日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

《貧困なるザ「我が国」精神》泡沫世代데카당스(Décadence)퇴폐파(頹廢派)Генерация пузыря버블 세대『短編ルポ集』Satoshi Kamata鎌田 慧/Katsuichi Honda本多 勝一⑭

*Deutschドイツ語→『Hankyorehハンギョレ한겨레』(dt. „Eine Nation“ oder „Koreas Ursprung“) ist eine südkoreanische Zeitung. Sie wurde am 15. Mai 1988 im Rahmen der südkoreanischen Demokratiebewegung gegründet und ist heute die viertgrößte Zeitung Koreas.

伊藤 ちょっと古いけれども、ペルーで日本大使公邸占拠人質事件がありました。あのときの取材ぶりを思い起こしてみるとわかりやすいと思います。あのときは127日にわたって、テレビは朝から晩まで、新聞は朝刊と夕刊の一面から社会面まで、連日これでもかとばかり報道しましたね。だから、ものすごい量の報道が流れた。ところが、あの事件で何が人々の印象に残っているかというと、最後に軍が突入して、映画みたいな銃撃戦があったことがひとつ。
本多 それでみんな殺してしまった。
伊藤 それから、シプリアーニ大司教がゴロゴロと荷物を引いて毎日、邸内に入っていったこと。

本多 交渉にいった。
*フアン・ルイス・シプリアーニ・トルネ(Juan Luis Cipriani Thorne、1943年12月28日 - )は、ペルーのカトリック教会の聖職者。現在リマ大司教であり、2001年には枢機卿に任命されている。
伊藤 その二つの風景しか覚えていないと思うんです。なぜあの事件が起きたのか。そもそもゲリラがなぜペルーに存在するのか。なぜ彼らは武装蜂起したのか。そういう背景がほとんど何も理解されてない。もちろん、その説明も報道されてはいたけど、流れた情報の総量からすれば本当にごく一部だった。だから目立たなかった。それ以外の、どうでもいいような報道がものすごく多かった。
本多 相対的に埋没してしまった。

伊藤 さらに、投降したゲリラを殺したのは完全に国際法違反ですね。それも曖昧なままになっている。ということで、当時1年の三分の一にわたって日本を騒がした事件なのに、なぜ起きたのか、どうなってしまったのか。そもそもの最初から結末に至るまで、何だったのかがちゃんと捉えられていません。なぜなのか。
理由の一つは、あのときの報道の仕方が実況中継だったことです。「何時何分、シプリアーニ大司教が入りました」「赤十字Cruz Rojaが何を差し入れました」。そんなことはどうでもいいじゃないですか。その結果、本当に知られるべき報道が埋もれてしまった。これが象徴しているように、今のあらゆる報道が実況中継になっていますね。「今こうなっています」「こうしています」と。
ジャーナリストというのは、本来、社会をよくする革命家であるべきだと思います。「今こうなっている」というだけの報道ではだめでしょう。なぜそうなっているのか。ではどうしたらいいのか、というところまで考える材料を提供しないと、ジャーナリストとはいえないと思うんです。
本多 表面的な「今こうなっている」だけなら、だれが言ってもいいので、ジャーナリストである必要がない。
*レーニンもトロツキーもローザ・ルクセンブルク、ラデックそしてホー・チ・ミンなどなど。みなもとは「ジャーナリスト」ですLenin, Trotsky, Rosa Luxembourg, Radek and Ho Chi Minh etc.  They all used to be a "journalist".
伊藤 専門家でなくても、アルバイト学生でもつとまりますね。見たことを右から左に伝えるのがジャーナリストと思って、実況しかやっていない。取材する当人がジャーナリストというものをわかってないんじゃないか。ペルーに行ったのはほとんどが中堅の記者です。しかも一社あたり10人ぐらい、カメラマンも5人ぐらいいたのだから、各社15人ぐらい張りつけていたんですが、それでもそうなってしまった。
取材のときによく「記者は事実を報道する」といわれるけど、事実を報道して、そのうえに立って「ではよりよい社会のためにどうしたらいいのか」という、方向性まで示さなければね。そのためには、なぜその事件が起きたのか、事件を生み出す原因をなくすためにはどうすべきかまで取材しないと。
本多 実は「事実」さえ報道していません。実況放送だとしても、その中でもまた一方的かつ表面的な事実だけだった。というのは、あのときテレビ朝日の人見剛史カメラマンがゲリラのいる中へ入っていって非難されたけど、俺があそこにおったら彼と同じように入っていくね。入っていって、それこそ中の状況をどんどん実況放送すれば(書けば)いい。そこまでいかないで、それどころか取材して出てきた記者をぶったたくだけ。あれはひどい話ですね。逆に賞讃すべきだよ<注2>。
伊藤 その点でもう一ついうと、本来なにか対立する両者がいたら、両方から話を聞くということはものすごく当たり前の話ですね。
本多 実に初歩的な大原則でしょう。
伊藤 それさえペルーのときはやってないわけです。フジモリ側つまり政府側の言い分のみを載せてしまって、ゲリラ側を何も取材していない。取材しようとする努力をしてないんです。ゲリラ側も積極的に取材したのは共同通信のカメラマン原田浩司君とテレ朝の人見君だけだった。この二人は大したもんです。彼ら以外は努力していない。これは取材の原則にもとる行為ですね。
本多 新聞社に入って最初に教えられる原則なのにね。

