日系カナダ人独り言ブログ

当ブログはトロント在住、日系一世カナダ人サミー・山田(48)おっさんの「独り言」です。まさに「個人日記」。1968年11月16日東京都目黒区出身(A型)・在北米30年の日系カナダ人(Canadian Citizen)・University of Toronto Woodsworth College BA History & East Asian Studies Major トロント在住(職業記者・医療関連・副職画家)・Toronto Ontario「団体」「宗教」「党派」一切無関係・「政治的」意図皆無=「事実関係」特定の「考え」が’正しい’あるいは一方だけが’間違ってる’いう気は毛頭なし。「知って」それぞれ「考えて」いただれれば本望(^_-☆Everybody!! Let's 'Ponder' or 'Contemplate' On va vous re?-chercher!Internationale!!「世界人類みな兄弟」「平和祈願」「友好共存」「戦争反対」「☆Against Racism☆」「☆Gender Equality☆」&ノーモア「ヘイト」(怨恨、涙、怒りや敵意しか生まない)Thank you very much for everything!! Ma Cher Minasan, Merci Beaucoup et Bonne Chance 

『Taiwan台湾Тайвань』ーHumanity, history, mentality人間・歴史・心性Человечество, история, менталитетーDai Guohui戴國煇Дай Гохуан《Republic of China中華民国Кита́йская Респу́блика》중화민국 국가三民主义Drei Prinzipien des Volkes(CANADA)2024/01/14⑮


 李独自のリーダーシップ
 総統職をめぐる緊急課題の遂行には、過去のストロングマン的リーダーシップとは全く異なる李独自のリーダーシップの確立が必須となろう。リーダーシップの第一は、指摘するまでもなく、台湾地区の全住民と台湾と関係の深い海外華僑と華人が信頼し、安心して舵取りを任せられる権威が必要である。
 目下、李総統に備わっている権威は、いわば蔣経国の生前の個人的所与の延長の所産であって、李独自のものとは言いがたい。権威を所与のものから自前のものへと移行し確立する過程は、あるべき理想的な総統職を追求する限りにおいて、李登輝でなくとも避けて通れるものではなかろう。

 リーダーシップの第二のファクターとして想定できるものに、台湾地区の全体政治の一元的リーダーシップがある。その確立と効果的駆使もまた緊急課題の一つだ。すでに中国国民党大3回全国代表大会(1988年7月7日ー13日)で正式の党主席ポストを、李が確保した。「台湾丸」が大転換の波にもまれている昨今だけに、一元的リーダーシップが不可欠なのだ。言葉を変えれば、マクロの政治経済を統合的にとらえて、最終的には党と政府のための政策立案をする。いわば統合参謀本部的な機関の設立が必要だ。それを効率よく働かせるリーダーシップを李登輝が党主席ならびに総統として、これから実質的に掌握できるかどうかに勝負どころがあるように見受けられる。
 もちろん、国府台湾には行政面で、すでに「国家安全会議」(1967年2月1日)という統合調整機関が存在する。しかし、ストロングマンの長期間にわたるコントロールと独演で、マンネリズムがひどく、形骸化の趣もまだなしとしない。しかも、メンバーが国民党の元老級に限られ、党内若年エリートと党外の有識の士を排除していることで活性に欠けるという批判もまた聞かれる。
 よく知られているように、台湾の都市生活は活気にあふれ、人びとは都市へ都市へとなびいている。既存の「神」にとって代わったのが「金」だ。拝金主義が瀰漫して、精神的荒廃と空洞化は日ましに進んでいて、異様な感じを人びとに与えている。加うるに、もう一人の「神=ストロングマン」の死である。スローガン化して、有効でなくなっている体制側の押し付けイデオロギーはほぼ崩れ去ったと見てよい。
 その欠を補ってあまりある、新鮮で時代の精神と倫理を体現する価値体系の創出が社会的要請として現れ始めている。期待される創出の担い手は、ほかでもない、知的リーダーシップそのものにおかれる。
 全住民のコンセンサスをまとめ、その時代精神を体現する知的リーダーシップは、当然のことながら、また正しい未来秩序を目指す思想的・倫理的な主導性がとれる、いわば台湾に関心を寄せる全中国人的スケールのリーダーシップをおいてなかろう。それまでにない、知性あふれるダイナミズムをあわせ持つ斬新なリーダーシップの形成は容易ではない。だが、大転換の難局に対応するための舵取りには必要不可欠であることも、また真実なのである。
 地球上で、またアジア太平洋圏において、そして中国大陸の周縁に、台湾地区自らが占めている座標軸の見直しもまた緊急の課題であろう。なぜならば、台湾地区の新しい生存のありかたの戦略を構想し、時代も環境も潮流も大いに変わった。その状況に追いつくべしと自らの同志と幕僚たちを叱咤激励したという。台湾をとりまく時代的状況もそして中国大陸との関係もまた大いに変わり、これからも引き続き変わっていくであろう。

