限りです」みたいな嫌味を書いたんです(注)。
本多 宅八郎的復讐の始まり。
宅 それがきっかけで、兄弟誌『週刊プレイボーイ』の編集者の小峯隆生さんが、「おまえ、宮崎さんにひどいことしたな」と日本テレビの楽屋で脅してきたんです。「この業界で食っていけないようにしてやる」とか、さんざんな脅迫・恫喝を受けた。それ自体きわめて無礼なことだし、楽屋裏でやる神経に卑怯さを感じたんです。それでボクは、生放送中に『週刊プレイボーイ』を破り捨てて、「あなたを必ず処刑する」と宣戦布告した。そして、どういう経緯で彼が恫喝してきて、どう対処したかを書いていったんです。
①Españolスペイン語→Shūkan Playboy (週刊プレイボーイ Shūkan Pureibōi?), también conocida como Weekly Playboy, Shūpure (週プレ?) o WPB, es una revista semanal japonesa publicada por Shūeisha desde 1966②Takao Komine小峯 隆生 (Komine Takao(兵庫県出身), 1959  February 19 -) is a Japanese editor , radio personality , former " Weekly Playboy " military team reporter, novelist.
ところが、『週刊プレイボーイ』の当時の副編集長が圧力をかけてくる始末で、全然、反省の色がない。そんな人間にはとことんやるのが身上なので、彼の三代先までさかのぼって、本籍地まで訪ねる調査をした。失礼な言動がなぜなされるのか、そのルーツを探る旅に出た。
本多 実は、ひどい判決をやって平然としている裁判官について、なぜこんな人間が育ったのかを、そのように調べてルポを書こうとしたことがあります。
「汝の隣人を愛せLove Your Neighbor As Yourself」で引っ越し
 調査の過程で、彼の住所を調べていたら、たまたまそのときに「Jesus ChristusキリストИисус Христосの言葉」が目に入ってきたんです(笑)。「汝の隣人を愛せThou shalt love thy neighbor as thyself」。そこで、彼が住んでいたマンションに空室があるかどうかを調べた。当然出費も大きいし、そこまでやる意味があるのかも考えました。
それで、不動産屋と契約を交わす直前に小峯さんに「恐ろしい計画がある。あなたがいま謝罪文を出してくれるのなら一切の攻撃を止めましょう」と最後通告したんです。「何をやるんだ」と聞くから、「誰もやっていない天才的なことをやる」と答えた(笑)。謝る気がないことを確認し、不動産屋へ行きました。ベランダに広角レンズでビデオカメラを設置して、小峯さんが何時に家を出て帰ってくるかわかるようにした。
さすがに小峯さんもたまりかねたんでしょうね。それなら謝るか反論すればいいと思うんだけど、ボクに対して仮処分申請を行ったんです。「住みたいところに住んで何が悪いんだ」と言い張ったんですけど、「いろいろ嫌がらせを受けた」とか言い出して、訪問禁止や面接強要、いくつかの仮処分を申し立ててきた。顧問弁護士から内容説明もきて、大事になったんです。
そのとき、ぼくは大学生のA子さんとつきあっていたんですけど、そこに「出版やマスコミに関心があります。お手伝いさせてください」と、ボクのファンだという別のフリーターの女性B子が現れた。実はこの人は、小峯さんと通じていたんです。
本多 ソ連のKGBみたいだね。要するにスパイだったんだ。
宅 B子はボクの手帳や住所録など全部コピーを取っていたんです。実は『週刊ポスト』の小牧三平、『プレイボーイ』の小峯、テレビ朝日の芸能リポーターの梨元勝、この三者が組んで宅八郎つぶしの記事を一方的に作り出してきた。活字では『週刊ポスト』、ワイドショーなどテレビではテレビ朝日。B子が「私は宅八郎さんの恋人だった」と言ったうえで、「小峯さんに対する嫌がらせを手伝わされました」といった告白記事が掲載されたわけです。ボクがびっくりしたのは、A子さんにまで嫌がらせを始めたことです。『週刊ポスト』の記者がA子さんの母親のところへ行って、「宅八郎とつきあっているとろくなことがない」とコメントを求めたりしたんです。
①Deutschドイツ語→『週刊ポストWeekly Post 』 (Shukan Post) ist ein umfassendes wöchentliches Magazin , das von Shogakukan herausgegeben wird②Русскийロシア語⇒Shogakukan (яп. 小学館 Сё:гакукан) — японская корпорация, издающая печатную литературу, мангу, различные DVD-диски, а также другие виды печатной и информационной продукции③Українськаウクライナ語→Телебачення Асахі (яп. 株式会社テレビ朝日, かぶしきがいしゃてれびあさひ, кабусікі-ґайся теребі асахі; англ. TV Asahi Corporation) — японська компанія комерційного телемовлення④Masaru Nashimoto (梨元 勝, Nashimoto Masaru(東京都出身), 1 December 1944 – 21 August 2010) was a Japanese reporter who specialized in covering show-business gossip and scandals. He was born in Nakano, Tokyo.