*アルベルト・ケンヤ・フジモリ・イノモト(スペイン語: Alberto Kenya Fujimori Inomoto、スペイン語発音: [alˈβeɾto fuxiˈmoɾi]、日本名:藤森 謙也(旧姓)、片岡 謙也Kenya Kataoka、1938年7月28日 - )Альбе́рто Кэ́нъя Фухимо́ри (Фудзимо́ри) は、ペルーの学者、政治家、第91代大統領(在職:1990年7月28日 - 2000年11月17日)。娘は2011、2016、2021年のペルーの大統領候補で政治家のКейко Софія Фухіморі Ігучіケイコ・フジモリKeiko Sofía Fujimori Higuchi
伊藤 これまた言えると思うけど、今の取材者の多くは広報マンになっています。政府とか企業とか、要するに体制、つまりエスタブリッシュされた側の話だけを載せる。ほとんど広報紙です。テレビでも新聞でも、体制の声がそのままマスコミに流れている。新聞を見て最近思うのは、昔よりはるかにお役所発表が多い。
本多 多い、多い。原寿雄さんも言っているように、新聞全体の面積を調べると、体制側のものが八割とか九割とか。だから市民運動とか共産党Partido Comunista de Japón・社民党Социал-демократическая партия (Япония)などの発信なんかまるで出てこない。
伊藤 要するに体制側の広場の仕事を、マスコミという私企業が代わってやってあげているという感じですから、こうなるとジャーナリストどころではない。みんなが電通になっている。
本多 NHKのニュースなんか新聞以上に政権広報の「君が代放送局」だしね。このごろ「考えを示した」という表現が多いのも、江戸時代の殿様や奉行の考えを提示する感覚だ。
①Românăルーマニア語→Cronologia Erei Edo江戸時代 (Tokugawa徳川時代) (1603-1868)②Españolスペイン語→Bugyō (奉行)부교 (일본사), traducido comúnmente como "comisionado", "magistrado" o "gobernador" era un título asignado a oficiales gubernamentales en el Japón feudal. Otros términos que se añadían al título describían más específicamente su labor o jurisdicción.
少なすぎるホンモノ記者
本多 たしかに、ペルーの日本大使公邸占拠事件を一つのケースと見ていくと、ほかもみんな当てはまります。
伊藤 あのときペルーで取材した何百人もの記者の中で、記者の原則を貫いたのはほんの少数だった。もちろんみんな「やりたかったけれどもできなかった」とかいろいろ弁解は言いますよ。
本多 それならテレ朝のカメラマンなんかを後でけなさなければいいのに。ハッキリ言えば無能でできなかったんでしょう。
伊藤 原田君に聞いてみたら、やっぱり周到な準備をやっているんです。まず、中にいるゲリラとうまく連絡をつけなければいけない。考えた末に、赤十字が食糧を運び込む荷物の中に手紙を入れた。検査されて見つかるかと思ったけど、すっと通ってしまった。南米というところはアバウトだから、数時間後に「共同通信入可」という垂れ幕が公邸に張り出されて、手紙が届いたのがわかった。
次にこっち側、政府軍の警戒をくぐるための方法を考えて、ペルー政府に「せめて近寄って写真ぐらい撮らせてくれ」という運動をカメラマン仲間みんなでやって、門の前まで行くのはOKだという許可を取った。その機会に「入ろう」と彼は実行を決める。各社1人、計5人ずつぐらいの集団で、門まで来て、撮って帰って、はい次の集団、という感じでした。彼は三番目の集団だったかな。みんなは門のところでとまって、さあ撮ろうとしたときに、彼だけすたすたと歩いていった。彼はそのときに、本当に撃たれるかもしれないと思って、一緒にいた他紙の連中も彼の後からわっと付いてきている。このへんは根性というか、1人の抜け駆けは許さんぞというか、1人が前に出ると他の人も危険性を忘れて思わず積極的になるんですね。これはいい。だから4、5人も一緒に入って公邸の中の取材をした<注3>
原田君は長時間ねばっていろんな写真を撮ったのだけど、出てきたとき政府軍にフィルムを没収されるかもしれないと思った。だからどうでもいいようなフィルムをカメラの中に入れて、貴重なものは靴下に入れて、その上から無理やり靴を履いた。さらにいちばん大切な、これだけは絶対に取られまいと思ったものは、コンドームに入れてお尻の穴に隠した。
本多 そこまでやったの。それは大したものだ。
伊藤 だから今の日本のジャーナリストも捨てたもんじゃない。こういう記者がいるんだ、これはすごい。
本多 よく肛門に入ったね(笑)。
伊藤 本当に大変だったと思うんです。そこまでやっている記者がいるのだから、他の人は言い訳できない。普段の取材でも、みんな原則は一応知っているわけです。事実を取材するんだ、両方の側から聞くんだと。ところが、今はこういう状況なのだから体制側しか聞けないと諦めてしまって、別の手段を考えようという1人ひとりの努力が足りない。
本多 足りないね。やる気がない。
伊藤 やろうと思えばできるのだから、少なくともやろうとしてみろよ。
本多 意志があれば道は開ける。
伊藤 取材の態勢が悪いということもあるだろうけれども、その中に安住している1人ひとりの問題ですね。自分で改善していく余地がいっぱいある。絶えず弁解ばかりしていて、本当に伝えるべきことを伝えようとしていません。それで結局、安易な広報マンに成り下がってしまっている。
本多 自分の例で恐縮ですが、ベトナム戦争当時より堕落しているのではないか。あのころたとえばMặt trận Dân tộc Giải phóng miền Nam Việt Nam解放戦線Frente Nacional de Liberación de Vietnam側の取材に各社ともしのぎを削って競争していたから、あらゆる手段を考えた。結局、組織の中央よりもメコンデルタの現場へ行って末端と交渉した俺の成功になったわけだけど、少なくともみんなやろうとしていた。