 「生きもの」としての経済
 政治の分野では常に国境がからまってくる。台湾海峡は本来なら中国人にとっては国境ではない。それにもかかわらず、国共両党の対峙が続いている限りにおいて「擬似国境」として両方を切断している。だが、経済は「生きもの」で、国境だろうが「擬似国境」だろうが、それを問題とせず、越えていこうとする。
 1987年10月19日、ニューヨークのウォールストリートで起こった1987年黑色星期ブラックマンデーBlack Monday (株価大暴落)を機に、世界経済秩序の再編がより明確な形で始まった。これは万人が認めるところであろう。外貨準備高が760億ドル、日本、西独について世界第三位(1987年末現在)を占める台湾経済は、もはや世界経済から孤立してやっていけるものではない。
 アジアNIESの模範生の台湾は、目下、対米輸出を基調とする猛烈な輸出ドライブで好況が続いている。だが、米国での保護貿易主義の高まり、日ましに激化するアメリカとの通商摩擦、ドル安・新台湾元高のプレッシャーがあり、ライバル諸国家の追い上げがまた凄まじい。
 台湾経済と密接な関係にあるアメリカと日本、それにアジアの同じ小竜として競争関係にあるシンガポールと香港がすでに大陸市場を自由に活用していることはよく知られていることだ。もっとも手強いライバル、そして台湾のアジアでの唯一の友好国、韓国がソウル・オリンピックの成功を狙って急速に中国大陸への接近を始めているのは、台湾にとっては政治経済の両側面において不安の材料となろう。台湾経済界の先行き不安への深刻さは、想像に難くない。
 東欧共産圏諸国との直接貿易、ソ連との間接貿易などはすでに解禁となった。輸出市場の多様化による自己保存のメカニズムをどう組み直すかの模索が急速に進んでいる。香港経由の大陸との貿易額が、87年1年間で早くも20億ドルの大台に乗ったと新聞は伝えている。直接貿易や直接投資の動きは、大陸への近親訪問が許可されて、いっそうはずみがついてきた。もはや後退はありえない。物や人の交流がどんどん進むと、イデオロギー面の壁は、平行して薄くなって行くと人々は指摘する。台湾海峡の両岸をめぐる交流の進展が、これからいかなる状況をもたらし、いかなる衝撃と刺激を相互間で与えあうものか、注目に値いしよう。

 新権力の政治的役割
 目下の台湾は「大陸熱」で活気づいている。40年間続いた断絶から自由になったのだから無理からぬことでもあろう。より開放的な大陸政策の明確化とその推進を人々が期待している。台湾海峡を隔てての制限がどんどんなくなっていく時、海峡のこちら側の政情と住民の生活をどう安定させていくかが、新権力のはたすべき政治的役割と考える。当分の間、政治だけがなおも台湾海峡という名の「擬似国境」を持ち続けるであろうが、経済面では「国境」という名の垣根がだんだんとれて行くのは想像に難くない。
 李新総統を中心とする新権力集団が、台湾地区の進路を決める判断基準は、やはり経済という「国境」がないものと、政治という「疑似国境」が存続する中での問題を、どう巧みに調整して、舵をとっていくかということにあると考えて大差なかろう。
 官民もろもろの欲求と意見やクレームを濾過し、それをより高次元の昇華の産物としてまとめあげるのが、先に述べた知的リーダーシップの腕の見せ所だとも言えよう。
 思うに、台湾の官民が、政局の混乱を恐れ、異色のニューリーダー李新総統に多くを期待しているがゆえに、中国国民党第13回全国代表大会以降から総統の任期が終わる1990年4月までは、大いに時間の余裕を寛大な気持で貸し与えるものと心ある人々は信じている。