本多 そういうとき一般の読者は知らないから、あなたのやったことだけを見ると原爆になってしまう。
 A子さんは就職活動まで妨害されて(涙)。それでこちらも全面的にぶつかったわけです。当時、日本でもっとも売れていた週刊誌に一方的な記事を書かれたんですから、ボクは私怨を考えると同時に、マスコミの影響力・犯罪性も考えた。ところが、マスコミの人間はそういうことを考えて報道しているとは、到底思えない。
結局ボクはA子さんを失うことになった。A子さんに対しての責任を考えてしまって・・・。人がなかなか言ってくれないから自分で言いますけれど、ボクは責任感が強いんですよ。
本多 A子さんが怒ったのもわかるし、責任感もわかる。
 ボクは自分の責任と同時に、人の責任も最後まで追及したいんです。Nazi-Deutschlandナチスגרמניה הנאציתの追及と近いんだけど、向こうはKriegsverantwortung戦争責任War responsibilityに時効なんかないですよね。日本では「みそぎОчисні обряди」とか言いだして何もなかったことにするけど、ボクは許せない。
①時効(じこう)とは、ある出来事から一定の期間が経過したことを主な法律要件として、現在の事実状態が法律上の根拠を有するものか否かを問わず、その事実状態に適合する権利または法律関係が存在すると扱う制度、あるいはそのように権利または法律関係が変動したと扱う制度をいう。 一般には民事法における時効と、刑事法における時効とに大別されることが多い。また、時効が適用されない案件などもある。一部の案件においては時効の期間が非常に短いものもある②Deutschドイツ語→Die Verfolgungsverjährung공소시효(公訴時效, 독일어: Verfolgungsverjährung, 영어: Statute of Limitation) verhindert im Strafrecht die weitere Strafverfolgung einer bestimmten Straftat.