「情報商売」の会社員
伊藤 もう一つは、社内討論の問題がありますね。記事を書いて出したとき、「それはちょっと」と上司から言われることがあるじゃないですか。すると今の記者はすぐに引き下がってしまうんです。闘わない。その後は「言ってもだめだ」と自粛してしまう。昔は、社内でデスクのやりとりがをやって、喧嘩までして意を通すとか、あるいは50%ぐらいは通すとか、そんなことがよくあった。

*Portuguêsポルトガル語→Bokutachi wa Tatakawanai (僕たちは戦わない〈우리는 싸우지 않아〉Nós não vamos lutar) é o 40º single (42º no total) do grupo idol japonês AKB48~♪僕たちは戦わない~愛を信じてる~ただ殴り合っていたって~時間(とき)は解決しないさ~♪→Yasushi Akimoto (秋元 康 Akimoto Yasushi?, born May 2, 1958)
本多 さんざんやったね。
伊藤 今は社内討論がありません。そのへんが、昔の社内の雰囲気と今の違い。
本多 それは驚きですね。その通りなら確かに変わったといえますね。俺の田中角栄選挙区のルポなんか、俺を毛嫌いしている当時の佐伯晋デスク(現在、朝日ニュースキャスター相談役)が、どうしても出そうとしなかったから、原稿を取り返して別の坂本龍彦デスクに渡して陽の目を見た<注4>。そうしたら当時の広岡社長が「よく書いてくれた」と言って喜んだ。
①2020/11/28 —佐伯晋さん死去 - 朝日新聞デジタルSusumu Saeki died-Asahi Shimbun Digital②坂本龍彦Tatsuhiko Sakamoto1933年山梨県生まれ。満州で敗戦を迎える。早稲田大学文学部卒業。57年朝日新聞入社Born 1933 in Yamanashi Prefecture. Defeated in Manchuria. He graduated from Waseda University's Faculty of Letters In 1957, he joined Asahi Shimbun③Tomoo Hirooka広岡 知男 (Hirooka Tomoo廣岡 知男 , August 24, 1907(大阪府出身) - January 5, 2002 ) was a Japanese amateur baseball player and a newspaper company owner . He is the president of the Asahi Shimbun
伊藤 なぜものすごく変わったかというと、一人ひとりの記者がおとなしくなってしまった。みんな坊ちゃんですよ。とはいえ、入社してくるときに、自分はジャーナリストになるんだという使命感は、むしろ昔よりあると思うんです。というのは、ぼくだって、ジャーナリストをやるんだとは思っても、何かものすごい使命感をもっていたわけではなかった。本多さんも書いていらしたけど<注5>
本多 学生時代に伊藤さんは「探検隊」を組織して出かけたし、俺も「探検部」なんか創ってヒマラヤへ行ったりしていた程度ですからね(笑)。
伊藤 今はむしろ観念が先立ってしまって、こうあらねばならないと思って入社する。しかし、現実にやらされるのは「サツ回り」で、なんで俺はこんなことをやらなければいけないのかと疑問を感じて、すぐに壁にぶち当たる。最初に思っていた自分の観念的な理想と、現実に自分がやっていることとのギャップがあまりに大きすぎて、挫折してしまう。生真面目すぎると会社を辞めるとか、自殺するか。
*Satsumawari:A police reporter. A typical first job for a new reporter.
本多 俺もサツ回りを何年かやってうんざりしたけど、しかし、自殺がかなりあるんですか。
伊藤 かなりかどうか。数年前、ぼくが川崎の支店長をやったときに、横浜支局のサツ回りが自殺してしまった。だからそういうふうになるか。あとは、もうこんなもんなんだと。
本多 諦めか。
伊藤 自分の理想が違っていたんだとすぐに諦めて、ほいほいと会社員になってしまう。だから、ジャーナリストになろうと観念的に思っている人ほど、すんなり会社員に移行する。ジャーナリストと会社員とは違うじゃないですか。ぼくは日ごろ言っているのは、「本業ジャーナリスト、副業会社員」であれということです。朝日新聞だの読売新聞に入ったからといって、そのままジャーナリストではありませんね。自覚がなければただの会社員。
本多 要するに情報商売・情報産業の会社員であって、それだけではジャナーナリストではない。
伊藤 その自覚が全くない。会社に入ってみると、理想とは違う。違うとわかったときに、ではどうするか。いかにそういう中で周りを変えていくか。あるいは、とりあえず自分の記事を100載せられないにしても、80ぐらい載せる努力、そういうものの積み重ねです。それによって自分もまた強くなる。会社も変わっていきますね。そいう日ごろの努力が全くない。