 エピローグー台湾はどこへ行く?
 世界も台湾も変わろうとしている。
 世界が大きく変わろうとしている。米ソ和解だけでなく、中ソ和解への動きもまた活発だ。ソ連軍のアフガニスタンからの、ベトナム軍のカンボジアからの撤退、加うるにイラン・イラク戦争が停戦に入ったことなどはよい兆しと言えよう。
 最近あいついで開催されたレーガン米大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長のモスクワ会談(88年5月)Moscow Summit (1988)、とカナダ・トロントでの第14回先進国首脳会議(88年6月)G7-Gipfel in Toronto 1988は、多くの情報を世界各国に向けて発信した。なかでも、国際経済体制が国家・社会体制とイデオロギーの違いを越えて大調整期に入っていることの示唆は、何に比べても重大であると私は考える。
 成熟期に入った先進資本主義国が、有史以来の最大にしてかつ過剰な総生産力をかかえ込んで、中国大陸、シベリアを中心とする莫大な潜在的資源と大市場を、今切実に必要としていることは明らかだ。他方、社会主義国家たる中華人民共和国は「改革と開放」、ソ連は「ペレストロイカ」を唱えて、資本主義的刺激(資金、技術と管理システムが中心)と市場原理の導入で自らの体制改善と活性力を求め、生き残り作戦で懸命と見受けられる。
 国府台湾は40年来、基本的にはアメリカの傘のもとで軍事と国際政治の面で生きのびてきた。経済も米・日両資本に従属し、貿易面において両国の間隙をぬいながら、巧みに米・日・台の三角循環構造を活用して、今日の国際経済的地位を確定した。
 1987年末現在の台湾の貿易総額は880億ドル、世界貿易総額で第13位、外貨準備高は760億ドル、日本、西ドイツについで第三位、貿易依存度はすでに90%を超える高さ、総輸出額の約半分をアメリカ、総輸入額の35%を日本がそれぞれ占める、これらの数字は、台湾経済の偏頻的な特殊性格を示している。それはまた国府台湾がおかれている国際政治経済の尋常ならぬ地位をもあますところなく暗示しているともいえよう。言葉を変えれば、台湾もまた前述の大調整から決して自由ではありえないことである。
 したがって、国府台湾内の政治経済が転形期にあるだけでなく、国際的政治経済システムの大調整の大枠の中で、台湾地区なりの対応をこれからいやがおうでも構想して立ち臨まなければ、国府台湾は生き残っていけない、ということだ。

 国民党第13回大会
 内外から注目されていた、国民党第13回全国代表大会が、88年7月7日ー13日、台北で開催された。それはポスト蔣経国の最初の国民党大会であり、1987年7月15日の戒厳令の解除以来の民主化の流れと政治・社会環境の激変のさなかで開催されるということで、人びとは熱い視線を寄せた。
 次に、内外のマスコミ関係者との懇談を加味した現地での事後取材を紹介したい。
 「代行」がはずれて、李登輝が最終的に大会で正式の党主席に推挙された。だが、大会直前まで、李に党主席の辞退を勧告する一部元老保守派の動きがあったという。彼らは李の人柄に反対ではなかった。伝統的な思考様式に限りなくこだわる老人たちは、李の党歴があまりにも浅く、党内の威信もまだ十分に確立されてはいないと見立てる。したがって、悪くすれば、伝統ある中国国民党が台湾国民党という名のスモール・スケールに矮小化されてしまうのではないかと危惧した、と解釈する人がいる。その一方で、元老保守派が自らの既得権益をただただ守りたい一心の最後のあがきだと断定する者もいた。
 ともあれ、大会を通じて読み取れる「新味」があり、かつ重大な変化の兆しが別にあると識者は教えてくれる。李登輝と党務を統括する李煥との間の矛盾が顕在化しはじめている点が、その最たるものだという。
 よく知られているように、李登輝は学者出身で潔癖であり、権謀術数には本能的な拒否反応を示す。彼は蔣経国の死後、自分にはキリストと蔣経国の二人の師がいる、師の教えと指し示すところに基づき、歴史の使命を果たすだけだ、と公言し続けてきた。李登輝は「天」が与えた総統職に加えて、党主席の権力を実質的に掌握し、自らのリーダーシップを確立して、国府台湾の民主化のための制度化を任期中に仕上げることを念願しているのであろう。