週刊誌と同じことを個人がやれば非難
宅 ボクは、もはや「自分の行動が正当です」と言わないしI no longer say that "my actions are justified"、「Teufel悪魔Дьяволだ、Death (personification)死神Смерть (персонаж)だ」と思ってもらってけっこうです。
本多 週刊誌がやれば過激でなくて、個人がやれば過激になってしまう。それこそ、「一人殺せば殺人で、大勢殺せば英雄」というチャップリンの映画の台詞(セリフ)みたいなことになりますね。
*サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(英: Sir Charles Spencer Chaplin, KBE、1889年4月16日 - 1977年12月25日)Сэр Ча́рльз Спе́нсер (Ча́рли) Ча́плинは、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である→「One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する
 日本固有Unique to Japanの「Flush in Water⇔Clean the Slate水に流すForgive and Forget(~♪さらりと水に すべて流して~♪梓みちよMichiyo Azusa『二人でお酒をDrink for two』1974年)とか「人の噂も75日Gossip lasts just 75 days」とか、そういう感覚が許せない。最後の最後まで追及する男が一人いてもいいと思っています。マルコムXとか、すごく参考にしていますから。             
【参考資料Reference material】①(1945年8月28日)東久邇稔彦首相は記者会見で敗因に触れてこう語った Prime Minister Naruhiko Higashikuni said at a press conference, referring to the cause of the defeat「ことここに至ったのはもちろん政府の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つであるOf course, the reason why we have come this far is because the government's policies were not good, but one of the reasons for this is that the morals of the people have fallen apart」「この際、私は、軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔(ざんげ)しなければならないと思うAt this time, I believe that the military, government, and civilians as well as the people as a whole must thoroughly reflect and repent」。いわゆるThe so-called「一億総懺悔100 million total confession」は流行語にもなったbecame a buzzword・・・戦争指導者の責任が国民全体に転嫁され、やがて雲散霧消していったThe responsibility of the war leaders was shifted to the entire nation, and eventually disappeared into thin air(2019/08/28『高知新聞Kochi Shinbun』)②Nanjing MassacreНанкінська різанина南京大屠杀Нанкинская резня南京大虐殺「世界史上最もひどい残虐行為The worst atrocities in world history」「憲兵や兵務課で、軍司令官や師団長ら責任者を軍法会議にかけることを検討したが、参謀本部が反対したので実現しなかったThe Military Police and the Military Affairs Division considered court-martialing the military commanders, division commanders, and other responsible personnel, but the General Staff was opposed to the idea, so it did not materialize(田中 隆吉Рюкити Танака少将『東京裁判資料・田中隆吉尋問調書Tokyo Trial Documents/Interrogation Records of Ryukichi Tanaka』November 1, 1994)←③Aug 15, 2022ーJapan marks WWII's end, Kishida doesn't mention aggression Le Japon marque la fin de la Seconde Guerre mondiale, Kishida ne mentionne pas l'agression→④1985年5月8日ー「Wer vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となりますThose who close their eyes to the past will eventually be blind to the present」(永井清彦Kiyohiko Nagai訳)リヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカーRichard Karl Freiherr von Weizsäcker⑤2019/12/06 —Merkel at Auschwitz: Remembering Nazi crimes inseparable Merkel besucht KZ-Gedenkstätte: Erinnerung an Auschwitz 2021/05/08 —'Keep alive memory' of WWII victims, urges Germany's Merkel