ルポがなくなった
本多 「変わった」といえばいろいろあるのだけど、たとえば昔、といってもそれほどの大昔でもないのだけど、よくルポがでましたよ。現場のルポが。大事件があったら、必ず現場のルポを、いわゆる大記者が行って書きました。疋田圭一郎さんとかね。俺も疋田記者に学んで書いたけれども、そういうのがなくなっちゃったと。たとえば阪神・淡路大地震のときだって、印象に残る現場の大ルポがなかったでしょう。
伊藤 新聞でいうと、ルポは本当に少なくなってしまいました。
本多 あれは会社の方針ですか。
伊藤 いや、方針じゃない。
本多 あれは不思議だな。昔、俺が入社したすぐのころは、社会面は1ページだけですよ。それでも、そんな1ページの社会面の三分の二ぐらいをつぶして、ばーんと疋田さんのルポが出ることがありました。
伊藤 ありました、ありました。

*Azərbaycancaアゼルバイジャン語⇒Böyük Hanşin zəlzələsi阪神・淡路大震災한신·아와지 대진재— 17 yanvar 1995-ci ildə, saat 5:46-da, Rixter şkalası üzrə 7.3 bal gücündə Yaponiyada baş vermiş zəlzələ.Землетрясение в Кобе

*Keiichiro Hikita:Born in 1924. He graduated from Kyoto University Faculty of Law. In 1948, he joined the Jiji Shinposha, and in 1951, he changed to the Asahi Shimbun, where he worked as a member of the Shizuoka bureau, a member of the Tokyo News Department, an editorial writer, and an editor, before leaving the company in 1987. From May 1970 to March 1973, he wrote a front page column for the Asahi Shimbun, "Tensei Jingo". He won the Japan National Press Club Award for his feature article, My Opinion. Passed away in 2002
本多 で、第二社会面ができたでしょう。この1ページを丸ごと一つのルポで使うことはしょっちゅうありましたね。それから今度は、さらにそのルポのために別の新しいページができました。「月曜ルポ」だの「検証」ページだの。
ところが、新聞のページは最近になるほど増えているけれども、反比例してルポが減るという、あれはどういうことなんですかね。
伊藤 国際面もそうです。ルポがどんどん少なくなっているんです。
本多 なんでだろう。どうも政策的なものがあるのかなと思っているのだけど、ルポを書くと、どうしても生の反体制的事実が出やすいから押えてやれという。あれかな。
伊藤 政策というのはどうかな。おもしろいルポだったら載ると思うけど。
本多 商売としても売り物になる。
伊藤 ということは、おもしろいルポが書けなくなってしまったのかな。
本多 政策じゃないんですか。だってルポの舞台たるそのページ自身を減らしたじゃないですか。どうですか、いま社内にいる現役として。
伊藤 少なくともルポをなくせというような話はない。
本多 そうすると書ける記者がいなくなったのかな。育てようとしないことはあるかもしれませんね。
伊藤 育てようとはしていない。編集委員を育てようとか、大記者を育てようとか口では言ってますけど、やっていることは全然違う。書ける大記者を育てようと言いつつ、大記者を年棒制にする話が出ると局次長が「年棒制でどれくらい給料をやるのか」と聞いて、「なんだ、俺より多いじゃないか、おかしいじゃないか」」と怒る(笑)。
本多 局次長なんか問題外、社長より多い記者がおっていい。げんに戦前におったことが社史にも出てきます。余談だけれど『週刊金曜日』には代表取締役や現役社長より月給の高い例が珍しくありません。もちろん全体が朝日なんかより低いけれど。
伊藤 会社機構がどんどん官僚機構になってきているのも原因の一つでしょうね。ただ、では現実に社是としてルポを載せないのかというと、そんなことは全然ないと思う。ルポがこれだけなくなると、書くほうは自分が書かなくてなってしまう。記事とはこういうものだと・・・。
本多 思ってしまう?
伊藤 ええ。だれかの発表を聞いて書くものとか、あるいは、首相など「エライ」人にインタビューするものが記事だと思いこんでしまう。
本多 そうすると、会社の方針や政策よりも記者の個人的資質の問題?
伊藤 そっちのほうだと思いますよ。
本多 そうなら、深刻ですね。方針や政策ならそれを変えればいいのだけど。
伊藤 ただ、記者の資質だったら本人が変わればいいわけでしょう。
本多 理屈としてはそうだけど・・・。
伊藤 むしろ簡単です。
本多 でも個人の資質や意識は、よほどのことがないと変わらんものですよ。
伊藤 それはそうですが、毎日24時間張りつめてピリピリしたジャーナリストをやるという生き方はなかなかできませんよね。だから何も考えなかったら、そのままずるずるいってしまう。その要素がすごく大きい。でも、1人ひとりが、俺はいったい何なんだろうかと一週間に一週ぐらい考え直せば、だいぶ違ってくる。
本多 ジャーナリズムを変革するには記者個人個人の意識も重要だということですね。
伊藤 本来なら果敢であるべきジャーナリストが、みんな今すごく縮こまっていますね。社会全体が縮こまっていることもあるけれど、こういう中で、特に新聞記者やテレビ記者は、「これしかできない」みたいな諦め感のようなものがある。でも、「ちょっと待てよ、何かやれるんじゃないか」と考え直せば、できることが見えてくるんじゃないか。
本多 問題は「考え直す」かどうか。