 両李体制に進むか?
 李登輝に比べて、国民党中央党部秘書長の李煥は、伝統的国府政界でもまれてきた百戦錬磨の政治家である。権謀術数の心得なくしては、はっきりいって、今日の座にあるはずもないと見るべきであろう。総統職は望みようがないが、実権のある行政院院長(首相)のポストを占めたくなるのは無理のないところであろう。
 李煥は党務をあずかりながら、中央委員選挙の得票数で第一位(党主席は投票対対象外)を占めた。党大会直前に起こった激しい倒閣運動の裏に李煥があると噂されているが確固たる証拠はない。李煥が組閣をねらい、首相職を通じて、自らが理想とする政治改革にひと花咲かそうと試みたのは、政治消息筋のいわば常識となっている。すでに72歳の高齢にある李煥が、今までに例を見ない性急さを見せたのは理解できないわけではない、と某識者はコメントするのだった。
 党大会に提出された中央委員候補者名簿と同大会直後の内閣改造(88年7月20日)人事の決定などをめぐって、両李間に矛盾とあつれきがあったという説はかまびすしくささやかれている。なお、李煥秘書長の大会での党務工作報告が、党主席代行の李登輝をあまりにも立てていないということも、悪い兆しの一つにあげられている。
 マスコミ界が、李煥が怒って李登輝から林洋港に馬を乗り換えようとしていると、まことしやかにはやしたてていることは事実だ。林は現職の司法院院長で、台湾省南役県出身。年齢は李登輝より四歳年少の1927年生まれ。戦前の中学校時代に日本に留学して、戦後台湾大学政治学系(科)を卒業した。地方自治体の官吏からたたきあげ、民選の県長を経て党務や政務の双方をこなして、台北市長、台湾省主席、内政部長、行政院副院長から現職に至った。入党も、政界入りも李登輝より早かった。近年では「よくライバル」と見られてきた。 
 これ以降、国府台湾の総統は台湾省籍人以外からは出ないとする観測があるだけに、李煥と林洋港の連合の動きが本当に伝えられているようなものであれば、政局に一波瀾は必至となろう。
 長年続いた戒厳令政治・社会・文化の正常化と行政・軍・警察・特務機構などの近代化など、あまたの緊急課題をかかえている現在の台湾政局において、両李体制のきしみはたまた解体があるとすれば、国府台湾の致命傷になりかねないと指摘する人は多い。両李と林洋港をはじめとする主なリーダーが以後の政治行動で自らが守るべき政治家としての倫理的規範をいかに確立し、個々人が自分自身を厳然と律しながら協力していけるか否かが、今後の政局の動向を占う鍵となろう。

 明確化する大陸政策
 周知のように、中華人民共和国は、文化大革命の収束と鄧小平の実権掌握以後、チャンスあるたびごとに、国府台湾との「三通」(通信、航空、船舶の往来、通商)・「四流」(学術、文化、体育、工芸の交流)を呼びかけ、平和会談と統一を訴え続けてきた。その基調となったのは、全国人民代表大会常務委員会が1979年元旦に発表した「台湾同胞に告ぐるの書」と81年9月30日の国慶節前夜に葉剣英Ye Jianying・同常務委員長が発表した「台湾の祖国復帰・平和統一実現にかんする九項目提案」である。それに対して、中華民国側はかたくなに「三不政策」(大陸とは接触せず、交渉せず、妥協せず)の立場を堅持してきた。
 すでにのべたように、国府台湾側からの大陸への親族訪問は、人道的立場の見地から、蔣経国の生前、87年11月1日に許可となった。一度開かれたドアは間口こそ広がるものの、再び閉じるのは容易でない。親族(初めは三親等以内と規定)のいない台湾省籍人も、今ではВеликая Китайская стена万里の長城Great Wall of China見物の客の多数を占めるといわれる。
 アメリカ側からの新台湾元切り上げ攻勢で、困り始めた中小企業の関係者の大陸投資は日増しに増えていく情勢にあり、大企業のなかには、すでに日本商社もしくはメーカーをダミーにして大陸進出を行なっているともきく。昨今の台湾は、まさに大陸熱が吹き荒れている。政府当局に対する民間企業の直接投資の自由化の突き上げもまた激しい。
 国民党第13回大会で提出された「中国国民党の現段階における大陸政策」は、前向きに微修正を経て、正式に採択され公表された。政府と民間の立場を明確に分離し、一応は大陸とのいっそうの接触を希望する民間の要求に応えようとしているのは評価できよう。なお、これまで台湾からの一方的交流しか許されていなかったのが、新たに「大陸同胞の台湾入りは、直系および配偶者の病気見舞いと葬儀の場合」が許可されることとなった。
 88年8月18日、行政院に「大陸工作会報」(大陸問題関係閣議会議)、同24日、国民党の中央党部には「大陸工作指導小組」(議長・馬樹礼Shuli Ma)がそれぞれ正式に発足した。国府当局の大陸政策の法制化と明朗化がよりいっそう進展するものと期待できる。
 ところで、向う岸の大陸当局も、9月10日、国務院に「台湾事務弁公室」(責任者・丁関根Ding Guange)、共産党の中央に「中央対台工作領導小組」、8月16日、全国規模の「台湾研究会」(会長・宦郷Xiang Huan )があいついで発足を見た。全くにぎやかである。