本多 黒人運動の歴史は最初過激で、しかし次にもっと過激な人が出ると、前の人が過激じゃなくなってしまう。マルコムXが出たときは、みんな過激だと寵愛したけれど、その前にマーチン・ルーサー・キングがいましたね。キング牧師は、最初は「非暴力」の差別撤廃運動をやったけど、やることはものすごく過激、バスが白人と黒人とにわかれているのは不当だと無視して乗り込む。非暴力といっても当時としては大変なものです。
それが次第に常識になったんです。そうしたら、今度はマルコムXが出てきた。最初は過激だったけど、いまは高く評価されて映画も作られた。ハーレムで通りの名にもなっている。それと同じで、あなたの復讐も、マスコミのひどい仕打ちに対するカウンター・ブローというか、最初は過激に見えるけど先覚者になるかもしれない。
①マルコムX(Malcolm X, 1925年5月19日 - 1965年2月21日)Малкольм Икс、出生名マルコム・リトル (Malcolm Little)Малкольм Литтлは、アフリカ系アメリカ人の急進的黒人解放運動指導者、イスラム教導師である②マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(英語: Martin Luther King Jr.、1929年1月15日 - 1968年4月4日)Ма́ртін Лю́тер Кінг, моло́дшийは、アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師である。
宅 それじゃ宅八郎って、死んだ後しか評価されないかもしれませんね。
本多 アハハハ、大丈夫でしょう。思ったより世の中の変化は速い。アイヌ民族がそう。俺が駆け出し記者で北海道に行ったころは、アイヌという言葉自体がタブーですよ。それが20年後には、堂々とアイヌと自称し始めた。宅八郎はサルトルの評価したサン=ジュネか。(笑)
①ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(仏: Jean-Paul Charles Aymard Sartre [ʒɑ̃pɔl ʃaʁl ɛmaːʁ saʁtʁ]、1905年6月21日 - 1980年4月15日)Жан-Поль Шарль Эма́р Сартрは、フランスの哲学者、小説家、劇作家②『聖ジュネ──殉教者と反抗』(ジャン・ジュネについて) Saint Genet, comédien et martyr(1952年)
宅 ゆがんでいる状況は、いわゆる過激なことでしか変わらないと信じているんです。
本多 何でも最初に言ったり行動する人は過激なんですよ。
【処刑】宅八郎復讐史①宮崎幸男Yukio Miyazaki『集英社』『月刊プレイボーイ』編集者②小峯隆生Takao Komine『集英社』『週刊プレイボーイ』編集者③小牧三平Sanpei Komaki『小学館』『週刊ポスト』デスク④横森理香Rika Yokomori『文藝春秋』『PHP研究所』⑤小林よしのりYoshinori Kobayashi・漫画家⑥田中康夫Yasuo Tanaka・作家・長野県知事
目前の飼い犬とも戦わざるをえない
本多 『週刊金曜日』で「不公正な裁判があてにならないんなら、自分で反撃なり復讐をする以外にないじゃないか」と書いたら、一部の読者から「それが一般の常識になったら大変な問題になる」と言われたけど、裁判官が権力側やマスコミ側とくっついていて正義の味方でなくなってしまったら、それ以外にどういう方法がありますか。黙ってやられるだけですか。
宅 相手の悪い点を列挙して、高らかに声をあげたって、相手はとも思いませんよ。
本多 しかも、それを載せるマスコミがない。だからビラしかなくなってくる。
 でも、ビラって外聞が悪い。
本多 週刊誌は堂々とめちゃくちゃできて、ビラだと何かアングラになる・・・。
 怪文書と言われてしまう。
本多 ロバート・ギリアムRobert Gilliamという有名な黒人が、合州国の南部のほうで、武装して夜警隊を組織した。黒人がめちゃくちゃやられ放題だから私兵団をつくって、白人側の暴力に対抗し始めた。もちろんそれは違法だから追及されるけれど、最終的にはMao Zedong毛沢東Ма́о Цзеду́н主義者で。
「われわれは敵を許すことはできないWe can't forgive our enemies」「左の頬を打たれたら右の頬を出すことはできないIf you hit my left cheek, I can't show my right cheek」と、断固闘争を始めて、それによる混乱が改革にもつながっていった。
 でも、日本では、左の頬に続いてすぐ右の頬を出すような人が、人格が高いとか思われてしまうでしょう。
本多 右の頬を出す人を否定はしません。やりたい人はやればいい。
宅 そんなの、人格が安っぽいと思う。
*「右の頬を打たれたら 左の頬も差し出しなさいIf people slap you on your right cheek, you must turn the left cheek to them as well」→😨「こいつぅ~!This bastard!本当に殴ったなっ!😲 really hit me!許さないぞ~!😠I won't forgive!(宣教師missionary:Roy Horan III )」(映画『スネーキーモンキー蛇拳Змея в тени орла』1978年)。
本多 結局、日本では体制の中で、適当なとこでやっている人が尊敬されて、本当に闘おうとする人ははみ出しになる。
 ボクの過激さは、年上の、ある地位にいる方にあまり評価されないんです。あまりに危なげだし、はっきり評価を定めにくいところがあるから。だから本多さんが宅八郎を引用するのはリスキーだと思うんです(笑)。
本多 でも、前例があるんですよ。典型的な例は堀江謙一です。太平洋をヨットで初めて横断したときは、全マスコミが彼を非難した。彼は旅券を持たずに、密出国したから叩いたわけ。横断は偉くても、「しかし」に重点があるわけです。俺は、これは絶対に大したものだと全面的に評価した。当時はまったくの少数派だったけど、役人が旅券を出さないから無視しなきゃ実行できない。
*Deutschドイツ語→Ken’ichi Horie (japanisch 堀江 謙一, Horie Ken'ichi; * 8. September 1938 in Osaka大阪府出身) ist ein japanischer Segler und Forscher, der sich mit Alleinüberquerungen und alternativen Antriebskonzepten in der Seefahrt beschäftigt.