真の「特ダネ」とは
伊藤 ともかくその努力をしないわけだから、とりあえずやってみたらうまくいく面がいくらでもあると思うんです。その努力をやってない。みんなやってないものだから・・・。
本多 「こんなものだ」と思ってしまう。でも日刊紙の場合、日々のことで追われているとずるずるいってしまうから、ホームランバッターを考えたらいい。つまり「日々の雑報」はさぼっておく。もちろんルーチンroutineの仕事は最低限やるんだけど、これだと思うアイディア、それに主力エネルギーを集中する。警察でいえば、刑事と親しくなるなんていう、そんなものは本当の特ダネではない。俺も駆け出しのころそれで苦労したけど、考えてみるとその結果としての特ダネなんて、実は大したことじゃない。いずれは表ザタになるだけの、時間の問題です。それよりも本質的な、社会を動かす真の特ダネは自分で創り出したらいい。そうすればほかのやつは真似もできない。
伊藤 まったくそうです。
本多 そういう意味でいうと、普通のルーチンのことは、日刊紙でいえば、あれは通信社ですむことでしょう。
伊藤 ええ、そのとおりです。
本多 だからその程度に考えて、独自のホームランつまり真の特ダネをとばすべく、後の時間はそのためのエネルギーを蓄えるべきだ。
伊藤 なぜ今それができないかというと、抜かれるのが怖いというか。
本多 防衛姿勢ですね。
伊藤 はい、防衛のほうです。ほかの新聞には載っていて自分のところだけ出していないと、格好悪いし、怒られるし、自分にとっても納得いかない。そうすると、落ちこぼれないようにいろんなところに気を配る。それで体力も気力もヘトヘトになる。どこで何が起こってるかわからないから、絶えず全部に気を配って、朝から晩まであらゆるところに一応は顔を出してとか、これでは疲れますよ。
本多 それはだめだ。疲れるだけ。一種「受験秀才」的な処世術ですね。
伊藤 だから、その「最低限やっておけばいいんだ」ということで、自分はここを狙うというものを持っていればいいわけでしょう。市民運動とか環境、福祉とか。それを持っていない。
本多 持っていないから、ますます神経が落ち着かなくなってしまう。
伊藤 自分がどうしていいかわからない。しかし、ことは簡単ですよ。ジャーナリストになろうと思って会社に入った人は、少しはそういう信念があるんですから、その信念をちらっと思い出すだけでもいい。第一こっちのほうがおもしろいじゃない。
本多 おもしろい、明白に。
伊藤 と思ってそれをやり出せば、いい回転に向かうはずです。
本多 悪循環を断って良循環にするようにレールをこっちに移せばいい。
伊藤 そのきっかけを得るのが難しいといえば難しいけれども、それは何回かやってみているうちに一回でも成功すれば味をしめてしまう。
本多 先の共同通信の例なんかがそうですね。ああいうことを考えればいいわけで、ただしそれを普段から考えていなかったら実行できません。
伊藤 できないです。やっぱり日ごろ考えていて、うまくいけば成功する。成功すれば自分もうれしい。ジャーナリズムも好転する、ということになりますね。すべていいほうに回っていくじゃないですか。10回のうち1回成功すればいいぐらいに思えば。
本多 実際にそんなものですね。全部成功しっこはないのだから。
伊藤 いま萎縮している記者が、自分が本当にやりたいことを週一回ぐらい、お風呂の中ででも考えてみる。じゃあ、翌週こんなことをやってみようかなということで、一週間一目標、あるいは一ヶ月一目標ぐらいを何か決めて、それをやってみる。最低こんなことからでも変わります。あとは社内でそれを通す努力です。
本多 コネで何かやろうとか、たとえば刑事と親しくなるとか。それはそれで重要だけど、それだけやっていったって限界があります。
伊藤 「Geisha芸者Гейша」ジャーナリズムです。
本多 というより「BeggingおもらいBettler」だよね。反骨芸者もいるんだから。
伊藤 それをいちばんやっているのが政治部。
本多 政治部は政治じゃなくて政界部でしょう。
伊藤 「政局部」と他の部から皮肉られてますけど。日本の政治をどうしたらいいかを示すのではなくて政局、たとえば選挙がいつあるのかを知ることに汲々としている。いろんな政治家に張りついて「ところでいつあるんですか」という「おもらい」の仕事、そんなことが「取材」の中心になっているでしょう。
本多 情けない。なんだかいつでも「お下がり」をいただく仕事。
伊藤 英語のウォッチドッグwatchdogは監視人の意味だけど、単なる番犬のような存在になると恥ずかしい。ところが、どの新聞でも政治部がいちばん威張っている。
本多 「ジャーナリストとして立派だから」じゃなくて、権力の近くにいるという距離的な錯覚だけ。
伊藤 恥ずかしいし、情けない。でも本人たちは「政治の取材はこういうものだ」と代々信じ込まされている。でもそうじゃないんだと、一遍がちらっと転換するところから始まるんじゃないか。上司からは、お前はこいつに張りつけとか言われるだろうけど、それは最低限やり、自分は自分で網の目を張り巡らしていけばいい。そうした政治記者も現にいますから。