 三者それぞれの願望
 大陸部中国と島嶼部中国をめぐる関係が新しい段階に入るに及んで、中国共産党、中国国民党、民主進歩党の三者間にはそれぞれの思惑がひしめいていて興味深い。中共当局は民族意識に基づく統一にやっと「あかり」がともったと微笑む。国民党は、また経済成長を核とする「台湾経験」を大陸に持ち込めて、長年の念願である大陸復帰の一部がかなえられた。老人たちの郷愁の一部が癒されるといっては喜んでいるようだ。
 党外の統一志向が強い工党(労働者党)もしくは新たに労働党の結成を考えている関係者たちは、来るべきものが来たというほどのことで、台湾内部の民主化に取り組むことの方がより大事だとそっけない。
 内心おだやかでないのは、民主進歩党内の台湾住民による自決論と台湾独立論を主張する人びとだ。彼らは、中華民国の虚構性を強烈に批判しながら、実はその虚構性に寄生してきたパラドックスを体質的に持ち続けてきた。建前上、相互交流に反対する立場を、党としてはとれない。一部のリーダーは、民衆は大陸訪問を通じてやがて大陸中国の批判派に転じ、自分たちの主張する自決または独立をむしろ賛成してくれることとなろう、と大いに期待しているようだ。
 ちなみに、民主進歩党内には、別の主張をもつ活動家がいる。彼らは、目下の緊急課題を民主化運動の徹底におき、「統独論争」(統一か独立かの論争)は非生産的で、民主化運動陣営の大同団結にとって無益であるばかりでなく、有害でさえあると強調する。

 本格的民主化へ向けて
 なお、民主化をめぐる良いきざしが現われ始めている。あまたのタブーが消えて、蔣父子時代のもろもろの事件が広く議論できる条件と空気が整えられつつあるのがその一つだ。二・二八事件、台湾独立についてかなり自由に議論できるようになって、その反動の一部として中国大陸との非国府的統一論も巻き起こっている。ただ公然と共産主義もしくは中共と合体する議論はまだはばかられているようだ。したがって、50年代初頭の「赤狩り」にまつわる議論も、当然のことながらタブーから完全には自由になっていない。
 1950年以来、台湾独立運動関係の死刑者はわずか二人のみであったのに、共産党関係の嫌疑で銃殺刑になったものは二千名は下らない、と言われている。その恐怖感を、人びとは安易に忘却するわけにはいかないのであろうか。関係者は成り行きをなおも静観していると伝え聞く。
 ともあれ、台湾海峡を隔てての敵意と緊張はしだいに和らいできつつある。中共政権は教条的マルクス主義から、国府もまた教条的反共・三民主義から脱却を試みている大方向にあるようだ。イデオロギーの対立に代えて、次第に経済的利益を共通の基盤として築き上げるか、もしくは築きあげざるをえない方向に向かっていると見受けられる。
 ここ二、三年の間に、中共政権と国府政権のドラスティックな和解はおそらくないだろう、と見る人は多い。だが同時に、双方の内側からの和解を妨げる外国勢力がほとんど姿を消してしまって、環境の変化の持つ重要な意義を見逃さない識者もまた少なくない。

 反体制側の虚実
 これまで、台湾独立運動の台頭に注目し、その中でひと波瀾が起こりかねないと見る日本人は少なからずいた。だが、台湾人総統の就任、政治的争点であった戒厳令の解除、新規の政党の結成を禁止した「党禁」、新聞の増頁や新規発行を禁じた『報禁』さらには二・二八事件の真相解明と犠牲者の慰霊ならびに冤罪者への賠償と謝罪要求などのほとんどが充たされつつある現在、反体制側は争点を見失いがちになってきている。
 体制側の虚実が裸にされると同時に、反体制側の虚実もまた内側から問われる局面に移行しつつあると言わねばならない。私は、蒋経国の「国葬」を偶然にも学会参加の折りに参観できた。「国葬」を見ながら入獄体験が20年以上になる政治犯の某氏が語ってくれた。
 「蔣父子の絶対的体制下であったがゆえに、われわれ入獄者は、近年、社会で同情されている。そして弾圧下であったがゆえに、民主進歩党、工党それに台湾独立運動家だから、と多くの面で民衆から許され、助けられたことがあった。この事実とメカニズムをそろそろ冷静に見つめる時期にさしかかっているように思う。
 ここ二年来、野党の結成の成功、逮捕者なしの街頭デモで、一部の若者は浮かれすぎている面が多々目についてしようがない。
 20年以上外国にいる台湾独立運動家は実情に疎い。多くの者が、台湾に入ることができ一声『台湾独立万歳』と叫べば万人がついてくると思いこんでいる趣が濃厚だという。なんという美しき誤解だろう。
 経済成長で層が厚くなった中産階級は、政治意識、人権意識のいずれもが確かに高まってきている。それに政治参加、社会参加への意欲もまた旺盛だ。だが、それらのエネルギーが彼らの唱える台湾独立運動に直接結び付くと考えるのは甘い。
 より多くの中産階級の台湾人は、世俗的な快適と物質的な悦楽に関心を寄せ、目下のところ反対運動の観衆であり続けているのが実情だ。この厳しい現実を知らないのは悲しい。
 国葬で慟哭する庶民の多くは台湾人だ。台湾独立志向の濃厚な若い党員グループの「新潮流派」が牛耳る民主進歩党の機関紙『民進報Democratic news』を党員さえ読まない状況とその部数が減少傾向にある事実。台湾人の中立系体制批判紙と見られている『自立晩報』(夕刊紙)が『報禁』の解除後、いち早く『自立早報』(朝刊紙、1988年1月21日創刊)という姉妹紙を発刊したにもかかわらず部数が伸び悩んでいる事実は参考になろう。国民党をスケープゴート、または口実に利用できる時代は去った。自前の実力が問われ始めていると見るべきだろう。
①《自立晚報》,1947年在台灣創辦,是臺灣第一份晚報L'Independence Evening Post (chinois) était un journal de langue chinoise fondé par Wu San-lien, publié à Taïwan de 1947 à 2001. Pendant la majeure partie de son existence, la publication a soutenu le mouvement Tangwai et le Parti démocrate progressiste②自立早報,創立於1988年1月21日,是台灣解除報禁以來的第一份新辦日刊綜合性報紙Independence News, founded on January 21, 1988, is the first newspaper in Taiwan since the lifting of the ban on Taiwan.
 春節(旧正月)のボーナス闘争は未曽有の展開を見せた。資本家側のほとんどがみな台湾人で、労働者側のリーダーもまたほとんどが台湾人であるという構図はすでに明らかである。時代も環境も大きく変わって来ていることを洞察できないようでは話にならない。
 反体制は側の甘えの構造的体質を正しく認識し、それを早急に克服しなければ、反体制側の成長はない。抑圧された気分の発散を反体制運動とそのリーダーたちに託した時代は早くも立ち去ろうとしている。
 虚と実を見抜く民衆の目は、かつての寛容さをかなぐり捨てて贋物の反体制をせせら笑うか、はたまたそれに対する怒りと不信を投げつけて『本物』を求め、贋物から立ち去って行く。その日はまもなくやってこよう」