 ボクは非常に光栄だけど、本多さん大丈夫かなと・・・(笑)。過激と言われることをやっていると、孤立無援という気持ちになってしまうんです。
本多 本当の過激とは思えないんだね。この不正司法日本では当然の反撃だ。
宅 ボクの行動原理を問いただされたら、一つずつそれを説明していく自信があります。たとえば「小牧さんは有名人じゃないか。無名人を攻撃するのか」と非難されたら、河野義行さんや、三浦和義さんだって、もともと一般人でしょう。

*Kazuyoshi Miura (Japanese: 三浦 和義, Hepburn: Miura Kazuyoshi(山梨県出身), July 27, 1947 – October 10, 2008) was a Japanese businessman who was accused of being involved in the killing of his wife, Kazumi Miura
本多 いまの「高級官僚」なんか一人ひとりは有名じゃないけれど、彼らは権力を利用してものすごくひどことをやっているわけです。
 だからそこに顔を与えていくことが、責任を追及することだと思ったんです。
本多 その通りだけど、それをやると、個人攻撃だと言われる。冗談じゃない。
 市民運動的な感覚で「組織の体質に問題がある」と言おうとするけれど、そいつが悪いということをはっきりさせたい。「体質」じゃあ、責任の所在がきわめて曖昧ですよね。現場の人間、それを指摘した人間、飼い主にも飼い犬にも個人で責任をとってもらいたい。
本多 両方ですけれどもね。両方が悪いんだけれど、直接的にはそいつだからね。たとえば侵略して、南京大虐殺でもむちゃくちゃな強姦したり殺したりしたじゃない。兵隊も悪いけれど、天皇制軍国主義がもっと悪い。しかし、現に殺そう、強姦しようと襲っている兵隊は、被害者にとって許せるはずがない。兵隊よりもその飼い主を叩くべきだが、噛みついている目前の犬に対しては戦わざるをえない。
宅 ここが重要だと思うけど、本誌(『週刊金曜日』)の「正義を信じる読者」も飼い主を叩くことが高級で、飼い犬を叩くことは低次元だと短絡してはいないか、と。ボクが編集者個人を処刑だなんて言うと、「自分は会社から命じられただけだI was only ordered by the company」と言うけれど、それじゃアイヒマンが「ヒットラーに命じられただけだI was only ordered by Hitler」と言うようなものじゃないですか。
本多 だから、兵隊に殺されようとする当人にとっては、軍国主義でもどうでもいいわけで、まず戦うことでしょう。
宅 たったそれだけのことがわかってもらえない。ボクは筋を通したいだけなんです。
本多 みんなほとんど泣き寝入りせざるをえないのかどちらかですね。
宅 泣き寝入りしたほうが楽だとかね。
本多 あとが面倒でないとか。          

アドルフ・オットー・アイヒマンאדולף אייכמן(ドイツ語: Adolf Otto Eichmann、1906年3月19日 - 1962年6月1日אדאלף אייכמאןО́тто Адо́льф Э́йхманは、ドイツの親衛隊Schutzstaffel (SS)隊員。最終階級は親衛隊中佐。GestapoゲシュタポGeheime Staatspolizeiのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘスRudolf Franz Ferdinand Höß(=ルドルフ・へース)) へのユダヤ人大量移送に関わった。「 Die Endlösung der Judenfrageユダヤ人問題の最終的解決The Final Solution to the Jewish Question」 (חורבן אייראפעホロコーストהשואה) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にהמוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדיםイスラエル諜報特務庁 (モサドМоссад)Institute for Intelligence and Special Operationsによってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処された。

×

非ログインユーザーとして返信する