「社内改革」は可能か
本多 そこで今後、朝日に限らず、社内で改革ができるのか。できないとしたら、どうしたらいいのか
伊藤 できると思うんです。というのは、新聞社自体が行き詰まっているでしょう。どこも紙面をどうするか、あるいは会社の組織自体をどうするかという改革時期です。だから社員にアイディアを出してくれと言っている。
だったら、今こそ自分でアイディアを出せばいい。具体的に広報新聞ではないやり方ということ。たとえばルポを載せるとか、自分にもっと余裕を持ってできるような態勢を作るとか、そういうことを提案すればいいんです。通らなくてもともとだし。
本多 「もともと」が通らないから変わらんのでしょう。
伊藤 でもみんな思っているんです。紙面がこういうふうだったら自分は活躍できるのにとか。だったら、そういう紙面の態勢作りを提案すればいい。ところが今はそうでないからぶつくさ言うだけで何もやっていない。
本多 提案して、採りあげられるような態勢はあるのかな。
伊藤 ないことではないと思います。ただ、やっぱり大きな船だから曲るのは大変で、急な変革はできないでしょうけど、それでも今は新聞社自体がリストラの時代だし、今までのものでは売れないという危機感がある。読者が読むのは「おもしろい」とか「ためになる」ことですね。それはジャーナリストの原点に返ることです。
それを、「どうせ俺が言ったって何も通らないし」という一人ひとりの諦めがいちばん問題だと思う。
本多 たとえば伊藤さん自身が社員としてそういう提案をしたら。
伊藤 自分の身近なところで言うと、ぼくが今いるのは外報部ですが、紙面改革で四月から内容ががらっと変わった。今までとどう違った紙面にしていくかという案をみんなが出したんです。けっこう活発でした。それが紙面に反映されている。それを見ていると捨てたもんじゃないという気はするんです。
本多 じゃあ変わるのかな。
伊藤 すぐには変わらないにせよ、少しずつ変えていくところから雰囲気も変わっていって、たとえば第二外報面の半分を使ってルポを載せるコーナーが作られた。そうすると、ルポがどんどん特派員から送られるように変わった。最初の一歩をやらないことには、いつまでも閉塞状態ですからね。
本多 やる気になれば簡単なような気がするのだけど。たとえばルポなんていうのはいつでもできるのだし。
伊藤 ものすごく簡単だと思うんです。今は、本多さんが昔やっていたような全1ページ物というのはなかなか載らないでしょうけれども。
本多 なぜかなあ。第二社会面の雑報を一回だけとばしてそっくりルポにするだけのことで可能だからね。
伊藤 活字離れが言われる中で長い記事は読まれないと思われていますから難しいでしょうけど、だんだん増やしていって、一年後ぐらいにはそれが当たり前になってるようなことはできると思うんです。
本多 問題は長さじゃなくて、「読まれる内容かどうか」です。たとえば社会部だったら、社会部長が「よし、ルポをやる、一ヶ月に一度でも1ページ丸ごとやるから、おまえら、いいものを出せ、競争だ」と言ったら出てくる。
本多 社会面の中での改革だから、簡単ですからね。
伊藤 いちばん早い例ですね。ただ、部長になるような人って、いい人はむしろ少ないじゃないですか(笑)。官僚ばかり多くて、しかも、昔はいい記事を書いていた人でも、部長になると体制に乗ってしまう。かつての社会党の村山富市首相みたいに。
*Polskiポーランド語⇒Tomiichi Murayama (jap. 村山 富市 Murayama Tomiichi; ur. 3 marca 1924 w Ōita大分県出身) – japoński polityk socjaldemokratyczny, premier.
本多 結局「改革できない」話みたいじゃない?(笑)俺が新人のころ田代喜久雄という強引な社会部長がいて、一部では評判は悪かったけれども、編集では思い切ったことをやったからね。そのあとの伊藤牧夫とかもね。そんなのがいなくなってしまった。
①Deutschドイツ語⇒Kikuo Tashiro田代 喜久雄 ( 22. April 1917熊本県出身 - 14. Mai 1993 ) war ein japanischer Zeitungsreporter und Geschäftsmann②Makio Ito伊藤 牧夫(1924-2012)Former Asahi Shimbun Vice President
伊藤 そんなタイプの大物はいませんね。つまり、彼ら自身が明確な自信を持っていない。今はそういう意味では読売のナベツネぐらいですか(笑)。
本多 マイナスの大物(笑)。ナベツネといえば、いま読売は経営が苦しいんだってね。
*Tsuneo Watanabe (渡邉 恒雄, Watanabe Tsuneo, born May 30, 1926東京都出身) is a Japanese journalist and businessman. He is the Representative Director, Editor-in-Chief of the Yomiuri Shimbun Holdings company1945年12月、反天皇制を掲げていた日本共産党に入党を申し込む。日本青年共産同盟の同盟員としてビラ貼りや演説会の勧誘など下積み活動を経験して、1947年頃、正式な党員として認められるIn December 1945, while still a student at the University of Tokyo, he applied to join the Japanese Communist Party, which advocated an anti - Emperor system. As a member of the Youth Communist League of Japan, he experienced basic activities such as posting leaflets and soliciting speeches, and around 1947, he was recognized as an official member of the party.
伊藤 あれはどんどん膨らむことを前提にしてきたバブル新聞だものね。
本多 こういう不況になってくると、活字より「巨人」の方が好きな層が読売の読者に多いわけで、だからわりあい簡単に切り捨ててしまうんだ。
「アジア記者クラブ」とは
本多 「アジア記者クラブ」について、きっかけと現状を・・・。
伊藤 できたのは1991年の11月です。Foreign worker外国人労働者Migrant workerに対する政府の扱いがあまりにもひどいんじゃないかと、テレビやフリーの記者ら外国人の入管問題を取材していた人たち4,5人が勉強会を作った。自分たちも入管法(出入国管理及び難民認定法La loi sur le contrôle de l'immigration et la reconnaissance des réfugiés)というものをよく知らないと闘えないし、どうせならみんなで一緒に勉強しようじゃないかと考えた。名の由来はアジアに関心を持つ記者たちの集まり、という意味です。1年後の1992年から毎月の会報を出すようになり、それと同時に方針を明確化したんです。一つは、アジア・第三世界Third Worldに関心を持つ、一つは人権尊重を貫く、もう一つはマスコミやメディアの問題を考える。つまりアジアなど第三世界Третий мир・人権・マスメディアに関心がある人が集まって勉強会をやりつつ、本来のジャーナリズム活動を実践していこうじゃないかという方針です。具体的には毎月、その時期に焦点となっている問題をテーマに講演会やシンポを公開でやって、その内容を会報で出しています。年会費は5000円で会員を集め、いま会員は110人。その半分が現役のジャーナリストで、その他はジャーナリズムやアジアなどに関心がある市民です。ジャーナリストの内の半分が組織に勤め、半分がフリーです。