 台湾政治の次の焦点
 多くの論者が指摘するように、台湾政治の次の最大の争点は、虚構と虚飾に満ちた既存の秩序の総解体にともなって、まもなく浮上してこよう。これまで、一党専制システムの「あてがいぶち」でぬくぬくと暮らし、ポストを無難にこなしさえすればやがて次のポストが転がりこんでくると、口を大きくあけて待っているだけの輩が多かった国民党の本省籍中上級幹部も、新しい挑戦に立たされていると聞く。
 「熱い政治の季節」の到来だ。外省籍、本省籍を分かたず、さらには党籍を超えて合従連衝が、若手政治家家間で始まっている。新しい政局に対応するために、民主進歩党所属の国民大会代表や立法委員さらには党本部の専従職員の大陸訪問が、禁令を破る形で始められている。中共関係者とのいろいろの形の話しあいがすでに試みられている。
 もはや台湾は独立すべきか否かが最大の焦点でなくなってきているようだ。いかに台湾地区の足腰を鍛えて、大陸部中国との民主化改革と経済発展の競争に勝ち抜き、きたるべき正式談判のラウンド・テーブルでより優勢に立つかが彼らの課題に想定され、その準備に人々は余念がないとも聞いた。もちろん、談判の座に、自らが代表として参加できる資格と実力を一日も早く蓄えておきたいのだが、若い党外政治家たちの念願だ。残念なことは、彼らの中で、政客でなく、政治家としての自己実現を地道に追う本物志向がまだまだ少ないということだ、と某政治学者はささやいてくれるものでもあった。
 非転向で87年夏に出獄したばかりの政治犯の某氏を初めとする多くの識者を取材(88年7月末ー8月初)して、台湾地区の明るい未来を期待する草の根の心と台湾のあるべき行方が見えてくるような気がした。ともあれ、危機と可能性と新しい始まりが常に隣りあわせにあることを、改めて深く確証させられる今日この頃でもある。
 「僕は物や金が豊かさの唯一の物差しとして幅をきかせている台湾の風潮は嫌いだ。また餅を絵に書いて偽りのイデオロギー闘争に明け暮れていた、往時の中共政権のあり方にも賛同できない。今にして誠にくやしいし辛いが、ニクソンの言葉に仮託したいと思う。ニクソンはかつて僕が反対し闘争の相手にした米帝の右翼の大ボスだ。彼は言う。『中国人とアメリカ人は、世界でもっとも有能な国民に属する。両者とも豊かな潜在能力を持っている。21世紀を展望する時、生産的な米中関係のための土と気候は申し分なく整っている。それは世界に前例を見ない平和と自由の高みへ導いてくれるかもしれない』(『読売新聞』1988年4月4日朝刊)。台湾海峡の『擬似国境』が一日も早く開放されて、ニクソンの期待する形の『中国人』の一員として共にありたい。全ての中国人は『左も右も』『大陸部も島嶼部も』同胞だ。人類への偉大な貢献ができる日の到来を願う」