本多 これからの野心というか、計画がありますか。
伊藤 最近やっているのが「ジャーナリスト養成講座」です。マスコミではどうもろくなやつが育たない。会社に入ったら飲み込まれてしまう。これではいかんのじゃないか。われわれの側からジャーナリストを作りあげようという目的です。始めたのが一昨年の秋で、1年に春と秋の二回やっています。
もう一つ、つい最近手掛けているのが、『ライターズ・マーケット』という本を作ることです。アメリカにはありますね。フリーのジャーナリストが何か自分で取材しても発表しなければ意味ない。発表するに当っては、どこに持っていけばいいかよくわからない。こういう人のために・・・。
本多 「場」の紹介ですか。
伊藤 ええ、どこの出版社の何という雑誌はこういうものを主に扱っていて、だれのところに持ち込めばいい、原稿料はだいたいこのくらいだ、というのを一覧にして、『ぴあ』みたいな、電話帳みたいな本を出版しようと、去年の秋から具体的に動き出して、出版社を決めています。
本多 どのくらいの量のものですか。
伊藤 最初は薄いものを考えています。それでだんだん膨らませていこうと。アメリカのは5センチくらいの分厚いものです。こういうのがあるから活躍できるし、活躍するとまた増えるという、やっぱりいい循環です。
本多 合州国には各地方や各分野にいろんなメディアがあるから。
伊藤 たとえば『タイム』や『ニューズウィーク』も載っているけれども、それはこの本のわずか数行でしかない。つまり、そのぐらい発表の場がいっぱいあるということです。それを見て、アメリカのジャーナリズムの層の厚さには本当にびっくりしました。だったら日本でも作ろうと。
日本で今ジャーナリストが冬の時代といわれるのは、発表する場がない。あるいは見えないからじゃないですか。だったら作らなければいけない。だれかが作ってくれるわけではないなら、自分で作ればいい。それには金を持っている人は金を出し、金を持っていない人は知恵と行動を出せばいいわけで、とりあえずわれわれが考えたのがこれなんです。一人ひとりのライターが生きていける。もっともいいかたちで表現できる。それを自分で選択できる。そのための手引きがあったらいいな。だからとりあえず今年から、これを毎年一冊ずつ出していこうと。
もうひとつ、われわれには会報があるから、取材したものをそれにどんどん載せて、やがては本格的な雑誌にすればいいわけで、そういう場作りです。発表の場作り。
*『有钱出钱,有力出力』(金があれば金を出し,力があれば力を出すIf you have money, give money, if you have power, give power「あれは多かったThat was a lot(故棟田博Hiroshi Muneta(岡山県出身(38年の「台児荘の戦い(台儿庄会战Битва за Тайэрчжуан」にて重傷を負い(最終階級(分隊長)伍長)除隊)記者(40年の「宜昌作戦(枣宜会战Bataille de Zaoyang-Yichang」にも従軍)作家)「さすがに文字の国といわれるだけあって、うまいこというなあ、と感心しましたAs expected, it is said to be a land of letters, and I was impressed that it was a good thing」故藤原彰Akira Fujiwara氏(東京都出身・歴史学者・一橋大学教授(44年の「大陸打通作戦(豫湘桂会战Операція «Іті-Го»」にも中隊長として従軍)最終階級少佐)との対談において)。藤原彰『日中全面戦争』(小学館・1988年)より(いつもながらの脱線、失礼しました2022/09/10 Samdi Canada)。
本多 非常におもしろいヒントですね。せっかく養成しても「場」がないという、これが問題で、次のテーマにも関わってくるんです。