 あとがき
 今、十数年来の課題をやっと果たせた解放感をしんみりと味わっている。歴史に登場して以降の台湾の姿を、特に中国史、世界史との有機的関連において「近代的世界」の一部に組み込まれて今日に至ったその全体像を、人間を中心に総合的かつコンパクトに描き出すことが、私の念願だった。
 1955年秋以来、日本に滞在しながら、台湾の動向をあらゆる面において見守ってきた。距離を保って台湾を観察、分析、思索できることは、渦中の人たちよりも有利な面がある。だが、落とし穴がないわけではない。もろもろの落とし穴から自由でありたいために、私は、①現実感覚を忘れるな、②しなやかな思考を保持せよ、③他人の発言に耳をかし自己の論理を性急に絶対化するな、④自己限定を試みながら論理化と発言を試みるべし、といったことなどを座右の銘にして、努力してきたつもりだ。
 多事の故郷に思いを致し描くとき、往々にして自己愛と地域主義の自縄自爆に陥ることが少なくない。自己愛は論外としても、地域主義はしばしば偏狭さにつながるか、つながりやすいものである。常に自らを相対化し、より確かに位置づけながら偏狭と独善を克服すること、その上で開かれた普遍へとつないでいくことが、いつの日からか私の内面的課題の一つとなった。自分を含む台湾の人々の心性にメスを入れたのも、事態解明の一つの方法と考えたからである。
 本書をまとめる過程で、立教大学の同僚の皆様にはいろいろと迷惑をおかけした。また先学たちの膨大な業績の恩恵がなければ本書はならなかったであろう。深く感謝するものである。僣越と思いながら、本書で、私は自分の仕事に幅と深みと艶とを加えて総合化することを志した。この志に助言と協力を与え形をつけさせて下さったのは、岩波書店編集部の林建朗さんである。林さんは、また本書の編集と執筆の予備調査を兼ねて、私とともに二度台湾に足を運んで下さった。志の成否いかんについて、御批判をお俟ちしたい。
 問題意識の錬磨の上では台湾近現代史研究会(1970-87年)の同人に、資料探索の面では立教大学の金安栄子さんに助けていただいた。御指導を願ってきた恩師の神谷慶治先生、アジア経済研究所でお世話になった小倉武一・渡辺弥栄司・滝川勉の諸先生をはじめとする親しい方々にも、心からお礼を申し上げる。
                   1988年9月23日    戴國煇

①2019/04/11ーYoshinori Kobayashi, auteur de « Obotchamakun » et « Gomanism Manifesto » parle de la version finale de « The Heisei Emperor Theory »Le mangaka Yoshinori Kobayashi est une figure importante et indispensable lorsqu'on parle de l'empereur et de la famille impériale dans les médias. Il a publié « La théorie de l'empereur », « La théorie de l'empereur Showa » et « La théorie du nouvel empereur ». Il possède des connaissances plus spécialisées que tout autre érudit et est supérieur en termes de valeur de divertissement②Jul 16, 2019 —闘論席:「中国化」が進むと言論の自由がなくなる=小林よしのり(漫画家) | 週刊エコノミスト Online À mesure que la « sinisation » progresse, la liberté d’expression va disparaître? = Yoshinori Kobayashi (artiste manga)  Si la liberté de parole et d’expression est perdue, nous ne saurons jamais ce qui est perdu. En Chine, « l'incident de Tiananmen » n'apparaît pas lorsque vous le recherchez en ligne, de sorte que les jeunes ne savent même pas qu'il existe. Tout comme l'incident de Tiananmen, Taiwan a également connu « l'incident du 28 février » (un incident survenu en 1947 au cours duquel le gouvernement du Kuomintang a massacré 28 000 Taiwanais), dont les jeunes ignorent l'existence. J'ai décrit l'incident du 28 février en détail dans « Taiwan Theory », et lorsqu'il a été traduit en mandarin et publié à Taiwan en 2001, il est devenu un énorme best-seller et a provoqué un énorme tollé qui a divisé le pays. https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20190723/se1/00m/020/001000c