*ラルフ・ネーダー(Ralph Naderرالف نادر랠프 네이더, 1934年2月27日 - )Ральф Нейдерは、アメリカの弁護士・社会運動家。
自分たちでマスメディアを創ろう
本多 その『ライターズ・マーケット』は場がどこにあるかという紹介ですが、問題は日本の差です。合州国には大マスコミがないかわり大小無数の良質な雑誌がある。環境問題や商品検証などの分野でも、ラルフ=ネーダー『Public Citizen News』『Corporative Crime Reporter』 『Multinational Monitor』 『Nutrition Week』『Research Report』『Earth Island Journal』等々、日本ででかい顔をしているのは、Shinchōsha新潮신초샤Bungeishunjū文春분게이슌주など体制礼賛・侵略大好き会社の雑誌ばかり。こんな日本だから、真のジャーナリズムの「場」そのものを自分たちで作ることを考えませんか。
伊藤 ぜひ必要だと思っています。
本多 日刊紙という案は前から持っていたのだけど、しかし今の時代、活字離れがかなり大きい。
伊藤 大きいですね。
*活字離れ(かつじばなれ)とは、識字率が高い国や地域において、特に新聞や書籍など紙に印刷された文字媒体の利用率が低下することをいうAliteracy (sometimes spelled alliteracy) is the state of being able to read but being uninterested in doing so. 
本多 だから全部一遍にやろうということ。日刊紙とテレビとインターネット雑誌の四つを一つのコングロマリット的に、発行する順序は同時じゃないが、会社としては一つのもの。
*コングロマリットKonglomerat (Firmen)綜合企業복합 기업複合企業(英: ConglomerateКонгломерат (экономика)Conglomérat (économie)は、狭義には、業種の異なる企業間の合併や買収によって成立した、多業種間にまたがる巨大企業のこと。 グループ会社。
伊藤 全然難しくないと思うんです。難しくないし、ものすごくいいというか、血湧き肉躍るじゃないですか。
本多 正にそう。それを同志たちとやりたいんです。加わりませんか。
伊藤 ぜひ。
本多 資金的には、そんなに苦労しないと思うんです。今までのいろんな経験からいって、30億円ぐらいあればスタートできるんじゃないか。
伊藤 十分じゃないですか。
本多 その代わり精密に市場調査をやります。テレビは新聞より金がかからない。あれは放送すればいいので、流通や配達なんか考えなくてもいいから。
伊藤 ペルーの首都リマ郊外に、「救世主の町」という名のスラムがあります。人口30万人の壮大なスラムなんですが、その中にテレビ局があるんです。機材は全部、他国の人からもらったものばかり。スタジオはおんぼろなものが一つあるきり、職員は5,6人ぐらいかな。財政規模は、年間に10万円とか20万円とか。それでやっているんですから。

①リマ(スペイン語: LimaЛимаは、ペルーの首都並びに政治、文化、金融、商業、工業の中心地。人口約1,035万人で、同国最大②Españolスペイン語⇒El distrito de Villa El Salvador es uno de los cuarenta y tres distritos que conforman la provincia de Lima, ubicada en el departamento homónimo, en el Perú. Limita al norte, con el distrito de San Juan de Miraflores; al este, con el distrito de Villa María del Triunfo; al sur, con el distrito de Lurín; al oeste, con el distrito de Chorrillos y el océano Pacífico.

本多 そうなんです。やれるんです。ロサンゼルスで日本人社会向けにやっている放送局なんか二部屋と、スタッフは三人くらいじゃないですか。あれで一応やっているわけですから。
伊藤 それに今からはデジタル多チャンネル放送の時代ですよ。

【参考資料】①Nikkei Voice日系の声 | The Japanese Canadian National Newspaper

②WAI WAI WIDEワイワイ ワイドToronto www.omnitv.ca

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