③Jan 12, 2020 —小林よしのりYoshinori Kobayashi 祝!蔡英文氏台湾総統選に再選Toutes nos félicitations! Tsai Ing-wen a été réélue présidente de Taiwan.台湾総統選で蔡英文氏が再選して良かった。中国共産党はいいかげんに分かったらどうだ?Je suis heureux que Tsai Ing-wen ait été réélue présidente de Taiwan. Et si le Parti communiste chinois savait ce qu’il faisait ? https://yoshinori-kobayashi.com/19553/④Oct 25, 2018 — さらに【妄想・100年後の小林よしのり伝説】!De plus, [Illusion/Légende de Yoshinori Kobayashi 100 ans plus tard] !☆『よしりんランド』国を救った英雄・小林よしのりの絶大な人気と共に連日の大盛況« Yoshirin Land » connaît chaque jour un énorme succès en raison de l'immense popularité de Yoshinori Kobayashi, le héros qui a sauvé le pays. https://www.gosen-dojo.com/blog/19889/《「小林よしのり」人気の作品ランキング - ダ・ヴィンチ"Yoshinori Kobayashi" des œuvres populaires - Ranking Da Vinci》←↑⑤国民的英雄とは?Qui est un héros national ?国民の大部分がその功績を認め、好意的な感情をもつまたは尊敬していると考えられる人物のことPersonne dont les réalisations sont reconnues par la majorité de la population et qui est considérée comme ayant des sentiments favorables ou du respect→⑥【民度Höflichkeit】とは特定の地域・国に住む人々sind Menschen, die in einer bestimmten Region oder einem bestimmten Land leben・・・ある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指すEs bezieht sich auf den Reifegrad einer Gruppe, einschließlich ihres durchschnittlichen intellektuellen Niveaus, Bildungsniveaus, kulturellen Niveaus, ihrer Manieren und ihres Verhaltensstils. 民度は高いほど良いとされているEs heißt, je höher die Staatsbürgerschaft, desto besser⇔「日本人は民度が高いJapaner haben ein hohes Maß an Höflichkeit」⇔⑥小林よしのり、DOJOサポーターと『日本人論』を語る!【応募受付中!】」動画配信!
Yoshinori Kobayashi parle de « théorie japonaise » avec les supporters du DOJO ! [J'accepte maintenant les candidatures ! 】 « Distribution vidéo ! https://www.gosen-dojo.com/


Use of Nazi symbols in Taiwan: While there is no notable neo-Nazi movement in Taiwan, the use of Nazi symbolism and imagery in the country has been observed throughout the years, often causing controversy. Those occasions involve a Nazi themed parade at a school, restaurants serving dishes honouring Nazis or displaying Nazi-related pictures and other decor, which led to public outcries.


①SUN YAT-SEN 'WILLS' FORGED IN CHINA; Two Political Testaments Fixed Up by Rival Factions in Canton Committee.https://www.nytimes.com/1925/09/10/archives/sun-yatsen-wills-forged-in-china-two-political-testaments-fixed-up.html②《总理遗嘱Prime Minister's Wil總理遺囑》《國父遺囑Will of the Father of the Nation》I devoted myself to the national revolution for forty years, and my purpose was to seek freedom and equality in China. With forty years of experience, we know that in order to achieve this goal, we must arouse the people and unite the nations of the world who treat us as equals to work together. Now that the revolution has not yet succeeded, all comrades like me must continue to work hard to implement it in accordance with the "National Founding Strategy", "National Founding Outline", "Three People's Principles" and the "Declaration of the First National Congress" written by Yu. Recently, he has advocated the establishment of a National Assembly and the abolition of unequal treaties, especially in the shortest period of time to promote their realization. That’s what I was told!
中華民國十四年二月二十四日February 24, 14th year of the Republic of China 孙中山Sun Yat-sen孫中山/孙逸仙
Сунь Ятсен孫逸仙

Nishino Nanase et Kamiki Ryunosuke apparaissent dans la série "La sensibilisation est trop élevée ! Takasugi-kun" Nouvelle édition CM "Big Lottery"

Русскийロシア語→Ван Лихун (кит. 王力宏, пиньинь Wáng Lìhóng, англ. Leehom Wang, род. 17 мая 1976) — 美国华裔男歌手、音樂製作人、演員和電影導演американский певец, музыкант, продюсер, композитор, аранжировщик, актер и кинорежиссёр. За свою карьеру он записал в общей сложности 25 альбомов, выпущенных в количестве более 60 млн копий.

Kuo Tai-yuan (Chinese: 郭泰源궈타이위안; pinyin: Guō Tàiyuán; Wade–Giles: Kuo1 Tai4 Yüan2; Japanese: かく たいげん (Kaku Taigen); born 20 March 1962) 是一位臺灣臺南出身的棒球選手及教練,司職投手。目前他在中職富邦悍將擔任副領隊。在日本職棒的13年皆於西武獅隊效力,共拿下至今國際球員中最多的117場勝場is a Taiwanese retired NPB baseball pitcher, and currently a baseball coach.



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